5日目午前:不定期祭

 今日はね、と僕は報告する。近所の子と遊んだんだよ。広場に塔があるでしょ、中央ののタイルがいっぱいってあるやつ。鬼はあそこで数を数えて、他の子が隠れるのを待って……そう、かくれんぼ。でね、僕はね……。

 言葉でなんとか説明しようと少ない語彙ごいを並べる相手は、うん、うんと何も言わず相づちだけうって書き物を続けていた。かあさん、と呼ぶとこちらを振り向く。振り向いた瞬間に誰か違う人になった。柔らかい薄桃色の服を来ていたはずなのにいつのまにか真っ黒なローブに変わっていて背が高い。なのに僕はその人のことも母さん、と呼ぶ。ローブの影から見えたその人の顔だちははっきりしないが怖い顔をしているのはわかる。

 覚えていない……のですか。そんなセリフをしゃべった気がする。おぼえてねえのしらないがっこうくんなよおとうさんはしんじておまえはそのままでたすけていきましょう……言葉を認識した時にはその口が既に別の声で別の言葉をしゃべっていて追いつかない。今僕は何の話をしていたんだっけ。

 ──見ィツケタ。

 声と同時にポンと肩を叩かれた。振り向くとなじみの顔が真っ黒に塗りつぶされて、口だけにやりと笑い目の前で突然水風船が弾けて赤い液体がバーンと散り、



『シュウ……! シュウ!』

 コツコツコツコツと連打音を伴ってわんわんと頭内に〈音〉が鳴り響いていた。悪夢の余韻でふらふらするが〈音〉が必死だ。何だろう。『何』と送りかえしてみる。

 ポォーーンと低く穏やかな音が耳の奥に響いた。そこが何かにつながる感覚。まるでイヤホンをそこに突っ込んだように、明日香の声が返ってくる。

『助けて』

 布団を放り投げて起き上がる。そういえば居間の方が騒がしい。朝から元気だな。昨日あんなに歩いたのに疲れてないのか。

 居間では喜邨きむら君がつかさ氏縞しじまと三人で明日香を取り囲んでいた。突き飛ばされたのか明日香は壁際に座り込み、曹が肩口をつかんで引っぱり起こしていた。

「俺ら別に特殊なこと言ってんじゃないだろ」

「そーそ。電話貸せって。あるだろ、お前は持ってなくても兄ちゃんのとか親のとか」

「無いよ……。あっち側との連絡手段は、何も」

 明日香が首を振り、喜邨君のこぶしがとぶ。殴られた左頬ほおをおさえて泣き出した明日香を喜邨君はいらいらとセーラー服のネクタイをつかんで引っぱりあげた。

「てめーは家に帰れて家族にも再会してはい満足、ってとこだろーけどな。俺らは突然知らない場所に連れて来られて帰る方法も手段も何もわからないままだ。アンドロイドの処分がどーたらが関係ありそうなのはわかってるけどよ、それだけだ。それがなんだ、てめーひとり家に帰ってただいまーって再会喜んで一家団らんしやがって、探す気あんのかよ。俺ら巻き込んで連れてきておいて私は家族に会えたので満足ですでいち抜けかよ。ふざけんじゃねーぞ」

 再び突き飛ばし、壁際にうずくまった背中を曹が蹴飛ばす。

「で? それで連絡すらさせないってどういうつもりなわけ。何、俺たちとのお遊び気に入らなくて腹いせにこっち連れ込んで監禁気分? あ? どうなんだよ」

 氏縞しじまが床についた手を思い切り踏んづけて「ぎゃっ」と声があがる。もう片方の手も、と足を上げた体が後ろに傾いた。

「何してんだお前ら」

 公正が氏縞の肩を引き寄せて退かし、部屋に入ってきた。明日香が床に伏せたまま助けを求めるように顔をおこした。あ、と僕はここで思う。僕はこの部屋に何をしにきたんだっけ。なんで公正が来るまでただながめていたのか。

「何だよ。邪魔すんなよ」

 喜邨君は一旦にらんでからああそういえば、と薄笑いを浮かべた。

「お前もこっちの住人だっけな。家はこの辺じゃなさそーだけど。どうしてくれんだよ」

「その歳でママと連絡とれないから腹いせに女子に暴力か」

「ママとか言ってんじゃねーよ。俺ら地震に巻き込まれていなくなった状態だろ。家族に電話かけることのどこがガキくせーんだよ。無事知らせて安心させるんだろ。大人でもやるさ」

 がっと肩をつかみ詰め寄る。公正は冷静に喜邨君の目をまっすぐにらみ返した。

「俺らだって連絡つかなかった。六年前、二桁も行かない歳で知らない場所に放りだされて親にも友人にも〈音〉は届かなかった」

〈音〉? 眉を寄せるが公正のひとにらみで黙った。

「帰る手段なら探すさ。俺らみたいに何もわからない、何も見つからないまま何年も過ごして欲しくはない。巻き込んだならなおさらだ」

 公正の肩を突き放し、距離をとろうとする腕を今度は公正がつかむ。

「言っとくけどな。俺が望んでこっちに戻れたわけじゃないぜ。俺からすれば偶然だ。こっちで同じように偶然を待ってたら帰れるかどうかわかったもんじゃない。だから探す。俺らだけじゃ相当時間かかるだろう。帰りたいんなら協力してくれ……そういうことすんな」

