13日目:博物館
まぶた越しに光を感じて、うっすら開いてそのまま目が覚めた。車窓から疑似太陽光レベルに明るい街灯の光が入ってきていて、車内は灯りをつけなくても十分明るかった。ここどこだっけ……。ああそうか、バスの中だ。
昨日の事を一通り思い出してから顔をあげる。前の席で
ぶるるん、とエンジンが始動する音がしてバスが動き始める。どうやらバスを停めて運転手も仮眠をとっていたらしい。
「おはようございます、龐棐さん」
「ああ、おはよう修徒。眠れたか」
「いまいち、ですね。夜行バスは乗った事なくて」
「夜行バス?」
「あ、えーと……」
聞き返されてつい目をそらす。あー、こっちには夜行バスというものはないのか。
「バスって普通昼間に客を運ぶじゃないですか。夜中に運ぶのを夜行バスって」
「バスは軍部しか使わないが。列車と間違えてないか?」
「……っあー、そーです列車ですっ」
危ない危ない。そういえば僕らは身元を聞かれても答えられないんだった。変に疑われると面倒だ。都合良くごまかしてへらへらと窓の外に目を移す。
「レフト・シティーにはいくつ都市があるんですか? 列車でいくつも駅があったけど……」
「首都のアクア・チェスとここだけだ。何十年も前、まだ都市が水没していなかった頃はもっとたくさんあったらしいが。ナーガ・チェスは広いからな。地区ごとに駅を持っている。水没後に内部鉄道が敷かれてな……。アクア・チェス出身者か? だったら教育機関で何かしら学んだはずだが」
しまった逆に疑われた。話題を変えようと慌てて思考をはしらせ
「い、いい天気ですね」
「てんき?」
そうだったここは突然雨降ったり曇ったりしないんだった! 「なんでもないです」と平然を装い早口で発言を取り下げる。もう黙ってた方がいいかな僕。墓穴掘りそう。
「う……んー」
明日香が座席で思い切り伸びをした。寝ぼけ眼をこすってくしゃくしゃになった頭を手でパパッと直してあくびまじりに「おはよう」。
「おはよう明日香。眠れたかい」
「まあまあ」
背中痛い、とつぶやいてもう一度伸びをする。
龐棐さんの隣に座っていた
「ふああ……もう朝か。朝飯……」
もぞもぞと起きあがった喜邨君がまだ目が開ききらないままごそごそとリュックをさぐって賞味期限を気にすること無く適当にとったパンを開封する。喜邨君酔いやすいだろ、バスの中でご飯食ったら酔うんじゃないのか。僕も朝ご飯食べたいなあ。昨日一食一個だけならと渋々ながら許可をもぎとったので、遠慮なく喜邨君のリュックをのぞいて賞味期限が過ぎていても大丈夫そうなパンを物色する。お、メロンパン。ぱさぱさになったパンをかじり、水で流し込む。いつもだったら大慌てで明日香が作った朝ごはんを食べて飯堂にバイトに行く時間だ。あったかいものを食べたい。ふう、とため息をついて空になった袋を畳んだ。
ジャムパンを取った公正が甘すぎたか不味かったか知らないが見事にジャムの部分だけのこして僕の方に袋をぽいっと投げて来た。なんだよ、食えってか?ふざけんな。喜邨君に投げたら即刻公正の顔面に直送された。ゴミぐらい自分で処理しやがれ。
明日香はフレンチトーストを取った。最後尾席に戻る途中で
「さーてとっと……」
運転士がつぶやいてささっと腕まくりをし、真っ黒なギアに手をおいてフーッと長い息をついてぐぐっと力強く手前に引いた。ゆるゆると安全走行していたバスがぐぐんと急加速して体がシートに押し付けられる。どうやら早く博物館に着くように速度をあげてくれるようだ。
……ってまだ加速するのか? もうそろそろ高速道路並みの速さなんだけど! ここ一般道だぞっ? 普通の、やたら狭い生活道路だぞっ? おいエンジン音! エンジンなんかすごいブンブンいってるけど! 完全スポーツカーの音なんだけど!
「うおおおおおおお! 速い速い! 最っ高!」
「路上ジェットコースター!」
喜んでる場合か公正、喜邨君!
「ちょ、ちょっと運転士さん! 速すぎでしょ! 人
明日香がまともな人で良かった。
「逃げるにきまっているでしょう」
「ひき逃げ!」
運転士がまともじゃなかった。
バスはさらに加速し景色がよく見えない。ひやひやしながら飛んで行く景色を目で追っていると視界の端を何か黒いものが横切った。なんだろ……?
長いしっぽの黒い……猫だ。もしかしてたった今轢いたんじゃ……。
「車道に出ていたのが悪い」
いや絶対違う。猫絶対悪くない。こんな鉄の塊が廃墟じみた住宅街の車道突っ走ってくるなんて人間の頭でも想像つかないよ。
突然外が暗くなり、ごりごりと削るような音と激しい振動があり、ごがっと重い音がして明るくなった。はるか後方に過ぎ去って行く大穴の開いた一軒家。……えっ? ええええっ……?
「ちょちょちょ運転士さん! 人ン家ン中走らないでくださいよ! 近所迷惑どこじゃないし、てかあんなことしてたらバス壊れますよっ?」
「安心しろ修徒。このバスはレフト・シティー軍特注の特殊走行バスだ。最強耐久度の車体に切削ドリル、岩石カッターその他もろもろ装備してある」
「いや人の家壊すのどーかと思いますけどっ! 近所迷惑にもほどがありますよ」
「? もう近所ではないが」
ああああこの人でなし軍人んん。そういう問題じゃ無え。
「急ぎだというから最短距離を超特急で運転してもらっているのだ。文句いうな」
最短距離ってそれじゃねえええええ! みんなも何か言えっ……って何歓声あげてるんだよ今日破! 轢いた物の数数えて何が楽しいんだよ公正! この状況でもノーリアクションってどんな神経してんだよ昨日子!
「……龐棐さん、後で修理……しますよね……?」
「ははは何言ってるんだ。金がもったいないし面倒だ。余計なことをするつもりはない」
金は大事だ、と運転士もうなずく。いや、あなたにはもっと他に大事にして欲しいものがある。
「金は大事だ、……ってまさか特急料金とったり」
運転士がはははと笑い声をあげて大丈夫大丈夫、と片手を振った。
「金は大事だが、今回の特急料金はサービスにしよう。安全の保証をお代にあててるから」
おい。特急料金とらない代わりに命の保証はいたしませんとな? 死ねと? 乗った人間まるごと死ねと?
