18日目午前:移木式

「うわ、いきなり雨か」

つかさ雨男だろ。お前のせい」

「雨男は貴様だ、我輩は太陽の化身なり!」

「晴れ男って意味なら雨男の勢力に負けてることになるんじゃ」

「断じて違う! ちょっと休んでいるだけだ!」

 二人の言い争いで目が覚めて、体を起こす。寝た時間が遅かったせいか少し頭がふらふらするが睡眠時間的には問題ないはずだ。しわになった服を適当に伸ばして洞窟の入り口へ向かう。外を見てあれ、と目を疑った。

 雨が降っていた。

 しとしとと懐かしいくらい久しぶりに思える音をたてて草木の葉と地面を水滴が跳ねていた。見上げても雲は無く真っ黒な空間があるだけだ。でも一歩外に出ると普通に服に染み込んでくる。本当に雨だ。

 起き出してきた公正も音に気づいてこっちに出てくる。驚いたように雨を眺め、不思議そうに頭を突き出して上を見上げ、目を細めて何かを探す。見つからなかったようで濡れた髪を整えながら頭をひっこめた。

「日照装置から散水でもしてんだろな。だから植物も育つんだろ」

「移木式どうなるんだろう。この雨じゃ中止かな」

「さあな。あれだけきっちり準備してたし、すぐ止んで、移木式には影響ないようになってるんだろ」

「わざわざ日照装置を操作して降らせてて、移木式前に終わるようにしてあるってこと? それだったらそもそも移木式の日に降らせない気が……」

「なんやこれ! 水が降っとる!」

 今日破きょうはが横を通りすぎて慌てて戻った。なんやこれーなんやこれーと言いながら腕を雨に濡らしている。スカイ・アマングは雨降らないのかもしれない。続いて昨日子きのこ縁利えんり栄蓮えいれんが起きてきてそれぞれ三者三様に雨に驚いていた。昨日子は手で器をつくってしばらく雨にうたれた後、何を思ったか溜まった水を今日破にぶっかけていた。栄蓮ははしゃいで飛び出して行き、水たまりを跳ね回って泥だらけになり縁利に怒られていた。明日香は雨だあ、とつぶやいた後しばらく眺めるだけだった。一番反応が面白かったのは龐棐ろうひさんで、雨を見るなり「水れはどこだ! 各部署に連絡しろ、俺は応急処置にあたる!」と叫んで走り出そうとしたのでここはレフトじゃないし軍隊でもないとみんなで止めた。

「こんにちは、みんないる?」

 雨にはしゃいでいたらキリが来ていた。居ると答えてみんなを呼ぶ。栄蓮はまた雨の中に走り出してしまっていたので縁利に連れ戻してきてもらった。

「あいにくだけど雨だから移木式開始時間を遅らせるって」

 キリの言葉に了解、と答えてから首を傾げる。あれ、移木式までに雨終わらないのか。

「雨は何時にやむんだ?」

「何言ってんだ。雨なんだから勝手に降るしいつやむかわからないだろ」

 公正が何か続けかけた言葉を飲み込んだ。

「いつやむかわからねえの?」

 代わりに縁利がもう一度きいて「しつこいな。わからないって。雨が降るってそういうもんだ」と返されていた。公正は表情がまだ固まったままだが何か考え込んでいる。

 そういうもんだ、確かに向こうの世界の雨ならそうだろう。『科学びっくり大百科』には太陽の熱で川や海の水が蒸発して上空で冷やされて雲になって降ってくる、としっかり説明がついていたけどここでそれは通用しない。雲ひとつない空間から降ってきているのだ。太陽だってどこにもない。

「なあ。ここの人はさ、雨がどうやって降るとか日照装置を誰が動かしてるとかそういうことは気にならないのか?」

「気にならないな。生まれた時はもうあった昇って沈む日照装置、こっちの都合おかまいなしの通り雨。当たり前だろ」

 当たり前にあるものを何で不思議に思ったりするのかと、むしろそっちを不思議そうな口ぶりだった。公正は少し遅れぎみに「そうだな」と返して肩をひいた。 



「……キリが言ってたの、どういうことなんだ?」

 さすがの氏縞も疑問に思ったらしく公正にきいていた。

「あの日照装置ってここの人たちが自分たちで動かしてるわけじゃないってことか? だったら誰が」

「さあな。けど心当たりはある。ツタ長老が言っていた「研究者」だ。ここに〈力〉を持たない人を集めて何か調べているっていう……」

「研究者がここの人たちの生活のために雨降らせてるっていうんなら、雨降る時間は別にランダムにしなくていいんじゃねえの」

 曹が横入りして公正がうなずく。

「毎日決まった時間に決まった量降ってれば管理もしやすいだろうしな」

 植物の水やりかよ。

 喜邨君がやっと起きてきて僕らの横で思いっきり伸びをした。でかい腹が半分以上服の裾からはみ出してもどらない。「お前太ったろ」とそれを見た曹がため息をついたが「たいしたことねーよ」とパツパツに張った服をぐいと押し下げた。パンパンに膨れ上がった腹を苦しそうにかかえて歩きまわり、「腹減った」「メシは?」とひさしぶりの雨に興味も示さない。まだだとわかると腰を下ろしてまた服をひっぱって直している。絶対太っただろ、前はそんなにずり上がってなかったと思うぞ。

