12日目:博物館行き珍道中列車旅

 カーテンを開ける音がする。もうちょっと寝ていたいから布団を深くかぶって光を遮り眠りに沈み込もうと寝返りをうった。

「あさだよー」

 抵抗もむなしく布団を引きはがされて室内灯が目を刺した。ちょっと離れたところで今日破も布団をはがされる。近づく冬人さんから逃れようと縁利えんりが寝返りをしてつかさの頭に足が当たり、直後曹が飛び起きる。

「いっ……痛いではないか氏縞しじま! 貴様この魏の皇帝曹操様の子孫曹様の聡明な頭を蹴るとは何様だ! 身の程をわきまえろ!」

 どなられれば即座に氏縞が飛び起きて言い返す。

「何を言うか、俺は氏縞様だがお前なんかの頭を蹴った覚えなど無いぞ! そもそも蹴ってもたいして影響無いだろうがお前の頭は」

「なんだと! 我輩の頭は日本一良いのだぞ! テストであまり点が取れないのは問題の質が悪いだけなのだ、その曹様の頭を蹴るなど万死に値する」

「んなことで殺されてたまるか。お前の頭の良さなんてたかが知れてるだろうが、せいぜい振ったらカラカラ音がするぐらいで」

「貴様のようなふっても音すらしない奴が言うか」

「やかましいっ!」

 言い争う二人にまくらが砲弾のごとくぶっ飛んできて激突、仲良く床に頭をぶつけたところに布団が飛んできて曹と氏縞は強制的に沈黙させられた。犯人はもちろん喜邨きむら君。

 いつのまにかあのうるさいいびきをやめて肩をいからせて仁王立ち。敷き布団の下からはい出ようとした曹と氏縞がギロリと睨まれてそろって首をすくめてまた敷き布団にもぐりこもうとする。

 ごわあああん……ごわああん……

 妙に響きのいい音がリビングから聞こえてくる。何の音だろう。隣で公正があくびをかみ殺して体を起こした。

 明日香が朝食できたって呼んでるのかな。そういえば今日は博物館行くんだっけ。そこそこ早い時間の列車で。起こしてもらえてよかっ……。

「おはよみんなー。お名前はー?」

 にこにこと首をかしげる冬人さんにみんなの白い目線が集まる。理由はふたつ。まず博物館行かない人まで容赦なく起こした。そして博物館に行くのに遅れないようにしてくれたならいいが、まず冬人さんが博物館行きをおぼえているわけがない……つまり名前ききたいが為に全員起こしたってことだ。

「……俺は喜邨。飯呼んでるから先行く」

今日破きょうはや」

「修徒」

「曹。……俺行かねーのに……」

「氏縞。……もうちょっと寝たかった……」

「……公正」

「縁利。明日香そろそろ乗り込んでくるかもしれないぜ? 行こう」

 各々手早く着替え、着替え終わった人から布団を畳んで洗面所へ。ようやく布団を畳み終え公正に先を越されつつ外に出る。思ったよりまだ暗い。街灯なんかまだ夜間防犯灯みたいな小さいのしかついていない。

 洗面所の列に並ぶ事数分、ようやく顔をばしゃばしゃ洗ってすっきりし、リビングへ。入ってすぐにホットケーキのいいにおいがしてきた。

「やっとみんな来た! 今日は博物館行くんでしょ。みんな起きるのおそーい!」

 明日香が早すぎるんだよ。

「ほらほらさっさと食べる! 始発は七時だから、それに間に合うようにね!」

「……何で始発で……」「早すぎ……」「飯!」「眠い……」「俺たち行かないのに……」

「何か文句あるの?」

 刺すようなとげとげしい声に充満していたつぶやきが一気にかき消えた。栄蓮えいれんが明日香の足に引っ付いて上目遣いに僕等をにらんで口を尖らせる。

「眠いならあたし特製の薬を飲ませてあげるけど」

 やめろ。数人がホットケーキを口にふくんだままブンブンと首をふった。

 朝食後部屋に戻り、上着やら交通費やらをリュックに突っ込んで準備をすませ、リビングに集合する。リビングに入ると見覚えのある黒ローブが二人いて一瞬思考が停止した。

「ロブとジョセ……? 何でここに」

「我らの存在が不都合か」

「よせ、ロブ。……赤い髪の奴に頼まれたのさ。残る奴の子守りだ」

 冬人さんが……? それはちょっとありえないんじゃないかと思いつつ、この二人が居れば曹と氏縞の暴走をとめられそうだと思ったりもする。とりあえずお願いしますと頭を下げておいた。

「子守りなんか要らねーよ!」

「そうだ! 魏の始皇帝曹操様の子孫、曹操様が居られるのだぞ! 氏縞の子守りなど役不足なくらいだ!」

「子守りされるのはお前だろ! 今日破、俺様がこいつをちゃんと子守りするから!」

 居残り四人のうち二人が今日破に口々になにやら訴えていた。今日破、苦笑い。

「あ、シュウ来たんだ! みんな、出発するよ」

 明日香の言葉にみんなが足下に置いていたリュックを背負う。待たせちゃってたんだ。ごめん。

 外に出るとさっきより大分明るくなった街灯の光が地面の白黒タイルを照らし出していた。

「行ってきまーす!」

 居残り組の曹、氏縞、縁利、栄蓮、ロブ、ジョセ、そしてテツ朗さんの見送りに手を振って出発。何回も通った駅への道を歩き出す。

「今日破。ちゃんと冬人さん捕まえといてね。すぐどっか行くから」

「任しとき。冬人はんはここに居る……って冬人はんっ!? どこや!?」

 出発後数メートルにしてさっそく行方不明者発生。冬人さんの〈力〉は瞬間移動だった気がするので〈力〉で先に行ってるのかもしれない……けど目的地方向に居る気が全くしない。不安だ。

