20日目:戦果と再会
誰かが騒ぐ声が聞こえて目が覚めた。手元に時計はない。頭が重く、なかなか起き上がれない。腕をずらすと冷たい床にふれてにぶく痛んだ。リュック枕は体に合わなかったようで肩がこっている。よく寝た気はする。気はするけど肩痛い。
やっと起き上がってみると室内には誰もいなかった。僕は昨日寝かされたままの場所で寝かされたままの格好で寝続けていたようだ。部屋の中央には地図が無造作に放りだされ、その近くに荷物が散らばっている。部屋の中はかなり暗く、必要最低限のろうそくが部屋のあちこちでガラス容器に入って火を揺らしているだけだった。みんなここで寝たのか。どこ行ったんだろ。もう畑に行ったんだろうか。
ふらつきながら騒ぎが聞こえる方に行こうと廊下に出るが真っ暗だった。足元に部屋にあったような火のついたろうそく入りのガラス容器(キャンドルグラスと言うんだろうか)がいくつか置いてあるだけでその先は何も見えない。もうみんな畑に手伝いに行ったんだろうか。昨日はそこそこ明るかったのに。
参ったな、と一つ拾い上げてため息をつく。集まっていればそれなりに安心感のある明るさになるとはいえろうそく一つの光量が少ない。持ち上げると手元とその周辺だけが弱く照らされるだけで地面はほとんど見えなかった。これ一つをお供に部屋を出るのは心もとない。
「わ」
手が滑った。落下するグラスをなんとかつかもうと手をのばすが間に合わず地面でぽーんとバウンドして、……え。
落下距離に見合わない跳躍をしたキャンドルグラスはぱあっと光を放ちながら最高点に達して再び落下し、ぽん、ぽん、ぽんとさらに三回跳ねて再び地面に戻った。何だこれ? ガラスなのに割れるどころかバウンドって、〈力〉か何かかけてあるのか? 高く上がった時に明るくなったけどどんな仕組みなんだろう。目をこらしてよく見ると天井から何かランプの骨組みのようなものがぶらさがっていた。もしかして。試しに足元にある別の一つを拾い上げてそこ目がけて投げ上げる。ばあっと光が散り、キャンドルグラスは金具から少しはずれた位置に上がって吸い込まれるように中に収まった。そして床にある時よりも明るく周囲を照らし始める。なるほど。昨日は上のランプが全部こうやって点灯してたからまだ明るかったんだ。
通る道のランプをこれで点けていけばみんなを探せるかもしれないけど一つあたりの明るさからして相当な数を投げ上げる必要がありそうだ。うーん。また一つ拾って蹴り上げてみる。少し明るく光って落ちてくるのをもう一回軽く蹴り上げてみる。ろうそくを明るくするには下から上に上がる動作が必要みたいだ。キャンドルグラスとじゃれながらどうしようかなと考えてこのまま行けばいいことに気がついた。幸いサッカーは数年やってきているので歩きながらのリフティングぐらいはお手のものだ。っていうかキャンドルグラスの滞空時間がかなり長いからもっと簡単。
角を曲がり
「
思わず声をあげて足を止めた。砂まみれの体に血のしみをいくつも作ってぐったりと壁にもたれていた。おさえた首もとからマントに赤黒いしみが広がっていた。
「心配するな。太い動脈はそれている」
「でも血がいっぱい出て……」
「その辺りは返り血だ」
明日香と一緒に凛が入ってくる。
「俺からは見えないんだが、縫った方がいいか」
「それを抜いた後止血さえできれば縫わなくても完治するとは思います。しかしこの環境で傷口を空気にさらしておくのはおすすめしません。高い確率で感染症にかかるでしょう」
では抜きますよ、と凛が腕まくりをする。口にタオルをかませて喜邨君が足を押さえ公正と昨日子が腕をおさえ、かと思ったら何の予備動作もなく凛の手が動きいつの間にか刃物をとっていた。明日香がすぐに傷口を力一杯押した。龐棐さんは少し身じろぎしたものの唸り声もあげなかった。栄蓮が凛からわたされていたいくつかの粉末を瓶に入れ、ぎゅっと両手で握って閃光を散らして中身を透明な液体に変え、明日香の手の上から龐棐さんの首もとに垂らした。龐棐さんが顔をしかめる。
「龐棐さん我慢して。これ消毒液だから。これやっとかないと膿むよ」
「そうは言っても痛いものは痛い」
さらに止血剤も使った後、凛が傷口を縫い合わせていった。凛がいちいち説明するので明日香は今にもカバンからノートを取り出してきて授業を受けそうなほど真剣にきいていた。
「ずいぶん真剣に聞くんだね。あの人の話面白いのか?」
「面白いとかじゃなくて。今私たちの中で傷縫ったりできるのって龐棐さんだけでしょ。今回は凛居たから大丈夫だったけど、龐棐さんが怪我した時とか龐棐さんがいない時に誰かが怪我した時とか困るじゃない。ちょうどいいから勉強させてもらおうと思って」
「ちょうどいいとか言わないでくれ」
「だったらこんな怪我しないで無事に帰ってきて」
聞けば戦闘終了間近に敵に撤退を促す目的も兼ねて半数で突撃をかけた時に敵の集中攻撃をくらい、飛んできたうちの一つを払い落とし損ねたらしい。他にも何人か負傷者は出たが味方に死者はなく、結果的には奪われた土地を取り返して勝利した。新しい国境線は突撃しなかった残りの半数から選ばれた兵士に監視を任せ、負傷者他を引き連れて今戻ってきたところだという。他の負傷者はそれぞれ自分たちで怪我の処置をしている。龐棐さんの場合は刃物が刺さった場所が場所だったので覇さんの部屋に運びこまれたのだ。
