第20話 誰かが見ていた

 読み終える前に、おおよその察しは付いた。声を上げそうなところ堪えて、状況の整理に努める。

(地震の起きた日、教室の中を見ていた人がいたんだ!? 当然、私が早川君に受け止められたあとよね。白状っていうことは……やっぱり、キスのことかしら……)

 真っ先に思い浮かんだのは、やはりあれのことだった。けれども、最初の衝撃が去って少し冷静になると、この想像、おかしいなと感じないでもない。

(唇が重なってしまった間、私と早川君は横たわった状態にずっとなっていた。あれを目撃って、どこから? 普通に外から窓ガラスを通して見たって無理じゃない? 見えっこないわ。見えるとしたら、窓を開けて覗き込むか、少なくとも窓ガラスに頬をすり充てるくらい近付かないと見ることはできない気がする)

 教室の構造を脳裏に思い描いてみて、記憶頼みではあるが、再確認。意を強くした須美子は黙ってうなずいた。

(だとしたら、メモ書きは何を差しているのかしら……キスは見てなくて、抱き合ったことそのもの?)

 またまた思い出されて、顔が熱くなる。かぶりを振って追い払う。

(地震が起きて、私を早川君が受け止めてくれたところまでなら、窓の外、だいぶ離れた位置からでも見えたのかも。けど、キスはともかく、抱き合う格好になったのくらいは勘弁してほしいわ。あれは早川君が私を助けようと思ってしてくれたことなんだから)

 考える内に、段々と腹が立ってきた。どうして私がこんなことにまで悩まされなくちゃいけないのっ。

(やっぱり早川君、女子の間で人気が上がっているのかしらね。でなきゃ、こんなメモを下駄箱に入れやしないでしょ)

 心中で口走り、落ち着こうと飲み物の器に手を伸ばす。一口飲んだところで、また別の閃きが起きた。

(このメモを書いた人って、どうして入れる場所に早川君の下駄箱を選んだんだろ? 普通、好きな男子と女子が抱きしめ合っているのを見て気に障ったのであれば、女子の方に矛先を向けるものなんじゃあ……)

 輪切りの状態で皿に載せられたフルーツロールケーキを、フォークで縁から切り取り、小さな小さなカットピザみたいな形にして口に運ぶ。甘みと酸味、爽やかさを一度に感じて、幸せな心持ちになる。

「おいし」

 笑顔になった。比例して、頭の回転もギアが上がる。

(ついでに好きな男子の靴に触ってみたかった、とかじゃないよね。早川君と誰か女子が抱き合っているのまでは見えたけれども、その相手が誰なのかまでははっきり見えなかった。こう考えたら、メモを私の下駄箱に入れなかった理由にはなる。でも、あの日、私と早川君は同じ日直の当番だからこそ残ってた。それくらいは、クラスの子なら全員が想像が付くはずよね。だけど、実際は分かっていない……つまり、目撃したのはクラスメートではなく、よその組の子?)

 これは大きな発見のように思えた。いつの間にか両手を握りしめていた須美子。

 だが、ちょっと経つと、苦笑を浮かべて力を抜いた。

(私ったら、これじゃあまるで、犯人探しをしてるみたいじゃないの。いい気はしないけど、見ていたのが誰かなんて今は関係ない。今考えなくちゃいけないのは、早川君に何をどう伝えるか、だわ)

 考え始めようとした須美子だったけれども、すぐに気付く。これは時間を取りそうだから、先に宿題を済ませなければ。


 翌日の朝、いつも通りに登校して教室に入ると同時に早川の席へ目を向けた。

(珍しい……)

 新倉達いわゆる悪ガキグループ三人が周りにいる。一瞬、また何かもめているのかと早合点しそうになったけれども、よく見ると三人ともノートを広げて、時折鉛筆を走らせている。

(宿題を写させてもらってる? しょうがないなあ。仲を悪くされるよりはましだけど)

 自分の机まで行き、「早川君、宿題見せてあげるなんて、甘やかしちゃだめだよ」と言いながら、ランドセルを下ろす。

 と、当の早川が何か言おうとするも、それより先に新倉が反応した。

「甘やかされてねーよ。こいつ、見せてくれれば早いのに、一つ一つ教えてくるんだ」

「文句言わない。やればできるくせに。その二問目からだって、自力で解けただろ」

「そりゃ確かにそうだったけど……」

 教えてもらいながら高飛車だが、ちゃんと手は動いている。時間が迫っているという理由があるにしても、言うことを聞いているようだ。

「あら、宿題を写してるんじゃなくて、教えてもらっているのね。ごめんなさい」

 一応、謝っておこう。ポニーテールを揺らして頭を下げる。

「いいよ別に。今それどころじゃねえ」

 邪険にされてしまったが、それもやむを得ないと理解はできる。早川も教えるのに忙しいようだ。

(ちょっと前まで仲が悪そうだったのに、何でこんなことに。この分じゃあ、メモの話は後回しね)

 小さくため息をついて前を向くと、寺沢が立っていた。

「わっ、びっくりした」

「いいなあ」

 寺沢はすぐにしゃがんで、須美子の机で頬杖をつく。そのままひそひそ声で言った。

「私も早川君から教わりたいな」

「頼めば教えてくれると思うわよ。何せ、あの新倉にまで教えるんだから。博愛精神ていうのかな、あは。教え方も上手みたいだし」

「頼むなんて、簡単にはできないって」

 普段は結構、大雑把で大胆なこともできる寺沢だが、こと好きな異性が相手となると尻込みしてしまう口のようだ。

「それなら……私も一緒に頼もうか」

 肩越しに意識だけ早川へ向け、須美子は寺沢により一層低めた声で提案した。

「ほんと?」

「私も時々、分からないとこあるから。彼ならほとんど正解しそうだもの、頼もしいわ」

 そう応えてから、何でこのような提案を寺沢にしたのかを遅まきながら考える。

(多分……早川君と偶然にもキスをしてしまったことが申し訳なくって、その罪滅ぼしにっていう気持ちなのかな。自分でもよく分かんないわ)

 結局、新倉達の宿題は、授業開始の合図ぎりぎりまで続いた。


 つづく

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