16日目:ツタ長老

 公正が叫んでいる。炎に一度包まれた後、おさまって半分消えたかまどの火の中の残骸を掘り出そうとしては昨日子きのこにひっぱり戻される。再び喜邨きむら君にがっしり拘束され振りほどこうとわめいて暴れ、だんだん疲れて諦めたように抵抗をやめた。頰を涙が伝うのを見て、ようやく僕も何が起こったのか理解した。

 アントニオは死んだのだ。

 時限式デリート、と口の中でつぶやく。H型アンドロイドの体は修復機能の副作用でだんだん機械に浸食されやがて脳に達する。そして全て機械に置き換わるとデリートされる……自己処分って感じの言い方だったけどそうじゃない、機能を保てなくなって崩壊するのだ。

 つかさが火箸で燃えかすを拾う。色んな部品がとけてくっついたような金属塊にしか見えないが確かにさっきまでアントニオの体のパーツだったはずのものだ。ほとんどこれになっていたなんて信じられない。どう見ても人間だったじゃないか。そこに無い空を眺めるような目で、さっき一緒に上を見上げたじゃないか。さっきまで、そこで。

 公正が曹からパーツを受け取る。ぎゅっと一度握り込むとすすと機械油で手が真っ黒になった。

 かまどの火を消し、残骸を拾い集める。バラバラになって一つとして原型をとどめていないがほとんどが焼け残り、人間一人に少し足りないくらいの体積の金属塊を回収できた。その中にひときわ大きい部品を見つけて拾いあげる。……アンドロイドの腕についている、操作盤だった。ボタンそれぞれに名前が貼られているがアルファベットなので読めない。

「〈プロテクター〉、〈フロート〉、〈ライト〉」

 明日香に見せて読んでもらうと聞き覚えのある名前だった。クリスのと同じだ。アントニオが押したオレンジのボタンは確かスイサイドボタン、だっけ。

「アントニオは……。脳が浸食されて暴走する前に、自殺したんだね」

「え」

 デリートされたんじゃないのか。明日香がオレンジのボタンを指差す。

「それ、自殺ボタンだよ」

 思わず操作盤を取り落とす。慌てて拾いあげ、もう一度見直す。オレンジのボタンは押し込まれたまま戻っていない。

「あ、おい」

 喜邨君の声が遠くで聞こえてガツッと鈍い音がして、視界がぶれた。殴られた、とわかると同時にもう一発を避けて逃げる。曹と氏縞しじまが「やめたまえ」「やめろって」と口をそろえて止めにかかるが公正は止まらない。かまどの周りを逃げ回り待ち構えた喜邨君に再び捕まった。

「修徒悪い、押さえ込み甘かった」

「いやいいよ、ありがとう」

 喜邨君の体重に半ばつぶされながら公正はまだ暴れている。「それ。渡して」と昨日子に言われて公正に操作盤を差し出すと奪い取るように乱暴に取り上げられた。そして何かつぶやきながらうつむく。また泣いているようだった。喜邨君は公正の肩をがっちり拘束したまま離そうとしなかったが公正は今度こそもう抵抗しなかった。

「……何なの、これ」

 ケヤキさんとヤナギさんが不安げに残骸を見つめている。他の人も我関せずという態度をとりつつ気になるのかチラチラと視線がとんでくる。しまった、一部始終を見られていた。

「その問いには答えられない。……だが我々はあなた方に危害を加えるつもりはない。どうか、信じてほしい」

 龐棐さんの返答にも不信感を隠さずまゆをひそめる。ケヤキさんが「ちょっと、うちにはもう泊められないわね。……悪いけど」と目をそらす。ヤナギさんも首を振る。

「〈弔いの森〉に洞窟がありますから、そちらでお休みになってください。森主様に裁かれるかもしれませんが……本当なら出て行ってほしいところです。ヒイラギに免じてそこの利用は認めましょう。でも、早く出て行って」

 かたじけない、と龐棐ろうひさんが頭を下げる。ケヤキさんとヤナギさんはひそひそ話しながら自分の木へ戻って行った。

 しばらくして他の人たちも自分の家に帰り、僕らだけになった。真っ暗になったかまどに小さな火をつけて、その明かりを頼りに龐棐さんが金属塊を組み合わせ始める。冬人さんもふらつきながら手伝い始めた。

「何をするんだ」

 喜邨君に押さえ込まれたまま睨む公正に龐棐さんは「お前も手伝え」と手招きした。



 周囲が明るくなってきた。日照装置がもうすぐここを照らし始める。もう朝だった。

 かまどの前の丸太にもたれて、昨日子たちが眠っている。栄蓮えいれんの隣で眠る縁利えんりもキャンセラーを腕につけて熟睡している。途中まで明日香も起きていたが冬人さんが早々にダウンして布団にもどることになり、そのタイミングで限界が来たのか寝てしまった。曹と氏縞は喜邨君とかまどの向こう側で寝ている。

