5日目午後:水中都市

 いつの間に眠っていたんだろう。耳元を冷たい風が通り過ぎていって、ふっと目を開けた。今何時だっけと目覚まし時計を確認しかけて手元に無いことを思い出す。周囲は真っ暗で、目の前にはゆらゆらした液体が迫っていて、

「ぎゃああぁぁあああ!?」

 ドボン

 目が覚めて早々水に突っ込んだ。日ごろの行いがどんな風に悪かったらこんな訳の分からない状況に陥るんだろう。ブクブクと泡に包まれて上下感覚を失いばたばた暴れる。やがてすうっと浮き上がり始めた。……遅いな。水をかいて水面を目指すが靴が邪魔でうまく泳げない。後少し……。着いた。

 ぶはっと止めていた息を吐き出し水面に顔を出す。ちょうど近くに自分の荷物がぷかぷか浮いていた。ラッキー。ありがたく浮き輪代わりにつかまって周囲を見回す。ここ、どこだろう。みんなはどこに……。探すまでもなく目の前に一人いたけど。

喜邨きむら君……。よく浮くんだな」

「ん? ああ、修徒かよ。何かみんな落とされた後上手に潜りやがって、俺を置いていくのかと思ったぞ」

 好きで潜った訳じゃないんだけどな…。あ、つかさ氏縞しじまも浮いてきた。よかった、明日香も無事だ。昨日子きのこ今日破きょうはも水面から顔を出す。公正、エンリ、それから誰だか知らない小さい金髪の女の子が一人。

 浮いてくるなりエンリは昨日子の上に乗って沈めようとした。すぐさま今日破が引きはがして逆にエンリを沈める。エンリはぶくぶくと泡をたててすぐに別の場所から浮き上がってきた。

「ええかげんにせえよ、ええと……エンリ?」

縁利えんりだ。……その子は栄蓮えいれん。俺の妹。で、お前らが昨日子って呼んでるそいつは栄繁えいはんっつって、父さんと母さんを殺したやつだ」

「なんかよう分からへんけど縁利は昨日子を恨みに思てんのやな? 今はそんなんよりも陸を探さなそのうち疲れておぼれてまうで」

「そんなん、で済ますんじゃねえよ!」

「じゃあお前は沈んでろ」

 公正が器用に足で足をつかんで下に引っぱる。縁利はばたばた暴れて降参。栄蓮と呼ばれた女の子は大急ぎで公正から距離をとった。怖がられてるぞ、公正。

「おい! 何かあっちに見つけたぞ!」

 氏縞の声にみんな一斉にそっちを振り向く。指差した先を曹が泳いでいて、曹が泳ぐ先に確かに何かの影が見えた。暗くてよく見えないけど。曹が振り返ってぶんぶんと手を振る。行ってみようか。陸かもしれない。

 生温い水をかき分けてつうっと泳ぎ始める。あまり冷たくない水でよかった。冷たかったらもう体が冷えてこんな所で風邪をひいていたかもしれない。きれいな水で良かったな、空き缶とか油とか浮いてたら泳ぐ気にもならなかっただろう。もしかしたら深い水の底まで見えるんじゃないか?水面に顔をつけて暗い水中に目をこらす。何か黒い大きな影がいくつかゆったりと僕らの下を追い越して行って、

「曹っ! 危ないっ!」

 水面から顔を離して叫んだときにはもう既に目の前に黒い壁が出現していた。盛大に波をたててその黒い生き物は巨体を揺らして水に潜り、すぐに別の場所から別の一匹が勢いよく水面から飛び出して曹めがけてすっとんで行った。曹は固まったまま動けない。

「曹ーーっ!」

 黒い生き物が飛び込んだ水面にものすごい高さの水柱が立つ。間一髪陸らしき物の上に登った曹は水柱のついでに発生した大波にさらわれて黒い生き物が潜ったのと反対側の水面に落っこちた。すぐに戻ってきてそれの上に登る。黒い生き物はぐるぐるぐるぐるとそれの周りを回り始めた。くそ、これじゃ近づけない。

「……公正、あれ何?」

「知るかよ。こんなの見た事ないぞ」

 曹は陸のような物の端っこに乗ってぶるぶる震えている。そんなところで震えてないでもっと奥の方に乗れよ。また波にさらわれるぞ。

「……水魔すいま

 栄蓮が思い出したようにぽつりと言った。木製のかばんにつかまった格好でちょっと首をかしげて

「水魔だと思う。ほらだって、ひれが四つあって全部ひらひらしてて」

 はーっと縁利がため息をついた。一瞬期待したのが馬鹿だったとか何とかとぼそぼそ毒づいて左右アンバランスに立った前髪の生え際をかりかりとひっかいた。

「絵本の読み過ぎだお前は」

「なっ……お兄ちゃんが読み聞かせしてくれた本だよ!?」

「はぁっ? いつの話だいつの」

「覚えてないのっ? あたし眠いのになかなか寝させてもらえなくて」

「だからいつの話だよそれはっ!」

「……おい」

 公正が口の前に一本指を立ててしーっと音をだす。ふたりとも慌てて口を閉じたけれどもう遅かったようで曹が乗っている物の周りを泳いでいたうちの一匹が僕らの前でゆっくりと浮上した。クジラのような体型。竜みたいなうろこだらけの尾が水面に見え隠れしている。体の前の方に小さなこぶがあって、そこにおさまった目がゆっくり開いてぎょろっとこっちを見た。そいつはごふうと潮を噴いて口を薄く開けぞろりと並んだ白い歯をみせた。他の二匹もこっちに気づいて近づいてくる。ざぶりざぶりと波が僕らをゆらす。

 近づいてきた二匹が水中にもぐった。あわててどこに行ったのか探すけどもうわからない。やばい。真下から来たら一発でやられる…!