「冬人はんは? まだ起きてきとらんけど……」

「え? 湯豆腐?」

「冬人はん。さっきまだ寝とったから起こさへんかってんけど」

「起きたときには誰もいなかった。またどっか行ってんじゃねーの?」

 あのなあ、と龐棐さんが頭を抱える。誰のせいでここに長居することになったんだか。出発の時に戻ってきてればいいけど冬人さんのことだからあんまり期待できない。

 キリがおすそ分けしてくれてさつまいもを包み紙で包み(これもキリが持ってきた)、焚き火の火を復活させてぽいぽい放り込む。みんなでわくわくしながら焚き火を囲んでいたら喜邨君が間に入ろうとしてきたので撃退した。喜邨君には余ったら渡すから待ってろ。先に取りに来られるとみんなの分がなくなる。

 明日香が隣に座り、いきなり僕のTシャツをめくった。

「!? な、何するんだよ!」

「昨日なぐられたとこ、なんともない?」

「そりゃああちこちあざになってるけど……。先にそれ言ってよ」

 背中を手でなぞられてズキンと痛み、思わずびくっと反応してしまった。そのままそこをさすられて耐えられずのけぞる。

「痛たたたたやめろって。あざできてるんだろそこ。触るなって、痛い痛い」

「ごめん、あざがあんまりひどいから心配になって。骨には影響なかったみたい。大丈夫だよ」

 今僕が大丈夫じゃない。バチンと閃光が走って背中に冷たいものが張り付き、その冷たさがさっきさすられたところに食い込むような感覚があって「痛っ!」とまた声をあげた。やめろって言ってるだろ、腹がたったけど張り付いたそれは湿布だったようで最初の食い込む痛みの後すぅっと楽になっていった。冷たさが心地いい。

 曹と氏縞が火の中の芋を棒でつついて転がしている。転がした方がうまい焼き芋ができると意見が一致してしまったらしく、どっちが上手に芋を転がせるか勝負しているようだがどっちがどう上手なのかさっぱりわからない。見ていると曹が転がすのに使っている棒に焚き火の火が燃え移り大騒ぎを始めた。氏縞の棒も火がついていて結構な炎が上がり始めていたのだが全く気づかないで雨に当てろとか土に突っ込めとか言っていた。自分の棒は燃えているのに気づいた時に広場の方向に思い切りぶん投げていた。

 焼きあがって焼き芋を受け取り明日香に渡す。自分も受け取って包み紙の熱さに火傷しそうになり慌てて服のすそ越しに持ち直した。何も考えずに明日香に渡してしまったことを思い出して隣を見ると明日香はタオルでくるんで持っていた。ああ、準備がいい。ちなみに喜邨君の分は無かった。焼き芋をはふはふしながら平らげる間、いつもだったら「よこせ」と割り込んでくるだろうに今日はおとなしく壁にもたれていた。

 食事の後、時間もあいていることだし日照装置のこととか雨のこととか気になることをききにいくことになった。龐棐さんの案内で雨の中を歩き、あまり地面がぬかるんでいない道を歩く。歩いているうちに日照装置の光がだんだん強くなり、雨は弱まっていった。

「昨日子、あれ!」

 昨日子に抱えられた栄蓮がぱっと上を指さした。

「何。離さない。すぐ水たまり、走っていく」

「違うよ、上見て! なんかきれいなの!」

 栄蓮が指さした先でキラッと水滴が光った。降ってくる雨が日照装置の光を反射してキラキラ輝いている。「違う、もっと上」言われて視線をさらに上に向けると真っ暗な空間に赤、オレンジ、黄色、緑、青、紫の光の粒がふわっと浮いていた。思わず足を止めて見上げる。

「虹だ……」

「にじ? あれ、にじっていうの?」

 栄蓮がはしゃいでもっと高く、と昨日子にせがむ。「届かない」と返しながらも精一杯腕をのばしてやり、栄蓮もおもいっきり腕をのばしてバタバタさせる。さすがに腕力が足りなかったか落としそうになり龐棐さんが受け止めた。そして昨日子よりずっと高く、勢いよく持ち上げた。栄蓮はきゃあきゃあと悲鳴をあげて笑い、龐棐さんは何度も下ろしたり持ち上げたりを繰り返した。

「あんた子供と遊んだりできるんだな」

「まあ子供いたからな。縁利はいいのか」

「え。……馬鹿、俺はいいって! 俺の年でそれはおかしいだろ!」

「やってほしげな顔してたからな」

「いらねえ! 腰気をつけやがれよおっさん!」

 叫んで喜邨君の影に隠れる。喜邨君は後ろ手にひょいっと縁利をつまみあげて肩車した。

「な、下ろせ喜邨! 何すんだよ」

「本当はやって欲しーんだろ。おっさんと違って俺は若えから大丈夫だ」

「わー! 縁利おそろい!」

 龐棐さんの肩に乗った栄蓮が喜ぶ。縁利は顔を真っ赤にしながら言いかけた文句をのみこんで……スネた。

「素直に喜びなはれや。めったにあらへんで」

「俺をいくつだと思ってるんだよ」

「十二だろ? 十分子供だ」

「子供いうな、たいして違わねえだろ」

「でも俺より年下だ」

 雨がやみ、ツタさんの住む木が見えてくる。まだ遠いがツタさんの家からぱたぱたとカシワが出てくるのを見て、栄蓮が龐棐さんに「下ろして」という。

「もういいのか」

「だって私の方がカシワよりおねえさんだもん。カシワが乗りたいっていったら乗せてあげて」

 龐棐さんの背中からずり降り、「カシワー!」と走っていく。カシワもこっちに気づいて走ってくる。栄蓮と同じくらいどろんこだ。どうしたんだろう、と考える必要もなく目の前であっちをぱっちゃんこっちをばっちゃん、水たまりを踏み回り始めた。昨日子がため息をつく。