 作業は龐棐さん主導で公正と今日破が手伝った。僕はなぜか触らせてもらえなかった。表面を布で拭きあげて油とすす汚れを取って仕上げ、朝日につやりと輝いた。

「完成、と……」

 できあがったのは龍の像だった。ナーガ・チェスの街角にあった、あれに比べてひとまわり小さく、形もちょっと変だが長い鼻面、二本の角、畳まれた翼はそっくりだ。

「ナーガ・チェス式のアンドロイドの弔い方だ」

 龐棐さんが微笑む。

 じゃあ、ナーガ・チェスの街角にチェスの駒みたいにたくさんあった龍像は。

「あれも全部、アンドロイドの残骸でつくられたものだ。……ナーガ・チェスの民はアンドロイドの永住を認める代わりに、アンドロイドは死後もナーガ・チェスを守る。……六年前、アンドロイドが急に増えた時期にそんな盟約が交わされたらしい。先日図書館で仕入れたばかりの知識だがな」

 公正が額を像の背につける。祈るように目をつぶる。

「……行き場のなかったアンドロイドたちを、受け入れてくれてありがとうな」

 公正の言葉に龐棐さんが目をしばたかせたが特に説明はない。しばらくそうしてじっと何かを祈っていた。

「さて、洞窟とやらに行くか。すっかり夜があけてしまったな」

 広場の周りの木の上からはもう生活音が聞こえている。〈弔いの森〉でしたっけ、と答えながら喜邨君を起こす。食事の時間と勘違いして大騒ぎしてくれたので曹と氏縞を起こす手間が省けた。

 眠ったままの縁利を昨日子が、同じくまだ寝ている栄蓮を明日香が抱いて広場を離れる。冬人さんはいつの間にか布団からいなくなっていた。



 どこかで鳥の声がして、目を覚ました。手元に時計はなく薄暗い。どこだっけ、とごつごつした岩肌をなぞるように光源を探し、洞窟の入り口が見えた。ああ、〈弔いの森〉の洞窟だったっけ。入り口の光を遮るように誰かが立つ。動作でスカートがふわりと揺れて、……慌てて跳ね起き、極力何食わぬ顔を意識して「おはよう」と明日香に言った。見てない、僕は何も見てないですとも? 寝起きに突然負荷をかけたので腹筋に変な感じがする。

「おはようシュウ。もう昼だけど。睡眠はとれた?」

「うん。ありがとう」

 下に半ズボンとか、何か履いて欲しいけど僕が伝えるわけにいかないからどうすればいいんだろう。

「さっきヤナギさんのお子さんが来てね、ツタ長老の家に案内してくれるっていうから。起きてたら一緒に来て欲しいと思って」

「行くよ、ちょっと待って」

 適当に髪を手でほぐして整える。ちょっと伸びたかもしれない。

 ヤナギさんのお子さんは縁利と同い年くらいだった。キリと名乗る。妹のカシワは栄蓮より年下だった。けれど並んで話している所を見るとどうにも縁利がだいぶ年上に見える。〈力〉のせいなんだろうな、と眺めていて思う。キリやカシワはどんな〈力〉を使うのだろう。そういえばヤナギさんやケヤキさんの〈力〉もまだ見ていない。

「案内するよ。ついてきて」

 そう言うとキリはいきなり近場の木をするする登っていってしまう。カシワも続いて長い手指を駆使して登っていく。そのルートだとは思っていなかったのでまず僕らはポカンと見上げ、おずおずと細い幹に手を伸ばした。

「いや、俺できねーって」

 喜邨くんが早々にあきらめて木から離れる。曹は既に一つ目の枝まで上れているが、木登りはみんな平均的に経験が無いのでもたもたと時間がかかる。氏縞が続いて登り、枝の強度が心配なので曹が別の木に飛び移ろうとするもこれまた難易度が高くなかなか跳べない。

「曹! 怖気おじけ付いたのか?」

「貴様こそやってみせろ!」

「お前をたててやってんだよ、まずは上に立つ者が手本を示すべきだろ」

「その我輩が先に業を披露することを許可しているのだ、貴様の能力を示せ! 出し惜しみするな!」

 なかなか追ってこないのに気づいたキリが戻ってきて「何やってんの」とため息をつく。

「そんなんじゃ日が暮れる。早く来い」

「……キリといったか。俺達には木を伝って行くのは無理だ。陸路で頼む」

 龐棐さんの返答に、今度はキリがポカンとしてから僕らの手の形状に気がついた。不思議そうな顔をしながらしげしげと眺め「何だそれ。変な形だ」と言いながら木を滑り降りてくる。僕らにとっては普通の手、変だと言われるのもう慣れてきたな……。

「行きがてら何か質問、あったら言って。答えるよ。わかる範囲で」

 キリが歩きだし、さっそくカシワが「たびびとさんたちはどうしておててがちいさいの?」ときいていた。「おらも知らない」と答えて振り向き、縁利が「俺にきくな」と聞かれる前に答えていた。生まれつきだもんな。