「な……おろせ降ろせ降ろせ! 俺はまだ死にたくねえっ!」
喜邨君があんぱんを放り投げてがばりと席を立ち、速度にあおられてバランスをくずし、運転席の背もたれにしがみついた。
「とにかくバスを止めろ、速度落とせ!」
「よせ喜邨。今ブレーキ踏んだらスリップしてバスごと三途の川に突っ込んじまうぞ」
ぎゃああその方が怖い。
「お〜っ!」
公正がひときわ大きな歓声をあげ、窓の外に向かってガッツポーズ。視線の先に何か巨大な影が飛んでいる。多分バスがはねたんだろうけど、何だろ、ずいぶんでかいな……。いびつな四角い形に三角が乗ってて、三角から棒が一本生えて……。
……家だ。
「家はねましたよっ?」
「そこに建っていたのが悪い」
いやいやいや明らかにはねたバスが悪いだろ! というかバスが家をはねられるわけが、と思ったらどういう〈力〉か知らないが運転士の手元でバチバチと光が飛んでいた。あと住人大丈夫なのか本当にもうどこから突っ込んだらいいんだ全く。
「住人は居ないから安心しろ。立ち入り禁止の無人地区だ」
立ち入り禁止エリアかよ。逆にやばいだろそれは。
「う〜ん、リニアはもうちょっと速かった気が……」
スピード狂運転士が不満そうに首を傾けてギアをこちゃこちゃと操作し、さらにアクセルを踏み込む。
ま、待って……。まだ加速……?
さらに背もたれにぎゅうっと押し付けられ、僕は吹っ飛ぶ標識を横目に気を失った。
少しバスの速度がおちて、また遅くなった。目を覚ましたら風景の流れが若干遅くなってきていた。スピード感は麻痺しているけどそれを差し引いてもちょっと落ち着いて外をみられるくらいにはなっていた。
「運転士はーん。遅うなっとるけど、どないしたん」
「燃料切れだね」
……燃料切れるまで大爆走してたんですか。
「ああ、大丈夫大丈夫。この勢いなら博物館の先の池に入るぐらいは余裕だから」
止まれ。即刻止まれ。
またがくんとスピードが落ちて、ようやく高速道路並みの速さになった。
「これでブレーキかけても大丈夫……だね」
明日香が窓の外を見ながらほっとため息をつく。
龐棐さんがうんうん、とうなずきながら親指で顎をすり
「そうだな。間違えてブレーキ踏んでももうかからんから安心だな」
……はい?
「あれだけスピードをだしたからな。いくらレフト・シティー軍特注とはいえ限度がある。メーター、エンジン、ブレーキ、イカレるのも当然だ」
「……ハンドルは無事なのか?」
「ご覧くださいほらこの通り」
運転士がひらひらっと厚めの黒い円盤を宙に掲げる。メーターの間にある、円盤がくっついているべき突起の先はぼろぼろにくずれて穴が開いていた。龐棐さんはそれを受け取りそうかハンドルの裏側はこうなっているのだなと悠長に観察している。感心してる場合かよ。
「大丈夫。直進コースだからちゃんと着く。何も心配いらないよ」
むしろ心配しかない。
「龐棐さん……命惜しくないんですか」
「別に。惜しむ価値もないからな。望んだものでも、望まれたものでもないし、軍服を着るということはそういうことだしな。……そう睨むな。運転士がちゃんと着くと言ってるんだ。無事着く」
こいつに任せれば目的地にはとりあえず着くんだ、と自慢げに親指を向けられて運転士が得意げにピースする。使う車両は消耗品だがな、と付け加えられて眉根を寄せた。
「技術料に加えて車両代もイーロン二番隊で負担お願いしますよ。あと始末書は僕じゃなくて少佐の部下に書かせてください」
「俺じゃなくていいのか、始末書」
「隊長の始末書は不備が多すぎます。毎回」
バスは行く手を阻む瓦礫や廃屋を跳ね飛ばしながらだんだんと減速していく。跳ねた物が地面にバウンドする音と、カラカラガタガタと部品の壊れたような音が床からしてくる以外はエンジン音もなく車内はわりと静かだった。
「……龐棐。何。さっきの」
「昨日子……だったか。さっきの、とは?」」
「惜しむ価値もない、望んだものじゃない、軍服を着るとはそういうこと」
「俺の勝手な価値観からくる冗談だ。聞き流せ」
「……」
じぃっと見つめられてため息をつく。視線を逃がし、「俺の勝手な考えだがな」ともう一度前置いて口を開いた。
「軍人は市が最優先だ。市のため市民のため、自らの命を惜しんだが為に敵に奪われてはならない。害されてはならない。自分の命は、捨て時が来たら潔く捨てる。ゆえに自身の命の価値は高く見るべきではない……低い方が気軽に捨てられるからな」
「……軍人って、人、殺す」
「そういうこともあるな」
「自分が生きるため、違う?」
「そういう者も居るだろうが俺は違うな。軍人が人を殺すのは戦場での話でいいな? 戦場で自分のために生き延びるのは実に簡単だ。前線に出たフリをして物陰にひたすら隠れて退役処分になればいい」
「……仲間を守るため?」
「それも、違うな。殺しで誰かを守るなんて考えは
龐棐さんはそこで目を伏せ、「今は戦争も終わって保安業務ばかりだがな」と少し笑った。
昨日子は睨みつけていた眼光をいつのまにか少し緩めて口をとがらせていた。
「龐棐。嘘吐いてる」
「何だ」
むむ、と眉間に皺をよせる昨日子。代わりに明日香が続きを継いだ。
「価値ないなんて、思ってもないでしょ。龐棐さんにはちゃんと意志があるし、そのためになら命を惜しむつもりはないってだけで」
「……だから冗談だといっただろう。あときれいに単純化しすぎだ」
そう答える龐棐さんを、昨日子は半分興味なさげにチラリと一瞥してふっと息を吐く。
「何だ。何か言いたいことでも?」
目を伏せる。金髪の横髪に隠れて表情が見えなくなったがおそらくいつも通りの仏頂面だろう。
「人は……何かのため、生きてる。そう思う。“何か”は、人によって、違う。それ、本人……知らないかも。でも、それは、だからこそ生きてる。答え、探すために生きてる。そう思う。価値とか、じゃなくて。だから……」
顔をあげ龐棐さんをまっすぐ見る。
「冗談でも、軽んじるような、言わないで欲しい」
じっと見つめられて、龐棐さんはしばらく固まっていたがやがて「……わかった。もう言わん」と目をそらした。
キキイ、とバスが止まった。
「はい、着きました。本日の最高時速は420㎞! 残念ながらリニアにも及びませんでした……。次回はもっと上を目指しますのでお許しくださいませ」
残念とかいう問題じゃねーよ。100m走を1秒以内に完走するバスなんか二度と乗るものか。生きて目的地に到着できただけでも十分奇跡だ。
さすがレフト・シティー軍特注特殊装甲バスというわけか、バスから降りて見た車体は、あれだけ色んな者を轢き飛ばしたり壁に大穴開けたりして突き進んできたのに傷ひとつついていなかった。ドリルや金属アームが前面の、本来ヘッドライトがあるべき場所からにょっきり生えていて、そこだけは大きくめくれて周囲の塗装が大きく