「あれー。みんなここに居たんだー」
戸口からひょっこり冬人さんがのぞいた。龐棐さんと同じく砂まみれでシャツにもズボンにも返り血が散っている。もらったのか肩に大きいタオルをかけていた。顔についた血をぬぐったらしくそれも汚れている。いつも通りにこにこしながら「よかったー」と手を振ったりしているんだけど返り血のせいで怖い。
「あのねー、部屋に戻ったら真っ暗で電気もなくてー」
「ああ、これ床にあったと思うんですけどそれを天井の金具に投げてつければ明るくなりますよ」
ひょい、と一つ投げ上げて見せる。
「そうなんだー。ありがとー」
にこにこと笑って去っていく。待て待て。ちょっとは龐棐さん心配しろって、そこから見えただろ。
「冬人さん。冬人さんのそれも返り血、だよな」
曹の声に冬人さんが振り返る。聞き取れなかったらしく「何ー?」と首を傾けた。
「シン区の人、殺したのか」
「うん」
すっと顔から表情が消えた。
「殺さなくてもよかったんじゃないかって言うのかな。どうして?」
「奪われた畑を奪い返すだけなのだし、戦力差も十分あったようだしな、その……」
蒼く冷たい双眸に見つめられて口ごもる。
「動けない人を残すよりは良い処置だと僕は思うよ」
息をのむ。言い切った後のやわらかい笑顔すら怖くて、直視できなくなり目を泳がせる。怖い。その目が怖い。冷たくて何も思ってないような目が怖い。わからなくはない、わからなくはないけど。そんな言い方しなくてもいいじゃないか。
冬人さんは泣きそうな顔をする曹の頭をぽんとこづいてぐりぐりーした。満足したのか強めに突き放し、部屋を出て行こうとする。
「冬人ちょっと待て」
縁利が呼び止め冬人さんの服の裾をむんずとつかんだ。
「わー首しまるー」
「いいからしゃがめ」
「離してよー」
「ちょっと縁利、」
縁利は半ば冬人さんの体によじのぼるようにしてとりついてしゃがませ、無理矢理タオルをひっぺがした。「やめろって」冬人さんが語気を強めて縁利を振り落とす。縁利はタオルを離さず、ずり落ちて隠れていた背中が見えた。
ただれて真っ赤に腫れ上がっていた。
「ちょっ……冬人さんどうしたのそれ!」
「うん、ちょっとね」
「ちょっとねじゃない、やけどだよねこれ? シン区の人って火で攻撃してきたの? 地下の戦闘で火を使うなんて自殺行為じゃなかったの? まさか捨て身で、」
まくしたてる明日香の手を「いいから。返して」と断ってタオルを取り返し肩にかける。
「ダメ、冬人さんそれかけたら繊維が傷に入っちゃう」
「龐棐」
縁利が刺すように言って部屋が急に静かになる。
「縁利。いい。僕がわるい」
出て行こうとする冬人さんを喜邨君が捕まえ今日破がはさみうちにして止める。凛の龐棐さんへの処置が終わるのを待たず、明日香がそっちへ走っていく。
「縁利。お前、前に俺にきいたことがあったな。嫁と子どもは居たかって」
冬人さんはおとなしくタオルを剥かれ、明日香にやけどを調べられていた。範囲は広いし一部皮がべろんとめくれているのでひどいように見えるが軽度のやけどだったようで、明日香がほっと息をつく。
「居た。八年前の戦争中に死んだ。ナイフで首を掻っ切られてな」
明日香が手の中で閃光を散らしながら撫でるように冬人さんの背中にシート状の何かをはっていく。
「俺が帰った時妻は既に死んでいた。息子は目の前で首を切られた。やったのは少年だった」
龐棐さんが「後ろからこう」と動作を手で真似る。昨日冬人さんが龐棐さんにやった手の動きと少し似ている。
「縁利にきかれた時はまだ自信がなくてな。赤茶色の髪もあんな感じの蒼い目もどちらもそんなに珍しいものではない。だが昨日軽くやりあって確信した」
「そうだよ」
冬人さんの声が部屋に響く。
「龐棐さんの家族を殺したのは僕だ」
シートを背中に貼り終わった明日香の手を払いのけタオルを羽織り直す。龐棐さんの方を無表情に振り返る。赤茶色の髪の間から冷たい蒼色がのぞく。龐棐さんはまっすぐ見つめ返し、冬人さんの言葉を待った。
「戦果が欲しかった。当時の僕には必要だったものだ」
「だろうな。それ以外に理由がない」
「……どうしてほしい。謝罪に意味がないことはわかってる」
「さあな」
龐棐さんは肩をすくめて目を閉じる。緊迫感は相変わらずだがそこに昨日のような怖さはない。冬人さんもその答えは予想していたようで質問を変えた。
「戦闘中にどさくさにまぎれて焼こうとしたくせに、どうして途中で止めたんだ」
「焼かれると気づいていたくせになぜ避けずにそのまま突っ込んでいった?」
質問を質問で返して龐棐さんは腕を組む。
「……僕はそれでもいいと思ったから」
「俺はそれが気に入らなかった」
「……」
話はそれで終わりのようで、冬人さんがため息をついて背筋をのばし龐棐さんは足を組み替えて座り直した。
