4日目午後:異郷の家族②

 昼食はコロッケサンドだった。コロッケはじゃがいもじゃなくて豆コロッケで、レタスやトマトと一緒に固めで薄っぺらい袋状のパンに詰め込まれていた。具がたくさん入ってるけどパンが袋になっているから中身が落ちない。食べやすい。豆コロッケはよく食べるので作り置きしてあり、パンも保存がきくらしくこの大人数でも在庫で足りたらしい。ストック料理はひとつ覚えておくととても役に立つのよ、となぜか僕が言われた。いや本当になんで。僕は料理に全く興味が無いんですが。

 公正が鞄をごそごそして巾着袋きんちゃくぶくろを取り出した。何かもぞもぞとうごいている。口を緩めてやると小さな鼻先がちょこんと顔を出した。え、ハリネズミ。そのお腹の下から爬虫類はちゅうるいっぽい生き物も出てくる。

「公正、それ……!」

「ん。ああ、明日香が連れてた。何、知ってんのか」

 スカイ・アマングの海岸で江久えくさんが飼ってたハリネズミとサラマンダーに違いない。公正のサンドイッチからレタスを引き抜いてもしゃもしゃ食べ始める。連れてきてたのか。僕は存在すら忘れてたというのに。さすがにパンやコロッケは食べないらしく公正が鼻先に持っていったパンの切れ端はやんわり拒否されていた。

「あの、お母さん」

 コロッケサンドにまだ手をつけず、明日香が口を開いた。皿の並ぶこたつ机に目を走らせ、不安げに壁の雑な修繕跡を追う。

「おとう、さんは……」

 阿昼かひるさんは唇をかんで目を伏せた。

「明日香。とっさんは死んだ。……五年前に」

 五年、と繰り返して泣きそうな顔をする。どうして、と口だけ動いて明日香は今日破を見つめ、今日破きょうはは目をそらしてうつむいた。

「明日香がいなくなった後ね、スカイ・アマングはひどい内戦状態になったの。その日お父さんは……炭酸水を、買いに出かけて、それで……帰ってこなかったの」

 阿昼さんが明日香の頭をなでる。明日香の目からぽろりと涙がこぼれ落ちた。

「その日ね、あまりに帰ってこないから探しに行きたかったんだけど、夜間外出禁止令が出てたから行けなくて。商店街のおじさんの店、覚えてる? あの辺りで銃撃戦があったって知ったのは翌朝で、見に行けたのはもう軍人さんがおかたづけした後だった。財布だけ帰ってきて、」

 言葉を切り、タンスを探る。ボロボロの小さな革財布が出てきた。ショッピングモールで安く売ってそうな普通の財布。受け取った明日香も「これじゃわかんないよ」とすぐに返した。

「……だから、お父さんはもう居ないの。……炭酸水買いに行って、たぶん途中で鉄砲の撃ち合いに巻き込まれて、帰ってこなくて、その日の夜は外に出ちゃダメって言われてたから……」

「お母さんお母さん。待って。……待って。言い直さなくていいよ。私、わかるよ、もう。私、もう……十四歳だよ。わかるよ」

 ひくっ、と肩が揺れた。あぁ、と声を漏らしてついに泣き出した。阿昼さんに抱きつき胸に顔を埋め、それでも響く大声で。今日破が黙って自分のコロッケサンドに手を伸ばし、小さくかぶりついた。もしゃもしゃと無表情に咀嚼そしゃくする。僕も食事を再開した。昨日子はコロッケサンドに見向きもせず、なぜかピーマンを頬張っていた。

「五年前って。滝波はいつここを出てったんだ」

 喜邨きむら君が皿に盛られた二つ目のおかわりに手を伸ばしながらきいた。今日破が「たきなみって何や」と首をかしげたので苗字だと補足したがいまいち伝わらない。ここの人は苗字無いのか。