 ちっ、と舌打ちをして喜邨君は今度こそ公正を突き放し、公正も手を放した。そのまま外へ行ってしまい、氏縞と曹があわてて後を追う。公正がけがは? とか何とか言いながら立ち上がる明日香に手を貸す。

「で、お前は何してんの修徒」

 こっそり外へ逃げようとしていた所を呼び止められ足を止める。

「……呼ばれたから、来て」

「聞こえてたのか。〈音〉。で、来ただけ?」

 黙る。明日香が公正に首を振ってみせ、公正が苦い顔をする。

「確かに来ただけだけど。呼んだら返事してくれて、すぐ来てくれた」

 それだけでいいよ、と笑う。すごく悪いことをした気がして逆にきまずくて僕は今度こそ外へ逃げようときびすを返した。



 屋根の吹き飛んだ五〇一号室の壁にもたれて街を眺めていた。改めて見てもすごい壊滅っぷりだ。別の世界の戦地みたいだ。……っていうか実際別の世界の内戦跡なわけだけど。瓦礫の山になって建物の面影が無かったり、あっても建物の一部が大きく削れて内部が丸見えだったり、どこにならまともに生活できるのか仮住まいを探すだけでも一苦労しそうだ。

 さっき明日香に返事したあれが〈音〉だったのか。耳の奥で響いた音を試しにもう一度鳴らしてみたかったが宛先が思いつかなかったのでやめた。これは向こうには届かないのだろう。僕だってこっちに来てから送受信の仕方を知った。向こうの人はこれのやり方を知らない。喜邨君たちは……やり方を知ればできることだろうか。

 誰も居ない所に話しかけてたって噂、これのことだったのかな。明日香は誰かに〈音〉を届けようとしていただけなのかもしれない。誰に? ……家族に?

 そうだ、と母さんに〈音〉を送ろうと姿を思い浮かべる。黒っぽい服。けれど顔も声も思い出せず、似ている他の人にすり替わりそうになる。諦めて壁に背中を預けた。

「おお、居った居った」

 声がして、青い人影がするすると柱の残骸をつたって降りてきた。ぐしゃぐしゃの寝癖がそのままだ。

「喧嘩しとったんやて? 俺ら起きるの遅うて悪かったな。止めにも入れんで」

「あ、いや……今日破は悪くない。僕は居たのに、見てただけで」

 ごめんなさい、と付け加える。今日破に謝ってどうするんだと思いつつ。明日香に言うべきだろ。今日破も俺に謝らんでもとため息をつく。

「まあええわ。今度は助けたってや。いらんこと言いがちやから機会はぎょうさんある」

 そうはいっても、とうつむく。今回見ていただけだったのは確かだし。ぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜられる。きまりが悪く顔を背けた。肩をひきよせられ耳元に今日破の頭が近づく。

「お前もしかして…………明日香のこと好きやろ」

「!!!?!?!?」

 思わず今日破から距離をとる。ぶんぶん首をふりながらいやその明日香はかわいいやつでかわいくて優しくて時々あのいやその。脳内沸騰。

「隠すなや。アドバイスしたるから」

「いやあのだからその」

「好きなんやろ?」

「うんやああええと」

 上で足音が聞こえてふたりでぎくりと肩をすくめる。昨日子か。びっくりした……。今日破に気づいて「朝ご飯。戻って」と言い置く。喜邨君たちを探しているのだろう、昨日子はそのまま階段を降りていった。

 部屋に戻るとこたつ机の上にフライパンがそのまま置かれてシュウシュウと湯気を上げていた。トマトソースの上に目玉焼きが数個載っている。おいしそうだ。取り分ける形式のようなので早めに自分の分を確保しておかないと喜邨君に取られてしまいそうだけど。

「おかえり。朝ご飯、居る人の分から順番に作るから先に食べててちょうだい。ピタパンは自由に取ってね」

 ピタパンっていうのかこれ。フライパンの隣の皿に昨晩も食卓に出ていた生地の薄いパンが載っていた。明日香は部屋の隅でそれにトマトソースをはさんで食べていた。僕も真似をして目玉焼きごとトマトソースをピタパンにはさむ。あつあつで手をやけどしそうになりパンを折り曲げた。一口かじるごとにパンからじゅる、とソースがにじむ。うまい。

 喜邨君たちが帰ってきた。フライパンを見るなりメシィ! と歓声を上げ手を洗いに走る。欲張って皿に目玉焼きを二つ一度にとりほとんど飲むような早さで平らげる。ちょうど次のフライパン分を焼き上げて阿昼さんが持ってきたところだったので氏縞と曹は食いっぱぐれずに済んだ。

「昨日子は? 一緒に居たんじゃないのかい」

「昨日子なら俺ら呼びに来て、またどっか行ったよ」

「……相変わらず単独行動なんだね……」

「公正は?」

「さっき出て行ったよ。先街に行ってるって。ハリネズミたちのごはんになるもの買いたいって」

 喜邨君がふん、と鼻を鳴らしてピタパンのおかわりを要求する。十数枚積んであったと思うがいつの間に食べたんだ。

「祭りって何があるんだ?」

「特に何も。まあ屋台は必ず出るんやけど」

「シュウ、さっさと食べてよ私早く行きたいんだから」

「氏縞もおっそいなあ」

「うるさいお前とちがって俺はよく噛んでんだよ」

 ちょっと物足りないが僕はごちそうさまして立ち上がる。ごめんなさい阿昼さん。だってゆっくり食べてたら本気で置いていかれそうだし。氏縞も曹も食べるの早いんだよ、僕より後に帰って来たくせに。