 むき出しの配管が壁や塀をう住宅街を抜けて大きい通りを渡り、また別の住宅街に入る。ほとんど人が住んでいないのかくずれかけたような家が多い。しかしそんな古い道でも必ず交差点の四隅には龍の置物が配置されていて通り過ぎていく僕たちをじいっと見つめていた。

 落書きだらけの塀の道。数日前の新聞が貼り出されている道。どんどん抜けて倉庫街に出る。

 ほとんど昼の明るさと変わらなくなった街灯に照らされた駅が見えて来た。

「喉かわいた。何か飲もうぜ」

 駅の券売機のすぐ近くに自動販売機を見つけた喜邨君が言いながら走りよってズボンのポケットから小銭を取り出す。お金持ってたのか喜邨君。

 僕は券売機に向かう。ん、これ壊れてるな。隣の券売機も硬貨を入れる所が何か固いものを叩き付けたようにひしゃげている。その隣の券売機はボタンがひび割れているがまだましだった。それに金貨を一枚入れる。数量は7でいいとして……行き先がアルファベットでどのボタンを押せばいいのかわからない。

「これだ。修徒お前こんなのも読めないのか」

「うるさいな」

 公正がボタンを押し、銅貨が二枚と紙が七枚吐き出された。

「冬人さん自分で切符買ってたりしないかな」

「買ってると思うか?」

「……」

 愚問だった。

 みんなに切符を配って改札を通り抜ける。ホームへの二、三段の階段を上り、のぼりきった先に空き缶が転がっているのに気がつかなかったらしく今日破がそれを踏んで見事にうつぶせにつるんと転んだ。踏まれて少しひしゃげたアルミ缶がからんからんと軽快な音を立てながら階段を転がり落ちていく。

「きょ、今日破、大丈夫か?」

 あわてて近づいたらすぐ近くの待合室の戸がギッときしんで開いて冬人さんが出て来て今日破を踏んだ。そしてそのまま普通に階段を下りていってそれからはたと立ち止まり何をふんだんだろうという感じで自分の靴の裏を確かめる。何か汚いものを踏んだと考えたらしく今日破を踏んだ足をぷらぷらと空中でしばらく振って地面にこすりつけた。

「なんやその態度……。俺汚くないで。……探したんやぞ」

 へらっと笑って流し、公正から切符を受け取った。

 駅の時計はもうすぐ七時。そろそろ来るかな、電車。時刻表通り運行されてれば。

 今日破が待合室に放置されていた新聞(昨日の日付)を拾って公正と並んで読みはじめた。僕もひまだったのでつい癖で裏側から文字を追った。……アルファベットが並んでますな。

「……スカイ・アマングの内乱激化……。死者多数……」

「もう戻れないのかな……」

 明日香が横から覗き込んで唇を噛んだ。そうか、戻りたいよな。もう阿昼かひるさんはいなくなってしまったけれど、明日香たちにはあの近所に顔見知りもたくさん居たはずだ。なじみの道もあったはずだ。僕の脳裏を学校の廊下の風景がよぎった。

「あっ列車来た!」

 ホームの端で線路の先を目を見つめていた縁利がぱっと振り向いて声をあげた。みんな自分の荷物を持って立ち上がり黄色いラインの前に並ぶ。リニアを見たがっていた公正が列に居ないので探したら時刻表の影でいつの間にか眠りこけている冬人さんを起こしにかかっていた。何かむにゃむにゃ言ってていっこうに起きそうにないけどがんばれ公正。

『まもなく列車が参ります。危険ですので黄色い線の内側までお下がりください』

 放送とともにごく普通の在来線のような車両がすーっと音も無くホームに滑り込んでくる。金属色の車体に白と青の線が入っている。どうやら公正が想像したものとは違ったようで何だか不満そうな顔をしている。ははは、残念でしたー。

 ぷしゅーっと空気が抜ける音をたててドアが上にかぱっと開く。近づき過ぎていた喜邨君がのけぞってあわてて避ける。ああいう風に開く構造にすると空気抵抗が減るとか、そういうことがスポーツカーの説明だったと思うが書いてあったと思う。後で科学おどろき辞典で調べてみよう。

 乗り込んでみるとごく普通の在来線の車内と同じだった。ボックス席がいくつも並んでいる。一番近い席に座って隣が喜邨君だったのですぐに別の席に座り直した。狭いのは嫌だ。

 乗り込んですぐに静かで滑らかな発車。加速もスムーズで車内電光表示板の速度表示はいつのまにか時速100kmを超えていた。

『本日はリニア125号をご利用いただきましてありがとうございます。このリニアはチェス縦断線コラール行きです。終点コラールまでランク、スマザード、エポレットの順に各駅に停車します』

 放送まで在来線みたいだけどぜんぜん揺れないしすごく静かだ。日本の在来線が全部リニアになればいいのに。しばらく速度表示を眺めていると滑らかにその数字が減っていきゆっくり停車した。

『ランク、ランクです。この駅を出ますと次はスマザードに停まります』

 すぐに発車。思ったよりも早く着きそうだな、これ。

「ただ乗ってるだけやと暇やなあ……。みんなでババ抜きでもどや?」

 今日破がトランプを鞄から出して「やるやる」と喜邨君が手を挙げる。一人七枚か八枚渡されて揃っているカードを喜邨君の隣、空いた席に捨てていく。冬人さんだけ全部持ったまま「んー?」と首をかしげていて公正が隣からのぞきこみ半ば奪うようにカードを揃えて捨ててやっていた。

 明日香が今日破の札から慎重に一枚を引き抜き、昨日子が無造作に明日香の束から一枚選ぶ。取った一枚にあからさまに嫌な顔をして手札にそのまま加えて冬人さんの方を向く。冬人さんは「選べばいいのかなー?」という感じで差し出された札を見つめてまた首をかしげる。そのうち一枚がじりじりと突出し始める。さっき明日香からもらったやつ……。

