1-8 矢面に出すな


 敷地の外にはお偉いさんよりも何だか偉そうな軍服を纏った人がいて、ナグは迷わずそちらに向かっていく。にまにま笑ってスキップするような軽い足取りで歩く様は、まるで友人の下にでも遊びに行くようだ。


 ナグが居心地悪くついていく俺に耳打ちしてくる。


「たまにあるんだ、こういうの。彼の国が荒らされるのは僕も本意じゃないから、まあやばそうな時は従ってる。あまりに便利使いされそうだったら遣いの奴を殺して送り返してるけど。最近はそういうの見極めるの上手い奴が軍師にいて、要請があったら仕方なく使われてやってるよ」

「……知らなかった」

「僕が言うこと聞くときもあるって広まったら調子乗る奴が絶対いるもん。僕がたまに出動していることは軍の上層部とか王族とかその辺しか知らない機密だよ。いつもはもっと正体が分からないような外套とか着せられるし、そもそもあんな下っ端は敷地に入ってこないんだけど、今回は例の軍師に利用されたっぽいね」


 俺にとってのお偉いさんを下っ端呼ばわりとは、ナグの立場が窺えるな。

 ……というか利用されたって何なんだろう。


 ナグはゴシック調のスカートをふわふわと揺らして拘束用のベルトをチャラチャラと鳴らしながら、明らかに強張った表情をした偉そうな軍服を着た一団の前で、軽く淑女の礼をした。


「ご機嫌よう、お目にかかるのは初めてかな。驢馬ろばの魔女の第一子、ナグと申します」

「……お初にお目にかかる、私は第三軍参謀長のダワイ。便宜上、貴女を魔法使いと呼ばせてもらう」

「お好きにどうぞ、ダワイ」


 ナグに向かって頭を下げたのは、恰幅が良く頭髪も寂しく、しかし険しい目をした勲章をたくさん付けた軍人だった。

 参謀長とか言っていたか。やっべぇお偉いさんじゃん。軍の中では多分上から四番目とか五番目とかに偉い人じゃん。流れでついて来ちゃったけど、俺ここにいて良いの?


 俺はすっかり恐縮してしまったが、一方のナグはどこ吹く風だ。呼び捨てだし。


「で、西街大通りに第二子だっけ? 殺せば良いんでしょ?」

「話が早くて助かる。だがその前に一つ確認させてくれ」

「何かな?」


 ダワイ参謀長はそこでチラリと俺を見た。ビクッと硬直する俺。え、なに?


「……彼がここにいるのは、“そういうこと”で良いということか?」

「確信してるからあんな不躾な遣いを寄越したんじゃないの? まあ、その通りなんだけど」

「そうか」


 ナグの舐め腐った言い方に眉を顰めるでもなく、ダワイ参謀長は考え込むようにその二重顎を撫でる。

 俺はビクビクしっ放しだ。話に出た“彼”って俺のことだよな? もっと事情を分かる感じに話してくれないだろうか。得体の知れない恐怖だけが募る。さっきから冷や汗が止まらないんだが。


 ナグがとぼけた表情で呟いた。


「……そういえば、軍規的にこういう会話はヨーテを通した方が良いのかな?」

「待って待て待て、俺を矢面に出すな」

「はあ? 君が矢面に立つんだよ。僕が一人で出たら国中パニックだろう」


 当然のようにナグがそう言うが、俺はブルブルと首を振る。


 冗談じゃない。俺はただの世話係だろ? お前が極秘で軍事行動できることすらさっき知ったんだぞ。そんな話を俺にされても困るんだが。いいじゃん、お前ちゃんと話もできるし、実行するのはお前なんだし。


 それに、なにより。


「なんで? てことは俺しばらくは殺されない? このまま有耶無耶にしたかったけど、俺さっき食べられかけたよな? お前に」

「食べても良いならいただくけど?」

「嫌です! ごめんなさい!」

「延命できたと思って大人しく矢面に立っときなよ」

「え、お前守れよ? お前と違って俺の命は吹けば飛ぶぞ。物理的にも社会的にも」

「儚い生き物過ぎないかい?」


「まあ、守ってあげるけど」とナグは呆れたように肩を竦めた。

 お前言ったな? 聞いたからな? 絶対だぞ?


