#017 この中にいる

 一斉に雪崩込むように。

 人の数に押しつぶされそうになった瞬間。真っ先に動いたのは、ミラさんだった。


「みんな、鼻をつまんで」


 鼻を――? 私がその意図に気づくよりも早く、シエルが私の鼻をつまんでいた。直後、ミラさんの周囲の空間が歪んだ。歪んだように、見えた。

 大気そのものに流れるように、が生まれていた。それは襲いかかる数に触れた瞬間、数はピタリと動きを止めたのだ。

 よく見ると、表情を歪ませ、無理やり体を動かそうとしている。だが、体は震えるばかりで、動こうとはしない。まるで麻痺をしているかのようだ。


(全員、聞いてほしい)


 頭の中に憲司さんの声が響き渡った。


(今はミラが動きを止めているからいいけど、しょせん多勢に無勢だ。これから分散して、各個撃破に望んでもらう)


 ミラさんの魔法も決して万能ではない。元々、対多数戦闘を得意とするミラさんにとって、私たちこそが足手まといの対象となり得る。

 だが、これほどまでの数を相手に各個撃破と言っても、ジリ貧だ。私の方が先に果てる自信だけはある。


(パペットの魔法は恐らく、相手の意識を奪い、操る魔法だ。これほどの数だ。間違いなく術者は近くにいる。……いや、

(なるほど〜)


 せりさんは憲司さんの言わんとすることに納得する。


(そういうこと、ですか……)


 私はそれに気づき、顔が引き攣った。憲司さんも私の表情を見て察したのか、苦笑している。


(えっ? どういうこと?)


 シエルだけが、理解していなかった。


(――つまり、この数の中からパペットを探せってこと)

「…………うそん」


 シエルは思わず声を出していた。


(それじゃあ、カウントダウン始めるよ。皆、健闘を祈る。五――)


 操られた人々の体が徐々に動き始めていく。ミラさんの魔法が切れ始めているのだ。


(四、三、二――、)


 この中からパペットを探す。

 そんなこと、実際には不可能だ。闇市場にどれほどの魔法使いがいると思っている。シエルを見ると、目が合った。にこりと返された。全く、人の気も知らないで……。


(一――、)


「行くわよ、ニナ」

「はいはい、シエル」


 刹那、私たちは散開した。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



(あ、いま、なんつった?)


 その者――パペットと呼ばれる存在は、偶然拾い上げてしまった名に、眉を顰めた。

 一番の獲物であったミラから意識を逸らし、パペットは二人組を見ていた。外套を被っているせいで、顔がよく見えない。それでも間違いなく、その名を口にしたはずだ。


(シエル、だと……?)