 ドン

 突然太い音がして水面にびりびりと細かい波が立った。一拍おいてびしゃびしゃと水よりももう少し温度のある物体が飛んで来た。うわあ……。思わず目をつぶったけどそれが何か察して目を開けるのにかなり抵抗を感じた。目をこじ開け僕らの真ん前に浮かび上がった水魔を見上げた。

 水魔は、肉塊になっていた。ぬめぬめした巨体のごわごわした表面のあちこちに大きく亀裂が入りそこからどろどろと青い液体が流れ出ていた。半分皮が剥がれて反り返り、そこからも青い液体が噴き出している。

 昨日子がいつもの仏頂面をかすかにゆがめてその巨大な肉塊に手をあてていた。〈力〉で壊したんだ。昨日子は頭にかかった肉片を払い落としてもう一度〈力〉で肉塊を揺らした。肉塊にさらに亀裂が入り、そこからぼろぼろと崩れて青いねばねばした液体を広げながら水に沈んでいく。

「急ぐぞ」

 喜邨君がざばざばと泳ぎ始めて縁利と栄蓮があわてて泳ぎだす。氏縞はもうとっくに曹の乗っている陸のような物の近くまで行っている。僕はもう一度水面に顔をつけて水中をのぞいた。

 かなり下の方で、沈んできた肉塊にさっきの残りの水魔たちが競い合うように食らいついていた。それが自分たちの仲間の肉だということに気がついていないんだろうか。

「修徒、早く」

 おっと置いていかれている。クロールで追いかけ到着。陸のような石造りの物体に這い上がる。ああなるほど。道理でみんな端に乗るわけだ。

 それは水底からのびる煙突のような物だった。つまり、円柱状の石造りの壁があって、中心に大きな穴があいていた。どれだけ深いのか分からないが穴の奥の方から風が吹いてきていて、でものぞきこんだ穴の先は暗くてよく見えない。

「入ってみねぇか」

「え、どうやって」

「ロープなら公正が持ってるだろ」

 喜邨君に言われてこれか?といやそうにリュックから斧の先っぽみたいな刃物を取り出した。そういえばそういう物持ってたな公正。それにひっついてるロープを全部つなげればちょうどいい長さになるんじゃないか。

 公正と僕と今日破でロープの結び目をほどいて刃を取り外し、喜邨君がロープとロープを結び合わせる。曹と氏縞は曹のリュックを回収して戻ってくるとみんなのリュックを完成した長いロープの片方に結びつけて穴の中にそろそろと垂らした。僕らのリュックがだんだん小さくなって、途中で煙突が曲がる所で見えなくなった。

「俺が一番最後に下りるから…そうだな、今日破から下りろ」

「なんで俺? ……俺、一番年長やし一番最後に降りさせてや……」

 滝汗今日破。さては高いところ苦手だな。

「一番最後はロープ使えねえだろ。俺はロープ使わなくても下りれるけどお前はできねえだろうが」

 ああ、なるほどね。喜邨君体でかいから腕をひろげればなんとか煙突の中を移動できるんだ。その体格って意外な所に役に立つんだなあ。

 おっかなびっくり今日破がロープにつかまり、ずるずるずるずる……ずるずるずる……とちんたら降り始めた。さっさと下りろ! と喜邨君にロープを揺らされて手を滑らせて一気に見えなくなる所まで滑り落ちて行った。続いて公正、それから縁利と栄蓮。昨日子が下りた後、曹と氏縞が例によって後から下りる権利をめぐりケンカを始めて喜邨君に曹が先で氏縞が後と決められ二人そろって抗議していた。待ちきれなかったので僕はさっさと先に下りさせてもらったけど。

 数メートル滑り降りて手が痛くなってきて、何かいい物があった気がしたのでリュックの中を探ってみたら黒いミトンのような手袋が出てきた。なんだっけこれ。そうかクリスにもらったんだ。ありがたく手にはめて下降続行。

 四つ目の結び目を過ぎた所で足が下について何かの上に立った。もう着いたのかと思ったけどトンネルはそこから少し横穴になっていた。横穴にもぐり込んでしばらく行くとまた縦穴。再びロープに捕まって滑り降りて、……地面に足がつかないうちにリュックの束に手が引っかかった。

「え……嘘……」

 我ながらぎこちない動作で首をまわして下を見る。茶色い土の地面がけっこう下の方に見える。僕の真下よりちょっとずれた所に今日破、公正、縁利と栄蓮が立っていた。僕はリュックの束につかまったまま硬直。

 ……いや、あのー、えと。……まだ、今日破の身長プラス縁利の身長ぐらいの高さがあるんですけど? こ……怖い訳じゃないけどね。降りられない訳じゃないよもちろん。だって縁利も栄蓮も降りてるじゃん? 今日破と公正の補助があったかもしれないけど。っていうか公正が降りられるのに僕が降りられないなんてありえないから。怖くないよ、うん。全然怖くない。なんでまだここにぶら下がってるのかっていうと、えーと、……高い所はいい眺めだね。

