1-6 ……食うのか?


 一人の人間が、そう何人も魔法使いを従えられるとは思えない。そもそも魔法使いを従えるなんてことを成し遂げたのは、多分初代国王くらいなものだろう。俺でも知っているくらい有名なのだ。つまりそれは、それだけ有名になるほど他に例がないってことだと思う。

 初代国王が従えていた魔法使いは、ナグだけだと考えるのが自然な流れだった。


 そうすると、初代国王を食べた魔法使いというのは──つまり、そういうことだ。


 俺は信じられない気持ちでナグを見た。


「……お前、食ったの?」

「食べたよ。実に至福の味だった」


 彼女は俺の問いに、顔を赤らめて微笑んだ。口からちらりと覗く舌がゾッとするほど扇情的だ。

 何故この問いにそんな顔をする。これだから魔法使いは意味が分からない。

 俺は頬を引き攣らせた。こればかりは怖がるなという方が無理だろう。


「惚れてたんだろ?」

「ああ。だから食べた。美味しかったよ。僕が魔女だったらこれで子供が作れたのに」


 さすりと妙に妖艶な仕草でナグは腹を摩る。


 ゾッとした。おのれは虫か! なんか交尾後に雄を食べちゃう系雌なのか!

 思わずそっと距離を取ってしまった俺は間違っていないはずだ。


 なんだろう、なんとか絆そうとしていたが絆されていたのは俺の方だった感じがひしひしとしている。彼女が人食い魔法使いだったことを改めて思い知った気がした。

 まだ彼女に俺を食べようとする様子はない。世話の期間である一ヶ月まで、あと四日だった。


「……頼むから食べないでくれよ」

「すっかり警戒しちゃったね。ちょっと仲良くなったと思ったのに」

「俺もそんな気がしてた」

「でもまだ減らず口が叩けるのは、君の人柄かな?」

「曲がりなりにも一ヶ月弱を一緒に過ごしたお前への信頼だよ」

「嬉しいことを言うね」


 にまにまと俺がここに来た頃のようにナグが笑った。ムニャムニャと小さく歌い出しもした。ざらりと剥き出しの腹を撫ぜて冷やすような、不安を煽るあの歌だ。


 ナグの表情からは、感情が読み取れない。そもそも魔法使いは人間と価値観が大分ずれている。

 人間が喜ぶことじゃ喜ばないし、悲しむことじゃ悲しまない。人間が怒ることじゃ怒らないし、その逆も然り。人間が怒らないことでも怒るときは怒るのだ。


 何がナグの感情を動かすのか分からない。

 あと四日間無事に生き残れば俺は解放されるけれど、いつナグが穏やかなにまにま顔を取り去って襲ってくるのか分からないのだ。……いや、コイツのことだし、にまにましたまま食われそうではあるけど。


 そう考えると、四日間は気が遠くなるほど長かった。


「──君程度の人間は、別に珍しくもないんだよ。僕がここに入った当初は、みんなそんな感じだったから。友のように気安かった。いつしか、そんな人はいなくなったけど」

「え、いきなり何」


 不穏なこと言わないでほしい。

 俺は知らず後ずさった。ナグがゆらりと立ち上がる。


 今日の彼女の出で立ちは、拘束衣のようなものだった。腕を組む形で固定するベルト、揃いのベルトが太腿から足首にわたって要所で両足を繋いでいる。

 全体的にゴシックな感じの黒いレースが彩るドレスが彼女の赤い瞳を引き立てていた。


「いつだったか、言ってただろ? 君は、俺程度の奴過去にもいただろと。今までお前が食った奴は、何か気に入らないことをしたのかと。このままお前を楽しませていれば、食べないでくれるのか、と」


 確かに、言った気がする。まだここに来た始めの頃だ。

 ナグが何故人を食べるのかを漠然と知りたくて、あわよくば俺を食べないという保証が欲しかった故の質問だ。それで、ナグにはぐらかされた覚えがある。


 俺はじりじりと後ずさった。

 何故今さらそんなことを掘り返すのだ。不穏すぎて嫌な予感がフルスロットルである。


「君程度、過去にたくさんいたさ。君より話しやすい人だって、たくさんね。分かる?」

「分かります。分かりました。分かったので落ち着いてください! ちょっとまってまじで勘弁して」


 俺は早くも泣きが入りだした。

 ナグは不穏なことを言いながら俺に近付いてくる。俺はずりずりと後ずさるようにして無様に逃げ回るが、多少広めとはいえこの牢獄のような場所、いや正しく牢獄の中で逃げ回れる範囲など高が知れていた。


 とん、と背中に冷たい壁が当たり、俺の行く手を阻む。ぶわっと全身から汗が吹き出るのが分かった。

 ナグは目前まで迫っていた。今彼女は腕を拘束されているが、自由であれば手を伸ばせば俺に触れられる距離だ。大きく一歩踏み出せば、胴体同士が触れるほどの距離。

 白い顔に埋まった一対の紅玉が爛々としていて、それが余計に恐怖を煽った。


 もしかしなくてもこれは、食われる、のだろうか。


 想像しなかったわけではない。俺はそもそも食われるためにこの中に放り込まれたようなもんだ。

 けれど、ナグの様子があまりにも穏やかで楽しそうで、何より俺がナグとの日々を楽しんでいたものだから、時々忘れていた。


 ナグは本当に俺なんて食べてしまえるんだと。


 やっぱり魔法使いはよく分からない。さっきまで喋り合っていた相手なのに、彼らは殺して食べてしまえるのだ。

 俺は祈るように手を組んだ。腰が抜けてずるずると壁伝いに座り込む。化け物がこちらを見下ろしていた。しかし不思議と、体は震えなかったし涙も鼻水も出なかった。


「……食うのか?」

「うん、どうしよう。食べたいな、お腹が空いた」


 もう食べられるしかないんだろうか。だとしたら痛くないようにお願いしたい。

 一時期は目的を果たすまで死ねないとか思っていたけど、普通に無理。ここまでくると詰みだ。

 化け物は切なげに顔を歪めて、俺を見下ろしていたのだ。間違っても、食べられても良いなんて思ってはいない。そんな恐ろしいことは許容できない。ただ、俺はどうやって食べられるのだろうとゾッとするような想像を、綺麗な赤い瞳を見つめながらわりかし普通に考えた。


「君は食いではなさそうだけれど、美味しそうだ」


 褒められているんだか何だかよく分からんなと、頭のどこか冷静な部分がぽつりと考えて、妙にゆっくりと近づいてくるあまりにも綺麗な顔を見ながら、意識が途切れた。

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