『休館』の立て札の横を通り抜け、ロビーから館内に入った。真っ暗な館内にパッと灯りがついたがそもそも照明が薄暗く、展示物と説明文だけが暗闇に目立った。
レフト・シティー軍少佐の権限で休館日の博物館に特別入館させてもらった僕らはさっそく館内を歩き始めた。だだっ広い一部屋にいくつも水槽があって、それぞれに不思議な形状の生き物がホルマリン漬けになって入っていた。あ、あれ見覚えがある。スカイ・アマングで見た赤帽鬼かな。展示室のひとつに他と違う大きな水槽があった。レフト・シティーに来た時に見たクジラのような黒い生き物、水魔がぷかんと浮いている。あの時はあんなに恐ろしかったのにこうやって動かず展示物として浮いている姿は何だか間抜けな感じがする。足が八本ある鳥。逆に一本足の鳥。角の生えた蛇。羊そっくりの、動く実をつける植物。
「……修徒。ここはお前のバイト先の先輩が行ってみろって言ったんだよな」
「そうだけど。何?」
「何で行ってみろって?」
「ナーガ・チェスのこと色々わかるだろうからって……」
言いながら言葉がしりすぼみになる。今見てきた感じ展示してあるのは8年前の戦争後も生きているという妖獣・妖魔の類ばかりだ。もしかしたら他の階にそういう資料がおいてあるのかもしれないけど、このラインナップで何がわかるというのだろう。
「ん、案内板や。一回は特別展示室、二階は常設展示室、三回は事務所で四階が展望室やて」
「よ、四階行こーぜ! この薄気味悪い暗い部屋になんか居られねー!」
……喜邨君もしかして暗いの苦手か。逃げようとしたところを龐棐さんに首根っこつかまれてじたばたしている。
「見学もするんですか龐棐さん」
「居たら悪いか神永修徒。俺はこの施設の視察に来ただけで、君たちはついでで特別に内覧しているだけだ。さあて二階に行くか」
さりげなく仕切るんじゃねえ。
げんこつを作る僕を無視して龐棐さんと公正は階段をのぼり始め、それを追い越すように喜邨君が駆け上がって行く。
「あ、こら昨日子」
ボロっと何かがくずれる音がした。先行っててと三人に声をかけてから明日香と昨日子の所に戻る。
「何壊したんだ。どいて。直せるかわかんないけどやってみる」
二人が脇に避け、大穴のあいた壁が見えた。昨日子が無言で穴の奥を指差したので覗き込んだが暗くてよく見えない。奥に別の部屋がある……バックヤードだろうか。見つけたはいいが勝手に入っていいものだろうか。そもそも壁を壊すこと自体やっちゃいけない事なんだけど。
とりあえず壁を直そうとすると拳がとんできた。吹っ飛ばされて近くの別の水槽の台で背中を打つ。昨日子は壊れた壁に手をあてさらに〈力〉で崩す。
「ちょっとおい、昨日子……」
バックヤードにも水槽が見えて言葉を切る。バックヤード側も照明が薄暗くはっきりとは見えないが、大量のケーブルの這う室内に縦長の水槽が何本も見える。何が入って……。
昨日子が穴から中へ入っていき、明日香がついていく。僕も後を追って室内に入る。想像異常に広い部屋で、水槽は部屋の奥までぎっしり並んでいた。
「これ、……人?」
青白い体がホルマリンに浮いていた。僕たちよりいくつか小さい子供ばかり、裸の人間が、眠っているというより固められたように液中でじっと動かず浮いていた。そろって丸刈りの頭で無表情。男女は部屋の右寄り左寄りで分けられ、年齢も奥の方ほど高いようだった。それぞれの水槽にはラベルが貼られ、番号の隣にアルファベットとやたら画数の多い漢字の組み合わせで何か書かれている。
「なんっ……だこれ……」
「……実験結果。たぶん」
「実験? 何の実験だよ、こんな……」
「〈力〉」
短く答えてじっとラベルを眺める。読み上げてくれれば何かわかるかもしれないのに何も言わず次のラベルに目を移した。
「同じの見たことある。キャンセラー使う、取り出す、移す」
困っていたら説明していたが言葉が足りないにもほどがあってさっぱりわからない。
「器具同じ、でもキャンセラーない、移す先ない。保存。待機。不明」
やっぱり意味がわからなくて明日香に視線で助けを求めたが明日香も眉間にしわをよせて目を細めていた。他の人に聞いた方がよさそうだ。
「これ、龐棐さんは知ってるのか?」
「知らないと思う。知らせなきゃ……」
穴から部屋を出て、二階へ向かう。階段に足をかけて隣を見ると明日香がいない。穴を出てすぐの所にある赤帽鬼の水槽で足を止めていた。
「どうした?」
「ううん……。気のせいだと思う、けど。動いたような気がして……」
「動くわけないだろ、薬に浸かってるんだぞ……」
そう言いつつもスカイ・アマングで赤帽鬼に首を狙われたのを思い出して水槽から距離をとる。後ろにあった別の水槽にぶつかって……その水槽にいた妖魔のどでかい目玉がぎょろりとこっちを向いた。
「うわああああああ!」
「動いた! 生きてる、生きたまま入ってる!」
声に反応したか他の水槽の生き物もぞろっと動き出し、床に落ちる影が一斉に揺れた。
「出よう、シュウ、はやく出よう」
言われるまでもない。階段へ向かって走り出す。
「姉さん……っ!」
突然横を走っていた昨日子が叫んで引き返し明日香を押し倒した。その頭上をアンバランスに刃の長い鎌が一閃する。そしてそのまま近くの水槽を破壊した。鎌はすぐさまぐねっと木槌に形を変えて上から下へどすんと振り下ろされる。危機一髪で落下点から明日香を引きずり出して昨日子が戻ってくる。目標を見失った鎖鎌は周囲の水槽に手当たり次第体当たりし、ばらばらに破壊しながらこちらへ迫ってくる。水槽に閉じ込められていた妖魔が次々に這い出し動き回り始めた。
「なに、あれ……!」
「真似妖怪」
巨大な唇に顎がつき、そこから足が生えたような奇妙な形の妖魔がその巨大な口をばくばくさせて準備運動はすんだとばかりにこっちに走ってくる。
「走る。逃げて」
明日香を抱え上げた昨日子に体当たりされ危うく転びかけながら慌てて走り出した。階段を一段とばしで駆け上がり、薄く開いた鉄扉から常設展示室へすり抜けすぐに昨日子が扉を閉めてがちゃがちゃっと鍵をかける。昨日子と僕は上がった息が整わないまま壁にはりつく。急に走ったから足が疲れた。すとんと腰を落として壁に背をあずけた。
「今日破たちは」
「先に行った。ここ展示少なそうだし、もう上行ったのかも」
常設展示室は歴史が展示物の中心テーマのようで、壁に貼られた大きな白黒写真の下にいくつも説明文が並び、ショーケースに何か道具や書籍らしきものが並べられている。こっちには生き物はいないようだ。
「う……」
昨日子に押し倒された時に意識を失ったらしい明日香が気がついて体を起こす。
「さっきの……」
「もう大丈夫。昨日子があの部屋から運び出してくれて」
「……シュウじゃないんだ……」
何をがっかりされているのかよくわからないけど助かって良かった。ふぅ、と安堵の息を吐く。
バン!