「何してんだ修徒。早く降りろよ」

「……え、えーと、昨日子は? 真下に居たりしない?」

「昨日子はそっち。大丈夫や、真下には誰もおらへん」

 昨日子発見……。茂みに頭を突っ込んでなにやらがさがさあさっている。

「早く降りろ修徒っ!」

 そう急かすなって僕は降りられないんじゃなくてちょっと降りたくないだけなんだから……。

 ふっと上を見上げて一瞬思考が停止した。明日香が降りて来る。明日香は祭りの時赤いスカートをはいていて、だから今もスカートをはいてるわけで。

 下から見上げるとモロにくまの絵付きのそれが丸見えだった。

「うっわああああああっ?」

 焦ってとりあえずその場を離れようと手に持ったロープを突き放す。顔が耳までドカンと熱い。やばいやばいやばい何見てんだ僕。って、何手離してんだ僕っ?

 地面に背中から勢いよく落下して一回バウンドして息が詰まった。げほごほとその場で咳き込んで起きあがる、正確には起きあがろうとした所に明日香がそのままのスピードで勢いよく落ちてきてつぶされた。

「きゃああっ? 大丈夫修徒っ?」

「う……ん、大丈夫……」

 パンツ見ちゃったことばれてなければ僕は不死身だ。うん。多分。

 上から曹が降りてくるのが見えたので今度こそつぶされないようにその場から逃げる。曹もリュックの束からの距離にぎょっとしたようだったが勢いがつきすぎていてリュックの束の所で止まれずに落っこちてきた。割と間を置かずに氏縞が降りてくる。氏縞は曹以上に勢いがついていて氏縞もリュックの束の所で止まれないんじゃないかと思ったけど止まるまでもなくそこにたどり着く前にロープが落下し始めた。

 リュックの束と一緒に落下。しりもちをついてさすりながら起きあがった氏縞を落ちてくるロープが襲う。そして絡まる。ぎゃあぎゃあ騒ぎながら氏縞が暴れ、負けじと曹が声を張り上げながらほどく。とりあえず黙れうるさい。

 氏縞の次、喜邨君だよなということに気がついてあわててロープとリュックごと氏縞を回収。曹、公正と協力して氏縞とリュックからロープを外す。しばらくしてかなり上の方の穴から喜邨君の姿が見えた。……遠い。

 僕らはロープがあったから今日破の身長プラス縁利の身長ぐらいの距離で済んだけど喜邨君の場合はロープが無いから20階建てとかそのぐらいの高さのビルぐらい地面との距離が離れている。さすがにそれを落ちてくるのはいくら喜邨君でも無事ではすまないだろう。……どうしよう。喜邨君も途方に暮れてしばらく固まっていて、また上に登って行ってしまった。

「おい修徒」

 なんで僕を睨んでるんだよ公正。これ僕の発案じゃないぞ。僕のせいで喜邨君が降りられないんだみたいな目で僕を見るなよ。

「お前もう〈力〉使えるだろ。あれ使えよ」

「へ」

〈力〉って何だっけと考えてしまい、あーあれかと思いあたる。昨日子がさっき使ったのもそうだし明日香が絆創膏作ったのもそれだ。

「何とぼけた顔してんだ。石柱あそこまでのばしてゆっくり縮めりゃいいだろ」

 ……ああ、そういえば。クリスと一緒にはしご降りる時に使ったっけ。あれだ……。

「って、何で知ってるんだよ」

「は? ……あー、そうか。……何でだっていいだろ。さっさとしろよ。喜邨がしびれきらして落ちて来たら困る」

 何だよはっきり言えよ。何か知ってるならちゃんと教えてくれよ。何で隠すんだよ。

 いらいらしながら地面から直方体が伸びるイメージで〈力〉を発動させる。足の裏から、反発させるようにズッと……。

 しばらく何もおこらなかったがやがて昨日子の近くの地面がみしみし音をたててそれからいきなり地面がぐおっと盛り上がりそこから出現した白い柱がぐんぐん上に伸びていった。あっけにとられて眺めているとそのまま喜邨君ののぞく穴まで伸びていく。びっくりして眺めていたら霧状に薄まって消えそうになった。『馬鹿、ちゃんと認識してろ』ピィィンと耳障りな〈音〉付きで怒鳴られ柱の輪郭が再びはっきりする。

 遥(はる)か上空の喜邨君がおそるおそる柱の上に乗るのが見えた。よし、乗った。緊張で背中がこわばる。ゆっくり、ゆっくり……。一拍遅れて柱は縮み始めたがかなりゆっくりだ。でも制御できてる。