「ねー、えんりくんは?」

「あっち」

 指さされて縁利が慌てて身を隠そうとし、バランスを崩したので喜邨君が肩に乗せ直す。カシワからバッチリ見える位置になる。

「あれー? えんりくんお兄さんなのにかたぐるましてもらってるー」

「う、うるせ乗せられたんだよっ! もういい下ろせ!」

 喜邨君の後頭部をげしげし殴って転げ落ち、ぬかるんだ地面にべしゃっと落ちた。

「あー……暴れるから」

「う、うるせえよ……」

 むくりと起き上がった縁利は栄蓮たち以上に泥んこになってしまっていた。昨日子にものすごく嫌そうな顔で「……自分で洗って」と言われて「はい」と肩をすくめた。

「これこれカシワ! 遊んでないで早く着替えな! 祝詞読師のりとどくしが来ちまうよ!」

 ツタさんが家から出てきてカシワを呼び、僕らに気づく。ちょうどキリを呼びにやろうと思ってたんだよ、準備してると思うから〈子孫の森〉に行っといてくれとパッパと手で払われてしまった。忙しそうだ。仕方なくきびすを返し、広場に向かう。

 広場には昨日マツなんとかさんたちが組み上げていた舞台が完成していて、ステージ上に溜まった水をみんなで手分けして拭き取っていた。舞台のすぐ近くの木の葉の水滴をはらい落とし、いくつも花輪を載せている。あれがカシワの木か。どんぐりの若木だ。

 僕らは観客席になる丸太の水気を拭き取ってまわる。舞台袖で飾り付けの準備をしている中にココさんたちの姿が見えて緊張する。大丈夫、みんな一緒にいるから手出しはしてこないはず。広場にだんだん人が増えてくる。観客席の丸太はその人数に全然足りていなかったので僕らは座りそびれて近くの若木にそれぞれ登った。ここ数日でちょっと登るのうまくなったかも。観客席よりこっちの方が舞台全体がよく見えて案外特等席だった。

 群衆の中から簡素な着物っぽい服(狩衣かりぎぬっていうんだろうか)を着た人が出てくる。あれが移木式を執り行う神官らしい。ちなみに日替わり当番制。遅れて別の着物っぽい服を着た人が舞台上に上がった。この人が祝詞読師で、着ている着物は赤生地に金の細かい刺繍ししゅうが入っていてかなり豪華だ。頭の上には烏帽子えぼしに似た冠を載せている。祝詞読師が奥の座布団に座ってから、舞台袖の階段を子供が一人駆け上がってきた。カシワだ。

 祝詞読師と似たような形の黄色い生地で銀の刺繍の服を着ている。サイズがあっていなくてぶかぶかなまま、腰の帯で裾をたくし上げている。帯も長すぎたようで大きなリボンの先が床を引きずっていた。

「カシワの服……サイズ合わせしなかったのか?」

 公正がため息まじりにつぶやいて、キリが「ああいうもんだ」と即座に返す。移木式の服は、子供が大きくなれるように願ってわざとサイズの大きい服を着せるんだそうだ。いつか帯でたくし上げたりしなくても、背中で結んだリボンを床にずるずるひきずらなくても、その服を着られるようになるようにと。

「あの服は昔からある伝統的な民族衣装。移木式ではみんな着たんだ。俺も着た」

 カシワが神官に一礼し祝詞読師の前にひざまずく。祝詞読師はおもむろに立ち上がり低い声で祝詞を読み上げ始めた。何を言ってるのかなんとなくわかるのに、耳慣れない発音の言葉がいくつも混じっていて文を追えない。騒がしかった群衆はいつの間にか静まり返り、祝詞読師とカシワに注目が集まっていた。

「我らは晴れ渡る○※■の下●□らの根源たる地を這う者どもなり……」

「そしてこのわたし、かしわもそのひとり。このたびはおんみにこれよりすむことの、ゆるしをえにまいりました」

 祝詞読師の声を追ってカシワの幼く高い声が続く。時々言葉に詰まって思い出そうとしていて、舞台の向こう側に隠れたケヤキさんとヤナギさんに「頑張れ!」とエールを送られている。長い台詞につっかえつっかえなんとか言い切り、反対に祝詞読師はちょっと早口にすらすら唱えて式は進んでいく。途中カシワが立ち上がってお辞儀をしたり、神官が立ち上がって鈴を鳴らしたり、祝詞読師がカシワに座るよううながしたりして、最後にカシワが群衆に向かって深くお辞儀をした。しばらくの沈黙の後、舞台の奥にスタンバイしていた集団が各々楽器を取り出して急に演奏が始まる。同時に舞台袖から何人もの踊り子が躍り出て舞台上を舞い始める。踊り子の衣装もカシワたちが着ている着物みたいなやつと似たような形だったが帯の形が派手で長くて袖が無く、色も全部違って華やかだった。手首に紐を巻いている人と足首に紐を巻いている人がいて、どうやら男の人は手首と決まっているようだった。女の人の中にココさんとリンゴさんを見かける。踊りの途中できれいに宙返りしてみせ、観客の歓声に照れて笑いながら後列と交代していく。あの人笑うんだ。