急に鉄扉がすごい音をたてて思わず飛び上がった。バンバンバン、鉄扉が何度もなるけどよっぽど頑丈なのだろう、鉄扉はびくともしない。ところがそこにがちゃがちゃっという音が混じった。そして扉の下の隙間から細い棒が突き出てきてかんぬきをロックしている南京錠を探り当てる。細い棒がかくんと曲がって鍵の形に変化した。
「やばい、出てくる」
急いで明日香の腕をつかんで立ち上がる。昨日子はもう走り始めていて、僕等は次の階段を駆け上がる。後ろでドーン、と何かが爆発するような音がして警報が鳴り響いた。そして階段を何かが駆け上がってくる気配。
「明日香早く!」
すぐ後ろに何か居る気がして叫んで振り返る。もう階段の下にいろいろ居る。つられて明日香が振り返ろうとするので慌てて手を引っ張って引き上げた。
「姉さんっ! 修徒っ!」
昨日子の叫びと同時に何かが飛んでくるのがわかってまた振り向いてしまった。でっかい目玉におちょぼ口がくっついたような気味の悪い妖魔……さっき展示室で目が合った奴……が飛んできていた。思わず避けようとのけ反るがもう間に合わない……!
「修徒様!」
直後、見えない壁かなにかがそこにあったかのようにその妖魔がふっとばされた。足の力が抜けて明日香の上に尻もちをついてしまい、「ぎゃ」と声があがる。ごめん明日香。
「ご無事ですか修徒様!」
「クリス……!」
僕を助け起こし、すぐに手を放して一段下に移動し膝をつく。
「ちょっと何、シュウまさかアンドロイドと手を組んでるの?」
「えっと、スカイ・アマングでみんなの所まで連れて行ってもらったりしただけで別に」
「何のんきなことしてるのよ。敵だったらどうするの」
「私は修徒様を味方いたします」
「誰が信用するのよ」
「修徒様が信用してくださいます」
ちょっとシュウどういうことなのよとものすごい形相でにらんでくる。信用するも何もまずは妖魔の大群を〈プロテクター〉で防いでくれていることに感謝すべきじゃないだろうか。アンドロイドだからというだけで拒否するなよ明日香。
「……何しに来たのよ」
「ここの制圧に参りました。この博物館に妖獣・妖魔の密輸入の疑いありとの情報が入り、先ほど現場査察により確証を得ましたのでその処理に。他のメンバーも来ています」
「他のメンバー? ……トーマス?」
昨日列車ジャックしてたけど。
「H-1363は……首都の地下牢に送られました。近いうちに処分されるでしょう」
「処分? 殺されるってこと?」
「壊されるということです。アンドロイドは死にません」
そう言いながらローブの袖をまくり銃を取り出す。無造作に手のひらにくっつけ、ためらう間もなくパンと引き金をひいた。ちょっと血がはねてすぐに再生する。明日香が悲鳴をあげた。
ガシャーン!
〈プロテクター〉が破られて霧散する。僕はあわてて明日香を昨日子に引き渡して階段を駆け上がる。クリスがもう一度〈プロテクター〉を張り直す。
「ここは私が処理します。修徒様は皆様を早く脱出させてください」
「……わかった」
三階への扉を抜けて閉めた。目の前にLab.1のプレートのついた白い扉。案内板には事務室と書いてあったが研究室もあるようだ。喜邨君たちは無事だろうか。四階、展望室を目指して廊下を走る。
きぃ、ときしむ音をたててLab.3のプレートのついた扉が開いた。公正、今日破が顔を出す。その後ろに喜邨君が立っていて奥は見えない。
「遅かったな、修徒、明日香、昨日子」
「何しとったんや、待ちくたびれたで。研究員はんが最近の発見を見せてくれるいうのに居らんから待っとったのに」
「てめえらが来ねえから俺がこの焼きそば独り占めしちまったぜ!」
全然状況を知らずにのんきにクッキー(喜邨君は焼きそば)をかじっていた。早う座れ、と席を勧める今日破。
「今日破、今はそれどころじゃないの」
「明日香、これ美味えけど明日香はもっとうめえの作れるんじゃねえのか?今度作ってくれよ」
むっしゃむっしゃと焼きそばを口に入れたまま明日香の発言を遮る。入れよ、と手招きをしながら喜邨君が奥へ入って行き、パソコンの前で研究員と話す龐棐さんが見えた。
「何を焦っているのか知らないが少しリラックスしたらどうだ。希望するなら焼きそばもまだまだあるぞ。支給品だが」
「ダメ! それは俺の!」
「……俺のだったはずだが?」
「うるさい」
昨日子がぴしゃりと会話を止める。
「武器。貸して。長いの」
「?
「いい。行ってくる」
すたすたと出て行く昨日子にいってらっしゃーい気いつけてえなと軽く手を振って見送る今日破。姿が見えなくなるとほらほら早う座りーやとまた席を勧める。
「どこに行くんだ」
そうだった。
「龐棐さん! ちょっと僕たちについて来てください! 今日破も、公正も喜邨君も」
「何だよいきなり」
「いいから早く!」
龐棐さんは刀を持っているからいいとして喜邨君と公正には余っていた箒の柄を持たせて部屋を出る。二階への扉を開けるとそこにもうクリスの姿は無く、妖魔の死骸が散乱していた。思わず立ち止まる今日破たちを急かして一階への扉を開ける。目の前にホルマリンまみれの水魔の巨体が転がっていた。付近にはガラスも散乱している。
「何があった?」
「ホルマリン漬けの妖魔たちは標本じゃなかったんです。生きたまま展示されてたんです」
緑の照明に照らされた横顔が険しい表情になる。
「誰がそんなことを許可して……」
「お前の大事な軍人仲間だよ、おバカさん」
冷たい声が階段の上の方から聞こえてみんなそっちを見上げた。緑に照らされた細く黒い人影がローブのフードを取る。見開かれた細長い目が僕等をなめ回すように観察してふん、と鼻を鳴らした。
「誰だ」
「言い遅れたね。ウィリアムだよ。よろしく、いやホントはさよならにしたいんだけどさ、上の命令でできないんだよね、残念残念。うーんやっぱり殺しちゃおうかな」
「アンドロイドか。番号を名乗れ」
「やだなぁ怖い顔しないで友好的にいこうよ友好的に。一緒にたのしもうじゃないか」
格好付けてナイフを突き出し、ポーズを取ってみたりする。完全になめてやがるな。
「ほうら、返すよ」
ウィリアムが投げた何かをとっさに今日破が受け止めた。え、人間。金髪ポニーテールで片方だけ大きなイヤリングをしてる……
「昨日子!」
怪我はしていないようだがぐったりしている。昨日子は今日破の腕からずり落ちてよろよろと壁を支えに立ち上がった。
「あいつ、変。アンドロイド、だけど……壊れてる」
「壊れてる? ははは! くくっ。壊れてるだってさ。何を言ってるのかさっぱりだね。下等動物どもはどうやら俺らとは思考回路が違うらしいねえ。脳みそ無いもんねえそっちは」
「お前こそお前の言う『下等動物』に作られた物だろうが」
「は? だからなんだって? おめーら下等動物の意見なんぞ知ったこっちゃねえんだよ。うざいんだよお前ら。死ねよ」
さっき格好付ける時に使ったナイフを無造作に投げる。……って、うわ、ナイフは一本なのに四方八方から飛んでくる……?