 ほっとしたら気が抜けて突然パッと物体が消失した。ぎゃああと叫び声をあげて喜邨君が落ちてくる。あわてて柱を伸ばし直してキャッチ。ごめん。本当にごめん。

 慎重に、でもさっきよりは速く下までおろした。

「びびったぞ修徒。殺す気か」

「まだ慣れてないんだよ。二回目……三回目? そんくらいだし」

 公正がちらりとこっちに視線を投げて変な顔をする。何事もなかったように別の方向を向いた後かすかに首をかしげる動作。何か変なこと言ったっけ僕。

「さてと! みんな無事に下に到着できてとりあえずよかった! ……で、ここはいったいどこなんや」

 今日破の言葉に辺りを見渡す。暗いが何も見えないわけではない。湿った土のにおいがする。

 森の中のようだった。タケノコみたいなのが地面のあちこちから生えている。くねくねした奇妙な形の木の根が湿った地面のあちこちからにょきりにょきりと顔を出していて、僕らの頭上は木が大きく枝を張って8割ぐらい埋めていた。木の葉の間から見える「空」は鏡のように青銀色に反射してひかっていて、さっき僕らが出てきた穴がぽつんと黒いしみになって見えている。薄暗い森の中をしばらく歩くとちょっと渇いた地面を見つけた。そこにみんなの荷物を集めて置いてとりあえず休憩でもとろうかと腰をおろした。木の根が邪魔だ…。何だこの……人の膝みたいな形の根。見覚えがあった気がしてリュックから科学おどろき辞典を取り出してみたらぐっしょり濡れていてページが開けなかった。さっき水に浸かったからな。無理矢理開くとページが破けそうだ。

「たき火でも焚くか。服も乾かしたいし」

 公正が肌にべったり張り付いた袖をはがしながらつぶやいた。賛成、と声がいくつかあがりその辺に転がっている枝を拾い集める。森の中だけど案外枝が落ちていない。

 木の根に引っかかった一本を取ろうと引っ張ったがなかなか抜けず、力任せに方向をかえて引っ張っていたら急に引っこ抜けて尻もちをつき、はねた泥が栄蓮のスカートにとんだ。両手いっぱいに小枝をにぎった栄蓮はわざとらしい笑顔でふりむいて

「覚悟はできてるよね?」

 何の覚悟だ。

 公正は言い出しっぺのくせにその場に突っ立って目を閉じている。何してるんだよ。肩をつついたら邪魔だと払いのけられた。

「何やってるんだよ。たき火しようって言い出したの公正だろ。枝集め全部人任せにする気かよ」

「うるせーな、枝少ないからたくさんあるところ探してんだよ……〈力〉で」

 そんな〈力〉もあるのか。確かに落ちてる枝は少なくて、喜邨君にいたっては木の幹からにょっきり生えた枝を片手でぼっきんぼっきんと折ってもう片方の手に積んでいる。公正はしばらくそうやって目を閉じて突っ立っていたがやがてぱっと目を開いて顔をあげた。

「駄目だな。一番多いのはここだ」

 何だよ役に立たないな。枝の小山の所に戻ると曹と氏縞が太めの枝に細い枝を突き刺すように立てて手をすりあわせるようにしてすりすりすりすりと摩擦させていた。科学おどろき辞典にもそれ載ってたけな。火をおこそうとしているようだが煙すらたっていない。喜邨君が俺もやってみる、と似たような枝を選んで一本は地面に置いて足で固定し、もう一本は両手で挟んでぐりぐりぐりぐりぼっきん。先が垂直からちょっとずれたとたんにポッキリ折れた。

「なんやなんや。みんな下手やなあ。火はこうやっておこすんやで」

 自信満々に今日破も参加。土をならして葉を数枚置きその上置いた一本を両足で踏んでおさえてもう一本でざりざりざりざり。ざりざりざりざり。

「……いつになったら火がつくんだ」

「……そのうちつくやろ。……知らんけど」

 僕もやってみる。できるだけ乾燥していそうな枝を二本選んですりすりすりすり。すべすべしたこの皮が邪魔なんじゃないか?皮を剥がそうと枝の先に指をあてて亀裂を探す。あった。そこから剥がそうとして爪と指の隙間に固い皮が入り込んでめちゃくちゃ痛かった。やめとこう。あきらめよう。

 左隣に人の気配がしたのでそっちを見ると明日香が体育座りを崩したような体勢で一心不乱に枝をすりすりすりすりやっていた。なんというかもう熱意だけで火がつきそうな気もするのだけどやっぱり枝は強情に煙すら出してくれない。隣で昨日子もやったらしくもう一セット放り出されていた。

「あれ、なにやってんだみんな」

「縁利たちこそ遅いじゃない。なにやってたのよ」

「見れば分かるだろ。枝探してた」

 両手いっぱいに積んだ枝を栄蓮と協力して小山に加えてぱんぱんと手についた泥を落とす。栄蓮が荷物の山から自分の木箱を探し出して中を探り、マッチを取り出す。マッチの存在にその場の全員が凍り付いた。濡れてないマッチあるんかい……。あるならあるって言ってくれよ。

「おい曹、秘密兵器が出たがどう思う」

「曹様だ間違えるな様をつけろ……曹様は平和利用に努めるぞ……。さっきまでの作業は秘密兵器のすばらしさを身にしみて体感するために必要不可欠だったのだ……」

「そして秘密兵器の威力の前に俺の努力のむなしさを感じるのだ…。まあ曹よりはがんばったけどな」

「なにおう! 貴様の努力など我輩が月曜日の朝早起きする程度のちびぃもんだろうが!」

「お前のミジンコ並みの努力に比べれば俺の努力は宇宙級だ! あと月曜の早起きは相当な努力だぞ」

「ふん、貴様の努力を多少褒めてやったのに反論するとは愚かな……。まあ貴様のことだ、そこまで頭が回らなかっ……」

「おまえらうるさいぞ」

 縁利に叱られて黙る馬鹿二人。やーい、年下に叱られてやがんの。縁利はもうとっくに火をつけ終わり、今はおこした火を暖まれるぐらいに大きくしようと枝を次々にたき火に放り込んでいる。縁利って明らかに僕らより年下のくせに生意気なくらい大人っぽいよな。その影響か栄蓮も歳の割にって感じがするけど。

