19日目:砂漠の国
差し込む光が眩しくて目が覚めた。もう朝か。うーんと伸びをしようとした瞬間むんずと誰かに顔面を踏まれた。
「むがっ、踏むなよ!」
「あっごめん」
明日香だった。外に出ようとしたら途中に僕が落ちてたらしい。寝てる人をわざわざ踏むなよ……。座席に寝てたはずが通路まで転がり落ちてた僕も僕だけど。
窓の外はもう明るくなっていた。とはいえもちろん上は真っ黒で、光を放つ物体が飛んでいてそれで地上が照らされていた。かなり光が強く
起きていた数人と外に出る。むわっとした熱気に迎えられて機内に逃げ帰りたくなった。機内もそれなりに暑かったけど外の日なたは焼かれるように暑い。目を細めているが閉じてしまいたいほどにまぶしい。砂で光が反射しているのだ。日陰から手をのばして日なたの砂に触り、その熱さにひっこめる。足元がサンダルじゃなくてよかった、これ裸足で踏んだらやけどしそうだ。
「えー、今からここ歩くんだよね……」
「歩きたくない。やだ」
明日香と
「公正、レフト軍の
「わからん」
即答されて
「えーと何か大きい建物が密集してるような所。無いのか?」
「見える範囲では無いな」
「いや〈力〉で探してって」
「あのな。〈力〉ってどこまでも使えるわけじゃねえの。俺の場合は目で見える範囲ぐらいまでなわけ。こんだけ開けた場所なら〈力〉使うまでもないし、見える範囲には無い」
今日破も「それもそうやわ」とため息をついた。今日破も少し遠くに塔が立っているけどそこに人が居るかどうかはわからないらしい。不便だな、と顔をしかめたら「じゃあ思い切り遠くに柱一本立ててみろ」と言われた。
足元に集中し思いっきり遠く、見えないくらい遠くに柱をボコッと一本立てるイメージをする。できるさ。……。
「立ったか?」
「……わかんない……」
立った、とは思うけど本当に柱を生やせたか確認する手段が無いのだ。柱ができたと思い込んでいるだけかもしれない。不安になった瞬間に消えたかもしれないし本当に立っていないかもしれない。公正に「そういうことさ」と流されてちょっと悔しかったけど納得した。
「いつまで寝てる気だ。おい、起きろ冬人」
乱暴にゆすられてもゆすられるがまま揺れている。だめだこりゃ……。
仕方ないので冬人さんは龐棐さんが担ぎ、龐棐さんの荷物は今日破が持った。
砂地に出るなり喜邨君がずぼりと砂にはまった。足首まで埋まってしまいひっこぬくのに一苦労した上砂の熱さにこりて飛行機の影まで戻ってしまう。
「どうした、早く来い」
「あちーって。無理。やけどする」
言いながらスニーカーに詰まった砂をかき出す。僕らだって靴の中は砂でじょりじょりしてるんだし我慢してほしいけど、たぶん入った砂が熱いんだろう。顔をしかめて足をさする。僕たちよりだいぶ重いからその分深く沈んでしまうみたいだ。
「修徒。道つくってやれ」
「ええ……」
足元に集中して低い柱をつなげて立てる。砂はさらさらしているので桟橋のように硬い道をイメージするのが難しい。負担が少なくなるようになるべく低く並べていく。喜邨君は不安そうに足を踏み出して道が沈まないのを確認し、おそるおそる僕らの近くまできた。よいしょ、と心の中でつぶやき足元を持ち上げ、さらに先を作って背後は解除する。
「おー。すげー。お前最初からこれ出せよな。この方が歩くの楽じゃねーか」
「疲れるんだよこれ……」
ただでさえ暑くて数歩しか歩いてないのにもう汗だくだくだし。
じゃあこれ使えよ、と折り畳み傘を渡される。え、喜邨君のそのリュック食べ物以外も入ってたのか。
ぱん、と勢いよく開いてさしてみる。が、日差しは防げない。一応影にはなっているけど光が布を突き抜けてきてまぶしい。あっちで街中で女の人が差してたやつ、あれは光を通していなかった気がするけどこういう傘とは違うものなんだろうか。
「不満そうな顔すんじゃねーよ。無いよりはましだろ」
「あーうん。ありがとう。行こうか」
びゅう、と風が吹いた。
風が吹いたが全く涼しくはない。むしろ熱風で「あっちぃ!」と縁利が声をあげて今日破が「うへえ……」とうめく。もう一回ぶぅん、と突風が吹いて今度は僕が傘を風に飛ばしてしまった。傘は風にうまいこと乗ってあっという間に小さくなって見えなくなってしまった。
「おいこらてめ修徒! なにやってんだお前!」
「ご、ごめん飛んじゃった……」
「あれ一本しかねーんだぞ!」
「ごめんって」
「……てめー、弁償として俺を持ち上げてそのまま運ぶように柱動かせ」
だから悪かったって……。……って弁償ってなんだよ。そもそもあんまり役にも立たないのに喜邨君が押し付けてきたんじゃないか。わざとだろ、もしかして楽したいから傘押し付けたんじゃないのか。
「傘とばしたのは悪かったけどさ。喜邨君を運ぶとかはやりすぎだろ。みんなが歩く道作るので精一杯だし、喜邨君だけ歩かずに塔まで行けるようにするのはちょっとできない」
「んだよできないとか言ってねーでやれよ。お前のせーだろ」
「他の人砂におろして喜邨君だけ運ぶってのは、他の人に何もメリットがないだろ。ダメだって」
「他人をだしにするんじゃねーよ、お前がちゃんと持ってなかったのがわりーんだ。迷惑かけた原因はそもそもお前だろ、何とかしてみんな下ろさず運べよ」
「おいこら喜邨……」
龐棐さんが止めに入ろうとするのを横目に僕は喜邨君の真下にかけた〈力〉を解除した。突然空いた四角い穴にストーンと消える。さらにその周りも解除して距離をとる。縁が近づいて栄蓮たちが慌ててこっちに渡ってくる。公正が後ずさりしてつまずきしりもちをつく。