 部屋を飛び出て玄関で靴を履くみんなに追いつき僕も自分のスニーカーを探し出して履く。ひもを結んでいる間にもうみんな外へ出て階段を下る音が聞こえてくる。少しは待ってくれてもいいじゃないか。とんとん、とかかとを合わせて追いかける。一気に駆け下りていきなり人ごみに埋もれた。え、いつの間にいったいどこからこれだけの人が出て来たんだ。さっきまで誰もいなかったじゃないか。

 いろんな服を着たいろんな背丈のいろんな髪型の人が通りいっぱいにあふれていた。僕はまだ成長期に入ったばかりであまり背が高くないので色とりどりのTシャツに囲まれて視界が塞がれた。人々の騒がしい話し声にまぎれて澄んだ笛の音がきこえる。速いテンポの曲で、何か他にも弦楽器やドラムの音も聞こえてどうやら路上で合奏しているようだった。

 人をかき分けかき分けとにかくそっちへ向かって歩いて立ち止まって耳を傾ける集団の最後列にたどり着いた。その集団に割り込んで数人に迷惑がられながらも最前列に移動する。あ、明日香発見。近寄って隣に座る。

「えへへ、シュウ、当ったりぃー。音楽が聞こえるところにいれば来ると思ったんだ」

 それよりも待っててほしかったよ僕は。

 一人の踊り子が音楽に合わせて踊っていた。着ている桃色の服の上着の胴体の部分は体にぴっちり密着していて、袖の部分はかなりゆったりと布が余っていた。白いズボンも割とゆったりしていて前に読んだマンガで出てきた修行服みたいな感じで、すそは黒い布靴の中に入れられて黒いひもでぐるぐる巻きに固定されている。布靴が太鼓の音にあわせて黄土色の古びた石畳をたたいては跳ね、ズボンの周囲で上着の長い裾が踊り、踊り子が操る桜色の飾り帯が宙を泳ぎ、踊り子が激しく体を動かすたびにその黒髪をまとめたいくつもの細長い三つ編みが舞った。踊り子は高く飛び上がったかと思うと姿勢を極端に低くして地面でのけぞり、すぐにその姿勢から跳ね上がってくるくると空中を回転してトンと着地して飾り帯を広げて静止し、深いお辞儀をした。観客から拍手が巻き起こる。いくらか小銭が投げられて、われもわれもと数人が笑顔で小銭を投げて去っていく。踊り子と楽士たちは投げ銭を拾い集めつつ一人一人に礼をして感謝の意を示す。

「もう。来るの遅いから終わっちゃったじゃない」

 スカートについた土ぼこりを軽く払って明日香が立ち上がり、僕も一緒に踊り子と楽士の前を離れる。

「他のみんなは?」

 そういえば。人ごみに飲まれてすぐ見失っていた。どこいったかな……あ、いたいた。

 紅白の屋台の前が妙に騒がしいと思ったら射的の屋台で曹と氏縞が同じ船の模型を巡って喧嘩になっていた。何で二人とも同じ船の模型を狙うんだ。落とせなかったからって人に向けて発砲すんなよ。落としたら落としたで所有権争いかよ。もう一個あるだろうが同じのが。もう一個落とせよもう一個。喜邨君はカステラを頬張りながらたこ焼き屋で買い物するのを見かけた。今日破は僕には見つけられなかった。

 ふと横を見ると、何かふてくされた表情の明日香と目が合った。焦ったように目がそらされる。何だろう。何か言いたげだったけど。

「何か面白い屋台は無いかい。僕はどんな屋台があるか知らないから案内してほしいんだけど。明日香が行きたい店でもいいや」

「服屋さん。そこの三階建てのマンションの角を右に曲がってすぐの所」

 じゃあそこに行ってみようか、と歩き出してすぐに人の波に飲まれてはぐれそうになる。僕はあわてて腕をのばして明日香の手をつかんだ。今度はぐれたら迷子になりそうだ。

 人ごみの中を泳いでなんとか角にたどり着く。いきなり目の前が開けて驚き立ち止まる。全身タイツの人が数人がかりで人々を押しのけている。なんだろう。

 しばらくしてにぎやかなラッパの音が聞こえてきた。つづいて大太鼓の音がどおぉん、どぉんと響き、パレードの一団が近づくにつれて聞き取れる楽器の音が増えていく。もうすでにメロディーがわからない。明日香の手を引っ張って最前列に顔を出す。

 ものすごく奇怪な格好をした一団だった。トランペットを口に構えたひげのおじさんの禿げた頭には大きなオレンジ色の花束が生えていて、ショッキングピンクのドラムをかかえた男の人は水色のパンダの着ぐるみを着ていた。ホルンを持つ一群は緑と赤の縞のシャツを着て、ズボンは黄色と紫の水玉模様、頭にはお揃いの鳥の羽をゆらしている。ピエロの格好をしたトロンボーン吹きたちは息を吹き込むたびに目をまんまるに見開き、シンバルをでたらめにバシャンバシャンと振り回す人たちは時々頭にかぶった帽子の魚の頭をはさんで人々の笑いをとっていた。色とりどりの羽衣に身を包んだ妖精たちが色とりどりの風船を配って走り去る。僕はもらった白い風船を明日香に渡した。

