15日目:炎に飛び込む夏の虫

 朝というものは本来すがすがしい気分で迎えなければならないものだが(今決めた)、不愉快きわまりない空腹感で目が覚めた。思えば昨日は走り通しで、朝食にピーマンの炒め物を食べて以来何も口にしていなかった。ぐうぐうと胃が不満を訴えてくる。今何時だ……。手元に時計は無く、諦めて柔らかい座席に身を沈めた。

 起きてすぐにはここがどこだかわからなかったが、クラウン線の中だ。水面に出たのか窓に水滴がついていて時々波で洗われていた。隣で冬人さんが眠っている。寝相は相当悪いようで足下においていたはずの僕のリュックが車両の隅に追いやられていた。

「……冬人さん起きてください」

「いやだー」

 ……起きてるじゃん……。

 いやだと言ったものの体を起こして目をこすり、どこへ行こうとしたのか立ち上がって壁に見事にぶつかった。ごわんとなかなかに大きい音がした。

「ちょ、大丈夫ですか」

「うんー? たぶんー」

 ぶつけた額をさすりながら席に戻る。寝ぼけてたんだろうか、いやいつも寝ぼけてるような人だけど。

「おはようございます、冬人さん」

「おはよーございますーっ!」

「わっ」

 耳元でいきなり大音量で叫ばれ思わず耳をふさぐ。睨(にら)んだがにこーっと笑顔で流され「誰ー?」と一言。ああもうだから毎日言ってるだろ覚えてくださいよ……。

「修徒」

「よろしくー! 修徒君ーっ!」

「うわ、だから大声出さなくても聞こえますって」

「僕は……冬人ー……」

「いやささやかなくても」

 漢字はねー、と曇った窓に指をつける。つけたまま、首がぐいーんと傾いた。おい。

 思い出したように書き出す。うゆひと。

「……冬、人ですよ。それ平仮名だし間違ってます」

 そーなんだ、と隣に冬と人をいくつも並べて書く。きれいな字なのに覚えそうな気がしないのはなぜだ。

「修徒君は何て書くのー?」

 書いたって覚えないだろ……。さっき書いた隣に修、徒と書く。冬人さんはしゅう、と、と読んだ後修の字だけ指でなぞって何か考えていた。

「わ」

 冬人さんが書いていた窓に今日破きょうは龐棐ろうひさんが現れた。カラカコン、と何か固いものが床に落ちるような音がして脳裏に直接声が響く。

『修徒、冬人はんー。着いたでー。開けてや、飛行機組み立て手伝うて欲しいんや』

 あ、今日破の〈音〉だ。『了解』と〈音〉で返した。

 ドアを開け外に出る。こんなところにプラットホームは無いだろうと勝手に思っていたが、そこには白い陸があった。水面に浮いているらしい四角く広い板だった。その上に最後尾の車両から大きなパーツを公正たちが引っ張り出している。

 公正たちの向こうの宙に、球体が浮かんでいるのが見えた。青く波打つ部分と灰色にくすんだ部分が半々くらいに表面を覆っている。スカイ・アマングだ。その向こう、日照装置に照らされているのか一部だけ光って黄土色のひとまわりふたまわり大きな球体も浮いていた。あれが、ライトシティー……。

「修徒、冬人。……食うか?」

 プラットホームを揺らしながら喜邨きむら君がどすどすと近づいてきた。待て、ゆっくり歩け、沈む。揺れがひどく転びそうなのでしゃがんでよろよろと歩いてくる喜邨君を待つ。

 差し出されたビニール袋の中身を見て驚いた。肉まん。冷めているが拳ほどのミニサイズが五個おさまっていた。喜邨君が自分の食糧を他人にわけるなんて。……賞味期限切れじゃないだろうな。

「……これいつの?」

「昨日ラーメン屋で大食いチャレンジの商品としてもらったやつ」

 いいのか、と聞き返すと腹痛いからと座り込んでしまう。まだ痛いのかと思ったら昨日の夜腹痛が完全におさまりきらないうちにリュックに仕込んでおいたドーナツ数個を平らげぶり返したらしい。あきれながらありがたくいただく。

 喜邨君が戦力にならないので飛行機動力部の取り出しにかなり苦労した。これがかなり重く、冬人さんに瞬間移動を頼んだが本人が瞬間移動してどっか行ってしまったので諦めて動ける男手全員+昨日子きのこでなんとか引っ張りだした。エンジン部品と固形燃料の重みでプラットホームが沈み、靴が水に浸かる。

 龐棐さんの指示に従い飛行機を組み立てる。誰かの〈力〉で機能がつけられているのか、正しく組むと継ぎ目がすぅっと消えて滑らかになり強度を増した。

「おい、列車が沈む」

 公正の言葉に振り向くとさっきまでドア下まで完全に水上にあったはずの車体が窓のところまで沈んでいた。車内に残っていた明日香と栄蓮えいれんを引っ張りだし、昨日子は車内に戻って縁利えんりを抱えて出てきた。全員荷物は持って出てるから大丈夫……。

「あ」

 飛行機の羽根を支えていた龐棐さんが一音、もらして直後

 ドオオォォンン!