「うべっ! 何すんだてめー!」
「何すんだも何もあるか! 〈力〉使って運んでんのは僕だ! 自分だけ楽しようとしてごねるなよ」
落下の衝撃で砂を舞い上げて砂まみれになり、熱い、熱いとバタバタ暴れる喜邨君を見下ろす。他の人をそんな場所におろして自分だけ運べって本当にどういうつもりだよ。そこで蒸し焼きになってろ。
「てめふざけんな! んな理由で落とすな!」
「もともとは喜邨君が熱いって言うから道作ったんだろ。もう喜邨君に道作ってあげようとおもえないから」
道の端に近づこうともがく喜邨君の足元を斜めに盛り上げて転ばせる。盛り土部分を大きく後退させてさらに喜邨君から離れる。いつもいつもわがままばかり言いやがって。手が届かなきゃ殴ることもできないしいつもみたいに脅しもできない。起き上がった喜邨君を柱で突き飛ばす。
「おい修徒、やめろって」
氏縞にひっぱられてぐらっと視界が傾いた。自分がふらついたのを信じられないまま額に浮いていた汗をぬぐう。そうだった、炎天下に突っ立ってたらそりゃ暑さにやられるよな。思わずつかんでいた曹の肩を離す。ありがと、大丈夫だからと言いながらはずんだ息を整える。まだ頭がくらくらする。
「そうじゃなくて、いやお前も心配だけど、いくらなんでもやりすぎだって。喜邨上げてやれよ」
「なんでだよ。みんなを砂に落として一人だけ運べって言いやがったんだぞ。そんな自己中なやつ引き上げてやる価値なんか……」
「他人の価値を貴様が決めるな。決めていいのは本人だけだ。あげてやれ」
しぶしぶ〈力〉で喜邨君の足元を盛り上げる。喜邨君はぐったりと座り込んだまま立ち上がろうともしない。さっき突き飛ばしたり転がしたりしたからだけど僕らとはだいぶ距離があいている。結局運ばせる気かよ。
「おい下がれ!」
今日破の声が響くと同時に目の前に壁が出現した。勢いよくばらまかれた砂がばちばち顔にあたり、手ではらいのけながら道の端から離れる。砂をあびて座り込んでしまっていた氏縞と曹をひきずって立ち上がらせ走り出す。大きな影から細長いものが降ってきて縁利を襲う。こっちにも別の一本が来ていた。まずい、どっちもは無理だ。
昨日子が間一髪縁利を突き飛ばして、爪は何もない空間を通過した。僕らを狙っていた方はばっと火がついてひっこんだ。爪の主は大きく体を揺らし、こっちにおおいかぶさってくる。何だあれ、でっかい昆虫……?
「走れ! 逃げろ!」
「待ってシュウ! 喜邨君が!」
「あんなやつこの怪物に食われたって……」
「シュウ」
「逃げろって!」
〈力〉を足元にぶちこみ地面から柱を勢いよく出して覆いかぶさってくる怪物を突く。柱の先が硬い殻にあたって砕けた。破片はざあっと黒い粒になって柱ごと消え、怪物の硬い装甲は勢いを緩めずせまってくる。嘘だろ、効かないなんて。
「修徒! 喜邨を回収しろ! この化け物は俺が片付ける!」
龐棐さんが叫ぶと同時にでかい生き物から炎があがる。巨大なアリジゴクのような生き物はもだえるように暴れ、鋭い爪のついためちゃくちゃ細長い脚が僕らの頭上をかすめた。昨日子がそのうち一本に触れて壊す。
「シュウ。早く」
明日香ににらまれ氏縞と曹に叩かれ、砂煙の向こうに目をこらす。居た。オレンジ色のTシャツに黒ズボンの巨体はだいぶ距離の離れたここからでもすぐ見つかる。ちょうど別のアリジゴクみたいな生き物が喜邨君の方へがさがさと這っていっているところだった。……ちょっと荒っぽいけどこの距離じゃ器用なことはできないか。
〈力〉で喜邨君の下の地面を突き上げる。驚くほど簡単に巨体が宙を舞って喜邨君が「わああ」と叫び声をあげる。着地は補助しない。だってその先砂だし。喜邨君を襲おうとしていたアリジゴクの怪物は目標を見失ってうろうろしている。
「修徒! 道伸ばしてくれ! もう一匹来る!」
縁利の声ではっと振り返る。まだだいぶ遠いが龐棐さんが食い止めている巨大アリジゴクの向こうに別の一匹が見えた。何あれ、もっとでかい。
すっと集中して塔に向け一気に柱を並べる。くらっと視界がぶれたがかまっている暇はない。「龐棐さん! 先に進みます!」と声をかけて走りだす。栄蓮が遅れ始め昨日子が拾っていった。他に遅れているのはなぜか座り込んでいる公正と、
「あーもう冬人はんこの状況で寝とるってどういうことなん? 起きてや?」
龐棐さんのアリジゴク対応の邪魔になってその場に降ろされた冬人さんはまだその場で眠りこけていた。むにゃむにゃとなにやら寝言もつぶやいている。今日破が首がもげそうなほどがっくんがっくん揺さぶってもまだ起きずへにゃへにゃに脱力したままだ。マジか。
「しゃあないな……。明日香、これ持っとって」
今日破がふらふらしながら冬人さんを持ち上げる。明日香に補助してもらってようやく背中に背負った。冬人さん軽いし今日破より少し小さいとはいえほぼ同じ身長だ、かなり運びにくそうだ。で、公正は……。
「公正、何してるんだ。移動するからここ崩すぞ」
長い前髪にほぼ隠れた灰色の目がやけに虚ろに見えてぞわっとした。見上げたまま動かないので苛立って「早く、走れって」急かすと慌てて立ち上がる。
「わり、ちょっと……思い出しちまってさ」
「何を思い出して立ち止まってるんだよこんな時に。走れって、あの怪物一匹じゃないみたいだから移動する」
「はぁ? 何をって、……。わかったわかった」