「わ、ねえ栄蓮。何が入ってるのこの中」

「明日香、触らない方がいいよ。今修徒用のお薬調合してるんだから」

 ちょっと待て僕用の薬って何の薬だ。僕はどこもけがしてないし病気も無いぞ。まさかさっきの泥はねの仕返しですか。泥はねひとつで薬殺されますか。笑顔ではい、どーぞと畳んだ紙切れを渡されたけど飲む気がしない。一緒に水筒まで押し付けてじぃーっとこっちを見ている。う、うむ。おそるおそる紙切れを開く。赤い粉が少し載っていた。……どう考えても毒物だよなあ、これ……。

「あの……栄蓮、これの原材料は?」

「原材料? 自分の心にきいてみたら?」

「いんふぉーむどこんせんとって知ってる?」

 僕はよくわからないけどね。栄蓮もよくわからなかったようでむうと難しい顔をしてわからないと言いかけあわてて口を閉め、明らかに知ったかぶりを取り繕って胸をそらした。

「チリペッパーと唐辛子の千切りと塩と胡椒(こしょう)。たぶんおいしいと思うよ。肉かなにか焼いてつければ」

 明らかにこれだけで飲ませようとしたよね? 調味料としてじゃなくて飲ませようとしたよね? 水でそのまま。

 紙切れを火にくべて処分する。火はだいぶ大きくなって落ち着いてきている。濡れたからだはやはり冷えていたらしく火のぬくもりが心地よい。

 ん。何か火の中でうごいてる……?

「サラマンダーだろ……。何をびびってんだお前は」

 だって存在忘れてたんだよ。びっくりするじゃん。ハリネズミも火の側にいた。公正がしっかり世話をしてくれていたようだ。撫でようとハリネズミに手を伸ばしたら逃げられた。嫌われた……いやいや手に針が刺さらないようにしてくれたんだ、そういうことにしておこう。

 夕方、ということなのだろうか。頭上の木の枝の間から見えるドーム天井の反射光が弱くなり森の中も暗くなってきている。火をおこしておいてよかった。僕らの周りは明るいままだ。

「ねえ今日破、この辺りに人……住んでる?」

「いやあ……。さっきから探してんのやけどな。一番近いところでも三時間はかかんねん……」

 え。今日破いつの間に森を探索してきたんだ。ずっと僕らと一緒に居たじゃないか。曹、氏縞、喜邨君も同じことを思ったらしく視線が一気に今日破に集まる。

「なんやみんなして俺見て。何? 俺かっこええ?」

 みんなそろって眉間にしわを寄せた。

「……いつどうやって探したんだ。この場所知ってんのかよ」

「知らへんて。〈力〉や。人探しの〈力〉。もし迷子になっても俺が見つけ出したるで?」

 本人が迷子になるかもしれないけどね、と明日香に茶々を入れられムスっとむくれた。僕はその説明でなるほどと思ったけど曹と氏縞と喜邨君も何か納得いかなかったようだ。憮然とうつむいている。喜邨君がこっちに目を移した。

「修徒もその〈力〉っての、持ってるよな」

 ここに降りる時に使った。うん、とうなずく。

「昨日子も、……滝波もか。公正、お前もさっき使ってたよな」

 縁利が〈力〉なら俺たちにもある、と自己申告して喜邨君は怖い顔のままうつむいて黙り込んだ。ぱちぱちと木片のはぜる音だけがその場に残る。曹と氏縞もうつむいてそれぞればらばらな方向に視線を向けた。

「……っりーよ……」

「あ?」

 縁利が小石を蹴って立ち上がった。ずかずかと喜邨君に近寄り、真ん前で足を止めた。無表情に、けど目に怒りをにじませて見下ろし、何の前触れも無くブンと足を振った。縁利の回し蹴りを顔面にもろに食らったがさすが喜邨君、ちょっと後ろにぐらついただけですぐ体勢を戻し左拳で縁利を吹っ飛ばす。たき火の隣の枝の山に突っ込みガラガラと山が崩れる。

「縁利!」

「待って喜邨君!」

「喜邨。待って」

 さらに蹴るつもりなのか立ち上がってのっしのっしと近づく喜邨君の前に昨日子が割り込んだ。喜邨君は代わりとばかりに昨日子の脚を狙い蹴りする。昨日子はすっと避けて飛んできた拳を片手で止め、それを握って離さずもう片方の手で喜邨君の頬に思いっきりぱんっと平手打ちをお見舞いした。喜邨君は一瞬驚いて動きを止めたがすぐに空いている左手で殴りかかる。昨日子はその手も難なくがしっと受け止めて喜邨君の両手を封じた。喜邨君はしばらく悔しそうに睨み上げていきなり頭突きをくらわせた。昨日子もこの攻撃は予想していなかったらしく額にくらってのけぞり、かと思ったらすっと腰を落として喜邨君の頭突きの勢いを利用して喜邨君を頭上を浮かせて通して地面に叩き付けた。巨体が地面に落ちると同時にどおおん…と地響きが森の中にひろがる。喜邨君は寝転がったまま目を丸くして固まっていた。昨日子は喜邨君の両手から手を離してかわりに足で腕を踏んで腹に座り喜邨君の顔を上から覗き込んだ。