 一瞬火柱、直後巨大な水柱が吹き上がり足下が波打った上に爆風にあおられ海に転げ落ちた。真っ暗で冷たい水が服にまとわりつき、ぐんと沈み込む。重い水に引っ張り込まれる恐怖心でパニックになりめちゃくちゃに暴れてしまったが幸い水面にはすぐ戻ることができた。

「修徒、こっちだ!」

 公正にひっぱり上げられ、板上に戻る。飛行機はだいぶ位置が動いていたがまだ板上にあり、それにしがみついていた明日香たちは無事だった。僕と同じく海に転げ落ちたらしいつかさ氏縞しじまがびしょぬれのまま板の端でそっちが落としたの何だのと争っている。

「……龐棐さん……」

「水に反応するタイプの爆薬を置いたままにしていてな。後で取りに行こうと思っていたんだが……」

 みんなの白い目が龐棐さんに集まる。乗ってきたクラウン線は、先頭部分はもちろん大半がバラバラに壊れて原型をとどめていない。大きい塊から海底へ沈んでいく。これで戻れなくなった、というか沈むのに気づかず車内に残っていたら最悪明日香たちが死んでいた。

「ほんっとうに気をつけて。今回は全員無事だったけど、本当に」

 明日香に迫られ「すいません」と小さくなる龐棐さん。車体がほとんど水に沈んだのを目の端に確認して今さらぞっとする。すいませんで済むか、ほんとに誰か死んでたらどうしてくれるんだ。水魔だろうか、巨大なクジラのような生き物がぶおっと遠くで潮を吹いている。もしかしたらあれに襲われていたかもしれないと思うとさらにぞっとした。

 飛行機は一時間ほどで完成した。パーツの不足や組み立てミスが無いか不安だったが飛行機がセルフチェックする仕組みになっているようで、起動してすぐに検査画面が出て、数秒でOKの緑文字が表示され操作画面に移った。

「終わったー?」

 操縦を担当するとはいえ組み立てに一切協力しなかった赤茶頭がひょっこり操縦室に顔をのぞかせる。「終わりました。お願いしますー」声が淡白になってしまいつつ場所を譲り、急いで操縦室を出る。

「わ、修徒貴様何そんなに急いで」「転ぶぞ、危ねえな」

「いいから座れって」

 最前列の座席の背もたれをつかんだ時、

 ブオン!

 エンジンがうなりをあげ飛行機が一気に加速した。結局僕は座り損ねてその場でずっこけ座席に這い上がる。やっぱり着席まで待ってくれなかった。

 加速が安定して公正と操縦室に戻る。

「冬人はん……。声かけるとか、座るまで待つとかしてーや……」

 操縦室を出ることすらできなかったらしい今日破が部屋の壁際に座り込んで頭を抱えていた。加速のあおりをうけて頭を打ったらしい。

「言ったよー? よーい、どーん! って」

「急に言われても何もできんわそんなん……」

 コックピッドの窓は真っ暗だ。水面からはスカイ・アマングもライトシティーも見えていたはずだが、日照装置の影になっているのだろうか。これでどうやってライトシティーに近づくんだ、途中スカイ・アマングにうっかり近づいて墜落してもおかしくないぞ……?

「……冬人。どっちに飛んでる」

 あ、なるほど。公正なら〈力〉で目的地わかるよな。ぱちぱちと頭の横で光が飛んでいる。

「んー? まっすぐー」

「冬人!」

「何ー? アクロバットの方がいいー?」

 怒る公正ににこにこと首を傾ける冬人さん。方向間違ってるらしいのだが、

「戻せ、何やってる!」

「おい、公正?」

 あまりに公正が声を荒げるのでどうした、とつい腕をつかんで止めに入る。振り向いた公正の表情が妙に必死だった。

「何そんな焦ってるんだよ、墜落しそうな飛び方でもしてるのか」

「離せ! 冬人お前……っ!」

 乱暴に腕を振り払い公正が冬人さんから操縦桿そうじゅうかんを奪いとった。機体が大きく傾いてたたらを踏む。直後パッと公正の姿がかき消えて冬人さんが操縦桿を握り直していた。何かスイッチを押し、前方を照らすライトが点く。眼下に黒い森が広がっていた。

 公正は機内最後尾の席まで移動させられていたらしい。操縦室の入り口に戻ってくるなりまた姿が消えて操縦室の入り口が閉まった。冬人さんは何も言わず操縦桿を倒し、また別のスイッチをいくつも操作した。

 飛行機は徐々に高度を落とし、森の中の開けた場所に近づくと空中停止して、また落ちるのかと身構えた直後に地上に着いていた。ほ、と息をつき胸をなで下ろす。よかった今回は安全(?)に着いた……。

 機体から降りたが何も見えない。真っ暗だ。龐棐さんがボッと手の上に火を出し周囲を照らす。どうやら広場になっているようだ。熱くて長くは出せないらしく数秒で火は消えてまた真っ暗になった。

「冬人、てめえ、すぐ戻れ! ライトに行くんじゃなかったのか!」

「知らないよー? レフトシティーからは出れたからいいでしょー?」

「いいからライトに向かえ!」

「無理ー。燃料もう無いしー」

 暗闇の中で公正が冬人さんに何やらぎゃんぎゃんわめいている。対する冬人さんは珍しく何度かまともに答えていたがすぐめんどくさくなったらしく突然ぱっと消えた。あいつまたどっか行きやがって、公正はまだ何か言っていたがそんなに騒がれたら誰でも逃げたくなるだろ……。

「公正は何でそんなにライトシティーに行くのにこだわってるんだよ」

 公正は答えず、不機嫌に黙り込んでしまう。何なんだよ、全く。

「ねえ、ここはどこなの? まわりは森みたいだけど、草も生えてるし……スカイ・アマングじゃないよね」

 明日香が地面をさぐる。膝まである丈の長い下草に脚がくすぐられるのは、確かにずいぶん久しぶりだ。スカイ・アマングの森はもっと短い芝みたいな草だったし、アクア・チェスの森はほぼ泥だった。

「フロントシティー」

 え、と龐棐さんが声をもらす。

「実在したのか」

「今そこに居るんだけどな」

 夜明けか、少し明るくなってきた。見上げると小さな照明装置の光がうっすら見える。龐棐さんが知らないってことは、レフトシティーからは見えない位置になるんだろうか。

「う……」

 昨日子の腕の中で縁利が身じろぎした。昨日子は手早く手錠をはずし、縁利の頬をつつく。しばらくして縁利はパチリと目を開け起き上がった。まだ目の下に隈は残っているがだいぶ薄くなっている。

「あれ、俺……」

「寝不足、倒れた。キャンセラー。龐棐」

「……あー……。悪い、……」

 縁利は何か言いかけて龐棐さんから目をそらしてしまう。お礼くらい言えよ、と思ったが龐棐さんは気にしていないようで昨日子が返却しようとした手錠を断っていた。

「毎回使うと副作用出るだろうが、縁利には必要だろう。持っていて、寝る時につけてやれ」

 昨日子がうなずく。縁利はまたそっぽを向く。

「縁利、大丈夫?」

「ああ、うん。だいぶマシ」

 栄蓮にそう答えて「眠気覚ましの辛い薬」を勧められ全力で断っていた。

 ざざ……

 葉のこすれる音が耳にひっかかって思わず息を潜めた。聞き取ったらしい今日破が「何か聞こえる」とみんなを黙らせる。

 ぐうぅ……。

 何か獣くさいにおい。うなるような、鳴き声……?

