17日目:故郷は遠し
コケコッコー……。
「お、起きたか」
「
「いや。火が消えるまで起きていた。たいして寝とらんな」
そう言う割にあまり眠そうには見えない顔で洞窟内を見渡す。そろそろ起こした方がいいか……とつぶやいて
「いっでえ! てめえ何しややる
「貴様なんぞに朝っぱらららしてやることなんざないわ! 貴様の寝相が悪いだけだろう!」
「お前の寝相隣に寝てるやつに気をつけ礼してるみたいなんだろ」
「何を言う、貴様なんぞ綱引きしてるみたいだったろうが」
「俺前に何とかライダーの変身ポーズで寝てるの見たことあるぞ」
舌がまわりきらないまま起き上がるなり怒鳴りあいケンカを始める二人。騒がしさに明日香や
「朝ごはんどうする?」
「喜邨、パンあるだろ」
「いや、ねーな。もう全部食っちまった」
え、と全員絶句する。レフトシティーを出る時、カバンにはかなりの量が詰まっていたはずだけど……。
「だって賞味期限過ぎたらもったいないだろ……うぷっ……」
言いつつ巨大な腹を抱えてうずくまったのでみんなの目が白くなる。夜中に詰め込んだな。龐棐さんたち起きてたのによく気づかれずに済ませたな。
「貴様今学期入ってから学校で何度腹壊した? いい加減こりろ」
「二十回ぐれーか? 一組の木下強えから負けたくねーんだよ」
「いや三十回越してるぞ。ほぼ毎日昼休憩後に保健室行ってるだろ。午後いちの授業時間毎回遅刻させられる保健係の身にもなれよ」
「ついてこなくていいって言ってんだけどな」
「貴様腹痛の時に保健係休みで、給食室迷いこんで悪化させたことあっただろ……」
迷惑きわまりないな……。ため息をついて立ち上がる。動けそうにない喜邨君は置いていくとして、僕たちはツタさんに頼んで食料をわけてもらうか。
「何だそれ」
「
「下剤か」
渡された喜邨君は心底嫌そうに緑色の粉末を見つめた。服用後は水分をしっかりとるように、と注意を受けながらしぶしぶ
公正がまだ寝ている冬人さんをつついて起こす。なかなか起きない。置いていく? と聞いたらこいつが飯食わなくて大丈夫と思うか? と聞き返された。確かに。もともと細い上に病み上がりだったっけ。
のんびりとあくびをしながら冬人さんが起き上がる。寝ぼけ眼で見回して頭を傾け「おはよー?」と笑う。「えーと」
「公正」
「……
「
「
「修徒です」
「
「
「明日香」
「
「うぷっ……
「赤一号ー!」
「誰が赤一号だ! 俺は氏縞だ!」
「んー?」
にこにこと顔を傾けられて氏縞の眉間がぴくっと動く。まあまあ、行くで氏縞、と今日破に引っ張られて
明日香がふあ、とあくびをした。小さめの下の歯をまじまじと見てしまった気がしないでもないけど気のせいだ、うん。
「眠いのか? 昨日寝れなかった?」
「ううん。寝たんだけど寝たりないというか……。シュウは夜中に起きてたじゃない。何かあったの?」
「いや、特に何も」
「何もじゃないでしょ、昨日の夜からずっと何か考え込んでた。クリスさんに何か言われたの?」
「特に話もしてないし、何もない。ちょっと寝れなかっただけ」
しつこいなあとイライラしながら手で払って明日香を遠ざける。そんなに考え込むような顔してたっけ僕。明日香はまだ何か聞きたそうにしていたがこれ以上きかれても答えることはないのでそっと距離をとった。
ツタさんは僕らが来ることは予想していたようで、広場で昨日の夕食に使ったらしいかまどの中の大鍋でスープがぐつぐつ煮えていた。ミネストローネというんだったか、あのトマトたっぷりの野菜スープによく似ている。木の器によそってもらうとさすがにこの人数なので大鍋にたっぷりあったスープも分けるとほとんどなくなった。準備大変だったろうにありがたいな。いただきます、と手をあわせてほかほかのスープを味わった。
「ツタ長老、滞在を許していただいた上に食事までいただいてしまい、大変ありがたく思います。お礼にといってはなんですが何か村の手伝いでもさせていただければと思うのですが」