「あ、りんごさん、僕今回の戦闘でシャツ破っちゃってもう無くてー。服分けてほしいなー」
一触即発からの急な雰囲気の変化についていけず固まる凛。
「えーと身長同じくらいだから着れると思うんだけどー。そこの棚ー?」
「あ、えっと、それは父の棚で。こっち使ってください。あとりんごじゃないです」
棚から出した服を受け取り、広げる。白い襟シャツ、冬人さんが普段着ている服に似ているが少し形が違う。
「もう一枚もらってもいいかなー。洗濯困ってるんだよねー」
「どうぞ。大事にしてくださいね」
「きりんさんありがとー! 大事にするねー」
「凛です」
冬人さんは服を抱えてにこにこと出て行った。「はがしちゃダメだからね!」と明日香が声をかけたが聞こえただろうか。
見送りながらうわ、と声をもらす。さっき見えなかったタオルの背中側はあちこちに大きな血のしみができていた。拭き取った返り血の方が多いのだろうと思うけど背中の怪我からの出血もあったんだろう。
「で? シュウはもう大丈夫なの?」
「え、僕?」
大丈夫も何もよく眠れたしちょっと頭重くて寝違えたのか肩凝ってるけどそのくらいだし何も問題ないです何か。
「今朝全然起きなくて、お昼まで何度か様子見に戻った時も全然動かなかったから心配してたんだけど……」
「ごめん、畑の手伝い行けなかった……って今何時?」
お昼までって言った? 昼もう過ぎてるのか。
「夕方の五時ぐらい」
「……なんですと?」
ちょっと待って。昨日何時に寝たかは定かじゃないけどまあ日が変わる前には寝たし一日がだいたい二十四時間で調整されているものとして、夕方の五時までだと五時間睡眠、じゃないそこまでの午前中十二時間を合計して十七時間以上ってどういうことですか。本日起床して一時間も経っていませんが一日終了まであと七時間ですよ。えええ。
「〈力〉使いすぎたり熱中症なりかけたりで体力削られて回復に時間がかかったのさ。昨日の冬人と同じだ」
「……そういうものなのか?」
「そういう場合があるってのは聞いてたんだけど冬人や修徒見るまでは半信半疑だったな」
そもそも使いすぎるってことは日常生活じゃありえないからな、と公正は笑う。そりゃ公正の〈物探し〉なんてしょっちゅう物なくす人かしょっちゅう道に迷う人くらいしか使いすぎることないだろ。一緒にすんな。
龐棐さんの首から肩に包帯を巻き終わり、凛は道具をしまい始めた。受傷部は鎖骨の上あたりのはずなのにずいぶん範囲が広い。
「ちょっときつめに締めてあって動かしにくいと思うんですけど……しばらくは動かさないようにしてください。浅いですが筋肉まで傷が入っているので、下手に力がかかると悪化して最悪腕に力が入らなくなります。具体的には腕が上がらなくなると思います」
「さっきは縫わなくても治ると言っていなかったか」
「表面上は治ると思います。ただ、刃先が当たってしまっていたので……」
龐棐さんはため息をついて包帯で固定された肩をおさえた。龐棐さんがマントを脱いでいるのは初めて見たけどずいぶんとむきむきだ。包帯で隠れていてもよくわかる。いつもでかい剣振ってるもんな。それなりに筋肉要るよな……ってでもすごい筋肉だ。どれだけトレーニングしたらそんなになるんだろう。
凛が他の人の手当ての手伝いのため出て行くのを見送ってあらためて龐棐さんの状態を見る。鎖骨上の怪我の他は腕や手に小さな擦り傷や切り傷があるだけで大したことはなさそうだ。
「龐棐さんって右利きだよね?」
薬草を鞄にしまいながら栄蓮がきく。龐棐さんが「そうだ」と返す。……あ。動かすなって言われた方、右だ。
「剣握れないんじゃないの……」
「ってことは龐棐さん、次の戦闘はもう行かないんだよな?」
氏縞に言われて龐棐さんはふっと笑う。
「氏縞。腕は二本あるんだ。戦闘が起これば行く。両方使えるにこしたことはないが戦うには十分だ」
「え、でも、」
「なんだ」
何か言いかけて突然むせたようにげほげほと咳き込んだ。曹に背中をさすられておさまるのを待ち、凛が持ってきた水をもらって飲む。そういえば僕も喉乾いた。僕も欲しい、と申し出て一杯もらいちょっとだけ飲んで、水が貴重だときいたのを思い出して他にまわした。
「龐棐。それはシン区の人たちの血だよな」
縁利が脱いだマントの赤黒いしみを指さす
「ほとんどそうだが」
「殺したのか」
「殺したが何か?」
「何か、じゃねえ。今回は覇さんから頼まれて出るしかなかったけど次はそれで断れるだろ。殺さずに済むなら利用してでも断れよ」
「まるで断る理由になってないな」
龐棐さんはため息をついて縁利を近くに呼んだ。
「縁利。俺がいつ、殺しが嫌だと言った?」
もう少しで手が届く位置で縁利がピタリと足を止める。龐棐さんは縁利の目を見据えて続ける。
「俺からすれば断る理由は何もない。俺らしい働きができて、むしろ誇らしいぐらいだが」
「てめえ殺すのが趣味だとでも言いてえのか」
「趣味とまでは言わん。しかし好きか嫌いかと言われたら好きな方に入るな」
「……っ!」