「明日香は出てったんやないで。六年前……何月やったかまでは覚えてへんのやけど、政府の移民局から通知書が来たんや。「お宅の娘さんは侵入禁止区域侵入のため流罪となりました」っちゅう通知書な。どこの侵入禁止区域なんか、なんで明日香はそこ入ったんか、何の説明も無かった。通知書だけ届いて、その日友達の家に遊びに出かけただけやったはずなのに、そのまま帰って来んかったんや」

 六年。僕にとって六年前は小学三年生だ。そんな頃に連れ去られて向こうにいたわけか……僕だったらどうだろう。全然違う世界の生活になじめただろうか。そのくらいの歳の自分にきいてみたくなったが六年は遠すぎるのか想像できなかった。

「とっさんもかっさんも俺も昨日子きのこも街じゅうさがしまわったんやけど見つからへんかった。役所に行ってみたら確かに流刑者リストに載っとった。せやから、もう明日香には会えへんってあきらめたんや」

「でも、帰ってきた」

「うん。帰ってきた。また会えた。うん、ほんとよかった」

 阿昼さんが明日香をもう一度ぎゅっと抱きしめて、そっと膝からおろした。

「大きく……なったね。膝に載せてると重いわあ」

「それ、六年前も言ってたよ」

 また泣き出してしまい、阿昼さんが抱き寄せて背中をポンポンたたいてやる。

 公正はどこか冷めた目でそれを見て、今日破をつついた。

「内戦って。俺も連れ去られ組でさ、知らないんだ。何があった」

「いや、それが……何が原因か、なんでそないなことになったのか、今も全然わからんのや。なんも情報が入って来んのよ。誰も知らん」

 泣き止んだ明日香が阿昼さんに向こうの世界の話を始めた。空の話、雨の話、季節の話、住んでいた街の話。僕らのほんの数日前の日常を。居心地悪そうに部屋の隅に縮こまっていたつかさ氏縞しじまがその話題に食いつき、説明に加わる。学校とはどんなことをするところか。放課後、家に帰ったらゲームをするんだとか。内容に興味をもったのか、さっき席をたった昨日子が戻ってきた。やっぱり僕より頭ひとつぶんは背が高い。

「なあ、見るからに昨日子の方が明日香より年上なんだけど……。何で昨日子の方が妹?」

「ん。ああ、昨日子は養子なんよ。保護施設からうちに来たときは、昨日子より明日香の方が身長が高かって、それで明日香が姉で昨日子を妹にしたんや」

 なるほど。昨日子が明日香や阿昼さんに似てないわけだ。

「養子? 親死んだのか」

 いきなり割り込んでくるなよ公正。今日破もその無遠慮に驚いて顔をそむけ、そむけた先に丁度昨日子が居たのでさらに沈黙した。うわさをすればなんとやら、は話の最初からそこに居る場合はつかわないんだったっけ。

「何」

「いや、なんでもない。気にせんでええ」

「嘘」

「せやからほんまになんでも無いて……ちょ、なんでもない言うとるやろ?」

「嘘」

「う……うそやけど……」

 えりをつかまれ仏頂面の顔を近づけられて今日破の頬を汗がつたい落ちる。昨日子はさらに後ずさりするために後方にのばしていた腕をひっつかみもう片方の手と一緒に腰の辺りでねじりあげて関節をきめた。