 ひとまず約束を取り付けて満足した俺は、そろっとナグのやや後ろからダワイ参謀長を見上げる。

 彼は静かに俺たちの会話が終わるのを待っていた。ただ、その目が少しだけ驚いたように俺を見ているような気もする。気のせいかもしれない。

 ていうか偉い人の前で普通にナグと会話してしまった。不敬とか言われないかな。


「……終わったかね」

「失礼いたしました。ヨーテ二等兵、お話拝聴いたします」

「うむ」


 観念してナグの隣に並び、俺は敬礼した。

 ダワイ参謀長が目で合図し、横の部下っぽい人が話すのを一字一句聞き逃さないように集中する。


「ヨーテ二等兵、貴君を今回緊急措置として、一時的に第三軍参謀長の直轄とする。王都西街大通りの五区を進行中の魔法使いの下に、呪い仔──その魔法使いを率いて急行、排除しろ。もちろん、住民の安全に十分留意するように」

「はっ、ヨーテ二等兵、拝命いたしました」


 最敬礼して承った。

 うわ、何気にこれ初めての実戦なんだが。


 手足が震える。今更になってガチガチに緊張してきた。……えっと、この後どうするんだっけ? このまま辞して現場に向かえばいい? それともお偉いさんが去るまで敬礼の姿勢で待つんだったか? いやそれは式典の時とかの話で……。


 ぐるぐるしていると、ナグがさっさと俺を魔法で持ち上げた。


 ──持ち上げた!?


「じゃ、僕らは行くね~」

「お、おっ前敬語使え! 俺が不敬で首切られたらどうすんだよ!?」

「それはないと思うけど……まあ、失礼いたしました。終了したら報告に伺えばよろしいですか?」

「あ、ああ……」

「承知しました。じゃ、ヨーテ行くよ」

「落とすなよ!? あと俺乗り物弱いから安全運転で頼む。あれだろ、飛ぶんだろ?」

「君、図々しいな」


 ナグは煩わしそうに俺を睨め付けたが、一つ溜息を吐いて頷いた。


「肩に掴まりなよ」と言われたのでその通りにすると、トットッと歩くようにして空に昇っていく。

 他の軍人が見守る中、俺たちは空へ舞い上がった。


「おー……、魔法だ」

「足動かして、僕に合わせて。ほら、1、2、1、2」


 いつの間にか、俺とナグは二人で並んで空中を歩くような様相になっている。

 風が強く体を叩き、服がバタバタとうるさく音を立てた。上空は空気が冷たい。耳の先が少し痛いのが、なんだか新鮮である。


 初めての体験に、少しだけ心が浮き足立つ。

 それはナグも同じだったようだ。


「はー……、こんなに堂々と空を飛んだのは久し振りだ。うーん、思った以上の開放感。これだけでも君を矢面に立たせた甲斐があったかもしれないなぁ」

「俺がいなくても、今までも軍事行動で外に出たことはあったんだろ?」

「いやぁ、僕専任の監督者がいないから凄い制限が掛けられててさぁ。禁止事項のオンパレードだよ。少しでも違反しようものなら電流責めをしてきて、うざったいったらない」

「それ殺す勢いの電流じゃないのか? うざったいで済むのがなぁ……」


 会話をしつつ、それなりのスピードで空を進む。眼下の住民が俺たちに気付いてざわめき始めたのが目の端に見えた。が、軍服を着た俺がナグの肩を掴んでいることでパニックにまではなっていないようだ。


 なるほどな、確かに魔法使いが堂々と行動するには軍人が目に見える形で監督し、安全だと一目で分かる形にしなくてはならない。

 しかし軍人でも魔法使いに触るほど近づくのは普通に怖いし命の危機だからな。監督できる軍人がいない、だからナグは堂々と行動できなかったんだ。


 ──意外と話せば普通に会話できるのに。


 王都を眼下に見下ろしながら、俺は密やかに嘆息した。


 シンプルに勿体ないと思う。ナグは、魔法使いの中では相当人好きで常識的で話ができる部類だ。この魔法使いは人間に好意的なんだから、もっとみんな話してやればいいのに。なんて馬鹿みたいなことを頭の端で考えた。


 ……いやでも俺さっき食われかけたんだっけ? ダメじゃん。

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