「何。はっきり。口で」

 さっきの頭突きで額をちょっと切ったらしく昨日子顔面を一筋の血が伝う。乱暴に手でぬぐうのを見て喜邨君は一瞬きまずそうに目をそらしたがすぐにしかめ面に戻る。

「……ずりぃって。ずるいって言ったんだ。ここで会ったお前らは俺らとは違う、それはいい。けどな、公正。滝波。修徒。何でお前らまでその〈力〉っての持ってんだよ。何で俺らには無えんだよ。〈音〉使って顔見知りとならちょっと遠くでも話ができるんだってな? ずるいだろ、そんなの」

「必要ない。それだけ」

「必要? そんなの関係ねーだろ! お前らにはあって、俺らには無いのが不公平だって言ってんだよ」

 公正がふ、と鼻で笑った。不公平? 不公平か。笑える。曹と氏縞は黙ったまま公正を睨みつけていた。

「何だよ。俺らにも〈力〉があれば、……あれば、今朝、あの場で誰かを助けられたかもしれねーし、流刑地脱出する時だってもっと他の方法が使えたかもしれねーし」

「喜邨。〈力〉は無力だ」

 公正が話を遮る。組んでいた腕をほどいて昨日子に喜邨君の上から退くように合図する。昨日子が退くと喜邨君はすぐさま跳ね起きて昨日子が止める間もなく公正に襲いかかった。公正は何も抵抗すること無く殴りつけられて木の幹にぶつかった。喜邨君はその公正をそのまま幹に押さえつける。もう一発殴ろうと拳をふりあげる。

「……ほらな。今の俺は何もできないだろ?」

 ぴたりと動きが止まった。空中で止まった拳がゆっくりほどけて下りる。公正はまだ不満顔の喜邨君の目をまっすぐにらみ返す。

「今の状況を考えると俺には何かしらお前に反撃する力が必要なはずだけどさ、俺何も持ってないんだよな。物探して何か見つけたって使えないし」

「……」

「都合良く使えるもんじゃない。便利なものでもなんでもない。お前らの世界では必要ないものだ。無くたって何も変わりはしない。だから無いだけだ」

「納得いかねえな」

「俺もだ」

 ちぃっと舌打ちして突き飛ばすように手を離し、しばらく公正とにらみあって、喜邨君はくるりときびすを返して森の奥へ入っていった。曹と氏縞が追いかけようと腰を浮かせかけ公正に止められる。ほっとけ。じきに戻ってくる。


「ちょっとしみるかもしれないけど我慢してね。明日香、絆創膏」

「はい。……栄蓮、いっぱい薬持ってるね……」

「物と物を反応させる〈力〉なんだ。薬を作ることにしか使えないみたい。何と何を組み合わせたら何に効く薬なのかとか、まだまだいっぱい勉強しなきゃ」

 明日香と栄蓮が仲良くおしゃべりしながら縁利、昨日子、公正の手当をしていた。額に絆創膏を貼ってもらった昨日子は気になるらしく前髪をおろした後も絆創膏を指でなぞりながらたき火の前に戻ってくる。次は公正の番で、公正は喜邨君に殴られた左頬が赤く腫れていた。明日香が両手に数秒光をバチバチいわせて氷嚢を出現させる。すごい、絆創膏つくるだけじゃなかったんだ。なんかぺったんこだけど。氷入ってないんじゃないかそれ。

 明日香も保健室でよく見る氷嚢との違いに気づいてふたを開けて中をのぞき込み、上下に振ってみている。水滴一つ落ちて来ない。公正はだいたい予想していたようではあ、とため息をついた。どうやら中身まで完全に作れるとは限らないらしい。

 何かいいものなかったっけ。自分のリュックに目が止まってさっき栄蓮にわたされた砂糖水の水筒を取り出す。やっぱり。金属製なのでひょっとしてと思ったのだけど予想通り中に入っている水の温度が直に伝わって冷たい。

 水筒を公正に放ると栄蓮があ、と口を開けた。何か文句あるか。飲めないけど利用法はあったぞ。おそらく後で「飲め」と脅すつもりだったのろう栄蓮はすごく悔しそうに公正が頬にあてている水筒を眺めていた。

「縁利の〈力〉って何なんだい」

 腕にも脚にも絆創膏とガーゼをあちこちにひっつけた縁利は僕の質問に面倒くさそうに顔をあげた。さっき薪の山につっこんだ時にあちこち細かい傷をつくったらしい。

「……経験って言えばいいのかな」

 何だそれ。確かに見た目年齢に言動が見合ってないけど。わからん。沈黙して考え込む僕を見て縁利までうーん、と首をかしげた。しばらく二人並んでうーん。

「修徒。お前夢って見るか?」

「ん。まあ、うん」

 思わず昨日の夢を思い出してしまっていた。あれは誰だったのだろう。かあさん、と呼んだ相手は。覚えていないのかと責めるようにつぶやいた顔を思い出そうとするがローブの影が邪魔になってやはり分からない。

「俺が寝るだろ、そしたらその時間に起きてるどっかの誰かに意識だけ入り込んで見学することになる。夢で他の人の生活の一部を見る感じ……って聞いてんのか修徒」

「ごめん、一応聞いてた。……つまり、縁利としての人生プラス他の誰かの人生の断片の寄せ集めって感じか」

「うーん、まあ近いか」

 二重生活か。縁利の睡眠時間を8時間として、小さい頃からそれなんだとしたら……僕とほぼ同い年と言っていいくらいじゃないか……?

