第2話 いざなう旋律
狼族の少年と別れたアイリスが再び大通りへと戻ると、何やら騒がしくなっていた。衛兵達が何かを探しているようだ。
「なんの騒ぎだ?」
「何でも王都に密入国者が侵入したらしい」
「それはかなりまずいんじゃないか……」
騒ぎの噂は広がっているようで、特に魔族のヒト達のほうが騒がしい様子がアイリスにも見てとれた。
密入国というのは簡単にいえば、魔族の領土の総称である『フライハイト』から人間族の領土である『スペルビア王国』に不法に侵入したことを示す。
本来なら冒険者に登録することと、旅券を申請することが義務化されている現在の法律を破る者が出ることは稀である。
だが、密入国者である者が王都まで侵入したとなれば大問題というわけだ。
「なんだか大変なことになってるみたい」
エレオス院長にもこのことを知らせたいアイリスは孤児院までの帰路を急ぐ。衛兵の数は次第に多くなっていた。
――
その時、鐘の音のような旋律がアイリスの耳に響いた。
「何、この音……?」
立ち止まったアイリスが周りを見渡すが、音を出している物は見当たらない。近くには教会もないため鐘の音が聞こえてくるはずがない。
そして更に不思議なことは、この澄んだ鐘の音色はアイリス以外には聞こえていないようだ。誰一人として立ち止まって聞き耳を立てたり、おかしいと思っているヒトはいなかった。
「どこから聞こえてくるんだろう」
ふと音の聞こえる方角を探してみると、大通りをまっすぐ進んだ先にあるロークテルの中央広場から響いてきているようにアイリスには感じられた。
気づいたときにはその場所に自然と足が向かっていた。
「やはり次の聖女の候補といえば、ミリアリア様だろうな」
「なんて言っても先代の聖女様の孫娘だしな」
「魔法の素質もすごいらしい」
中央広場の入り口まで来ると、沢山のヒト達で賑わっていた。話しているのは皆、聖女についてだった。
そもそも聖女とは世界の『大いなる意思』によって人間族の中から選ばれた少女のことだ。聖女は加護を受けており、二つの種族のためにその力を使う。
そしてその傍らには聖女が選んだ聖騎士がいる。
聖女と聖騎士は二人で一対なのだ。
記憶に新しいものとしては60年前に人間族と魔族の間で起こった戦争を止めた先代の聖女アーニャと聖騎士ガーライルの功績が伝えられている。それだけに皆が持つ聖女への期待は大きいというわけだ。
「これだけヒトがいるのに、誰もこの鐘の音が聞こえていないのね」
今もアイリスにだけ美しい旋律が聞こえている。
そしてどうやら広場の中央から聞こえているようだ。
アイリスが中央へと歩を進める。
「あれ……?」
広場の中央へとアイリスが歩いていくと、周りのヒト達の声がゆっくりと聞こえるようになってきた。まるで今この場だけ時間の流れが遅いような感覚だ。
だが不思議と怖さなどは感じず、むしろ安心するような気持ちになっていた。
アイリスは広場の中央まで来た。自分以外の時間は相変わらずゆっくりと流れているようだ。そしてふと空を見上げると宙に水面の波紋のようなものが現れていた。鐘の旋律はそこから聞こえて来ている。
すると、その波紋の中央から光り輝く腕が静かにアイリスの元に伸びてきたのだ。
「綺麗な手……」
その手を見ていると何だか胸の奥が温かくなるのを感じた。自然にアイリスは右手をその手に向かって伸ばしていた。
互いの指先が触れる。
すると空から伸びた方の手がアイリスの右手を優しく握ったのだ。
まばゆい光がアイリスを包み込む。そして鐘の音が今までで一番強く鳴り響くと光は収まっていた。
つぶっていた目を開けるとそこにはもう光る腕もなく、鐘の音も止んでいた。周りの時間も元の流れに感じられた。アイリスはふと自分の右手を見つめると手の甲に先ほどまでなかったものがあった。
「綺麗な花の……模様?」
淡い光を帯びた花の文様だった。こすってもとれない。それが何なのかアイリスにもわからなかった。そんなことをしているとアイリスの周りにいたヒト達が何やら騒ぎはじめていた。皆、アイリスを見ている。
「今の光は一体なんだったんだ」
「おい、あの広場の真ん中に立っている子の右手を見てみろよ」
「あれまさか『紋章』じゃ……」
「オレ、聖女様の右手に同じものがあったのを覚えてるぜ!」
そんな声が聞こえてくる。
次第にその声は大きくなっていく。
アイリスは再び自分の右手の甲を見る。
それが『聖女の証』だとわかるまでに時間はそうかからなかった。
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