走りながら喜邨君をまた〈力〉で投げる。気がそれて道が細くなり、踏み外しかけた縁利の罵声を浴びた。明日香が今日破から受け取った荷物を氏縞と曹が追い抜きざまにひったくっていく。慌てる明日香に目もくれず二人は道の先まで猛ダッシュ。待てって、あんまり遠くなると道つくりにくいんだって。道を作りながらズキンと痛んで顔をしかめた。なんか頭の奥が痛いしくらくらする。暑いからかな……。
「シュウ大丈夫? 背負おうか?」
先を走っていた明日香が戻ってくる。いい、と断固拒否する。だって女子だよ? 女子におんぶされるのは避けたい。は、はずかしいのもあるけど、だって向こうから言ってきたとはいえその……くっつくことになるじゃん? ちょっと、それは……ええと。
「修徒。とりあえず後ろのはまだ来ないし、近いやつは俺が止めておく。まずは喜邨を塔まで運べ」
低い声が上から降ってきた。あれ、龐棐さんさっきまでだいぶ後ろにいた気がするんだけど。振り向いたら道がなくなっていてびっくりした。そうか、塔側に道を伸ばそうとして注意がそれたんだ。さっき僕らを襲ってきた巨大アリジゴクは少し遠くで煙を上げながら這い回っている。このまま先ばかり作ってたら自分の足元まで消えるところだった。
「ゆっくりでいい、歩け」
背中を押されて足がもつれ、こけそうになった。「おっと、すまん」謝られてる間に塔側の遠いところが消えたらしく前方から氏縞と曹の悲鳴が聞こえた。とりあえず姿は確認できたので無事だったようだ。道を伸ばすのは後回しにして柱で喜邨君を持ち上げる方を優先する。
「氏縞ー! 曹ー! お前ら一旦ここまで戻ってこい!」
言われなくとも、と駆け戻ってくる二人を横目に見ながら喜邨君をもう一度柱で投げる。喜邨君も慣れたのか騒がず黙ってぶん投げられていた。
あとは少し歩けば着くぐらいのところまで運んで、龐棐さんからストップが入った。そのまま氏縞と曹を待つ。ほぼ同着で、二人はどっちが早かっただのスタートの号令かけなかっただろだのと言い合いどつきあいながら龐棐さんに荷物を渡した。あーうるさい。ただでさえ頭痛いのにがんがん響く……。気が散ってまた道がくずれてきている。栄蓮がさっきより近くに居るからあのあたりもくずれたんだろう。
「修徒。浅くていいから道を塔までのばして、それを維持することだけを考えろ」
低い声が耳元で聞こえて、すっと集中できた。塔までまっすぐに低い柱が並ぶのをイメージして眩しい砂を見つめ、〈力〉を打ち込む。白緑色の閃光がはしり、砂と同じ色の道一瞬でのびた。
「よし」「おし!」
「うわっ?」
「どぅおりゃぁああああああああああ!」
両側から抱え上げられて思わず声をあげる。そのまま奇声をあげて猛然と走り出したので一瞬で作った道を一瞬で消しとばしかけた。あわてて言われた通りそのまま保つように柱に指示する。足が触ってないからものすごい負担がくる。目がチカチカする。頭がガンガンするし二人の声はめちゃめちゃ響くし揺られて気持ち悪くなってきた。塔はまだ遠い。消えるな、まだ消えるな、そのままだ、着くまでは。
明日香たちが先に塔に入っていくのが見える。さっき少し遅れ気味だった縁利ももう少しだ。僕らも後少し、後少し……。
「ぶえっくしゅ」
砂煙が鼻に入ったのか思いっきりくしゃみが出て気がそれた。直後砂にばふんと飲まれた。
「ああああああああ!」
「もうちょっとだったのに!」
「ご、ごめん……」
「いや修徒のせいじゃねえから!」
「砂が悪いのだ。我らの邪魔をするなど許さん、成敗してくれる」
塔まで砂の表面を固めるぐらいでいいから道を作れないかと龐棐さんに言われる。残念だが逆にそれはできない。僕の〈力〉は砂の表面を固めるんじゃなくて柱を立てものだ。もう一回、と砂を睨んで柱を斜めに生やした。これなら一本ずつで進めて少し楽なはず。
曹と氏縞の方が疲れてしまっていたので僕は荷物をもたされ龐棐さんに背負われた。曹と氏縞は残りの荷物を運ぶ。荷物ぐらい他の人に運んでてもらえばよかった。幸いその後アリジゴクもどきが襲ってくることはなく、無事塔にたどりついた。
「ぶえっくしゅ」
またくしゃみをしてしまい、ずずうと鼻水をすする。
「寒い?」
明日香にきかれてううん、と首をふる。寒いか暑いかよくわからない。頭がまわらないままぼーっとしている。
「多分空気が悪いせいだね。氏縞君もさっきすごい咳してた」
はい飲んで、と水筒を渡される。今気分悪いから飲みたくないんだけど。
「あのねそれ、熱中症の症状だから。水飲んで体冷やさないと死ぬよ」
え、〈力〉の使いすぎじゃなかったのか。喉がからからで声が出ず思い切り咳きこんだ。水筒を逆さにして水を流し込み気持ち悪さごとごくりと飲み込む。うええ、吐きそう。
「〈力〉のせいもあるけど、合わさって重症化してるんだよ。喜邨君も熱中症っぽいけどあっちは少し涼んでれば大丈夫そう……。はーい、何? 龐棐さん」
「テーピング出してくれ。喜邨がねんざしてるんでな」
「了解。今行きまーす」
立ち上がってから思い出したように「はいこれ」と額にバシンと何か叩きつけていった。痛ったいな。こちとら重症人だぞ……。
あれ。ひんやり冷たくて心地いい。額に手をあてるとおしぼりみたいなものが貼り付いていた。なるほど、この前氷嚢作った時は中身入ってなかったけどこれならそのまま使えるな。
たどりついた塔の下に階段があって、そこを降り影になる踊り場で休んでいた。今日破によれば近くに人はたくさんいるらしいがこの階段にはあまり寄り付かないらしく、階段の終わりに時々ちらちらと人影が見えるだけだった。あの先は街だろうか。地下に街……?
