#010 それを譲れないものと呼ぶなら

「クソっ……! あの小娘ェ……」


 毒島は低く唸っていた。その様子を傍から見れば、飢えた獣のように見えただろう。

 右腕は肩から切断させている。一時的な処置がなされ、無秩序に包帯が巻かれていた。怒りと憎しみは、滾るように溢れていた。

 部下も倒され、天秤も奪われる。自分にとって都合の悪いことはたてつづけに起きるものだ。


(天秤だってなァ――……)


 元凶は、天秤だ。

 最初から、天秤なんて必要なかった。天秤は元々、毒嶋の上司が欲しいと口にしたからだ。そうして、持ってきたはいいものの。


『う〜ん、やっぱり要らないや』

『……は?』

『あげるよ、それ』


 まるでゴミのように、天秤を返した。その時、毒嶋は気づいた。この目の前の上司――少女の皮を被った化け物は、魔法自体を目的としていた訳ではない。奪うという行為が、目的だった。

 天秤のチカラは、そこそこ使えた。

 毒嶋も、何度か使った。

 だが、毒嶋は天秤を奪われたことよりも、右腕を切断されたことよりも。何よりも。

 小娘に逃げられた。

 それが毒嶋のプライドを傷つけた。


「――律儀に私を待ってたの?」


 毒嶋のいう『小娘』は再び現れる。

 既に満身創痍といった様子か。先程の自身の付与もされているワケでもない。やや息も荒れている。

 それでもなお、毒嶋の前に現れた。


「……良い度胸じゃねえか」

「女は度胸って言うでしょ?」

「それを言うなら愛嬌だ」


 軽い対話。これに全く意味がないのは、ニナたちはわかっていた。ただお互いの体裁を整える時間。

 ニナは指先に光の球体を出現させた。殺傷力は無きに等しい。

 だが、毒嶋のスイッチは切り替わっていた。冷酷に、敵を排除する。目の前の敵は、確かに小娘だ。それも、魔法も拙い。

 それなのに、だ。

 毒嶋はニナを、ある人物と同じ毛色だと感じた。そう、思えることでスッキリしてしまったみたいだ。

 あの、少女の皮を被った化け物と、同等の雰囲気。

 沈黙は、一瞬。


「ふぅ――……、」

「……」


 直後、激突。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 どうして、戦っていたんですか――?



 核心を突く言葉だった。その言葉は文也が何重にも重ねていた心の壁は呆気なく貫き、ズシンと響き渡った。

 どうして、戦うのか。突き詰めれば、戦うための理由。その理由を、文也は答えることはできなかった。できなかったことに、驚いた。

 おそらく、元々崇高な理想を抱いてた訳ではないのだろう。過激派、穏便派という区別があった訳でもなく。

 ならば、自分は何のために戦っていたのか。

 不思議と、答えが出ない。

 否、答えは在るのだ。ただ、文也自身が気づかないだけ。かつてはあった目的が、いつの間にか瓦解していたのだ。

 もっと単純だったはず。


「……うッ、ごほ、」


 隣のソファで横たわるシエルは毒が回り、吐血している。先程よりも、さらに顔色は悪くなっていた。仮にライフゲージのような数値が見えるのなら、間違いなくレッドラインを示しているはず。

 完全なる、瀕死の状態。

 シエルは、目を開く。重体であるはずなのに、起き上がろうとする。文也は慌ててシエルを寝かせる。


「何、してるんだっ」

「ニ、ナは……?」


 シエルから、絞り出すような掠り声が聞こえてくる。


「……新崎さんは、」

「ま、さか――、」


 シエルは目を見開く。文也が言う前に、察したのだ。シエルは自分の体も気にせず、一気に起き上がろうとした。文也は、止めていたはずの言葉を発した。


「新崎さんは、貴女の為に、毒嶋を倒しに行きました」


 ピクリ、と。

 シエルの動きは、止まる。


「貴女が死んでしまえば、新崎さんの行為が、無駄になる」

「……なら、」

「――!」


 文也は息を呑んだ。いつの間にか、シエルに胸ぐらを掴まれ、目と鼻の先まで顔を近寄らされていた。羞恥も起きない。ただ、目の前の美しき容姿に、言葉を失う。金の瞳が、大きく揺れていた。


「ニナを、助け、てっ……!」


 悲痛な訴えだった。

 その時、文也は、

 自分の戦っていた理由を――。


「……はいッ」


 同時に、文也は頷いていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 霧。風。続いたのは、液体。

 毒の水、とでも言おうか。透き通るような毒々しい紫。それは水滴のように、弾丸のように。棘のように。無数の毒が私に矛先を向けた。


「ポイズンショック――、」


 直後、それらは放たれた。


「っっっ!!!」


 私は一気に地面を蹴り出す。マーシャル・アーツ。身体能力を極力まで引き上げ、無数の毒を回避しようとする。


「逃げられると思うなッ!」


 毒嶋は毒を操作する。ガトリング砲のように、弾幕が敷かれ、私を追っていく。壁を蹴り、ジグザグに避けながら、どうにか毒嶋に近づこうとするが、間合いに入れない。そもそも、距離を縮めることすら叶わない。

 というか、どうすれば、勝てる?

