6日目:アクアチェス

 首が痛くて目が覚めた。じっとりと背中が湿って冷たい。うっすらと目をあけるとちょっと背の高い木々の葉の間からまだ薄暗いドームの天井が見えた。ごしごしと顔をぬぐって体を起こす。枕無しで寝たからか……。たき火はくすぶって消えそうになっている。たき火番をしていた縁利はわずかに残った数本の枝葉の上でまだ寝ていて、そのそばに栄蓮えいれんも薬箱をぬいぐるみでも抱えるみたいに大切そうに抱きしめてすやすや眠っていた。

 あれ、明日香……。

 明日香がたき火から離れた広場の端でぼぅっとたたずんでいた。散歩しているわけでもなく、ただ焦点が合わないままの視線を上の方に投げて立ち止まっている。何も無い所に、話しかけるようにかすかに唇がうごく。

 ああ、学校で噂になってたやつだ。実際見るのは、僕は初めてだけど。気味が悪いとが気持ち悪いとか言われていたその行動の意味を、今の僕は知っている。……その宛先がもう無いことも。

「明日香」

 コツコツコツコツと、ノック音だけ響いていた〈音〉が止まる。振り向いた明日香の頬は涙で腫れて赤くなっていた。

「シュウ……」

 泣きそうな顔でしばらく見つめた後無理矢理に笑顔を作った。あれ見て、と上を指さす。見てと言われてもドームの天井が見えるだけだ。

「ドームの向こうに何か見えない?」

「……何か光ってる?」

「うん。それね、スカイ・アマングの日照装置。レフトシティーからはこんなふうに見えるんだね。思ってたより近い」

 ぼんやりなんとなく明るい気がするくらいの違いを見つけてどうするのか。

「明日香……」

 たちまち笑顔がくずれて涙がこぼれる。泣きじゃくりながら何か言うが断片的にしか聞き取れない。答えてよ、お母さん。聞こえるでしょ。聞こえてるでしょ。

 ひとしきり泣いて落ち着いて来て、明日香はまた無理矢理に笑顔を作ってごめんね、と言ってみせた。

「ごめんね。シュウのせいじゃないのにね。シュウに言ってもしょうがないのにね。ごめん。……ちょっとだけ、一人になってくる。先戻ってて。後でね」

 ぱっと背を向けて森に駆け込んでいきすぐに姿が見えなくなる。また静かになって、消えそうなたき火の火がはじける音だけになる。

 また何も言えなかった。

 たき火の近くに戻ってもまだ誰も起きていなかった。誰かうなってるけど。普段いびきのうるさい喜邨きむら君は珍しく静かに寝てるのにな。幸せそうな顔で。……その下から手が一本のぞいている。

 ……。

 見てはいけないものを見てしまったような気がしてあわてて逆方向に首をまわしたらぐきっと変な音がした。痛って、首こってたんだった。縁利えんりと栄蓮はさっきの場所でまだ寝ているし、明日香は森の中だし……。昨日子きのこ今日破きょうはは背中合わせに寝ていて氏縞しじまつかさも居る。ということは下敷きにされているのはあいつで間違いない。

 痛めた首を無理矢理戻して喜邨君の下からのぞく手を確認する。間違いなく公正だ。最近しょっちゅう明日香との会話を邪魔されてるからな。放っておけば邪魔されないんだし、そのままにしておこうかな。ドンマイ公正、お前のことはサラマンダーとハリネズミの世話をする時だけ思い出してやるよ。だから安心して

 ピィィィーーーーン

『おい修徒……。助けてくレ……』

 ……何でそういう耳をふさぐとかの遮断&無視できない方法で助けを呼ぶかな。もう一眠りしようと寝転がりかけていた体をもう一度起こして喜邨君に近づく。面倒くさいなぁ。

『早く助けロ』

 ポォォォーーーーン

『何様ダ、他人の安眠妨害しやがっテ』

 喜邨君の背中側にまわってみた。どうやら公正の右肩から先を下敷きにしているらしい。うつぶせに何故か腕を伸ばして寝ていたところに喜邨君が転がってきて腕をつぶされて間一髪頭を守ろうとのけぞってぎりぎり助かった感じだった。もちろん頭もつぶされてしまえなんて思ってないぞ、うん。

 起きてどいてもらうのが一番手っ取り早いので喜邨君を起こそうと揺すってみる。巨体を揺らすのにかなりの力が必要だったが喜邨君に起きる気配は無い。勇気を持ってぴしゃんと腕を叩いてみた。公正をさらに押しつぶす方向に寝返りを打ちそうになったのでやめる。どうしよう。

 腕を叩いた音で昨日子が目を覚まして体を起こした。こちらを振り向いてじっと黙って観察して一言

「ごはん」

 どういう理由の発言なのかさっぱりわからず首を傾げていたら目の前の喜邨君がわずかに身じろぎした。

「ごはん」

 もう一度昨日子がつぶやくと喜邨君はぴくぴくっと耳を反応させていきなり

「メシぃ!」

 と叫んで飛び起きた。おーなるほど。こうすれば簡単に喜邨君を起こせるのか。

 飛び起きた喜邨君はお皿に載った豪華な朝ごはんどころかパンひとつも周りに無いのを見て数秒間固まり大きく落胆のため息をついて早々に二度寝を決定しもう一度寝転がろうとする。あわてて止めて公正を救出。

「ああ悪ぃ悪ぃ。俺寝相あんまりよくねえんだよ」

「……明日からは離れた場所で寝させてもらうぞ」

 今日破と明日香が昨日子につつかれて目を覚ました。昨日子は縁利と栄蓮も揺り起こす。それから曹と氏縞を見下ろしてしばらく何か考えてとりあえず曹の頭を飛ばした。

「だ……れがこの曹様の賢い頭を蹴っ飛ばしとるかあ!」

 飛び起きた拍子に振り回した腕が氏縞の肩にごっつんと当たり、氏縞も痛ってえ! と飛び起きて応戦。

「俺の大事な肩を殴るな曹! 何様のつもりだ!」

「貴様こそ何様のつもりだ幸せに安眠してたこの皇帝曹操そうそうの子孫曹様の素晴らしい頭を蹴飛ばしおって」

「お前の素晴らしく中身の無い頭なんか蹴ってもボールと一緒で跳ねるだけだろうが。そのまま永眠してろ」

「永眠するのは貴様だ喜べ我輩がこの手で」

「うるせえんだよ」

 早く食糧を求めに街へ行きたい喜邨君ににらまれて馬鹿二人の起床早々の口喧嘩に幕が落ちた。

 行くあては、と公正にきくと〈力〉の光を右目の辺りでバチバチさせながらとりあえずあっち、とどっちも同じに見える森の一方向を示した。

「大きくて頑丈そうな建物がある。たぶん役所か何かの施設だ」

「曖昧(あいまい)だな。外観くらいわからないのかい」

「でかくてコンクリート製。まわりにも建物がたくさん。十分だろこれで」

 何も詳しくなってない。あきれてため息をつくと俺かて誰か居る、身長こんくらい、しかわからへんのやから堪忍やあと今日破に言われた。そういうものなのか。

「明日香はどうした」

「さっき森に行った。呼んで来ようか」

「いや。これでいい」

 ピィンと〈音〉が走る。……あー、それ使うのか……。

 しばらく待って明日香が戻って来た。頬に泣いた跡もなく、すっかりいつも通りだ。行くか。各々自分の荷物を背負う。


 歩きながら曹と氏縞は喜邨君も混ぜて国名七並べを始めた。普通にやるのはもう飽きたと喜邨君が言い出し一人ずつ順番にどこか国名を言って他の二人のどちらが先に科学おどろき辞典の巻末付録の世界地図からその国を見つけ出せるかを競っていた。いつの間に僕の科学おどろき辞典を持って行ったんだ。ちょっとリュックが軽い気がしてたんだよ。

 おい喜邨君。バチコン市国ってどんな国だよ。そして曹、氏縞。バチカン市国はローマ市内にあるんだ。お前が指したのはローマで自分が指した方がバチカン市国だなんてアホな争いするなよ。

 木々の間から開けた空間が見えて来た。一足先に森をぬけた公正が手招きしている。呼ぶ声に食い入るようにページに目を這わせていた曹たちが顔を上げたのでそのすきに科学おどろき辞典を回収した。

 広い道路が森の端っこを切り捨てたみたいに真っ直ぐ伸びていた。その道路の向こうに大きな四角いコンクリートの建物があって、その建物の左右も色んな大きさのコンクリートの四角い建物が並んでいて、道沿いの見えるところはほとんどコンクリートの建物で埋まっていた。似たような建物ばかり並んでいるところはスカイ・アマングに似ているが、建物の高さは三階建てまでで底面積が広い。……と、ここまでは僕の知る範囲で普通の街といえるのだけど。足下のこれは何だ。

 四角いタイルが並んでいる。すこし赤茶色っぽく変色した白いタイルと黒いタイルが隣り合うタイルは異なる色になるように敷き詰めてあってちょっと目がちらちらする。タイルの大きさは布団二枚分ぐらいの中途半端な大きさ。車を運転するんだったら見づらいだろうにと思ったが見える範囲の車は大きな建物の側に路上駐車している一台のみ。それの形も変わっている。バスをもっと短くして角をまるめて高さを低くしたらこの車そっくりな形になるだろうか。

