過葬

@yunyunsan

金魚を埋めた話

過葬




夏祭りから帰ってきて、まだ余韻に浸っていたかった私は、

親からの叱責に俯いていた。


私の家には、水槽がないのだ。



片手にぶら下げた冷たい袋の中には、一匹の金魚が肩身狭そうに泳いでいる。

浴衣のまま怒鳴りつけられている私を、不思議そうに見上げている。



生き物を飼うということは、それ相応の覚悟と知識がいるのだ。衝動的に持ち帰って、なんと無責任なことか。

大抵そのようなことを母親は言い放ち、父親も何か言いたげだが、関わらなければよいとニュースを不機嫌そうに見ている。


要はこの二人は愛する我が子が拾ってきた命を押し付けられるのが面倒なのだ。と幼いながらにわたしは勘づいていた。


夜10時を回って、水槽が売られているような場所なんて思い当たらない。自分で餌やりも掃除もましてや、エアーポンプすら知らない子供が、屋台の金魚を、普段のお小遣いの割合でいえば安くない金額で買ってきた。


お金の大事さと命の尊さを、愚かな子供の中に一度にいっしょくたに同時並行で詰め込もうと大人は躍起だった。




幼い私は、

ただ綺麗な金魚と暮らしたかったのだ。


確かに、命を持ち帰ることに対して言えばひどく軽率で衝動的な行動であったとは思った。それは親の正論であると思えた。

ただ、でも、片手の指に絡まった赤くて固いツヤツヤとしたテグスの先にある、小さな水溜まりの中で泳ぐその子を、広い水槽の中で見たかったのだ。


そんな夏休み明けの夢を300円のポイで買った。買えてしまったのだ。




餌をあげようとか、汚れた水を取り替えようとか、それが必要だとか

私の中にそのような考えがその時あったわけではない。

つまりは共に暮らす覚悟などどこにもないことは事実だった。

だからこそ、親の言葉も、呆れた背中も、ひどく刺さって、痛いのだ。




どうしていいのか分からない。母親は父親になんとかしろと矛先を変える。父親は呆れたように「明日になったら何か買いに行くから。安いやつ」と心底興味のない声でめんどくさそうにスマートフォンをいじっていた。

画面にはもちろん水槽や飼育法が表示されているわけではないだろう。



私なんかに掬われた可哀想な命が、透明な袋の中で体を揺らしている。

早く出たがっている。酸素がなくなっていく小さな水の中で、苦しく思っている。


たった300円の、私の中での大金が動いている。




親に無意味な「ごめんなさい」は言えども、その命を解放するガラスかアクリルか何かで作られた箱が出てくるはずもない。

段々と頭の中がボーっとしてきた。夏祭りの人混みを歩き回った足は痛いし、可愛いからと着せられた浴衣は汗で張り付いて気持ち悪い。今何時なのか分からないが、疲労感が押し寄せてきて、眠かった。




「…小山くんが出目金飼ってるから、頼んでくる」

そう言ったら親の呆気に取られた顔がこちらを向いた。ポカンと空いた口が、手の先にいる諸悪の根源と同じに見えた。



夜の町はじめったくで暑くて、たまにジョギングしている人が反対方向からやってくる。

小山くんの出目金は、3日前に死んだのだ。

水槽は空いてるかもしれないが、小山くんはエアーポンプが故障してたんだとかなり落ち込んでいた。


そんな彼の元に冗談でも行ける気はしない。

はぁ、とため息が出る。


私は、ぬるい袋をぶら下げて歩いた。どうしようかは考えついていた。

それはひどく、ひどく人間的に最悪な行動をもってして完了する。

公園。誰もいない、ただその町を町として認めるためにある頭数合わせの公園の、藤棚すら撤去された砂場。


その端っこに片手でガリガリと穴を掘る。

爪の間に砂粒が挟まる感覚。乾いた表面を通り越すと、ひんやりとした湿気とともに、固まった砂の層に辿り着く。


そこに、


「ごめんね」


たかだか、夏祭りの屋台の群れの中にいた命のひとつだ。水槽もエアーポンプもカルキ抜きも間に合ったところで、水が一気に変わるとショックで死ぬってクラスのエセ生物博士野郎も自慢げに言っていた。


水ごと滑り落とす。

ベシャリという音と、ビチ、となにかがどんどん水位を下げていく泥水を叩く音が一回。私はそれを脳味噌という受容器が音として認識する前に周りにある砂を一息に穴に押し込み上から手で押し固めた。


バクリ、バクリと嫌な心音がうるさいくせにゾッとするくらい寒い。


ああいやだ。気持ち悪い。これが命を奪うということなのだろうか。

これが誠に自己中心的で身勝手極まりなく情状酌量の余地もない「殺す」というものなのだ。




整えた爪と肉の間に入り切らずに溢れる砂。平面に整えたというのに、私はひどく不安と恐怖に駆られる。

とっくのとおにもう完成された砂の面に、私は周囲の砂を狂った様にかき集めては山にして、それを渾身の力で押して固めて、しかし不自然なその砂の山がどうにも気に食わない。


無性に腹が立ち、許せなくなり、怖くなり、

最後にそれを足で踏んだ。それを崩して何度も体重をかけて。

暗い公園の砂場に、草履の跡があることだろう。


その下に、へしゃげた魚の死体がなぜかあるのだろう。


息が切れていた。帯が苦しくて、うまく酸素が取り込めない。

終わってしまえば、ただの公園のよくある風景の一部だと思えた。我ながら完璧にできたのだという達成感すらある。奇妙な恐怖と背徳感と罪悪感とそれはないまぜになって、するりとその勢いを腹の底に落とす。

妙な冷静さが、夏の夜も惜しんで泣いているセミの声とともにやってくる。


金魚を埋めたのだ。ただそれだけだ。

きっと、人間を埋める時も、同様であるのだと薄ぼんやりと思う。

なら、この行為はきっと、どんな道徳の授業よりも効果的な抑止力を幼い私に教えたのだ。






夏休み明け、人に言えない隠し事というものが増えてしまった私に、何も知るはずのない小山くんは言った。




「新しい金魚を買ってもらうんだ。」




おしまい

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