「……栄蓮」
昨日子に抱えられたままの栄蓮が昨日子にしがみついていた。背中にまわした手でぎゅうと抱きついて離さない。
「栄蓮、離せって。こいつ触られんのあんまり好きじゃないっぽいし、」
「縁利、いい。……何、栄蓮」
栄蓮は何も答えなかった。昨日子は困ったように仏頂面の眉間にさらにしわを寄せてしばらく考えて、ちらっと明日香の方を見る。明日香は喜邨君用にテーピングテープの生成に忙しくて昨日子には気づかなかった。途方にくれたような目線が今日破に移る。今日破はあごを掻いて「こうだ、こう」みたいに腕で胸の前に円を作る動作をした。昨日子は首をかしげつつぎくしゃくと栄蓮を抱きしめ返した。
昨日子の腕が触れると栄蓮は一瞬びくっとしてから肩の力を緩めた。そしてぐず、と鼻をすするような音が聞こえた後声をあげて泣き始めた。昨日子は抱きしめたまま目を白黒させている。
「……カシワか」
縁利の言葉に栄蓮がしゃくりあげながらうなずく。ああそうか、栄蓮はカシワと仲が良かったのだ。
「カシワにね、ツタさんから聞いたんだよって砂漠の国のお話を聞いたの。そこはとっても暑いから日の届かない地下に住んでるんだよって。水がとっても大事なものになるんだよって言ってて、きっとここのことだと思って、もしカシワがここに居たらって、全部終わったら会いに行って本当にあったよって言いたいなって思って、でももう行ってももういないんだって、思って……。本当にあるんだよって教えてあげたかったのに」
昨日子がおそるおそる栄蓮の頭をなでる。栄蓮はまた昨日子の胸にしがみついて泣く。困り顔を向けられた明日香は「それであってる」とうなずいてこっちに戻ってきた。縁利の前で足を止める。
「……縁利も辛い時は泣いたっていいんだよ?」
そう言って頭をなでる。縁利はきょとんとしてからため息をつき、明日香の手をどけた。
「一緒にすんなよ。俺はもう泣けばいい歳じゃねえよ」
「歳関係ないでしょ」
「……いいんだよ。今は栄蓮泣かしとけ」
だいぶすっきりしてきたので額にあてていた冷たかったやつをはずす。もうだいぶぬるくなっていた。額に残っていた水滴が風にあたって乾き、スーッと冷たくて気持ちいい。そろそろ出発かな。龐棐さんが荷物をまとめ始めている。
「……フロントシティーって何のためにあるんだろうな」
唐突に公正がつぶやいた。
「〈力〉を持たない人ばっか集めてさ、自分の名前と同じ木を守らなきゃいけないなんて制度作って、守りきれなかったら自分の木と同じように殺されるなんてふうにしてさ、何が目的で、」
リュックを拾いあげた手がふと止まる。何が目的で、と繰り返した言葉で僕も気づく。目的。そうだ。
フロントシティーはもともとあった国じゃない。他の国から「〈力〉を持っていない」と診断された人たちが連れてこられて、言ってしまえば閉じ込められている国だ。〈力〉を持たない人の子は〈力〉をもたないことが多いみたいで、家族ごと。カシワのことでツタさんが外部と連絡をとっていたから〈力〉を持つ人を追い出すレベルで「〈力〉をもたない人だけ」にこだわってる。
公正は「〈力〉を持たない……? 待てよ……?」とまだ一人でブツブツつぶやいている。ちらちらと氏縞や曹を見ては「いやこいつらは向こう側の人間だからだしな……〈力〉は必要があって備わっているものだから……」とまた考え込む。
「何だよ。言えよ。ちらちらこっちみながらボソボソ言ってんじゃねーよ。感じ悪りーんだよ」
「喜邨は別に見てないけど」
「うるせーよ。俺じゃなくても気になんだよ」
「まだ考え中でさ。聞こえるようにはいうからそれで勘弁してくれよ。考えたのはさ、フロントシティーの奴らって『〈力〉を持ってない』わけじゃないんじゃないかってことさ」
少し離れたところから「あ?」と声が上がる。荷物をまとめ終えた龐棐さんが興味をひかれて近くに来た。
「〈力〉が何かも知らないようだったろう。持ってないとはどういうことだ?」
「発動条件さ。俺や今日破、修徒みたいに〈力〉を使ってる間集中して、〈力〉を使おうって意思がないと使えなくて、〈力〉を使っていないと作ったものを維持できないタイプがまず一つ。明日香、昨日子みたいに使う時は集中してるけど作ったものや使った結果できた破壊跡は〈力〉を使わなくても残るタイプがまた別の一つ」
あ、確かに僕と明日香の〈力〉のタイプは違う。明日香が喜邨君のねんざ対応をしている間、僕の額にあったひんやりしたやつはだんだんぬるくなって今は干からびている。その間特に閃光が散ることもなかった。
「あと、縁利。眠ってる間に勝手に発動するタイプ。集中とか全く関係ないし閃光も散らない。これわりとフロントシティーの人に近いと思ってさ」
「まどろっこしいな、俺の〈力〉と何の関係があるんだよ。前置きいいからすぱっと話せよ」
考え中だから勘弁しろよな、と言い訳がましく答えて公正に白い視線が集まる。もったいぶるなって。
「フロントシティーの人は『存在するだけで発動しているタイプ』じゃないかって思ってさ。生まれてから死ぬまで、ずっと発動しっぱなしだけど閃光も何も出ないから一見〈力〉を持っていないように見える」
「どんな〈力〉だよ、それ」
「〈空間拡張〉とか〈生物が生きられる環境の維持〉とか〈世界の維持〉とか」
話が突然壮大になって一同沈黙。ちょっと妄想が過ぎる気がする。
確かに、とつぶやいたのは氏縞だった。
「理科の図表で見た感じだとみんなが地殻って呼ぶやつの内側って地表よりだいぶ狭いはずだろ。なのにさらに内側に都市のある星みたいなのが何個か浮かんでて、それぞれ結構大きいだろ。どこも全部見てまわったわけじゃないけどさ。大きさ的にありえないのが〈力〉で誰かが広げてるんだったらわかる」
「なるほどな。ここが地殻の内側ってことは閉鎖空間だ。広げられているとはいえこれだけ多くの民が住んでいては各都市水も空気も不足するはず……が水はともかく空気が不足している様子はないな」
曹が補足してなるほどな、と今日破がうなずく。
「つまり……フロントシティーはそないな大事な〈力〉を持ってるかもしれん人らを保護するためにあるっちゅうことやな?」
「ああ。仮説だけどな」
「え、待って」
明日香が挙手。
「それだったら誰か死んじゃった時に大変なことになってないとおかしいでしょ」
公正は「あ、そうか」と答えてまた考える人姿勢になる。
「はあ? 何がおかしーんだ? 滝波、お前やっぱ馬鹿なんじゃねーの。同じ能力の奴が何人も居りゃ一人死んだって変わりゃしねーだろ」
「喜邨君が知らないだけじゃない、全く同じ〈力〉を持つ人は同時に存在することは無いんだよ」
横から龐棐さんも「実際検査でも同じ〈力〉を持つ人が同時に存在した例は報告されていない」と補足する。喜邨君は「そうなのか」とつまらなそうにため息をついて目をそらした。つまり公正の仮説だと〈空間拡張〉の人が死んだら世界が一気に狭くなっちゃうし〈生息環境の維持〉とかの人だったら死んだ瞬間吸う空気が消滅しちゃうことになるってことだ。
「あ、いやちょっと待てよ。そうかもしれない」
公正が声をあげた。
「二人以上が同じ〈力〉を同時に持ってるのかも。持ってるかどうか検査でわからないタイプなんだ、同じ〈力〉持っててもそれは報告されないさ。〈世界維持〉関係の〈力〉に限って同時に複数人が同じ能力を所持するとすれば、一定条件で同一能力の所持が可能ということになる。そこに着眼しないはずがない……アンドロイドへの〈力〉の移植へ応用されていたと考えるとキャンセラーの使用も理解できる。さらにあちら側の人間の能力非所持から考えるとその状態の人間を集めることで何かしらの現象を、つまりあちらのような……」
「公正? 何言ってるの」
ぶつぶつと聞き取りづらいつぶやきをずらずらと続けたので明日香が止める。アンドロイドがなんだって?
