第1章 桜の舞


 温かな日差しを受けながら、路面電車がビルの間を通り抜ける。その大通りから一本裏道に入ると、竹林に囲まれた和風の屋敷が静かに佇んでいる。


「こ……此処だよね?」


 僕は手元のメモに書かれた地図を何度も確認をする。そして目の前の屋敷を見上げ、唾を飲み込んだ。地元では古い日本家屋に住んでいたが、此処のお屋敷は実家よりも遥かに広くて大きい。その規模に圧倒される。これから此処に立ち入らなければならない。

 この屋敷に住む尾崎先生に助けを求めて訪れたのだ。あの後、鬼瓦さんから尾崎先生のことを紹介された。急いで自宅に帰りスーツに着替え、重箱に中身を詰め風呂敷で包み屋敷へとやって来たのだ。臆している場合ではない。何としても今日中に、お孫さんを発見しなければならない。


「すぅ……はぁぁ……よし!」


 深呼吸をして緊張を和らげる。鬼瓦さんから命綱と言われた風呂敷包みを抱え直し、屋敷の門を通りぬけた。


「ご、ごめんください!」


 覚悟を決め、玄関扉の前に立つと呼び鈴がない事に気が付いた。仕方がないので、扉に向かい声を張り上げた。


「……お留守かな? 鬼瓦さんは何時も家に居るって言っていたけど……」


 静かな屋敷に僕の声だけが虚しく響いた。如何やら留守のようだ。此処を僕に紹介してくれた編集長の鬼瓦さんは、常に家に居るから大丈夫だと言っていた。


 もしかしたら散歩かもしれない、僕は先生の事を待つ事にした。彼だけが唯一の頼りなのだ。


「……うぅ……」

「……? ……」


 不意に玄関扉の奥から唸り声が聞こえた。何かの動物だろうか?確かに動物なら鋭い嗅覚や気配で、初対面の人間が来れば警戒をする。

 きっと主人の留守中に訪れた僕を怪しんでいるのだろう。動物を長時間警戒させるのはストレスになる。そう思い玄関から離れようと、一歩後ろへと退がった。すると目の前の玄関扉が勢い良く開いた。


「…………」

「あの……えっ? あれ? あ! それはっ!」


 扉から現れたのは、銀髪に着流し姿の男性だった。俯いているので表情を窺い知れない。彼が尾崎先生だろうか?そうと言えるかも知れないが、違うかもしれない。確証はないが屋敷の中から現れたということは、先生の関係者である可能性は高い。

 僕は彼に話しかけようとしたが、ふと腕の中が軽いことに気が付いた。手元を確認すると、先程まで僕の抱えていた筈の風呂敷を男性が掴んでいた。如何して彼が僕の荷物を持っているのか何時彼の手に渡ったのか、言いたいことは沢山あった。しかし驚いた僕に出来たことは、風呂敷包みを指差すことだけだった。


「稲荷寿司だな」

「え?そ、そうですが……」


 男性は風呂敷包みを開けることなく、その中身を言い当てた。思わずその言葉を肯定した。


「頂くぞ」

「えっ!? あ、ちょっと待ってください!!」


 一方的にそう告げると、ひらりと踵を返し彼はそのまま屋敷の中へと入ってしまった。その風呂敷包みの宛名は尾崎先生であり、事件を解決する為の重要なアイテムなのだ。勝手に食べられては困る。風呂敷包みを返してもらうべく、僕は彼の後を追い玄関へと足を踏み入れた。


「お、お邪魔します……」


 つい先ほど、銀髪の彼が入った筈の玄関には僕一人だけだ。人様の家である為、許可なく上がることは躊躇したが風呂敷包みを返してもらわなくてはならない。一声かけ、靴を脱ぎ揃えると廊下を歩き始めた。