「オオカミ……?」

 つぶやいたのは氏縞だった。

「ハイイロオオカミかニホンオオカミかジャッカルかコヨーテかはわからないけど、このうなり声、歩き方……オオカミだ」

「オオカミおたくめ」

「曹は龍おたくだろ、あんな架空の生き物よりも現実に居るオオカミのほうが……」

「貴様龍を愚弄ぐろうする気か! オオカミなんぞ凶暴な犬程度のもん……」

「お前ら静かにしろ!」

 ざざざ、とさっきより近くで足音がして口をつぐむ。

「来る」

 昨日子の声の直後、暗闇からびゅっと影が飛んでくる……!

 キン、ザシュッ

 龐棐さんがタイミングよく立ち上がり、剣で跳んできたオオカミを両断した。すぐ次が来るかと身構えたがその様子はない。足音がじりじりと輪を狭める。

 公正がリュックから縄のついた斧のような武器を取り出す。縁利は槍の穂先のような小さな武器を、今日破は短めの剣を龐棐さんから借りて構える。昨日子は地面に手をつけ、僕は足下に集中する。いつのまにか冬人さんが隣に居た。アントニオが待て、とプロテクターを張ったがすぐ消えた。消耗しているのか、維持できないらしい。

「公正、それしまえ」

 縁利が身構えたまま半眼で公正に言う。

「何で」

「ここでそれを振り回したら木にひっかかる。邪魔だ」

 ち、と舌打ちして公正は輪の中に下がった。オオカミはまだ仕掛けて来ない。

「……焼き払うか」

「落ち着け単細胞軍人。脳みそ焦げてんのか、こんな森の中ででかい火出したら俺らが焼け死ぬ」

 日照装置がまた少し角度を変え、急に明るくなった。まぶしい光でオオカミのシルエットが明確になる。と同時に向こうにもこっちの姿がはっきり見えたらしく次々に体を沈ませ飛びかかってくる、その数、待って何匹……っ

 無我夢中で地面から柱を生やし、オオカミたちを撃墜していく。それでもほとんど避けられて龐棐さんや縁利がとんできたオオカミを斬って退けていた。時々至近距離をオオカミの爪や鼻先が通過し肝を冷やす。避けた直後に爪がひっかかり頬から血がとんだ。昨日子と僕のタイミングが運悪く重なり、生やした柱がくずれた。突進してきたオオカミを伏せてやりすごす。今日破はあわあわとかろうじて避けながら何とか一匹倒していた。冬人さんは、と目を走らせると近くの木の上で傍観ぼうかんを決めこんでいた。

「ちょっと! 冬人さん手伝ってくださいよっ!」

「やだー」

 とは言いながらも一応木を登ろうとする数匹のオオカミをあらぬ方向にすっとばしたりはしている。

 すぱっと龐棐さんが剣をぎ、またオオカミの血が散る。斬られた体が視界をふさいだ隙をついて龐棐さんにオオカミが襲いかかる……!

「おらっ」

 伏せていた喜邨君が思い切りその頭をぶんなぐった。不意をつかれたオオカミが吹っ飛びそのまま木に激突して地面に落ちる。縁利がその頭に短剣を投げてとどめを刺す。

「あ」

「どうした」

「やべ、もう無い」

「伏せてろ、……おっと」

 オオカミが龐棐さんの剣にくらいつく。引きはがそうとしている間に別の一匹が近づき、昨日子がその一匹の立つ地面にヒビを入れたが間に合わず飛びかかる。別方向の一匹を倒そうと〈力〉で追い回していた僕は思わずそっちに一本生やし、気がそれた間に二匹がこっちに向かっていた。

「修徒!」

 今日破が目の前に滑り込み、慣れてきたのか素早く二匹をさばく。

「ごめ、ありがとう」

「気いつけてや、第一に自分大事にな」

「今日破前っ……!」

 答えた今日破にまた一匹迫っていた。僕の〈力〉で出した柱はまったくかすらず突っ込んでくる……!

「今日破!」

 ぱっと冬人さんが今日破の横に現れそのままの勢いで体当たりした。とびかかろうとしていたオオカミは空を切り、横から嚙みつこうとしていたオオカミは衝撃波に吹っ飛ばされる。オオカミたちは瞬時に標的を切り替え間髪いれず次々に別のオオカミが冬人さんに襲いかかる。飛びかかる一匹を衝撃波で吹き飛ばした瞬間に横からもう一匹、間に合わない……!

「ゔあっ」

「冬人さん!」

 オオカミが一匹、冬人さんの腕に食らいついていた。呻きながら続いて襲ってきたオオカミを蹴り飛ばし、腕に噛み付いた方を振りほどこうと肩から振り回す。オオカミの体にボッと火がつき、冬人さんに噛みついていたオオカミは焦げるにおいをたてて腕を離して引き下がった。次が来るかと身構えたがオオカミの群れは逃げる一匹を見送って動きを止めた。にらみ合う。

 一秒。二秒。……十秒ほどか両者沈黙したまま時が過ぎ、オオカミは前ぶれなく踵を返して森へぞろぞろと戻っていった。

「お、終わった……?」

 氏縞がおそるおそる体を起こす。

「助かった、のか……?」

 すっかり明るくなった広場にはいくつもオオカミの死骸が転がっていた。龐棐さんが血まみれになった刃を草の束でふいて剣を鞘に戻す。縁利は死骸から短剣の回収を始めた。今日破も龐棐さんに剣を返した。

 明るくなったから帰った、のか……? オオカミの行動の意味がわからず僕らは立ち尽くす。安心していいのか? それともこれからまだ何か来るのか……?