 パレードが通り過ぎ、通りはまた静かになる。やっと服屋の前に立つ。

「何買うんだい。……お金ないけど」

「……」

 返事が無いので振り向くと明日香は真っ赤な顔をしてぼぉーっとしていた。もしもーし、と顔をのぞきこんでもさらに赤くなるだけ。なんだろう。視線を下におろして明日香の手をしっかり握ったままだったことに気がついた。急に僕もはずかしくなって慌てて手をはなす。僕の顔、絶対今真っ赤だ。唐辛子とかタバスコ並みに真っ赤だ。

「あっ……あああたし袖無しのワンピースが欲しいなっ!」

 明日香も手を離すなり服の束に駆け寄ってぎくしゃくした動きでハンガーに掛けられた吊りズボンのひとつを抜き取る。すぐにそれを元の場所に戻して近くのミニスカートを手に取ってしまいまたそれをさっきの所に突っ込んだ。

「……これなんかどうだい?」

 とりあえず目についた黄色いワンピースを渡す。オレンジや茶色や赤色の糸で刺繍の入ったワンピース。たぶん似合うと思うけど。

「試着してくるっ!」

 明日香は僕の手からそれをひったくるように受け取って試着室に走って行った。わ、危ない危ない。足下ちゃんと見ないとこけるぞ。明日香が入った試着室をしばらく眺めて苦笑した。何で笑いがこみ上げてくるのかさっぱりわからないままくすくす笑ってしまう。何か幸せな気分だ。何でだろう。

「楽しんでんみたいやなあ」

 一気に幸せ気分がくずれた。何でこんな所で合流するのかな今日破…。

「どこに居たんだい。見かけなかったけど」

「んー、ちょいとそこでサイコロ。もうけたでぇ」

 賭け事かよ。今日破が指差した先を見ると確かにそこに賭博(とばく)場があってたくさんの人々が煙草を吸ったりビールを飲んだりしながらカードを交換していた。その店の奥の方にサイコロを振る一団が見える。あ、あの小太りのおじさん大負けしたな。机殴ってるよ。

 今日破は試着室に目をやった後僕に目を戻してちょっと首をかしげ

「なにか進展あった?」

 ……えっと……。進展って何の……。

 顔が真っ赤になりそうで顔ごと目をそらしてちょっと後ろに下がる。だから明日香はただのクラスメイトであってそういう関係じゃなくて別に気になる訳でもなくてでも……ってそういう関係ってどういう関係だよ。

「シュウー! どう?」

 シャーっと試着室のカーテンが開いて明日香が顔を出した。黄色いワンピースがふわりと揺れる。おお……自分が選んどいて言うのもなんだけどすっごい似合ってる。可愛い……!

「似合う? ……て言うかなんで今日破も居るのよ」

「はいはいお邪魔虫はどっか行きますから二人で仲良うやっとくんなはれな」

「ちょ、それどういう意味……。……シュウってば。似合う?」

 慌ててこくこくとうなずく。明日香の表情がぱあっと明るくなってまた試着室のカーテンの裏にひっこんだ。

 今日破が歩いていった方向を見ると誰なんだろうおじさんたちが待っていた。「あのめんこい子誰だい?」「妹や。行方不明になっとって、昨日帰ってきたんやで」「そんなら一緒にいてやらな」「かまへんかまへん。明日からずっと一緒に居れるんや」とか何かしゃべりながら人混みに消えていった。かわりに焼き鳥屋の前の行列に並ぶ喜邨君を見つけた。焼きそば屋の木箱を足下に置いて、その中に入っていたもののひとつらしき弁当箱の焼きそばをがっつくように食べている。その横を通り過ぎた曹と氏縞はもうひとつこっち側の輪投げの屋台をのぞいて輪を受け取り、輪の取り合いを始めた。あ、昨日子発見。輪投げの屋台より二店舗分こっちに近い、つまり服屋の隣のお面屋さんで木彫りのお面を試着している。何とかライダーっぽいデザインのお面を着けてこっちを振り向いた。かくんと首をかしげて見せる。似合う? とでもきいてるのか。……どう反応したらいいんだろう……。

 わりとみんな近くに居るな、明日香早く着替えてくれ。ここを離れよう。二人きりをみんなに邪魔されたくない。

「おまたせっ!行こう」

 ああよかった出てきた。少し急ぎ足になりつつ服屋を離れる。

 明日香はさっき店員から受け取った紙袋をちょっと見つめて僕を見上げ、にこっと笑った。頬のあたりが何だかかあっと熱くなりついつい顔面に力が入る。全力で視線をそらし前を向く。