「あの、森主って」

「もりぬしさまはこのむらをまもるおおかみさまのおかしらのことだよ!」

 カシワが元気に答え、私たちのお友達だよね! とキリとつないだ手をぶんぶん振り回す。あああうううんそうううさ、と声を揺らされるキリ。

「ツタ長老はどんな人?」

「この村の最年長者。村の歴史に詳しくて、知識豊富で、おらたちもよく助言もらう」

「ここの人ってみんな木の上に住んでるの?」

「……木の上に住んでないのか? 〈苗〉だったっけ」

「〈苗〉じゃないけど」

 カシワが先に首をかしげ、キリも眉間にしわを寄せる。つくづくここの常識から外れてるんだなと思う。会ったばかりの時より明らかに警戒されている。

「もうすぐだ。そこの大木」

 枝を広げた広葉樹につる植物が控えめに絡みついていた。なるほど蔦……。

「こんにちは。連れてきたけど」

 広葉樹にあいたうろを拡張するように木造の小屋が作られていた。人が四、五人入れば窮屈になるだろうくらいの小さな小屋で、中から声だけ返ってくる。二言三言話して「入れって」中に案内された。けど僕らは十二人、ツタさんの方があきらめて小屋から出てきてくれた。百はいってないだろうか、かなり年をとっていて顔も手足もシワだらけだった。指は長いがキリたちほどではなく、手足の親指の位置は僕らと同じだ。この数十年のうちに変わってきたってことなんだろうか……?

「なんじゃ、また戻ってきたのか」

 出てきて開口一番、冬人さんに目をとめた。……いつからそこに居た。

 冬人さんはへらーっと笑って「おひさしぶりですー?」と頭を傾ける。あ、覚えてないなこれ。

「それでお前達は? なんじゃ、ヒイラギの仲間か」

 冬人さんが首をふる。おい。

「木はどうした? 〈苗〉ではないとヤナギから聞いているが」

「えっと」

 氏縞が答えようとして言葉につまり、同時に答えようとしていた曹と顔を見合わせる。お前に合わせようと思ったのに、とお互いに顔に書いてある。

「持ってないのか。切られたのかの? 根っこから? どちらにせよ死刑じゃな。キリ、〈弔(とむら)い屋〉の手配を」

「キリ……〈弔い屋〉って?」

「処刑人。ギロチンを、操作する人」

 背筋が凍る。待って待って。訪問者を素性も詳しくきかずにいきなり死刑にしないで。

「この人たちは異世界の人。飛行機に乗って来た。機械とか電気とか使ってたって」

「なんじゃそれを早く言わんか」

 いつ言う隙があったんだよ、心の中で突っ込みつつ座り直す。

「ツタさんー。この人たちにここのこと教えてあげて欲しいんだー」

 冬人さんがにこにことこちらを指差す。お前が教えてやれ、の返事の途中でパッと姿が消える。……逃げた。前ここに来た時もそんな感じだったのだろう、ツタさんは一瞬驚いてから眉間にシワをよせて大きくため息をついた。

「……何がききたい?」

「この国のルールと、……どうして機械を捨ててこうなったのかを」


 キリとカシワには自分の木に帰ってもらい、ツタさんは国の説明を始めた。

 ここはフロントシティーであること。ライト、レフト、スカイ・アマングすべての国にとっては存在しないことになっていて知る者は限られている場所であること。同時にここに住む者にとって世界はここだけであり、ライト、レフト、スカイ・アマングの存在を知らないこと。

「始まりは我々の幼い頃と聞いている。幼児検診に〈力〉の検査が加わった頃じゃったか。安全対策という名目でな。ところがそこで誰にでも備わっているはずの〈力〉をカケラも持たない子供が稀に居た」

 へえ、と声が漏れる。公正も知らなかったのか興味深げに「それで」と続きを促す。

「その子供たちは親元に返されず、研究者のもと施設で育てられた後ここへ移住させられた。当時は前に栄えていた都市が滅んで、瓦礫(がれき)がれきしかなかった。なんとか生活をして、今の文化を築いた。この国に放り出した後、研究者はどこから見ているのか〈力〉を持つ者が現れれば回収に訪れるようになった。不思議なことに持たない者の子供は持たないことが多かった。いつ頃からじゃったか……。やがて新しい持たざる者の移送も無くなり、外を知らない者ばかりになって今に至る」

 公正がうなって腕を組む。

「〈力〉を持たない人ばかり集めて、何が目的だ?」

「さあ、それは。研究者は“〈力〉が無い”という言い方はしとらんかったがの。“世界の維持”“目に見えない未知の〈力〉”と言うのを聞いたことはある。じゃがそれも昔来た研究者が唯一言っていただけじゃから、彼の妄言かもしれぬし……」

 まあともかく、とツタさんは話を区切る。

「どうして機械を捨てたのか、という問いにはわしは答えられん。国は既に滅びていた。その状態から我々は食糧を得て獣たちと共生するために森を作り、畑を耕す生活を始めた。一人一本の木をよりどころとするのは森を維持し拡大するためにいつの間にかできたルールじゃ。無闇に木を切り倒す輩がでてきて、それを防ぐために」

「でも、木を育てるのって時間かかるし大変なんでしょう? 子供が生まれるまでに上に住めるような木が育たなかったら」

「だから〈苗〉という制度ができたのじゃ。生まれつき木を持たない子供は種から木を移植できるまで育て、子を産む親に提供する役割を担うようになった。〈苗〉は自分の木を見張る必要が無いから長期間自分の村を離れることができる。そこでこの国にある村々を渡り歩いて貿易も担うようになった……」

 そういえば昨日冬人さんに出したおかゆの材料の米は、〈苗〉の人が持ってきてくれていたものだったっけ。

「ヒイラギが来た時、〈苗〉だと思った。思ったが、どうにも妙だと思った。出身の村を言わん。植物の育て方を知らん。〈苗〉なら他の村から持ってきた品を何かしら携えてくるものだが、あやつは身ひとつで何も持っていなかった。……お前たちも、〈苗〉ではないのだな?」