「あのぅ、何方かいらっしゃいませんでしょうか?」


 庭に広がる竹林を眺めながら、イグサの香りが漂う長い廊下を歩く。声をかけながら進むが、いざ誰かと遭遇した場合に僕は不法侵入になるのではないだろうか。警察を呼ばれ事情聴取で時間を消費するわけにはいかない。

 今日中に事件を解決しなければ僕はクビだ。そう心配しながら歩き続けていると、唯一襖が閉まっている部屋へと行き着いた。


「此処かな?」


 今まで通り過ぎてきた部屋はどれも、襖が開け放たれていた。しかし誰とも遭遇をしなかった。僕が探している銀髪の彼が居る可能性が高いのは、この部屋ということになる。だが勝手に開けるのは失礼だろう。彼が居るという確証を得なければならない。僕は声をかけるべく、恐る恐る襖へと近づき口を開いた。


「入れば良かろう?」

「えっ……」


 男性の声が響くと、目の前の襖が音もなく開いた。僕は開いた口を金魚のように、ぱくぱくとさせた。最近の襖は赤外線センサーか、音声認識で開くシステムなのだろうか?僕は鴨居や長押を見上げるが何も機器が無い。そのことを不思議に思いつつも部屋へと視線を移した。


「あ!! 稲荷寿司が!!」

「美味かったぞ」


 部屋の中では探していた銀髪の男性が座卓の前に座っていた。そして座卓の上に並ぶ空になったお重箱たち。僕はそれを見つけ、叫び声を上げた。


「馳走になった」

「うぅ……はぁぁぁ……お口に合って……良かったです……」


 空のお重に対して、丁寧に手を合わせる銀髪の男性。鬼瓦さんから言われ用意をした、風呂敷包みの中身は稲荷寿司だった。そしてそれらを全て平らげてしまった彼。その事実に僕は膝から崩れ落ち、畳に倒れ込んだ。

 そのままの体制から動けず、彼の感想には力なく返事を返した。本当はそんな元気はなかったが、『美味しかった』と感想をくれる人を無下にも出来ない。男性は如何やらお腹が空いていたようで、持参した稲荷寿司は全て彼の胃袋に収まってしまった。

 鬼瓦さんから命綱と言われ、用意した稲荷寿司を失って大丈夫だろうか?いや、命綱ということは必要な物であるのは明白だ。僕の依頼を引き受けて貰えない可能性が浮上した。その考えに至り背中に嫌な汗が伝う。


「さて、自己紹介がまだであったな。私は尾崎恭介おざききょうすけ。この家の主人だ」

「……えっ……尾崎先生でいらっしゃいますか!? 本当に!? あ、初めまして。僕は早乙女春一と申します!」


 男性の言葉に僕はゆっくりと身体を起こした。彼は僕の言葉を肯定するように頷いた。如何やら目の前の男性は僕が頼って、訪ねた尾崎先生だったようだ。無事に会う事が出来た事に、胸をなでおろすと歓喜をしながら自己紹介をする。


「ふむ。春一、依頼で参ったな。それは面白い事か?」

「……え……」


 彼の言葉に僕は素直に驚いた。


 僕は名前も今名乗ったばかりだ。それに尾崎先生は小説家だ。初対面とはいえ、普通は編集者や関係者だと考えるのではないだろうか。訪れた人間を『依頼』で来たと、判断出来るのは何故だろう?


「不思議か? 簡単な事だ。お主は大学を卒業したばかりで、本来向かうべき職場に赴けない理由があり此処に来た。その事は真新しいスーツに靴を見れば分かる。仕立ての良い物を着るには、それなりの給金が必要だ。その様な職を得ている人間が、昼間から私を訪ねる理由は一つだ。加えて私の編集担当は長続きしない。故にその役は不在であり、此処を訪れる者はごく限られている。最後に稲荷寿司を持参したという事は、鬼瓦からの紹介だ。つまり、お主は確かな依頼主だ」