「何、話」

 兄にすごいことをしながら全くの無感情で質問(むしろ拷問)。今日破は腕を少しでも楽にしようとじたばたするのに一生懸命で質問に答える余裕が無い。

「何、話」

「昨日子が養子だっていう話をしてたのさ。で、俺は親死んだのかなって」

 今日破が答えられそうにないので代理で公正が答える。昨日子はじろりと横目で公正をにらんで今日破を締め上げる手を少しだけゆるめた。

「……だから何」

「別に。ただの興味本位」

 昨日子は公正から一瞬目をそらして何か考えた後、いきなり今日破を突き飛ばしてその勢いでくるりと向き直って今度は公正を蹴ってぶっとばした。今日破は曹と氏縞が阿昼さんに話しているド真ん中にすっとんでいってぐしゃっと壁に激突し、公正は喜邨君の後ろを通過してズガンと冷蔵庫に頭をぶつけた。衝撃で冷蔵庫の戸が開き、中のものがくずれてあふれだす。こらっ、昨日子っ! と阿昼さんが立ち上がる。今日破は氏縞達にぺちぺち頬をたたかれても反応しない。昨日子は服をつかもうとした阿昼さんの手をすり抜けて喜邨君の横を通り過ぎ、立ち上がろうとした公正の腹に強烈な蹴りを一発お見舞いした。公正が腹をおさえて咳き込みながらその場にくずれる。

 今度こそ確実に捕まえようと阿昼さんは昨日子の肩に手を伸ばす。直後、あろうことか公正の腕をつかんで片手で阿昼さんに投げつけた。阿昼さんは公正共々畳に倒れ、ほこりを舞い上げる。昨日子は阿昼さんのあごを蹴りつけてそそくさと居間を出て行った。直後、ばたんと乱暴にドアが閉まる。明日香が追いかけて出て行った。

 阿昼さんが公正を助け起こし、ほこりを払う。今日破もようやく気がついて額をおさえた。今日破は軽く一回頭を振って公正を睨みやり、

「興味本位でそういうこと訊くもんやない」

「そうかもしれないけどさ、だからってなんであんなに怒るのさ」

 ぱたん、とドアが開いた。昨日子が戻って来たのかとみんなの視線が廊下からの入り口に集まる。注目の的になった明日香が何かを言いかけた口をいったん閉めてすぐまた口を開いた。

「昨日子に何か言った?」

「あ、いや……」

 今度は公正が言葉を濁して明日香から目をそらす。僕はため息をついて代わりに伝える。明日香はじぃっと公正をにらんでいたが知らなかったならしょうがないよね、とつぶやいてちょっと来なさいと公正の腕をひっつかんでさらに僕の腕までつかんだ。強制的に立ち上がらされて居間から連れ出される。そのまま廊下へ出て、別の部屋に放り込まれた。風呂場か。脱衣所の足拭きマットの上に昨日子は足をかかえて座っていた。脱衣所に侵入した僕らを見て多少うっとうしげに目を細めて明後日の方向に向き直る。ついてきていた今日破がふう、とため息をついた。

「昨日子。……興味本位で訊くのは確かに良くないけど。だからって暴力にはしるのもとっても良くないでしょ。話してあげて。どちらにしろいつか話す必要がでてくるんだし」

「やだ」

「昨日子」

「……やだ」

 明日香はさっと昨日子の前に正座して昨日子の頬に手をのばしてはさんだ。

「昨日子。六年も経ったのに全然成長してない。いやだしか言わないですぐ暴力ふるうし」

「……姉さんこそ。言わせる、強引」

 にらみ合ってしばらく沈黙し、昨日子はいつもの仏頂面のまま面倒くさそうに僕らを見上げた。視線だけが別の方向にそれる。

「……殺した、私。ふたりとも」


 昔々小さな女の子がいました。女の子の家は体術を教える道場でした。道場には戦闘向きの〈力〉を持たない人や自分の〈力〉が何かわかっていない人を中心に、お兄さんから初老のおじさんまで様々な人が通っていました。女の子には物を壊す〈力〉がありました。しかし周りの大人たちは〈力〉が無くとも板を割り、ブロックを砕くことができました。もっと強くならなければ。女の子は彼らに混じり、毎日鍛錬にはげみました。女の子は褒めてもらうのが大好きでした。褒められれば褒められるほど熱心に練習しました。

 道場では、週に一度「集会」が開かれました。成人に満たない道場生は参加できず、女の子もその日は稽古場から追い出され街を歩いていました。手にはおつかいのメモが一枚。今日受け取る品物を預かってくれている露店の外観と店主の服装が書かれていました。オレンジの天幕で店先に商売繁盛祈願の無灯ランタンを提げている店、数軒見かけては売り物に目を滑らせ通り過ぎ、ようやくナッツ類の専門店を見つけました。店主は青い帽子をかぶった松葉杖のおじさん。間違いありません。横目に見ながら一度通り過ぎ、次の十字路まで来てから引き返します。