 うなずく。外の、と続いた言葉を途中でやめたがそれにも頷いた。

「でも僕たち、なりゆきでっこちてきちゃっただけですから。冬人さんが元気になったら出て行きます。……しばらくすみません」

「なあに、追い出そうとは思っとらんよ。ゆっくりしていけばいい。木だけは、大事にしてくれるかの」

 うなずく。

 ずいぶん省略されたようにも思うが話はそれで終わりのようだ。ツタさんはキリとカシワを呼び(うろの中に糸電話が置いてあった。それで通じるのか)、ソファに深く腰掛けて目を閉じた。


「あたしね、あさってろくさいになるの」

 バスケットを両手で抱えて、先頭を歩くカシワが歌うように言う。

「ろくさいになったらね、じぶんの木がもらえるの! あさってからそこでせいかつするんだよ」

 ちょっとおとなになったあ、か、し、と言い慣れない言葉を区切って笑う。

「あのねあのね、あたしの木どんぐりがなるんだよ。たくさん!」

「え、いいなあ」

 栄蓮がカシワに並ぶ。いいでしょ、とカシワが胸を張る。

「とくべつにあたしの、いぼくしき、に、さんかすることをみとめます!」

「移木式?」

「移住する時、村のみんなが集まって祭やるんだ。祝詞詠んだり、踊ったり。他の村から人呼んで、競技会することもある」

「競技会!」

 曹の目がキラーンと光った。

「来たぜ……来たぜこの時が!」

「なんだよ」

「貴様を負かす時だ! ははははは我輩の素晴らしさをその目に焼き付けるがよい!」

「なんだと、俺は曹なんかに負けるつもりはないぞ!」

「曹なんか、とは失敬な! 氏縞、貴様そんなだから我輩に勝てぬのだぞ」

「いや負けたことないからな?」

 カシワとキリが困惑顔で見ている。気にしないでくれ、いつものことなんだ。

「競技会って何を競うんだ? 大食い大会?」

「お兄さんでかいから有利そうだな。けど大食いは競技にないよ。徒競走とか、玉入れとかさ」

 運動会みたいだな。

「木のぼりきょうそうもあるんだよ。にーに、はやいんだよう」

「言うなって、照れ臭いだろ」

 聞けば今までに何度も上位に入賞しているらしい。道理で案内しようとした時早かったわけだ。

「カシワ登るぞ、そろそろ時間」

「りょーかい! よその人、木にのぼってください!」

 え、急に言われても。とりあえず手近な上部そうな木に登る。誰かの木だと思うと枝を折らないように、葉をむしらないようにと気にし過ぎて登りづらい。地上から離れた枝までたどりついて座る。明日香や縁利たちもそれぞれ他の木に登っていた。……喜邨君以外。

「ねーえ大きい人ー! もりぬしさまくるからあぶないよ! のぼって!」

 喜邨君は途方にくれたようにカシワを見上げる。広場で一番丈夫そうな木の前にいるが手をかけようとしない。

「登れねー……」

 一同沈黙。だろうな、と納得してついため息をつく。その巨体を木の上にひっぱりあげるのはかなり骨だ。木が重量に耐えたとしても。

 どどどどどど

 地響きが聞こえてきた。音のする方向は枝に隠れて見えない。葉の隙間からちらちらと灰色の毛並みが見えた。オオカミ……!

「はやく! 木の上にいれば、もりぬしさまはなにもしないから! おひるごはんを持ってくだけなの!」

「だから登れねーんだって……」

 どどどどどど

 喜邨君からもオオカミの群れが見えたらしい。ひっ、と声をあげて幹をつかんだ。しがみつくが滑って落ちる。足があがってない。

 どどどどどど

 オオカミが近づく。喜邨君はまだ登れていない。必死で幹をつかもうとして手をすべらせ、ジャンプしては滑り落ちている。すう、とカシワが息を深く吸った。

 どどどどどど

 オオカミが下に来た……!

「もーりーぬーしーさまあああああ!!!」

 突然の大音量にキーンと耳鳴りがして枝から落ちかけた。カシワが真っ赤な顔で再び息を吸う。

「おーねーがーいーでーすー!!! その人、なかまー!!!」

 なかまー、なかまーと声が森じゅうに響き渡る。叫ぶカシワに目を見張る。声を出す度に周囲でバチバチと光が飛んでいる。それ、〈力〉じゃ……

「みのがして、あーげーてー!!!」

 カシワの言葉を理解したのかどうかわからないが、オオカミたちは喜邨君を避けて走っていく。オオカミの群れは大所帯で、数分灰色の毛並みで地面が埋まり、やがて抜けていった。

「……すごいね」

 木から降りてきたカシワに言うと、えへん! と胸を張る。あたしにしかできないんだよ。

「妹は〈木霊こだま使い〉だ。森主や賢者とも話ができる。……なあカシワ、その能力はあまり使うな」

「にーに、いっつもそう言う! わるい人につれていかれちゃうよって、ここにわるい人なんていないじゃない!」

「でも長老が」

「よそのくにからきた人につれていかれちゃうって? この人たちそんなことしないよ!」

「他の人だよ。きいたんだ。話してるのを。長老が電話をしてた。〈力〉を持った子供が居ますって」

「にーに、しんぱいしょうー。きにしすぎだよ」

 あたしたちもおひるごはんにしよう、と持っていたバスケットの布を取る。中には大量のサンドイッチ。これでもかと詰め込まれていて、五歳の子供の腕には絶対重かったと思う。

