風紀委員と俺

神森黒夜

第1話 バレンタイン・ショートストーリー

「チョコ……一応用意した」


 最初は聞き違いかと思った。

 だが、彼女の手には確かにチョコレートがある。しかも、なかなか高級そうだ。

「えっと……チョコ?」

「ああ、そうだと言っている」

やはり聞き違いではないらしい。

「チョコレートを学校に持ってくるのは、校則違反じゃないのか? 風紀委員のお前が違反していいのか?」

 どうにも腑に落ちない。

 女子からチョコレートをもらえるということ自体がすでに驚きだというのに、相手がこの後輩となれば、もはや何か裏があるんじゃないかとしか思えない。


 思えば、この後輩が風紀委員になってから、何度となく追い回された。風紀委員長からの命令とあれば、暴力も辞さないこの荒くれ風紀委員に、身の危険を感じたこともしばしばだ。


 その後輩が、こうしてチョコを持って目の前に立っているのだから、俺としては警戒せざるをえない。

 だが、

「校則違反は、知っている。だが、今日はキミにチョコを用意するよう、委員長に言われたのだ」

「……は?」

「校則と委員長命令と、どちらに従うべきか迷ったが、委員長に従い、校則に違反した罰は別途受けることにした」

「お前、すげーな……」

「というわけだ。受け取れ」

そう言って彼女はぐっとチョコを突き出してくる。

「いや、待て。なんで風紀委員長がチョコを用意するよう命令したんだ?

 絶対に何かあるだろう! 変なものを混入させているとか、ドッキリとか!」

「そんなにボクが信用できないのか?」

「信用云々というかお前が俺にチョコを用意する理由がわからん!」

俺がそう言うと、彼女は少し考えるような表情を見せた。

「……委員長は、バレンタインという日は、日頃親しくしている異性にチョコを渡すものだと言っていた。ボクが日頃一番接触を持っている異性はキミだ。だからキミにチョコを用意した」

「……」

ちょっと眩暈がした。あの暴力まじりの追走劇を、「親しくしている」と言うのか、この後輩は。

「何か間違っているだろうか」

あまつさえ、小さく首を傾げている。

「いろいろ間違ってはいるけど、状況は把握した」

「そうか。じゃあ――」

「ああ、チョコレートはありがたく受け取らせてもらうよ」

俺がチョコレートを受け取ると、彼女は少しはにかんだように見えた。

 感情の起伏をほとんど見せない彼女が、よりによってはにかむ?

 そんな馬鹿な。

「ありがとうな――」

そう言いながら顔を上げた時にはもう、はにかんだような笑顔どころか、いつもの無表情な彼女すらもおらず、無人の廊下が夕日に照らされていた。


 ・

 ・

 ・


「で、上手く渡せたのね?」

「……上手くかどうかはわからない。だが、確かに渡した」


 風紀委員室。

 少女は敬愛する風紀委員長に、さきほどの件を報告していた。

「あの男がどんな顔をしたか見たかったものだけど……邪魔をするのは野暮というものよね」

ふふふ、と委員長は笑う。

 代わりに、というわけではないのだろうが、少女に尋ねた。

「ご感想は?」

短いその問いに、少女は数秒悩んだ後、

「……嬉しかった。彼とは、仲良くなりたい」

そう言って小さく笑った。

 小さくだが、確かに笑った。

 それは、恋するごく普通の女子高生の表情だった。

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