「おじさん、こんにちは」

 声をかけると店主は「おお」と驚いたように顔をあげ、書いていたものを慌てて手で隠しました。紙を裏返してから立ち上がり、「お嬢ちゃんおつかいかな。何が欲しい?」と笑顔を向けます。

「お嬢ちゃんじゃないよ、○○だよ。お母さんが頼んだ物、受け取りに来たの。ちょうだい」

「はいはい○○ちゃん。いつものやつね。制服の人は見かけたかい? 合い言葉は? ……オーケイ、ちょっと待ってな」

 店主の姿がカウンターに消え、大きめの麻袋を引っ張りだして再び現れました。ちょっと重いけど、大丈夫かな。全然大丈夫! みんなと一緒にショウジンしてるから! 店主は笑いながら麻袋を持たせてくれました。

「いつもおつかい偉いね。大変じゃないかい」

「大変じゃないよ、全然! これもみんなのために、家族のためにやってることだもん。お父さんもお母さんも、すごいね、偉いねって褒めてくれるし。……でも毎回お店の場所が変わるのはちょっと不便だな。今日はそんなにかからなかったけど。先週のおじさんのお兄さんのお店、なかなか見つからなくて日が暮れちゃうところだったんだから」

「ははは。もうちょっとわかりやすい目印をつけるように言っておくよ。お家を教えてくれれば持っていってあげてもいいんだけど……」

「ダーメ。教えちゃダメって言われてるもん。ぷらいばしーのしんがりだよ」

「侵害、かな」

 おじさんにお別れを言って、女の子は家と逆方向に歩き始めます。さっき果物屋で見かけたお兄さんが別の店で小麦を買っていました。道場生です。女の子はお兄さんに挨拶とちょっとおしゃべりをして、また歩き始めました。たいていの人が色んな店で買い物をするのに、どうしていつもおじさんかおじさんのお兄さんのお店で全部そろえてもらうんだろう。あのおじさん、実は買い物の達人で、だから毎回お願いしてるんだったりして。

「お嬢ちゃん!」

 そんなことを考えていたら、さっきの露店のおじさんが追いかけてきていました。松葉杖を時々近くの人にぶつけてしまいながら追いつこうと頑張っています。人ごみで呼ばれても立ち止まってはいけないよ、と言われてたっけ。でもいつもお世話になっている人だし、迎えに行く、ならいいんじゃないかな。

「どうしたの、おじさん。私、何か忘れ物した?」

「これ……渡そうと思って」

 なあに、と出した手の平に木のペンダントを置いてくれました。すべすべした手触りでほんのり暖かい感じがして、女の子はペンダントを一目で気に入りました。

「いいの? もらっても」

「いつもおつかい頑張ってるからね。これはおじさんからのご褒美」

 ペンダントは女の子の首からさげると胸にしっくりおさまりました。

 その日、いつもよりかなり遅く帰った女の子は店がなかなか見つからなかったと嘘をつきました。歳の割に妙に大人びている弟には「好きな子でもできた?」とからかわれ、三歳の妹には首から提げたペンダントをうらやましがられました。「もらったの」女の子は照れてそれだけしか言わず、両親も特に何も聞きませんでした。

 翌朝、女の子は寝室のベッドで寝たはずなのに床で目が覚め、不思議に思いながら起き上がりました。足首に手錠がついていて大きなおもりにつながっています。ここは自分の家で間違いありません。なんなんだろうこれは。〈力〉で壊そうとしてもひびが入りません。こんな物は初めてです。同じ部屋で寝ていたはずの弟が見あたりません。〈音〉で呼ぼうとしましたが発動しませんでした。何がおこったんだろう……よかった、ペンダントはまだ首にさがっていました。