「何ぼーっとしとんのや。置いてくで」

 今日破に呼ばれてあわてて道をわたる。車を眺めている間にみんな正面の一番大きな施設に入ってしまったらしい。薄情な。

 いかにも公共施設ですといった感じのコンクリート打ちっぱなしの玄関から中に入るとそこは大きなホールになっていた。外には全然人が居なかったのにたくさん人が居た。ホールの中央を囲むようにたくさんの窓口がならんでいてそれぞれの窓口の窓の上にアルファベットが書かれた白いプレートが釘(くぎ)で打ち付けられていた。ほとんどの窓口に客が居て中には十人以上の列ができている窓口もあった。何を扱う窓口なんだろうとアルファベットを読もうとしたけどそもそも英語かどうかからわからなかったのであきらめてそのまま列の後ろを通り過ぎる。

「あ、シュウ来た。遅いよ」

 大人たちの列で隠れて見えなかった窓口の前で明日香が手を振っている。プレートの文字はやっぱり読めないけどたぶん移民を取り扱う窓口なんだろう。同じ窓口に並ぶ人数は他の窓口よりかなり少なく、服装も違う。ここの住人と思われる人たちは。公正が窓口のガラス越しに灰色のスーツを着た男の人と何かやりとりしている。男の人は変な顔で僕らをちらちら見ながら手元の書類に何か記入して公正にペンと一緒に渡し、公正が書き終わるまで何か言いたげに僕たちの顔を一人ひとりながめてついに何か言いかけたところで受け取った書類に目を落とした。しばらく読んでから顔をあげて公正に何か言い、公正がうなずいて昨日子に手招きする。男の人が昨日子ととても話しづらそうに話した後、男の人は公正に別の窓口を指差した。

「どうなったんだい」

「市民局に行けってさ。俺ら身元不明陣は受け入れ不可だけど昨日子ならスカイ・アマングの孤児院収容記録があるから身元証明ができて、滞在なら許可されるかもしれない」

「市民局で、孤児院収容記録。身元証明書。もう一回移民局。滞在申請」

「そういうこと」

 市民局はといえば十人以上の長蛇の列ができているあの窓口だ。申請や証明のうち取り扱っている分野が広いようで他の窓口よりも列が長い。公正はさっきの窓口の男の人に渡された書類を持って昨日子と一緒にその最後尾に並ぶ。うわ、だいぶ待つんだな。

「俺ら外出てるわ」

 喜邨君が言い、公正に軽く手を振って施設を出た。

 出てすぐに喜邨君が盛大に腹の虫を鳴かせた。つられて曹、氏縞さらに僕まできゅうぅと鳴る。

「……なあ曹……。何だか喜邨が美味そうにみえるぞ……」

「ふふふ……。脂身の多そうな腹の部分は貴様にやろう……。我輩は高級な肩ロースを……」

「おい曹。氏縞。俺を食う気じゃねぇだろうな」

「安心したまえ喜邨。我輩は魏の皇帝曹操の子孫、曹様であるぞ。腕の良い高級料理人が居らぬというのに貴様の肉を食したりはせぬ」

 胸を張って答えたがすぐに腹が情けない音を鳴らしてもともと無い威厳がさらに半減する。何をどう聞き間違えたのかそうか曹はきのこ亭のシソだったのか知らねかったなと喜邨君がつぶやいてなけなしの威厳はあっというまに消滅した。曹は刺身のおまけなり。

 あー、刺身。いいな。食べたいな。普段使ってる、冷蔵庫にある醤油じゃなくてたぶんもうちょっと高級なんだろう付属の刺身醤油にちょっとだけ端っこをひたして冷たくてぷりぷりした、……想像してたらさらにお腹がすいてきたので思考を止める。このまま考えてたら自分の鞄が大きなパンに見えてかぶりついてしまいそうだ。実際に喜邨君が自分のリュックを抱きかかえてかぶりつきたそうな姿勢をしているけど。

 栄蓮は明日香に自分の薬箱の中身を見せて足りない物をいくつか明日香につくってもらっていた。薬瓶とか絆創膏とか縫合糸とか。縫合糸をよりあわせてロープみたいにしているけど絡まらないように保存するためというよりも何か別のことに使いそうなまとめかただった。縄……だよなあれ。自分に使われることがないよう言動には気をつけようと心に決めた。

 縁利は今日破と何やら意気投合して話し込んでいる。つい昨日まで昨日子の話で喧嘩していたのにいつの間に仲良くなったのだろう。曹と氏縞も仲良いのだから喧嘩ばかりしないでこのぐらい静かに仲良くしてほしい。喜邨君のどこの肉が美味いかというちょっとカニバリズムな論争を繰り広げるのをとりあえずやめろ。あと腹の肉は霜降り通り越して脂身しかないに違いないから僕はいらない。二人で仲良くどーぞ。

 公正が書類を手に昨日子と一緒に施設から出て来た。思ったより早かったなと思ったら市民局で滞在許可手続きまでまとめてできたらしい。まあそれはラッキーだったんだけど、と公正は眉間にしわをよせた。

「最近スカイ・アマングとか、周辺からの移民が多くて一時滞在宿泊所はどこも満室なんだとさ」

 喜邨君が大きくため息をつく。

「突然市役所っぽいとこ行くから何かと思ったらそんなことしてたのか。空いてたとしても宿泊費要るんじゃねーの。どっちにしろ入れねーじゃん」

「お金は要るけど移民者中心に雇う日雇い労働の案内も市民局でしてるから、アクア・チェスの労働年齢制限を満たす人が頑張れば全員分の滞在費はなんとかできるよ」

 ね、今日破、と明日香が視線を流す。今日破はスムーズにその視線を受け流してその辺の道路に送った。十八歳以上、だったっけ。施設内に置いてあったパンフレット、工事現場の人っぽいおじさんのイラストに添えてあった数字を思い返す。十八歳以上って意味であっているのだろうかあれ。ちなみに僕らの中で十八を超えているのは今日破ただ一人だ。一人で十人分の滞在費を稼ぐのは相当大変だろうけど。……そういえば祭りの時賭け事で稼いでたっけ。それも使えば……って、だから宿空いてないんだよな。

「ではどうするのかね公正君?」

「答えよ、さあ!」

 何で偉そうなんだ曹に氏縞。腕組みして階段上から見下ろすなよ。色々手続きしてきてくれたんだぞ。

「孤児院出身者、サポート制度」

 昨日子がぼそりとつぶやき、そうそれ、と公正が後をつぐ。

「孤児院出身者の……里帰り制度? みたいなのがあってさ。ラッキーなことに。孤児院出た人が新しい家族だったり、仕事仲間だったり、孤児院以外の人間関係をもった時にその人を連れて報告すると孤児院からお祝いとしてサポートサービスが出るんだとさ。スカイ・アマングの施設記録でも使えるっていうから……」

「補助金、なくなる、言われたけど。もらってなかったし。変わらない」

「昨日子、それお母さんが話してるのきいたことあるよ。それ使うと、『私はこのコミュニティーに入りました。もう孤児院の援助は要りません』って報告することになるから、何かあってももう孤児院の人には助けてもらえなくなるんだよ?」

「何かあっても、って何。送り返す?」

 昨日子が首をかしげて明日香が考え込む。

「生活に困ったら駆け込めば養ってもらえたりするんだけど」

「私だけだ。意味ない」

 サポートサービスはいくつか選べて、そのうち一つに宿泊・観光サービスがあったらしい。期間は五日間で係員がつき、サービスの主旨としては『この子はこういう街で育ちました』という案内のため。あの政府が関わった制度の割に手厚いようだが申請してもかなり少額な補助金が出る(はずだった)だけなので利用するケースはほとんどない。

 公正って英語得意なのな、とパンフレットをすらすら読むのを見て言うと、俺にとっては日本語読んでるのとたいして変わらんと返された。そうだった。公正はこっちの出身だったっけ。

「修徒読めねえの」

「英語あんまり得意じゃないし。こんな長文授業でもまだ読んだこと無いし」

「いや、そうじゃなくて……」

 何か言いかけてからまあいいや、とうなじをかいて顔をそむけた。

 四人の大人が施設から出てきて僕らの前で立ち止まった。女の人が三人、男の人が一人。三人のきれいな女の人のうち一人がふっくらした胸に片手をあてて公正にさっき窓口で手続きをしたかどうかを確認してから自己紹介を始める。

「こんにちははじめまして。担当の春香はるかです」

「ちーっす。アルバイトの夏輝なつきです」

「おなじく千秋ちあきです。よろしくお願いしますわ」

「……誰だっけー」

 四人目のひょろっと背の高い男の人の発言の後普通にお願いしますと頭を下げかけてふと何か違和感を覚えて動きをとめる。中途半端に前のめりな微妙な姿勢のまま目だけ動かして男の人を見上げた。他のみんなもお願いしますを言えずにそのまま硬直している。しかし彼らの間では見慣れた光景らしくまた忘れたのかよいい加減覚えろよという目で最後の一人を睨みつけた。

「……そいつは冬人ふゆひと。ちょっと頭がおかしい」

「おかしい、はひどいなー」

 夏輝さんの言葉ににこにこと応える冬人さん。お願いしますの言葉は結局言い逃した。

「昨日子さんはお友達を大勢お連れだということで宿舎を用意いたしております。宿泊費の一部と食事代はあなた方の負担となりますがよろしいですか?」

 ……無料じゃなかった。公正がかまいませんと即答して今日破があわてて間に入る。祭のサイコロでかせいだ賞金を死守しようとあれはもう既に使うあてがあるんだとか稼いだ金額は微々たるもので今日の食糧を買い込むぐらいしか無いとか騒いでいるけど祭りの時に稼いだ稼いだと札束見せびらかしていたのはみんな覚えている。結局多勢に無勢で押し切られしぶしぶ承諾した。