龐棐さんがみんなの器を回収しながら言うと「じゃあ移木式の準備を手伝っとくれ」と〈子孫の森〉の方向を指差した。ちょうどキリとカシワが訪ねてきて、キリに道案内を頼むことになった。僕は昨日行ってるからわからないこともないけど、ここはどこ見ても森だからたどり着ける自信がなかったので助かった。
〈子孫の森〉にはそこそこ人がいた。木を組んで舞台か何かを作っている大人の集団と、昨日観客席として並べた丸太に座って作業している人たち。僕らの姿を見て数人があからさまに嫌そうな顔をしたのに気がついた。みんながツタさんみたいに歓迎してくれるってわけじゃないんだ、なるべく集団で動くようにして後は気にしないようにしよう。
任されたのは
「へえ、うまいね」
カシワの隣で草履を編んでいた男の子が手つきを覗き込んでつぶやいた。ふんわりした栗色の髪で、なんとなく顔立ちがここの人たちと違う。キリと同い年くらいだと思う。昨日までには見かけなかったなと思ったらカシワも見覚えがなかったようで「おにいさんだれ?」ときいていた。
「俺はカシワ。リトルリーフ出身の〈苗〉」
「え、あたしもカシワだよ」
カシワが声を弾ませた。
「お兄さんあたしと同じ木なの? すごいね」
「俺〈苗〉だから木はないよ。火事で焼けちゃったんだって」
「あ、そうか……そうだよね」
そうか、自分の木の種類が名前になるなら同じ名前の人がいてもおかしくないんだ。
リトルリーフはここから北東にしばらく歩いたところにある割と近い別の村で、移木式があるときいて〈苗〉を送ったらしい。祝いの品としてリトルリーフ特産の衣装を持たされたという。子供なので〈苗〉としてはまだ見習いにあたり、今日は大人の〈苗〉と一緒に来ている。
「近所の村で移木式ある時は、〈苗〉に祝いのプレゼント持たせて送る。習わしってか親交の証というか。いつもそうだよ」
キリが舞台を作っている男たちを指さす。
「あの半分はパインリーフの〈苗〉たちだ。よく米だとか農産物を持ってくる。うちからは果物や毛皮製品持って行ってる」
かなり屈強な人たちだが気さくな感じで、キリがひさしぶり、と手を振るとおーうと振り返してくれていた。
「パインリーフは昔病気でたくさんの木が枯れて、〈苗〉だらけでさ。何かあったらすぐ飛んできて手伝いをしてくれて。その代わり食糧や日用品を援助しないといけないけどな。引っ越してくる〈苗〉もいる」
だいぶ前だけど学校の図書館の本で読んだな。木の病気の中に葉っぱが枯れちゃうやつがあった。この病気は伝染しやすくて、感染した木は一刻も早く取り除かないとどんどん周りに広がっていく。
「あの人名前なんていうんだ?」
舞台の天板を木組みの上に渡している一人を指差して公正がきく。
「マツオさん」
「……」
……何か聞き覚えのある名前だな。公正がそのまま指をずらすと「その人はマツセさん」と返ってくる。
「松の木が多いから一音足して呼び分けるんだ。マツケさんとか」
「大変だな」
公正はなんでもなさそうに流しているけど頰がひくひくしている。笑うなよ。
カシワはリトルリーフの〈苗〉のカシワに編み方のアドバイスをしてもらい、すっかり仲良くなったようだった。シロツメクサで花の冠を作ってもらって頭に乗せたり、いつの間にか手伝いを放り出して遊びはじめてしまっていた。
キリは何やらこそこそと短い竹の棒を取り出してカシワから見えないように切り始めた。何をつくるんだろうときいてみたら「竹とんぼ」と返ってくる。
「誕生日プレゼント。だからまだ、内緒にしてて」
パコンと手元で竹が割れ、それをさらに細かく割ってから薄く削り始める。そうやって作るんだ。初めて見た。指が長すぎて小刀使いにくそうなのに器用だな。
「龐棐。レフトシティーにはああいう……〈力〉をもたない人たちって居たか?」
「いや、知らんな。あるのが当たり前だった。必ず検診で検査を受けることになっているが〈力〉なしという判定は新聞でも見たことないな」
「スカイ・アマングでも見たことあらへんで。〈力〉使えへんって人はたまにおるけど、キャンセラーつけとったり目立たへんだけやったり」