「何でこんなに」

「ままがね、大きい人はたくさんたべそうだからって」

 木にしがみついたまま固まっていた喜邨君がようやく我に返って座り込む。サンドイッチを渡されて無我夢中で食らいついていた。カシワは龐棐さんにもサンドイッチを大量に押し付けていた。一番背が高いからな。……断ってたけど。

 バスケットの中のサンドイッチは、大量にあるように見えて全員で食べるとあっというまになくなった。カシワは満足げに軽くなったバスケットを抱え、かえるね! と声をはずませて森に消えていった。

 残された僕たちはキリに案内されそのまま〈子孫の森〉に向かった。広場では僕らが乗ってきた飛行機が脇に寄せられ、丸太を切り開いて作られた椅子を並べ始めていた。

「何してるんですか?」

「カシワの移木式の準備だよ。こっちが観覧席で、そっちを競技場にするんだ」

「手伝いますよ。これ、どっち運びます?」

「ありがとう。じゃあ、そこにあるのをこう横に並べてくれる?」

 クワさんに了解、と返して公正に丸太の片端を任せて持ち上げる。え、手伝うのかみたいな不満顔のまましぶしぶ他の丸太の横に並べた。曹と氏縞は嬉々として競技場になる予定の範囲の石、枝拾いに励んでいた。

 丸太椅子を運び終わった後、竹の棒にカゴをくくりつけて玉入れの道具を作ったり石を積んで小さいかまどを作ったり他の手伝いもした。石と枝拾いにはずいぶん時間がかかっていたが日が傾いてきた(というより日照装置が移動して暗くなってきた)のをメドに曹達は先に帰った。僕はちょうど草履飛ばし用の草履を編むのを手伝っていたので置いていかれた。ちなみに終わらなかったので明日も手伝いだ。

「ひっどいな、待っててくれてもいいじゃないか……」

 見る限り誰もいないのをいいことにぶつくさと毒づきながら洞窟のある〈弔いの森〉へ向かう。僕だったら、僕だったら……まだやる事残ってる友人を二時間待……たないな、帰るなあ。

 早く戻らないと真っ暗になりそうだ。ちょっと期待して上を見上げたけどそこには月も星も無く、真っ黒な空間が広がるだけだった。小学校の合宿の時だったっけ、鈴虫か何かの虫の鳴き声を聞きながら星を眺めたっけ。ヒマだったから。そしたら明日香にカレーできたって呼ばれて。……ってそれたった二週間ちょっと前のことじゃないか。ずいぶん昔のことのように思う。あの時はいつも見る星空よりもずいぶん星がくっきり見えて空が近いなんて思ったけど、こんな風にただ真っ黒なだけだと距離感がなくて遠くも近くも思えないな。無いんだもんなあ。

「あんたたちかい、最近来たよそ者ってのは」

 凛とひびく、芯のある声に振り返る。長い髪をドレッドの三つ編みにした背の高い女の人だった。明らかに友好的ではない睨みつけるような目線を僕から離さず近づいてくる。思わず一二歩あとずさりながら「そ、そうですけど」と返す。

「木はどうしてんの? 〈苗〉じゃないんでしょ? 倒されたらあんたら、処刑だよ」

「〈苗〉じゃないけど、木は無いんです。木に住んでたわけじゃないので」

 この人はツタさんから話をきいていないんだろうか? 不思議に思いながらまた後ずさる。

「木が無い? じゃあどこに住んでんだよ。自分の木倒されて死刑になったから村を逃げ出してきたんだろ? ついて来な、刑吏(けいり)んとこに案内してやるから。ねえクルミ、今日の当番誰だっけ?」

 他にも人が居たのか。後ずさる足が止まる。ちょうど背に木の幹が当たった。頭上から「リンゴじゃない? まだ作業中かもよ、豊作だって言ってたし」と返事が降ってくる。

 今のうちに、と逃げようとしたところを「ほらさっさと来る」と腕をがっしり掴まれた。振りほどこうにも長い指がうまく絡んでびくともしない。じゃらじゃらと女の人の腕飾りが音を立てるだけだ。

「あの、」

「ん? 何か文句あんの」

 ありありだ。ちったあ他人の話を聞け。

「僕たち本当にこの国の人じゃないんです! ほら見てください、手の形も指の長さも足も全然違うじゃないですか」

「手足がちょっと違うから何だって? お前の手がおかしいのは確かだけどな、そんなことはどーでもいいんだよ。自分の木が無いお前は生きてちゃダメだ。」

 生きてちゃダメ。

 どこかで何だか安心したような、すとんと納得するような感覚があった。そうだ、僕がここに居ちゃいけない、いなくならなければ。見つからないように、いなくならなければ。僕がこの世界からいなくなる方法を、この人は持っている。