 どさ、と何かが倒れる音に我に返る。

「冬人はん!」

 冬人さんが倒れていた。今日破が駆け寄って助け起こすが意識が無い。汗だくで息が荒い。額に触れてびっくりして手をひっこめる。熱がめちゃくちゃ高かった。そういえば昨日濡れてびしょびしょのまんま寝てた気がする。風邪ひいちゃったのか。

「この状態でどうやって動いとったんや……」

「ちょっ……、冬人さんこれ、いつ!」

 肩の傷を見た明日香が悲鳴をあげる。

 さっき噛まれた右腕は大して出血していないがそれより上、右肩に血がにじんでいた。襟ぐりをめくると紫色にれて化膿かのうした傷がずれた包帯からのぞいた。墜ちた時の怪我だ、やっぱり大丈夫じゃなかったんだ。

 がさ、と草を踏む音がした。警戒心をとがらせていたので全員で一斉に振り返る。人影、森から一人、二人……たくさん。……敵か、それ以外か……?

「誰だ」

 龐棐さんがさっきしまった剣に手をかけ身構える。縁利も短剣を両手に構えた。

「誰だ、はこちらのセリフですけれどね。ここは〈子孫の森〉ですよ。こんな場所で武器を振り回すなんて……」

 言いながら人影はだんだん近づき、二人の女性が目の前に立った。地味な色の柔らかそう布地の服を着た、少しふっくらした女の人と細身だけど妙にお腹の大きいお姉さん。

「先に名乗ってもらえませんか。森主もりぬし様がゆるしたとはいえ、武器を向ける方に先には名乗れません」

 龐棐さんが警戒を解き、剣をしまう。縁利もそれに倣った。

「龐棐だ。失礼した」

「縁利」

「今日破」

「昨日子」

「氏縞」

「明日香」

「公正」

「曹」

「修徒」

「栄蓮」

「喜邨」

 それぞれ紹介し終わってから「そこのは冬人」と付け加える。布帽子をかぶった女の人が目をしばたかせて龐棐さんに何か問うような視線を投げる。意図がわからなかったのか龐棐さんは「そちらは」と促した。

「ヤナギと申します。こちらはケヤキ」

「どうも。……その怪我してるの、こっちで手当てするからついてきて」

 ケヤキさんに明るく言われて今日破がついて行きかけ、龐棐さんが止める。

「何のつもりだ。領地に突然やってきてオオカミ……あなた方の言う森主を殺した者だ、警戒もなく手当てするなどと」

 つばを飲む。もりぬし、という呼び方をするあたり彼女たちにとってオオカミは神聖な何かにあたるはずだ。それを傷つけられたのに手当てだなんて何かおかしい。

 けれどケヤキさんヤナギさんはふっと笑って

「彼、あなた方はふゆひとと呼んでいるのですね。彼はきっと私たちの知り合いです。……森主様の行動からしても間違い無いでしょうから」

 と答えた。


 テカテカ光る脂が肉の表面をつぅとつたって滴り、ジュウと音を立てて炎が伸びる。くるりと肉の向きが変えられ、ちょっと焦げた焼き目が上を向いた。

「美味そう……」

「まだ早いからもう少し待ってくださいね」

 喜邨君にあきれてヤナギさんが苦笑する。煮物の方が早いかもしれませんね、と男の人がそばにたつ大鍋の方を振り返った。男の人はまだだよと手を顔の前で振った。

 広場から数分歩いた所にひとまわり小さな別の広場があり、そこに何人もの人が集まっていた。広場の周りの木は大きさも種類もバラバラで、木の上に必ず一軒の小さな小屋があった。この国の人は皆自分の木を持っていて、六歳の誕生日に親の木から自分の木の家へ独り立ちするという。木は生まれる前から両親が〈苗〉と呼ばれる木を持たない一族から苗木を買ってその時の〈子孫の森〉に植え育てておく。さっきの広場は〈子孫の森〉で、今親の木に住んでいる子供達の移住が進めばやがて村の主な生活の場〈居住の森〉にとってかわる。代わりに今の〈居住の森〉は〈長老の森〉〈弔いの森〉と呼ばれるようになる。さっき僕たちが倒したオオカミの死骸は〈弔いの森〉に運ばれ埋められた。

 オオカミとの戦闘中にこしらえた僕らの怪我は栄蓮と明日香に手当てしてもらった。ガーゼに頰を引っ張られて目が乾く。そこへ鹿肉を焼く煙が入って涙が出た。はり替えてもらおうかな、これ……。

「おーい、ちょっと来てくれる?」

 『クワ』と表札の立てられた木の上の小屋からケヤキさんが顔を出した。

「誰に来て欲しい?」

「金髪のちっちゃい子」

「あ? 誰が小さいって……」

「あー男の子じゃなくて女の子のほう」

「私?」

 栄蓮がきょとんとケヤキさんを見上げる。そうそう、とうなずき降りてくる。ふっくらしてるのはお腹にお子さんがいるからだとさっき聞いたので「待って、上がるって」栄蓮も慌てた。