そうか、と公正はうなずいて作業に戻る。僕がじゃあ〈音〉は? と付け加えてきいたらそれもあって当たり前のものだと答えられた。試しにキリに〈音〉を送ってみたけどやっぱり繋がらなかった。昨日子に送るのとはまた違って送り先が無い感じ。ここは一体何なんだろう。
「修徒はその、〈音〉ってやつもできるのか?」
腹痛から回復して手伝いにきた喜邨君が縄をよりながらきいてきた。力加減がうまくいかないらしく、時々せっかくできた縄をぶっちぎっている。
「うん。なんかこう……テレパシーみたいな。頭の中を声が響く感じ」
「なあおい修徒。〈力〉使う時ってさ、どんな感じなんだ?」
氏縞も作業を止めて会話に入ってくる。
「地面にこう……力を送るっていうか力をこめるっていうか……」
言いながらつい〈力〉を注いでしまい足元からびゅんっと四角い柱が飛び出してそびえたち、慌てて解除した。村の人たちにはみつからなかったようだ。よかった。
「ねえ。君たちもしかしてフロントシティーの外の人?」
〈苗〉のカシワに聞かれて「そう」と答えかけてびっくりした。
「フロントシティーって名前知ってんのか?」
「色んな村に行くからね。君たちみたいな指の短い人たちも何度か見かけたよ。あそこにあるあの大きなもの、あれ飛行機っていうんでしょ。みんなそれに乗ってくるんだ」
「それどこで見たのー?」
「前に見たのはパインリーフだったと思う。木の病気が流行った後定期的に来るようになったんだって」
「その人にここの名前きいたのー?」
ひょい、と〈苗〉のカシワの肩越しに冬人さんが顔を出す。〈苗〉のカシワはぎょっとしたように身をひいた。びっくりさせてごめん、そういう人なんだ。
「うん。みんな物知りなんだ。この国のほかに国があって、指が短い人たちはそっちにたくさん住んでるんだとか、飛行機みたいな複雑な機械が色々あって便利なんだとか色々きいた」
「僕も知りたいなー。後で教えてもらおー!」
「待って」
冬人さんあんたはフロントシティーの人じゃないでしょうが。指の短い人の国の人でしょうが。え、なんでー? って感じで首を傾げてくるので頭をかかえた。
「冬人さんはどこ生まれなの?」
明日香がきくと「こうじょー!」と元気に答える。
「……あのね、何かの機械部品じゃないんだから」
「うん! 自動車のねータイヤ部分でねー?」
「ぐるぐる回ってたの? ご苦労さま。……もー、そうじゃなくて」
「冬人。ナーガ・チェス。テツロウさん。違う?」
「テツロウさんー? ちょっと一緒に住んでただけだよー」
そういえば冬人さん、ここの人にヒイラギって呼ばれてるよな。でも指は僕たちと同じで長くないし〈音〉はなくても〈力〉はあるし、ここの人ではなさそうだし……。
「しゅーと君はー?」
「僕? 僕は日本生まれですけど」
「ショータはバックシティーで生まれたんだよー?」
「誰ですか」
冬人さんは何も答えず、にこにこと舞台を作っている人の方へ歩いて行った。冬人さんが座っていた席にはいくつか丁寧に編まれた草履があった。一応真面目に作ってはいたんだな。
「俺生まれも育ちも愛媛」
「俺も俺も」
「我輩もだ!」
喜邨君たちが我も我もと手をあげる。愛媛といっても日本といってもやっぱり〈苗〉のカシワさにはよく伝わらなかったようで、「えっと……地域名?」と困惑したように頭をかいた。
「喜邨作るの上手くね? 俺横細くなっちゃうんだけど」
「小学校ん時に図工の授業で作った。そこ、横はゆるゆるでいーから寄せる時にしっかり寄せる。そうしたら幅広で強度のある草履になる」
「あー! 家からチラシ持って行って何か作ろうってやつか! 喜邨が行ってた小学校は作るもの決まってたんだな。あれ何年の時だっけ」
「一年か二年の時だろ。氏縞はしょぼい剣なぞ作っていてな」
「お前も剣だったろうが曹。細いの作って俺とチャンバラして折れた」
「貴様のはデザインがいまいちだっただろう。もっとこう美を求めてだな」
「剣は戦いの必需品だ、形がいいとかより実用性の方が大事だろ」
懐かしいなと笑いあい、そういえば図工の授業でお面作ったよなとかいう話にうつっていく。僕は何を作ったっけ……。
……あれ?
