1-9 魔法には


 さて、空の上は風の音色に覆われているが、下の王都は蜂の巣をつついたような騒ぎである。


 とりあえず空から見れば混乱具合から魔法使いのいる場所は一目瞭然だ。ナグもそちらに向かって足を進めている。


「……今更だけど、俺お前と一緒に前線に立たなきゃダメ? 物陰から見守ってたいんだけど」

「味方がパニックになるよ」

「……守れよ」

「僕を誰だと思ってるんだ。第一子だよ? 第二子ごとき、ハンデを負っても負ける気しないね」


 いや負けるなんて思ってねーよ。守ってくれよって言ってんだよ。俺を。


 ナグは赤い目を弓なりに細めて思わせぶりに笑った。


「現場に着いたら、大雑把でいいから指示出ししておくれ。分かりやすく従ってることを示せるから楽だよ」

「え、下手に動き制限してやりにくくならない?」

「第二子程度なら大丈夫でしょ」


 なら良いが。

 悲鳴や怒号が聞こえる。現場はもう近い。


 見下ろせば、逃げ惑う人々が見えた。軍人も結構集まっている。街中だから大規模な武器は持ち込めないし、王都に魔法使いが現れるなんて建国聖戦以来の出来事だ。つまり相当珍しい大事件。

 そう考えると混乱を少なく抑えている方だろう。今回の最高指揮権を持っているのはあのダワイ参謀長だろう。友人が少ないからその手の噂に疎い俺だが、やり手な人なのかな。


「降りるよ」

「おう」


 返事をする。


 と、いきなり足場が消えた。


「へ?」


 すんっと体が重力に従う。空気が下から上に向かって肌を撫でた。


「ッわあああああああああああああああああ」

「うるさい」


 うるさいって言われても。


 落下独特の恐怖が俺の芯を突き抜けて、しかし次の瞬間ふわっと体が空気に受け止められた。

 ナグの方はダァンッと石畳を砕いて豪快に大通りのど真ん中に着地している。ヒラリと黒いレースのスカートが遅れて舞い降りて、更にチャラチャラと拘束具のベルトが重そうな音を立ててひっ下がった。


 目の前には長髪の美麗な青年魔法使い。

 背後には飛び道具を構えた軍人達。


 虚を突かれたのか、場が一瞬静まり返る。

 その場だけから、喧騒が遠のいた。多分これを狙ってわざとこういう降り方をしたんだろう。事前に言ってくれ。


 俺はナグの目配せを受けて声を張り上げた。


「第三軍参謀長直轄、ヨーテ二等兵だ! この魔法使いは引き受けるので市民の避難誘導に回ってくれ、第三軍参謀長の命令である!」


 もう一度それを繰り返す。

 言い終わるのを待たずに、ナグが魔法使いに向かって走り出した。魔法使いもすぐに手を翳し、呪文を唱える。


 何かが顕現する前にナグの跳び蹴りが炸裂した。あら、意外と野蛮。

 魔法使いは咄嗟に両腕を横に広げ、光の盾を展開する。長髪が光を散らしながらパッと宙を舞った。あっちの方が魔法使いっぽいぞ。


 しかしパリーンッと音を立てて光の盾は砕け散る。そのままナグの細い足が魔法使いの顔面に突き刺さった。勢いのまま張っ倒し、顔を踏み台にして宙返りをして俺の下に戻ってくるナグ。

 ガッチガチに拘束具を付けられてるのによくやるな。


「……どうだ?」

「どうって? 殺せるかって問いなら余裕だけど。あの魔法使いの状態なら、まあよくある栄養失調とか暴走とかじゃない? 詳しいことはちゃんと調査しないと分からないけど」

「ふわっふわだな。とりあえず建物の被害を出さないように上手いこと殺してくれ」

「ふわっふわだね」


 ナグは頷いた。


「うーん、どうにでも料理できるけど、大技をぶっ放したい気分」

「おい建物の被害出すなよ?」


 ナグはうんうんと考え込んでいて、聞いてるんだが聞いてないんだかよく分からない。おい聞け。

 やがて、パッと顔を輝かせた。


「僕の十八番おはこ使ってあげる。腕のやつ取っていい?」

「え、再三言うが被害出すなよ? 修理代とか請求されたら困るんだ。守れるなら良いけど」

「君、小心者なんだか図太いんだか分かんないな。おっけ、守る守る」


 軽く何度も頷くナグ。

 いまいち信用できないが、まあ良いだろう。

 ガチャガチャと腕を拘束する拘束衣のベルトを外してやった。


 その間も魔法使いはビィインッとかバチバチィッとかえらい物騒な音を立てて光線を放ってきているが、ナグが魔法を使っているのか全部途中で藁に変わっている。

 ふわふわハラハラと落ちてくる藁がシュールだ。どうしてそれをチョイスした?