「わ、すごい」

 舞台上で男の人たちが組んだ人間タワーに明日香が歓声をあげた。三人並んで四つん這いになった上に二人、その上にさらに一人。それがパッと解散すると今度は数人が肩を組んだ上にさらに乗り、その上にも人が乗って立ち上がる。最後に一番上の人がパッと両腕を広げてから思い切りジャンプし、広場で一番大きい木の枝に飛び移った。下の段は順番にしゃがんで降りていく。

「ふふふ冬人貴様枝を揺らすな」

 震え声が聞こえて顔をあげる。冬人さんが大きい木の枝に座って足をぶらぶらさせていた。その枝のもう少し先の分岐近くに曹が座って、いやしがみついていた。冬人さんは「えーそんなのつまんないー」とさらに足をバタバタさせる。

「やめろ貴様、この高さに慣れたばっかりなんだぞ」

「おいこっちも揺れてる! 揺れてるから! 足バタバタさせんな!」

 曹をからかうかと思ったら氏縞も近くの枝に張り付いていた。冬人さんは面白がってさらに足をバタバタさせて、

「おい」

 ずるっ。 ぱし。

 勢い余って滑り落ち、間一髪両手の先を枝に引っ掛けることに成功した。

「ふ、冬人はん……」

 助けようと思わず立ち上げりかけていた今日破が腰をおろす。冬人さんはだいじょぶだいじょぶーと言わんばかりにニコニコして片手を離し、そのまま勢いをつけて前後に体を振り始めた。曹があわてて木にしがみつく。

「何すんだ怖え! やめろ冬人!」

「こっちも揺れてんだよ曹ンとこだけ揺らせよ!」

「貴様俺をなんだと」

 ぶうん、と勢いがついたタイミングで手を枝から突き放し、そのまま飛んでってトン、と近くの背の低い若木に着地した。「八点!」とかいいながらバンザイポーズ。新体操かよ。冬人さんはその木の太い枝に移ってそこから見物を再開する。

 どこの木にいたのか龐棐さんが降りてきてその木に近づきコンコンと幹をたたいた。

「おい冬人。……右腕見せろ」

「……わー龐棐さんだー。おはよー?」

「おはようとか言ってる場合か、降りてこい」

「やだー」

 しびれをきらして龐棐さんが幹を登り始め、冬人さんがパッと姿を消し別の木の枝の上に移動した。渡った先の枝にいた今日破が落ちそうになり悲鳴をあげる。

「ちょっと。冬人さん」

 明日香にもたしなめられているけど気にした風もなく木を登り直す龐棐さんを楽しそうに眺める。その肩をがっしと手がつかんだ。

「捕まえた」

 昨日子が仏頂面のまま冬人さんの肩を固定する。今日破も枝を這ってきて冬人さんを捕まえにかかり、さすがの冬人さんも降参して抵抗せず右袖を剥かれる。袖をたくしあげ、ぐるぐる巻きの包帯の一部に血が滲んでいるのを見て昨日子が冬人さんを睨んだ。縫い合わせた咬み傷の一つが開いてしまったようだ。たぶん、さっきぶらさがった時に。

「あーあ……。治りかけやしこれなら心配ないと思うけど……。ほんま気をつけてや……」

「ごめ……」

 縮こまって大人しく座り直した。

 広場の方はいつの間にか組体操が終わり人がまばらになっていた。観客席として並べられていた丸太まで片付けられて、ぽっかり空いた広場の中央に数人が集まって待機している。キリが「行かなくちゃ」と木を滑り降りていった。

「何だ? あれ」

「きょうそうだよ」

 公正のつぶやきにカシワの声がして驚く。

「え、いつの間に登ってきたの」

 きいた栄蓮にふふん、と胸を張ってみせる。

「さっき! いぼくしきがおわってすぐきたんだよ。見てて。にーにはやいんだから」

 それぞれ色の違うタスキをかけた四人が一列に並ぶ。よーい、の後にドォン、と楽器隊の太鼓が響き一斉に走り始めた。うーん、みんなそんなに速くないなあ。

 と思ったら途中で木に跳び移り、するすると登って次々に枝をつたい木から木へとびはじめた。広場一周を競うはずが広場周りの木を飛び移る競争になっている。そっちの方が速いからだろうけど……いいのか。選手たちは次々に僕らの横を跳びぬけていき、地上のゴールラインへ飛び降りていった。キリは二位。次の出走グループが広場中央に集まり始める。

 木の上にいると選手の邪魔になりそうなので今度は下に降りて見物した。スタート後みんなすぐに手近な木に登ってしまうので下からだとあまり競争の様子は見えない。木から木へ飛び移ろうとして他の選手と同じ枝に乗ろうとして空中でぶつかり、落下した選手もいたが上手に着地してゴールまで後数メートルなのにわざわざ登り直してレースに合流していた。