 春香さんを先頭にいまいち目に優しくない白黒パッチワークの道を列になって歩き始める。春香は背が低くて地味だし目立たないからと結構ひどいことを言い並べて夏輝さんが隣に立った。春香さんは茶色い髪をポニーテールに後ろでまとめてやわらかいピンク色のシュシュをつけている。カーディガンも桃色なのでピンク系統の色が好きなのかもしれない。夏輝さんは春香さんよりも頭ひとつ分くらい背が高くて横に並ぶと全然似てないけど姉妹みたいだ。髪の色が同じせいかな。ただし夏輝さんは長く伸ばしてはいなくて、むしろ男の人のように短く切っていて金色のピアスをつけた耳が全部見える。服装の趣味もだいぶ違うようで虹色のド派手な長袖Tシャツの上にデニム生地の半袖ジャケットを着ている。下も春香さんのような薄い色のスカートではなく真っ黒な革パンだ。春香さんは花いっぱいの庭園のテラスで紅茶を飲んでいるのが似合うとしたら夏輝さんは大型バイクにエンジン鳴らして乗って来て男をナンパするのが似合っている。ちょっと失礼か。

 二人をのんびり眺めていたら隣を歩く明日香に服のすそをひっぱられた。何か用かと思ってそっちを向いたけどちゃんと顔が向く前に片頬をふくらませてぷいと前を向いてしまった。何を怒っているのだろう。すぐ後ろの今日破、くすくす笑ってないで説明してくれ。

 案内された宿舎は一見普通のよくあるアパートだった。外付け階段をとんとんときれいな歩きかたで上る春香さんの後ろをみしりみしりと鉄製の階段を少しずつ歪ませながら喜邨君が上っていく。喜邨君の前に居ればこんなに上りにくくはなかっただろうになあと考えながら僕も階段に足をのせる。階段を上りきって廊下に出ると二つ並んだドアのうち手前の白い簡素な木製のドアが開けっ放しになっていた。そっちが僕たちの滞在先のようだ。

 狭い玄関で靴を脱ぐべきかどうか考えて喜邨君の靴しかないのを見てそのまま土足であがりこんだ。しかしでかいな喜邨君の靴。30センチなんて大きいサイズ専門の靴屋に行ってもなかなか無いだろうに。廊下を突き抜けると十畳ぐらいの広い居間があった。先に部屋に入った春香さんと夏輝さんと一緒に喜邨君が円状に並べられた紫色の座布団の上でお茶を飲んでまったりしていた。さすがに座布団に座る時は靴を脱ぐべきだろう。座布団の横に並べておいて喜邨君の横に座る。僕の左隣は公正。それから明日香、昨日子、今日破。縁利と栄蓮は何か心配そうに後ろを振り返り振り返り居間に入ってきて、千秋さんと冬人さんは入ってこなかった。

「あれ、千秋と冬人は?」

「どっか行っちゃった」

「いつの間にか冬人が居なくなってたって、千秋さんが探しに行ったぜ」

「またですか……」

 春香さんがため息をついて湯のみを置いた。あの性格に加えて瞬間移動の〈力〉を持っているので行方不明になるのはいつものこと、らしい。まだ全然しゃべってないけどどんな性格なのか軽く予想がつく。……この先の滞在生活に不安を感じます春香さん。

 春香さんが姿勢を正して一礼した。

「アクア・チェスへようこそ。本日より五日間、ここに滞在していただきます。私はチェス内施設の観覧の申し込み手続きなどを主に担当いたします。アクア・チェスは公共福祉がとても充実しております。ぜひ気になった施設をご覧いただき、その素晴らしさを実感いただければと思います」

「あたしはみなさんの警護にあたりまっす。夜間に外出する時なんかは声かけてくれると安心かな」

「私は料理を担当させていただきますわ。好き嫌いがありましたらぜひおっしゃってくださいね」

 後ろから突然声がしてぎょっとして振り返った。いつの間に入ってきていたのか水色のワンピースの上に白いエプロンをつけた千秋さんがにっこり笑って立っていた。喜邨君がメシィと反応する。千秋さんは笑顔で返し、一礼して居間を出て行った。千秋さんと入れ替わりにさっき行方不明になっていた冬人さんが姿を現す。にこにこと満面の笑顔で勝手にどこかに行ったことに対する反省の色は全く見えない。

「僕は冬人ー。担当はえーと」

「簡単に言えば教育係だ」

 冬人さんが続きを言う前に千秋さんが口を挟む。まあ最後まで聞いてもどうせ「何だっけ」って言うだけだろうけど。うんうんそうなんだよ何する係か全然知らないんだけどーと僕らにとってかなり不安な発言を遮るように千秋さんが話を続ける。

「アクア・チェスの歴史とか文化とか知りたいことがあったらきくといい。…と言ってもたいていの場合こいつはド忘れしてるに違いないからわからないことがあったらあたしか千秋にきいて。春香は他にいろいろ仕事あるから避けてほしいかな」

 何のために居るんだ冬人さん。

 春香さんが私はこれで、と席を立つ。他にも仕事を掛け持っているようだし忙しいのだろう、ぱぱっとローファーに足を突っ込んで早足で居間を出て行った。入れ替わるように千秋さんが四角いお盆を持って居間に入ってくる。わあ、ごはんだ。

「とりあえず前菜としてサラダをお召し上がりくださいませ。……割り箸で失礼しますね」

 お盆の上に載っていたのは魚介類と野菜類の盛り合わせだった。大きな二つの皿の上にそれぞれキャベツやレタスやサラダ菜が敷かれ、にんじん、たまねぎ、紫たまねぎ、大根などの野菜がほそく切られてエビやらホタテやら名前のわからない生の小魚の上に散らされていた。その場でドレッシングがかけられ、さあどうぞと皿が床におろされる。

 もう待ちきれないとばかりに喜邨君が目の前のさらに襲いかかるのを見て喜邨君以外の全員でもうひとつの皿をすきまなく取り囲んで食事を開始した。あの皿の食べ物はあきらめるとして、こっちの皿の分まで食べられるわけにはいかない。

 公正が腰につけた巾着袋をごそごそやってすぼめてあった口を開き中からハリネズミとサラマンダーを取り出した。さすが元漁師のペット、魚への食いつきがよく同じ一枚の干物の両端を引っ張り合って食べている。

 見慣れない小さな魚を何切れかにんじんとたまねぎの細切りを載っけたまま取り皿に取ってひときれ口に運ぶ。酢漬けにしてあるのかさわやかな味がすーっと舌先をすべっていった。美味い。自然と箸が進んで取り皿の上の魚はあっというまに無くなった。

 ぷりぷりした歯ごたえとほんのりした甘みを楽しみながら左を見るとおいしそうにホタテをほおばる明日香と一瞬目が合った。特に何も理由はなかったけど何故か少し緊張してしまい宙に視線をさまよわせてしまう。明日香はすぐに視線をそらして僕が食べているのを見たからなのかエビを二尾レタスかキャベツと一緒に皿に載せて幸せそうに口に入れてうれしそうにもくもくと食事を続けた。僕もホタテ食べようかな。縁利に取られそうな最後のひとつを奪取して縁利だけでなくなぜか今日破にまでにらまれながらやっぱり野菜も食べなきゃ駄目だよなとにんじんとたまねぎを皿上に追加する。うん、一番最初に売り切れになるだけある。ホタテおいしい。もっと早く取ればよかった。

 今度は軽く揚げた魚がたくさん載った皿が運ばれてきた。これも二皿。ひとつはすぐに喜邨君の餌食になるのでもうひとつをみんなで守る。さっそく箸でつまんでかじってみる。厚すぎない衣がぱりぱりしてておいしい。一緒にさらに載っていたカボチャを揚げたものも食べてみる。ほくほくしておいしい。たしか揚げたピーマンも一緒に載っていた気がするが見当たらない。昨日子、持っていったな。皿の上の全部持っていくなよ。

 続いて運ばれてきたステーキに驚いた。まず一枚一枚がでかくて分厚い。僕の筆箱よりも一回り大きいんじゃないだろうか。渡されたナイフとフォークで公正と半分こする。どうせなら明日香と半分こしたかったとかいう意見は言わないで心の中にしまっておく。何を考えてるんだ僕は。とりあえず公正、恨むぞ僕の隣に座りやがって。やわらかく煮込まれた肉はさっくり噛みちぎることができて歯ごたえは快適、トマトベースのソースと肉の深い味わいがうまく絡み合っている。曹と氏縞が半分こするためきっちり真ん中で切り分けた一枚をお前の方が大きい、よこせ、ふざけんなと喧嘩を始めている。あんなに性格に半分にわけておいてなぜ取り合いになるのか不思議だ。そんな微妙な違いをよく見つけられるなというか、なんでそんな小さい違いを気にするかなというか。

「本日は歓迎ということで、デザートをお持ちしました」

 そろそろ満腹になってきていたが皿に載ったケーキを見て満腹感が吹き飛んだ。。チーズケーキ、フォンダンショコラ、イチゴのショートケーキ、フルーツロールケーキ、甘栗の載ったモンブラン、アップルパイ、イチゴのミルフィーユ、ティラミス、カステラ。どれもすごくおいしそうだ。クラスの女子がよく言っていた「デザートは別腹」ってこのことか。さっそく曹が司会のじゃんけん大会が始まる。

「じゃんけんぽいっ!」

 9人も居るので当然あいこになる。数回あいこを繰り返したがあきらめてとりあえず自分が欲しい物をそれぞれ指差してみた。イチゴのショートケーキとカステラはだれも指差していない。明日香はフォンダンショコラを無条件で手に入れて、縁利は栄蓮にアップルパイをゆずってカステラを手に取った。僕の選んだチーズケーキにはもう一本指がつきつけられていた。公正だった。同じケーキを指差したままにらみ合う。負けてたまるか……!