公正はまだしばらく熱にうかされたように何かつぶやき続けていたが「公正」と明日香にもう一度肩をゆすられて急に我に返ったように顔をあげた。
「修徒、行くぞ」
「え」
どこに?
面食らっている間に公正は立ち上がって階段を降りようとする。脈絡のなさすぎる言動に戸惑いながら僕らも立ち上がるけど早くしろ、と振り返った時の目が妙にらんらんと輝いていてぞっとした。待ちながらまだ早口で何かつぶやいている。
「んー?」
今日破にゆさぶられていた冬人さんがおおあくびをして思い切り伸びをした。目をぱちぱちさせてそのままうとうととまた眠りかけて今日破にたたかれる。
「痛あー……」
「いつまで寝とるんや。さっき大変やったんやでもう……」
眠そうな顔できょとんと見回し首をかしげる。
「どこここー」
「ライトシティーだよ。昨日フロントシティーを出て、着いたの。ここは乗ってきた飛行機が墜落したところから一番近い、人が住んでそうな所の入り口」
明日香の説明に龐棐さんが「墜落じゃない、着陸だ」と口をはさんで縁利にすねを蹴飛ばされる。
「わーお、砂がいっぱいー」
「砂がいっぱいー、じゃねえよもっと早く起きろよ! あんたが起きててくれれば〈瞬間移動〉でもっと安全にここに来れたんだ」
「寝起きが悪いにもほどがある、この曹様を走り回らせおって! 貴様起こされたらちゃんと起きたまえ!」
叱られながら冬人さんはぼやっと二人を眺めて「誰ー?」と返す。あーもう予想してたけど。してたけど腹立たしくてしょうがない。誰のせいだと思ってるんだよこの状況。
「氏縞だ!」
「曹!」
「今日破」
「縁利」
「明日香」
「……昨日子」
「栄蓮」
「龐棐だ」
「修徒」
「喜邨」
「……」
残る一人、公正にみんなの視線が集まる。さっきの異常な興奮状態はなんだったのか、公正はいつもの雰囲気に戻っていて冬人さんを思い切り睨んでいた。冬人さんはにこにこしながら「そこのひよこ柄のパジャマ着てる人はー?」なんてきく。昨日子がふん、と鼻息で笑った気がしたし縁利は笑い転げた。公正は一瞬で顔を真っ赤にして自分のTシャツを見直し「ひよこじゃねえっ!」と怒鳴る。いやその謎の黄色いキャラクターが散りばめられた紫のシャツ、控えめにいってダサいし同色の半ズボンとあわせるなって。
「うーん、よく寝たー」
「寝すぎだ」
行こっか、と誰が言ったでもなく階段を降りる。角を曲がればさっき人が見えたトンネルだ。けっこう暗い。電気が通っていないのかロウソクのような灯りが見える。
降り立ってすぐに人がいた。さっきから階段のところで話しているのに気づいていたらしく人数が集まっていた。みんな痩せているけど肩まわりの筋肉がしっかりしていてちょっと強そうな人ばかり、それぞれに棒やら板やら割れた食器を手に持って通路をふさぐように両側を固めている。
「えっと……」
思わず立ち止まるが後ろがつかえている。早く行ってよ、と明日香に押し出されて住人に数歩近づくと正面に立つ人が一斉に即席武器を構える。ちょっと押すなって、これ戻った方がいいって。ずいぶんぐいぐい押してくるなと思ったら喜邨君が降りてきていた。氏縞と曹が二人がかりで一旦もどれって押してるけど普通に押し返されている。
喜邨君の姿を見て取り囲む住人たちの目の色が変わった。すばやく目配せが交わされ、
「うおおおおおおお!」「あああああああああ!」
襲いかかってきた。
昨日子が反射的に右手を地面につけようとして「ダメ昨日子! こんなとこで〈力〉使ったら埋まっちゃうでしょ!」と明日香から声がとび、リュックからじゃらっとロープ付きの刃物を出す公正の頭を縁利がたたく(この狭い空間でどうやって振り回すつもりだ)。って龐棐さんここで火出さないで! 全員窒息するだろ!