「シュウは何か欲しいものある?」

「いや特には……っていうかお金持ってない」

「お金いらないよ? 今日はお祭りだから、お店はお金をとれないの」

 それじゃあ儲からないじゃないかと思ったけど、売り上げに応じて“補助金”の名目で国が払ってくれるらしい。なるほど。それなら何か買ってもいいなあ……。

「あっ、昨日子見つけた! ごめんシュウ、そっち行ってくるね」

 思わぬ伏兵が。昨日子……。「売り切れ」と書かれた紙を貼る綿菓子屋の前で立ち止まっている昨日子を睨んだけど昨日子は何か問題でも? とでも言うように無表情に僕をちらりと見て走ってきた明日香に持っていた袋を渡した。明日香はそれをもらって嬉しそうだ。ちょっと悔しくなってきてしかめ面を返し逆方向に歩き始めた。

 それにしても人が多いな。道の端に寄らないと屋台が何屋かわからない。時々近づいても何屋なのかよくわからない店もある。手のひらサイズの金属の平べったい円盤を売ってるけど何に使うんだ。紋様のきれいな木箱をたくさん売っている店もあった。

「しゅ、修徒……」

 後ろからいきなり肩をむんずとつかまれてびっくりして硬直する。首をまわして肩をつかむ主を見る。

「はら……腹が痛ぇぇ……トイレどこだ……」

 喜邨君だった。あぶら汗を垂らしてでかい腹を抱えている。やっぱりこの近くに居たんだ。この辺食品売ってる所は全部売り切れになってたからそうじゃないかと思ったんだ。

「露店のおじさんやおばさんに聞きなよ。僕はわからないから」

「ろて……?」

「お店のおじさんやおばさんにきけって」

 喜邨君はこくこくとうなずき、歩くのがやっとという感じででかい腹をかかえてのっしのっしと最寄りのクレープ屋に立ち寄り、

「イチゴクレープ五つ」

 トイレ行くんじゃなかったんかい。腹痛起こしてんのに食い物買うなよ。

 はあ、とため息をつきつついくつかの屋台の前を通り過ぎる。みんな楽しそうだった。お店のテーブルに並べられた商品をひとつひとつ手に取って見せ合って笑い、射的で撃ち落として歓声をあげ、ダーツでおもいきり外して天井に刺さって店員をあわてさせ、そうやっていろんな店がにぎわっていた。普通に向こうのお祭りみたいだった。ちょっとお店の見た目や種類がずれているだけで、向こうと何も変わらない気がした。ポケットに手を突っ込んで人ごみにまぎれるように歩く。ああ、あると思ったペット用の魚すくいの屋台。お菓子袋をつり上げるくじ引き。木彫りの人形に輪を投げて景品をゲットする輪投げの屋台。大きな字で何かでかでかと注意書きがあったけどアルファベットだったので目がすべる。読めない。

 アクセサリー屋の前で足が止まった。

 テーブルの上のカゴに積まれた木製のネックレスの下にきらりと青く光るものがあった。近づいてネックレスをひとつひとつつまみあげてそれを取り出す。

 イルカの形に加工された、素材不明のキーホルダー。まるでイルカの呼吸を表すかのように中の青い光がゆらゆらとゆれている。ほんのり暖かいそれを僕はそっと手に握り込んだ。

 パパパパアーーーン!!

 いきなり高らかにトランペットの音がして思わずそっちを見た。またパレードが来たのかと思ったがさっきとちがって人々は押しのけられるのを待たずに自分から道の端に移動していく。ごつん、とくぐもった音がしてその後ピ、ガガガーッと耳障りな雑音が入る。

「ようこそようこそスカイ・アマングの不定期祭へ! 国民の皆様、さぞ楽しんでおられることでしょう! 市政三十年を記念してただいまよりスカイ・アマング中央広場にて本日の目玉イベントを行います! お誘い合わせの上ぜひお越し下さい!」

 音質の悪い拡声器を片手にわめくちょび髭のおっさんが見えた。中途半端なサイズのコンテナを積んだ三輪トラックの荷台の隙間(すきま)からはじけるような笑顔で大きく手を振っている。沿道の人々は複雑な表情で突っ立ったままトラックを見送った。

 今の人、市の広報の人だよね。どこかで子どもの声がした。そうよ、国王様の意思をみんなに伝えてくださる方よ、と母親らしき声もする。そういえば道ゆく人たちよりもずいぶんと質の良さそうな燕尾服を来ていた。

 どんなイベントなんだろう。興味を引かれてトラックの去った方向を振り返る。行ってみるか。

「おい修徒! よーいドンしてくれよーいドン」

 途中で曹に呼び止められた。何のことだかわからないがとりあえず「よーいドン」と言ってみる。

「広場まで競争!」

 いきなりどこかから出てきた氏縞と並んで人ごみの中をダッシュで駆け抜けていった。他の人に迷惑だろうが。

 イベント会場は近かった。徒歩数分で道の両側に並んでいた家がとぎれ、広場に出た。

 中央に何かあって、その周りを丸くフェンスが囲い人がたかっている。人をかき分けてフェンスにしがみつき目をこらす。何だろう。

 長い先の割れた棒が二本並んで地面に突き立てられ別の長い棒が割れ目に渡されていた。棒にはしっかりと数本のロープがくくりつけられていてそのロープは下に立つ人間の首につながっている。

 処刑台だった。受刑者の足下の木箱を蹴りのぞいて受刑者の首をしめる処刑法のようだ。うつむいた受刑者の年格好はばらばらで、かなり歳のいったおばあさんもいれば働き盛りの屈強な男もいた。金髪の少年にどこか見覚えがある気がして凝視する。あ、顔をあげた。丸く大きな緑の瞳。