縁利が殴りかかり、こぶしが届くまえに足で軽く胴体を止められた。とん、と柔らかく押されただけで縁利は簡単にしりもちをついてしまう。すぐ立ち上がって拳を振り上げたが足を器用にすくい上げられて転び、起き上がって立ち上がったところをまた足でとん、と押されて転んだ。歯をくいしばった縁利の頬をぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。
「てめえ、ふざけんなよ。奥さんと子供殺されてどう思ったんだよ。冬人の背中焼くくらいには何か思うことあったんだろ。てめえが殺した、その兵士たちも同じだ。そいつらも妻がいて、もしかしたら子供がいて、親ががいて兄弟がいて仲間がいて彼らの生活があるんだよ。それをぶっ壊しておいて、なんで……なんで平気で殺しが好きとか言えるんだよ」
「縁利」
「まだやりたいこといっぱいあっただろうに、大切な人とまだ一緒にいたかっただろうに、それを断ち切っておいて」
「縁利」
今日破が縁利を引っ張ってさがらせる。縁利の涙はぐずぐずととまらず、栄蓮が「怪我痛い? 痛み止め飲む?」と薬箱をごそごそして小瓶を取り出していた。
「……縁利。戦地に出るものはそのくらい覚悟して出てきている。お前のさっきの言葉は正論だ。確かに正論だが同時に相手を
「覚悟ができてる相手ならいくらでも殺していいっていうのかよ」
「……違うと思うのか」
息をのんで黙る。氏縞と曹も目を丸くして固まった。
「縁利。それから氏縞も曹も。戦闘用の水魔の話は知っているか」
縁利がうなずき、氏縞、曹、そして喜邨君と僕が首を振る。
「まあいい。水魔はわかるな? 軍では戦時中、野生の水魔を捕まえて訓練し兵士に仕立て上げていたことがある。訓練はそこまで難しくないし働きもよくてよく使っていた。しかしだな。一度戦闘に出た水魔は二度と元の群れに戻れなかったという」
「……」
縁利が何か言いたげに口を開くが龐棐さんにじっと見つめられてまた閉じ唇をかむ。
「わかるか。俺はそちら側だ」
ぶんぶんと首を振る縁利。だから俺は軍人であっているんだと付け加えるのも聞きたがらず耳をふさぐ。僕らがよくわからず困惑していると龐棐さんがもう一言、「戦闘に出た水魔は性質が変化して同族を襲うことに快楽を覚えるようになる個体が多かった」と付け加えた。
ああそうか。龐棐さんはその水魔みたいに、軍人として人を殺すことに抵抗がなくなってしまったんだ。命じられれば許可と同じ、何とも思わず殺せてしまう。
「もちろん俺は水魔ではないからな。味方を襲うつもりは全く無いし、それこそ何の関係もない一般人を殺す気にはならん。常識とは離れていることも理解しているし日常生活を送る分には問題ない」
龐棐さんは床に降ろしていた剣を拾いあげ、左手でのにぎりを確かめ灯りに照らした。血の跡がうっすら残り鈍く光る。そろそろ研がないとな、などと嬉しそうに言いながら剣を支えに立ち上がる。縁利があわてて手をのばし、龐棐さんのズボンをつかんだ。しかしさっと伸びてきた手にすぐ払いのけられた。
「縁利。お前の言いたいことはわからんでもないがな。俺みたいな性質の者が戦争に行った方が、最も理に叶っているとは思わないか」
縁利は返事をしなかった。
「お! まだここにいたんですか、ちょうどよかった!」
弾んだ声をあげて
「今日は豊作だったんでご馳走が食えますよ。凛見かけなかったですか。こいつら配給所の調理場まで案内するのを代わってもらいてえんですけど」
「見なかったな」
「豊作? ってーとシンに取られた畑で何か取れたってことか? メシ!」
狻はにこにこしながら一人に鍋の蓋を開けるように指示し、こちらに傾けさせた。
「最高でしょう? 戦争時の豊作って言えばこれですよ。今回は特に質がよくてありがたい」
見えたものにぞわりと身が縮こまった。何を見たのかわからないまま目をそらし、曹が吐く音ではっとして顔をあげてしまい正面からそれを見てしまう。
人の体だった。手足ばかりが数人分、乱雑に詰め込まれて異臭を放つ。隣のもう一つも傾けられてごろんと何か丸いものが中で転がったのを見て耐えられず目を伏せた。隣で栄蓮が昨日子に目を塞がれ「何? なんで目隠しするの?」と暴れている。
「……狻。俺らは信条の理由でこれを食べられないんだ。見るのも本来タブーだ。それを俺らに近づけないでくれ」
公正の声がしてガラン、と蓋の閉まる音がする。むせかえるような匂いはそのまま残った。
「そうですか。うめえのに残念です。後で部屋に昨日と同じもん運ばせますよ。知らねかったもんで、悪かったです」
「こっちこそせっかくの好意を断って悪いな」
出るぞ、と龐棐さんに促され歩き出す。縁利は龐棐さんに首根っこをつかまれて暴れていたが右手でつかんでいると言われて大人しく歩き始めた。
夕食は昨日と同じ穀物を固めたもので、絶対足りないだろうに誰一人文句を言わなかった。
「ここは食料が乏しいからな。あれも貴重な『肉』ということになるのだろう」
「でも人の肉食べるなんて……敵だけど敵も同じ人間でしょ……?」
「抵抗がなかったわけじゃないだろうさ。そうする必要があったからそうするようになっただけさ」