住人は見た目ほど力強くも素早くもなく、攻撃はわりと簡単によけることができた。それでも時々角材があたって痛い。ガン、と脳天に食らって一瞬視界がとぶ。うわ、あぶねえ。
「縁利! 冬人さんも! ナイフやめてよ! 戦いにきたんじゃないんだから」
「あああ喜邨貴様壁をなぐるな壁を崩れる!」「こっちに体当たりしてくんな潰す気か」
くそ、人数が多い。みんなさっき炎天下走ってきて疲れてるだろうしとりあえずここは〈力〉で壁作って……
「お前な。今それすんな死ぬぞ」
公正に止められた。
「何度も言うけどな、〈力〉は必要だからあるだけでただ便利な機能じゃない」
あーもう。殴りかかってきた一人の腕をつかんでひっぱり、他の一人の足蹴を防ぐ。すぐ別の一人が襲いかかってきて頰に一発くらい、背中をつきとばされ、誰かが投げた石が顔面をかすめて、
「ぐあっ」
殴り返そうとしたところに頭突きを食らって足の力が抜けた。今どこに食らった? 咳き込んでしまい立ち上がれないまま腹を蹴られ胸を踏まれ足を硬いもので叩かれる。逃げ出そうと暴れ、手足をつかまれ押さえ込まれる。無我夢中で〈力〉を地面にぶつけて、何も起こらずぐわんと視界がゆがんで突っ伏す。何だこれ。体動かない……? 助けて、声を出そうとするが胸を踏まれて息がうまく吸えず、代わりに砂塵を吸い込んでしまってむせる。くるしい。いたい。たすけて。やばい、なんか視界が暗い。これ早くなんとかしないと死……。
「やめなさい!」
突然よく通る声が響いて、地下道内が静まりかえった。誰か来たのか、みんなが一斉に同じ方向を向く。
「離しなさい。その人たちは襲撃者ではありません」
落ち着いた感じの男の声に応えて、僕を押さえつけていた腕や足が離れる。急に拘束から解放されてまたむせてしまう。昨日子や氏縞も同じように捕まっていたらしく激しく咳き込んでいた。
「無礼をお許しください。その人たちを離していただけますか」
龐棐さんも捕まえていた人を離す。足音がこちらに近づいてきてようやく姿が見えた。短い金髪の、メガネをかけた男。白いシャツにすらっとした濃い色のズボン。明らかに他の住人と違う服装だけど……。
男は公正を助けおこして手を差し出した。
「伝達が遅れてしまい申し訳ございません。公正さん、ですね? 話はきいています」
「二人は?」
「調査があるとのことでちょうど出かけております。夕方にはもどると思いますが……まずは滞在いただくお部屋にご案内しましょう」
疲労感がすごくて起き上がるのもしんどかったので冬人さんに運んでもらった。瞬間移動ではなくて背負われて。見た目通り細いけど僕くらいの人間一人運ぶぐらいの力は余裕であるようだ。肩周りの骨がごつごつしてて運ばれ心地はとても悪かったけど。
「冬人さんちゃんと食べてます?」
「食べてるよー。これは体質だからどうにもねー」
「本当に食べてますか。栄養不良に見えますけど」
「栄養不良っていうけどここに住む人たちの方が栄養足りてないんじゃないの」
「ははは……耳が痛いですね」
凛が言うには数ヶ月前にこのソン区が所有していた畜舎と畑が隣のシン区の襲撃で奪われ、地区内が慢性的に食糧不足の状態にあるらしい。現在シン区とは土地をめぐって交渉中……というか戦争中。備蓄食糧の配給を続けているがまだ奪還の見通しはたっていない。
「畑とか牧場とかもあるのか。見た感じ砂漠しかねーから食糧は全部輸入してるんだと思ってた」
「後で街を案内しましょう。畜舎は全て奪われてしまいましたが畑ならいくつか残っています」
食うなよ、と横から公正につつかれ「食わねーよ」と言い返す。見るからに食糧不足なんだ、さすがの喜邨君もこんなところで食い意地はらないよ……と思っていたら昨日子が「ピーマン」とつぶやいて明日香に「ダメ」と速攻却下されていた。畑見に行って大丈夫かこのメンバー。
「喜邨さんでしたっけ。見た感じ砂漠しかない、と言いましたが……その通りです。レフトシティーは全土砂に覆われた草木の生えない不毛の地。せめて水が豊富にあれば人々の生活も楽になるというものですがレフトシティーの連中は水の代わりに爆撃をよこしましたからね。地上に残っていた農園も全て破壊され、今は当時つくられたトンネルを拡張して地下住まいです」
龐棐さんの方を見そうになるのを必死で我慢する。ライトにレフトの駐屯地があるって何度もきいてたけどそういえば戦争でレフトが勝ったんだっけ。
縁利が凛の袖をつつく。
「なあ、凛は他の人たちと違っていい服着てるし栄養不足でもなさそうなんだけど? 何か特別な支援でも受けてんのかよ」
「私は領主の息子ですからね」
「えらければ優遇されるのか。それを他のやつに分けようって考えは無えのか」
「地区を統治する一族が痩せて病気持ちにでもなったら沽券に関わりますし、最悪統治する力を失ったとされて統治権を剥奪されます。食糧と栄養剤は上の者が優先で正しいのですよ」
「けど……」
「縁利、独占してるわけではない。優先というだけだ。残る分はためこまずなるべく分けているのだろう。全部平等に分けて統治者が早死になんぞしたら権力をめぐって内戦になりかねんぞ。最悪滅ぶ」
唇を噛んでうつむく。縁利がいた流刑地、統治者は特にいなかったような。どうだったんだろう。隣に座る栄蓮が縁利の手を引き寄せてきゅっと握る。何やら期待の目で見つめていたが縁利に手の中のものを「今いらない」と返されてしゅんとした。
「へいただいまあ!」
突然でかい声がしてみんなの視線が一斉にいる入口に集まる。注目の的になった青年は「げっ」と一言見えないとこに引き下がり、しばらくの沈黙の後まだ注目の集まっている入り口かそ〜っとのぞく。
「あの……俺およびじゃねえですか」
「
「ああ、例の。これは失礼」
公正に知り合い? ときくと首をふった。
「俺とは知り合いじゃない」
後から入ってきた男の人はかなり日に焼けて褐色の肌をしていた。凛と同じ色の髪はかなり短く刈り上げていて雰囲気がずいぶん違うが目元はそっくりだ。ただ似ているのは目もとくらいだ。凛がシュッとしていて狻はわりとむきむきだし、狻は暑がりなのかタンクトップ一枚に半ズボンとかなりラフな格好だ。
「凛。親父には? まだか。親父もう帰ってるから俺がいく」
「わかった」
二言三言なにやら二人でしゃべった後、狻が僕らを別の部屋に連れて行く。
領主の部屋といえばやたら豪華な装飾があったり素人目にはわからないお高い置物があったりするイメージがあったので通されて拍子抜けした。木製の質素なテーブルと椅子、あとは大きな棚に色々置かれているがごくごく普通の部屋だった。ふかふかすぎて体が沈むソファなんて想像してたけどクッションもなければカーペットもない。切り詰められるところは切り詰めているんだ。