 パペットの標的が、ズレた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「っっっ〜〜〜〜〜!!」


 私たちの背後から、地面を揺らすほどの足音が響き渡る。それらは全て、私とシエルを狩るための足音だ。


「ニナっ、光っ!」

「言われてなくてもっ!」


 足を止め、振り返る。そこに広がる有象無象の魔法使いたち。操られ、瞳に光は無い。振り返ったのを後悔し、回れ右をしたい気分だ。

 けれど、そうはいかない。

 手のひらに魔法を発動。ちよわうど中心辺りに、感覚。ピンポン玉サイズの光の玉が生まれた。

 私はそれを集団の中心に向けて、投擲していた。綺麗な弧を描き、光の玉は進んでいき。



 ――弾けた。



『っ……!?』


 集団の動きが、ピタリと止まる。その光量は視界全体を白く染めてみせ、目くらましとして最大限の効果を発揮してみせた。

 その間、意志が通じたかのように、シエルは魔法の発動を完了させていた。腕を水平に伸ばし、銃のように指を指す。


光よLuz無限の矢となりてconviértete en una flecha infinita穿てllévalaッ」


 シエルを中心に、空間内から無数の光の矢が出現する。それらの矢先は操られし者たちへ。数秒後、一斉に放たれた。

 それは映画のワンシーンのように、光の矢は者たちを吹き飛ばしていった。それは雪崩のように、ドミノ倒しのように。伝播していく。


「ちょ、殺してないよねっ?」

「ええ、もちろんだわ……たぶん」


 最後の不穏ワードに私はシエルを睨みつけたが、シエルは全く別方向を向けていた。


「あれ……」

「? ……!」


 そこに、一人の幼女が倒れていた。こんなところに、外套を被り、闇市場で買ってきたのか、袋から人間の目玉が転がっていた。


「ぅ……ぅ……、」


 私は咄嗟に幼女の元へ行き、起き上がらせていた。どうやら、意識を失っていたらしい。ゆっくりと、幼女は目を開いていく。


「…………?」

「こんな幼い子も……魔法使いなんだ、」

「ちょっと、ニナ」


 シエルは私の後ろに立っていた。

 鋭い視線が幼女に向けられている。


「どう見たって、おかしいでしょ。こんなところに、こんな弱い魔法使いが生き残れるはずがない」

「…………だぁれ?」


 幼女から漏れたのは、微かな弱々しいものだ。確かに、この状況はおかしい。


「私はマーナ。こっちはエル」


 私は、幼女に向かって言っていた。シエルは何も言わない。何も言わず、私を見守ることにしたようだ。それはそれで助かる。

 私は幼女を微かに笑いかけた。……ちゃんと笑えているかはわからないが。


「あなたの名前は?」

「…………ミーシャ」

「そう、ミーシャちゃんなんだ。かわいい名前だね」


 たぶん、偽名なんだろうけど。


「ミーシャちゃんはここに一人で来たの?」

「……ううん。お父……チェチェと一緒に。でも、チェチェが、急に、ミーシャをぶって、それで――、」

「ううん、もう言わなくていいよ。ありがとうね」


 大体の内容は把握できた。私はシエルの方を見ると、シエルは難しい顔をしていた。


「つまり、どういうことよ? この子だけはパペットの魔法に引っ掛からなかったってことでしょ?」

「……多分、いくつか抜け穴があるんだよ」

「抜け穴?」

「憲司さんが言ってたよね。こんな大規模な魔法だから、術者は近くにいるって。つまり、パペットにとっても、この状態は負担であるはず」

「となると、この魔法を成立させルための、制約があるってことね」

「うん、多分。……それは、なんだろう?」


 そもそも、魔法に詳しくない私が考えてもわからぬことだ。ここはシエルの知恵を借りたほうが早い。


「……気絶してると、操られた対象にならない、とか?」


 思考を巡らせていたシエルはそう呟いていた。


「パペットの魔法はあくまでも意識を奪うだけ。ならば、意識を失った状態であれば、そもそも魔法の範囲外に判定される……」

「多分、それだ」


 シエルの言葉に私は頷いた。



「――はははっっ!! やるじゃねえか!」



 声は、突然と聞こえた。

 無意識に私はミーシャを庇うような位置に立っていた。シエルもまた、既に魔法を撃つ構えをしていた。

 私たちから離れて十メートルほど。そこに、ニヤリと口が裂けんばかりに嗤う男がいた。毒嶋の時と同じく、印象を与えないような、薄い顔をしている。

 それなのに、気味が悪い。

 まるで、人間味が無いような――


「この短時間でオレの魔法を見破るとは、良い分析力をしてるなぁ」

「……お褒めに預かりどーも」


 私は僅かに姿勢を半身の状態に変えて、見えない死角となる部分で、手のひらに光の玉を作っていた。


「……あんた、別の人を追っていたんじゃないの?」


 シエルが鋭い視線を向けていた。言葉の中に隠し切れない毒があった。どこまでも毒々しく、卑しい毒だ。


「ああ、少しだけ、確認したことがあってな」

「……?」


 私は首を傾げた。

 コイツは、何を言っているんだ……?


「……にしても、まあ。よくこの闇市場を見つけたもんだ。流石は〈平和の杜〉、といったところか」

「お前は、自分のしたことを理解しているのか?」


 私は、パペットに問うていた。

 それは私が考えるよりも早く、口から放たれていたものだった。私は知りたかった。何故、コイツらは平然と人を殺せるのか。何故、命を軽んじることができるのか。

 魔法使いは、世界を狂わすのか?


「ああ? 何のことだが、正直わかんねえな。人身売買のことか? 闇金のことか? それとも、魔薬のことか?」


 パペットは鼻で笑った。


。お前らだって理解しているだろう。椚夕夜が、この世界を魔法使いの時代へと変えた。……いや、戻したと言ってもいい。俺は……俺たちは、この世界の覇権を握るのさ」

「…………そんなものが、命を軽んじる理由になるか」


 勘違いを、していたのかもしれない。

 何故、何故、何故――……。私は何度も魔法使いに問うてきた。そうして返ってくるのは、狂ったような、私たちの想像の枠外にあるような答えだ。

 けれども、答えはあると思った。私の‘‘何故’’は解消されると思っていた。――違った。その考えが、間違っていた。

 彼らは、理解できない化け物だ。

 私とは、違う生き物なのだ。

 だから、理解できない。狂っているように見える。それはあくまでも、彼らにとっての常識であるから。

 ならばもう、言葉は要らない。

 後は、もう――。


「シエルっ!」

光よLuzッ、天蓋なる力をPoder del dosel、」


 私の叫びと同時に、呼吸を合わせたかのように、シエルは対応していた。

 不思議に思う。まだ出逢って一ヶ月ほど。それでも、私たちの呼吸は合っていた。長年一緒にいたかのような。安心感があった。

 光の玉は、投擲し。

 視界を白で覆った。

 刹那。



「――そうか、



 ぐじゅっ、

 ………………………………は?

 脇腹が異常に熱かった。抉られるような。視界が、チカチカと。

 痛、いや、それより。痛痛痛。

 いま、聞こえた、声は。


「ぐっ……!?」


 ゆっくりと、振り向く。

 シエルは魔法を中断し、右肩を押さえていた。血が漏れ出る。長剣が見事に刺さっていた。――否。

 私にも、刺さっている。


「ごほっ……、」

「ニナっ……!」


 なん、で……。なんで――。

 私の先にいる、ミーシャが。

 そんな、気味悪い笑みを、浮かべている。


「――こんな演技に騙されるなんて、オレも中々の役者ってか?」


 二本の剣を交差するミーシャは――いや、パペットは嗤う。


「こんなナリが、パペットとは、思わねえだろ?」


 再び、一閃。

 それは、私の体を、斬り裂いた。


「ニナっっ――!!」


 意識が、暗転す――、

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