 制御きかないんだよな、と言いつつぐーっと伸びをした。誰の視界を見ることになるのか寝るまでわからない。どこかで家族そろって幸せに暮らしている家の子だったり、夜な夜な街を徘徊している殺人鬼で、よりによって処刑される瞬間に視界に居たり。

「何見るかわくわくしないと言えば嘘になるけど、たまには何も見ないでゆっくり寝たい」

 その点では流刑地生活は快適だったな、とあくびする。ふと目が横に流れた。

「修徒。お前の本燃えるぞ」

 あわててたき火のそばに置いておいた科学おどろき辞典を拾い上げる。濡れていたページはすっかり乾いて、代わりにパリパリになっている。1ページずつちゃんとはがれる。よかった。ええと、気になってた写真のページは……。

 あった。目的の絵(写真じゃなかった)を見つけて目の前の木と見比べる。うねっとした幹。幹の下の枝ほどの太さの根が何十本もうねうねと絡まり合って見えていて、その先は土にのめり込んでいる。葉っぱは割と多くて普通の形で上の方に固まっていてたぶんこのヤエヤマヒルギでいいんだろう。うーんでも葉っぱの形が微妙に違うような。隣はまた別の種類かな。同じページのもうひとつ「マングローブそっくりだけどハマザクロ科! マングローブじゃないんだよ!」という注意書き付きの絵がそっくりだ。マヤプシキ。

「へえ。マヤプシキっていうんだな。……実があるなら食糧になるな」

 公正が本をのぞき込んで木を見上げる。よーく見ると葉の間にアラビアンナイトの主人公がかぶってそうな帽子のかたちのふたがかぶさった花のようなものがいくつも見える。しかしあまりに高い所にあるので体の大きい喜邨君でも届きそうな気がしない。公正になんか絶対無理だ。登ろうにも桜とか普通の木と違って幹は細くてすべすべで途中に枝分かれが無いので非常に登りにくそうだった。葉も加熱処理すれば食べられると書いてあって着火用にと燃やしてしまったことを今更遅いが後悔した。

「じゃ、修徒よろしくな」

「え。ちょっとおい、どれだけ高いと思ってるんだよ。届かないのわかるだろ、僕と公正身長同じぐらいなんだし」

 はぁ? といらっとした口調で返し俺の方が若干高いだろうがと付け加える。いらいらとため息をつき、いい加減〈力〉を使うことを覚えろと怒りだした。あわてて謝って(忘れてたんだよ仕方ないだろ)自分の足下を盛り上げる。うわ、結構怖いぞこれ。

 ぐんぐん地面が離れていって公正を完全に見下ろせるようになってばさっと音がして背中から木の枝につっこんで足場が消滅した。パニックになって腕をふりまわしあたった細い枝を無我夢中でつかんで折ってそのまま落っこちる。途中で足場が復活してそれに激突し、また足場が消えて今度は一番下まで落っこちた。

「何してんだ、お前」

 打った背中を片手でさすりながら公正をにらむ。まだ使い始めたばっかりなんだよ。難しいんだよ。

 取ってきた、というよりつかみ損ねて折ってきた枝に三つ実がついていた。

「どうやって食べるんだいこれ」

「煮るか焼くかして、さ。生だと毒だときいたことがある」

「食べる?」

 どしどしどしどしと地響きが森の奥から響いてくる。聞き覚えのある声と地響きだ。みんなの視線がそっちに集まる。足音はどんどんこっちに近づいてきてすぐそこに熊…ではなく喜邨君が現れた。

「食糧みつかったのか! 腹減ったけど何にも無ぇから探しにいってたんだ早く食わせろ」

「待て待て待て話聞いてんのか食糧大量消費動物。毒があるから煮たり焼いたりしないと食えねえんだよ」

「早く煮ろー!!」

「うるさい静かに待たねえとてめえから煮るぞ」

 鍋のような物はなかったし、水も地面が多少湿るぐらいしか無かったので昨日子が探してきた石の板をフライパン代わりにたき火の隣に石を積んでかまどを作り、蒸し焼きにすることにした。石組みの上に大きくて平ための石を置き、葉を数枚並べる。

 栄蓮が枝の山から数枚葉を抜き取って携帯用ナイフでなぜかみじん切りに刻んで持っていたガラスの小瓶にさらさらと流し込んでいた。とても楽しそうに鼻歌を歌いながら。

「薬草帳調べてみたらマヤプシキの葉と実にはタンニンっていう毒が入ってて、いろいろ役に立つみたいなの」

 熱が加わったら駄目みたいだけど〜と楽しそうだが何に使うんだそれ。笑顔がとても怖いのだけど。縁利はたき火の扱いをよく知っていてだんだん火が弱くなってきても落ち着いて新しい枝で灰をざくざくと見た目は適当に掘り返して燃え盛る炎を復活させ、あまりに強くなりすぎて石板の上の葉を燃やしそうな時も何本か枝を引き抜くだけでうまいこと調節していた。それもどこかで見て来たのだろうか。昨日子が石板上の葉のうち一枚をつまみ上げて味見する。