「お兄ちゃんたちもやる?」

「いや……。勝てる気しないしな……」

 公正に断られて、不満げにカシワが僕らの方を見る。みんな首を振る。あんな速く木登れないよ……。

 『競争』が終わり、今度は広場の真ん中に二人の長身の男がそれぞれ先端にカゴのついた棒を持って立った。玉入れだ。

「……なんか高くない?」

「十メートルくらいあるよな?」

「投げて届く気がしねーぞ」

 玉入れの陣地の周りに大小様々なボールが転がされ、広場は静まり返る。選手らしき人は誰も広場にいない。ピー、と笛が鳴った。

 ばっ、と一斉に木々の間から人が飛び出し我先にボールに飛びつく。ボールを取った人から手近な木にするする登りその勢いのまま樹上から次々にカゴめがけてボールをぶん投げる。色違いのボールがかごに入って応援している人たちの一部から歓声があがり、他方からはブーイングが出たり、地面の上でボールの取り合いが始まったりして、数秒後にはどちらのかごにも同じくらいたくさんのボールが入った。笛が鳴り、木に登っていた人たちがぞろぞろと広場に降りてくる。かごがおろされひとつずつ数え始める。

 べちゃっ

「あ、すまん修徒」

 振り向くと泥団子片手に曹が謝った。背中をさわるとでろっと泥がつく。……お前ら。

「何してんだよ。応援しろって」

「暇なんだよ」

「だってつまんねえだろ、みんな木に登って競技しててさ。俺らにも参加できる競技一個くらい用意してくれっての」

 氏縞に加えて公正まで援護に入り、「俺も暇でさ。混ぜて」と泥団子を作り始める。

「修徒も一緒にやろうぜ。三人じゃ対戦できないしな」

 曹にほらその辺ぬかるんでるだろ、と足元を指さされる。公正がそこからひとにぎりの泥をとってぎゅっぎゅっと握り始めた。

「いくつ作ったら始める?」

「そうだな、一人五個くらいか?」

「だな。最初は平等にしねえと」

 既に六個作っていた氏縞が一つ僕に投げてよこす。壊さないように慎重にキャッチしてしぶしぶ足元の泥を拾って固め始めた。

「じゃあまずは俺と曹チーム対公正、修徒チームな。おっとレフェリーがいない……」

「やる」

 昨日子がぱっと手を上げて

「よーい。始め」

 合図するなり思い切り顔面めがけて飛んできて慌ててしゃがんでよけた。くそ、と曹が舌打ちしたので仕返しとばかりに二個連続でぶん投げた。全然違うとこに飛んだけど一つは流れ弾で氏縞にあたったので結果オーライ。氏縞に追いかけられながら拾った泥で新しい団子をつくる。公正は曹に追いかけられ泥団子を乱発されたかと思うと今度は公正が泥団子を投げまくって曹を追い回したりしていた。痛って、一発足にもらった。

「へえ。面白そうなことしてんじゃん。俺もまぜてよ」

 縁利が泥団子をつくりながら曹&氏縞チームに参加。「私も」栄蓮は僕らのチームに参入。えい、と縁利めがけて大きく振りかぶったがすぐ近くにぼてっと落ちる。団子を小さくしたり下手投げしてみたりするけどやっぱり飛ばない。「うー……。私泥団子つくる係になる」泥団子を作って渡してくれるようになった。

「面白そうやな」

 今日破が栄蓮から泥団子を受け取って曹と氏縞に連続でぶち当てる。ナイスコントロール。反撃をするっとかわして屈んでいる間に作った三つをぽいぽい投げて見事縁利と曹にヒットさせた。素早い。

「今日破投げるのうまいな」

「趣味の関係で投げるんは得意なんや」

「賭けに勝つのは苦手だけどね」

 何かスポーツやってたっけと思ったらサイコロ賭博とばくのことだった。まさかの明日香敵側。待って待って待ってなんか僕ばっかり狙ってませんか明日香さん。

「俺もやる。弾よこせ曹ぁ」

「自分で作りたまえよ」「自分で作れよ」

 喜邨君が曹&氏縞チームに乱入、豪速球のでっかい泥弾が飛んでくるようになった。必死で逃げ回り、その巨体にばちばち当てる。攻撃力高いけどでかいから当てやすい。うおっと危ない、当たるとこだった……。すっ飛んで行った泥弾は木の幹に当たってどーんとぼろぼろに崩れていた。怖え。あれにあたったらただじゃすまないぞ。

「うぇぷっ」

「わ、ごめん顔に当たると思わなくて……」

「やったな明日香!」

 泥団子を作り直すもそこそこに明日香を追いかけ回し泥をにぎっては投げまくる。時々反撃や横槍が飛んできてあっという間に僕も明日香も泥だらけになっていく。

「何やってんだあんたらは。楽しそうだな」

 今回は競技者ではないらしいキリが暇をもてあまして様子を見にきた。長い指で器用に泥団子を作り、指で挟んで何弾も同時に飛ばす。何それずるい、というと「あんたらは地上走るの速いだろ。逆にやらなきゃ不公平」と返された。キリを呼びにきたらしいマツ……なんとかさんが泥だらけで泥団子を投げ合う僕らを見て興味を持ったらしく「面白そうだな」と泥団子を作りだし、観戦していたお姉さんがその様子を見て「私も私も」と泥団子を投げ始め、気づいたら4チームぐらい対抗で泥団子を投げ合う大合戦になっていた。メインでやっていたはずの玉入れ道具はボールを数える途中で放置され、いまや広場内でも泥団子が飛び交っていた。