「おはよう」

 声がした方を見ると、壁際に露店のおじさんが座っていました。疲れたように松葉杖を床に投げ出しタンスにもたれかかっています。どうしてここに居るの、ときくと連れて来られたんだと答えました。でもおじさんは手錠をかけられたりしていません。おじさんは杖がないと歩けないからだろうねと言い、護身のためにとナイフを持たせてくれました。もうすぐ犯人が見回りに来るから、持っておきなさい。それからこれも、と白く濁った飲み物も渡されました。心を強くしてくれるものだから、きっと役にたつだろう。とても苦い味がしたけれど、飲み干すとおじさんは褒めてくれました。

 外で足音が聞こえたので、女の子は息をひそめてドアの影に隠れました。他のみんなは別の部屋に閉じ込められているのかも。もし犯人が来たら倒して助けにいかなくちゃ。みんなのために、家族のために、役に立つときだ。足音がだんだん近くなり、女の子は体が熱くなってくるのを感じました。しっかり、やらなきゃ。みんなを守るんだ。私はお姉ちゃんなんだから。

 きぃ、とドアが開きました。一拍置いて大柄の人影が二人部屋に入ってきます。顔がよく見えません。人影は同時に女の子に気づき、すぐさま覆いかぶさってきました。女の子は思わず悲鳴をあげて腕を振り回し、ナイフが相手を切り裂いて、押さえ込まれて暴れて殴られ気を失いました。

 次に目を覚ました時、同じ部屋に転がされていた両親は体じゅうに切り傷をたくさん作って冷たくなっていました。おじさんは無傷でにっこり笑って女の子の頭をなでて『さすが○○ちゃんだ。ありがとう。○○ちゃんはおじさん達の役にたったよ。とても良い子だ』と言いました。女の子はどこかの施設に送られました。



「私の家。反体制派……? だったみたいで。言われてた。尾行、気をつける。制服、近づかない。予定外のお客さん、知らんぷり。」

 後日ペンダントは壊れて、中から鉱石が出てきたという。物を追跡する〈力〉で家を特定されたんだろうな、と公正。そんな〈力〉もあるのか。

「貰い物、疑う、も言われてた。ペンダント、『そういうもの」かもって、思えなかった。おじさん、いつもたくさん褒めてくれる人」

 公正は反体制派とか粛清しゅくせいとか……あれだよな……とひとりもごもごとつぶやいている。施設に送られた後のことをたずねると、昨日子は目を閉じて首をふった。

「施設のこと、覚えてない。何回か引っ越しして、孤児院に」

「保護施設か……? 昨日子はスカイ・アマング出身であってるよな?」

 昨日子が首をかしげる。公正はなんでもない、と質問を取り消しあごに手をあてた。

「あと、その〈力〉を使えなくする手錠はキャンセラーだな」

「キャンセラー?」

「地殻性キャンセラーの話しただろ……」

 その後ね、と横から入った明日香が昨日子の話の続きをくむ。

「昨日子はね、孤児院で会ったんだよ。私が「妹が欲しい」って毎日駄々こねてて、何を思ったかお父さんが国の施設に連れてってくれて。女の子他に居なかったから」

「おい」

「孤児院、大人になるまで居ると思ってた。姉さんに連れ去られるまで」

「連れ去られるって、おい」

「『うちに連れて帰る〜』って聞かんくてな。手続きやらなんやら大変やったんやで?」

「ペットじゃないんだぞ、おい」

 今日破と明日香が笑う。昨日子は少しだけ表情を緩めてうつむいた。

「他の人、内緒にしてほしい」

 昨日子が立ち上がる。そろそろ夕食の時間だろうか。ずいぶん長くしゃべっていたから。

「うん。……言わない」

 僕らも立ち上がり、昨日子の後に続いて居間に戻った。



 夕食は揚げ物祭りだった。野菜の上には漁師の家で干物を見た気がする魚の素揚げがきれいに積まれていて、別の器の上には色の薄いブロッコリーやナスを揚げたものが盛られている。カップにはきゅうりやにんじんの野菜スティック。豆や芋のペーストが添えられていた。