「ん。おけ」

「よっしゃああああああああ!」

 待ちかねた喜邨君が襲いかかるようにかまどへダッシュ。氏縞の脚に気づかず足をひっかけてすってんころりん見事にすっ転んだ。

 今のうちとばかりに公正が葉を二枚とって一度に口に突っ込んだ。明日香も実をゲットして固い皮を爪で剥がしにかかる。氏縞と曹は同じ葉を取ろうとして案の定この葉はどっちの物か口喧嘩を始めた。今日破はとった葉をおそるおそる一口かじって難しい顔をしている。僕も葉を一枚つまんで口に放り込んだ。もくもくと噛んでみる。意外と歯ごたえは少なかったがちょっと渋くておいしいとはとても言えない味だった。そして量が少ない。縁利が最後の一枚をとっても僕はまだ空腹だった。ちなみに喜邨君は取り損ねた。

「あーくそ、俺の麻雀機ー!」

 駄々こねて暴れているが麻雀機って何だ、マヤプシキだ。誰だよ機械食べるやつ。


 縁利があまりにも頻繁にあくびをするので時間的にはまだ早いが寝床を準備することになった。とはいえ地面にビニールシートを敷いただけだけど。さすがに十人全員寝転がれるほど広くはなく、体の大きすぎる喜邨君はシート外に追い出された。わりと暖かいので掛け布団みたいな物は無くてもよさそうだ。縁利のために敷いたはずなのに氏縞と曹がまっさきに眠りに落ちてしまった。早いな。喧嘩で体力使い尽くしてるんだろうな。寝返りをうつと明日香の寝顔が目の前にあった。あわてて転がって転がりすぎてシートをはみだし、喜邨君にぶつかる。隣だと思ってなかった。かわいいなあ……じゃなくて、ええと。

「んあ? ああ、修徒か」

「ごめん、起こした?」

「うん、まあ。かまわねえけど」

 静かになってたき火の残り火のパチパチはぜる音だけになる。みんなの寝息がそれに混じって聞こえ始める。みんな寝るの早いな。疲れてるんだろうな。……それもそう、か。

 薪から細い煙をたなびかせて上る小さな炎の向こうに、今朝の炎を思い浮かべる。ゴウゴウと渦巻く炎。死んだ。たくさんの人が死んでいった。僕らだって死んでいたかもしれない。今はそろって寝息をたてているけれど……。

 背を向けていた喜邨君がくるりとこっちを向いた。ばっちり目があう。

「眠れねーの?」

「あー、うん。喜邨君も」

「まあな」

 会話はすぐに終了する。もともとクラスでも席が隣の割にあまり話すことはなかったし、共通の話題は少ない。あるとしたら受けるはずだった国語の小テストの話だろうか。場違いにもほどがある。

「なあ、修徒。聞いてもらってもいいか」

「ん。何」

「俺さ。兄貴がいるんだけど」

 お前兄弟居る? と聞かれていや、と首をふる。そうか、お前も兄居そうな気がしたけど、なんて言われてうーんと記憶をさぐる。いやいや居た覚えはない。一人っ子だよ僕は。

「一人っ子じゃわかんねえかな。……俺いっつも兄貴と比べられてさ。すげえ嫌なの」

「兄ちゃんいくつ上?」

「二つ。勉強も運動もゲームも全部兄貴の方ができるし強えの。親も兄貴ばっかり褒めやがって俺にあんまし関心なくて」

 喜邨君のお兄さんか……。どんだけでかいんだろうなあ。横にも大きいのかな。

「小学生の時は俺だってがんばって数学ドリルさんざん解いて兄貴より算数できるようになろうとしたけどさ。漢字帳まじめにやって兄より国語得意になろうとしたけどさ。兄貴の方が二つも年上じゃ追い越しようが無えんだよ。勝てねえの、兄貴には」

 はあ、とため息をついて仰向けになる。

「やるせねえよな。何やっても兄貴以下だから親も何も言ってくれねーし、何か頑張ってもさ、達成感っての? やったぞって感じ全然しねえの。すごいね、とか言ってもらった覚えがねえよ。親にも特に何も思われてないんだろうなって、出来のいい兄貴居るから俺居なくていいんじゃねえかなって時々思ってた。」

 ごろり、と背を向ける。大きな背中をこっちに向けたままくぐもった声が続く。

「俺、本当に居なくなってさ……。……ちょっとは心配してくれてるかな。居なくても何も変わらないままで、むしろ居なくなって良かったとか思われてねえかな。俺の帰る場所、ちゃんとあるかな……」

 何か答えようとしたけど、どう言っていいのかわからなかった。僕にはわからない。わかるはずないのだ。

 喜邨君はそのまま寝入ってしまったようですーっ、すーっ、とゆったり寝息をたてていた。何だよ。しゃべるだけしゃべっておいて気が済んだのかよ。

 仰向けになって木々の隙間から見える銀色の天井を見上げる。母さんの顔すらまともに思いだせない僕は、帰った時覚えていてもらえるだろうか。

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