#015 闇の世界
「こ、こんばんわ……」
決行日は真夜中。〈平和の杜〉との邂逅を経て翌日。私たちは避難都市の地下下水道に集っていた。
秤さんを加えた私たちは、憲司さんたちと合流する。初顔合わせになる秤さんはがちがちに緊張した状態で憲司さんたちに挨拶していた。
「なによ、ハカリ。もっとしゃんとしないよ」
「む、無茶言わないでくれ……」
秤さんは、シエルを恨みがましそうに見ていた。声を潜めるように訴えた。
「昨日、急に帰ってきたと思ったら
「あっ、ちょ、くすぐったいから耳元で喋らないでよ……んっ」
「変な声出さないでくださいよっ」
顔を真っ赤にして秤さんは叫んでいた。私は気になって訊いていた。
「〈平和の杜〉って、そんなにすごいんですか?」
「すごいも何もっ。不殺を掲げ、魔法使いの闇を事前に食い止めるクラン。一部非難する人もいるけど、当時から僕たち魔法使いにとっては憧れだったよ。特に〈棘の魔法使い〉がカッコよくて、」
「秤さんって、ミーハーなんですね」
「あがっ」
秤さんは刺されたかのように胸を押さえ、崩れ落ちた。完全にショックを受けていた。
「え?」
予想外の反応に戸惑う。
シエルは呆れたといった表情を見せていた。
「とどめを刺したね……」
「え? なにを?」
閑話休題。
私たちがこれから向かうのは、闇市場。魔薬〈アサギ〉を売り捌いている〈傀儡の魔法使い〉がいる場所だ。
その闇市場は、まさかの避難都市の地下に存在していた。私たちは顕微さんたちの後ろについて行きながら、どんどん下へと降りていく。
地下の下水道のような道も、徐々に地下道へと変わっていく。
闇市場までは、それなりに時間が掛かるらしい。無言の時間もおかしい。必然的に私たちは雑談を交わすようになっていた。
「ねえ、ニナちゃん」
そう声を掛けられたのは、せりさんだった。
「はい」
せりさんはじっと私を見ていた。それから、面白可笑しそうに、訊いてきた。
「ニナちゃんはずっと昔からシエルちゃんとお友達なの?」
「え? いえ、ひと月半程度です」
「ふ〜ん、そうなんだ……」
「?」
せりさんの意図が理解できなかった。
「あ、特に質問に意味はないよ?」
せりさんは私の内心に答えるように言った。ミラさんといい、憲司さんといい。ここのメンバーはどうにも底が知れない。
「んっとね。ニナちゃんとシエルちゃん、すごく仲の良い友達みたいに見えたから」
「私と、シエルが……?」
私はシエルを見た。シエルはちょうどハトと話しているようだ。……いや、どちらかと言えば、シエルが一方的に話しかけている。ハトは勢いにあたふたとしていた。とりあえず程々にしてもらいたい。
私とシエルは、友達、なのだろうか?
そう問われると、言葉が詰まると思う。何故、だろうか。
シエルはハトの様子を見て、笑っていた。いつも見せる、シエルの笑顔。
けれど、シエルはきっと、
……わからなくなってきた。
「私、友達少ないので、よくわかりません」
「そっか。なら、私と同じだね」
せりさんは、ふふっと、笑った。
せりさんはもっと絡みづらいと思っていたが、人柄の良さそうな……
「私、小学校までしか通ってないけど、モテすぎて女子たちに僻まれて、よくいじめられたなぁ……、ああ、今思うと懐かしいね〜」
……内容が重すぎた。
「まあ、友達なんて、多い少ないなんて関係ないって、この年になると思うね」
せりさんはまだ若いのに、達観したような言い方だった。
「たった一人でもいいんだよ。私をわかってくれる人さえいれば。それだけで儲けものよ」
そう言って、せりさんはくすりと笑った。その笑顔は、とても大人びて見えた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
道路のように続いていた道は、一気に広がった。無数の柱で支えられた何もない空洞が広がっていたのだ。柱には一番上にアルファベットと数字が記載されていた。
「この下に闇市場がある。ここからは僕から注意点を話しておくね」
憲司さんは振り返ると、私たちに言った。
「闇市場では、自分の名前を口にしてはいけない。相手にも気取らされてもいけない。これだけは必ず守ってくれ」
憲司さんの言葉に続き、ハトが私たちに何かを渡してきた。大きな布だ。広げると、外套だった。体全体をすっぽり覆い尽くすほどのサイズ。
私は、外套を被りながら言った。
「どうして名を言ってはいけないんですか?」
「闇市場自体が、魔法使いの闇、そのものだから」
私の質問に答えたのは、ミラさんだった。ミラさんも外套を被るが、大きすぎるせいか、布を引きずる形になっていた。
「闇市場は素性を探らないのが、暗黙の了解。だからこそ、成り立つビジネスだから。わたしたちなんて、見つかったらフルボッコだね」
「フルボッコ……」
相当危険な仕事ではないか。
今更ながらその事に気づく。シエルの方を見ると、何故か笑顔を浮かべていた。ワクワクしていた、と言ってもいい。
「つまり、潜入捜査ってやつね。燃える展開だわ」
「漫画の読みすぎだよ、シエル」
思わず突っ込んでいた。
「けど、名前を言えないのは不便ですね……」
外套を被り終えた秤さんがそう言った。顔は隠れ、口だけが見える。妙に様になっている。元々陰の気があったためだろうか。
「それなら対策は立てている。コードネームで呼び合うって決めてるからね」
「コードネームっ!」
シエルはさらに表情を輝かせた。シエルの厨二心をくすぐる展開ばかりが続いている。