止まっていた作業を再開し、改めて記憶をさぐる。どんなの作ったか全然覚えがない。小学校の時友達の家に遊びに行ったらたまに飾ってあったあれのことだってことはわかるけど、自分の家にはあったっけ。作った覚えすらないんだけど。
「えー面白そう。私も作ってみたいな」
明日香のつぶやきを、ちょうど様子を見に来たケヤキさんがきいてちょっとにこっとする。
「そりゃちょうどやかった。草履はそろそろ数が足りるから、舞踊で使う仮面作りを手伝ってくれる?」
二時間後。僕らの手の中には変なお面がそれぞれに収まっていた。木枠を作るのが誰もうまくいかず、そこだけ全員ケヤキさんに作ってもらったのでベースは同じはずなのに全然違うものができた。曹は一本ぶっとい角が額から生えているし氏縞は何本も角が生えて牙まで生えていて、いったい何を作ろうとしたんだ状態。明日香もまゆげがゲジゲジしてヒゲの生えた得体のしれない生き物の顔になっている。喜邨君は意外と上手くて、でも口の部分を粘土で覆ってつぶしてくちばしにしてしまっていた。人間の顔作る気無いなこの人たち。僕? 僕がどんなの作ったのかは内緒だ。
「どうだ! 小学校の時よりずっとうまくできたぞ!」
「角は一本! 小さい角がたくさん生えているより強度が高くて実用性もいいだろう!」
「たくさんあった方が格好いいだろ、一本とかシンプルすぎる」
「一本の方が敵に狙いをつけやすいのだ!」
曹よ。お面をいったい何に使うつもりなんだ。
「可愛くするの難しいね」
栄蓮が作ったお面が一番人間っぽくて、分厚いくちびると太い髪の毛が目立っていた。本人はあまりお気に召していないようだけど上手だと思う。
「シュウが行ってた小学校ではこういう授業やらなかったの?」
「あ、うん。やった覚えが無いから多分やってないんだと思う」
目の前の惨状から必死で目をそらす。僕が作ったお面の出来は内緒だ。
「んと、俺は修徒の作った仮面、それはそれでいいと思うけど」
縁利に気をつかわれて逆に落ち込む。いまいちなら見なかったことにしてくれ。
材料に使った粘土は〈弔いの森〉で取れる特殊な粘土なので、できたお面は一日置けば十分乾いて硬くなるのだという。乾燥台に並べて置く。硬くなったら地面に叩き落として壊してしまいたい。
ツタさんの家で昼食をとった後、喜邨君に呼び出された。「ちょっと話あるから。後で行くわ」と公正に伝えて僕らだけ洞窟に戻ってきた。何だろ話って。話題に心当たりがない。作業しながらじゃできないんだろうか。みんな一緒に手伝ってるのに、僕らだけ抜けてくるなんて悪いじゃんか。
寝室にしている場所に入るなり目の前に拳が飛んできた。避ける暇もなくガスッと頰にくらって地面にひっくり返る。
「何すんだよ」
声を上げたら踏みつぶされそうになりあわてて逃げる。背中を蹴り飛ばされて岩壁に激突した。そのままもう一発背中にドン、と蹴り込まれ息がつまって座り込む。ダメだ、立たなきゃ、逃げないと。あの重さで踏まれたら……!