「木を持たないよそ者は災いを運んでくる。さっさといなくなってもらわなくちゃ困るんだよ」

 続く言葉の意味がよくわからないまま引きづられるように真っ暗になった森を進み、また別の木の下で足を止めた。

「さすがにもう作業はしてなさそうだな……。まだ寝てないといいけど」

 意外にも背の低い木で、女の人の身長の1.5倍くらいしかない。幹も細身でツリーハウスを支えるにはあまりにも弱い。

 きっとそうだろうなと思った通り女の人は木のすぐ後ろに建つ家に向かった。オオカミ対策だろうか、木で組んだ高台の上に建っている。

「リンゴー! ちょっといい、出て来てくんない?」

 ボコリとログハウスの壁の一部が向こう側に凹んでスライドし、こちらは色白の女の人が顔を出した。

「誰よこんな時間に、……ってココじゃない。何よ、らしくないじゃないこんな時間に来るなんて」

「急ぎの用があってね。悪いけど、今日の当番あんたでしょ」

「そうだけど……」

 あからさまに嫌そうな顔をしてココさんの肩ごしに僕の方に視線を投げる。一瞬目が合ったがすぐにそらされた。

「子供?」

「そ。ここじゃない他の国から来たから〈苗〉じゃないけど自分の木は無いって言うんだけどさ」

 イライラと顔横に下げた三つ編みをもてあそんでいた手が止まる。「それって……」再び僕に目が止まる。

「怪しいよね」

「うん。……ツタ長老が言ってたの一人だけだっけ、まとめて処理した方が確実じゃない?」

「リンゴにそこまで背負わせるつもりはないよ。なんとなくまとまりのある集団だったし、一人いなくなれば警戒して出て行くと思う」

「あの」

 やっと声が出た。唾を飲み込んで、緊張してからからになったのどをうるおす。何言おうとしたんだっけ、背が高めの二人ににらまれてじとりと背中を汗がつたう。

「ツタさんにしばらくの間ここに居ることを許可してもらってます。飛行機の修理が終わって燃料補給したら出て行きますから」

 ココさんはハァ、とため息をついてパンと僕の頰を叩いた。

「ツタ長老はいいと言ったかもしれないけどな。私たちは認めない」

 胸をり飛ばされ草地に転がる。背中を地面に打ち付けて衝撃で一瞬息を詰まらせた。げほげほとき込みながら高床のテラスを見上げる。あんなとこから落とされたんだ、草地じゃなかったら怪我してた。

 トン、トンと階段を降りる音がする。草で足を滑らせつつ慌てて立ち上がり走り出す。逃げなくちゃ、逃げないと殺される。真っ暗で道が見えず、木の根でつまづいて転んだ。その音に気づいたか背後でココさんの声が聞こえて焦ってしまい、脇の坂を転げ落ちた。あちこちうちつけたがうずくまっているひまはない。砂で滑ってまた転びそうになりながら立ち上がり、〈弔いの森〉の方向へ全速力で走る。助けて。早く戻らなくちゃ。あそこに戻れば、とりあえず喜邨くんや龐棐さんに守ってもらえる。

 別の木の根ですっ転び、濡れた草を踏んづけて滑り、石につまづいて転んだりしながら走り続けてようやく〈弔いの森〉にたどり着いた。洞窟に駆け込むが中は真っ暗で誰もいない。まさか、もう……。

 いや、みんな強いから捕まったということはないはずだ。今たまたまいないか、もう次の場所に移動しちゃったか……。

 ザリ、と土を踏む音が聞こえて洞窟の奥へ体を引っ込めた。手探りで自分のカバンを探し出し、流刑地でもらった拳銃を取り出す。見つかりませんように、見つかりませんように。撃たずに済めばいいんだけど。息をひそめて壁にはりつく。

 ザッ、と聞こえた足音はすぐ近くで、びりりと背中が硬直し反射的に銃を構えた。暗くてよく見えないがうっすら黒い人影が見えた。まっすぐこっちに向かってくる、と認識した瞬間安全装置をはずしてハンマーを押し上げ引き金をひいていた。弾丸は大きくそれて当たらず、慌てて二発、三発と立て続けに撃つがあたらない。来るな、いやだ、嫌だ。怖い、助けて。相手はどんどん近づいて来てもう目の前でだ。この距離なら当たらないわけがないから当たれ、願うように目をつぶって引き金を引いた。ドォン、と数発目にして反響音が頭にひびいてくらくらする。今度こそ倒したはず……。

 銃を下ろしつつ顔を上げて「ひっ」と喉がひきつった。黒いローブを着た人影は、確かに弾丸が命中したはずなのに目の前に立ったままだった。

「うわああああ!」

 思わず叫び声をあげて引き金をひく。がちゃん、がちゃん、何かがぶつかる音がするだけで弾が出てこない。しまった弾切れだ。踵をかえして洞窟の奥へ走り出す。違う、こっちじゃなかった。こっち側は行き止まり……。

「修徒様」

「うわああああ」

 来るな。来るな……! 腕を振り回して追い払おうとしたが黒いローブの人影にその腕をつかまれた。足で相手を蹴ろうとしたら腕を引っ張られて転び、後ろから抱きすくめられる。

「離せ、嫌だ、離せ!」

「修徒様。クリスです」

 ……聞き覚えのある声に手を止める。ローブの人影は僕を下ろし、フードを外して一礼した。薄明かりで顔がなんとか見えた。確かにクリスだ。

 クリスはポケットをさぐり、ライトを取り出してつけた。あまりの眩しさに逆にしばらく何も見えなかった。だからどうして他人の目に向けてスイッチオンするかな。

「怖がらせてしまってすみません。この土地の方はよそ者を嫌うと聞きまして、闇に紛れた方が良いとの判断で……」

「いや……。こっちこそごめん。あの、僕が撃ったの、当たらなかった?」

「当たりました」

「ええっ? ご、ごめん! ……大丈夫なのか?」

「どちらも貫通でしたから。痕はもう埋まってますよ」

 ローブの穴を触らせてもらう。その下に穴が無いのを感触で確認してほっと息をつく。……ってそこ胸ーっ!

