第16話 栗花落玲夜の初恋
※今回は、栗花落玲夜視点の話です。
2年生3学期の終業式を終え、私は講堂横の桜を見上げていた。
入学式の日に見上げたのと、同じ桜の木。
あの日から、もう2年が経とうとしている。
3年生が卒業した後の終業式は、講堂が広く感じられた。
そして、思い知らされた。
来年の今頃には、私はもうここにはいないのだ、と。
あと1年だ。
卒業まで、というのももちろんだが、彼との幼馴染としての時間も、おそらくはあと1年だろう。
彼は地元の国立大学を第一志望にしている。彼の学力から言えば、妥当なところだろう。
一方、私は関東の難関私立大学が第一志望だ。驕るつもりはないが、合格はほぼ確実と言われている。
幼稚園から一緒に過ごしてきた彼と、初めて遠く離れることになる。そうなってしまえば、私と彼のつながりは、極めて希薄なものになるだろう。
私も彼と同じ地元の国立大学に進もうかと考えたりもした。だが、全国の優秀な同年代の学生と切磋琢磨してみたいという欲求は捨てられなかった。
結局……私は自分が一番大事だったのだ。彼との時間より、自分の将来を選んだ。
いや、それこそ驕りというものだろう。彼の方は、私との時間など、望んではいるまい。むしろ、私と離れることに、開放感のようなものを感じるという方がありえる。彼を縛っていたつもりはないが、彼が私に劣等感と罪悪感を抱いていることには気づいていた。
その彼に、大学の4年間も共に過ごしたいなどと、言えるものか。
それで彼が解放されるのならば、このまま黙って彼から離れることが、私が彼にできる唯一のことなのかもしれない。
けれど――
「このままっていうのは、さすがに寂しいわね……」
ホワイトデーのあの日から、彼とはまともに話せていない。
卒業後のことはともかく、卒業までは彼の友人でありたい。
せめて、友人でありたい。
望んでいた、恋人にはなれなくても。
「栗花落!」
唐突に、その彼の声が聞こえた。
「な、何か用かしら? 日下君」
駄目だ、平静を装いきれていない。まったく、もう少し空気を読んで声をかけてくれないものか。
だが、こちらの都合などお構いなしに、彼は口早に続ける。
「ここ数日、お前とゆっくり話せていないなと思って。今、時間があるなら、お前に話さないといけないことが――」
「ストップ」
彼の口の前に手のひらをかざして、物理的に話を遮る。
「私から言わせて」
話さないといけないことがあるのは、私も同じだ。ずっと――10年も話さないまま、ここまで来てしまった。
「日下君」
名前を呼んで、彼を見つめる。
「私は――」
彼が身構えるのがわかる。
彼はもう、私の気持ちを知っている。
私は、彼の答えを知っている。
それでも、伝えなければ、私は前に進めない。
「私は、あなたが好きだった。幼稚園児だったあの頃から、あなたを好きでなかった時は一度もない。今でも、好きよ」
口にして、改めて実感する。
ああ、私は、こんなにも彼を好きだったんだ。
「栗花落」
彼が私を呼ぶ。その目は、いつものように優しい。
けれど、彼のこの表情は
「ごめんな」
そう、彼が謝る時の顔だ。
「俺は、お前が好きだし、尊敬もしている。そんなお前に好きになってもらえたことは、本当に嬉しいよ。
だけど、お前の思いに応えることはできない。本当に……ごめん」
深々と頭を下げる彼。
彼は、何も悪くない。
これは、ただの私の自己満足のための儀式なのだ。
「大丈夫よ、答えはわかってはいたから。わかっていても、けじめとしてちゃんと振られておきたかっただけ。
だから、ありがとう」
私は平気だ。平気なはずだ。
でも、なぜだろう。
涙を止められない。
俯く私の頭に、温かな手が触れる。
大好きな、彼の手。
この手に撫でられる後輩が、羨ましかった。
それでも。
「駄目よ」
私はその手を拒む。拒まなければならない。
「これは、好きな子だけにとっておきなさい」
だが、
「いいや」
彼は手を離さない。
「お前が好きになった男が、泣いている女子を放っておけるような奴だと思うか?」
「なにそれ」
思わず笑ってしまった。
「じゃあ、そんなイケメンさんにお願いをしてもいいかしら」
「どうぞ、なんなりと」
「高校生活の残り1年、これまで通り友人として過ごせると嬉しいのだけれど」
「お安い御用だ」
「大学でも一緒に過ごせれば、もっと嬉しいけれど」
「それは厳しいな。俺の学力じゃあ、お前の志望校に受かるのは奇跡みたいなもんだぞ」
「それもそうね」
「おい」
2人して笑う。
私の恋は実らなかったけれど、やっと彼と本当の友人になれた気がした。
「あと、友人として過ごす前に、最後に一つだけ」
「ん?」
何気なく応じる彼の肩に手を置き、ほんの少し背伸びをして。
私は、彼の頬に口づけた。
「な――」
呆気にとられる彼に、私は笑う。
「これくらいの置き土産はさせなさい。10年も待ったんだから」
そう、待ったのだ。
彼のせいではない。私が勝手に待っていたのだ。いつか彼が振り向いてくれると、自惚れていた。
もっと早くこうしていれば、結果は違ったのかもしれない――そんな後悔がないと言えば嘘になる。
だが、彼を好きになったことそのものを後悔はしない。
子どもの頃のことを思い出すたびに、私は彼を想うだろう。
この初恋は、私だけの宝物だ。
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