「ヘンリー……?」

 流刑地に居た少年と面影が重なる。あの時に比べてずいぶん大人びた表情をしているけど間違いない、ヘンリーだ。あの子にもスカイ・アマングへ移住許可が出たのか。……じゃない、助けないと。背伸びをして今度は人ごみの方に目をこらし、知った顔を探す。居た。青い髪は見つけやすい。

「今日破……っ!」

 明日香が今日破にすでに泣きついていた。軽く片手を挙げて返事があって、人をかきわけかきわけそちらに向かう。今日破の近くに曹も氏縞も喜邨君もいた。

「今日破助けて、助けて! あの子、捕まっちゃった!」

「助けてって、俺に言わんといてや……。俺かて何もできへんし」

 くせ毛の青い髪をがしがしとき回して厳しい顔でフェンスの中央をにらむ。どうしよう。どうしよう。曹も氏縞も何かできないのか。喜邨君も何もできないのか。明日香も何もできない。嫌だ。嫌だ。ヘンリーが殺されてしまう。ヘンリーが何したっていうんだよ。受刑者を指差してわらう青年を視界の端に見つけて、そいつとヘンリーを入れ替えられるものなら入れ替えてしまいたくなった。ちょび髭がでたらめな罪状を並べ立てて観衆の拍手喝采を浴び、手を広げてそれに答える。少し騒ぎがおさまって、ちょび髭はゆっくりと演壇を下り始めた。木箱を蹴りにいくんだ。やめろ。とまれ。とまれ……! どうしたらいいんだよ。曹も氏縞もあわあわ言ってる場合かよ。そうやってただその場で焦ってても何にもならないだろうが。だけど僕に何ができるんだよ。僕が何をできるんだよ。僕だって焦ることしかできないじゃないか。誰か助けてって願うことしかできないじゃないか。助けて。助けて。

 ちょびひげが小指をたてて再び拡声器を握った。雑音とともにその声が広場に響き渡る。

「さあさあ! 本日選ばれました幸運な悪人どもはこちらに並んだ五人です!」

「これのどこが幸運だっていうのよ……!」

 明日香が小声で叫ぶ。

「死刑囚……普通、刑場、みとる人……いない。みんな見てる。公開処刑幸せ。そういうこと」

 いつの間にそこに来たのか昨日子が僕の後ろに立っていた。その相変わらずの仏頂面の眼がいつもより何か怖い。炎でも映り込んでるみたいだ。思わず肩をすくめて若干距離をとる。

「さあみなさん、この極悪人を始末できる今日というこの日を祝いましょう、喜びましょう!」

 わああ、と観衆が声をあげる。ヘンリーを含め受刑者はうなだれたまま身動きもしない。

 くそ、このフェンスさえ無ければ。

「昨日子……っ! 公正が公正が公正が公正が公正が公正が! どうしようどうしよう私じゃフェンスを壊せない、私じゃフェンスを乗り越えられないどうしよう助けてよ……助けてよ……!」

 明日香が昨日子に飛びついてまくしたて、僕は驚いて受刑者の方を振り向いた。縁利の隣、灰色頭の男子。まさか、いつのまに。けれど確かに公正が首に縄をかけられ木箱の上に跪いていた。一方の昨日子は明日香の言葉を全く聞いていなかった。フェンスの向こうの一点を呆然と凝視する。

「エンリ……?」

「……昨日子? どうしたの」

「どいてて」

 するどく一言、その場にしゃがんで両手を地面に置いた。

「さあお見逃し無く!このすばらしい瞬間を!」

 人ごみの向こうで上機嫌なちょび髭の声がきこえる。

 そして、

          ドン


 いきなり下から力が加わってはね飛ばされた。周りの他の観客と一緒に宙を舞い、色んな人にぶつかって地面に落ちる。キャアアと誰かの悲鳴。背中を打って一瞬息が詰まる。そしてびりりとそこから手先足先まで衝撃が駆け抜けてうめいた。そのまましばらく動けず、やっとのことで起きあがる。何なんだいったい……。

 目の前の地面が粉々に割れていた。地面に入った大きなヒビはフェンスの方方向へ太い線を描き、フェンスも巻き込まれたように大きなヒビが入ったように割れていた。昨日子が壊したんだ。〈力〉で。フェンスと一緒に人の壁もくずれていた。路上に倒れている人を踏まないようによけながら広場の中央へ走る。間に合いますように。

 昨日子の背中を追いかけて処刑台のあったあたりまで来た。地面に立てられていた棒は倒れて破損した木箱の下でボキボキに折れ、近くにあった演壇も壊れて一部地面の割れ目に落ちていた。手当たり次第に木片を取り除く。

「公正!公正!」

「修徒、こっちだ!」

 演壇の残骸の近くで氏縞が手を振っている。曹と喜邨君が木材をどけているのが見える。縄がついたままの首をさすりながら公正が這い出てきた。ぶんぶんと頭をふっておがくずを振り落とす。喜邨君が力ずくで縄をほどく。

「ヘンリー! おい、返事しろ!」

 まだ見つかっていないもう一人を呼びながら瓦礫(がれき)をひっくり返す。公正の隣に吊るされていたんだからまだ近くに埋まっているはず。昨日子が木箱の残骸をどけているのを手伝ってその下にいたヘンリーを救出する。ヘンリーは僕の顔を確認して

「あれっ……。流刑地に居たにーちゃんたちじゃん。スカイ・アマング来れたんだ」

 同じヘンリーか? と疑うほど雰囲気の違う口調でしゃべった。流刑地で乏しかった表情が豊かになったかといえばそんなことはないが妙に大人びた顔をする。僕らより年下……だよな?