「うわわわわっ? ご、ごめんクリス……その、そんなつもりじゃ」

「わかっていますよ、大丈夫です」

 言いながらもうちょっと欲しかったですね……なんて言うので目のやり場に困る。あー、ライト消してしまいたい。

「追われてたんですか?」

「……うん。クリスが警戒したように、よそ者を特に嫌う人に会っちゃって」

「ご無事で何よりです」

 うん、とうなずくとくしゃくしゃと髪をかき混ぜられた。なんだか覚えのある感じがしたけど何でかよくわからなかった。



「あれ、ここに居たのか」

 複数の足音とともに集団が来て誰かと思ったら公正たちだった。灯り代わりに龐棐さんの手の上で炎がコウコウと燃えている。

「公正たちこそ。どこ行ってたんだよ。戻って来たら誰もいなかったからびっくりしたぞ」

「ツタ長老のところで夕飯ごちそうになってた。修徒も呼びに行ったけど仕事終わって帰ったって言われて、もう一回ここ見に来てもいなかったからな。仕方ないだろ」

「あー……」

 ココさんに連れ去られてたからだ。つくづくタイミングが悪い。

「公正、ライトあるなら消していいかこれ。いい加減熱いんだが」

 龐棐さんが顔をしかめて手の上の火を消す。縁利が「入り口のかがり火をつけてからにしろよ」と横からつついて、龐棐さんは面倒くさそうに洞窟の反対側の入り口の方へ歩いて行った。

 続いて栄蓮、縁利、明日香と昨日子が入ってくる。案の定食べ過ぎて腹痛を起こした喜邨くんを支えながら氏縞と曹が入って来てライトを囲んだ。その後ろから今日破、冬人さん。

 ふいにクリスが立ち上がった。冬人さんに向かって何か言いかけ、冬人さんはにこにこしながらしー、と人差し指を立てる。ちょっとラグがあってからクリスがこくりとうなずき元どおりに腰をおろした。何、まさかクリスとも知り合いなのか。

 冬人さんに続いてもう一人入って来た。ローブ姿の真っ黒な人影は、ライトに照らされてフードをとった。

「ドブリ・ビーチェ。久しぶりだなぁ」

「トーマス……っ!」

 思わず腰を上げかけてクリスに止められた。聞けばアントニオを探して一緒に来たのだという。

「あっちの、今長髪の男が火をつけてる近くにあるアレがそうかぁ?」

 トーマスがクイ、とあごで示す。公正がああ、と目をそらして一拍間があき、「……そうか」トーマスはうつむいた。

「間に合わなかったか……」

「いや、脳が侵食される前にスイサイドボタンを押した」

「何か言ってたか?」

「……何も」

 しばらくの沈黙。

 二人の顔を交互にうかがいながら「いえ、あの」とクリスが口を挟む。

「どういうことですか? アントニオの居場所を聞きに来たのでは?」

「クリス。アントニオは死んだ」

「……え?」

 表情が固まった後、眉間にしわが寄る。

「何を言ってるんですか、彼はアンドロイドですよ。自殺でもしない限り死ぬわけが……」

「自殺したのさぁ、アントニオは。もっとも、自殺しなくても機械に脳を侵食されて狂って、どうせ数日足らずで機能停止しただろうけど」

「機能停止? どういうことです、アンドロイドは永遠ではないのですか?」

 詰め寄られてトーマスは仰け反りつつ一歩あとずさる。何言ってんのお前、と顔をしかめ、クリスの質問を反芻するように口の中で繰り返して目を見張った。

「……まさか、知らなかったのか」

 クリスは硬直したまま動かない。

「……アンドロイドも死ぬさ。永遠なんてどこの誰が言ったかしらないけどさぁ、十年もありゃいいとこさ。俺もお前も、もう十年経っちまってるからいつ暴走するかわからないよ?」

「どういうことですか!?」

「お前さぁ、アンドロイドは頭吹き飛ばされようが崖から落ちようが何したって死なないと思ってたわけ? 破壊された身体組織や細胞は生体を模したごくごく小さな機械に入れ替わっていくだけで、元に戻るわけじゃないよ?」

 数日前、銃で大穴を開けていた左手がぐっと握りしめられた。ばっと吹き出して穴を埋めたあのオイル状の液体、あれは傷口を治したんじゃなくただ機械で埋めただけだと言っているのだ。

「怪我したんでなくても機械はいつもどこかの生体組織と入れ替わってくからさぁ、そのうち体のどこも入れ替わる場所が無くなって頭に行くのさぁ。それでH型アンドロイドは“狂う”んだ。アントニオはそれを察知して、狂う前に死んだのさ」