「じゃんけんぽいっ」

 ぐーとぐーであいこ。

「あいこでしょ、」

 ぱーとぱーであいこ。

「あいこでしょ、」

 またぱーとぱーであいこになりかけたところで公正がするっと手をちょきの形に変えようとするのを見てあわててぐーに変えたらぱーにもどしやがった。後だしじゃんけんの後後だしに負けた。上機嫌にパイナップルの載ったチーズケーキを自分の皿に移す公正にだんだん腹が立ってきてこのぐーで殴ってやろうかくそ公正と結構本気で思ったけど実行はしない。僕は優しいからね。取り残されてるモンブランおいしそうだからそれでいいよ許さんぞ公正。ティラミスにフォークを突き刺しながら今日破が苦笑する。僕と公正のやり取りのどこが面白かったのかとちょっといらっとしながらモンブランの栗を皿の上にどけてクリームをフォークで削ぐ。おいしい栗は後でゆっくり堪能させてもらおう。

 一旦笑いが収まった後しばらくしてまた今日破がくすくす笑い出して必死になって笑いをかみ殺してまた笑い出した。ティラミスにどうやってワライダケを混入したんだろうと思いながら今日破を見ると今日破は苦し紛れにフルーツロールケーキを巡って争いを繰り広げる馬鹿ふたりを指差した。どうやら今日破は毒キノコを食べたのではなくて二人の変顔勝負で余計な被害を受けただけのようだ。珍しく静かだったので曹と氏縞のせいだと思っていなかった。ところで曹、目をずっと見開いてるけどそろそろ渇いて痛いんじゃないのか。鼻をひろげるなよ面白いどころか何か怖いぞその顔。氏縞は逆に目を細くして指で鼻をつぶしているがその状態で曹の変顔はちゃんと見えているのだろうか。

 皿の上にはイチゴのミルフィーユとイチゴのショートケーキがほかにまだ残っている。昨日子が取っていないはずだが昨日子はケーキを食べる気はまったくないらしく千秋さんから渡された生のピーマンを割って中の種を出す作業に集中していた。そういえば甘いもの嫌いだったっけ。明日香が遠慮がちに手を伸ばしてちょっと迷ってミルフィーユをフォークで二つにくずした。…たぶん切ろうとしたんだと思うけど。くずれたうちの大きい方を自分の皿に載せてから問答無用で僕のさらに残りを載せる。イチゴのクリームがちょっと端についた残骸。…まあ、もう満腹状態だしちょうどいいか。明日香と半分こ(正確には半分じゃないけど)もかなったわけだし、うん。

 フルーツロールケーキは変顔勝負の後のロボット的なダンスバトルで決着がつき曹が獲得した。氏縞はイチゴのショートケーキは偉大なんだぞ誕生日にクリスマス、どんなイベントでも一番に候補にあがるケーキなんだぞとよくわからない負け惜しみを言いながらイチゴをかじる。曹はフルーツロールケーキを丁寧に切り、こぼれ出たバナナやキウイをひとつひとつこれまた丁寧にフォークで突き刺して見せびらかすようにゆっくりと口に入れてとても美味そうにもぐもぐと味わう。桃を食べるときにつるんとすべって床に落ちたけど即座に指で拾い上げて口に放り込んでごまかした。

 ミルフィーユの味もなかなかのものだった。もともとくずれている物がフォークを突き刺すたびにさらにくずれるのでとても食べにくかったけど。あー、満腹。

 これだけあればさすがの喜邨君も満足だろうと横を振り向いたけどあの巨体は居なかった。あれ、見失うはずが無いのにな。僕がきょろきょろしているのを見て冬人さんが

「だるまくんならトイレに行ったよー」

 だるまくんって誰ですか。わからないでもないけど。むしろ適切な表現だけど。あ、戻って来た。げっそりとした顔でトイレから戻ってきた喜邨君は曹と氏縞が勝手にケーキを食べているのを見て怒るのではなくほっとしたような表情をうかべてつらそうにずしんと地響きとともに腰をおろした。なるほど食い過ぎて腹を壊したな喜邨君。

 千秋さんがお皿を片付けに来て、じゃああたしもう帰るからと夏輝さんもお皿を持って居間を出て行った。部屋に残った歓迎係の人は冬人さんのみ。自然とそっちにみんなの視線がいって、……教育係やる気あるのかこの人。他人のリュックとか鞄とか積み上げてトーテムポール建設するなよ。集まった僕らの視線を感じたのか赤茶色のぼさぼさ頭がこっちをふりむく。にこにこと完成したトーテムポールの全体がよく見えるように場所をずれる。もちろん誰も褒めるつもりは無い。

「この街の研究所を見学したいんだけどさ、どこか知らないか」

 公正の問いかけに冬人さんはちょっと首を傾け

「んー? どういう研究所を見に行きたいのー?」

 とりあえずどんな研究所があるかから教えてほしいところだがそもそも研究所が何かを理解しているかどうかすら怪しい気がしてきて公正も『どうきけば……』と〈音〉でつぶやいて口を閉じた。

「研究所ぐらい公正の〈力〉で簡単に見つけられるんじゃないの?」

「建物の大きさとだいたいの形なんかはわかるけどそれが研究所かどうかまではわからねえよ。市役所みたいに馬鹿でかい建物は他に無いし、他の建物はほとんど同じ大きさをしてるしどれが研究所かさっぱりでさ。……地下室のある建物がいくつか有るな」

「それたぶん地下牢ー」

 何を調べてるのか知らないけど一度行ってみるのもいいかもしれないよーとジーンズの後ろポケットにくしゃくしゃに突っ込まれていた地図を手渡される。あるなら最初から見せて……。

「ここが街で一番大きい刑務所の地下牢で、こっちがとしょかーん。市役所はここー」

 現在地を教えてくれなかった。

 市役所からの道のりを必死で思い出してみんなと答え合わせをして現在地を確定する。多分この辺。地下牢も図書館も割と近くて歩いていけそうだ。縦横斜めに道が入り組んでいて途中で迷いそうだけど。

「ら、ぼ、らとりぃ。あった。研究所。これだよね」

 僕よりはるかに英語が堪能な明日香の言葉に喜邨君が露骨に顔をしかめて滝波なんかに言われなくても見つかるんだから黙れやウゼエと言い放った。明日香はちょっとむっとしたけど何も言わずに無視を貫いた。

「そこか。ちょっと遠いな……」

 公正は腕をくんで少し考え、うん、とうなずくと膝をたたいて立ち上がった。

「曹、氏縞、腹が落ち着いたら出発するぞ。修徒は地下牢の方を頼む。今日破は市役所で仕事探してきてほしい。喜邨は休んどけ。縁利と栄蓮はサラマンダーとハリネズミの世話を頼む。明日香と昨日子は図書館でアンドロイドの資料とここ数年の主なニュースを調べてほしい。冬人……さん、案内お願いします」

 僕一人!? 牢屋を、しかも地下の牢屋を一人で見に行けって!?

「ちょ、一緒に誰か来てほしいんだけど」

 喜邨君が俺も行く、と言いかけて急に口をふさぎどすどすよろよろと駆け足で居間を出て行った。しばらくしてシャーッと水洗トイレの音がする。うん、気持ちはうれしいけど喜邨君は休んでて。来られても僕が困るや。

 地図をのぞき込んで位置を確認する。ここに来る時に通った通りをちょっと戻って太い道に折れて次の大きな交差点を通り過ぎて四本めの角を右斜めに曲がって二本目を……覚えられる気がしない。

「研究所の位置はだいたいわかったからそれ持っていっていいぞ」

 公正の〈力〉は便利でいいな。ありがたく地図を畳んで遠慮なく冬人さん力作のトーテムポールから自分のリュックを引っこ抜いてくずして後ろにくっついたポケットに入れる。冬人さんは特に不満をいうことなくにこにことまた積み直している。だから他人の荷物を積み木みたいに積むなって。

「じゃあ、ちょっと行ってくる。行ってきます」

「いってらしゃい」

 明日香ににっこり笑顔で返されて幸せ気分。また積まれそうになっている自分のリュックを冬人さんの手からひったくって背負い、居間を出る。アパートを出たら左……だな。玄関を出て左に曲がったら壁につきあたった。そういえば階段は右の方だったっけ。

「……」

 地図上では片道10分だが一時間以内にたどり着けるかすら自信が無くなってきた。


 そろそろ一時間たったと思うがいまだに地下牢らしき建物を発見していない。地図情ではこの辺であってるはずなんだけどおかしいな。地下牢だから地上にフェンスとかわかりやすいものが無いかもしれないとは思ってはいたけどこんなに見つからないとは、施設名なら建物に貼付けてあるプレートに書いてあるが軒並み英語なのでわからない。刑務所なんて単語習ってないぞ。ポリスは交番だよなあ……。

 色んな方向から伸びてきた道が交わる複雑な五叉路を不審者みたいにうろうろうろうろ歩き回る。住民に不審者発見しましたと通報されたらどうしよう。警察が来て暴れる僕を取り押さえてどこかへ連絡しつつパトカーに積まれて交番か警察署まで護送されて、いつの間にか刑が決まってて刑務所行きだ。地下牢で禁固3年とか。あれー目的地一緒だあ。僕の尊厳とやらは大きく傷つけられるけどこんな所で迷わず手っ取り早く目的地に着けそうだ。誰か通報してくれませんか。

「おい、きみ。ここで何してるんだ」

 声がした方を振り向くとお揃いの制服の上に金属製の胸当てを付けた男の人が二人、立派の門のある施設の前に立っていた。門番……警備兵だろうか。

「ここは一般人立ち入り禁止だ。関係者なら許可証を出して」

「用が無いなら近づかないように」

 物腰は柔らかいが体で壁を作って通さない。許可証。刑務所の見学許可証なんてあったっけ。春香さんにお願いしておけばよかった。それを見せれば地下牢まで誰か案内してくれたかもしれないのに。

