三題噺、ガム、告白、絵本

 クチャクチャとガムを噛む音を響かせながら、ガリガリと紙にペンを走らせる。

 紙には可愛らしい絵が幾つも書かれており、けれど書く度に顔は歪んでしまう。


「あー・・・なんか違うんだよなぁ・・・」


 気に食わず唸る様に呟き、描く場所がなくなった紙を放り捨てる。

 そして雑に置かれたコピー紙に手を伸ばし、またガリガリと絵を描き始めた。

 また先程と同じように可愛らしい絵が綴られて行き、その度に眉間に皺が寄る。


「あー! もうダメ! 今日無理! 思いつかない!!」


 先程と同じく納得がいかず、その紙をポイッと上に向けて投げ捨てる。

 可愛いものはかけている自信はある。けどそれだけでしかなく何かが足りないと。

 万歳の体勢で「ああああ!」と喚いていると、スッと背後に誰かが経ったのを感じた。


「煩い」

「いでっ」


 その人物は俺の後頭部にチョップを叩き込み、呆れた様な溜め息を吐いた。

 包丁を肩に担いだ奥さんが、中々に迫力のあるお顔で見下ろしておられる。

 はっきり言って怖いので、せめて包丁は置いてきて欲しい。


「騒いだら近所迷惑って何度も言ってんでしょうが、馬鹿たれ」

「すみません・・・」


 震えあがるような眼光で注意をされ、小さくなりながら謝った。元ヤン怖い。

 因みにここで下手に逆らうと、今度は包丁の背が飛んで来ると知っている。

 一度どうにも機嫌が悪かった時に怒鳴り返したら、思い切り殴られたので間違いない。


「ったく、どうしたってのよ・・・可愛いじゃん。何がダメなのこれ」

「いや、何がっていうか、何かダメなんだよ」

「あー、出た出た、絵本作家先生様の『何かダメなんだよ』だ。面倒臭い」

「面倒臭くてすみませんねー」


 面倒だと言いながら俺が捨てた紙を拾い集める彼女に、唇を尖らせながら言い返す。

 ただ彼女は拾う度に絵をじっと見つめ、その度に口元が緩んでいる。

 俺の絵を楽し気に、時々「これ好きだな」という呟きを漏らしながら。


 思わず自分の唇の端が上がる辺り、自分は凄まじく単純な人間だと思う。


「君はホントに俺の絵が好きだね」

「ん、だって可愛いし、優しいし、好きだよ」


 まるで告白の様に告げる彼女の言葉と笑顔に、何時まで経っても少し照れてしまう。

 とはいえそれは『絵』に対してであり、俺に対してではないのだが。


「書いてる本人はこんなに可愛くなくて、かっこ悪くて、臭くて、残念な人なのにね」

「ねえ旦那に向けて辛辣じゃない?」

「でも事実だし」

「事実でも人は傷つくんだよ?」

「はいはい、けど大好きですよ」

「絵の時の笑顔も無ければ声に心も籠ってないんだよなぁ!」

「騒ぐな煩い」

「あでっ」


 妻の仕打ちに嘆いていると、またチョップを食らった。今度は強めの。

 俺は我が家で弱音を吐く事すら許されないのか。こんな理不尽があっていいのか。

 泣きそうになりながら机に突っ伏していると、背後から「はぁぁ」と大きな溜息が響く。


 すると唐突にグイッと襟首を掴まれ、起き上がらせられると同時に柔らかい物が唇に当たる。


「んっ」

「――――」


 妻の顔が目の前を占領し、彼女の舌がぬるりと入り込み、俺の口内を蹂躙していく。

 抵抗出来ずにそれを受け入れていると、暫くして彼女は口を放した。

 俺の口の中にあったガムを咥え、くちゃくちゃと嚙みながらニヤッと笑って。


「機嫌治ったみたいだね?」

「そ、そんなに単純じゃないって」

「そ? まあ別に良いけど、あんまり騒がないでよ。ご近所さんに頭下げるのは私なんだから」


 ヒラヒラと包丁を振りながら背を向ける彼女に何も言えず、ただ見送るしかなかった。

 彼女へ吐いた言葉とは裏腹に、機嫌が直っている自分を悔しいと思いながら。


「私の大好きな絵本を描く作家先生の事も愛してるから、頑張ってね」


 そして扉を閉める際にニコッと綺麗な笑みを見せ、彼女は去っていった。


「酒くせぇ・・・」


 料理しながら飲むなよ。俺はそれぐらいしか文句が言えなかった。

 旦那より男前な奥さんってなにも勝てる気がしないから勘弁して欲しい。

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