「きみ、薬の調合できるんだっけ」

「えいれん、だよ。できるけど……知ってるものからしか作れないよ」

「うんうん、それでいいからさ。栄養剤作って欲しいんだよね。鉄分とタンパク質と……」

「てつぶ、たんぱ……?」

「鹿の血ならとってあるし、肉も使える。プルーンならこの前〈苗〉がお土産に持ってきてたし大豆はココが畑で作ってる」

 煮物担当の男の人が助け舟を出す。「できそう?」ときくケヤキさんに栄蓮は難しそうな顔をしながらも「頑張ってみる……」と答えた。二人に連れられ栄蓮が森に入っていく。縁利も後に続いた。

 炎の上の鹿肉をまたひっくり返す。

 歓迎の意味では特になく、たまたま猟で多く仕留めたのでおすそわけしてもらえることになっている。だから釜の準備も焼くのも僕らがやった。薪は〈弔いの森〉の倒木を昨日子が割って、喜邨君がはるばる運んできたし火も龐棐さんがおこした。けれど鹿肉は一頭まるまるだし煮物の方は具の野菜も調味料も村の物だ。

 どういうつもりなんだろう。何か冬人さんと関係ありそうだけど……。鹿肉の焼き加減を見るヤナギさんをつつく。

「冬人さんと知り合いって、どういうことなんですか?」

 何だか変な質問になってしまった。だって、冬人さんはレフトシティーにずっと居たんじゃないのか。ナーガ・チェスのテツロウさんの家で暮らしてて、アクア・チェスに案内人として就職してたはずでは。

 ヤナギさんも僕の質問に困惑したのか「むしろ私があなた方と彼との関係を知りたいですけどね」と一言はさんだ。

「彼、六年くらい前かしら。この村にしばらく住んでいたのよ。私たちはヒイラギと呼んでたわ。〈苗〉だから自分の木はないって言っていた……」

「六年前?」

 公正が身を乗り出す。わざわざ喜邨君と僕の間に割り入って座り、何なんだよ、と怒った喜邨君に脳天をはたかれ頭をおさえて悶絶(もんぜつ)する。「だって気になるだろ」「気になるのはわからんでもねーけど、他人押しのけて座ろうとすんじゃねーよ邪魔だ」口論になりかけたので僕が止めるはめになった。

「当時の弔いの森に飛行機が墜ちて、翌日にみんなで様子を見に行ったら近くの広場に倒れていて、手当てした時にそう名乗ってたの。かなり離れた村で〈苗〉をやっていて、村の人に頼まれて物を修理したりもしてるって言ってた。直した飛行機を試運転したらそこそこ飛んで墜ちてしまったんだって」

「飛行機って。この辺の人は見たことあったのか?」

「……公正」

「ああ、いいのよ。どこ見ても森しかないし、電気も機械も縁が無いのは確かだものね。私たちもツタ長老からきいて知っていただけなの」

 大昔にはこの国も発達した文明があり、飛行機はもちろん飛んでいたし車だって走っていたらしい。しかし戦争や災害を何度も経て、その他様々な問題に直面した結果先祖はその文明を捨て、今の生活になったという。当時の文明のものは物好きのコレクション程度しか残っていないそうだ。ツタ長老も幼い頃に当時の長老にきいた話として話した程度で、飛行機の説明も「空を飛ぶ機械」ととても簡単なものだった。

「それで、しばらくここで暮らしていたというのは?」

 煮物担当の男の人と話していた龐棐さんが戻ってきて割り込んだ。どっから聞いてたんだ。アントニオもどさくさに紛れて火の近くに座る。何なんだよみんな。

「森主様にやられたのかわからないけど、ずいぶん弱ってたから回復するまで居てもらったんです。彼はすぐに出ようとしたんだけどみんなで止めて……」

「ヤナギー! よそ者さんたち! ヒイラギが目をさましたよ!」

 クワさん(ケヤキさんの旦那さん)が小屋から呼んだ。良かった、とそちらへ向かう。「待って待って全員登ってきたら木が折れちゃうよ。二人まで」と言われたので僕と公正で。

 吊り梯子の上の小屋はごく普通の木の小屋で、冬人さんは部屋の中央の干し草ベッドに寝かされていた。ぼうっと天井を眺めていた目がこっちを急に刺して、驚いて思わず立ち止まってしまった。入り口で詰まってしまい公正に「早く入れ」と小突かれ慌てて靴を脱ぐ。冬人さんは「あれーショータとコッセーくんだー」とにこにこしていた。さっきの眼光は気のせいだったかもしれない。

「修徒です。……熱あったなら言ってくださいよ」

「んー?」

 とぼけても無駄だ、顔真っ赤だし額に濡れタオルのせてもらってるんだし。全然平気だよと体を起こしてふらつき、公正に布団をかけられておとなしくおさまった。クワさんにきいたところ本当にただの風邪らしい。あと軽い栄養不良。

「……修徒君は大丈夫?」

「え」

 ぴた、と僕の額に冬人さんの熱い手が触れてすぐ離れた。

「修徒君も濡れたし同じ列車に乗ってたでしょー。体調崩してなーい?」

「僕は、だいじょうぶです、……っていうか覚えて」

「コッセー君はー?」

「公正。他の奴は全員無事だ、お前は寝ろ」

「わー」

 毛布で埋められ「ちっそくするー」と冬人さんがじたじたする。

 玄関からクワさんに呼ばれた。ケヤキさんたちが戻ってきたので交代で降りて欲しいらしい。さっき栄蓮に〈力〉で何か作って欲しいようなことを言っていたから冬人さんの薬かな。

 部屋を出て木を降りる。クワさんに背負われる栄蓮の手にはこぶし大の瓶一杯に詰まった錠剤だった。うわ、あの量飲まされるのか。体調くずしたんだから仕方ないとはいえ……冬人さん嫌がるだろうなあ。

 広場に戻ると鹿の丸焼きと煮物はもうできていた。というか龐棐さんたちはほぼ食事を済ませ、残りはあらかた喜邨君が平らげてしまっていた。申し訳程度に具の切れ端が入った汁と骨にちょっと肉がついた程度の残骸を前に公正と二人で喜邨君をにらむ。僕らの分……!