 私の攻撃手段なんて、たかが知れている。毒嶋の右腕を吹き飛ばした光の刃も、出そうとしているが出ない。多分、無意識だった。意識すると、全くできない。できる気配がない。

 ついでに、自身の付与もできない。

 私の攻撃手段は無く、光の目くらましだけ。……あれ? 詰んでないかな。


「どうしたッ! そんなもんかァ!」


 そんなもんだよ……!

 と思った瞬間、着弾した毒が弾けた。毒の欠片が私の肌に付く。同時に、激痛が走った。


「っづっッ……!」


 肌が、焼ける。溶けるような、痛み。一部分が熱で爛れる。痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い――。


「痛っ、たいんだよッ――!」


 火事場のなんちゃら。地面に転がっていた石ころを、蹴った。


「なっ――!」


 それはマーシャル・アーツの脚力をもって、弾丸のごとく毒嶋に向かう。毒嶋は咄嗟に毒の弾幕で防ごうとするが、バンッと、弾かれる。

 石ころは偶然か、付与がなされていた。光輝く膜に覆われていた。


「ちっ、」


 毒嶋は回避する。だが、完全には回避ならず、石ころは肩に打撃を与えた。


「っ……!」


 毒嶋の表情が歪んだ。

 今だ――!

 それは、私にとってチャンスと言えた。無数の毒が晴れたのだ。それを認識すると、私は強く、深く、地面を蹴り出した。


「行ッ、けッッッ――!!!」


 鋭く、突き進んだ。

 それは爆速を持って、毒嶋のもとへ向かう。毒嶋の驚いた表情が見えた。このまま、一撃。どうやって、一撃を加えるか。そんなことも考えず、とにかく一撃。殴るでも蹴るでも。この際、頭突きでもいい。

 進めッッッ――!!!

 刹那、光が、灯った。



「がハァッ――!?」



 私の拳が、毒嶋の胴体に突き刺さっていた。悲鳴の声が、頭上から聞こえた。

 遅れて、自分の体が光輝いていることに気づいた。自身の付与。この瞬間で発動することができた。


「くっ、チッ――!」


 毒嶋は私を睨みつけ長は、毒の水を変幻自在に操作し、その一撃を私に向ける。


「まだっ!」


 もう、一発――……。

 ズキッ。


「っっ、」


 ここに来て。私の体が先に限界を迎えた。自身を纏っていた光も失われ、足が沈んだように動けない。重い。重く、辛い。

 マーシャル・アーツの酷似。私がマーシャル・アーツを使い始めたのは今日が初めて。流石に、体が持たなかった。

 毒嶋も察したのか。それを好機と見た。


「終われッ!」

「――!」


 毒の水は、私に降りかかろうとして。



 突如、消滅した。



「なっ、」


 毒嶋は息を呑む。私はその隙に掌に集めていた光の球を放つ。毒嶋の眼前まで迫ると同時に、ぱっと光った。


「ぬッ――!」


 目くらましは成功した。毒嶋の身体は蹌踉めき、私は後方へ下がることができた。


「くそ、がッ! 誰だッ――!」


 先程、毒嶋の魔法が消滅した。私は何もしていない。何かをする余裕もなかった。きっと、また別の人物。

 それは、まさかの――。


「ボクです。毒嶋」

「てめえ、は……」


 毒嶋は背後に振り向いた。私の視線の先に、現れていた。手に金の天秤を持つ、男。


「……秤、」


 秤文也は、現れた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「……何しに来た」


 毒嶋は、秤にそう告げた。


「……」

「何をしに来たと、聞いている」


 毒嶋の言葉は、重く、怒りすら込められていた。言外に何を告げているのか、よくわかる。

 曰く、今更何故戻ってきた、と。


「本当に、お前も、小娘も、あの金髪女も、クソ上司も、何を考えているか、さっぱりわからない。俺は、お前たちを到底理解することができない。到底、受け付けることができない」


 毒嶋は、毒々しい言葉を吐いた。

 文也は、大きく深呼吸した。それから、ようやく毒嶋に視線を向けた。


「ボクにだって、譲れないものがあった」

「ははっ、笑わせるな。譲れないものだと? 逃げたお前が?」


 鼻で笑う毒嶋に対しても、文也は決して視線を逸らしはしなかった。ニナは微かに目を見開く。堂々とした振る舞い。その姿は最初に出会った弱々しいイメージと、ズレを生じさせた。


「ボクは、椚夕夜とか、三大クランとか、キミたちのように、強くなりたいなんて、一度も思ったことはなかった」


 最初から、諦めていた。

 そんなことを考えることも、おこがましいと思っていた。


「ボクは、ゲームができて、仲間と笑って、たまに、弱き人の味方をする。それだけで、良かったんだ」


 金の天秤を、突き出す。


「そんな当たり前の世界の、住人になりたかったんだ、ボクは」

「…………くく、はははッ、」


 毒嶋は、笑う。笑い、けらけらと。

 そして。


「――戯言を」

「……戯言かどうかは、戦って決めよう」


 文也は、天秤を揺らす。



「――ボクは〈天秤の魔法使い〉、秤文也。ただの、魔法使いだッ」

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