「おいしそう……!」

 ごくりとつばを飲む。いただきますもそこそこに喜邨君が魚に手を伸ばす。ボクも皿に揚げ野菜を積む。食卓には昼に豆コロッケを包んでいた薄焼きパンの、小さく切ったものも置いてあって、今日破がそれに豆ペーストを塗って食べていた。ふむ、ああやって食べるのか。真似してみるとめちゃくちゃ美味かった。もう一枚。

「貴様それは我輩のパンだぞ!」

「お前な! 先俺が取っただろうが!」

 だからどうして何枚かの皿に分けられてそれぞれに数枚積んであるのに同じパンをつかむかな。そしてそれを譲らないかな。むしろちぎって分けろよ。もう言うのも面倒くさくて喧嘩をはじめる二人を横目にため息をつく。昨日子に「うるさい」と怒られ殴られていた。

「お母さん、野菜たくさん……。ごめんね? 食材大丈夫?」

「いいのよ。気にしないで。明日香がお友達たくさん連れて帰ってきてくれて、私嬉しいんだから。ちょっとお祝い気分なの。いいでしょ?」

 にひー、と笑って明日香は阿昼さんにもたれかかる。ちょっと、重いってば。阿昼さんに突き放される。可愛いなあ……じゃなくて、ええと。

「明日パレードやるってお昼に回覧まわってきたから、食材の心配もいらないわ。やるなら市もたつでしょ」

「パレードは今もやってるんだ」

「昔のとはちょっと違うのよ。明日みんなと見に行ってみたら?」

 パレードってことは、お祭りか。楽しそうだ。明日香と一緒に見に行って、どさくさで手つないじゃったりして……。

 ふと明日香がこっちを見て目がバッチリ合ってしまい、全力で顔をそむける。ななな何も想像してないよ僕は。何も考えてないさ、うん。

 食事が終わるとさっそく曹と氏縞が風呂の順番で喧嘩を始めた。

「我輩は魏の皇帝曹操様の子孫であるぞ! その我輩を差し置いて一番に風呂に入ろうなど無礼千万! 貴様のような下賎の民は後でぬるい水にでも浸かれば十分だ!」

「何を言うか! 一番風呂というのは俺のような立派な奴のためのものだ! お前のような凡人が入るものではない!」

「どこが立派だどこが! 貴様小五の時の合宿で部屋に蜘蛛くもが出没して半泣きだっただろうが! そんな根性無しのお前が立派な人物などと言ったら小さなカマキリは百獣の王だ!」

「それお前が言える事じゃないだろ! 夜中にトイレいけなくて担任の先生についてきてもらってたくせに!」

「トイレの場所を覚えていなかっただけだ! 貴様こそ」

「うるせぇっ!」

 ずごん。

 喜邨君の拳が二人の頭に炸裂。ナイス喜邨君。一瞬で部屋は静かになった。

「お前らうるせぇから最後な。で、後の順番だが何か希望あるか?」

 曹と氏縞が文句を言いかけてにらまれてだまる。明日香が小さく手を挙げた。

「わ……私は最後……」

 喜邨君はつまらなそうにふん、と鼻で笑い他には、と続けた。公正が人差し指を立てる。

「じゃんけんでいいだろ。とくに俺は希望無いし、修徒も何も言わないしさ」

 おいおい。……まあ確かに風呂に入る順番なんてどうでもいいけど。

 じゃんけんの結果、僕最初、公正、喜邨君。ちなみに順番決めの時間がもったいないので阿昼さんと昨日子、今日破は先に入ってもらうことになった。今日破が風呂からあがったら僕の番だ。

「風呂入ったで〜。次はだれなん?」

 あ、出てきた。慌てて鞄から着替えを掘り出して部屋を出る。出るとほぼ同時に曹と氏縞が喧嘩を始めたのがわかった。えんえんとあの口論を聞かされる事になるとこだった。はやく部屋を出られてよかった……。