「何すんだ、だあ?」
腕をつかまれて引き寄せられ、地面に叩きつけられる。必死で転がって足を避け、またつかまれそうになる腕を引っ込める。ギロ、と喜邨君の目が光る。とんできた拳を避ける。数発目が肩にあたり、一瞬腕の力が抜けた。
「俺たちは向こうに帰りたいやつのためにできることをしたいと思って旅をしてきた。一緒にいて、色々きいたり調べたりするのを手伝って、そうしたらきっとそのうち帰れるし帰せると思って旅をしてきた。お前もその一人だと思ってきた。それがこっちの人間だったとはなあ」
「違う、僕はここの人じゃない」
ふいに突っ込んできた蹴りを避けられず、腹にまともにくらってふっとばされた。壁で背中をうちつけて足から力が抜け、その場にくずれる。げほげほと咳がとまらない。逃げなきゃ、焦るけど足が動かず這うように移動する。立たなきゃ、この体勢じゃ踏まれる……!
「ここの人じゃねえって? ふざけんじゃねーぞ」
とっさに体をねじって避け、ふらふらと立ち上がって洞窟の出口を探す。方向がわからなくなってる。どっちだったっけ。
「俺らは銃も使えねーし〈音〉だとか〈力〉だとかそういうもんは持ってねーんだよ。お前がこっちの人間じゃなくてそういうの持ってるとか、不公平だろ。ありえねーよ」
迷っていたらまた頰を殴り飛ばされる。ああここ一番奥だ。こっちに出口はない。
地面に転がったまま動けずうずくまる。やばい、喜邨君が来た。這って逃げようとしたところを蹴り飛ばされ、肺の空気が全部出た。すぐにドンっと次の衝撃が来る。胃の中のものがせりあがり吐き気をこらえている間にまた蹴り飛ばされる。そうだ、ご飯食べたばっかりだった。胃液を飲みこみ立ち上がろうとするが気持ち悪くて立てない。近づいてきた喜邨君の足をひっかけてこけさせる。今だ、逃げよう。
立ち上がったはいいが早くは動けずすぐに捕まった。腕をねじりあげられそのまま投げられ、地面にたたきつけられた後ひろいあげられて今度は岩壁に押し付けられる。抵抗しようにももう体に力がはいらない。息が苦しい。
「さーて修徒。……目ぇ開けろ」
無理やりまぶたをこじ開ける。苦しいと思ったら首を押さえつけられている。
「十秒以内に答えろ。俺たちをこっちに飛ばしたのはてめえか?」
「ちが……う……」
「じゃあ誰だってんだ」
「しらな……」
ごすっと音がしてどこかを殴られた。首を押さえている手に力が入り始める。
「くるし、ちょっ……」
「明日香と公正は違うってわかってんだ。あいつらついてくる必要もねーのに一緒に来て色々してくれてるからな。けど。お前はどうだよ」
「僕だって帰りたいに決まって、ぐぅっ」
「全然見えてこねーんだよ。帰りたいって気持ちがな。帰そうとしてるようにも見えねえ」
必死で腕をうごかし、喜邨君のでかい腹に一発あてる。でも本当にただあたっただけで全然抵抗にならなかった。視界が一瞬ぼやぁっと曖昧になって、慌てて息を吸い込む。やばい、助けて。誰か。
そうだ、銃がある。あれまだ弾残ってたっけ。腕をだらんとたらしたまま手首をまわしてポケットをさぐる。無い。カバンに入れたまま今朝は持ち出さなかったんだ。
「とっとと俺らをあっちに帰せ。何が目的か知らねーが、俺たちを巻き込んでんじゃねーぞ」
喜邨君の足元に集中する。駄目だ、それは駄目だ。僕はそれをちゃんと制御できないんだから。でも。ぼこりと柱がわずかに頭を出す。
「聞いてんのか」
ごすっと胸に一発めり込んで首をしめられたまま咳き込んだ。さっきできた物体は一瞬で霧散する。また一発蹴りを入れられて視界がかすむ。苦しい。誰か、誰か……!