 冬人さんはあっさりそれを取り、昨日子は何事もなかったようにいつもの仏頂面を崩さず席に戻った。

「ねーこの絵の、数字書いてないよー?」

「それ見せたらゲームにならないだろ……」

 あー、冬人さん本当にババ抜き知らない人だ。ババの所持者がわかっちゃったぞ。

 公正が、その絵札がババでゲームの終わりまでそれを持っている人が負けになること、数字がそろったら場に捨てることを説明する。そして冬人さんが公正に見えないように札を持って差し出した。……一枚飛び出ている。

「……それババだろ。取らないからな」

「えーーーー」

 ため息をついて他の一枚を取り、公正が固まる。「え」とか「ちょ」とか慌てて高速で手札を繰り始めた。

「公正早くしろよ」

「うるせ、すぐ出すって」

 喜邨君が一枚引き、場にクイーンが二枚揃って捨てられた。

「ちょ、喜邨お前取れよこれっ……!」

「取らねえよ……。明らかに怪しいじゃねえか」

 喜邨君から一枚とる。よし、10が揃った。今日破に別の一枚が抜き取られ、僕の手札は少なくなった。

 ザザッ。ピーーーーーーー…ッ

 急に放送に耳障りな雑音が入りばたばたと慌ただしい音がこもって聞こえた。何だろうと車内を見回す。明日香から札を引こうとした昨日子が顔を上げる。他の乗客もキョロキョロと不安そうに音源を探している。

『あ、あー……。マイクのテスト中、マイクのテスト中……』

 なあんだ、マイクの故障か。浮かせた腰を下ろす。

 公正がまたうなって手札を捨てないまま喜邨君に札を突き出していた。喜邨君がひいて、げっ、という顔をする。公正がにやにやしながら席に戻った。えー、僕ひくかもしれないじゃんか、ババ。慎重に一枚を引き抜く。……あー……。いらっしゃいませー……。そして今日破には巧妙に避けられる。

 しかしリニアって速いな。風景がどんどん飛んでいってまともに景色が楽しめない。遠景はあまり変化ないけど建物の間を縫って走っているらしく、しょっちゅう視界が遮られる。あ、今目の前を駅らしき空間が飛んでいった。……。

 え?

 ざわりとどこかで違和感がした。いつの間にか車内が騒がしくなっている。

 ……今、停車するはずのスマザード駅を通過した。

 喜邨君が「早く取れ」と言わんばかりにカードを突き出してくるので半自動的に一枚抜き取り数字を揃えて場に捨てながらキョロキョロと周りを見回す。スマザードで降りるつもりだったのだろう乗客が数人、後方車両へ走り抜けていった。

 ババ以外のカードを引かれるのに指先で力を入れて抵抗したが結局他のカードを取られ、ババ抜きの順番は回っていた。昨日子は明日香の手札を慎重に選んで引き抜いている。公正は周囲の異様な空気に気がついて腰を少し浮かせて乗客が走り抜けていった方向に首をまわしていた。

『テシロ、応答あり……。8、7完了』

『OK。6の報告を待つ』

『たぶん5だ』

 車内放送に誰かの会話が入り込む。他にも声が聞こえたが雑音がひどく聞き取れない。プツン、と一旦放送が途切れて今度はクリアに音声が流れた。

『あ、あー……。聞こえてる?』

 喜邨君がガバッとスピーカーを振り返った。明日香もちょっと驚いたように網目を見つめる。

『聞こえてるよな? こんにちはみなさん。今日はこの列車に乗ってくれて、ありがとうございます!』

 ハイテンションに声が響いた。男の人にしてはちょっと声が高めに聞こえるけど女の人ではない、変な感じがするその声はそのまま楽しそうに本日は適度な混み具合でとかアクア・チェスの現状が心配ですねとかラジオよろしく雑談を始めた。

「喜邨君、どうしたんだい。さっきからスピーカー睨んで」

「いや……気のせいかもしれねーけど。声に、聞き覚えが」

 明日香も小さくうなずく。誰も聞いちゃいない話をだらだらしゃべる声に耳を傾けたが特に顔は思い浮かばなかった。

『それでえ……』

『テシロ。もういい。しゃべりすぎ』

 横入りが入って声が止まった。テシロと呼ばれた声が文句を垂れながら遠ざかる。雑音と咳払いが聞こえ、改まったように横入りした声が放送を代わった。

『こちらサンドモール傭兵団です。たった今この列車は私たちによってジャックされました。突然ですが、乗り合わせた皆さんには人質になってもらいます。改めて本日はリニア125号をご利用いただきありがとうございます』



 頭の中が真っ白だった。列車ジャック、単語は聞こえたが意味を理解できず座ったまま人形みたいに固まっていた。いっそう騒がしくなる車内も車窓から見える景色も全部視界を素通りしていく。ふらふらと立ち上がったが床と足がつながっていないような感覚がした。同席の乗客同士で抱き合って泣き出す人、ひたすら何か早口で呟き続けている人、一心不乱にノートに何かを書きつけている人。どうすればいい? にげればいいのか。どっちへ? どこへ? 座れ、と今日破に裾をつかまれてバランスを崩し、床に尻もちをついた。

「ほら、深呼吸しろ。吸って、吐いて。はい吸って、吐いて。……落ちついたか?」

 ちょっと落ちついた気がしなかったのでもう一回余分に深呼吸してふう、と息をつく。みんなが心配そうな顔で僕を見ていた。

「修徒、列車ジャックぐらいなんともねーよ。ジャック犯も自分の命が惜しいから安全運転するだろうし、もし人質を殺そうってここに来ても俺たちが居るじゃねーか」

 喜邨君の左手がポン、と僕の肩に乗りその重さでようやく我に返った。潰されないうちに手を肩から外して席に座り直す。他の席の窓際で両親に守られて座る小さい子がチラリと見えて少し恥ずかしくなった。僕のほうが年上のはずなのに何でこんなことで動揺しているんだろう。……そう、慌てず騒がず列車が止まるまで気長に待っていればいいんだ。何を騒いでるんだよ、車内の他の乗客の皆さん。

 バン!