「今日破っ!」
昨日子が床に手を触れた。光がほとばしり、床にひびが入る。〈力〉だ。ばきばきとコンクリートの折れる音が響いて床が大きく波打ちばらばらになっていく。今日破がバランスをくずしてこけ、ナイフの軌道から反れる。行き場を失ったナイフがコンクリート片に突き刺さり、足下の支えが無くなった僕らが落下する。
……っておい! 下の階そういえば結構天井高かったぞ! 視界を埋め尽くしていた瓦礫が次々に液体に飲み込まれ、スローモーションのようにホルマリンの緑の液面が近づく。嫌だ、標本になるのはいやだ……!
「修徒様!」
声が聞こえて、何か軟らかいクッションにぶち当たった。はっと顔をあげるとそこはシャボン玉のような球体の中だった。球体の外はホルマリンの海。〈プロテクタードーム〉の中のようだ。
「クリス、ありがとう」
「ご無事で何よりです。このたびはウィリアムが失礼しました」
「おい、お前もアンドロイドだな。番号を名乗れ」
龐棐さんがクリスに詰め寄る。クリスは特に気分を害した様子も無く名前と番号を返す。それをきいて龐棐さんが少し首をかしげる。しかし何でも無いとばかりに頭を軽く振って今度は昨日子とにらみ合う。
「そこの頑固者。お前が床壊したせいでこんな状況になっているんだぞ。少しは責任感じたらどうだ」
「うるさい、職務怠慢動物。施設管理、怠る、悪い」
この状況で喧嘩すんなよとあきれて目を逸らしたら目の前に目玉が浮いていて思わずわっと声をあげてのけぞった。そいつはホルマリンの中を自由に泳ぎ回って何度もプロテクタードームにタックルをくらわせている。僕の近く以外にもホルマリンの中に居る妖魔がプロテクタードームを壊そうとあちこちから体当たりしている。このままだとたぶんやばい。クリスのプロテクタードームだからといってこの攻撃に耐える保証は無い。
「……これは研究員ともどもグルか」
「そう聞いています」
「なら研究所もろとも壊してかまわんな」
無言のクリス。軍人が本来民衆のためにつくったはずの博物館を破壊していいのか僕の方が疑問に思う。
「クリス、といったか。このドームは炎も防げるか?俺の〈力〉で作った炎で外のホルマリンを燃やしてしまいたいのだが」
「可能です。一部緩めればそこからものを外へ出すこともできます」
その言葉に龐棐さんはうなずき、みんなをしゃがませる。それから右手を広げて上に向けた。
ぼっと発火音がしてそこに炎が現れる。それをプロテクタードーム内壁に押し付けて外にだす。すぐに外のホルマリンに引火して真っ赤に燃え上がる。その間にプロテクタードームは炎の海を流れて外に出る。完全に火花の飛んでこない位置まで移動してからプロテクタードームが消える。
ドドドドド、とすごい音が突然鳴り響いた。プロテクタードームに遮られ、さっきまで気がつかなかったごうごうという炎の音につつまれて真っ黒に燃え上がった建物が崩れ落ちていく。落っこちてきた3階、4階部分にもすぐに燃え移り、異常な勢いで火が回る。
「ちょっと!まだ中に研究員さんいるんでしょっ!?」
「とっくに脱出済みだ。逃げ足の速い……」
炎の脇の林に逃げ込む人影を指差してぼっ、と指先に火をともす。それがばっと前ぶれなく指を離れて一直線に人影めがけて加速して何かにぶつかってぱっと消えた。
「何をする、アンドロイド」
「今回はお見逃しくださいませ。修徒様の精神状態に影響を及ぼしかねますので」
クリスがかばう間に人影は木陰にまぎれて見えなくなる。
「大丈夫ですか、修徒様」
声をかけられて始めてその場を離れようとしているみんなに置き去りにされかけていることに気がついた。無意識にぎゅっと握りしめていた手の力を抜く。なんでもない、と首をふってみんなを追いかけた。……大丈夫、今回は僕のせいじゃない。
研究所を隠すように囲んでいた林を抜けてひとけの無い立ち入り禁止の住宅街を通る。
立ち入り禁止のくせにところどころにまだ日付の新しい酒瓶が散乱していたり魚の骨とか卵の殻とか生ゴミが腐臭を発していたりする。浮浪者が出入りしているようだけど軍はいちいち彼らを捕まえて刑務所に放り込んだりはしないらしい。
立ち入り禁止区域の端にたどりついた。灰色の背の高いフェンスの上に有刺鉄線が張ってある。放棄されてから年数が経っているようで番人らしき兵士は見当たらず、フェンスのところどころにある綻びも修繕跡が全く無かった。龐棐さんが綻びの一つを焼き切って穴をあけ、そこから脱出する。無事出てこれたな……あれ、クリスが居ない。またどっか行ったな。さよならくらい言ってくれればいいのに。
駅があるという方向に歩き出してすぐに広場にさしかかった。そこで隣を歩いていた喜邨君の目がキラーン。
「たこ焼き屋見っけ!」
言うなり屋台に突進。
「おっちゃん!たこ焼きくれ!」
「あいよ。いくつだい」
「三十個!」
「……ちょっと時間かかるが待てるかね。15ルバーだよ」
パッと銀貨を置いて屋台の前で座り込む。やれやれ、と僕等もその辺の砂の上に座り込む。
寂れた住宅街に突如出現した広場は円形に広がっていて、足下は舗装されておらず芝生や雑草はほとんど生えていない砂地だった。中央の小山の周辺に何脚かボロボロで塗装の禿げたベンチが置いてある。たこ焼き屋のおっちゃんが細い串を駆使してくるくるひっくり返してたこ焼きを作るのを眺める。こんな所で営業していて儲かるのかなあ……。一応ちらほらその辺を歩いている人は居るけど。
たこ焼きを受け取った喜邨君が戻ってきてベンチに腰掛けて予想通りその体重でベンチをまっぷたつに割った。喜邨君は一瞬イラッとした表情をしたが特に気にすることなくそのまま移動もせずにたこ焼きの入ったプラスチック容器を開ける。添えられた爪楊枝を完全無視して香ばしい香りをたてるほかほかのたこ焼きをプルンとつまみ上げてもくりと口に運ぶ。
「うめへ……! あふいへどふへえ! はほはっふりはひふふぇえはほひひゅっこほひ」
「喜邨君……口に入れたまましゃべらないで……」
平和だなあ……。
うーん、と伸びをして背筋をのばし、砂の上に転がる。砂が髪にざらざらささってちょっとうっとうしい。硬い。寝心地悪い。やっぱり寝転がるなら芝生に限る。起きあがってふるふると頭を振って砂を落とした。あ、ごめん昨日子。飛んだか。
ぶーーーん……
低い音が聞こえて耳をすませる。虫かな。それにしてはでかい。エンジン音っぽいけど……。
ぶうううん……
うるさいな、ともう一度上空を見上げる。頭上を小型の戦闘機が飛んでいた。それはゆっくりと旋回してだんだん高度を下げてくる。この広場に着陸しそうなので耳を塞ぎながら端に移動した。戦闘機はそのままくるくるぶんぶんと降りてきて滑らかに広場に砂をけたてて着陸した。一拍おいてパカッとドアが開き、誰かが降りてくる。
……あ……!