 拘束衣を解くと、ゴシック調のゴツいベルトと黒いレースの隙間から小さな手が出てくる。手は一番に拘束する部分だから、ナグの場合は手が解放されている状態の方が極端に少ない。

 くーっと伸びをするナグは見たことがないくらい清々しい表情をしている。飄々としているが、やっぱり何だかんだ相当ストレスは溜まるんだろうな。


「で、どんな魔法を使うんだ?」

「まあ見てなよ」


 痺れを切らしてか、魔法使いが突っ込んでくる。

 今更だけど、魔法使いはにまにまと狂ったように笑んでいて、口から出るのも言葉だというのは分かるのだが、ハッキリした動きの割にムニャムニャと不明瞭な声で、明らかに正気じゃない感じがする。歌っぽく聞こえるのが不思議だ。気のせいだろうか、体の動きもどこか引き攣っている気がする。


 ナグはふわりと両手に淡い光を纏い、向かってくる魔法使いに同じく突っ込んでいった。

 勢いよく振り下ろされるワンド──魔法使いの杖──を、ナグは頭だけ傾けて避け、手で受け止める。


 触れた瞬間、触れた部分からワンドがニュラリと変形と変色をしだした。

 咄嗟に魔法使いが手を離し、落ちるワンド。高らかに音を立てて石畳に当たる頃には、それは金塊になっていた。


「……錬金術かよ」


 触ったものが金に変わるとか、一儲けできそうだな。


 ナグは小柄な体で次々と手を伸ばし、魔法使いの足を掴めば足がドロリと金色に溶け落ち、髪を掠めればパラパラと金箔が降り注ぐ。なんとも奇妙な光景だ。


 幽閉されていた時から思っていたが、ナグの魔法は呪文も唱えなければ変化も唐突で華々しさに欠け、魔法らしくない。

 下手すると「え、今魔法使ってたの?」くらいに気付きにくいものも多かった。

 俺が見たことのある魔法は、どれもこれもゾッとするほど美しく派手で分かりやすいのに。


「麗しの我が母君曰く」


 ナグが口上を述べる。

 魔法を使う時の決まり文句だ。


「魔法とは観念である。概念ではない。豊かさを要するものであり、豊かさを食い潰すものである」


 ナグはどんなに些細でも魔法を使うとこれを言う。たくさん使う時は全部使った後に纏めて言うけど、言わなかったことはない。

 長いから面倒くさいとぼやいていた。面倒くさいから魔法は最低限しか使わないのだと。


 確かに長い。その上、割と言うたびに内容が違う。言ってることも小難しいし。哲学かな。


 確か以前は、魔法とは愛ではないとか魔法とは活動であるとか、意味分かんないことを言っていた。

 だからとりあえず俺は聞くたびにこう聞くようにしている。


「それはどういう意味なんだ?」

「つまり魔法には心を使うんだよってことだよ」


 どういうことだよ。


 何が「つまり」なのか、関連性がいまいちよく分からない。

 彼女曰く、これを言うと楽に魔法が使える、謂わば呪文みたいなものなのだそうだ。だったら呪文唱えろよ。意味が分からない。


 俺が分かることは、とりあえず彼女が普通の魔法使いとはどうやら違うらしいということのみだ。

 好き好んで人間に捕まってる時点で分かり切ってることだな。


 ナグはガンッと足を振り下ろし、石畳に魔法使いを押さえつけた。

 両手はまだ淡い光を纏っている。首を掴めば、勝負は終わるだろう。


 それを忠実に実行しようと、ナグが手を伸ばした。


「ナグ」


 俺は咄嗟に声をかける。

 特に危機感を覚えたわけでも、必要に迫られたわけでもなかった。ただなんとなく、声が出た。


「なぁに、ヨーテ」


 ナグは油断なく魔法使いの後頭部を踏みつけ口を塞ぐことで呪文を封じ、こっちを振り返る。


「やっぱり生け捕りにしよう。できるだろ?」

「ええ、我儘だなぁ。まあ良いけど」


 俺の気まぐれに、ナグは軽く頷いた。


 ナグがパッと手を振ると、押さえつけられていた魔法使いが古臭い縄でぐるぐる巻きに縛られる。あっという間に動けなくなった。

 実に鮮やかな手並みだ。


 俺の計画変更で新しく魔法を使ったからか、ナグがまた口上を述べる。


「麗しの我が母君曰く、魔法とはリスクである。生きとし生けるもの、持てる資源は皆等しく、魔法に資源を使う程に魔法使いは何かを捨てている。曰くそれは充実である」

「……なにそれ」

「つまり魔法には心を使うんだよってことだよ」


 やっぱり意味は分からなかった。


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