本棚の前にもうひとつ置かれたデスクで書き物をしている人がいた。背が高くて小太りのおじさん。凛、狻と同じ色の髪はだいぶ後退しているけど、こちらをちらっと見た丸メガネの奥の目もとがやっぱりよく似ている。きりっとした顔つきであごひげがよく似合う。ちょっと待ってくれという風に狻に片手をあげて、しばらく虚空を見つめて固まってから何かノートに書き取りペンを置いた。
「待たせてすまんな。シン区との交戦状況の報告をきいていたもので」
「いえ、仕事中お邪魔してすみません」
「公正、だったかな。遠いところご苦労」
「どうも」
さっき知り合いじゃないって言ったなかったっけ。頭を下げる公正に首をかしげる。ところであれが、となぜかこっちに指先がむいて公正がうなずいたり首をふったりする。なんだよ。
公正とおじさんがしゃべってる間に狻が僕らをテーブルの方の長椅子に案内した。人数的にスペースが足りないからか喜邨君は「俺はいーわ」と立ちっぱなし。「足ねんざしてるだろうが」と龐棐さんに怒られて地面に座った。狻はお客さんを床に座らせて大丈夫なのかとわたわたしてから席についた。
おじさんは
「戦時中につくられた地下道の図だが今もたいしてかわっていない。ケン区のこのトンネルは崩れたときいた。こことここの水脈は枯れたな。おっとここも塞がった」
僕たちのいるソン区はカン区を北に南東にあった。畜舎や畑を奪われて戦争中のシン区はすぐ北の地区になる。
「もう凛からきいたと思うがこの国は食糧も水も乏しい。食糧の生産手段を奪われて、今は備蓄と他区からの輸入品を各家庭に配給している状態だ。申し訳ないがあまりもてなしはできない」
「大変な時だったな。悪い、用が済んだらすぐ出て行く」
「滞在中は少し手伝ってもらえると助かるのだがどうかな。そこそこ腕のたちそうな者もいるようだし」
視線が龐棐さんに集まる。ゆったりしたマントで覆って目立たないようにはしているけどさすが軍人、筋骨隆々なのがうっすらわかる。龐棐さんは無表情のまま視線を受け止めて目を横に逃がし、首の後ろをかきながらふーっとため息をついた。
「わかった。火が使えなくとも俺にはこの剣があるからな。協力しよう」
うん、と覇さんがうなずく。「それと」とさらに付け足し
「そこの冬人も出る」
名指しされて一瞬冬人さんが無表情になった気がした……いや、気のせいだ。「えーやだめんどー!」とか言ってぐだーっと机に伸びた。
「お前も戦い慣れてるだろうが」
「慣れてはいないよ」
「そうか」
──
はっと我に返った時冬人さんの姿が消えていた。違う、どこにも行ってない。龐棐さんの背中に取り付き、首にナイフをつきつけていた。龐棐さんもいつ抜いたのかマント越しに剣身を冬人さんの横っ腹にあてていた。縁利が「あれっ俺のナイフ!」と声をあげる。いつのまにスっていつのまに龐棐さんの背後へ……。
「……十分だ。戦えるな」
剣をはずし、鞘にしまう。同時に冬人さんも龐棐さんの背中からぱっと飛び降りる。
「……」
冷たい蒼い目で刺すように龐棐さんをにらみつけ、縁利の足元にナイフを放った。対する龐棐さんも視線で火が出せそうなくらい冬人さんをにらんだ。栄蓮がおびえて縁利にくっつく。曹と氏縞がそろって長椅子の端に寄る。けれど冬人さんの方がさきにふわっと視線をそらし何もなかったように席に戻った。龐棐さんは冬人さんの背中を見送ってため息をつき、縁利の頭を撫でてから「すまん、続けてくれ」と覇さんに一声かけて椅子に座った。
ナッツや穀類をすりつぶして固めて焼いて乾かしたような非常食じみた昼食を一緒に摂って、覇さんとの面会はおひらきになった。今日破や公正たちは近隣の水飲み場や施設を確認するために散策に出かけた。龐棐さんと冬人さんは覇さんとシン区戦の作戦会議で覇さんの部屋に残って、あてがわれた宿泊部屋には疲労がたまりすぎてまともに歩けない僕と右足首をねんざした喜邨君だけが残った。
宿泊部屋には何もなかった。本当にただの空間という感じで、申し訳程度に数枚の毛布が部屋の隅に置かれているだけで椅子もなければテーブルもない。暇つぶしといえばリュックに科学びっくり大百科が入ってるけど今は細かい文字を読む気力がない。退屈に任せて壁にもたれ、うとうととまどろむ。
「……いろいろわるかった」
「なんだよ急に。さっきのこと? 足ねんざしてたんだろ、言ってくれたらもうちょっと方法考えたのに」
「それだけじゃねーよ。あーでもそれはわがままだった。それも悪かった」
「どうしたんだよ。突然色々謝るって喜邨君らしくもない」
言葉を続けるとイライラしたように「あーもうそれじゃねえ」と眉間にしわを寄せる。
「フロントシティーでのことだ。俺、お前があっちに帰ろうとしてる感じも俺らが帰るのに協力する感じもないって殴っただろ」
あーあれか。まだ一昨日のことで日が経ってないからあちこちに色濃くあざが残ってるし壁にもたれると背中の傷がまだ痛い。でもいろいろってなんだろう。
「俺さ……。あそこ離れるの、嫌だったんだ」
ぽつりと一言つぶやいた。
え、どういうことだろう。喜邨君が気に入る要素があったか? 確かに食料はそれなりに充実してたけど喜邨君の好きなパンとか肉とかはあんまり無かったし、みんなで食べるから一人あたりの量は限られていたはずだけど。
「離れる時すごく嫌だったんだ。たった今さっき、ほぼ俺らのせいで一人殺されるのを見たところだってーのにまだ居たいって思ったんだ。ここならずっと居てもいいんじゃねーかとすら思ってたことにそん時初めて気が付いたんだ」
喜邨君は言葉を切って苦笑いし、ごん、と床を軽くなぐった。
「……なんで」
「わっかんねー。でも離れたくなかった。笑っちまうだろ? 俺木に登れねーのにさ。〈苗〉として村を渡り歩くのもこの体じゃ難しいだろーにさ。……だから、ごめんな。俺、他人のこと言えねーわ」
「……」
僕は何も答えず、代わりに外の音に耳をすませた。誰かが談笑する声、木戸をつけている家もあるのだろうか、パタンと何かが閉まる音。土ごしにぜんぶくぐもって、ここは今まで居たところのどこよりも静かだ。フロントシティーで常に聞こえていた葉の擦れる音がもう恋しい。けど。
「僕はこの世界に居たいわけじゃない」
「それは知ってる。フロントシティーできいた。居てもいいとか言ってもやっぱ帰りてーよな」
「僕は、」
即答できなかった。僕は本当に帰りたいんだろうか? クラスでよく話をしていたクラスメートはここに居る。明日香はこちらの住人だ。僕は母さんの顔すら思い出せない。帰って、どうするんだ?