 レフェリーをしていたはずの昨日子が大量に泥団子を積み上げていて次々に人が来てもっていっていた。仲間どうしだったはずの曹と氏縞は違いにどっちが当てたかという喧嘩を始めて、どっちも覚えていなくて責任を押し付け合いお互いに泥団子を投げつけ合い敵同士になっていた。喜邨君はさっきまで玉入れをしていた男たちに大きめの泥団子をどんどん投げてぶち当て、地面に突っ込んでいったものすら怖がられていた。龐棐さんは別の集団の指揮をとり、泥団子を作るメンバーと投げるメンバーのバランスをうまくとって『進軍』していた。もう何個あてたとかあたったとか誰もわかっていない。投げまくりあてられまくり泥だらけになって森の中を走り回っていた。長老であり村で一番偉いはずのツタさんまでも泥だらけにされ、「やっほー」「ヘーイ」とかテンションの高い挨拶っぽい声に振り返ったら見ず知らずの人から泥団子を浴びせられるようになった。

 避けるのは縁利がうまかった。ちょこまか動き回るので全然あたらない。反撃に投げてくるけど飛距離がかせげず全然こっちに飛んでこない。あまりしつこく追い回さずあきらめて他の人を狙う。あ、冬人さん見っけ。ぶん投げたらひょーいとおどけたポーズをとりながらよけられた。このやろ。泥団子を補充していたら頭にポーンと草まじりの団子をぶつけられる。む、これは公正か……。裏切ったな公正いいいいい!

 草むらに隠れて影から公正を狙う。待つ間に泥団子の備蓄ができていく。来た、それっ!

「わ」

 まさかのココさんだった。殺される、と足がすくんだところをどかどかと泥団子を当てまくられて慌てて逃げる。こらー待てー、とこの前とはうって変わって楽しそうな声が追いかけてくる。逃げていると木の影から飛んできた泥弾に被弾した。クワさん、そんなとこに隠れてたんですか。手持ちの泥団子を全部投げてしまっていたので急いで一つ作って追いかける。

 しばらく森の中を走っているとどこかで「せーの」という声が聞こえていきなり横から大量の泥団子が飛んできた。べちゃボス雨あられと浴びせられる泥団子にたまらず足を止め、泥団子の残骸から泥団子を再生産して反撃。すぐに反撃の反撃が来る。っていうかこれ多勢に無勢すぎないか? 反撃をやめて相手をよく見たら龐棐さん率いる泥団子軍団だった。

「クワさん、ナイス誘導だ」

 親指をたてて健闘をたたえられ、クワさんも親指を立てて返す。はめられた悔しさに八つ当たりぎみの弾をクワさんめがけて数発ぶん投げたが遠すぎて届かなかった。その間に準備万端整った泥団子砲撃隊がこっちを向く。……ちょっと待って。みんな僕を追ってくるのかよ! ちょっとこれ、不利すぎるだろ!!

 泥団子の集中砲火から逃げ回り、自分が投げる分を作る余裕もなく森の中を走り回った。砲撃隊は逃げ回る僕に泥団子を投げ続けたがだんだん備蓄が尽きてきたようでいつの間にか追ってこなくなった。近くに誰もいなくなったのを確認してから隠れ場所を探す。木の上は逆に見つかりそうなので薮のそばに腰をおろした。

 胸にはりついたTシャツの襟首をつかむとボロリと泥が滑り落ちる。ひどいなこれ。洗って落ちるんだろうか。最悪捨てることになりそうだ。着替えはまだあるけど後何枚残っているだろう。

 がさ、と少し離れた薮が揺れた。よく見ると灰色の頭がのぞいている。ふふふ公正、見つけたぞそこを動くな……?

 大急ぎで泥団子を量産しじりじりと公正がいる薮に近づく。息をひそめて様子をうかがっている公正がこっちを見る瞬間に持っていた全部を一気に投げつけた。

「うおわっ?」

「さっきの仕返しだ! 裏切り者ー!」

「裏切り者っていうかさ、もう敵味方ごちゃごちゃだったじゃねえかよ」

 言いながらびしばし手持ちを投げてくる。避けながら残骸を集めて団子を作る。

「てかさ、修徒お前泥すごくね? どうしたんだそれ」

「クワさん追いかけてたら罠だった。龐棐さん軍団に囲まれて」

「うへ……おとなげねえな」

 噂をすればなんとやら、クワさんがなんの警戒もなく通りがかるのを見て二人揃って薮に身を隠した。うん、とうなずきあって泥を集める。近づいてくる足音に焦りながら泥団子を足元に積んでいく。来た。

「おりゃー!」

「うわっ」

半分を一気にあびせ、残りをばしばし当てる。クワさんも手持ちを投げ返してくる。

「二人がかりかい……?」

「さっき僕を龐棐さん軍団に突っ込ませた人に言われたくないです」

 ぼすぼすと追加攻撃を加える。

 唐突にピリリィーーーーっと高音が森中に響き渡って急に静まり返った。誰かの〈音〉かな。けれど〈音〉が聞こえないはずのクワさんが「終わりの合図だね」と言いながら服の泥を払っている。実際に聞こえた音だ。見ると、他の木の陰からも結構人数がぞろぞろ出てきて広場を目指していた。その中にキリを見つけた。向こうもこっちを見つけて走ってくる。