 大きな音がして思わず振り向く。蹴破られた後部ドアから叫び声を上げて人がなだれ込んできた。

「助けてくれ!」

「殺される!」

「撃った! 撃ったぞ! にげろ!」

「ぎゃああああああ!!」

「こっちに来るぞ!」

「押さないで! 子どもも居るのよ!」

 一気に悲鳴が広がり、次々と立ち上がり前方のドアに人が殺到する。機を逃して僕たちの前の通路は既に人混みに塞がれ、あぶれた人が数人侵入してきてあっという間に立つことすらできなくなった。

「ちょっと、ちょっと待って落ち着いて……」

 数秒前に同じ行動をとりかけた気もするが近くの人に声をかける。白いポロシャツを着たラフな服装のおじさんは気にもとめずに前の人を乱暴に押し込んで離れていった。そして、

 パン

 小さく銃声が響いた。

 さっきのおじさんが、ふらりとつんのめり床に崩れていく。一瞬の静寂の後どこからともなく悲鳴があがり、パニックになった数人が窓を殴り始めた。押し倒された人を踏みつけて連絡扉を数人が走り抜けていき、その間にもパンパンパンと銃声が響いて通路の人が倒れていく。発砲元が見えた。黒いローブの男は無感情に数発拳銃を空撃ちし、ため息をついてカシャンと弾倉を外した。

 公正につつかれて両手をあげた。この隙に逃げる、という選択肢がちらりと思い浮かんだが腰が抜けたようで足に力が入らない。座席に残った他の乗客も黙って両手をあげ、男が拳銃に弾倉を再装着するのを見ていた。金属と煙と、焦げたようなにおいの入り交じった異臭が車内を漂う。男はコツコツと座席を通り過ぎ、こっちに近づいてくる。このまま、通り過ぎてくれれば……。

 あ。一人手をあげてない人がいた。よりによってそいつは僕らの座席の隣に居て、そこで男の足が止まり、ジャコンと銃が突きつけられる。

「……誰ー?」

 こんな状況だというのににこーっと首をかしげる冬人さん。ローブの男は動揺する様子もなく淡々と「手を上げろ」と警告する。冬人さんはさらににまっとして腰をあげ、

 パァン

 銃声がした。

「冬人さんっ」

 銃口の先の床が割れてえぐれていた。……消えた?

 驚いている間に思い切り突き飛ばされ、突然現れた冬人さんが男に何か投げてまた消える。男は見えないものに吹っ飛ばされたように通路に転がり、その拍子に取り落とした銃が暴発して天井に穴があいた。その天井付近にどこから跳んできたか冬人さんが現れて勢い良く男めがけて墜落し、床に押さえつける。若干力負けしつつもみあって転がり、男の額に銃口を、冬人さんののど元にナイフを突きつけて動きがとまった。ローブのフードがさらりと落ちる。

 あれ、この人……。

「トーマス……?」

 明日香のつぶやきに目だけでうなずく。何でここに、この人が。

「……ドブリ・ジェンこんにちは

 冬人さんが静かにつぶやく。

「ドブリ・ジェン。お前が俺を覚えているとはな」

「そう? 久しぶりだね」

 位置をずれて明日香とトーマスの間に入る。もし撃ってくるようなことがあっても、僕が明日香を守る。〈力〉で。

 ピィーーーーン

『知ってるのカ?』

 公正から〈音〉。うん、と僕はうなずきで返し、明日香は『スカイ・アマングで会っタ』と返す。公正はどこで会ったんだろう。

 すぅっと冬人さんの目が開いた。冷たい色の目が、すっと動いて目尻がすぼむ。

「ナイフなら、僕の方が得意だけど」

「銃なら俺が上だな。……幸いもう一丁ある」

「撃ち合いする?」

「今取り込み中でなあ。終わったらでいいか?」

 楽しそうにカラカラと笑うトーマスに冬人さんも「もちろん」と笑顔を返し、


 銃口がこっちを向いた。


「シュウ!」

 明日香の声が響く。僕は黒く沈んだ銃口よりもその向こうに目を奪われていた。切れ長の目の中央の、深い蒼色。澄んで光を反射し吸収し、きれいなのに赤錆色の髪にひどく似合わない色。色づいた紅葉を真夏の海上で見ているような、ちぐはぐに静かな感覚。

「てめえ何してんだ!」

 突如横から突っ込んできた公正を片手ではたき落として銃口が僕からそれた。再びおきあがって殴り掛かろうとする公正の腹を思い切り蹴飛ばしてトーマスを振り返る。

「協力するよ、トーマス。行こっか」

スパシーパありがとうダ・スビダーニャさようなら、人間」

 どしどし歩いていくトーマスにすたすたと冬人さんがついていって、4号車へつながる連絡扉が閉まる。それと同時に急に足の力が抜けてストンと床に座り込んでしまった。床で咳き込む公正が僕を支えになんとか起きあがり裏切り者裏切り者と僕の耳元でわめき、立ち上がれず昨日子に支えられる。急に火がついたようにどこかで子供が泣き出しても僕は驚くほど冷静に4号車への扉を見つめていた。

 見つからなくて良かった。唐突にそう思ったがどういう意味か僕にもよくわからなかった。



 むせ返るような血のにおいの中、明日香がまだ息のある乗客の応急処置に当たっていた。列車はいつの間にか停まっていて、公正によると終点のはずのコラールを通り越してエチュードという街に居るらしい。