「……帰りたいわけでもない」
喜邨君はしばらく何か考えるように黙った後、「そうか」とだけつぶやいた。
壁にもたれて少し休んだ後、科学びっくり大百科を読んだり土を固めただけの床にマス目を描いて喜邨君と○×ゲームに興じたりして時間をつぶし、夕方になってようやく公正たちが帰ってきた。ほぼ同じ頃に龐棐さんと冬人さんも帰ってくる。ずいぶん会議長かったな。
「公正、この辺のこと何かわかったか?」
「ああ。地図をもらってきた」
公正が喜邨君に一枚の紙を渡す。結構大きくて広げると布団一枚分くらいあった。
「〈力〉で探れば一発なんじゃねーのか。何でわざわざ地図なんだよ」
「俺の〈力〉は〈物探し〉でトンネルの横穴を探すものじゃないからさ」
ソン区のトンネルはそこそこ入り組んでいた。僕らが入ってきた縦穴につながるメインの太いトンネル一本を中心に少し太めのトンネルが三本走っていて、それらをつなぐように細いトンネルが何本も通っている。細いトンネル同士は色んなところで交わり、時にはくっついて広場を作っていた。そういう広場にはたいてい「畑」や「給水所」と公正がメモしたらしい文字が入っていた。僕たちが居るのは縦穴に近い領主の客室で、地図の真ん中から少し南西にずれた方。太いトンネルから北方向に枝分かれした一本が紙の端に到達する前にバリケードで塞がれていた。その先に広場を示すトンネル結合部や給水所もあるが斜線で塗りつぶされている。そうか、ここがシン区に奪われた土地か。周囲にのびた行き止まりのトンネルも斜線に覆われている。広範囲にわたり占領されているようだ。
龐棐さんも地図をのぞきこみ、「だいたい聞いた通りだな」と占領区をなぞる。今のところ戦況は
それと、と龐棐さんがごそごそとマントの中を探り袋を取り出した。
「俺と冬人の戦闘参加を条件にだが食糧をもらってきた。住民の配給分を奪うわけにはいかないからな」
きいた途端キュウと鳴った気がした。お昼は食べたしそれからあんまり動いていないけどお腹はすいていた。何だろうと身を乗り出して出てきたものにがっかりする。昼にも食べたパサパサするエネルギーバーみたいなやつだった。これお腹はいっぱいになるけどおいしくないんだよな……。
「俺いらねーわ」
いつもなら「メシィ!」と一番に手を伸ばすであろう喜邨君が引っ込んだ。「どうした、好き嫌いか」とからかう龐棐さんに「俺は食う必要ねーから。冬人さんに食わせて」と返す。
「僕ふたつも食べられないんだけどー……」
早々に自分の分にかぶりついていた冬人さんが困ったように首をかしげる。
「一個でおなかいっぱいだよー」
「とりあえず持っとけ」
龐棐さんがおでこに包みを押し付けて、しぶしぶ受け取る。
ナッツバーは人数分あったが縁利と栄蓮が二人で一つを分け合ったため結局一本残った。喜邨君はそれも受け取らず、また押し付けられて困った冬人さんは今日破に横流ししていた。
「明日どうする? 公正さっき狻さんと何か話してたよね」
「畑の手伝いさ。明日は国境で戦闘になるかもしれなくて、農地の人手が足りないんだとさ」
「私でも手伝える?」
「畑なら栄蓮にも仕事あるんじゃねえか? 暇だもんなここ」
縁利の言葉に全力でうなずく。
「俺どうしよう」
ねんざ中の喜邨君も退屈にこりごりのようで「何かねーの? 大食い大会とかなら賞金とれるけど」と言いだす。食糧不足の国でそんなことするわけないだろ。とりあえず足直せ。荷物番でもしててよ。
明日香にTシャツをむかれ、背中のガーゼを貼り直してもらった。
「……
「それ寝っ転がるしかないんだけど……」
殴られた腹は腹筋を使うとまだ痛いし、あぐらをかけば足のあざが硬い床にあたってそれも痛い。リュックを枕に寝転がると今度は腕のあざが当たった。足のよりはマシだからこれは我慢するしかない。一応明日香が腕の下にタオルを敷いてくれた。
「……悪い修徒。明日の俺のナッツバー、お前が食べていーよ」
「いらない」
固まる喜邨君。だっておいしくないし。昨日子は好きみたいでボリボリかじってるけど僕は好きじゃない。これしかないから食べるけど正直食べたくない。
「お前な、せっかく俺がやるって言ってんのに」
「いらないって言ってるだろ、押し付けるなよ」
「あーもうシュウ安静にして! 体力落ちてるんだから」
明日香に楽な姿勢に直されて数分、みんなが明日の予定を話しているのをきいているつもりがうとうとしていた。起き上がろうとしてふわっとめまいに襲われ地面に引きずり込まれるような感覚の後、目の前が真っ暗になった。
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