「お父さん! ここにいたんだ。泥団子ぶつけたいから探してたんだ。見つける前に終わるからすげえ悔しい」

「後半の競技時間、予定の競技全部放り出してずっと泥投げっこしてたね」

 ぴょんぴょん跳ねるながらキリが次は絶対探して当てにいくから! とポーズを決めた。

「ねえお父さん、次からは泥合戦をメイン競技にしたらどうだろ」

「ははは、雨が降らないとできないよ」

 広場が見えてきた。みんな結構遠くまで行っていたのか終了の合図が鳴ってからだいぶ経つのに人はまばらだ。今朝よく磨いたはずの舞台はたったいま出土したように泥だらけになっていた。先に到着していた喜邨君がこっちに手を振る。近くに明日香たちも見えた。

「なあキリ、打ち上げっていうかお疲れ様会? みてーのやんの? メシ出る?」

「……」

 うきうきしながらきく喜邨君にあきれながらキリの答えを待つ。まだ鍋も何も準備してないけど、

「キリ?」

 キリは僕らからだいぶ離れたところで立ち止まっていた。

「どうした?」

 何か様子がおかしい。じぃっと広場の一点を見つめていたかと思うとふらふらと視線がさまよい、何かを探すような表情になる。まるで僕らが視界に入っていないようで焦るように目が走らせる。

「キリ。どうしたってきいてるんだ。何か探してんのか?」

 縁利が乱暴に肩を揺さぶられ、少し間があってから泣きそうな顔を縁利に向けた。

「カシワ知らない?」

「カシワ? そういえば泥合戦中には見なかったけど……。栄蓮は見たか?」

「ううん。玉入れの時に見たけど……その時はみんないたよね」

「我輩も見てないな」「俺も見かけなかった」

「友達とまだ遊んでいるのではないか?」

 みんなが答えているのにキリは全くきいていなかった。「ない」「俺の木がそこだから」「ない」ぶつぶつと繰り返し続け、とりあえず広場に行こうと促しても歩き出そうとしない。

「なあキリ。何がないんだよ。早く行こう」

 公正がいらいらとキリの腕をひっぱり無理やり歩かせる。

 キリの木は周囲にある他の若木よりそれなりに大きい。成長の早い品種で植えて数年で大木に成長するらしく、今は青々と人の顔ほどもある巨大な葉をいっぱいつけた枝を大きく広げている。キリの木がこっちだから配置的にカシワの木は舞台向こうにあって、今日は移木式なので飾り付けがしてあって

「え……?」

 僕も声をもらし、隣で今日破が息をのんだ。飾りつけのある木が広場にない、代わりに舞台奥の、舞台に隠れそうなほど低い位置に黄緑の葉の塊が見えていた。特徴的な葉の形。秋になったらどんぐりがなるんだよって、カシワ言ってなかったっけ。どんぐりの木の葉の形ってどんなだっけ、これじゃなかったよな? これじゃ、なかったよな?

「まさかあれ」

 喜邨君がつぶやくと同時にキリが走り出す。縁利が後を追う。僕もつられて走り出した。

 近くに行くまでもなかった。大きめの枝が落ちたり幹に大きな傷が入ったりとひどい状態の木が並ぶ中一本の木が、見覚えのある木横たわっていた。根の近くですっぱり切り倒され、その根の部分は一部土ごとえぐれ、切り倒された方の幹は大きな金づちで叩き潰されたような折れ方で真っ二つになっていた。丁寧に飾り付けられていたのに飾りは葉と一緒に泥に埋まっている。葉っぱの形に目が釘付けになる。『科学おどろき辞典』になかったっけ。どんぐりの探し方、こんな形の葉をつけた木を探すと近くにいっぱい落ちてるよってキャラクターに吹き出しついてなかったっけ。

「カシワは……?」

 明日香がきいてくる。予想がついたけど僕は答えられずに脳内で『科学おどろき辞典』をめくり続ける。人がみんな〈子孫の森〉を素通りして〈弔いの森〉の方へ歩いていく。

「……キリ。今日の当番は誰だ」

 公正が低い声できく。

「強い人。男の人。離れたとこに住んでいるから普段はあまり会ってない」

「そいつにやめてくれって頼めないのか」

「どんな人でも当番は必ずやるよ。ここのルールだ。仕事はちゃんとやらなくちゃ」

「おいキリ」

 龐棐さんが口を挟んだ。

「ルールならなんでもやるというなら、そのルールがおかしいと今までなぜ言わなかった? 変えようと提案したこともないのだろう?」

「ああそうさ! おかしいなんて思わなかったさ! だけどカシワは何もしてない! なのに切られた、その理不尽はゆるせないんだ」

「理不尽はお前もだ。自分に都合の悪い時だけ理不尽というのは虫が良すぎだ。諦めろ。それがここのルールなのだろう。ここに暮らしているのだからここのルールに従え」

「ちょっと龐棐さん」

 明日香が止めようとして龐棐さんがあごで周囲を示す。数人が立ち止まってこちらを睨んでいた。さっきの発言がきかれたのだろう。このままキリが理不尽と言い続ければキリの木も切られてしまうかもしれない。

 行かなきゃ、と再びキリが走り出す。僕らも追いかけるように〈弔いの森〉を目指した。

 何が起こったのか考えたくないけど理解が進んでしまう。カシワの木が誰かに切り倒されたのだ。木の住人であったカシワは家を失くした。重要なのは、移木式が済んだ後だということ。何に許しを願っていたか知らないがカシワは許しを得てあの木に住むことになったのだ。──この国では、家である木を失くした者は木とおなじように殺されることになっている。