「栄蓮が居ると楽なんだけど……」

 言いながら男の人の折れた腕に添え木を当て、ピンと伸ばした包帯で固定する。四歳くらいの男の子がその人の足にずっとしがみついていて、応急処置が終わるとさっき泣き止んだ所だったのにまた大声で泣き出して父親の胸にとびこんでいた。

 異様な光景だった。6号車の通路には死体がいくつも転がっていて、そこかしこに弾痕が散っていた。特に出入り口付近に死体が集中していて、座席で縮こまっている人たちはだいたい無傷のようだった。「彼ら」の仲間が乗っている様子はない。

 連絡扉を抜け、7号車に入る。こちらも6号車と同じで通路上に居た人だけ殺されたようだった。明日香が片っ端から声をかけ、怪我の状態を確認していく。

 ゴン、とにぶい音がして振り返ると今日破が座席の一つをけり飛ばしていた。「今日破」昨日子が静かにいさめたが今日破は反応を返すことなくその空席にあがりこみ座席の上で膝を抱えて顔を埋めた。.

「何考えとるんや、あいつ……」

 二の腕にすりつけた癖の強いの水色の髪はさらにくしゃくしゃに絡まって顔が隠れる。公正がため息をついて隣に座り、「何も考えてねえだろ」と鼻で笑った。

「トーマスについていったら面白そー、とかそんな理由だろ」

「そんなはず無い。何か、なにか……考えがあるんや」

「んなわけねえよ。冬人は俺らを裏切ったんだ。銃撃ってた奴、あれアンドロイドだぞ。あいつはアンドロイド側についたんだよ」

 右手でつくった銃が僕にむいて「ばーん」と撃つ真似をする。そうだ、冬人さんは僕に銃口を向けたんだ。気分次第で僕はあっさり撃ち殺されていたかもしれない。

「それはただのフリや。本気やない。冬人はんが裏切るわけない」

「俺は、冬人はんを信じる」

 その言葉に対する反論は聞きませんとばかりに膝で耳を挟んで腕で固定した。喜邨君はため息をつき、公正は首の後ろを掻きながら立ち上がり8号車の方に行ってしまった。昨日子は相変わらず窓の外を黙って眺めていたがしばらくしてちらちらと横目で今日破に視線を向けてやっと口を開いた。

「今日破。〈音〉。本人、聞く。手っ取り早い」

 ああそうか、と頭を振ってから集中する表情。しかし眉間に一瞬皺が寄り、もう一回じっと沈黙して顔をあげた。

「つながらへん……?」

「着信拒否?」

 言いながら僕も、冬人さん宛に念じるように〈音〉を送信する。公正や明日香に送ったように……ってあれ。うまくいかない。送信した〈音〉を意識で追いかけると途中で目標を見失ってしまう。どこ宛なのかわからなくなってしまう。いや冬人さん宛なのだけど、それが存在しないみたいに、目的地が急に消えて迷子になってしまうのだ。

 7号車内のけが人の応急処置を終えて戻ってきた明日香も、しばらく祈るように目を閉じた後に首をかしげた。

「これ……。昨日子に〈音〉を送ろうとしてもなるよ」

 昨日子に視線を送ると昨日子はぼんやり僕を見つめ返して自身を指差した。

「〈音〉。つかえない」

 え。こっちの人なら誰でも使えると思ってた。何でつかえないの、ときくと口を引き結んで目をそらす。大事なことかもしれないから、と促したが「覚えてない」という返事だった。みんなそれぞれ色んな方向に首をかたむけてうーんとうなる。悩むべき所がずれている気がする。

「〈力〉と〈音〉って何か関係ある?」

「何が言いたいの」

「明日香は医療用具を作れるだろ、今日破は人探し、公正はもの探し、僕は立体を作れる〈力〉を持ってる。でも冬人さんは瞬間移動だけじゃなくて……衝撃波も出してた気がするんだ」

 自信が無かったのでそこで言葉を切ってみんなの反応を見る。最初に目をやった公正が無反応で昨日子も相変わらずの仏頂面で今日破は膝をかかえて僕の話を聞いていないし喜邨君は話の内容をいまいち理解していなかった。明日香が「あ、ホントだ」とつぶやいてくれなかったら僕はきっと今日破と同じく膝を抱えて丸まったに違いない。

「つまり、〈力〉は一人ひとつしか持てないはずなのに冬人さんは二つ持っていて、そのかわり〈音〉が使えないんじゃないかってこと?」

「そう」

「でも昨日子は〈力〉ひとつだけだよ?」

 え、そうなんだ。昨日子の方に目を移すとこっくりうなずいて返してくれた。

「冬人も、〈力〉……たぶんひとつ。応用」

 何で〈音〉つかえないんだろう。

「なんだあれ」

 窓に貼り付いて外を見ていた喜邨君がぼそりと声をあげた。隣の今日破も外をのぞく。周りの席の乗客も外をのぞいたのだろう、ざわざわと車内が騒がしくなってきていた。

「軍用列車だ!」

「助けが来たぞ!」

 すぐに近くの窓に貼り付いて外を覗き込んだ。長い長いレールの先から何かがだんだんと近づいてきてその姿がはっきりしてくる。厳つい金属色の装甲車はゴウンゴウンとレールを踏む音を響かせてゆっくりとリニアの横に並んで停車した。そして間もなくして8号車のデッキの方から打撃音が連続して聞こえ、車体が揺れ、しばらくの沈黙の後リニアのドアを蹴破って青いマントに身をまとった兵士が客室に現れた。

「こちらレフト・シティー軍東部イーロン隊! テロ集団は既に制圧した。ただいまより調査に入る! 協力するように!」

 ぎらりと反射した光に目を細める。兵士が掲げた大きく重たい機関銃が沿線の街灯で黒光りしていた。ひとまわり小さな同じ道具をさっき怖いと思ったのに、安堵あんどすら覚えて思わず見つめた。英雄がきた。