「何をしているっ!」
低い声が響き渡り急に解放された。
足が立たずその場に転がり、必死で息を吸う。急ぎすぎてつばを吸い込んでしまって
「修徒、落ち着け、ゆっくり、ゆっくりだ」
とんとんとリズムよく背中をたたかれてようやく息を吐き出す方を思い出した。吸ってばかりだった。息できないわけだ。呼吸を整えながら声の主を見上げる。龐棐さんは片手で喜邨君を転がし、壁際においつめていた。
「何をしていた」
「何って。見ればわかるだろ? うさばらしだ」
「うさばらしで仲間を殺すのか? 修徒はサンドバックではないぞ」
「うるせえ、こいつが俺らをこっちに連れ込んだに違いねーんだよ! 他のやつら色々帰るの協力してくれてんのにこいつだけへらへらしやがって」
「だからそれは僕じゃないって!」
殴られたところがずんと重たい。あちこちに打ち付けたので足にも腕にも青あざが浮いていた。
「龐棐お前も見ただろ! クリスっていうアンドロイド! こいつあのアンドロイドに指図してたんだぞ! アンドロイド使って何かしたんじゃねえのか! アンドロイドで向こうに渡れるなら、何であいつにそれさせねーんだよ!」
「クリスはもう向こうには渡れない」
公正が洞窟に入ってきた。ちらっとこっちを見て目があったがすぐにそらされる。何か言いたげだったけど何だろう。
「H型に支給された渡る機能は一回限りだ。標準装備タイプのアンドロイドじゃないし、標準装備タイプは初期不良で全部廃棄されて実際に動いてるやつはもうない」
その時にベースのA型は全部廃棄になったはずなのにまだ残ってたりするし、断言はできないけどな、ともごもご付け加えてから「クリスに渡る機能はもうない」と繰り返す。
「こいつが! こっちに来る時にクリスってやつに渡らせたんじゃねーのか! どうなんだよ!」
「一回だけだって言っただろ、クリスは向こうに渡った時にもう使い切ってんだよ。クリスも修徒も、おそらく他のやつが渡る時に一緒にこっちに戻ってきてんだよ。お前らわざわざ連れ込むわけないだろ、理由がない」
「じゃあ公正お前かよ、物知り顔しやがって」
「喜邨。お前ちょっと頭冷やしてこい」
龐棐さんが喜邨君の足をひっぱりあげて洞窟から引きずり出す。あっちに川がある、と公正。龐棐さんは喜邨君をひきずってそっちへ出て行った。
「大丈夫か、修徒」
「なんとか……」
「俺の貸すからとりあえず服着替えろ。しんどいだろ、ゆっくりでいいから」
ありがと、と投げられたシャツを受け取る。泥だらけになったシャツを脱ぐと背中に血がついていた。壁で擦ったんだ。気づいたらヒリヒリしてくる。このまま着たら公正の服を汚しちゃうな……。
「シュウ遅い、なにして……きゃあああ!」
「うわっ?」
「ちょっと! 着替えてるなら言ってよ!」
「いつ言うヒマがあったんだよ! 上脱いでるだけだから! 大丈夫だから!」
おそるおそる明日香が顔をあげる。顔が真っ赤だ。逆に僕の方が恥ずかしくなってくる。いや上半身見られたからってどうってことないんだけど。
「ごめ、背中擦りむいちゃって……。絆創膏(ばんそうこう)か何か貼って欲しいんだけど」
「浅いけど範囲が広いからガーゼ貼っとくね。どうしたのこれ」
「ちょっとケンカした」
本当はちょっとどころじゃなかったんだけど。もー、とため息をつきながらぺったりつけてくれた。これで安心。明日香には一旦外に出てもらって上下両方着替えた。……あんまり身長変わらないと思ってたのに服のサイズがちょっと大きい。何か悔しい。
「ほっぺた腫れてる」
「殴られた」
「待ってて」
また明日香の手が光り、空中に氷のうが出現する。ただしぺったんこ。全然冷たくないので中をのぞくと空っぽだった。
「あー……。ごめん、もうちょっと待ってて!」
川の方へ走って行った。そうか、明日香は入れ物は作れても中の物までは出せないんだ。
起き上がっているのがつらかったのでカバンを枕に横たわる。くそ、蹴られたとこまだ痛む。あンの馬鹿力……。