「できた時に居ねーんだもん」

「残しとけって」

「温かいうちに食べなきゃもったいねーだろ」

「そういう問題じゃないだろ……」

 覚えてろ、この恨みいつかはらす。

 煮物の残り汁をすする龐棐さんの脇に昨日子が立った。手にはナイフ。……え?

「何だ、いきなり物騒だな」

「いきなり、違う。約束」

「……何だったかな」

 突然にらみあう二人。龐棐さんも立ち上がり、視線をずらさず怖い顔をする。昨日子は動じずいつもの仏頂面で睨み返す。

「ちょっとやめてよ二人とも……」

 明日香が言ってもきかず、互いに詰め寄る。昨日子が口を開いた。

「ピーマン」

「……」

 一同沈黙。龐棐さんだけが眉間に皺をよせて「あーそれは」と歯切れ悪く声を上げて目をそらす。

「薪、作る、手伝う。代わり。約束した」

「ああ、だが今は持っていなくてな。またにしてくれないか」

「嫌だ」

 とりあえずナイフ下げろ、そんな話題で刃物出すなよ。

「前、約束守れって言った。守らない奴に、言われたく、ない」

「ちょっと昨日子」

 明日香が昨日子の耳をぐいっと引っ張った。昨日子がナイフを取り落とし、「俺のだし。いつ取ったんだ……」と言いながら縁利が拾う。

「痛い、何するんだ姉さん」

「無茶言わないの。どこ見たってピーマンはぶらさがってないでしょ」

「だって約束」

「また今度。森の中入ってから一度もピーマンにつまずかなかったでしょ。最近ピーマン食べてないからってねだらないの」

「じゃあ獅子唐……痛たたた」

「物が変わればいいってもんじゃない、わがままで刃物使ったりするのもやめなさい」

「痛い、痛いって。放して」

「こうやって耳を引っ張って広げとかないとあんたの耳は私の声ちっとも拾わないでしょう。本当なら自分で広げといてほしいところよ」

「わかった。放して」

「あと三分。身にしみるまでごゆるりと」

「いっ……痛い。ごめんなさい、謝る……放して。もうしない」

 明日香怖い。明日香の説教はちゃんと聞くようにしよう……。怒った顔はかわいいけど……じゃなくて。ええと。



「そういえば気になってたんだけどさ」

 食事の後、掃除をしていたところケヤキさんに声をかけられた。

「君たちってどこから来たの? ヒイラギのこと冬人って呼んでたり、名前からして木を持ってなさそうなのに〈苗〉を知らなかったり……」

「ええと……」

「吾輩は日本国から来た!」

 曹の答えに案の定ケヤキさんは首を傾け「聞いたことないね」とつぶやく。

「君たちの国の人ってさ、みんな指そんななの? ヒイラギは手のせいで〈苗〉になったって言ってたけど……」

「そんなって」

 氏縞が手元に視線を落として「あ」と土を均していた手を見比べる。僕らの手は僕らにとっては何の変哲もない手だけどケヤキさんの手は五本指なのは同じだが指が異様に節くれ立って長く伸びていた。親指の位置も僕らのとはずいぶん違う。見れば周りで一緒に作業している他の人たちもそういう手で、さっき「異様に」って言ったけど僕らの方が異様に指が短いようだった。

「変な手だなあって。それじゃ木に登るの大変でしょ。道具つくるのにも不便そうだし……。でも〈苗〉でもないってどういうこと?」

「……僕たちは他の世界から来たんですよ。その世界の日本っていう国から。僕にとってはこの手は普通で、家族も友達も先生もだいたいこんな感じの手です。僕から見ればケヤキさんたちの手の方が変な手です」

 ケヤキさんは口をへの字に曲げながらも「まあそうでなきゃ、あたしとしても困るんだけどね」と息をついた。熊手を傍らに置いて丸太に腰を下ろす。あ、裸足だ。周りを見れば村の他の人もみんな裸足で、足の甲の形は僕らのと同じなのに指が手の指と同じくらい長くて親指が離れて付いていた。木の上で暮らしやすいように変化したのかもしれない。

「……ねえ、日本ってどんな国?」

「どんなって」

 ぱっと答えが思いつかなくて言葉につまる。僕らにとって当たり前に目に見えていた場所で、説明なんていらなかったものをどんな国かどう表現すれば伝わるか見当もつかない。

「……地面の上に家建てて住んでいる」

「この国にも昔あったっていうパソコンとか飛行機とか色んな電子機器を使い続けてる」

「日本語しゃべる」

「義務教育っていって、子供は学校に行って勉強する」

「島国……水に囲まれた陸地が国になっている」

「医療がかなり充実してる方で、国が医療費かなり負担してくれる」

「四季があってな。春、夏、秋、冬。夏が暑く、冬が寒い。春と秋はその間だ」

 おお、特徴を次々あげてくれて助かる……。って曹、氏縞、指折りいったい何をかぞえているのだね? 個数競ってんの?

 ケヤキさんは何か考える顔をしながらひとつひとつうなずきながら聞いている。僕ら全員が日本出身ってわけじゃないんだけど、……ややこしくなるから黙っておこう。

「和食っていう、独特な料理がある。塩分多めだけど健康食として世界的にも有名。あ、俺らの世界的にな」

 日本の特徴あげよう選手権に喜邨君が参戦した。次々にあがる手札は全部食べ物だ。

「ずるいぞ喜邨」

「食べ物に偏りすぎだ、他のものもあげたまえ他のものも」

「ずるくねーぞ、日本が誇るうまい食いもんだ。知ってるか? あんぱんって日本発祥で……」

 いつのまにか龐棐さんやアントニオまで近くに来て日本の特徴あげよう選手権から日本の食べ物豆知識選手権に移行した会話に聞き入っている。同じ地上にアメリカやフランスなど他の国があることに今日破が混乱し、龐棐さんが「アクア・チェスとナーガ・チェスみたいなものだろう」と補足する。昨日子が「ゴーヤチャンプルー。苦い」だけの説明に興味をもったか氏縞に「どんなの。詳しく」と詰め寄る。明日香がレシピを聞かれて「作ったことない、知らないよ!」と悲鳴をあげ、「あっちで知っておいしかったのは納豆かなあ」と参戦。「どんなの」「腐った豆」「おい」説明がずいぶん雑だけど。