 昨日子が立ち上がるのを手伝おうと手を差し出して、ヘンリーはサンキュー気が利くじゃんとか言いながらその手を握りかけたところで手の主にどういう心当たりがあったのか思いきり手をはねのけた。バチンと思いのほか大きい音が響き昨日子が手をおさえて一歩さがる。

「ヘンリー!」

「エンリだ。……何でてめえここに居んだよ」

 ヘンリーが昨日子に詰め寄ろうとし、明日香が肩をつかんで止める。今日破が昨日子の前にたちはだかり通せんぼした。

「どこの誰だか知らへんけど俺の妹をてめえとか何様や。まだガキのくせし」

「今日破」

 昨日子が静かな声で遮る。仏頂面から表情がすっと消えた。

「妹? ……はは、そういうことか。犯人のくせにてめえは……てめえは幸せに、新しい家族で! 笑えるぜエイハン姉さんよ」

「……!」

『犯人』『新しい家族で』って、もしかして。昨日子とヘンリー……ではなくエンリらしい男の子を見比べる。ほぼ同じ髪色の金髪ではあるけどエンリは癖毛で昨日子は直毛だし、エンリの眼は金ではなく緑だ。相手をにらむ表情はよく似ている気がする。

 ピシュン

 目の前を何かが高速で通り過ぎて思わず身を引く。振り返ると演壇の残骸から這い出した燕尾服のちょび髭がピストルの銃口をこっちに構えて立っていた。

「伏せろっ!」

 公正がに頭を押さえつけられその場にしゃがみ込む。連射音とともに弾丸が頭上をすっ飛んで風を切る音がした。地面に伏せたまま残骸の影に平行移動。現在位置が心もとなくなり頭をあげかけたが『伏せてろ』と言われ額を地面につけた。

 何度か発砲音が響いた後、一瞬静寂があって観衆が居たあたりからひときわ大きな悲鳴があがった。思わずふりむいて慌てて一緒に振り向きかけた明日香の頭をつかんで地面に押し付ける。ごめん、明日香。

 人が三人、血だらけで倒れていてむせ返るような人ごみの中そこだけ不自然に空間が空いていた。見えたのは一瞬だった。遺体にすがりつく数人、逃げ惑う数人、土煙の中、行動が定まらず右往左往するだけの憲兵。

「修徒っ」

 曹に腕を引っ張られて伏せる。チュンッと木片に弾丸がはじかれて木っ端がとんだ。

「皆様お静かに願います。この国を清めるすばらしい行事の邪魔をする輩を共に排除することといたしましょう。この者たちをおびき出すことができたおかげでこの国はさらに清くなります。祝いましょう今日という日を! 喜びましょうこのすばらしきイベントを!」

 騒ぎはおさまらない。ボン、と音がして人ごみの後方から黒煙があがった。いくつも悲鳴があがり、人の流れの方向が一気に変わる。

「まずい、逃げるぞ!」

 喜邨君がエンリを担ぎ上げる。昨日子も走り出し、今日破に引っ張られて曹と氏縞も走り出す。

「ちょっ……何だよ!」

「いいから走れ!」

 僕も公正に引っ張られ、明日香の手をひいて駆け出す。押されてこけたのだろう路上に倒れている人が時々居てつまずきそうになる。助けおこすひまはない。

 前を走る人も横を走る人もみんな後ろを気にしながら走っている。何かから逃げているようだ。何がくるんだ? 振り返っても人で見えない。

「こっち!」

 明日香に引っ張られて人ごみを抜け、大通りから脇道に入る。そのまま集合住宅の間の細い道を走り抜け、また別の大通りに出る。僕らに続いて曹たちもついてくる。

「あ……」

 この通りはさっきの通りより人が少なくて僕らの後ろに来ているものがよく見えた。広場から集団が走ってくる。その背後にまぶしい光。巨大な炎の塊。もうもうと黒煙を立ち上らせ周囲の建物を焼きながら街を進攻している。

「……っ!」

 明日香の手をひっつかんで再び走り出す。逃げないと。

 がくんと引っぱり戻された。

「ちょっ、明日香? 逃げないと。何してるんだよ」

「お母さん……!」

 手が離れた。そのまま人ごみの方へ走り出そうとするのを今日破が止める。めちゃくちゃに走って来たから場所がわからない。この辺だったか。それとも人ごみの中に阿昼さんが居るのか。明日香は炎の方向を凝視したまま今日破の腕を押しのけようと暴れた。氏縞と曹が二人掛かりで押さえつける。

