第35話 重なった
生まれて間もない頃だと思われる赤ん坊の写真があった。普通、もうちょっと猿っぽくてしわが多いだろうに、写真に映る赤ちゃんはもう結構なハンサムに見えた。写真の脇の台紙には手書きで、早川の下の名前である「和泉誕生」というメモと撮影日と思しき数字がある。
「小さい頃からもてたでしょうね」
直美らの顔をお思い浮かべつつ、これはライバルが多いんじゃない?と感じた。もしかしたら、これまで住んだ町々に一人や二人、彼女がいるんじゃないかしら、なんて。
「あら。ちょっと顔つきが違う」
ページをめくり、進んでいくと、早川和泉の写真の顔は一時的にきつく、険しい印象になった。
(……何かあったのかしら。ちょっと目つきが悪いくらいだよ、これ)
年月日を見ると五歳を過ぎた頃か。考えても分かるはずもなく、あきらめてさらにめくって、現代に少しでも近付こう。
「――あら。また戻った」
メモによると七歳ぐらい。このときの早川は今とはまたちょっと違うが、意志の強そうな目がはっきりしてきて、将来、頼りがいがありそうな大人に成長しそうに見えた。
「……」
そんな小学一年生の早川を見ている内に、須美子は不意に記憶を刺激されるのを自覚した。
「え、待って。この顔、この姿って……」
声に出してしまっていると気付き、慌てて口を閉ざす。
(そういえばあの話が宙ぶらりんになってたんだわ。今日は雷のせいで、すっかり忘れていたけれども。早川君は一年生のときに、私がしたのとよく似た体験をしている)
そう意識し、もう一ページ、アルバムをめくった。
「あっ」
間違いない。そのページの左上にあった最初の一枚。そこに映る早川の姿は、須美子の記憶の中にある十字星の彼ときれいに重なった。理屈は入り込む余地のない。見れば分かる、見ただけで感じ取れる。そういった領域の話だ。
「あのー、柏原さん。もうすぐ母さんが、母が帰ってくるんだけどどうする?」
電話を終えて戻って来た早川は、須美子の背中に向けてそんなことを言った。普通なら「えっ」となって多少慌てる場面かもしれないが、今の須美子は違った。
「柏原さん?」
「早川君」
ぺたんと座った姿勢のまま、ゆっくりと向きを換えて立ち上がる。そして早川の顔をじっと見た。
「アルバム、見ました」
「あ? うん、別にいいよ」
「あなたがどこまで覚えているか知らない。けれども、私は思い出したわ。五年前にはくちょう座のバッジを私に譲ってくれたのは、早川君あなただって」
「――ああ、アルバムを見て思い出したんだね」
早川は得心したように答えた。
「それってもしかして、早川君、あなたは最初から?」
「うん。転校してきたその日から。柏原さんを見た瞬間、あのときの子じゃないかなって思ったよ」
「な、なぁんだ。そうだったの」
だからいきなり話し掛けてきたのねと思い出す。思い出して、笑ってしまった。
「でも、だったらもっと早く話してくれてもよかったのに」
「もちろんそういう風にも考えたけど、万が一、違っていたらどうしようって思うと、簡単には言い出せなくて。そうしている内に、普通に、今の君のことをどんどん好きになったから」
「――」
「その上で昔のことを持ち出した結果、違っていたり、変な風に受け取られたりするのが怖かった。それで言えなかったんだけど、あの脅しめいたメモが届いたから、これは早めにはっきりさせた方がいいのかなと思えてきて」
「それであの放課後、話し始めたのね。ごめんね、逃げちゃって」
「まあしょうがないかなって今では思える。急だったし、僕も君の方から言い出してくれないかな、気付いていくれないかなって試す気持ちがあったから。そうして見切り発車で話してみたら柏原さん、帰っちゃうから、あのときの女の子とは別人だったのかな、でも何か変な反応だったという思いでしばらくもやもやしたよ」
それに、と早川は伸びをした。
「ああ、今思い出してくれて、凄くすっきりした」
「そっか。ちょっと遠回りしてしまったけれども、これでよかったわ」
須美子は早川の手を取った。
「早川君。私、思い出話や他にも話したいことがたくさんあるわ」
「僕も」
「でも、さっきあなた何か言ってたよね? お母さんが戻ってくるって」
「言いました」
「……どうしよう?」
長い間思い描いていた十字星の男の子が早川だと分かっただけでも大きな出来事なのに、彼のお母さんと初対面の挨拶をするのはなかなかにハードだと思う。ましてや、許可をもらわない内から家にお邪魔して、シャワーを浴び、着替えまで借りている。厚かましさに、景色がぐるぐる回りそうだ。
「きょ、今日は帰った方がいいかな」
「かもしれないね。服のことは僕から母さんに伝えておくから心配しないで」
早川に微笑まれると、真に安心できた。月曜日にまた学校でねと約束し、その日は別れた。雨上がりの午後、自転車に乗っているというのに、スキップでもしているかのような気分に浸る須美子だったが、濡れた服を持ち帰ることを思うと、ちょっと気重になるのであった。
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