第22話 少し昔話を

「ええ? 付き合ってるって、恋人的な意味の? い、いるわけないでしょっ。悪い?」

 思いっ切り否定。早川はちょっとびっくりしたみたいに口をすぼめ、須美子を見返してきた。

「い、いないならいないでいいんだ。もしいたら、キスだのなんだのは事故だっていう証拠の一つになるかなって思っただけ」

「……そう言うからには、早川君にもいないのね、彼女」

「考えるまでもなく、当たり前でしょ。転校してまだ間がないんだから」

「ううん、どうかしらん。遠距離恋愛ってあるし」

「何なに、その追い詰める感じは。ひょっとして、まだ許してもらえてない?」

「そんなことはないわ。――ついでに聞いておきたいのだけど、これまで女の子と付き合ったことは?」

 友達の顔を思い浮かべながら尋ねる須美子。早川はますます困惑した様子で、口元を少しゆがめた。

「何のついでなんだか」

「いいから。答えて」

「いないよ。どの学校でも、幼稚園の頃まで遡ってもいません」

「そう」

 だったら安心してアタックできるね、直美ちゃん。なんてことを心中で呟いた須美子だったが、そこへ早川のぼそっとした付け足しが耳に届く。

「好きな子はいるけれど」

「え! ほんと? 誰だれ?」

 反射的に聞き返した須美子。早川はさすがにびっくりしたのか、その場から一歩か二歩、横に動いて距離を取った。

「どうしたの。そんな興味ある? 今関係ない気もするけど」

「それは……」

 須美子は少々間を取って、答を考えた。ここは正直に明かさなくてもいいだろう。

「それって片思いなのよね? もしかしたら早川君のその気持ちを知っている誰かが、私と早川君とがごにょごにょしてるとこを見掛けて、腹が立ってメモを書いたんじゃないかと思って」

「理屈は分かった。でも、誰にも言ってないよ。少なくとも、ここに転校してきてからは、今、君に言ったのが初めてだ」

「そうなのね……」

 返事しながらまた考える。

(わざわざ「好きな子はいる」って言うくらいだから、転校した今でも好きなのよね。気持ちを断ち切れていないのなら、直美ちゃんを焚きつけるのもよくないか)

「早川君。仮の話だけど」

「結局、メモを書いた人を探すのかい」

「ううん、それとは違う。仮に、この学校であなたに告白してきた子がいたら、片思いの相手がいるんだってことをちゃんと伝えてあげてね。中途半端に断るんじゃなく」

「はあ……何だかよく分からないけど、伝える。約束するよ」

「そもそも、可能性はあるのかしら」

「……やけに根掘り葉掘り聞いてくるね」

「そりゃあまあ……あなたに自覚があるのかどうか知らないけれども、一部の女子から人気あるから」

 ああ、言ってしまった。できればオブラートに包んだ表現をしたかったんだけれども、よいフレーズが浮かばなかった。

 早川の方はどう受け取ったのか、「はは」と短く笑っただけで、なかなか次の言葉が出てこない。肯定も否定もされないのは、何だか居心地が悪い。須美子は率直な感想を付け加えた。

「私から見ても、早川君は男子の中ではいい人だと思うわよ」

「化けの皮が剥がれてないだけだよ」

 早川は苦笑顔のまま言った。

「じゃあ、化けの皮が剥がれたから、その片思いの子とはうまく行かないまま離ればなれになったの?」

「そんなことはない」

「あれ? そこは随分、自信たっぷりに否定するんだ?」

「当然だよ。僕が言っている子とは、一年生のときに一回会ったきりなんだからさ。化けの皮の剥がれようがない」

「一年生のときに一回だけって、何それ。面白そう。というよりも、ロマンティックな感じがするじゃないの」

 俄然、興味が湧いた。友達にとって参考になるかもという思いもあって、須美子は前のめり気味に聞いた。

「その話、詳しく聞かせてほしい」

「おーい、メモのことはどうなったんでしょうか?」

「その件は難しいから、ちょっと後回しにして。いいでしょ」

「……しょうがないな……」

 早川は改めて校舎の壁にもたれ掛かると唇をちょっとなめた。長話になるぞという覚悟の表れか。

「話すのはかまわないけれど、二つ、約束してほしいことがある」

「うん、約束する」

 即答する須美子に、早川は一瞬ぽかんとなって、それからため息をついた。

「返事は、約束の条件を聞いてからにしてください。一つは、聞いた内容を誰にも言わないこと」

「あ、そうなんだ……いいよ」

 寺沢の援護射撃に使えないことになるが、やむを得まい。

「もう一つは、最後まで笑わないで聞くこと」

「笑うようなところがあるの?」

「ないと思うけど、でも男子と女子じゃ感覚が違うって言うし」

「ふうん。分かったわ。笑わない。いいなって感じて、微笑ましくなるのは大丈夫なのよね」

「……そうだね」

 早川は周囲を警戒するように、ざっと見渡してから改めて口を開いた。

「一年生の夏休みのとき。多分、八月に入っていたと思う。母に連れられて、東京で開かれていたあるイベントに行ったんだ。小さな子供向けの催し物で特に有名人が来ていたとかではなかったんだけど、夏休みとあって会場はかなり混雑しててさ。僕も注意していたつもりなのに、母とはぐれてしまって。結構心細かったんだけど、見た目は何でもないふりをして、母を探しつつ、観覧も続けていたんだ」


 つづく

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