そのまますぅっと眠たくなり、目を閉じた。
話し声がうるさくて目が覚めた。聞いていると朝靴は右から履くか左から履くかとかいうものすごくどうでもいい言い争いだった。氏縞と曹か。まだ体のあちこちが痛むのでゆっくり起き上がる。みんな帰ってきたんだ。午後の手伝いさぼっちゃったな……。
すぐ近くで明日香が岩壁にもたれて眠っていた。正座のままで足しびれないのかな。……って位置的にそこ、僕の頭があったとこじゃないですか明日香さん? まさか膝枕されてた? 氷のうも近くに落ちていて、う……んこれたぶん。いやいやいや。寝てる明日香かわいいなあ……じゃなくて。ええと。
「修徒起きたんか? カレーうどんみたいなんあるで」
「はーい」
みたいなのって何だろうと思いつつ器を受け取り、ついでもらう。見た目はカレーうどんだしにおいもカレーうどんなんだけど……。あ、麺がもっちもちだ。おいしい。あまり辛くない。
「なあなあ、カレーうどんどや? どや?」
いきなり隣に座ってきてぐいぐい体をくっつけてくる。ドン引きしながら「おいしいよ」と答えてぐいっと両手で押しのけた。ん、なんか酒くさい……? 見ると手には大きめの瓶といつも水飲む時に使っているコップがあった。瓶の中身は半分も残っていない。っていうかそこまで見なくても顔が真っ赤だ。酔っ払いだ。
「明日香にきいて作ってみたんやけど。我ながらようできた思うんやけど! 最高やろ? な? な?」
「……今日破、それお酒?」
「うん、ツタはんとこでもろてん。修徒も飲む? 飲むやろ? うまいねんで〜」
「未成年に飲ませるな」
太い声と共にゲンコツが降ってきた。殴らんでもええやろ、わかっとるしと龐棐さんに抗議してふらふらと座っていた場所に戻る。「今日破かんぱいー」と冬人さんがコップを突き出し、かんぱーい! と勢いよくコップをぶつけて二人で一気飲みする。
「龐棐飲まへんのかー?」
「飲まん。いらん」
「飲めないのー?」
「飲めるがいらん!」
「えー」「えー」
「しょうがないなー二人で飲もうー!」
「ふゆひろはん仲間やー」
「なかーまー!」
また勢いよくコップをぶつけ合う。いつから飲んでんだ、今日破はもうろれつ回ってないし冬人さんは寝そうになってるし。
「冬人は〜ん!」
「今日破〜!」
「かんぱーい!」「かんぱいー!」
「冬人はんカレーうどんどやあ? うまいやろ?」
「えへーおいしかったよーさっきも言ったー!」
「かっさんのとどっちがうまいやろなー」
「どっちだろー。お肉入ってる方が僕はすきー!」
「俺もや! 冬人はん仲間やな! 乾杯!」
「かんぱいー!」
喜邨君はずぶぬれのまま隅でふてくされていた。まだ僕が何かして喜邨君たちを巻き込んだと思っているようで、時々目があうと思いっきり睨まれる。
「なあ、氏縞、曹。お前ら元の世界に戻りたいか?」
当てつけのように二人にきく。
「当たり前だろ。クラスのやつも、先生も父さんも母さんも心配してるだろうし、早く帰って安心させたい」
「もうあきらめちまってるかもしれないけど俺は会いたいし、前みたいに一緒に過ごしたい」
お前は、と流れで聞かれて「僕も早く帰ってみんなを安心させたい」と答えたけどどこかに書いてあった文章を読み上げたような、空っぽな感覚があった。本心じゃないみたいな。そんなわけない、僕の母さんと父さんだって心配してるはずだし……。
あれ?
麺をすくいあげたまま手が止まった。
母さんの顔を、僕はもう覚えていなかった。
お昼にがっつり寝たせいかなかなか眠れず、焚き火の番を今日破と代わった。今日はは酔いつぶれて寝てしまっていた。一緒に飲んいでた冬人さんも近くで顔を真っ赤にしていびきをかいている。ぱちぱち爆ぜる火の粉を眺めながら壁によりかかる。
昨日はまだふらふらしてたけど今日は元気そうだったな冬人さん。明日はカシワの移木式に参加して……明後日には出発だろうか。どこへ?