むしろ昨日よりも食が進まず、味にあきたのもあって途中で捨てたくなる。我慢しろ僕、食料は今これしかないんだ。せめてこのパサパサなのどうにかならないだろうか。水が欲しくなってしまう。氏縞なんか粉が気管に入ったのか思い切りむせていた。冬人さんは今日も縁利に一本押し付けられて「おなかいっぱいだからー」と断っていた。
食事が終わるとそれぞれ服やリュック、タオルで寝床を作り始める。敷物は最悪なくてもいいが顔の上には必ず布か何かかけておかないと就寝中に天井から降ってきた土埃を吸い込んでしまう。ちょうどそういうものの持ち合わせがなかった昨日子が明日香にマスクを出してもらっていた。あ、いいなそれ。Tシャツかけておくより息が楽そう。
「あ、くっせえ。風呂入りてーな」
「仕方ないだろ喜邨。水貴重なんだから」
「貴様ら入る時は我輩が最初だぞ」
「偉ぶってんじゃねえ、俺なら他の者に先をゆずって器の広さを見せつける」
「偉ぶってなどないえらいのだ。先に入らねば他の者が遠慮」
「せんわ。寝ろ二人とも」
天井で輝いていたキャンドルグラスがおろされ、部屋はふっと暗くなった。入り口付近と僕らの雑魚寝エリア中央の床でゆらゆらと小さな光量の火が揺れる。しばらく聞こえていた小声の会話もやがて聞こえなくなり、穏やかな寝息に変わっていった。
数分後。がさがさと誰かが起き出したので暗闇に目をこらした。少し前の音は誰かの寝返りの音だったけど今度は明らかに起きた感じだ。すぐに足音に変わる。
「あれ、公正?」
背格好がやっと見えて声をかける。公正はしっ、と指をたてて近づいてきた。
ピィィィンン
『〈音〉使えヨ。他の奴ら起きちまうだロ』
あー忘れてた。あんまり使う機会ないんだよな、いつもみんな一緒にいるから。
ポォォォン
『どこ行くんだヨ。昼間畑の手伝いしてたんだし疲れてるだロ。休めヨ』
『用事があル。お前こそ寝てろヨ、まだ体調もどってないだロ』
寝れないんだよ……。さっき起きたばっかりだぞ僕。
『まあお前にも関係ない話ではないしナ。そのうち会わせないといけないと思っていたところだシまあいいカ……』
来い、と手を引っ張られた。誰かの荷物につまづきそうになり慎重に避けながら部屋を出る。
公正はキャンドルグラスを一つも拾っていかなかった。真っ暗で何も見えない廊下を当たり前のように早足で歩いていく。角を曲がり、別の道に入っても歩調は変わらない。
『公正待っテ。何も見えなイ』
『真っ暗だからサ。当たり前ダ』
『公正はなんで普通に歩けるんだヨ』
『〈力〉でわかる』
嘘だ、と思った。だって閃光が散ってない。何度か通って歩き慣れてるんだ。
角をもう一度曲がり、たいして歩かないうちに目的地についたようで歩調がゆるむ。キャンドルグラスが床に見えた。部屋の入り口だ。しばらくその前で待機する。公正は中の人と〈音〉でやりとりしているのか黙って何か頷き、キャンドルグラスをひとつ拾い上げて中に入って行った。投げ上げて、部屋の灯りがつく。
「遅くなってわるかった」
「いや、かまわないよ」
「委員長……?」
灯りがついて見えた見知った顔に思わずつぶやくと「名前で読んでほしいな」と微妙な顔をした。だっていつも委員長って呼んでたし……っていうかなんでここに。僕ら以外にもあの地割れに落ちた人がいたのか。
「手城、君……だっけ。なんでこっちに、巻き込まれたのか? 島田君と他の人は」
「あー苗字しか覚えてないのかー? ……ま、それもそうか。島田なら来てるけど他はきいてないな」
久しぶりに見る手城君はメガネをかけていなかった。代わりに砂を防ぐような防塵ゴーグルを額に乗せている。髪が少し伸びて後ろで短いしっぽを作っているのが見慣れなくて何だか別人みたいだ。呼ばれて出てきた島田君はいつもしていた白いマスクではなく、これまた砂を防ぐような防塵マスクを首にかけていた。もともと短かった髪はさらに横を刈り上げてなんだか格好よくなっている。
「改めて自己紹介しよう。俺、
「
床の比較的柔らかい所に鉛筆で掘るようにして名前を書く。
「あれ、手城君ってそんな字だったっけ。確か生活の活みたいな字だったような」
「ああうん、学校では『浩基』って字使ってた。だって書くの大変だろ? 俺だけじゃないぞ、公正も本当はもっと難しい字だ」
「いちいちこの字書いてたらテストで時間足りなくなるだろ」
手城君の名前の隣に『鸛正』の文字が並ぶ。書き慣れていないようでずいぶんバランスが悪くて大きい。画数の少ない島田君はわざとらしく無関心な風を装って壁の方を向いていた。手城君と公正はそのまま何やら話し込み始める。本当はレフトから直接来るつもりだったけどフロントに寄ることになって遅くなったとか、どこそこの誰々とは会ったかとか。あれ、公正転校してきてからすぐ合宿だったから手城君たちとあんまり話す機会なかったと思うけど。それこそ合宿のしおり渡す時ぐらいじゃなかったっけ。
「知り合って間もないのに仲良いよな。もしかして公正と手城君たちって小学校一緒だった?」
「「は?」」
なぜか声をそろえて何言ってんだこいつみたいな顔をされた。え、他に可能性ある? 児童館一緒だったとか幼稚園一緒だったとか?
