第13話 バレンタインデー

 2月14日、バレンタインデー。

 教室はチョコレートの甘い香りで満ちていた。


 昨年、栗花落の発議による校則改正により、チョコレートの持ち込みが認められた。そのおかげで、今年は教室のあちこちで堂々とチョコレートが行き来している。さすがに本命へのチョコレートをクラスメートのいる中で渡している奴はいないだろうが、女子同士の友チョコの交換だの、義理チョコを配ってくれる女子だので教室は賑わっていた。


 そして、今、俺の目の前にも1人。

「日下先輩」

穂積だ。その手には、チョコレートと思しき包装された箱が握られている。

 確かこいつ、昨年は栗花落に妙なことを吹き込まれていたんだったな。

 そんな俺の考えを読み取ったかのように

「今年は栗花落先輩に言われたからではないぞ」

穂積はそう言って手にした箱を差し出してきた。

「ボクはボクの意思でキミにチョコレートを渡す。キミには本当にいつも世話になっている」

「お、おぅ」

世話になっている――か。つまりは、義理チョコと考えていいのだろう。

「ありがとな」

いつものように、彼女の頭を撫でる。彼女は、はにかむように口元を緩めた。

「……って、これ、まさか手作りか?」

ラッピングの感じが市販のものと違う。有体に言えば、リボンが妙に傾いていた。

 断定はできない。だが、この何とも言えない不器用さは穂積としか思えない。

「うむ。僭越ながら、作らせていただいた。とはいえ、市販のチョコレートを溶かして混ぜてトリュフにしただけだが」

「それは、十分手作りって言うんだよ」

 手作り……。やっぱり、手作りか……。

 それは、どうなんだ?

 義理チョコでも手作りするものなのか?

 穂積は日常的にお菓子作りを嗜むタイプの女子ではない。そんな彼女がわざわざ手作りだぞ?

「……どうした? 味のことならば心配する必要はないぞ。きちんと味見はしてある」

「いや、そこは別に心配していないんだが」

不器用なところがあるとはいえ、押さえるべきところはきっちり押さえるのが彼女だ。味については市販品と同等かそれ以上を期待できる。

「では、何だ? 何か気になるのならば、はっきり言ってもらいたい」

「その……、これは、わざわざ俺のために手作りしてくれたのか?」

さすがにストレートに「これは本命か、義理か」とは聞けなかった。だが、俺1人のために手作りしたとなれば、義理という判断は考え直す必要があるだろう。

 穂積は、質問の意図を測りかねているようだったが、

「半分正解で、半分外れだ。このチョコはキミと栗花落先輩に渡すために作った」

 

 …………なるほど。

 俺と栗花落の2人だけか……。

 これは判断に迷う。

 栗花落は穂積にとって特別な存在だ。穂積から彼女へのチョコは、もはや本命チョコと言っても差し支えなかろう。

 つまり、栗花落への本命チョコのついでに俺への義理チョコを作ったとも考えられるわけだ。

 だが、仮にそうだとしても、栗花落の他にチョコを渡す相手が俺だけだというのは、何ともむず痒いものがある。

 穂積の中で俺は、少なくとも栗花落に次ぐ存在なのだと思っていいのだろうか。

 ――思い上がっても、いいのだろうか。


 ちょうど11か月前に聞いた、栗花落の言葉が蘇る。


 ――ホワイトデーのお返しの品には意味があると言われているのよ。


 ――マシュマロは”あなたが嫌い”、クッキーは”あなたは友達”。


 ――そしてキャンディーは――

 

 ――キャンディーは”あなたが好き”。


 俺は穂積に、キャンディーを返してもいいのだろうか。


 だが、机の中には、もう1つのチョコレートがある。小学生の頃からずっと、気づけば机の中に入れられている、差出人不明のバレンタインチョコ。

 いや、不明ではない。いくら俺でも、もうわかる。

 わかった以上は、彼女にもきちんと返さなければならない。俺の気持ちを込めた、何かを。


 俺にとって、2人はそれぞれに大事で、クッキーであり、キャンディーだ。

 それに、どちらからも、はっきりと思いを告げられたわけではない。ただの俺の思い上がりじゃないかと、今でも8割方思っている。

 だが、それでも、うやむやなままにはしておけないだろう。

 これは俺自身の気持ちの問題だ。


 俺は、選ばなければならない。

 大切な友人と、大切な女の子を。

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