「……私は」

 すとん、とその場にひざまずく。クリスは呆然と、でも今きいたことを否定するように首を振りながら「私、は」と繰り返す。

「私は、人間として生の終わりを迎えるどころか、修徒のご成長を見守り申し上げることもできないのですか?」

「……」

「人間に戻ることは、もうのぞめないのですか? 思考が機械に乗っ取られて機能が停止するまで動き続ける、あれはA型だけの現象ではないのですか? 私は、私は機械として死ぬことしかできないのですか?」

 トーマスは答えなかった。そうか、トーマスも同じなんだ。遠からずトーマスも機械の侵食が進んで狂うか機能停止する。

 スカイ・アマングの海岸で、僕はクリスにアンドロイドはなぜ死にたがっているのかときいた。そうみえたからそう聞いたけど、クリスが言ったように「長いアンドロイドの生を終わらせて、人間として人生の終わりを迎えたい」のではなく、機械に侵食されて全てが機械になる前に、人間としての部分を残したまま終わりたかったからかもしれない。

「修徒様が成すことを、最後まで見届けることさえ……保証されないと……いうことですか」

 ふ、とクリスの目から涙があふれた。トーマスはクリスの問いにようやく頷いた後気まずそうに目をそむけた。

「アンドイドらしくないなぁ、泣くなんてプロフラムされてないはずなんだけどねぇ」

「ねえクリス」

 何で僕に執着してるのかよくわからないけど、何となく口をはさんだ。

「クリスにとって人間の定義って何?」

「食事をして、他の人間としゃべったり笑ったり、夜眠って夢を見たり、……何かに挑戦して失敗したりするものです」

 言いながらススッと姿勢を正す。だからどうして僕をそんな敬うような態度をとるんだよ。……そういえば忠誠を誓いますとか何とか言ってたっけな。

「食事がどうとか眠って夢を見るとかは知らないけど。クリス、前に言っただろ。『私は嘘をつきません』って。『アンドロイドは失敗しません』って。じゃあさ、今ここで僕に、『僕がこれからやるだろうことを、最後まで見届ける』って約束してよ」

「ですから、それが」

「約束してよ。もしできなかったら、『嘘をつきません』に失敗したことになるだろ。それならクリスの人間の定義にあてはまるものとして死ぬことになるんじゃないのか」

 クリスはじっと僕の目を見つめてじわりと唇をかんだ。ゆっくりとうなずき、頭を下げたまま「私は嘘をつきません」「修徒様が成されることを、最後まで見守り申し上げます」と並べた。さらに「私は最期は人間として眠りにつくことを誓います」を加えた。

「いい矛盾だ」

 クリスはありがとうございます、とまた頭を下げた。



 夜中に目が覚めて眠れず、入り口の方が明るかったので見に行くと龐棐さんが焚き火の脇でうつらうつらしていた。ああ、この時間龐棐さんの当番だったんだ。ついでに縁利も焚き火をはさんで反対側で眠そうにしていた。縁利も眠れなかったのか。

 龐棐さんの隣に座ると「ん、どうした」と顔を上げる。縁利も何事もなかったように顔を上げた。

「眠れなくて。何だろ。疲れてるはずなんだけど」

「よくあるよ」

 縁利の答えにそっか、とだけ返して会話は終了した。パチパチ爆ぜる火の粉を眺める。

 クリスたちはアントニオだった龍像に黙祷を捧げてから公正と何やら話しこみ、村の人間に見つかるとやっかいだからと去っていった。公正は何を話していたのかきいても答えてくれなかった。何だろう、最近変だな公正。冬人さんの飛行機の操縦に声あらげたりもしてたし……。

「……なあ龐棐」

 沈黙を破ったのは縁利だった。

「いつから軍人やってんの」

「……士官学校の頃も含めて十年以上前からだな」

「その頃はライトとレフトででかい戦争やってたって聞いてるぜ。戦争いったのか」

「ああ」

 急に何だ、うとうとしてる間に何か見たのかときかれて「別に」とどうともとれない返事をした。

「ちょっと聞いてみたくなっただけだ。嫁さんと子供、いたんだよな?」

「……俺の夢でも覗き見たか? いたぞ。料理のうまい女だった。息子はリュウロウっていってな、察しのいい賢い子だった。俺は仕事でめったに家に帰ってなかったんだが、帰る日はいつも遅くなっても玄関前で待っててくれてな。また長期で仕事に出る時は早く帰ってきて、と……」

「やっぱり戦争で死んだのか」

「ああ。……殺された。レフト側が戦場になった時期にな。アクア・シティーに避難させようと家に戻ったら妻はすでに死んでいて、息子は目の前で殺された」

「誰に」

「もう寝ろ」

「なあ、あれ誰なんだよ。ひょっとして……」

「寝ろ、もう話すことはない」

 龐棐さんは縁利に背を向けてしまう。まだ問い詰めようとする縁利を止め、とりあえず今日は眠ろう、と洞窟の中へ誘った。

「ゆっくり寝ろ。今度はキャンセラーを忘れずにな」

 縁利は意外にも肩をすくめただけで「わかったよ」と軽く返してみんなが雑魚寝している中へ入っていった。僕もあいている場所に適当に寝転がる。明日も手伝いがあるんだった。よく寝とかないとな……。

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