1-7 ぐしゃり
ぐしゃり。
何かを握り潰すような不快な音が聞こえる。
それに伴って、ひいいっという搾り出したような短い悲鳴も。どちらも穏やかじゃない音だ。
目を開ければ先程と大して変わらない光景が俺の目に広がっていて、どうやら俺は一瞬気絶したようだということが理解できた。先程と違うのは、真っ赤な瞳が俺を見ていないこと。
「何の用だね、下士官殿」
「たッ、タイミングが悪かったかねッ?」
かつて聞いたことのないようなナグの冷ややかな声。
そして変にひっくり返った軍のお偉いさんの声が聞こえた。
え、と横を見れば、少し離れた二重の柵の向こうにいつかのお偉いさんがやや逃げ腰でこちらを見ている。よく見れば柵の一部が大きく歪んでいるような……は、どういう状況?
「タイミングが悪いどころの話じゃない。次の補充は四日後じゃないのかね? もしかしていつまでも死体が上がらないから焦れたのかな? 安心したまえ、補充はしばらく必要ないよ。僕は彼が気に入ってしまった」
「──はッ、そうかい……!」
お偉いさんは幽霊でも見たような顔で俺を二度見した後、苦し紛れにふんと鼻を鳴らした。
はてさて。
俺は周囲を見回した。
変わらず俺は壁にもたれて床にへたり込んでいて、そこにナグが上から覆い被さってきている。時間はやはりそう経っていない。俺はナグに追い詰められてここに座り込んでいたのに間違いはない。ナグは変わらず腕を拘束されていて、手を自由に動かせる様子はない。なら柵の歪みはなんなんだろう。明らかにぐにゃりと変形した柵は一ヶ月近くここで生活した俺には見覚えもなくて、先程のぐしゃりという音と関係があるのだろう。ナグが魔法でやったのか?
そして今まで気付かなかったが、二重の柵の向こう、分厚い金属の扉が開いていて、軍のお偉いさんと何人かの軍人が恐々とこちらを見ていた。いつの間にあそこにいたんだ。
どうやら、俺が食われんとするちょうどそのタイミングでお偉いさんたちはここを訪問してきたようだった。柵の歪みはナグの八つ当たりと脅しの産物か?
ナグにとってはタイミングが悪いどころの話じゃないのだろうが、俺にとっては奇跡のタイミングだ。俺、お偉いさんのこと嫌いだったけどちょっとは感謝してやらんこともない。
「おい! 新人!」
「へ? あ、はい」
「仕事だ!」
「はあ……?」
いきなりなんだろう、世話係はもう良いのだろうか。
俺をせせら笑ったお偉いさんも魔法使いのことは怖いようで、必要以上に大きく張った声が分かるほどに震えていた。
「緊急事態だ、王都中心部に第二子の魔法使いが現れた。至急対処せよ」
え、なにそれ死ねって言ってる?
流石に声には出さなかったが、顔には出ていたらしい。お偉いさんに睨まれた。
第二子の魔法使いなんて十人から三十人程度の一部隊で対処する相手だ。まさか俺一人ってことはないだろうが、何故入隊して一年も経っていない新人を差し向けるのだ。碌に戦えもしないぞ。
王都中心部にいきなり出現する魔法使いも魔法使いである。いきなりどうした。
「詳細は?」
口を挟んできたのはナグだった。
彼女は溜息を吐いて体の力を抜き、もすんっと俺の胸に体を預けてくる。どうでも良いけどこの体勢恋人みたいでなんか嫌。
「……ッは、半刻程前、王都西街大通りにて突如魔法使いが出現したと西街警邏隊から報告がありました! 真っ直ぐ王城方面へ向かっています! 半狂乱になっており、住民、軍共に被害多数! 魔法の規模から、第二子と推測しました!」
「あー、今特務部隊は遠征中なんだっけ? それで僕に伺い立てに来たの? ならそう言ってくれないかな、不愉快だよ」
お偉いさんに促され詳細を話す下っ端軍人に、ナグは低い声で言い捨てた。可哀想に彼は真っ青になって震えている。
そして話が読めてきたぞ。
緊急事態とはいえ俺みたいな新人一人呼び出すためにお偉いさんたちが来るわけがない。彼らはナグに力を貸してほしくてここに来たんだ。で、どういうわけかナグが俺に懐いているように見えたから、俺を動かすことでナグも動かそうってことか。
え、ナグ動かなかったら俺死ぬじゃん。
「いーよ。場所が場所だし今回は出てあげる。ヨーテ」
「おう」
返事をしてから気づいた。
あれ、俺コイツに名前呼ばれんの初めてだ。
「行くよ、ちょっと付き合って。続きはその後」
「続きに関しては是非遠慮したいです」
俺の知る限りあらゆるジェスチャーで辞退したい旨を訴える。
ナグは思わずといった風に笑って、立ち上がった。ガラガラと重厚な音を立てて開く二重の柵、俺よりも立場の高い軍人たちが避ける中を、彼女は実に堂々と歩き出した。とりあえず俺もお偉いさんに敬礼をしてからその後に続く。
軍人たちが見守る中、俺たちはあっさりと厳重な敷地の外に出てしまった。
「……出られるんだ」
「出られないと思っていたの?」
「どうだろう。あまり考えていなかった」
でも、ナグが俺に協力するということは、きっと俺とナグが揃ってここから出ることが、これからもあるということだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます