第8話 夏祭り その2

 夕闇を、提灯の明かりがぼんやりと照らす。

 屋台の並んだ神社前は、ざわざわとたくさんの人でにぎわい、ちょっとした非日常が広がっていた。


「6時までもう少しか」

いくら俺が遅刻の常習犯といえども、風紀委員長たる栗花落との待ち合わせで遅刻をするほど愚かではない。気合を入れて待ち合わせ時刻の10分前から待ち構えているというのに、当の栗花落がまだ来ていなかった。

 時間を過ぎているというわけではないが、遅くとも5分前には現地着を旨とする彼女らしくない。

 何かあったのでなければいいが……。


 からん。


 不思議とその足音は、雑踏の中でも俺の耳にはっきりと届いた。

「待たせたわね」

下駄の音と共に現れた女性は、俺の前に立ち、悠然と微笑む。

「えっと……。お前、もしかして栗花落?」

「もしかしなくても、栗花落玲夜よ」

「いや、髪型が違うと印象が違うなと思って……」

「……感想はそれだけ?」

「浴衣も、似合ってる」

そう、栗花落は髪をアップにして、浴衣を着ていた。藍染のやや古風な柄が、大人びた彼女の雰囲気にしっくりと合う。

 だが、栗花落は

「んー、似合ってる、ねぇ……。もうちょっと何かないのかしら」

そう言って悪戯っぽく笑う。

「もうちょっとって……」

何だ? 何を期待されている?

 これは外すと彼女のご機嫌を損ねてしまうパターンだ。当てなければ、今日のパトロール活動に支障をきたしかねない。

「あー……」

思いついた言葉は一つだが、それを口にするのは勇気が必要だった。

「その……綺麗だ」

「ふふ、ありがとう。お世辞でも嬉しいわ」

どうやら正解だったらしい。栗花落は言葉通り、嬉しそうに笑った。

 お世辞ではなく、その姿は本当に綺麗で、正直すでに周りの男どもの視線が痛い。これはただのパトロールなんだ、お前らが思うようなデートとは違うんだと言いたかったが、栗花落が浴衣姿では説得力はないだろう。


 そうだ。俺たちは今日、夏祭りを楽しみに来ているわけではないのだ。

「なぁ、今日は風紀委員長としてのパトロールなんだろ? 浴衣で大丈夫なのか?」

「ん?」

「ほら、下駄だといざって時に走れないだろうし、着崩れたりも心配だろ?」

「ああ、そうね。まあ、これはいわばカモフラージュよ、カモフラージュ」

俺の疑問に栗花落は自信たっぷりにそう答えた。

「カモフラージュ?」

「そ。こんな夏祭りの場に風紀委員の腕章は無粋でしょ。だから祭りの客に交じってパトロールするのよ」

「なるほどな」

それにしても、浴衣まで着る必要はないような気もするが、彼女がそう言うのなら、それでいいか。俺はあくまで彼女の手伝いだし、浴衣姿の彼女と祭り会場を歩けるのが嬉しくないと言えば嘘になる。

「腕章があれば、問題を起こしそうな奴への抑止力になるかと思ったが、そう単純なものでもないんだな」

そんな風に納得した。ただ、

「……まったく、変に聡いんだから」

隣で呟かれたその独り言の意味は、わからなかった。


「で、まずはどこから回るんだ?」

栗花落のことだ、きっと巡回ルートも綿密に計画しているのだろう。案の定、彼女は淀みなく、

「まずは、屋台の多いメイン通りを端から端までね。ただ、屋台がなくなって、人通りが少なくなるあたりまで行くわよ。こういうところで問題を起こすような輩は基本、人に紛れるか闇に紛れるかでしょうから。

 次は、境内に続く階段とその周辺。境内を一回りした後、最後にもう一度メイン通りを一通りというところかしら」

さらっと今日の巡回計画を俺に告げる。

「結構ハードだな……」

「そうかしら?」

「俺は構わないが、お前、今日は下駄だろ? そんなに歩いて大丈夫か?」

「そう……ね……」

珍しく栗花落の答えがうわの空だ。

「どうした?」

「いえ、ちょっと意外――でもないわね。考えてみれば、昔からそうだったわ」

「何が?」

「鈍感なくせに気遣いのできる、誰かさんのことよ」

そう言った時にはもう、いつもの彼女に戻っていた。

「さ、そろそろパトロールに行きましょうか」

話はこれで終わり、とばかりに彼女は視線を屋台の並ぶメイン通りの方へと向ける。

「あ、あぁ……」

ひっかかることはいくつもあったが、今は彼女の言うとおり、俺もパトロールに集中するか。

 気を引き締めた矢先、

「そうそう」

と栗花落が振り返る。

「カモフラージュになるよう、それらしく振舞いなさいよ」

「それらしく?」

「いかにも『パトロールです』って感じじゃなくて、普通に祭りを楽しみなさいってこと」

「……なるほどな」

反射的に頷いたが、後で気づく。


 ”祭りを楽しみなさい”?

 ”楽しんでいるふりをしなさい”ではなく?

 また一つ生じた疑問をぶつける暇もなく、祭りの人ごみではぐれないよう、俺は必死で彼女の隣に並んだ。


 思えば、彼女とこうして肩を並べて歩くというのは、久しぶりかもしれなかった。

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