「あー確かに小学校一緒だったけどなー?」
「児童館っていうか同じ施設で生活していたし」
「あーそうか、お前記憶ないんだったっけな……」
公正にため息をつかれた。記憶ないって何だよ。そりゃ小学校の途中まで覚えてないけど小さい頃のこと覚えてない人なんてごまんといるだろ。珍しくないだろ。
「俺らみんなこっちの住人なのさ。住んでたのは旧バックシティー。三人とも六年前にあっちに連れて行かれて戻ってきたのさ」
「……はあ?」
今度は僕が声をあげる番だった。公正がこっち側の人だっていうのはここに来てからすぐの頃からきいてたけど、委員長や副委員長……手城君や島田君もってどういうことだよ
何かの原因であっちに行ってて偶然戻ってこれた、だっけ。……僕たちだけじゃないかもしれないなんて考えもしなかったけれどありえない話じゃない。
「本当に覚えてないんだな」
「こいつどうもキャンセラーが効かねえの〈力〉だけみたいでさ。最初に会った時指にかなり強いやつはめ込まれてて、はずしてやった後もさっぱりなんだ。さっきも他の奴ら寝てるのに〈音〉使わないで話しかけてきやがってさ」
「まさか〈力〉のことも忘れてたとか言うのかー?」
「そのまさかさ。調子乗って使いすぎて今日半日寝込んでた」
マジかよ、という感じに半笑いで引かれた。何だよ、そんなに異常なことか? 二人とも何の〈力〉だか知らないけどそんな反応することないだろ。
「忘れてたって何なんだよ。僕はこっち来て初めて使うんだぞ。初心者なんだから加減下手で当たり前だろ」
顔を見合わせる手城君と島田君。「だから初心者じゃないって言ってんだけどな」とため息をつく公正。まだ言う気か。何回か言ったけど僕はここの人間じゃない。向こうに帰りたいから手段を探していて、またこっちに来てしまわないようにアンドロイドの中でもそういう能力をもっている奴らを探して倒すなりなんなりしようって、そうやってみんなで帰ろうって、……そういう話だったじゃないか。
「な、本当に覚えてねえの。ちょっとそこは困ってるんだが仕方ない。多少やりにくくなるが計画のうち俺たちがやるべき部分については支障はないはずだ。」
「了解。でも知識としてちょっと説明しておいた方がいい」
「後で要点まとめて話しとくか」
僕の主張をスルーして、公正たちは何やら話しこみ始めた。どうやらここに来るまでに〈音〉で何度か連絡をとっていたようで「前に話したけど」「あー、この前言っていたやつ」みたいな声も上がる。
「そういえばあいつが生きてるってきいたけど」
「ああ。容姿からして間違いないんだが何もつかめてなくてさ。〈音〉が通じないから絶対間違いないと思うが。今のところどちら側かもさっぱりで手をだせない」
「まあ任務さえこなさればどちら側でもかまわないんだ。とりあえず俺らは修徒君を」
しばらく話してまた僕の話に戻ってくる。これからの移動の話、どこに連絡するとか方角がテストがどうとかなんとか、番号や知らない建物の名前がたくさん出てきてすぐ理解が追いつかなくなる。何なんだよ。他の人たちが起きてる時に話せよそういうことは。まさか他の人置いてここにいる人間だけで別行動になるってことか。じゃあ氏縞や曹や喜邨君をどうするんだよ。別行動とりたいなら一人でとればいいだろ、公正はこっちの人なんだからいつ離脱したって構わないはずだ。何で僕を連れ出してどこか行こうとしてるんだ。
「あのさ、なんか大変だったんだってのはわかるけど。僕に何を期待しているか知らないけど人違いだと思う。よくわからないことに巻き込まないでほし」
「てめえっ……!」
一瞬視界がとんだ。左目あたりに食い込むような熱さが走り、そのまま背中を打ちつける。ゴン、と後頭部でひどい音がしてそこから頭蓋を刺すように痛んで思わず頭を抱えて縮こまる。腕を無理やり退けられてまた額に一発。さっき打った所がまた床に当たって激痛が走る。
また一発。痛い、というよりも急に息苦しくなってげほごほと咳をする。「よせ」とか「やめろ」とか、声が耳鳴りにまざって聞こえたかと思うと顎にがつんと衝撃があって「う」胸がびしりと痛んで今度こそ本当に息が吸えなくなる。やばい、痛い、苦しい、助けて。のどをかきむしり、必死で気管に入った異物を吐き出そうとするがうまくいかず、そうこうしているうちにだんだんぐるぐるした感覚に陥って気持ち悪くなり、
「うえっ……」
生温かい液体が口もとに垂れ、酸っぱいにおいが鼻を刺した。吐いたものの残りを吐き出そうとしているうちに気管に入った唾も抜け、やっとのどを空気が通る。ぜーぜーと音がするまま息を吸い込み、咳がおさまるのを待つ。鼻と肺がひりひりする。酸欠で頭がぼーっとしてさっきまでの痛さがよくわからない。くら、と頭から中身をひっぱられるような感覚がして、
「修徒! おい、しっかりしろ!」