ここには長くはいられない。それは確かだ。けどレフトに戻ればリウロンに見つかる。スカイ・アマングは……。戻ったところで何ができるのだろう。やっぱりライトにいくしかないんだろうか。ライトに行くのが嫌なわけではないけどどうしてこうも不安なんだろう。
帰れるのかな。
退屈なので普段は考えないようにしていることも考えてしまう。アンドロイドが向こう側にこっち側をつなげた原因で、その時に僕らは巻き込まれてこっちに来てしまったから、また繋げて戻るためにアンドロイドが必要で、でもまた起こらないように他のアンドロイドは全部処分しなきゃいけなくて、けどアンドロイドには種類があって渡れるアンドロイドはその一部でってとこまではわかったけどその渡れるアンドロイドがどこに居るのかとかどうしたら渡るための一人に協力してもらえるのかとか、全然わからない。最悪見当たらなくてずっとこっちで生活することになるのかもしれない。
「あれ、今日修徒だっけ」
「うわ」
うわって何だよ、公正はつぶやきながら近くに座る。公正も眠れないんだろうか。
しばらく黙ってパチパチ跳ねる火の粉を眺める。
「なあ、公正。アンドロイドには種類があるんだよな。A型っていう機械ベースのとH型っていう人間ベースのとまず分かれてて。H型の一部に向こうに渡る機能がついてるやつがいるんだよな?」
「ああ。その渡る機能標準装備のやつが六年前に集団暴走を起こしたアンドロイドなんだってさ。俺がきいてたアンドロイド全処分ってのは、その新H型の話っぽい。あとは最新じゃない、渡る機能なしの旧H型に試験的に一回だけ渡れる機能が配られたらしいから、俺らを巻き込んだのはそのタイプだろうな」
「えっと、僕ら巻き込んだのはお試し版使ったアンドロイドってことであってる? 回数無制限版持ってるアンドロイドは全部処分されてもういないってことで」
「ああ」
世界を渡る機能。そんなのどうして作ったんだろう。誰かが向こうに渡ろうとしてアンドロイドにその機能をつけたんだろうけど……。ってことはアンドロイドを作った人で渡りたかった人が居たんだな。そのためにアンドロイドを作った……にしては他の機能が多い気がするし。そもそもどうやってアンドロイドにあんな〈力〉みたいな機能をつけてるんだろう。どうして向こうに行きたいと思ったんだろう。
「アンドロイドってどうして作られたんだい」
「俺が知るか」
「誰が作ったとかは」
「さあな」
「公正何かアンドロイドに詳しいから知ってるかと思ったんだけど」
「トーマスとアントニオにきいた。こっち来てから」
なるほど。あきらめてひざを抱える。そこまで知ってたら手っ取り早いのに。
「ライト・シティーに詳しいアンドロイドが居るらしいから、そいつに会いに行く。後は渡る機能作ってる施設があればつぶして、作ってるやついればやめさせて、一回分のやつ持ってるアンドロイドはどこかが管理してるはずだからそこから全停止させる。これからの予定はこんなもんだな」
「ライトってどんなところなんだい」
「俺も行ったことないからとにかく砂漠ってきいてことがあるだけなんだよな」
「昔レフトと戦争してたって」
「昔ってほどじゃない、まだ十年も経ってないぞ。結果はレフトの勝利で、ライトにはレフトの駐屯地があちこちに残っているらしい」
「へえ。じゃあ龐棐さんはそこで回収されるかな」
「早く回収されて欲しいな」
「おおい」
「冗談だ」
笑って、ふあっとあくびをする。僕もつられてふあ、と声をもらした。
「おいおいまだ寝るなよ。当番なんだろ」
「いや、当番は今日破。僕が眠れなかったから代わったんだ」
「でももう眠いだろ、俺代わるわ」
「公正が先にあくびしてただろ」
しばらく僕が俺がと押し問答しているうちに焚き火はだいぶん小さくなっていた。まだ薄明かりもなく、真っ暗なのに公正はその火を消そうとする。
「公正、危ないって。オオカミ来たらどうすんだよ」
「喜邨でも置いとけばいいだろ。ちょうどそこに居るし」
「え、いやえーと、……うん」
火はすぐに消えて、二人で重たい体を頑張って転がす。喜邨君、全然起きない。
焚き火の隣に置いといて寝る部屋に戻る。
じゃあおやすみ、公正はそう言って壁にもたれて目を閉じてしまい、僕も適当な所に寝転がって目を閉じた。ひきずりこまれるように眠気に吸い込まれて深い眠りに落ちた。
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