「あの、アクア・チェス中央刑務所ってどこですか」

 警備兵が片方の眉をつり上げた。

「ここだが。何の用だ。面会か。収容者と面識があるのか。面会予約は。身元証明書は」

「えと、あの……」

 次々に質問されて答えられない。面会、でいいのだろうか。収容者に知り合いはいないし面会予約なんてどこですればいいんだ。

「用が無いなら帰れ」

「子どもの冒険ならもっとマシな場所に行け」

 一方的にまくしたてられて突き飛ばされ、地面にしりもちをつく。開いていた門扉がばたんとしまった。ちょっと待てよ。まだ何も答えてないぞ。それに子どもの冒険って何だ、僕らはあっちに帰るために……。

 警備兵の対応に腹を立てながら扉を押したが中から押し返されているらしく開いてくれない。それどころかあっちは二人で押しているようで僕の力が負けて扉自体はこちら側に無理に押されるかたちになっていて扉の上部からぎしぎしときしむような音がしている。これで壊れてくれれば結果オーライかもしれないと扉から手を離してみたけどさすがに刑務所の扉、丈夫なようで壊れそうになかった。市役所かどこかに行って許可証をもらって来たとしてもこの人たち入れてくれるのだろうか。用件きかずに追い出されそうな気がする。面倒だな。

 しゃがんで足下のタイルに手をあてる。手元に集中してその集中力をまっすぐ扉へ突進させるとタイルから真っ白な太い石柱がのびてドオンと大きな音をたてて扉をぶち開けた。扉にぶつかった衝撃で石柱にびしりと大きなひびが入りそこからめきめきさらさらと空中に霧散していく。大きく開いた扉を残して静けさが戻り、扉の影からそろって顔を青くした警備兵がおずおずと顔をのぞかせる。一歩足を踏み出すとさっと扉の影に隠れてしまう。

「……通せよ」

 口を出た言葉に警備兵が怯えた顔を見合わせる。二人とも既に腰がひけていて頼りない。こんなんでよく国の施設の警備をしていられるな。軽く押しのけて門をくぐった。

 幅の広い廊下は暗いが短く、外見の割に質素な内装だった。数メートル先にコンクリートうちっぱなしの壁が見える。壁の右の方にスチールのドアがあってそこが看守や門番の事務室になっているようだ。左側に縦に格子がついた小さな窓付きのドアが二つあり、さらにその左に狭い下り階段があった。階段上のあちこちにある小さな水たまりをよけながらじめじめした地下へコンクリート製の階段をとんとんと降りていく。もともと暗かったのだが外からの光が無くなって足下が見えなくなったので灯りがないかと壁に視線を這わせる。一緒に壁を這っていた手がコンクリートとは違う材質の出っ張りに触れる。少し上の方に古い電灯がひとつ見えて手に当たるスイッチをカチカチと動かしてみたがとっくに電灯は寿命を全うしてしまっているらしくチカリとも光らなかった。仕方が無いので足で段をひとつひとつ確認しながら降りる。

 ぴちゃっ、と水滴が跳ねて足にかかる。水たまりを踏んだのかと思ったら頭にもぴちっ、と当たった。どうやら上から降って来ているみたいだ。雨漏りでもしているのだろうかとうっすら明るい天井を見上げたけどこの天井の向こうにあるのは空ではなくドームの天井なのだと思い出して首を傾げる。雨が降るはずないのに何故水たまりができるんだ。

 上を見ながらもう一段降りようとして意外と奥行きの狭かったそれを踏み外して一気に下まで転がり落ちた。お尻を派手に打ち付けて数秒そこをおさえて悶絶する。

 地下牢の中は壁にくくりつけられたろうそくでぼんやりと明るく照らされていた。あちこち水たまりの残る牢の廊下の左右に檻がいくつも並んでいる。それぞれ隣と赤茶けた鉄板で独房に仕切られていて、檻の正面の狭い間隔で並ぶ縦棒にプレートがついていた。囚人の名前かもしれないとのぞき込んだがかすれていて読めなかった。

「そこには誰もいない。とっくに処分された」

 背後の檻からしゃがれた声で話しかけられた。プレートには29という数字が印字されており、その下に「mouse」と金属を削って殴り書きが添えられていた。ネズミ、だよなこれ、動物名がなぜここに書かれているのだろう。

「新入りじゃあ、なさそうだな。代わりの看守って感じでもない。何者だ?」

「えーと。……旅の者です」

 他の言い方が思いつかなかったが旅の者っていうと何かゲームのキャラ真似でもしてるみたいで言いづらい。クククと低い笑い声が聞こえてぬうっと目の前に焦げ茶色の髪の青年の顔が現れた。違う、いきなり空中から出現したんじゃなくてろうそくの光が当たる所まで移動してきたんだ。声の割に見た目が若い。

「アンドロイドについて調べてるんですけど。何か知りませんか」

「……アンドロイドは六年前に全処分された、というのが通説だ」

「本当に全部処分されたんですか」

 囚人がにいいと笑って長い前歯が薄く開いた唇の隙間から見えた。どうやら何か知っているらしい。世間的にはアンドロイドは封印されたことになっていて、街中で封印の事実が嘘だと言おうものなら巡回する憲兵に捕まるかもしれないと公正が言っていた。だから地下牢に収容されている囚人の誰かが何か知っているかもしれないとも言っていた。あのくそ公正の言うことなので半信半疑どころか七割方疑っていたのだがどうも当たりのようだ。

「何か知ってるなら教えてください。アンドロイドのこと」

 イライラしてきて一歩檻に近づく。囚人はしっ、と人差し指を唇に当てた。

「ここであまりアンドロイド、アンドロイドと繰り返すな。集団房の奴らが黙っちゃいないぞ」

 あごでクイ、とさし閉められた奥の房の扉付近に一人が立った。ふらりと一歩下がりいきなり檻の前面に体当たりする。がしゃああん、がしゃああん、と大きな音が暗い地下牢に響きわたる。その一人に呼応するように一人、二人と扉付近の人影が増えてがしゃああん、がしゃああん、と体当たりを始める。音に反応したのかその隣の檻でも、僕の後ろの檻でも、どんどん体当たりは広がっていきついに地下牢内は激しい金属音で埋め尽くされた。あっけにとられて目をもどすとさっき話していた囚人も白目をむいてこっち側に向かって突進を繰り返していた。

 言葉など聞き取れない。獣のようなわめき声、うなり声ばかりだ。

「われらはアンドロイドなり!」

 どこかから声がした。集団房の方か。がしゃんと檻を揺らして隙間から腕が何本も突き出る。

「処分、処分ね! ギャハハハハハハハハハハっ!」

 別の房から女の人の声もした。少し奥の牢にキャハハハハハハと狂ったようにボサボサのクリーム色の髪を振り乱して笑い続ける女の人がいた。その人も笑いながら檻に体当たりを繰り返している。違う。人じゃない。この人たち、じゃなくてこの人じゃない人たちはアンドロイドなんだ。目の前の檻のアンドロイドは何度も檻にがつがつぶつけた肩の皮膚が削げてその下に小さな金属部品の集合体が見えてきていた。それにつながる導線が衝撃で切れてはみだし、次の一撃でぐしゃっと音をたてて金属部品が数個潰れて飛び出してカツンコロンとコンクリートの床に落ちる。歯車のこすれるようなキキキキキと耳障りな金属音を立てて目の前の囚人が首をかしげる。ガバッと口が大きく開いて甲高い声が響く。

「お前がソレ言うかっ!」

 つぅ、とその目からオイルが一筋こぼれる。あ、と息をのみこんだ。

「待てよ。体当たりやめろって。何、僕はアンドロイドのこと教えてくれって言っただけだろ。やめろって。壊れる、壊れてるって」

「故障したらお取り替え〜」

「キャハハハハハハハッ!」

「A型は古いから壊れてとーぜん! パーツ替えるくらいなら新しいのつかおおおおお」

「古いのどーしよ? どーしよ? どーしよ? どーしよ? どーしよ? どーしよ?」

「その辺に捨てとキャハいいでしょ」

 がしゃあん、がしゃあん、と金属のぶつかる音とうわああああと意味のわからない歓声が入り交じり耳がしびれてきた。カラコログシャリと機械のつぶれる音も混じる。

「その、捨てられたやつってどうなるんだ? もしかして流刑地に送られるのか? あちら側への道を作ってるのは、」

「ギャハハハハ」「ああああああああ」

「デリート! デリート! デリート! デリート! デリート!」

 声を張り上げたがもう自分の耳にも帰って来ない。いっそふさいでしまっても手のひらを突き抜けて笑い声が頭蓋を引っ掻き回す。

 ガチャン、ゴン、グシャリ。

 ひときわ大きな音がして腕と接続部のものと思われる部品が集団房の前に投げ出された。続いて外装がはがれてコードがむき出しになった頭部が転がる。集団房の中の一体が他のアンドロイドに解体されていた。力任せに外装をはがされ、部品をはずされ、いじるのに飽きた部分から檻の外に放りだされる。檻の外に出た頭部は表情を変えず沈黙していた。停止したのかと近づくとギョロリと目がうごいた。

「新しいのどどどうする?」

「もっとれゔぇるの高いものでなくては」

「材料はその辺の人でいいよねっ!」

「いいよいいよいいよいいよいいよいいよいいよたくさんあるんだからちょっとくらいー」

「A型はデリート! H型のインストールを始める!」

「かっこいー」

 誰か。まともに話の通じるやつはいないのか。檻に衝突を繰り返して半壊してるやつ、仲間の解体を始めるやつ、ゲタゲタ笑うだけでしゃべらないやつ。何なんだ。ここは、何なんだ。

「僕らH型だから」

「意思がある」「意見がある」

「あいつらなんかに従うか!」

「言うこと聞かないやつはデリート! デリート! デリート!」

 デリートの大合唱にたまらず頭を抱えて座り込んだ。やめろ。やめろ。うるさい、やめろ……!