「やめて、放して、放してってば!」

 街並みに目をはわせる。似たような六階建てのマンションが立ち並んでいて、外に螺旋階段。

「お母さん、お母さんを助けに行かなくちゃ」

 五階の屋根と六階の一部が吹き飛んでいて……

「先に行っといでって言ったもん、お弁当つくって後から持っていくから、行っといでって言ったもん! お母さん、まだ家に」

「明日香! ……もう逃げとるかもしれへんやろ、とりあえず避難してから探そう。今は逃げるんや、俺かて探しに行きたいけど」

「いや! 探しに、探しに行く! だって、だってずっと、」

 あった。むき出しの鉄骨が屋上に見える建物。あれだ。あそこまで人ごみがすごいがかき分けていけば、さっきの通りほどじゃないから……。

「おい修徒!」

「何だよ止めんなよ、あそこだろ? まだ……まだ間に合うって」

「馬鹿ヤロ、お前五十メートル走何秒だよ人もすごいのに行けるわけないだろ、はやく、逃げるぞ」

 くそ公正こいつ怪力か。ぐいっと引っ張られてたたらをふむ。昨日子にもう一方の手も引っ張られて強制的に走行スタート、明日香の家と逆方向に。明日香は今日破が担ぎ、エンリをかついだ喜邨君はすでに数メートル先を走っている。

「……っ、昨日子、お前にとってもあの人は、阿昼さんは親だろ! なんでだよ! なんで」

「……」

 昨日子は答えない。背中側が暑い。ゴウゴウというか、ボォというか、ずっと低音が耳につく。あの屋上まで、炎は後どのくらい距離があった? まだ……、まだ……っ!

 手を振りほどいて闇雲に駆け出す。暑い。人にぶつかる。隙間から探すが見つからない。見えた建物から火柱があがった。あっちか。早く知らせなきゃ、逃げてって言わなきゃ。暑い。

 ふっと人が途切れた。思わず足を止めた直後眼前に真っ赤な炎の壁がそびえ立ち

「修徒様!」

 いきなり後ろから胴体をつかまれて思い切り宙を投げ飛ばされた。地面に叩き付けられて思い切り咳き込む。誰かにかつがれた。

「離せ!」

 担いでいる人の肩をごんごん殴ってその腕を引きはがそうとしたが力が強くてびくともしない。足の速い人のようで炎の塊がずんずん遠ざかっていく。

「離せ、離せよ! 阿昼さんに……っ、阿昼さんを探さなきゃ」

 答えない。

「せっかく会えたのに、頼む、離せ、戻れよ、頼む、頼むから……」

「できません」

 無感情に落ち着いた女の人の声。はっとしてたたくのをやめた。

「クリス……?」

「はい。修徒様」

 なんだろう。前にもこんな風に運ばれたことがあるような気がする。僕が泣いてわめいて暴れても離してくれなくて、どこかに連れて行かれたような。

「クリス、……戻れ。阿昼さんに……阿昼さんを探したい」

「無理です」

 静かに返されてしばらく黙る。炎からは遠く離れ、明日香たちともはぐれてしまったのか近くにいない。未舗装の土の地面が流れていく。人通りはまばらで走り去る僕らに興味を向ける人もほぼいない。

「……修徒様をお迎えに行く途中でその方と思しき女性を見かけました」

 息をのむ。「そ、それでっ」クリスの肩の上で体を起こそうとしたのでずり落ちそうになり抱え直される。

「亡くなりました。人ごみの中何かを探すように歩いてらっしゃって、そのまま炎に飲み込まれていかれました」

「……」

 淡々と告げられる言葉を理解するのに時間がかかった。ああ居たんだ、探すまでもなく。生きてたんだ。生きていた……生きているのではなく。

「……なんで助けなかった!」

「遠目に見ただけですので。あなた様と関連する方かはっきりさせるには情報不足でしたし」

「言い訳するな!」

「明日香様、今日破様の血縁の方という情報と修徒様が指差しておられたマンション、そして今きいたお名前でようやく確定したところなのですよ。あそこにはたくさんの人が居ました。似たような方を全員助けることは不可能です」

 ああそうだ、そうだよ。スカイ・アマングに入ってすぐ別れたから、クリスは阿昼さんと明日香の関係も知らないし阿昼さんに会ったことも無かったんだ。わかっている。無茶を言っているのはわかっている。これは八つ当たりだ。僕の、無力故の八つ当たりだ。

「……クリス。どうしてもっと早く来なかった」

 つるりと言葉がこぼれた。

「もっと早く来てくれれば、阿昼さんを探しに行けただろ。阿昼さんに逃げてほしいって伝えに行けただろ。間に合ったかもしれないじゃないか」

 頭の中がかっと熱くなって煮えているようだった。涙で視界がぼんやりしてよく見えない。手で目をぬぐったらひじがクリスのあごに当たった。

「修徒様」

「……」

 ごめん、クリス。……ごめん。

 それは僕だって同じなのだ。

 もっと早くに、それこそイベントと称して政治犯処刑が始まった時点で異常を感じて誰か一人が呼びに行けばよかったのだ。阿昼さんに伝えに行くなんて思いつきもしなかった。そもそもあんなことになるなんて、僕らの誰が予想できただろうか。無茶を言っている。

 ごめんクリス。これはクリスのせいじゃない。クリスは何も悪くない。

「申し訳ございません、修徒様」

 なのにクリスは淡々と謝罪の言葉をつぶやく。違う、違うって。謝りたいのは僕の方だ。欲しいのはその言葉じゃない。そうじゃない。そうじゃないんだよ。

 前にも同じようなことを思った気がする。あれは、いつのことだっただろうか。

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