第2話 ホワイトデー・ショートストーリー

「……これを、ボクに?」

俺が手渡した小奇麗にラッピングされた箱を、彼女はまじまじと見つめていた。

「お前には、バレンタインにチョコレートをもらったからな。ホワイトデーのお返しってやつだ」

「そうか」

彼女はいつもの無表情を崩さないまま、

「中身は何だ? 物によっては、風紀委員として対処が必要となる」

「……」

さすが、というかなんというか。この後輩は、いついかなる時も風紀委員なんだなぁと思う。


 ……いや、そうでもないのか。

 バレンタインデーのその日。

 風紀委員である彼女は、自ら校則を破った。

 学校にチョコレートを持ってくることは、校則で認められていない。それを知りながら、彼女はチョコレートを持ってきたのだ。

 俺に渡すために。


 と言うと、まるで俺が彼女に愛されているかのような誤解を招きそうだが、実際は、風紀委員長からバレンタインのしきたりを聞いた彼女が、”日頃一番接触を持っている異性”である俺にチョコレートを渡してきたに過ぎない。

 その上、”接触”というのも、遅刻常習犯の俺を彼女が日々追い回しているというものだ。色気はまったく存在しない。


 ちなみに、校則を破った彼女は、厳罰を覚悟していたようだが、そこは風紀委員長がとんでもない裏技で回避した。臨時生徒総会を開催し、校則の改正を行ったのだ。

 風邪などで喉を痛めている場合を考えて許可されていた飴の持ち込みに加え、”勉強で疲れた脳への糖分補給”を理由に、チョコレートも持ち込み可とした上、その条文の発効を今年の1月1日まで遡及させた。

 ……議員のボーナスを上げたという、どこぞの市議会もびっくりの所業である。


 かくして、彼女のチョコレートの持ち込みは正当なものとなり、こっそりとチョコレートの持ち込みをしていた他の女子たちも歓喜し、風紀委員長は、ますますこの学園のカリスマとなった。個人的には、あの魔女がこれ以上力を持つのは危険だと思うのだが。


 閑話休題。


 そんな臨時生徒総会もあったことで、飴の持ち込みは許可されていることを再確認した俺は、彼女へのお返しにキャンディーを選択した。これがクッキーやマシュマロならば、お返しのお返しとして、彼女から鉄拳制裁が返ってきた可能性が高い。


「安心しろ。中身はキャンディだ。飴の持ち込みは校則違反じゃないんだろ?」

俺の答えに、彼女は

「そうか。それならば問題ない」

と満足そうに頷いた。

 堅物な彼女だが、甘い物は好きらしく、飴を舐めているところを見たこともある。キャンディは我ながら、無難かつ適当なお返しだったと思う。

「キミからお返しをもらえるとは……これは大切にさせてもらう」

「いや、一応賞味期限があるから、ちゃんと食べよう、な?」

「……うむ。では大切に食べる」

小奇麗にラッピングはしているが、そう高いものではないキャンディーを、彼女はまるで宝物かのようにぎゅっと抱いた。

「感謝する」

日頃の関係はどうあれ、お礼を言われて悪い気はしない。

「いやいや、どういたしまして」

軽く下げた頭を上げると、幸せそうに微笑む彼女がいた。

 バレンタインのあの日、いつも無表情な彼女がはにかんだように見えたのは、やはり見間違いではなかったのだろうか。

「……本当に、感謝する」

彼女はもう一度、呟くようにそう言って、俺に背を向け、小走りに駆けて行った。


 短い時間ではあったが、確かに見た、彼女の笑顔。

 不覚にも俺は、その時彼女を可愛いと思ってしまった。

 さすがに、それだけで恋に落ちるほど単純ではないが、これまで受けた暴力的な処罰をさておいて、彼女を女の子として意識するには十分だった。


「お返しにキャンディーとは、わかっているじゃない」

背後から唐突にした声に振り返ると、風紀委員長が楽しげに笑いながら立っていた。

「お前……いつからいた」

「んー、わりと最初から♪」

「で、何しに来たんだ」

こいつには何を言っても無駄だ。

さっさと用件を済ませてもらってお帰りいただくしかない。

「の・ぞ・き・見♪」

「帰れ」

「何よぅ、可愛い後輩を心配しただけじゃない」

「俺には、校則違反の現行犯を捕まえようと目論んでいたとしか思えないがな! しかし、校則違反にならないよう、キャンディーを選ぶこの俺の頭脳、どうよ!?」

「そうね。その意味まで考えていたら、絶賛してあげても良かったのだけど」

「は?」

「知らないの? 最近はホワイトデーのお返しの品には意味があると言われているのよ」

 知らない。

 まったく知らない。

 だが、ひしひしと嫌な予感だけはしていた。

 そんな俺の気持ちをおそらくは知りながら、彼女は続ける。

「マシュマロは”あなたが嫌い”、クッキーは”あなたは友達”。そしてキャンディーは――」

そこまで聞けば、想像はつく。というか、それしかない。


「キャンディーは”あなたが好き”」


 風紀委員長の言葉は、予想どおりの内容だったが、はっきりと聞いてしまうと、予想以上のダメージを俺に与えた。


 いや待て、風紀委員長はともかく、あの後輩はそんな意味は知らないはずだ。

 しかし、キャンディーを幸せそうな顔で抱いていたよな?

 いやいや、そもそもあの後輩からのチョコレートは、告白じゃなくてバレンタインを勘違いしたようなものだし――


「ま、せいぜい悩みなさいな」

散々人を悩ませた風紀委員長は、完全に他人事な台詞を残して去って行った。本当にこの女は、魔女みたいな女だ……。


 ・

 ・

 ・


「委員長。お返しをもらったぞ。飴なので、校則上も問題はない」


 風紀委員室。

 委員長に報告する後輩の声は珍しく弾んでいた。

「良かったわね」

そのやり取りの一部始終を見ていたことや、それがバレないように猛スピードでこの部屋に帰ってきたことなどおくびにも出さず、風紀委員長は優しく微笑んだ。

 案の定、後輩は委員長の様子にはまったく気づかないようで、

「うむ。キャンディーは好きだ」

とまっすぐな目で答えた。

「キャンディーは”好き”ね・・・」

後輩の言葉を繰り返し、ふふ、と笑う。

 きっとこの後輩の言葉の意味は、そのままの意味だろう。色恋沙汰に疎い彼女が、ホワイトデーのお返しの意味を知っているとは思えない。

 それでも、いつかは知るかもしれないし、あの男が悩んだ結果を彼女に伝える可能性だってある。


 あの男の本当の答えが、マシュマロということはないだろう。

 かといって、今の時点でキャンディーを返す度胸が彼にあるとは思えない。

 そう、今の時点では・・・。


 いつか彼がキャンディーを返す日が来たら、どうなのだろう。

 胸の奥に感じた小さな痛みには、気づかないふりをした。

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