ゆさぶられて閉じかけていた目を開ける。ぼんやり手城君が見えて、ずきりと頭が痛んだ。耳鳴りがぐわん、と復活してまた気を失いそうになり手城君に揺り起こされる。ぼーっとしているうちに壁際にひきずられ、もたれさせられる。
「おーい、大丈夫かー? 見える?」
キャンドルグラスを差し出されたのが見えてうなずく。よかった、とほっとされるのもつかの間また吐いてしまい、すごく心配されたうえに背中までさすってもらった。落ち着くまで水をもらったり着替えさせてもらったり申し訳なくなるほど色々してもらって、やっとすっきりしてきた。頭の打った所はじんじんするけど。
「公正は?」
「島田が捕まえて別の部屋に連れて行った」
「ありがと……。痛て……」
渡された濡れタオルを頰にあてるとびっくりするくらいしみた。唇の端が切れている。左目の視界が狭いので触っていると「腫れてるから」と言われた。これ明日香に見られたら何て言われるだろう。
「何だっけ、前にも公正キレてなぐりかかってきたことあるんだよ。公正っていつもそうなのか?」
「いつもかどうかはさておいて、今回公正がキレたのは俺らからしたら当然も当然なんだけどな。修徒君は覚えてないんだからどうしようもない」
だから人違いだって言ってるだろ。口に出すと手城君まで怒り出しそうな気がしたので飲み込む。手城君はもう一度物が二重に見えたりしないかとか簡単な計算ができるかとかチェックして、「大丈夫そうだな」とようやく腰を下ろした。
「それにしてもあれだけ無抵抗ってどうなんだ。ちょっとは抵抗しろ、運が悪けりゃ死んじまうぞー?」
「さっき公正も言ってたけどさっきまで寝込んでたんだよ。いきなり襲われて逃げられるほど元気じゃない」
今だって座っているのがかなりしんどい。横になっていい? ときくと吐き気がないかだけ確認されて柔らかいクッションを頭の下にあてがってもらえた。眠くはない。頭がぐらぐらするだけだ。
「何にも覚えてないならわからないこと多すぎて色々と不安だろ。ききたいことあったらきいて。あの事件の引き
突然の提案に思わず顔をあげる。手城君は腕をくんで僕を見下ろし、質問を待っている。ありがたい。公正は何一つ答えてくれなかったから。
……えーと、何から聞こう。さっき言ってた計画って何なんだ。いつから三人知り合いで、っていうかバックシティーに住んでたっていうけど爆発したんだかなんだったかで住めなくなったんじゃなかったっけ。何があったんだろう。アンドロイドのこと何か知ってるだろうか。同じ地割れからこっちに来たみたいだけど、来たばかりの時会わなかった。どこにいたんだろう。ききたいことがありすぎて何からきいたらいいかわからない。とりあえず今僕が混乱しないできけるのは、
「小学校どこだった?」
「……修徒君、この状況できくことそれ?」
公正と手城君と島田君はバックシティーの同じ地区に住んでいたけど当時面識はなかった。『事件』の日、アンドロイドに連れられてあちら側へ行った時に同じ施設に収容されて知り合ったのだという。もう一人こちら側の女の子がいたがその子は地殻性キャンセラーの影響で記憶がとんでいた。その子は里子に出されて施設を離れた。以後三人でこちら側に戻ることを目標に施設での生活を送っていた。
バックシティーでは、手城君たちは研究所が多く立ち並ぶ革新都市に住んでいた。主に〈力〉に関連する研究所が多く、例えばキャンセラーの強さや形をコントロールする研究所や血の繋がりと〈力〉の関係性の調査機関などがあった。アンドロイドの研究所もそこにあった。
「俺の親はキャンセラー開発に関わってたんだ。当時は世にあるキャンセラーは全部バックシティー産だった。目的にあわせて強さも着脱性もほぼ自由自在でね。実に性能がよかったんだ。帰ってきて事件後に作られたらしい手錠を見たけど、まあひどいもんだったよ。あれじゃ場合によっちゃ副作用で死人が出る」
島田君の両親はまた別の研究所の研究員として働いていた。公正家の場合は少し特別で、親は血筋と〈力〉の関係性の調査機関で働く一方妹が将来アンドロイド計画に関わる予定で国から援助をうけていたという。
「え、妹いたのか」
「まじでそれも覚えてないのかー? お前公正にぶっ殺されるぞ」
アンドロイド計画というのは人型ロボットに〈力〉をコピーし、複数の〈力〉を使いこなす兵士を作る計画のことだ。ある程度軌道に乗っていたA型の研究が劣化暴走事件によりストップして全処分、H型の研究に切り替わってから始まったもので、戦闘他軍事行動に役立つ〈力〉のコピーと試運転を繰り返していた。当時敵対関係にあったレフトシティーとの戦争に人間の代わりとして兵士にまざって出撃した他、流刑地でキャンセラーの元物質の採集にあたったりしていた、と手城君たちを向こうに連れて行ったアンドロイドが話していたらしい。
「これ持って」
手城君が袋を取り出した。上質な布袋で、中に黒っぽい、拳ほどもない石が入っている。それをポンと投げられて受け取る。ズキンと頭が痛んでくらくらした。なんだ……?