 ああ、やっぱりか。〈弔いの森〉の広場を背の高いフェンスがぐるりと囲んでいた。移木式の準備の時は何日もかかっていたくせに、ずいぶんと手際がいいじゃないか。

 フェンスの周りは人だかりができていて、みんな何か楽しいことが始まるのを待つように興奮気味に話している。人だかりを押しのけて竹製のフェンスをつかんだ。フェンスの向こうにそびえ立つ装置が見えた。斜めの巨大な刃が日照装置の光をギラリと反射している。歴史の資料集で見たことがある。……ギロチンだ。

 隣でキリが「カシワは? カシワは?」と叫びながら探している。まだフェンスの中に人影はない。周りの人たちは「木が切られたんだ、諦めろ」というばかりでどこにいるか教えてはくれない。公正と僕も人混みをそれらしき人がいないか探すが見当たらない。

 僕らに遅れてみんなが到着する。昨日子は到着するなり人をかき分けてフェンスに近づき手を伸ばした。ぐっと手のひらに力を入れてバチっと一瞬閃光がとんだ所で明日香が引っ張り戻す。

「ダメ、昨日子」

「何で」

「フェンスにどれだけの人が寄りかかってると思ってるの、今壊したら何人も怪我することになるでしょ」

「でも壊さないと。カシワ。助ける」

「……昨日子。スカイ・アマングの時と違ってフェンスにいっぱい人がくっついてるのよ。あなたはフェンスにしがみついている人に〈力〉がかからないようにフェンスを壊せる?」

 数秒の間があって昨日子の仏頂面がふっとくずれ泣きそうな顔になる。何か言おうと口を動かすが声が出ずついに頰を涙が流れた。諭した明日香も「ごめん」と一歩足をひいた。まだ何か言おうとしながら昨日子はその場に座り込んでしまい、明日香は「ごめん、ごめんね」と謝りながら昨日子を抱きしめた。

「くそ、昨日子の〈力〉は物を伝ってヒビを入れるだけってことかよ」

 公正がいらいらとフェンスを蹴りつける。

「フェンスでなけりゃ……」

「どういうこと?」

「フェンスってさ、網目になってるだろ。だから昨日子の〈力〉で壊そうとすると網を伝ってヒビを入れていかないといけない。……となると範囲が広くなってどこかしら人が触れているところを通る可能性が高い」

 喜邨君が力づくでフェンスを壊そうと引っ張っているがびくともしない。曹と氏縞がそれを手伝うように体重をかけて引っ張っているがそちらも壊れそうにない。竹のくせにうまく作ってあって頑丈だ。蹴っても喜邨君の体重をかけても歪みもしない。

 遅れて到着した冬人さんがフェンスを見て目を見開いて足を止めた。冬人さんなら中に入れると思ったのに呆然と眺めてから踵を返してどこかへ行ってしまう。入れ替わりに今日破が「冬人はん? どこいくんや?」と言いながら人混みへ入ってくる。

「今日破! カシワはどこ?」

「ちょい待って」

 バチバチと今日破の横で青い閃光が浮遊する。人混みに目をくばり「小さい女の子ならあっちとあっちと、そっちにも居る」と回答。

「“小さい女の子”じゃなくてカシワを探して!」

「そないな細かいところまではわからへん。万能やないんやで」

「今日破。そっちの方向なら大きい箱があるな。もう一つ、そっちにも大きい袋がある。どっちも移動中だ」

 公正も閃光を走らせて言う。カシワが入れられて運ばれてるかもしれないってことだろうか。

「あ」

 唐突に曹が指差した。キリがその先を見て叫び声をあげる。カシワがいた。手足を縛られて斬頭台に運ばれていく。当番らしき男が台の横にたち、補助だろうかマツなんとかさんたち〈苗〉がカシワの縄をほどく。カシワは気を失っているのか僕らの呼ぶ声に反応しない。

 誰か、誰かカシワを助けて。人混みを振り返って青いマントが目に入った。いったい今までどこにいたんだ、こみ上げた怒りを飲み込んで「龐棐さん!」と呼ぶ。

「カシワを助けて! このフェンス、〈力〉でなら壊せるだろ」

「馬鹿か。ここで火を出したら一気にフェンスに火が回るだろうが」

 う、と声を詰まらせる。くそ、どうすりゃいいんだよ。

 フェンスを掴んで体重をかけ、思い切りゆらす。フェンスの向こうでは斬頭台の上にカシワを置いて体をロープで縛りなおしている。カシワの名前を叫ぶ。反応はない。

 龐棐さんが隣に来てフェンスを腕力で壊そうとし、壊れないのを見て剣を抜いた。即座に近くに居た男たちが一斉にとびかかり組み伏せられる。

 カシワを縛り終えた〈苗〉が斬頭台から一歩下がって当番の男に向かってこくりとうなずく。歓声があがる中、当番の男はストッパーに手を伸ばす。

 カシワの名前を呼ぶ。

 カシワを呼ぶ。

 繰り返す。

 ぴくりと頭が動いた。

 

 ピン、と高い音がしてロープの先が跳ね上がる。


 しゃああああ…… ざくっ


 刃の滑る音が耳元でしているくらい大きく聞こえて、目をそらしたはずなのに、目をつぶったはずなのに、赤色が目に焼き付いて離れなかった。毒々しい赤色が、どろりとこぼれる赤色が、ごろっと転がった何かに糸を引いて草を濡らし、土へとこぼれていった。


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