「あれでもおかしいなっ?」

 突然体当たりの音が止む。アンドロイドのカラカラと甲高い笑い声だけが残されてそれが牢内に反響する。

「どうして僕たちデリートされてないのかなっ?」

「それは俺たちが狂っていたからさ」

「あたしたちが奴らの手のひらから落っこちちゃったからよ」

「ギャハハハハハ意味ない意味ない意味ない意味ない意味ないいイミナイ」

 他のアンドロイドもどっと笑い出し牢内が不気味な笑い声に包まれてぞうっと総毛立つ。逃げ道を探して自分が降りて来た階段の方を振り返るとそこに門番と同じ制服を着た体格の良い男が立ちはだかっていた。門番より柄の悪そうな雰囲気。看守か。

 とっさに逆方向にダッシュする。檻の隙間からところどころ内部の機械がむき出しになった何本も突き出ていた、その下をかいくぐり廊下を走る。看守は腰からさっと警棒を抜いて突き出た腕を力いっぱい叩き折りながら追いかけてくる。廊下の端まで来て角を曲がる。一本違う廊下に入った所で足下に突き出された棒状の物体につまずいて転んだ。ものすごい力で右側の檻に引き寄せられたが檻の棒の隙間は僕の体が通るほど広くはなく服が擦れて解放された。

 片足の無いアンドロイドは怒って口をあり得ないほど大きくあけてがあっと吠えて僕に襲いかかり檻に阻まれてがしゃああんと大きな音をたてる。その音が反響する前に背後に看守が現れた。あわてて立ち上がって逃げようとしたところに隣の檻のアンドロイドの腕が伸びて来て僕の首をむんずとつかんだ。一瞬で息がつまり気が遠くなる。

 ドン、ぐしゃっと耳の膜の向こうで音が聞こえて首から手が外れた。必死で息を吸い込んで酸素を供給しようとして焦って唾も吸い込んでしまいげほごほと咳き込んで結局肺から空気を追い出してしまった。

 喉をさすろうとした手を左手と一緒につかまれて後ろで縛られる。抵抗しようにも相手の方がはるかに力が強くてねじふせられあっという間に両手が縄で固定された。

「立て」

 階段を落ちたときに打った所をがつんと蹴られて悶絶する。看守はフンと鼻をならして僕の腰に手を回して肩の上に載せて歩き始めた。

 目の前を無数の金属の棒が通り過ぎてコンクリートの壁に変わり、ブ、ブツンと時折明滅するいくつもの電灯とすれ違った。だんだん周りが明るくなり地上に出る。

「おらよ」

 ぽいっと荷物のように放り出され固い床に背中をうちつけて息が詰まる。正常な呼吸を取り戻すのに数秒かかった。殺す気か。

「何故地下牢に侵入した?」

 耳を引っ張られて顔から仰向けに転がされる。看守のおじさんのタバコ臭くてしめっぽい息がかかってついしかめ面をした。それが気に入らなかったのか看守も顔をしかめて僕の頬を両手でがっしとはさんでぐらぐらとゆらした。

「奴らから何をきいた」

 ぐらぐらと揺れる看守にきかれて答えようとして舌を噛みそうになった。ぱっと手を離されて後頭部が床にバウンドした。痛い。

「何をきいた。さっさと答えろ」

「……檻の音がうるさくて何言ってるかさっぱりだった」

「それは俺のセリフだ。あの位置なら聞き取れたはず。何をきいた」

「看守長!」

 顔を揺さぶられそうになった所に若い看守が制服の第一ボタンをうっとうしそうに外しながら走って来た。看守長が立ち上がって手を離し、僕は再び後頭部を床で打った。若い看守が何かを看守長に耳打ちして看守長が数度ちらちらと僕を見下ろして指差し、何かを聞き返す。若い看守がうなずいて看守長の顔がさーっと青くなって僕の方を向いた。状況が全くわからないまま担ぎ上げられる。建物の外に出るなり丁寧におろされて乱暴に縄が解かれ、両手が自由になったとたん看守長の気配が消えた。何がどうなっているのかさっぱりわからないまま刑務所の入り口を振り返るとちょうどあちこち割れ目の入った扉がゴオンと重い音をたてて閉まった。

 ピイィィィィーーーーーン

『おい修徒、まだ地下牢に着いてないのカ』

 どこかに監視カメラを仕込んで監視していたんじゃないかと思うくらい良すぎるタイミングで脳内に〈音〉が響いた。ちょっとむかっとしながら服についた砂埃をパンパンと払って立ち上がる。ええと、宿はどっちだったかな……。

 ピイィィィィーーーーーーン

『返事しろヨ。あッもしかして迷子の迷子の修徒君カ?』

 ポオォォォォーーーーーーン

『違ウ。今見学済んダ。もう帰ル』

 塾帰りの子を心配して電話かけるおかんか。それだけ聞いてさっさと〈音〉は途切れた。研究所の見学の方はどうだったのかとかいろいろ聞きたかったのだが、まあいいか、帰って聞こう。わざわざ〈音〉で呼び出すのも面倒だし。

 はあ、とひとつため息をついて地図を広げる。さて、一度通った道なのだし行きよりは早く帰れるはず……。


 ……来た時こんな道通ったっけと首を傾げながらぼろぼろの民家が立ち並ぶ裏通りの角を曲がった。壁には錆びた配管がっていて、足下のタイルの上にも数本伸びていて、気をつけないと散乱しているゴミに隠れた配管につまずきそうになる。実際さっきあそこの配管につまずいてあやうく腐った生卵ととろけた魚のかぐわしいにおいのする生ゴミの山にダイブするところだった。どの民家も人の気配はない。この辺りには誰も住んでいないのだろうか。

「あれ、修徒。なんでこんな道通ってるんだ」

 二軒先の大穴の開いた赤い屋根の家の影からひょっこり三人出て来て道を渡っていて、最後尾がこっちを振り向いてそう言った。それはこっちのセリフだくそ公正。

「何でって。帰るんだよ」

「だいぶ遠回りだろ」

「……合流して帰ろうと思ったんだよ」

 公正の目がすーっと細くなって疑う目。そんなに疑わなくても僕が結局道に迷って遠回りして、公正に会ったのは偶然だってことぐらい明らかじゃないか。一緒に目を細くするな曹と氏縞。

 公正は特に何も言わず「いくぞ」と一言僕に背を向けた。

「研究所はどうだったんだ」

「何も無かった。とっくに取り壊されて瓦礫の山になっててさ」

「じゃあ何研究してたのかも…」

「わからなかった。瓦礫(がれき)の山を探ってみたんだが何も見つからなくてさ、」

「待て俺は見つけたぞ」

 どっちがより目を細くできるかお互いに向かいあって勝負していた氏縞と曹が振り返った。目尻横の皮膚に引っ張った跡がうっすらと残っている。氏縞はズボンの右ポケットに手を突っ込んで爪楊枝(つまようじ)の束が入ったプラスチックケースを取り出して自慢げに曹の眼前に突きつける。

「見ろまだまだ使える爪楊枝だ。何かしら役に立つと思って持って来たのだ。曹はそういうこと思いつかない馬鹿だから使えそうな物を持ち帰るどころか見つけることすらできなかったんだろう」

「何を言う!我輩だって見ろこのカッターナイフ!こっちの方が貴様の拾得物よりはるかに役に立つぞ!刃を補充すれば」

「ふざけんなカッターナイフより爪楊枝の方が役に立つに決まってるだろうが。あの大人数で食べ物を取り分けるときのことを考えてみろ、一人一本爪楊枝持つだけで簡単に取り分けられるんだぞ」

「カッターナイフなら切り分けることができるのだぞ愚かな氏縞よ。刃があればだが」

「切り分けた食い物を手で触らなくて済むのだぞ」

「貴様はクッキーも爪楊枝でぶっ刺すのか」

 二人とも口論に夢中になってその場に立ち止まってしまったが公正は全く気に留めることなくさっさと歩いていく。また迷子になってはたまらない。あわてて後を追いかけた。二人は数メートル歩いて角を曲がったあたりで追いついてきた。

「置いていくなんてひどいぞ!」

「我輩を置いていくなど何様のつもりだ!」

 つきあってられるかよ。公正はちょっと視線を投げてため息混じりにつぶやく。

「仲いいなお前ら」

「仲良くない!」「仲良くない!」

 仲良くハモって互いににらみ合う。にらみ合う表情もそっくりだ。

「貴様は会った時から目障りだったのだ」

「奇遇だな曹。俺もお前がうっとうしくてうっとうしくてたまらなかったんだよ」

「もう顔を見た瞬間にこの下賎(げせん)の民はいくら罵倒(ばとう)しても構わんと思ったのだ」

「三年目のクラス分けでお前の名前を聞いた瞬間にもうこいつ潰すと思った」

「会う前から嫌いでな」

「生まれる前から嫌悪してて」

 生まれる前から相手のこと知ってて嫌いだったとかどんな胎児だよエスパーかよ。僕も公正と同様にあきれてついため息をついた。

「三年目ってことは……小学校かい?」

「いや幼稚園だ。年長になったときに同じ星組になってな。その時のことはよく覚えていないんだが我が母上によると氏縞に会うなり取っ組み合いの大げんかをしたらしい」

 幼稚園ってことは、ええと。……八年も喧嘩し続けてるんですか君たちは。よく飽きないな。

「俺は忘れないぞあの時の事を。俺が隣にいた女の子から丁重に奪い取った園長先生手製の人形をお前は俺に何の断りも入れず問答無用で取り上げて女の子の顔にぐいぐい押し付けて女の子を泣かしたんだぞ。あまりにひどいと思ったから俺は止めようとお前の顔を殴って」