「一時的な偽名だね。僕はビショップってことで」
せりさんは酒飲み。
ハトはぴよちゃん。
ミラさんはクイーン。
……もっとまともな名前は無かったのだろうか。
「それじゃあ、ニナ。わたしたちでお互いつけ合いましょうっ」
「え、私たちで?」
予想外の言葉に私は顔が引き攣った。自分で言うのも何だが……私にネーミングセンスなど皆無だ。
「ニナはそうね……、陰の姫」
「は?」
「も、もちろんっ、冗談よっ?」
シエルの声がやや裏返って聞こえたのは気の所為だろうか。
「……うわっ、ニナちゃん、こわっ」
どこから(主にせりさん辺りから)か、失礼な言葉が耳に入ったが聞こえないふりをした。
「なら、マーナにしよう」
「まーな?」
シエルか出てきた聞き慣れない言葉に、私は首を傾げた。
「わたしの母国語でね、
「……なんか、私が妹みたいなニュアンスに聞こえるんだけど」
「当たり前じゃない。わたしのほうがお姉さんでしょっ」
「……まあ、いっか」
深く考えるのは止めた。
「えっと、僕は……」
所在無さげにしていた秤さんが言う。シエルは、ん〜と考えたあとに、ぽんと手を叩く。
「インキャにしよう」
「全力で却下したいんですけどもっ!」
「ネーミングセンス無いなぁ」
思わずボヤいてしまった。
結局、ゲーマー、という名で決定した。安直なんだか、嫌味なんだか。少し判別のつきにくいものになった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私たちはある柱の前に立った。そこには『B29』と文字が記されている。
憲司さんが柱に触れると、何もないはずの壁がすぅっと窪み、扉が開いた。隠し扉だ。
私たちは中へと入る。扉は閉じると、視界は黒に染まる。光が一つとしてない。同時に、一気に浮遊感が私たちを襲った。下へと降りていく感覚。時間間隔が曖昧になる。
「…………す」
「……?」
どこからか、声が聞こえた。
方向的に……シエル?
だが、シエルに尋ねる前に、扉は開かれた。遅れてやってきた光に私は目を細める。目が慣れるまで、少し時間が掛かった。
「ここが、――闇市場だよ」
「……!」
目の前に広がる光景に、息を呑んだ。
最初にあったのは、永遠に広がるかのような広さ。まるで地底世界かのように、地下とは思えない広さがある。次に人の多さ。埋め尽くさんばかりに、人が溢れている。皆、外套や仮面を被り、身分がわからないようにされている。彼らが全員、魔法使いであるのだ。
中心に立つ、天井に届くほどの構造物。その周りに広がる市場形式。店と店との間がゼロに等しく、市場だらけだ。怒声や掛け声、挙句の果てには悲痛の叫び声まで。不協和音が奏でる。
「……ここが、闇市場」
「ここで一度、分散しよう。ぴよちゃんを基点に散開していく」
ぴよちゃんはハトのことだ。一瞬誰のことだが、わからなかった。
「どうして、ハ……ちよちゃんなの?」
「……エル。ぴよちゃんだって」
「そう、ぴよちゃんっ」
シエルは慌てて言い直す。
「ここからは、ぴよちゃんの魔法を使うからね。ぴよちゃん、任せたよ」
「は、はい……!」
ぴよちゃん……ではなく、ハトは憲司に言われると同時に、目を瞑り、私の手を握ってきた。
「?」
「全員、手を繋いでくれ」
憲司さんが言う。シエルが真っ先に片方の手を掴んだ。輪になるように、私たちは手を繋いだ。
「……コネクト」
ハトがそう、紡いだ。
刹那、私の体に電流が走ったかのように、何かが
(何だったのだろう……)
「そうね」
「えっ?」
(ん?)
……何かが、おかしい。
(これがハトちゃんの魔法、〈心の魔法使い〉のコネクトだ)
頭の中から直接、憲司さんの声が聞こえた。憲司さんの方を見ると、まるで悪戯が成功した子供のようにニコリと返された。
(これからの通信手段はハトちゃんの魔法でのみ行う。念じるように語りかければ、ハトちゃんを通じて送り合うことができる。ハトちゃん、よろしくね)
「は、はい……!」
(いや、心の中で)
(は、はいぃ……!)
分散したチームは私とシエル、せりさん。秤さん、憲司さん、ミラさんとなった。一先ず、一時間。闇市場にて〈傀儡の魔法使い〉なる人物を探す必要がある。
(それにしても便利だわ。ココロの電話みたい)
(言い得て妙だねぇ。シエルちゃん)
秤さんチームと別れると、私たちは市場を歩くことになったが、頭の中ではシエルとせりさんが会話中。耳を閉じようとも、声は響くので少々厄介だ。
(ねえ、ニナ。ニナもそう思うでしょ?)
(…………)
ここは徹底的に無視だ。
シエルは楽しそうに私の名前を呼ぶ。新しい玩具を遊んでる子供だ。やがて、ニヤリと笑った。
(ニナは隠れきょに――ごほっ!?)
素早くシエルの胴体に掌底を叩き込んでいた。シエルは青い顔を浮かべながら、それでも微笑んでみせた。そのタフさには一種の尊敬すら覚えた。
(へぇ、これはまた……なるほど……)
私がシエルに意識を向けられた一瞬を狙い、せりさんは私の背後に回り込み、胸を揉んでいた。うんうん、と頷いていた。
(これはズバリ、推定い――)
(遊ぶ暇があったらさっさと動きますよッ!)
私は足早に二人から離れてしまった。
(ま、待ってよ、ニナ〜〜〜〜!)
(うん、良きかな良きかな……)
前途多難だ。はっきりと、悟った。
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