赤茶色の髪、ひょろ長い背丈、白いカッターシャツにいっつも笑顔の……
「……誰だ」
……龐棐さんは、知らない人。
「冬人はん! 冬人はんや!」
今日破が小躍りして駆け寄る。
僕はとっさにその手首を引っ掴んでひきずられそうになりながら引き止め、冬人さんを睨みつけた。
「どのツラ下げて帰って来たんですか」
「……誰だっけー?」
僕の言葉は完全無視でにっこり首をかしげる冬人さん。
「とっととトーマスのとこ行けよ」
「トーマスって誰ー? ねー今日破は知ってるー?」
え、今日破の名前覚えてんの。今日破は感涙をぼろぼろ流しているけど冬人さんが訊ねている相手は明らかに今日破じゃない。そっちは喜邨君だ。
「冬人はん、心配しとったんやで? よう帰って来たなあ」
僕の腕を振りほどいて肩を組む今日破。冬人さんはされるがままにちょっとふらついて肩を組み返す。こっちこっち、とそのまま僕の横を通り過ぎ、すれちがいざまに「ごめん、ショータ」と早口が聞こえた。だから誰なんだよ、それは。
「みんなも無事で良かったよー? じゃあ飛行機に乗ってー。首都まで戻ろー。大丈夫、操縦は得意だからー」
その言葉にみんな一瞬表情と行動が固まる。不安だ。すごく不安だ。この冬人さんの操縦なら乗ったらそのまま黄泉の国までひとっ飛びしそうだ。高く高く飛びに飛んで戻って来れなくなりそうだ。
「あー……、ほら、戦闘機小せえだろ? 全員は乗れねえだろ? 俺なんか特に乗れねえだろ? お、俺は歩いていくから……」
「……喜邨、付き添う、飛行機、乗らない」
「き、昨日子が乗らないなら私も歩く……」
「あ、明日香が乗らないなら……」
「修徒も乗らないなら……」
「大丈夫だよー。軍部の技術者さんが中の空間を広げた特別仕様のやつだからー」
「おい」
一応軍人である龐棐さんがツッコミを入れる。まず間違いなくそれはレフト・シティー軍の軍備だ。どこでかっぱらって来たんだろう。
「……ホンマにホンマに大丈夫なんか? 冬人はんの操縦、信用して大丈夫なん?」
「うん、墜落したこと一度も無いよー?」
覚えてないだけなんじゃないか、と一同の顔が逆にこわばる。じりじりと後ずさりし、機体から距離をとって……。
「さあさ、乗って乗ってー」
目の前にすっと冬人さんの指が迫り、ぱっと消えた。妙な浮遊感の後、短い落下。え、もしかして〈力〉……? ってもう乗ってるし! 〈力〉で瞬間移動させられた!
「離陸するよー! つかまっててー」
「待てやめろ降ろせえええええ」
喜邨君がでかい体で暴れ、まだ地上だというのに機体が大きく揺れる。叫びたいのは僕らも同じだがとりあえず全員で喜邨君を押さえつける。
「はっしーん」
ぶるるるるると激しい振動とエンジン音とともに加速の感覚。すぐ前の席に座っている龐棐さんの頭の横から操縦席の先の正面の窓が見える。機体はその先のピンク色の家めがけてまっしぐらに加速し……って上昇は? 真っ直ぐ衝突すんのっ?
「あれー? 滑走路の長さが足りないー」
「「ぎゃああああああああああああ」」
狭いところにぎゅうぎゅうに入っている上に一斉に大声を上げたので反響して一瞬で何も聞こえなくなった。視界も一瞬で暗くなる。あ、目をつぶってるだけか。必死で耳を塞ぐ手をはずし、こわごわと目を開く。
操縦席の先の窓から見える家々の屋根。地上の街灯に照らされた、無機質な銀色ドームの天井。……離陸……成功したみたいだ……。というか、たぶん飛行機ごと空中に瞬間移動したんだと思う。
「……瞬間移動の〈力〉ならわざわざ飛行機を使わずとも移動させられるだろうが。危険操縦して他人の寿命を縮めるな」
「〈力〉でやるのは大変なんだよー。大人数を遠くにとか無理無理ー。軍人さんも暗いからって〈力〉で夜じゅう火をつけっぱなしにしたりしないでしょー」
「龐棐だ」
「龐棐さんー? よろしくー」
操縦が得意と言ったのは嘘ではないらしく機体は安定した飛行を続けていた。なによりこんなに小さくて(中は〈力〉で広げられたものらしいが)振動が伝わってきそうなのに静かだ。向こうにいた頃に一度登山か何かの機会にヘリコプターに乗ったことがあるけどその時機内で会話しようと思ったら声を張り上げないと何を言っているのかさっぱりわからないほどプロペラの音がひどかった。これは飛行機なのに普通の音量でしゃべっても十分聞き取れる。
「なあ冬人はん。……あの時なんで修徒に銃向けたん?」
「んー? 銃ー? 修徒くんにー?」
「とぼけても無駄やで? ……もしかしたら、もしかしたらと思っとったんやけど、冬人はんは俺らを助けるつもりであんなことやったんやろ?」
「……しらなーい」
徐々に横向きに重力がかかり、飛行機が旋回を始める。だんだんだんだん高度を下げていって住宅街の屋根が近くなってきてみんな口を閉じた。……いつぶつかるかわからなくて不安だ……。わわ、喜邨君の向こうの窓の外側、もうちょっとでかする所だった……。
「龐棐さん、水浴びでもしてきたんですか」
「修徒こそいつの間に歳をとった? ずいぶんと声が震えているようだが」
ふふふふふと真っ白な笑い声があちこちから上がる。あははははは僕等の将来終わりましたあははははは……。
いや終わっちゃ困るから。
飛行機はうまいこと家の間を縫うように旋回してついにシュッと着陸してがくんと止まった。っはー、と止めていた息をみんなが一斉に吐き出して盛大なため息になる。ぶ……無事生還した……。一刻も早く脱出しようと喜邨君がドアをぶち破りどたどたと降りていく。続いておりようとしたら公正にはね飛ばされて中にもどされた。公正に馬鹿阿呆と罵声を浴びせながら出ようとしたら今度は龐棐さんにはねとばされて次は今日破にはね飛ばされた。おのれ僕以外の男子ども。僕が降りれなかったら僕より奥に座ってる女子が降りれないんだよ。レディーファーストはどこ行った。