 そう思った。


 レフト・シティーの兵士はスカイ・アマングの兵士とはかなり違って市民の話をきちんと聞く性質のようだった。最初に乗り込んできた兵士に続いて数人の兵士が車内に入り、けが人を確認して医療チームと連絡をとったり飲料を配ったりしていた。

「何かされなかったか。怪我はないか。気分が悪かったりはしないか」

「大丈夫です。……僕らは」

「平気」

「腹減った」

 調査が終わるまで、乗客は車内にとどめ置かれる。乗客たちは暇を持て余し、とはいえ談笑するような気力もなくそれぞれ静かに席におさまっていた。今日破もひざを抱えてぼんやり窓の外に停車している装甲車を眺めていた。あ、終わったみたいだ。リュックを床から広い、兵士に誘導されて外に出る。あー、送ってくれないのか。

「あのー……。ナーガ・チェス立博物館に行きたいんですけど」

 兵士の集団から少し離れた所で暇そうに青いマントの赤い紐をいじっていた兵士に声を掛ける。めちゃくちゃに絡まっていた紐が手を離れて一瞬でほどけた。手悪さしてただけだったのかよ。

「そこならここから徒歩三日だ」

 三日……。遠いな……じゃなくて、ええと。誰が徒歩で行くと言いましたか。

「自転車なら一日半、乗り合いバスなら二日か」

 面倒くさそうに今度は長髪をまとめなおし始める。ちなみに男で長髪は珍しくないようで、兵士の集団には他にも何人か髪の長い兵士が見えた。兵役で邪魔にならないんだろうか。一応みんなすっきりまとめてはいるけど……。

「このリニアで送ってもらえないですか」

 公正が今降りた車両をクイッと指さして、兵士はしばらく沈黙してから目をそらし、首の後ろをがりがり掻いた。

「制圧時に操縦室で小規模だが銃撃戦になってな。流れ弾が電源設備を破壊してしまったから乗っても動かん」

「修理すれば動きます?」

「修理ロボの調達に少なくとも三時間、損傷部のチェックと必要部品の洗い出しをして、さらにその部品の調達……。動くだろうが、今日中には無理だな」

 昨日子が小さくため息をついた。博物館はいけそうにない。もしかするとテツロウさんの家にも帰れない。

 他の乗客はしばらく近くの兵士としゃべっていて、中には長々と口論になっていたりして、やがてあきらめたように線路脇のフェンスを乗り越えて沿線の住宅街に消えていった。フェンスの向こうに見える住宅街はさびれているが窓辺に植物が置いてある家もあり、住民は居るようだ。さっきの人、この辺の家にでも泊めてもらうのかな。それもいいな……と思ったけどそういえば僕らは総勢7人。しかもそのうち一人は大食らい。泊まり先にめちゃくちゃ大迷惑をかけるのは確実である。

「兵隊はん」

龐棐ろうひだ。地位は少佐。レフト・シティー軍東部イーロン二番隊隊長」

「しょ、少佐っ……? 失礼しましたっ」

 今日破が慌ててびしっと敬礼する。僕はまず敬礼ってこうやるんだと好奇心が先にたつばかりで何が何だかわからない。少佐って何、えらいの。

「修徒、何しとるんや軍のお偉いさんやで」

 やっぱり偉い人なんだ。ふーん。……じゃなくて。

 見よう見まねで額に右手を当てる。見下ろす黒い切れ長の目が僕の目とあって、沈黙の後すっとそれた。

「……敬礼やめ。敬語もやめてもらいたい」

「で、でも」

「地位は少佐でも、最近戦闘もないし退屈だから野次馬に来ただけのおっさんだ。気にするな」

「ヤジ…」

「えーと、何てお呼び……呼べばええんや」

「ロウヒ、でいい」

 何だろう、ずいぶんとやる気のない軍人だな。偉い人ならそれなりに仕事忙しいイメージがあるけどレフト・シティーの軍部はそんなことないのか。まあ水に沈んだこの都市なら外部との戦闘なんてまず無いだろうけど……。

「俺は今日破や。そっちで腹減った腹減った言うとる奴が喜邨、その隣が公正。そっちの金髪は昨日子、隣のちょっと小さいのが明日香。こっちは修徒で、……」

 そのまま続けそうになって誰もいない空間を指差した手をおろす。そこに居るつもりだった冬人さんは列車ジャック犯側についた。

龐棐ろうひさん、列車ジャック犯はどうなったんですか」

「操縦室での銃撃戦の後取り逃がしてしまってな。依然逃走中だ。申し訳ない」

 ああよかった。捕まってないんだ……。じゃない、冬人さんを含むけどジャック犯なんだ。たくさんの人を銃殺していった人達側についたんだ、さっさと捕まって投獄されてしまえ。

 車両周辺が騒がしくなってきた。兵士たちがリニア復旧のための車内点検を始めたようだ。

 おーい5号車入れ。馬鹿そっちは2号車だ。数字も読めんのか貴様は。はいはいうるせえよ中尉様。あ? 5も2も一緒だろうが。自慢じゃないが漢字も読めんぞ。

 拳銃発見しました中尉! 試し撃ちします! 水噴射確認! それは水鉄砲だ子供の玩具だ見てわからんのか馬鹿者が。

「……龐棐さんは行かなくていいのか?」

「非番の日の暇つぶしに来たただの野次馬だからな。まあ、後の事は上司と部下が勝手にやってくれるだろう」

「職務怠慢動物め」

「要領がいいとはこういうことだ」

「行け」

 昨日子がぎろりと龐棐さんを睨む。龐棐さんは昨日子より頭二つ分くらい背が高く、昨日子は龐棐さんを見上げる形になる。しかしその眼光に龐棐さんもすこしたじろいで目をそらし