「納豆は発酵させた大豆で、ネギまぜたりからしっていう調味料混ぜたりご飯にのせたり色んな食べ方ができるんだ。においも独特だし糸ひくし、日本人でも好き嫌いがわかれる食べ物だけど。おいしいよ」

「たれ入れてからかき混ぜて食べるんだけど、回数で食感が変わるの!」

 ああ、たれ忘れてた。納豆をぐるぐるかき混ぜる明日香を想像して、向こうに帰ったら納豆食べようなんて思う。……あー明日香関係ない、納豆の話してたら納豆食べたくなってきただけですはーい。

「さっきシジマくんだっけ? が言ってた感じだと狭そうな国だけど、ずいぶん色んな食べ物があるんだね」

「さっき曹が言ってた四季があるから。気温や日照時間で育つ作物が変わってきて、一つの土地で色んなものが採れる」

「我輩を気安く呼ぶな、貴様は曹様と呼べ」

「誰が呼ぶかこの野郎」

「どの野郎だこの野郎め」

「お前だこの野郎めめ」

「曹様と呼べと言ってるだろうがこの野郎めめめ」

「お断りだこの野郎めめめ、め」

「言いにくいやろ、やめなはれ二人とも」

 曹と氏縞が今日破を一瞬にらんでから「食べ物いくつあげたかわからんくなったぞ」「我輩も数がわからぬ」とささやきあう。いやもう別のもの数え始めてただろうが。

「ねー、ここにあるものでさー、日本の料理作れないかなー?」

 背後で声がしてそれはいい考え、とうなずく。煮物の具からして似たような食材は案外そろっているようだったし。魚はさすがに無いけど。

「……冬人さんはおかゆね」

「おかゆー?」

「水たっぷりでお米をよく煮て、あまり噛まなくても食べられるようにしたもの。体調悪くてもおかゆなら食べられる人が多いから。……寝てなさいって。抜けてきたの?」

「だって退屈なんだもーん」

 見上げればクワさんの木から慌てたように栄蓮が降りてくる。枝をちゃんとつかめず滑り落ちそうになってクワさんが引っ張りあげ、一緒に降りてきた。

「熱全然下がってないでしょうが。寝てなさい」

「ひまー! たいくつー! つまんないー!」

「あーもう、布団そこに敷いたら」

「シュウ、甘やかしちゃだめだって」

 地上に着いた栄蓮はもちろん相当に怒っていて、冬人さんの前に立つなり腰に手をあてて散々に叱り始めた。冬人さんも一回の瞬間移動だけでかなり堪えてこりたらしくシュンとして大人しく説教をきいている。

「ヤナギさん、お米ってあります?」

「この前〈苗〉がお土産って置いていったのが残ってるけど……全員分は無いと思いますよ」

「見せて。冬人さん分だけにするから量は少なくて大丈夫」

「ヤナギ、うちにちょっと分けてもらってたから見てくるよ」

 明日香とヤナギさん、ケヤキさんが丸太のベンチを離れ、昨日子がその後を追って走っていった。その背中を眺めて僕らが思うのは間違い無くこれだった。——今日の夕飯何だろう。



「はい。熱いから気をつけて」

 渡された木の器からはほわほわと湯気がたっていた。味噌のにおいが鼻腔をくすぐりつばがわく。味噌汁……!

「豚汁か!」

「豚肉は無かったから、猪汁だよ」

 湯気で顔が見えないのがありがたい、そうだよな。こんな具沢山豪華汁がただの味噌汁なわけないや。

 猪汁にはきれいに均等に切られた大根とごろごろと中途半端に大きい里芋(小さめだからか全く切られず入っているものもあった)、煮物に入れるには細かすぎる気がする玉ねぎ、じゃがいも、大きさのバラバラなにんじん……と個性豊かな具材が山盛りに入っていた。キノコも色々入っているが種類をよく知らないので割愛。どれもしっかり煮込まれていてやわらかい。じゃがいもはほぼ溶けていた。豚肉によく煮ているけど猪肉か、と野菜に埋まる肉を引っ張りだす。柔らかくて、うーん、豚よりさっぱりしているだろうか。違いがわかるほど僕の舌は敏感ではなかった。

「こんにゃくねーの?」

「うん。知らないって」

「作れないのか?」

 公正がなぜか僕をつついてくる。あ、そうか科学びっくり大百科に載ってるかも。

 ページをめくるとすぐに見つかった。さては読んだことあって覚えてたな、公正。

「生芋を洗って皮むいて切って、茹でてすりおろして……、ちょっと待ってこれすごく面倒だ」

 煮たり練ったり放置したり何か薬品使ったり、本当にこれ食品の製法なんだろうか。

「すげー。俺帰ったらこんにゃくは大事に食おう……」

 喜邨君がそんなことを言いつつ明日香から自分の器を受け取る。二杯目だ。まだおかわりがあるかきいていた。ケヤキさんは猪汁の中を渦巻く味噌を警戒しながら口に含み、「ちょっとしょっぱいね」と苦笑いした。おいしいことはおいしかったようでよく煮込まれた野菜をもくもくと食べていた。ちなみに野菜や肉は僕らみんなで分担して調理した。縁利は自分が切ったはずのじゃがいもがあまりにも見つからないのを不思議がっていた。