降りた所はテツロウさんの家の前。冬人さんこの場所覚えてたんだ、と驚きつつみんなに続いて玄関に向かう。あれ冬人さんがいない。……冬人さん、そっちはひとんち。
お隣さんの玄関ドアをノックしようとしていた冬人さんをみんなの所に連行し、中に入る。
「ただいまー」
「おかえりー」
いつも通りの言葉がなんだか嬉しくなる。ああ、帰れたんだな。
「飯ーっ! 腹減った!」
「わかったわかった。準備してあるからとりあえず荷物置いて来て」
どやどやと和室に向かう。そこで和室に似合わない黒いローブの二人組がもくもくと布団を敷いていた。
「ロブ、ジョセ……何やってんだ」
「……布団敷き」
いや、それはわかるけどね?アンドロイドが何で人間に雑用やらされてんだよ。僕は一応敵に近い奴ら、として警戒してんだよ。なにほのぼのと布団しいてんの。僕の警戒心がどうにかなりそうだ。
「一日遅かったけどみんな帰って来たな。……ん、誰こいつ」
僕らの後から入ってきた
「龐棐だ。レフト・シティー軍東部イーロン二番隊隊長。地位は少佐。敬語は好かん。普通に話してもらってかまわ……」
「出てけ」
ずるずると廊下に引っ張り出されて足蹴にされてふすまをばしゃんと閉められ廊下に閉め出される龐棐さん。即座にふすまを開けて中に舞い戻る。
「出てけは無いだろう出てけ、は」
「うるさいな。俺は軍人大嫌いなんだよ。何が何でも放り出すぜ?」
げしげしと龐棐さんの足を蹴る縁利。……縁利は八歳くらい、龐棐さんは三十路を過ぎた大の大人なので傍目にはお父さんにしかられてやつあたりする息子みたいに見える。
「僕もやるー」
敷きたての布団に寝そべってごろごろしていた冬人さんが突如起きあがって駆け寄り、げしげしと龐棐さんを蹴り始める。気づいたら公正もげしげし蹴っている。リンチかよ。みんなで詰め寄って明日香と
「こらっ、入れろ!」
「やだー」
「入れろと言ってるんだなぜ閉め出す!」
「夜中にそんな大声出したら近所迷惑だよー」
あーいいチームワーク。
「とにかく中に入れろふがっ!」
「?」
「男子。風呂。先。一人ずつ」
あ、昨日子。
「というわけで、先にいただくぞ!」
ドタドタと荒っぽい足音が遠ざかって行く。しらけて沈黙。ちくしょう、一番風呂をとられた。っていうか何ちゃっかり風呂まで入ってやがるあの軍人んんん。
「俺次入る!」
「我輩が先だ!
「ああ? お前は下賎に加えて下品だろうが」
「あああ? 何か言いおったか?虫けらの声は小さくて聞こえんな」
「ああああ? ずいぶんと早く老けたな曹。もう耳も悪くなったか」
「あああああ? 貴様…」
予想通りの展開なので無視して公正が次に入ることになった。その次は喜邨君、冬人さん、今日破、縁利、僕とすんなり決まる。騒音の元である二人にはもちろん一番最後の冷めた湯に仲良く浸かってもらう。
「風呂出たぞ! 次は誰だ? 早く入らないと冷めてしまうぞ」
つっかい棒を破損させる勢いでふすまをドバンと引き開けて龐棐さんが乗り込んで来た。公正が即座に龐棐さんを押し出しつつ外に出てその背中に影がさすなり縁利が新しいつっかい棒でふすまをロック。再び龐棐さんは閉め出された。
「おいこら」
「じゃあ俺は風呂行ってくるからな」
見たか僕たちの連係プレー。素晴らしいだろうあはははは。……さて、ふすまを蹴破られたときのために布団でバリケードでも作ろうか。布団を敷いたロブとジョセが何か言いたげに見つめてくるのでやめておく。
「あー……腹減った……」
さっきたこ焼きをたんまり食ったはずの喜邨君が口をとがらせてつぶやいた。
「後で食べにいったらー? 台所にー」
「つまみ食いすんなや」
今日破が突っ込んでごろんと寝転がる。それから電灯を見上げて袖で顔に影をつくった。
「寝転がったらまぶしいなあ。電灯、消してもええ?」
どーぞと手を振る。すぐにぱちんと灯りが消えた。でも窓から入ってくる街灯の光のせいでずいぶん明るい。縁利が少し薄い灰色の生地にうさぎと人参の柄のカーテンをざらざらーっと閉めるとカーテンの隙間から差し込む光を残して室内は真っ暗になった。氏縞と曹が悲鳴を上げかけてあわてて互いの首を絞めあった。落ち着け。そこは光当たってるだろ。
「おい! 寝る前に入れろ!」
おー、寝ようとしていると勘違いしてるな。それもいいとばかりにみんなで寝息の真似をしてみる。ゆっくり長く息を吐いて……って冬人さんマジで寝てませんか。
「喜邨、風呂入れー」
「おう」
公正の声に縁利がつっかい棒を外すと公正の後ろに龐棐さんが不審者っぽくぴったりくっついていて、こっそり入室しようとした。公正がみぞおちめがけてひじを突っ込み、すぐに喜邨君が巨体で押し出して退出し、縁利が再びつっかい棒。はっはっは無駄だよ龐棐さん。どしどしと振動が遠ざかるのを聞きながらくすくす笑う。
「洗濯物もって来たよ。……起きてる?」
明日香の声だ。
「ありがとう。えっと……今開けるからちょっと待って」
縁利がつっかい棒をはずす。ふすまをうすく開けると龐棐さんが山のような洗濯物の後ろに立っているのが見えた。
後ろの人入れないでね、とささやいて洗濯物を受け取ろうとしたら「どういうこと?」と尖った声が返ってきて洗濯物ごと突き飛ばされた。そのまま走って行ってしまってしばらくふすまは無防備に開いていたけど龐棐さんは入ってこなかった。再び縁利がふすまを閉める。
……ああそうか。明日香から見ればこれもいじめに見えるんだろうな。何度か喜邨君たちに教室から閉め出されて授業遅刻くらって泣いてたもんな……。同じだよなこれ……ていうかいじめじゃん。