「……部下と上司がやってくれるだろう」

 さっきと同じ答えをした。

「働け」

 さらにひとにらみ。

 居心地が悪くなったかあきらめたように龐棐さんは青いマントをするするっと脱いでグレーの地味な軍服姿になり「預かっといてくれ」とマントをこちらに放って作業現場に入っていった。

「へえ、きれいな青やな。こういう青もええな」

 受け取った今日破がすべすべと光沢のある生地を撫でた。そういえば今まで大して気にしていなかったけど今日破は常に全身水色コーデだ。水色、好きなのかな。

「ええ生地使うとるなあ」

 他人の服だぞ頬ずりすんな。

「青色っていろいろあるのな」

「青は奥が深いでえ。どや、喜邨も青色好きになったか?」

「そこまで興味ねーよ……」

 次この色からこっちにグラデでもいいな、染料何使うとるのやろ。襟をいじいじしながら呟く。え、まさかその水色服自分で染めてたのか。

「……で?」

 公正が盛大にため息をついて枕木に腰掛けた。

「俺らはそれ返すまで待たされるってわけか」

 ……あ。

 みんなの視線がさっき龐棐さんの消えた車両の扉に集まる。まだバタバタと周りは慌ただしく出てくる気配は一向に無い。

 助けに来た軍人の一人は、怖い人でも英雄でもお偉いさんでもただの野次馬でもなく

 職務怠慢動物でとんだ自己中なおっさんだった。


 三時間ぐらいして帰って来た龐棐さんはマントを受け取るなりみんなからの轟々ごうごうの非難と昨日子の沈黙を全身に浴びる事になった。しかし自己中男は全く悪びれもせずただうるさいので黙ってもらおうという下心みえみえにバスを手配するからそれで博物館に行くようにと提案した。手配は軍がしてくれるらしいが運賃は僕等持ちだ。軍人は(たぶん)金持ちなんだろそのくらいは出してくれ。早く博物館に行けるなら言う事無しなので断らなかったけど。バス無かったら徒歩移動しか選択肢が無いので実は文句言えなかったりするのだけど。

 バスの到着を待ってフェンスによりかかってぼーっと上を見上げていると向こうの方で公正たちとしゃべっていた明日香がこっちにとてとてと走ってきて並んでフェンスによりかかった。背中のフェンスが一回後ろにへこんで少し戻る。

「シューウ。何見てんの」

 別に何も。暇だから上見てただけだよ。じっと黙って明日香を見つめ返すとだんだんその顔が不満そうな表情を帯びてくる。

「もう。黙ってないで何か言ってよ。いっつも黙ってるんだから。特に最近は。言いたい事あるんなら言わなきゃだめ。というか話題ちょうだい私の話題が尽きるじゃない」

 口をとがらせて話題を要求してくる明日香が一歩僕に近づいて、その距離の近さにちょっと焦る。可愛いなあ……じゃなくて。

「冬人さん……さ、何で裏切ったんだろ」

「シュウは裏切ったと思うの?」

「明日香は裏切ったと思ってないのか?」

「何か理由が、あるんじゃないかな」

 ……アレが何か理由もって行動するかな。ちょっと想像つかなくて耳をく。今日破も信じるって言ってたし、と明日香は続けてもたれたフェンスをボワボワ揺らした。何言ってるんだ。みんな見てただろ。トーマスが一般人を撃ってまわってて、冬人さんはそれに「協力する」って言ってついていったんだ。大量殺人犯に協力するって、そういったんだ。

「今日破はまだ信じてるのかい。冬人さんのこと」

「と、思うけど」

「……今日破は馬鹿だよ。冬人さんは裏切ったんだよ。裏切り者を信じてどうなるっていうんだよ」

 しばらく沈黙があった。なかなか返事がないのを不審に思って顔をあげたら即刻景色がみぎから左へ吹っ飛んで右頬にびりびりと振動する痛みが走った。

「今日破は馬鹿じゃないよ。信じられる人は馬鹿じゃない。信じるってことができるのはとてもすごい事なんだよ? 人間は他人を信じないのが普通だから。それでも、裏切った人間でも。まだ信じ続ける人はそれ以上にすごい人なんだよ? だから今日破は馬鹿じゃない」

 しまった怒らせた。まくしたてる明日香を前に焦って一歩下がって、でもすごい人だと言う言葉には納得いかなくて他人を信じられるのは確かにすごいかもしれないけど裏切り者を信じるのは馬鹿だと言い返して踏みとどまった。明日香の平手を一瞬しゃがんでかわし、腕をつかんで第二撃、三撃を防ぐ。

「どんなやつも信じるのは妄信っていうんだ。信じればすごいってもんじゃないんだよ」

「シュウだってまだ冬人さんの事信じてるくせに!」

 ドンと下腹部に衝撃が有り、思わず手の力が緩んで前屈みになった。明日香はその隙に僕の手を振り払い、公正と喜邨君の居る方へバタバタと走って行った。僕は膝の力が急に抜けてそのままその場にうずくまった。殴られた腹部がじくじくと痛む。

 ああそうさ、そうだよ。僕は裏切った奴をいまだに信じてる大馬鹿者だよ。違う、僕はまだ冬人さんが裏切ったって事が信じられないだけなんだ。裏切ったんだから見切りをつけようなんて口だけで、裏切られたという事さえ僕は認識できてない。違う、冬人さんが裏切ったのは明白だ、わかってる。僕に銃を向けたんだ、僕を殺すかもしれなかったんだ、だからもう冬人さんはどう考えたって僕の味方じゃない。違う、違う、違う、違う。冬人さんはきっと最初から僕の味方じゃなかったんだ。勝手に僕が味方だと思っていただけで、冬人さんは味方のフリをしていただけなんだ。僕はころっと騙されたんだ。きっとそうだ。そうなんだ。僕は騙された、馬鹿なんだ。冬人さんなんか信じるからいけないんだ。信じた僕が悪かった。

