第25話 落とし物
そういう風に考えていると、つい、早川の顔と十字星の男の子の顔を重ねて合わせてしまう。これでは検証にならない。
須美子は気持ちを新たにしようと、思い出の品の力を借りることにした。そう、はくちょう座のバッジを手に取って、もう一度当時の記憶を辿ろうと。
ところが、ズボン――ジーンズのサイドポケットに手を入れてその手応えのなさに、どきりとした。大げさに言えば、血の気が引く感覚に襲われた。
「え、ない?」
別のポケットにも手をあてがうが感触はなく、それでも念のために中に指先を入れて探すも結果は同じだった。
(家に忘れてきた? そんなはずない。ちゃんと入れ替えて、持って出たわ。えー、電車で座ってたときに転がり出たのかなあ?)
いっぺんに気分がどんよりした。大切な思い出を鮮明にするためにここまでやって来たというのに、肝心の思い出の品そのものをなくしてしまうなんて? 本末転倒もいいところ――。
が、じきに思い出す。ターミナル駅に到着し、フォームに降りてからのことを。
(私、あのときバッジに触れたわ。直接にではなかったけれども、間違いようがない)
となると、なくしたのは駅地下に降りたあとだろうか。そもそも、今日穿いてきたズボンはジーンズで、自転車が漕ぎやすいようにとソフトタイプを選んだが、ふにゃふにゃに柔らかいわけではもちろんない。ポケットの深さもスペースも充分にあり、ちょっとやそっとでは中の物が飛び出るとは考えにくかった。
(ハンカチを使うつもりで、間違えてバッジのある方に手を入れたっけ? でもハンカチを使った覚えがないのだから、この想像は無意味かしら)
他に何か、ポケットから物がこぼれ出るきっかけになるようなことをしなかったか、地下街に降りてからの行動を思い返す。たいして複雑なことはしていないので、簡単に絞り込めた。
「――もしかして、さっきの」
思い当たったのは、案内図を見てお店を探しているときの動作だ。しゃがんだり立ち上がったりを繰り返していた。あれなら徐々にジーンズのしわが寄り、ベルトコンベアみたいにバッジを押し上げ、やがて外へ押し出すかもしれない。
いや、今は考えるよりも行動だ。須美子は唇をきゅっと固く結ぶと、来たばかりのルートを急ぎ足で引き返し始めた。
(もう拾われていたらどうすればいいんだろう? 駅の落とし物係ってあるのかな。届けてくれていたらいいんだけど。ああっ、それよりも気付かれずに強く踏み付けられたとしたら? きっと壊れてしまう!)
こういうときの想像は悪い方へと広がりがち。それを経験で知らない須美子は、いよいよ焦って走るスピードを上げていき、かけっこのときのようになった。
帽子のつばが空気を受けて反り返る。須美子は片手で押さえ、なおも走った。
と、視界に見覚えのある人の姿が入り込んできた。ちょうど角を曲がって現れたのは例の背の高い少年で、大股で歩いているのが見て取れた。
「あっ」
ほとんど同時に声を上げていたかもしれない。しれないというのはまだ距離が離れていて声は聞こえず、お互いの表情しか見えていなかったから。
「おおい、君!」
サングラスを外し片手で畳むと胸ポケットに差した彼は、片手を振ってそう叫ぶと、一気に走り出した。その姿は、変身ヒーローがダッシュするときのフォームだ。
(な、なに?)
須美子の方はびっくりして立ち止まった。あの少年を再び目にしたときには、あの人が拾ってくれているかも?と期待が生まれて安堵したのだが、こうも猛ダッシュで迫ってこられるのは想像もしていなかった。
通路の右端に寄り、そのまま固まってしまった須美子の目の前に、少年は風を起こして駆け込んできた。急ブレーキで立ち止まると、
「探してたんだよ。君が引き返して来てた原因、これじゃあない?」
と、息をほとんど乱さずに言った。
そしてその右手が摘まんでいるのは、確かにはくちょう座のバッジを入れたフェルト地の小袋である。
「は、はい。その通りです。なくしてしまったのかと思って、もうだめかと」
答える内に安心がピークに達したのか、目頭が熱くなるのを感じた須美子。あ、だめだと思ったときにはちょっと遅く、目尻から少しだけ涙が流れていた。慌てて指先をあてがい、左右の目の涙を拭う。
「ええー? これ、泣くほどの物?」
口元を左手の平で押さえながら、それでも大きな声で少年が反応した。
「はい、凄く大事な物です」
「じゃ、じゃあ一刻も早く返さないとね。ていうか、そこまで大切な物だったら、落とさないように気を付けなよ」
気取っていながら、どこかおどけた響きも感じさせる話しぶり。少年はもしかしたら、泣き出した須美子を見て、笑わせようと試みてくれたのかもしれない。
「は、はい。もう二度と落としません。こんな気分を味わうのは嫌ですから」
両手の小指側をぴったりくっつけて、受け取る姿勢になる須美子。少年はそこへ小さな袋を置こうとする、が、途中でストップした。
「あの?」
「さっきからはい、はいって返事はいいけれど、肝心な言葉を聞いていないことに気が付いたんだ。何か言い忘れていませんか、スミコちゃん?」
「え、どうして名前を」
反射的にそう聞き返したが、その直後に分かった。落としたときに備えて、袋の内側に名前と電話番号を刺繍した布を縫い付けてあるんだった」
「中、見たんですね?」
「そりゃまあ仕方がないから。でもまあ、状況から考えて君が落としたのはほぼ確実だし、あの地図を見ながら『じゅーよん、じゅーよん』て繰り返し呟いていたから、目的地がどこなのか分かるから、それなら追い掛けた方が早いと思ったまでのこと。どこか間違ったことしてる、俺?」
少し背を丸めて顔を覗いてきた少年。須美子は水平方向に首を振った。
「いえ、間違っていません。あの、ありがとうございました」
須美子は帽子を取ると両手を揃え、深くお辞儀をした。
「そうそう。その感謝の言葉を聞いてなかったなって思ったんだ。ああ、気付いてくれてよかった。君みたいにかわいい子は好きだけど、内面もきれいだとますますいいね」
「――」
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