だけどすぐ言い出せずにとりあえず洗濯物をどうにかしようとそのへんに落とす。うわっぷ! と変な声が聞こえた。縁利が部屋の電気を付けると氏縞が洗濯物の山に埋まっていた。昨日子が氏縞から洗濯物をはがして畳み始める。埋まっていた氏縞も自分の上から洗濯物を剥がして畳み始めた。さて、僕はタオルでも畳もうかな。一番簡単そうだし。靴下とかTシャツとかそんな複雑なものみんなよくそんなに手早く畳むよな。よっぽど親の手伝いしてたんだな、えらいなあ……。僕も結構手伝いしてたつもりなんだけどな……。ま、冬人さんの畳むTシャツよりは上手に畳めてると思うけど。冬人さんは論外級のへたくそだ。裏表逆になってたりしわしわぐしゃぐしゃでただ丸めただけにしか見えない状態で固めてあったり。それを隣で今日破が冬人はんもうちびっと丁寧に畳んで欲しいんやけど二度手間やないかとぶつくさ言いながら畳み直している。
「おい、ちょっとおい、修徒」
「ん?」
公正が呆れたような、というか何か僕がはた迷惑にも余計なことをしているのを
「もうちょっと上手に畳めよ……」
「……」
僕の左側に積まれたタオルの山は畳んだどころかただ単に色んな洗濯物の混ざった山からタオルだけ引っこ抜いて集めただけのようになっていた。これじゃあ畳んでないも同然だ。論外級のヘタクソは僕だった。
「冬人さんどうぞ」
冬人さんが出て行って、入れ替わりに喜邨君が入ってくる。みんなが洗濯物を畳んでいるのを見てどれを畳もうか迷ってから僕の左側のタオルの山を見て
「タオル畳もっかな……」
ほらやっぱり畳んでないと思われた。
「……なあ。龐棐さん入れてあげようよ」
やっと口に出せた。縁利はズボンを畳むのに集中してこっちに顔を向けない。
「嫌だ。あいつは軍人だ」
「軍人だからって……」
「お前は軍人嫌じゃねーのかよ。戦争とか内乱とか大量虐殺には必ず軍人が絡んでるんだぜ? そんな“戦争の種”なんか部屋に入れられるもんか」
冬人さんと入れ替わりに今日破が出て行く。冬人さんは入ってくるなり喜邨君がきれいに丸めたバスタオルを枕にふとんをかぶった。今畳んだんだ枕にするんじゃねえと喜邨君が殴る。
「……戦争に絡んでるのは軍人だけじゃないだろ。例えば政治家とか」
「はあ? 政治は軍人がやってるだろ。何で政治家と軍人わけるんだよ」
え、軍人が政治……? ああそうか、ここ日本じゃないんだった。久しぶりに洗濯もの畳みなんていう平和なことするから日常気分になってた。
「上がったで。縁利、入りや」
今日破が戻ってきて縁利が出て行く。みんな風呂の時間短いな。こんだけ人数居るもんな。短時間で温まって次の人に譲らないといけないもんな。
縁利が風呂場に消えるのを見送ってから龐棐さんを部屋に入れた。あきらめたような表情でため息をついて腰を下ろす。電灯をつけて龐棐さんと向かいあう。着古した青い外套を脱いで畳んで、壁に背を預ける。
「すみません、縁利が……」
「いや、縁利は何も悪くない。戦争するのも政治するのも軍人だ。戦争の種になっているのは確かに軍人だ」
「いやでもだから嫌いとかって」
「人の好き嫌いはその人の好き嫌いだ。例えば俺はピーマンがいまいち好きになれんが、」
ドゴッ。
龐棐さんの後頭部に昨日子の拳がヒットした。息を詰まらせて悶絶(もんぜつ)しつつ食べ物の好き嫌いは他人がどうこう言えるものではないと微妙にいいセリフを情けない感じに続けた。
「ピーマン嫌い、取り消せ」
「無茶言うな。あんな毒々しい緑色の物体、食べられるわけが無いだろう」
昨日子パーンチ。ここで暴れられるとせっかく畳んだ洗濯物の山がくずれるのでとりあえず公正と協力して昨日子を龐棐さんから引き離す。
「昨日子、俺はその気持ちわかるぞ。食べ物の好き嫌いは良く無え。何でも好き嫌い無くたっぷり食べねえと作った人にも食べ物にも失礼だからな」
喜邨君にまで睨まれて龐棐さんは居心地悪そうにふすまを眺めた。どうしましたか、もう一回外に追い出されたいですか。
しばらくして縁利が戻ってきたけど龐棐さんが部屋の中に入っているのを見てももうため息をつくだけで何も言わなかった。ただし、部屋の中で最大限距離をとって座ったけど。
「じゃあ次僕、風呂入ってくるから」
「貴様! 我輩はまだか!」
お前は最後だ曹。
ふすまを閉めて風呂場へ向かう。今日はいろいろあって疲れたな。……研究所、行ってみたけど特に何か役に立ちそうな手がかりは無かったな。おそらく
洗濯物かごに服を放り込みながら指折り数えて明日でこの世界に来てから二週間だということに気がついた。二週間。もうそんなに経つのか、と思ってからもっとずっと長い時間が過ぎたようにも感じた。
というか普段の二週間がどれぐらいの速さで過ぎるものだったか忘れてしまった。普段どんなだっけ。月曜の朝に母さんに叩き起こされて学校行って、門の前には生徒指導の先生が立ってて昨日より何分遅いとか声かけられて、グランドを抜けて下駄箱前でクラスメイトとおはようとか言いあって、それで面倒なあの階段をのぼって教室に入って。目を閉じれば本当に教室に居る気分がする。先生が黒板の前で連絡事項を離しているのを子守唄に日だまりでうとうとと……。
ばぶゅっ。
危ない。危うく浴槽内で溺れる所だった。疲れているのか猛烈に眠い。早く上がろう。
服を着替えて廊下に出るともう外から差し込む街灯の光が弱くなっていた。
「氏縞ー、曹ぁーっ!風呂入れ」
がらっとふすまが開いて馬鹿二人が奇声をあげながら飛び出してきて廊下をダッシュで競いながら脱衣所に消えていった。入れ替わりに中に入るとおかえりショート君と何だか感電しそうな名前で呼ばれた。冬人さんいい加減他人の名前覚えてください。
「ご飯準備できたから食べに来てって」
栄蓮が呼びに来た。氏縞と曹がまだ風呂中だけどまあいいか。気にすること無く部屋を後にする。さて、今日の夕飯は何かな。
リビングに向かう廊下の途中、脱衣所の前を通りかかる時にちょうどガラッと風呂場の戸を開ける音がした。そして、
「「お湯が無ええええええぇぇぇぇぇーーーーーーっ!」」
絶叫が響く。
……作戦A、成功なり。
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