「おい修徒」

 不機嫌な声が降ってきて顔を上げると喜邨君が無表情に僕を見下ろしていた。イライラしていた僕は睨みつけるようにその目を真っ直ぐ見返して「何だよ」とけんか腰に言い返した。教室でクラスメイトをからかっていた時のあの妙な恐ろしさみたいなものを感じなかったのもあってさらに僕は調子に乗って「人の顔じろじろ見んなよ」と付け加えた。

「うるせえ」

 ガンっと一瞬頭に響いた音で周囲の音が途切れて脳天からしびれるように痛みが突き抜けた。殴り返す気力も一発で吹っ飛んで頭を抱える。ちょうど耳を塞ぐ形になった手を怪力で無理矢理両手とも剥がされた。

「あのな。てめえ他人が心配して話しかけてくれたってーのに八つ当たりしてんじゃねーよ。他人のはなしぐらいちゃんと聴け」

 うるさいのは喜邨君のほうだろ。今おしゃべりを楽しむ気分じゃ無いんだ、放っといてくれ。

「塞ごうとするんじゃねえ。いいか、耳穴かっ穿じって聞きやがれ。……滝波から話聞いたぞ。裏切り者を信じるのは馬鹿だって?」

「それが何だよ。その通りだろ」

「あーその通りだ。俺もそう思う」

「……」

 おい認めちゃっていいのかよ。喜邨君の後ろに隠れた明日香が眉をつりあげて何か言おうと口を開いたが言葉が見つからないのか口をぱくぱくさせてとりあえず喜邨君の背中をばんばん殴る。

「他人を信じる奴が必ずすげえとも思わない」

 ついに殴る手も止まってあぜんとする明日香。僕も唖然。

「何だよ。僕に表面上同調して懐柔しようってか?」

「いいから黙って最後まで聞きやがれ。……俺はな、本当にすごいやつってのは他人に信じてもらえる奴なんじゃねえかと思う。信じてくれって言ったって誰も信じちゃくれないだろ?冬人は、今日破にあれだけ信じられてる。それだけすごいやつなんだって、俺は思う」

「裏切り者をすごいやつ呼ばわりかよ」

「黙れって言ってるだろうが。それだけすごい奴が、俺たちを何の理由もなく裏切るとは思えねーんだよ。俺ら騙したって何もメリットねーしな。今日破だって馬鹿じゃねーから、あんな行動した冬人を理由も無く「信じる」なんて言うわけねーよ。口止めでもされてるんだか何だか知らねーが何かわけがあるんだろ。俺は、冬人が裏切ったとは、まだ思わないでおこうと思ってる」

 視界の端で昨日子がこっくりうなずく。公正もゆっくりとあごを引いた。僕は何か言い返そうとして、でも冬人さんは裏切ったんじゃないって、その言葉をどこかで待っていたような気がして、それでもこっちを向いた真っ黒な銃口を思い出して、わからなくなって開きかけた口をまた閉じた。

「……急がなくていいさ。どう考えるかはお前の自由だしな。まあまた戻ってくるだろうからその時まで保留しとけ」

 ほら立て、と腕をひっぱりあげられてふらふらと立ち上がる。頭の中はまだぐちゃぐちゃしているけれどとりあえず足に力は入る。わっ、明日香ひっぱるなよ。こけるかと思っただろ。

「バス来たで〜」

 今日破が手を振っていて、みんなでそっちに向かう。リュックを広いあげ、歪んだフェンスを乗り越える。

 今は考えないでおこう。その場で全部、一度に考えなくてもいい。



「なんでそうなるんや!」

 バスの中に今日破の声が響いた。

「なんで龐棐はんの運賃まで払わなあかんのや!」

「そーだそーだ! このむちゃくちゃ野郎の運賃なんか払うこたぁ無え!」

 発車直後でまだ元気な喜邨君に前席から挟撃されているが龐棐さんはハハハと軽く笑い飛ばし

「軍用車だからな。俺が乗るのは当然なんだが。手配してやったんだ、その分と考えてくれたまえ。ま、払わんというなら全員バスから降りてもらうが」

 偉そうに座席にふんぞり返り、一同の鋭い視線が刺さる。汚い大人……!

 龐棐さんが手配した十人乗りのマイクロバス(外見はちょっと細長い迷彩色のワゴン車)は右側が二人がけ、反対側は一人の三列+運転席の形式で意外と広く、揺れも騒音も想像ほどではなくなかなか快適だった。いつの間に疲れがたまっていたのか座席にもたれたとたんに眠気に教われる。右隣の公正は既に爆睡していて強烈な眠気を周囲にまき散らしていた。左隣の明日香がふあ、とあくびをする。かわいいなあ……。じゃなくて。

 こくり、こくりと明日香の体が舟を漕ぎ始める。バスの方向転換で揺れて壁にあたって一回ばっと顔を上げてもまたすぐにこくり、こくりと前のめりになる。だんだん起きあがるのが遅れてきてついに首を垂れてすぅ、と寝入った。

 昨日子が何か言いたげな目でこっちを見てくる。何だよ。明日香が眠そうだなと思って見てただけだぞ。僕も眠くなってきたなあって思ってただけだぞ。ほら、つられて僕も寝るって。おやすみおやすみっ!

 腕を組み進行方向に向き直って目を閉じ、寝たフリをする。うっすら左目を開けて昨日子の様子をうかがうとちょうど僕と同じ格好で眠りに入ろうとしている所だった。ね、眠そうだと見てただけと思ってくれたんだろうか。

 おやすみ。明日は、何事もないといいなあ……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る