 廊下を進んで脱衣所に入る。なんとなくはーっ……とため息をついた。今日着たものをとりあえず脱いで洗濯物用のビニール袋に突っ込む。見慣れたスーパーのロゴが目について何だかじっと見つめてしまった。あのスーパーの菓子パン、ちょっと高価いんだよな。今週のレックス(週刊マンガ)まだ読んでないな。あの話どうなっただろう。

 タオルを手に取って風呂場に入る。タオルに石けんをつけてごしごしこすりながら見慣れない給湯装置らしきものを発見。しばらく考えたけどどのつまみをまわしても反応しないのでしかたなく湯船から洗面器でお湯をすくって泡を洗い流した。あ、こっちのつまみまわしたらシャワーから水が出る。……お湯は出ない……。

 湯船につかって一息つく。母さん、どうしてるかな。心配してるかな。そういえば僕って二泊三日の合宿に出かけたはずで急にいなくなったようなもんなんだよな。何日経ってるっけ。いち、にぃ、さん……四日目か。もっと経ってる気がするんだけどな。暑い。出よう。

 湯船から出て体をふき、服を着る。

 クラスのみんな、あの地震で無事だったろうか。みんな元気に家に帰れただろうか。僕らのいない教室で、今日も普通に授業を受けていたんだろうか。

 脱衣所を出て居間に戻り、寝る部屋(客間なんだと思う、たぶん)に入るとみんなは寝る準備をしていた。

「あっ! 曹、それは俺のまくらだぞ」

「貴様なんぞまくら無しで良い」

「今日破ふたつも取るなよ……こっちよこせ」

「ちゃう。ふたつでひとつなんや。これ使うたら」

「それ私の。とらないでよ」

 ……訂正。まくらの取り合いをしていた。

 自分のまくらを急いで確保する。何となくみんなでせーのであわせて一緒に寝転んでみたりする。

 ごっすん。

「でっ!」「痛ってぇ!」

 氏縞と曹が頭をぶつけてとてもいい音がした。

「ったく! なぜ貴様のような下賎げせんの民と隣なのだ」

「誰が下賎の民だ誰が。しかし曹にも脳みそが入っているとは驚いた。なかなか鈍い音がするじゃないか」

「ふふん。当たり前だろう。この我輩、曹様の頭にはびっちりしっかり天才的な脳が入っているのだ」

 うん。天才的な自尊心の高さを生み出す脳がな。

 風呂の順番が来た公正が部屋を出て行く。ん、そういえば。

「喜邨君がいないけどどうしたんだ」

「ああ、あいつ魚五尾と皿に積んだパン三皿分食って野菜の唐揚げ残ったやつ全部平らげて……腹壊してトイレにひきこもってる」

 ……他人の家で食い過ぎるなよ。大迷惑だ。

「我輩は喜邨が無事な事に賭けるぞ! あいつはタフだからな。貴様とちがって」

「あ? 何か言ったか?」

 にらみ合い再開。喜邨君みたいに腹がタフだったとして何の利益があるのかはよくわからないけど。あ、噂をすればなんとやら。喜邨君が帰ってきた。

「大丈夫? 食い過ぎはあかんで〜」

「きもちわりぃ……」

 ばたん、と一番近い布団にうつぶせに寝転がる。ちょっと体の向きを変えた拍子に曹を敷きそうになった。危ない。

 曹がほら無事だっただろうが我輩の予測能力は完璧だ賭けは我輩の勝ちだと一人で喜び始めて俺も喜邨が無事な方に賭けてたんだからこの賭けはドローだと氏縞が怒りだした。

「決着をつけようじゃないか氏縞」

「望むところだ曹」

「様を忘れんな曹様だぞ。じゃんけんでどうだ」

「俺をなめるなよ。俺には必殺技があるからな」

「我輩は最強の武器をもっているから貴様なんぞに勝ち目は無いと思え」

 どんなじゃんけんだよ。あ、公正帰ってきた。喜邨君をつつくがもう寝ている。早い。次番の明日香が服をまとめて部屋を出て行った。

 じゃんけん、ぽん、とかけ声がかかり曹と氏縞の動きが一瞬止まる。グーとグーであいこ。あいこでしょ、パーとパーであいこ。あいこでしょ、またあいこ。

「何してんだお前ら…」

 公正に同感。でもまあおおめに見てあげて。すごくしょぼいじゃんけん勝負なんだけど二人は真剣に賭けの決着をつけようとしてんだよ……たぶん。なぜかやたらあいこばっかりだけど。