 龐棐さんに借りた飯ごうがぐつぐつと踊り、泡が吹き出ている。中身大丈夫かな、と手をのばして取っ手の熱さに思わず手を引っ込めた。危ない、やけどするところだった。

「シュウ、これ使って」

「ありがとう」

 フキンを受け取って今度は安全に火から下ろす。中身はおかゆだ。ドロドロに溶けた米がつやつや光っている。直接容器に触れている部分は薄く茶色に焦げている。十分火は通っていそうだ。器に移して冬人さんのところに持っていく。

 冬人さんはかまどから離れた草むらの脇に布団を敷いてもらって、そこで寝ていた。呼びかけるとうっすら目を開ける。熱が上がってしまったようでぐったりしたまま起き上がらない。寝返りをうって背を向けてしまった。

「おかゆできたから持ってきたんですけど……」

 いい、と言うように小さく首を振る。食欲無いのか。

「シュウ、スプーン忘れてる」

 猪汁の配膳を済ませて明日香が追いかけてきた。本当だこれじゃあ食べれないな。かすれて何を言ったかわからない声に振り向くと冬人さんが驚いたような顔をしてこっちに向き直っていた。逆に僕の方が面食らってしまって何を言おうとしたのか忘れた。

「冬人さん、食べれる?」

 だいぶラグがあってからゆっくり起き上がり、スプーンを受け取った。一口目はむせてえずいてしまったが二口目は飲み込む。食べれるならよかった。ほっと息をつく。

「シュウありがと、おかゆ気づいてくれて。焦げるとこだった」

「たまたま気づいただけだって。明日香こそありがとう、えーと猪汁とかおかゆとかスプーンとかいろいろ」

「シュウが気づいて何かしてくれると思ってなかったから」

「ひどいな。気がつけばできることはするよ」

「えへへ。ありがと」

 明日香の笑顔につられて笑う。なぜか目のやり場に困って頭をかくふりをして適当な方向に顔を逃した。

「手、見せて」

 強引にさっき熱い飯ごうを持った方を引っ張られる。「良かった、何とも無いみたい」とすぐに手は離れた。

 冬人はんもこっち来たらええのにと今日破に呼ばれ、龐棐さんのマントを冬人さんに被せてかまどのそばに戻った。しんどそうなので丸太を転がしてきてそれにもたれてもらう。

「冬人はん案外体力あらへんのやな」

「うー……聞こえないー」

 耳をふさいで布に頭を埋める。隠れんとってー、と剥がそうとして明日香に怒られる。

「久しぶりの和食……身に染みる……」

「ここで一句詠みたいところだ……」

「突然何言い出すんだ、曹お前俳句詠めたっけ」

「何をう! 貴様この我輩の俳句の才能を知らんのか! 我輩は天から与えられた唯一無二の才能があるのだぞ! しかと聞きたまえ!」

 自信満々に仁王立ちした曹に広場中の視線が集まる。一瞬で静まり返り次の言葉を待つ。

「……」

「……」

 口をぱくぱくさせる曹。

「し、汁食えば故郷は遠し、……。遠し……。」

「あと五字」

「しばし待て」

 考えてなかったのか。氏縞も思いつかなかったようで「湯気を追い、見上げれば、……足りないな……。見上げれば暗い、多いな……」などとつぶやいている。地上は日照装置で明るいが見上げれば真っ暗で何も無い空間が広がっている。空って言えれば足りるだろうけどこれを何と表現すればいいのだろう。

「空か」

 まるで心を読んだようにアントニオが言う。あれ、知ってるのか、と曹が顔を上げ公正が「アントニオ」となぜか咎めるように名前を呼んだ。

「知っているわけじゃない。聞いたことがあるだけだ」

 目がさまよい、かまどの火を見つめる。

「ここじゃない、どこか別の世界に空というものがあると。この上の、」

 上を見上げ、僕らもつられて上を見上げる。もうすっかりおなじみになってしまった、昼でも真っ暗で何も無い空間。目を凝らせば遠くに流刑地の光が見えるのかもしれないが、僕はそこまで視力が良くなかった。

「この上の空間いっぱいに広がるものだと。時間によって、季節によって、天気というものによって様々に姿を変えるのだと」

 思い浮かべる。真っ青にどこまでも晴れ渡った空。夕方の茜色に染まる空。夏のまぶしい太陽。どんより垂れ込める灰色の雲。走る稲妻、そこから降ってくる雨、やがて雲が切れて現れた青空にかかる虹。夜が更けて空に散らばる星々。小学生の頃、星座を覚えようとしたことがあったっけ……。

「龐棐。……ライトシティーのことだ、レフトの隊が駐留している。この後ライトに行くならそこを頼れ、レフトには戻るな」

 突然低い声で早口に口走り、公正が「アントニオっ!」と叫んで立ち上がる。アントニオはつかみかかる公正を軽く突き放して転がし、「悪い」と短く謝罪を口にする。ローブの袖をまくり、操作ボタンがあらわになる。そのうちの一つ、オレンジ色ボタンをためらいもなく押し込んだ。公正が叫び声をあげる。

「悪い、こんな真似をして。だが俺はこの選択が間違いだとは思わない。正しいかはわからない。しかしアンドロイドとして選んだ。失敗には繋がらないさ」

 ピシ、と固い音がして頰にヒビが入った。再びつかみかかろうとした公正が足を止める。アントニオはまた上を見上げてそこに空を見るように目を細める。頰のヒビはさらに広がり、ついにボロっと破片が落ちた。続いてローブがゆるみ、中身の崩壊が始まる。

「アントニオ、お前まさか」

 龐棐さんが腰を浮かせると同時にアントニオは炎に体を傾けた。ボロボロと腕や足が崩れていく。公正が炎に近づこうとする。近くに座っていた昨日子と縁利と栄蓮がしがみついて必死に止めるが公正は何としても近づこうと暴れ、喜邨君におさえこまれた。

「コウセイ。また……空の下で」

 割れた顔面をオイルがつぅと伝い、ごおっと炎が勢いを増し、


 ガシャーン……


 工具箱をひっくり返したような、あえて例えるならそんな音が、森に響いた。

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