「嘘付け我輩もその喧嘩のことは覚えているんだぞ。貴様は殴ったんじゃなくて近くの別の子が遊んでいたミニカーを投げつけたんだ」

「それは認めるが猫の形に完成間近だった粘土を投げるなんて制作者の気持ちを何も考えない行動をとるお前の愚かさの方が目立ったぞ」

「お前ら周りに迷惑かけ過ぎだ」

 公正の突っ込みに同意してうんうんとうなずく。つくづく同じ幼稚園に行かなくてよかったと思う。僕はどこの幼稚園に行ったとか覚えてないし、幼稚園の頃自分がどんなやつだったのかも覚えてない。たぶん今のようにとても温厚な人物だったに違いないが曹や氏縞みたいな奴の喧嘩に巻き込まれたら絶対怒って取っ組み合いに発展させたと思う。ん? 僕は正真正銘温厚な人物ですよ。僕を差し置いてよく明日香としゃべってるからって公正に腹立てて上から岩落としてぶっつぶすぞこのくそ公正とかって熱くなったりしませんよええ本当に。アパートの二階にあがるその階段さっさと踏み外せくそ公正。

「ただいまー」

「おかえりなさーい」

 玄関から中に入ると居間のドアが開いて明日香が顔を出した。当たり前みたいに先に公正がにこにこと近づくのであわてて公正を追い越して先に居間に入る。明日香との話し相手の座、絶対お前には譲らない。

「あ、みんなお帰りー。どうだったの」

 手に持ったトランプからハートの10とスペードの10を抜き取りながら栄蓮が顔をこっちに向けた。それをぽいっと投げた先には数枚のトランプが既に積みあがっている。どうやらババ抜きをしているらしい。

「研究所は収穫無し。取り壊されてた」

 公正の淡々とした報告に縁利がふうんと相槌をうって栄蓮の手札から一枚引き抜きダイヤの3とハートの3を場に捨てた。ラスト一枚。

「地下牢はどうだったの?」

 縁利の最後の一枚を不満そうに取って手札に加えながら明日香がきいた。昨日子が残った手札から慎重に選んで抜き取り、スペードのとダイヤの5を捨てた。

「ごめん、まず質問から先にいいかい?」

「何だよ。報告は?」

「情報は得たけど意味がよく分からなかった」

 公正は微妙な顔をしながらもうなずいた。栄蓮が最後の一枚を明日香に渡してババ抜きはついに昨日子と明日香の一騎打ちになった。

「アンドロイドって何かで管理されてるのかい」

「……当たり前だろう。もともと戦争に使うためにつくられた機械人形だ。明日香から〈音〉で報告もらった分にはシステムっていう物の中でフォルダっていうグループにわけてそこで管理しているらしい。A型の資料しかなかったから、H型も同じかどうかはわからないんだけどな」

 昨日子がそろった二枚をぽいっと投げて明日香が残った一枚を手にしたままずうぅぅんと落ち込んだ。隣で別のトランプゲームを喜邨君、冬人さんと一緒にやっていた今日破が次俺も入れてくれへん? と声をかける。……報告聞いてよみんな。

「六年前にアンドロイドは全処分された、ってことになってるだろ。あれは嘘だ」

 公正がトランプを繰りながらうなずいた。僕の前に一枚置いて時計回りに縁利、栄蓮、今日破、昨日子、公正の順に置いていく。明日香は喜邨君と冬人さんがやっているゲームを見に行った。

「地下牢にアンドロイドが居た。H型……って言ってた。A型は古いから壊れて当たり前、とか言ってたけど。A型を修理するよりももっとレベルの高いH型を、とか材料はその辺の人でいいよね、とか……。僕が拾えた言葉はそのくらいだ。まともに話ができるやつが居なかったからどこまで信用していいのかわからない」

 最後の一枚を昨日子の前に置く。全員にカードが行き渡った。

「A型をデリートしてH型をインストールするとかなんとか……。デリートって何?」

「でりーと?」

 公正も首をかしげた。

「英語で削除って意味のやつじゃない?」

 冬人さんと喜邨君の熱戦に興味をもっていかれたまま明日香が答える。お前発音へたくそ、と公正に嫌な顔をされた。うるさいな。

「A型を消すってことか。……どうやって?」

「それをきいてこいよな……」

 左からの縁利の視線、右からの公正の無言の圧力から逃げるように目の前の9枚のカードをめくって持つ。えっと、キングがそろってるな。今日破が手持ちのカードからハートとクローバーの3を引き抜いて置いた。

 冬人さんがカードをとんとんと整えて繰り、明日香と喜邨君の前に交互に一枚ずつ配っている。どんなゲームなんだろう。ババ抜き終わったら参加しようかな。あ、ラッキー。クイーン来た。

「アンドロイドってえのは何のために作られたんだ?」

「戦争利用じゃないかい。流刑地で会ったアンドロイド、すごく強かっただろ」

「待って、スカイ・アマングの内戦のピークはアンドロイド全処分の報道があった後や。戦争利用が目的なら残しとくやろ」

「H型と交換したってことじゃないのか」

「せやから戦争利用なら交換やなくて使い捨てた方がコスパもええやろ」

 いつの間にトランプゲームの輪に加わってしまったんだろうと今更のようにぼんやり考えながら適当に引き抜いたらジョーカーだった。早くこれ引け縁利。違う、もう一枚右だってば。もう一巡したら取ってくれた。サンキュー。睨んできたのでにんまりしてやる。

「まずいな……」

 突然そんなことを公正がつぶやいたのでまさかもうジョーカーがそこまで回って来たのかと思ってしまった。ジョーカーはちらりと見えた縁利の手札の中にまだあった。

「もしかしたら『これから』かもしれない。管理者はこの先何か戦争を起こす……?」

 スカイ・アマングの内乱のきっかけはまだわかっていない。明日香たちも図書館で探しただろうけど何も言わないところからして資料もなかったのだろう。ひょっとしてあれは未処分のまま放置されていたアンドロイドの故障体が暴走して起きたのではないか。でも、と思い直す。地下牢で故障したアンドロイドたちを見た。あの状態で内乱を引き起こせるだろうか。明らかにアンドロイドとわかる個体が集団リンチに遭って終わりな気がする。じゃあ、誰かがアンドロイドを使って……? 何のために? 管理者は、何かの目的のためにアンドロイドを使っている……?

「……あのさ。アンドロイドが作った“道”に落っこちて僕らはこの世界に来ちゃったんだよな。制御できなかった奴のせいだったならまだいいんだけど……もしそいつを制御してあの世界とこの世界をわざとつなげたっていう可能性は無いのかい? わざとつなげて僕らをひっぱりこんだとか」

「何を言っているのだ修徒。たとえ我輩のような優れた者が居てもきっとこの世界の者は知らなかっただろう。わざわざお出迎えしたわけが無い」

 後ろから手札をのぞき込まれてぎょっとして振り返ったらトイレに行っていてゲーム不参加の曹と氏縞だった。脅かすなよ。

「迎えに来たとか自意識過剰だろ」

 氏縞も僕の推測を全否定した。

 よっしゃAがそろった。ラスト一枚。とれ縁利。

「ちがうよ」

 しん、と一瞬で室内が静かになった。声の主がすぐに誰だかわからずに視線が迷子になってようやく背中を向けた冬人さんだとわかる。語尾が伸びてなかったからわからなかった。

翔太しょうたが目的」

 笑顔でふりかえって僕を指差してみせたので一気に力が抜けた。

「僕は修徒です…」

 真面目な話をしてる時に他人の名前を間違えるなんて変なボケをかますな。

 縁利がラスト一枚をひいてくれたので僕が一番乗りで上がった。直後に縁利からひいた栄蓮はジョーカーを引き当てたらしくむっと顔をしかめて手札を繰り直す。今日破がそれをひいて凍りつき栄蓮がにっと笑ってみせた。

「そっちはなにやってるんだい」

「特別ルール版スピード。3がでてたらAか5を出すやつ」

 数字一個飛ばしのスピードか。なつかしいな、教室で休憩時間に先生の目から隠れてみんなでやってたっけ。

「ご夕食の準備ができましたので今からお持ちします。よろしいですか?」

 突然静かな声がしてびっくりしてみんないっせいに居間の入り口を振り向いた。11人の視線を集めてしまった千秋さんはちょっと戸惑うように目をそらしてもういちどこっちに向き直り

「持って参りますのでっ!」

 一言叫んでそそくさと出て行ってしまった。もっと存在感があればみんなの視線を集めちゃったりしないかも。

 メシだメシだと喜邨君がスピードを中断してそわそわと立ち上がったのに便乗して今日破もジョーカーを含んだ手札を床にひらりと落としてメシやし片付けるでと場札に混ぜた。負けそうだからって逃げるの反則、と栄蓮が口を尖らせた。

 今朝のような豪華な食事を期待して待機していたが、ほどなくしてワゴンで運ばれてきたのは安っぽいプラスチックの使い捨て弁当箱だった。その辺のスーパーとかで普通に売ってるような野菜率の異常に低い惣菜弁当。朝ごはんなのか昼ご飯なのか微妙だったあの素晴らしいコース料理は夢だったんじゃないかと思いながら特に文句を言わずに鮭弁当を受け取る。昨日子は山菜ちらし寿司、明日香は洋風弁当(ハンバーグとかスパゲッティとか入ってるやつ)、今日破はトンカツ弁当。縁利は親子丼を栄蓮にとられたのでぶつぶつ不満を言いながら鶏そぼろ弁当を開封していた。公正は天ぷらやちくわの磯辺揚げが入った和風弁当。喜邨君は残り物には福があるとか言って最後まで選ばずに待って六つの弁当を手に入れた。ちなみに残りのひとつの唐揚げ弁当は曹と氏縞が取り合って喧嘩中。喜邨君が弁当箱を6つも取った事に対して千秋さんが何やら言いづらそうな顔をしていた。その六つのうち四つは千秋さん達の食事だったのかもしれない。