 がらっとふすまが開いた。阿昼さんが顔をのぞかせる。

「ちょっと静かにしてくれないかしら。ご近所さんに迷惑だから」

 笑顔で言われたけど何か殺気を感じて部屋が一瞬で静まり返る。阿昼さんの右手にはペーパーナイフ。たぶんそれは封書かなにかを開けるためのものだと思うけどすごく怖い。

「んんっ……ぐぉーー……」

 硬直した曹と氏縞の間からの突然のいびきが沈黙を破った。

「ぐーーごぉぉーー……むにゃむにゃ……ぐぅ……ごおおぉ……」

「おっ……おい静かにしろ……!」

「喜邨、いびきで俺らを殺す気かっ……!」

 阿昼さんが笑顔のまま一歩踏み出す。曹と氏縞がひぃぃとそろって声をあげて一歩分這うように後ずさる。喜邨君はおかまいなしに堂々といびきをかいている。もう一歩踏み出す。曹と氏縞がさらにもう一歩分さがる。喜邨君は盛大にいびきをかいている。さらに喜邨君に近づいて

「うるさい」

 いきなり昨日子が阿昼さんの横から部屋に入ってきて喜邨君を思い切り蹴っ飛ばした。喜邨君はわずかに寝返りをうって静かになった。昨日子はそのまま今日破の隣に座る。

「早く寝なさいね。さもないと明日のお祭りには行かせませんよ」

 阿昼さんはそうとだけ言い残してふすまを閉めた。あ、また開いた。明日香だ。

「お風呂はいりました……。曹君と氏縞君の番だよ」

「よっしゃあ風呂だ! 風呂に入るぞ氏縞!」

「おうっ!」

 馬鹿二人退場。あー、静かになった。

「さっき阿昼さんが言ってた祭りって何?」

「ああ、公正は知らへんよな。スカイ・アマングの市長はんが気まぐれに開催するんやわ。で、ちょうど明日祭りなんやて」

 あれ、公正はパレードのこと知らなかったのか。スカイ・アマングの出身じゃないのか。……そういえば前に明日香がここのこと説明してくれた時、スカイ・アマングの両隣に別の丸が二つあったっけ。そっちかな。

 ふわ。あくびがでた。

 今日破が昨日子に何か話しているのを横目で確認し、明日香は僕の方へ歩いてきた。風呂上がりの髪からシャンプーだかリンスだかのいい香りにちょっとどきどきする。……い、いや待て。何で僕の方に来るんだよ。

「シュウ、あの……聞いてほしい事があるんだけど……」

 やばい。そんなに近寄るなって。絶対今顔真っ赤だ。公正に見られたくない。昨日子にも今日破にもちょっと見られたくない。

「あ、……いや、その……」

「今はちょっと、だめ、かな……」

 首を傾げて上目遣いに僕を見る。か、……かわいい……。じゃなくて。

 僕は一生懸命その表情から目をそらしてぶんぶんと首を振った。

「もう眠いから寝るよ。明日にしてくれないかい」

 さっさと布団にもぐり込んだ。布団を頭からかぶったまま息を殺して耳を澄ませているとしばらくしておやすみ、の声がいくつか聞こえてごそごそと数人が動く音がした。少し間があって、ぱち、と部屋の明かりを消す音がする。そしてまた静かになった。

 ふぅ、と息をついて布団から顔を出す。恥ずかしかった……。

 真っ暗な天井を見上げて考え事をしていたらいつの間にか眠っていた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る