第18話 逡巡

 そろそろ夕食の準備をしようと思い立ち上がると、ちょうど母が帰宅した。

「お帰り。ごめん。まだ夕食作ってないんだ」

 母は首を振ると、

「いいのよ。何か今日は食欲なくって。夕食はいいわ。このまま休む」

 言って、本当に部屋に行ってしまった。いつもなら、少しでも話そうとしてくれるのに。

 恭一もまた、食欲はなかった。寝るのにはかなり早いと思ったが、思い切って寝ることにした。が、朝まで寝返りばかりしていて、ほとんど眠れなかった。


 起床時間になり起きると、母はもう出かけていた。朝食は取ったのだろうか。わからないが、とにかく彼女はここにいない。

 恭一も食事をする気にならず、準備をするとすぐに学校へ向かった。坂道を上っている時、後ろから名前を呼ばれた。振り向くと、金子が手を振っていた。彼は、恭一のそばまで走ってくると、「早いね」と声を掛けてきた。恭一は頷き、

「何だか家にいたくなくって」

「え。君が? 家、大好きなんじゃなかったっけ?」


 一昨日までは確かにそうだった。が、津久見家での一件があり、母とどう接していいか、正直な所よくわからなくなった。顔を合わせなくて済んでほっとしているなんて、今までになかったことだ。


「好きだったんだけど……今は……」

「何かあったんだろう。顔色良くないみたいだけど、大丈夫?」

「うん。ちょっと、食欲がないだけ」

「大丈夫じゃないじゃないか」

「大丈夫なんだ。心配してくれて、ありがとう」


 会話を断ち切るように言ってしまった。大事な友人に向かって、何てことだろう。そう思ったが、今は一人で考えていたかった。

「ごめん、矢田部。僕、ちょっと踏み込みすぎたかな。先に行くね」

 金子は、手を振って歩き出した。恭一はその後ろ姿を見ながら、溜息をついていた。


 津久見家訪問から先、ずっとそのことに気を取られていた。金子と親しくなってから教師の見る目が変わってきていたが、授業中もぼんやりと考え事をしていることが多くなり、また元に戻ってしまった。

 考えても答えは出ず、頭の中をぐるぐるしているだけだ。


(どうしたらいいんだろう)


 自分の存在が、あの二人を苦しめているだろうと思う。ならば、もう二度と彼らと会わなければいい。そう思うそばから、津久見に会いたい。あの温かい空気に触れたい、と思ってしまう。血のつながりが、恭一をほっとさせていたのだろうか。彼に子供扱いされ、頭を撫でられたりすると、不安な気持ちが和らぎ、安心した。大丈夫だ、という気にさせられた。

 彼が恭一の為に書いてくれた曲も、安らぎだった。

 バンドは、自分が見つけた『居場所』だった。いてもいい空間だった。それらを全て捨てることができるだろうか。

 何度も何度も自分に問いかけた。問いかけても答えは出ないので、余計に苦しい。


(誰か、答えをくれればいいのに……)


 が、それはいけない、ともう一人の自分が言う。それでは何の解決にもなっていない。逃げているのと同じだ、と。


 その日もぼんやりと一日を終え、俯きながら校門まで来た。不意に「キョウちゃん」と呼ばれ、驚いて顔を上げた。会いたかった人がそこにいた。

 涙が流れるのを止められなかった。

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