 鮭弁当はやはりただの鮭弁当で、冷めて固まったご飯を海苔でくるんでごまかしながら口に運ぶことになった。千秋さん、簡単なものでいいから何か作ってほしかったな……。

「すみません、諸事情で食材の調達が間に合わず……!」

 ぺこぺこと謝る千秋さん。あー……なるほど。喜邨君があまりに食べるもんだから今朝のうちに今日分全部使い切っちゃったんだなきっと。

 一方氏縞と曹は結局唐揚げ弁当を仲良くシェアし、その上でどちらが唐揚げを食べるにふさわしいかを競っていた。

「貴様このきめ細やかな揚げ具合が目に入らぬか! この高級感あふれる色! きっとしっかり油をきってあってあっさりした味わいに違いない!」

「薄皮の部分も一緒に揚げてあるというなんというサービスの良さ! 俺はこの部分をばりばり食うのが大好きなんだ」

「そんな部分だけを食うなど下賎の民がやることだ。唐揚げは柔らかな身があってこそ。よってこの唐揚げは我輩の口に入るべき物である」

「身の部分にしか魅力を見いだせないお前のような馬鹿には唐揚げは渡せないな。これはきっと俺に食べられるために作られた唐揚げだ」

 ……いっそ皮と身を切り剥がして分けたらどうだ。昨日子の山菜ちらし寿司をちょっと味見した明日香がものすごく微妙な顔でこっちを振り向いて僕と目が合い、何がおいしいのかわかんないよと言いながら逃げるように目をそらした。早々にそぼろ弁当を平らげた縁利がもーらいっと一声あげて今日破のトンカツを一切れつまみ上げて口に放りこみ、今日破に蹴られそうになって公正の後ろに逃げる。ついでに公正の海老フライをつまんで今度は喜邨君の後ろに隠れて今日破と公正に狙われる形になった。4箱目を平らげた喜邨君はつらそうにお腹をなでながら油断している縁利の手から海老フライを抜き取ってむしゃむしゃと食べてしまった。縁利は一瞬呆然としてから喜邨君をにらんだけど喜邨君は気にせず5箱目を開封した。

「みんなー。聞いてー」

 玄関側のふすまが開いて冬人さんがひょっこり顔を出す。それ以上入ろうとせずちょいちょいと手招きをしながら

「あのねー春香さんがねー。……」

 沈黙。案の定「なんだっけー」と振り返りその茶髪をぽかりと一発、追いかけてきたらしい夏輝さんが軽く殴った。

「そこで忘れるなよ。みんなちょっと外に出てもらえる?」

 まだお弁当を堪能している喜邨君以外全員がなんだろう、と立ち上がる。

「春香がさ、まともな食事が出せなかったおわびにって」

 にやっとカッコ良くウインクして背中に隠した包みを見せた。派手な色使いの包装紙にsparklerとアルファベットが並んでいた。見せてもらっても読めないので何だかさっぱりわからない。

 みんなで階段を下りる。階段下の屋外蛇口から金属バケツに水をたっぷりとり、アパートの裏手に回った。僕らが住んでいた世界だと駐車場になっていたようなそこはコンクリートに覆われたただの空き地になっていた。

 一番年下から、ということで栄蓮が最初に包みを渡されてわくわくしながらがさごそと包みを開ける。縁利も待ちきれずに一緒にのぞきこんで歓声をあげた。でてきたのは手持ち花火だった。

 栄蓮はさっそく一本選びとって夏輝さんのライターで火をつけた。湿気っているのかなかなか火がつかず、ようやくついたと思ったらものすごく派手に火花が飛び散ってまぶしくなる。縁利も隣で火をつけてもらい、横に広がる平面状の火花に目を丸くしていた。僕が今まで持った事のある花火の中にあんな花火は無かったと思う。明日香も似たような青色の花火を持ってにこにこしていた。僕はその花火の先に自分の花火を近づけて点火。噴出した火の色は黄色だった。公正の花火は一定周期で強くなったり弱くなったりを繰り返す不思議な花火だった。僕らの後ろをピンクと白の花火を振り回して曹と氏縞が駆け抜けていく。今日破は夏輝さんと冬人さんと一緒に何かしゃべりながらのんびりと釣り竿を垂らすようにしょぼい花火を持って並んで座っている。昨日子の花火は火をつけるなり炎を吹いて空中にすっ飛んでぐるぐると手の届かない場所を飛び回っている。あれも見た事無いな。後で僕もやってみよう。

「シュウ、これ見て見て!」

 明日香が別の新しい花火に火をつけてこっちに手を振った。明日香の手に握られた柄の先を小さな黄色い火の玉が次々に螺旋(らせん)を描きながら地面に向かってくるくると落ちていく。火の玉かわいいとにこっと笑って楽しそうにながめて……きれいだな明日香……じゃなくて。ええと。

 顔の筋肉が言う事をきかず変な風にニヤついてしまうので目をそらし、ごまかそうと袋から新しい花火を取り出した。もうすでに火の消えた花火をバケツに放り込んで両手で新しい花火を持ち直し、明日香の火の玉を一個もらって火を移す。じりじりと先が焼けこげてちろちろとしょぼい火花が散った。そしてそのまま消えそうになりながらちろちろちろちろとだらだら光り続ける。

「お前なにそれ。つまらない花火だな」

「公正こそその花火ごく普通の派手な花火だろ」

「うるせえよ。しょぼい花火よりましだ」

 ずっと変化が無いのでいい加減飽きてきたのだけどなかなか消えず手持ち無沙汰に上を見上げた。当然星が輝いているものと思って見上げた先は塗りつぶされたように暗く沈んだドームの天井が見えていた。光る物はみんなの手の中の花火だけだった。

 三匹のネズミ花火に追いかけられて今日破と縁利が逃げ回り始めた。すいすいとと縦横無尽に走り回るネズミ花火を追いかけて夏輝さんも冬人さんも立ち上がり栄蓮はおもしろがってその場でぴょんぴょん飛び跳ねた。ネズミ花火を全部一緒に火をつけてしまった張本人の昨日子は我関せずとばかりに花火の袋をあさっていた。

「花火の最後と言えばこれだろう!」

 曹が氏縞と同時に線香花火に火をつけた。……曹。その花火、逆さだ。

 火をつけてすぐに持ち手が燃え上がってあわてて放り投げて火を踏み消した。氏縞の線香花火はすぐに消えた。

「曹。もう一回勝負だ」

「望む所だ。まあ我輩に勝てるはずはないがな」

 せーの、で夏輝さんのライターから火をもらう。パチパチと火の粉が爆ぜて花火の柄の先についたオレンジ色の炎玉がジンジリと振動する。きれいだな。このまま消えませんように。このままじっとこの光を見つめていられますように。

「……あっ。落ちちゃった……」

 隣で明日香もやっていたらしく火の消えた線香花火を片手にちょっと泣きそうな顔をしていた。ふう、とため息をついてぎこちなく笑ってまだ消えていない曹と氏縞の線香花火を眺める。

「きれいだね」

「うん。きれいだ」

 明日香の誰にとでもないつぶやきに返事をする。明日香はちょっとこっちを見て照れくさそうにはにかんだ。

 線香花火には願いが込められていると思う。このまま穏やかな時間が続きますように、このままみんなで変わらず同じ光を見つめていられますようにって。みんなでずっとずっと一緒にいられますようにって。

 ジンジリと揺れていた小さな玉がついにすうっと消えて、曹が一瞬顔をあげてにやっとしたところで曹の方の線香花火の玉も地面に落ちてくだけた。終わった花火をすでに大量の花火が突っ込まれた金属バケツに放り込んでみんなの目がこっちに向く。だらだらとしょぼい花火は線香花火が消えてもまだちらちらと小さく輝いていた。

 みんなの目が向くのを待っていたかのようにジジ、と手に振動があって急にぱっと目の前が明るくなった。握った手ぐらいの大きさに火花がぼっとまるく散り、三方向に黄色い火が噴出し、かと思うとパチパチと青や赤や白の色とりどりの火花がパチパチ大量に爆ぜて空中を踊って何の前触れも無く突然消えた。

 短くなった持ち手の先からすーっと一筋煙がのびていた。しばらくみんな沈黙して青白い煙をみつめる。

「さて! そろそろ夜も遅いし中に入ろう!」

 夏輝さんに急かされ階段をぞろぞろ上がる。風呂に入りたいと氏縞が騒いだがこのアパートは風呂付きではなく、近所の銭湯は廃業していて千秋さんがまた謝っていた。ここに来る時に水に浸かってその後体を洗っていないのでいい加減風呂に入りたい。

 畳に布団を敷き詰めた所でトイレから喜邨君が帰ってきた。ものすごく眠そうな目で掛け布団につまずいてそのままいびきをかきはじめる。ちょっとは手伝えよといらいらしながら公正と協力して転がして部屋の端の布団まで移動させて僕らは一番遠い布団に寝そべった。縁利と栄蓮は昨日子の近くの布団に、明日香は昨日子と今日破の近くに、曹と氏縞は喜邨君の近くにまるくなる。

「電気、消そうかー?」

 冬人さんの声。

「あ、お願いします」

「じゃあ、おやすみー」

 ぷつんとスイッチが切れる音がして、部屋は真っ暗になった。

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