「ものは試しだ。俺も本当なのか知りたい。修徒君、それを持ったまま小さい柱でいいから生やしてみて」
意図がわからないまま地面に〈力〉をこめ、にょきりときのこのように棒を生やす。また目眩がしたのですぐひっこめた。だけど手城君はそれだけで目を丸くして「すごい」とはしゃいだ声をあげた。
「それ何なんだよ。持つとすごい気分悪くなる」
「キャンセラー」
「え」
普通に〈力〉使えたけど。キャンセラーってその名前どおり〈力〉をキャンセルするものじゃなかったのか。
「聞いた通りだ。キャンセラーが効かない」
石を回収して鞄にしまい、座り直す。
「あの方は修徒君の〈力〉を特に希望しているんだ。複数のアンドロイドがその〈力〉を使えるようになれば色んなところで役立つようになる。流刑地でのキャンセラー物質採集もはかどるし、他国が攻めてきた時には巨大な壁を作って防御することだってできるんだ」
だから君の〈力〉は希望なんだよ、と言う手城君が誰かに重なってひやりとする。……いや、何だったんだろう今のは。
「バックシティーってさ、さっき言ってた六年前の事件で崩壊した……というか住めなくなったんだよな。それってつまり手城君たちの家は」
「もうないよ。もちろん両親や他の家族もほとんど助からなかっただろうね」
「じゃあ、」
「じゃあなんで戻ってきたかって? そこにあの方がいる。研究所もまだ残っている。そして修徒君、君がいる。みんないなくなってしまったけど、バックシティーはまだ死んでいない。新しいスタートを切れるんだよ」
「だからなんで僕なんだよ、同じじゃなくても僕に似た〈力〉の人ならどっかにいるだろっ」
バン
大きな音がして思わず固まった。手城君が何か床に投げつけたのだ。薄暗い中に砂埃が舞い上がってしまってよく見えないが、……ええ?
「え、何それ……」
三角定規だった。それも先生が黒板で使うでかいやつ。まだバチバチと閃光を散らしているそれを僕の方に投げつけてきて、慌ててよける。しかしそこでへばってしまって動けない。手城君が近くに来る。もう一個の三角定規が飛んできて僕の鼻先で急停止した。
「何度かきいてるはずだ。似たような〈力〉ですら存在しないから、その人の〈力〉は必要なんだよ」
三角定規が消え、今度は手城君の手の中にシャーペンが現れる。カチ、カチ、カチと芯を送り出して僕の眼球の前に突き出した。僕は動けないままそれを凝視する。
「やるべきことを果たすんだ。覚えてないなんて関係ない」
手城君の指はまだ押すとこにかかったままだ。もう一回送り出されたら刺さる。何とかしなきゃ、何とか……。集中だ、〈力〉で……。
〈力〉で柱をだして手城君を押そうと思ったところで手城君は急にシャーペンを引っ込めて立ち上がり、定規を消した。何事もなかったように「まあそんなとこ。今日はここまで」と手をはらう。
ふらふらするが立ち上がれないことはない。出入り口まで肩を貸してもらってたどりつき、壁にもたれた。
「俺は修徒君たちのとこまでは送れないし、公正は今日はこっちで捕獲しとかないとまた修徒君を攻撃しそうだからどうしようか。帰れるかー?」
「一人で帰るのは厳しそうだから〈音〉で誰か呼んで迎えにきてもらう。ありがとう」
「ありがとう?」
きょとんとする手城君。
「いやいや俺ら何もいいことしてないよ? さっき脅しすらした気がするけど」
「でも色々教えてもらったから」
そう、と目を丸くしたままつぶやき「また来いよ。まだ話すことはある」と付け加えて部屋に戻って行った。
さて。誰を呼ぼうかなと顔を思い浮かべる。まっさきに浮かんだのは明日香だったけどこの時間だ、寝てるよな……。暗闇の中キャンドルグラスの淡い光を手に二人きりで歩くのを想像する。いいなあ……じゃなくて。ええと。違う、そうじゃない。明日香を起こすのは悪いから他の人にしよう。うーん龐棐さんは怪我してるから……。
「こんばんはよー?」
「……なんですかその挨拶」
「んー今の時間なんて言ったらいいんだろねー?」
角を曲がったら呼ぶまでもなく迎えがいた。凛の服に着替えた冬人さんはにこにこしながら両手ピースをして見せたりする。ちょきちょきーと指を動かしてみたり。
「迎えにきてくれたんですか。ありがとうございます」
「修徒君夜更かししてこっそりお出かけ、わるい子だー」
「寝れなかったんですよ……」
す、と引き寄せられて顔を触られる。殴られて腫れた所を指がなぞって顔をしかめた。痛いって。
「ひどいね。誰がやったの?」
「公正。でも僕が何か気の触ること言っちゃったみたいで、そのせいだから」
「怪我させるのはよくないなー。喧嘩両成敗だー」
待ってそれだと僕もおしおきされるよね? どちらかというと暴行事件の被害者ですよ僕。きっかけはどうも僕のせいっぽいけど。
ふわ、とあくびが出た。気をとられて足がもつれて転びそうになり、冬人さんに支えられる。たいして時間はたってないがさすがに疲れた。
「修徒君寝ていいよー。運んどくからー」
その場に座らされながら焦る。運んどくって何だ。微妙に不安……やば…………ねむい……。こじあけようとしたまぶたを上からするっと撫でられて視界が暗くなり、すとんと体が落ちて、ふっと意識がとぎれた。
アガルタの空 蓮池澪 @Remma_hasuikeN
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