第9話 夏祭り その3

 人ごみの中を、栗花落と並んで歩く。ただそれだけのことで、緊張してしまう。

 左を向けば、すぐ隣に浴衣姿の栗花落がいて――

「……何?」

「……いや、何でもない」

「そう?」

うっかり彼女と目が合ったりして。


 なんだ、これ?

 パトロールの手伝いだとわかってはいるが、心臓が早鐘を打っている。自制し続けないと、勘違いをしてしまいそうだ。


 だが、もしも――もしも、勘違いでなければ?

 その時、俺はどうするんだろう。


 ふと思い出したのは、4月に栗花落から見せられた、俺の幼稚園時代の手紙だった。”だいすき”という、たった4文字の手紙。

 そういえば、あの手紙に対する栗花落の返事は何だった?


「日下君」

「あ?」

唐突に名前を呼ばれて、思い出から引き戻される。

「さっきから何か考え事かしら?」

「あぁ……悪い。今はお前の仕事の手伝い中だもんな」

「別に、それくらいは構わないけれど……あら?」

栗花落の声に釣られるように視線を動かすと、見知った顔があった。

「穂積?」

「おぉ、栗花落先輩に日下先輩ではないか」

そう言って近づいてくる穂積もまた、浴衣姿だった。

 栗花落の大人びた藍染の浴衣とは対照的な、白地に赤い金魚が可愛らしい浴衣だ。

「浴衣、似合ってるな」

「そうか? それは嬉しい」

わずかに微笑む穂積の頭を撫でる。

 栗花落の誕生日祝いを買いに行った日にうっかり撫でてしまって以来、彼女の頭を撫でるのが習慣になっていた。彼女のさらさらの髪は撫で心地が良かったし、彼女の照れたような反応が見られるのも何となく嬉しかった。

「……」

「どうしたのだ? 日下先輩」

そういえば、栗花落曰く「似合っている」では足りないんだったか。

「えーと、その……浴衣姿も可愛いな」

「……! な、何を言い出すのだ!?」

珍しく、穂積が取り乱した。

「似合っている」以上の感想があるのとないのとでは、こうも反応が違うのか。

 ……感想?

 何か言わなければとは思ったが、俺は穂積に「可愛い」と言ったのか!?

 栗花落の時と同様、社交辞令のつもりはないが、真正面から受け止められると気恥ずかしい。栗花落のようにお世辞として受け流してくれた方が気は楽だ。

 だが、今更「社交辞令でした」なんて嘘で誤魔化すのも違うだろう。次の言葉に迷っていると、

「理音が可愛いのは当たり前よね~」

と栗花落が穂積を後ろからハグした。

「栗花落先輩まで!? 2人してボクをからかっているのか!?」

「ふふ、からかうつもりはなかったけれど、慌てる理音を見ていると、からかいたくなるわね」

「むー」

穂積が呻る。結果的に、俺の「可愛い」発言はうやむやになった。

 ……いや、栗花落のことだ、きっと狙ってやったに違いない。

 本当に、この才媛には敵わない。


 冷静さを取り戻した穂積は、いつもの調子で

「お二人も遊びに来たのか?」

と小首を傾げた。

 まあ、そうとしか見えないだろう。

 だが、栗花落は堂々と

「私は風紀委員長としてのパトロールよ。日下君はおまけ」

「おまけって……」

いつの間にか、手伝いから降格されていた。

 なんだろう。栗花落の声音が少し冷たいような気がする。

 ……気のせい、か?

 盗み見た彼女の横顔からでは、彼女の内心は読み取れない。自分を慕う後輩を見つめる、穏やかな瞳に見えるが……。

 そして、その後輩はというと、

「休日でも風紀委員としての職務に励むとは感服だ。ボクも微力ながらお手伝いさせていただく」

力強く、そう宣言した。


 厄介なことになっている気がする。

 これは、気のせいではないと思った。

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