「す、凄いです!! その通りです!!」


 すらすらと淀みなく言葉を紡ぐ尾崎先生。何も話していないのに僕の事は勿論、疑問に思った事まで説明をしてくれた。この人なら僕が抱えている問題にも答へと導いてくれるだろう。そう思うと嬉しくて身を乗り出した。


「……まぁ、この程度造作もない」

「そうなのですか!? 流石です!!」


 菫色の瞳を見開く先生、驚かせてしまったようだ。僕は座り直した。


「それで、その依頼は面白いのか?」

「面白いかはわかりませんが。尾崎先生は最近起きている、児童連続失踪事件をご存知ですか?」

「知らんな」

「……ご説明しますね」


 先生は意外にも事件の事を知らなかった。僕は説明をする為に口を開いた。


「児童連続失踪事件は、名前の通り児童が連続して失踪している事件です。目撃情報から、犯人とされる者は現行犯で三日前に逮捕されました。しかし犯人は他の誘拐に対しては容疑を否認し、子ども達は誰一人として発見されていません」


 この事件で居なくなった子ども達は十人以上にもなり、日々テレビや新聞を初めネットニュースなどで取り上げられている。被害者の子ども達の付近で目撃されていた不審者が、連れ去ろうとした現行犯逮捕されたのだ。その知らせに皆が安堵したが、新たな問題が発生した。

 それは犯人が最後の事件以外を否定し、子ども達が見付からないのだ。


「つまり、その童達を見付けろという事か?」

「はい」


 尾崎先生が僕の求める言葉を紡いだ。流石は先生である話が早い。僕は素早く頷いた。


「断る。つまらん」

「……え……」


 僕の期待をバッサリと切り捨てるかの様に、冷たく言い放たれた。


「……っ! 面白いか面白くないのかの問題ではありません!! これは死活問題なのです!!」

「知らん」

「被害者達である子ども達を見付け出させないと、会社をクビになるのです!! 会長のお孫さんが被害者の一人でして、オリエンテーションで突然出会っただけの僕に探すように命じたのです! しかもこれ正式な辞令なのです! お孫さん見つけないとクビになり路頭に迷う事になるのですよ!? それに今日が期限日なのです!! 助けてください!!」

「知らん」


 断り続ける先生に対して、僕は必死に言い募る。


 そう僕は新人研修前のオリエンテーションにて目が合っただけで、会長からお孫さんを見つけ出さなかったらクビと告げられたのだ。一体僕が何をしたと言うのだろう?突然不当な事を言われ、更にはそれが正式な辞令として下された。無慈悲である。

 加えて、期限は一週間ときた。警察が全力で探していて見付からない者達を、大学を出たばかりの僕に見付けられる訳がない。完全に詰んでいる。そして注意散漫なところを鬼瓦さんに助けられ、尾崎先生を紹介され稲荷寿司を作って来たのだ。此処で諦めるわけにはいかない。


「何でもしますから!! だから、お願いします!!」


 藁にも縋る思いで叫び、頭を下げた。


 会長のお孫さんや、子ども達を探し出す動機が不純で大変申し訳ない。しかし、僕の生活もかかっているのだ。それに動機を偽ったところで尾崎先生には、その事はきっと見抜かれてしまうだろう。正直に話すのが一番だ。今日が運命の期限日なのだ。田舎の皆は僕の上京を応援し喜んでくれた。こんな事で逃げ帰るなんて出来ない。


「……良いだろう」

「……えっ!? 本当ですか!? 先生!!?」


 少しの間があり尾崎先生から、了承する返事をもらえた。僕は勢い良く頭を上げた。


「嗚呼、引き受けよう。但し、お主も『何でもする』という約束を守れ」

「は……はぃ……」


 菫色の瞳を細め愉快そうに笑う先生。


 何でもするというのは勢いで出てしまったが不味かっただろうか?しかし今は、先生が僕の依頼を引き受けてくれた事が大事なので、同意するように頷いた。



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