第14話 倍返しだっ!

 妙な感覚に襲われた須美子は、身体の後ろ、腰から下の辺りに両手をやる。と同時に、素早く身体の向きを百八十度換える。だけどこれで落ち着けることなく、上体を起こしてプールの壁を背にしたところで、今度は胸元に水が当たった。

「あ、わ、わりぃ」

 今度は本当にすまなそうな調子で新倉が言った。彼にとっても身体の前の方にまで水を当てるのは予定外のことだったためか、しばし呆然。おかげで水を止めたり、向きを下げたりといった行動ができていない。

「もう、ばかっ」

 身を丸くしてしゃがみ込んだ須美子だったが、次の瞬間には水流を感じなくなった。

「新倉、ぼーっとすんな。止めろって」

 いつの間にか早川が来て、前に立っていた。両腕を広げた仁王立ちで、須美子や寺沢が濡れるのを防ごうとしている。

「何やってだよ。いい加減にしろ」

 新倉のそばには渡会が立ち、ホースを取り上げることでようやく騒ぎが収束に向かう。

「今のはやり過ぎだぞ」

 委員長としての責任からだろう、渡会がきつく叱ろうとする。が、新倉は片手で鼻から口元にかけてを覆うと、くるっと向きを換え、水しぶきを上げて走り去ってしまった。

「おい!」

 渡会ら数名が呼び止めようとしても止まらない。プールから上がると、目を洗うための蛇口がある一角へ駆け込んだ。

「何だぁ、あいつ。もうちょっとさっぱりしてる奴だと思ってたのに」

 言いながら渡会はまず、須美子達の方を見た。

「柏原さん、大丈夫か? 寺沢さんも」

「私は大丈夫だけど、須美ちゃんが濡れねずみだよ」

 寺沢は委員長に答えながらも、その目は須美子と彼女を気遣う早川の一挙手一投足を追い掛けている風だった。

 早川はプールサイドに視線をやって、副委員長を見付けると、

「榊さん。使えるタオルがあれば取ってくれる? できれば大きいやつを二枚はほしい。――あ、寺沢さんの分も入れたら三枚かな」

「オッケー」

 榊は手早く調達すると、三枚のバスタオルをまとめて渡した。そして彼女自身もプールに降りる。

「何かお手伝いできることは?」

「それじゃ、その……柏原さんが水着を直すのをフォローしてあげて。僕には無理だから」

 鼻の辺りをちょっと赤くして、榊に頼む早川。副委員長は須美子の方を一瞥し、小さくうなずいた。

「了解。では、男どもは散るように!」

 両腕を斜め上に伸ばし、あっちへ行ってという手つきをした榊。それからバスタオルを須美子と寺沢に一枚ずつ渡して、残る一枚を須美子の腰から下を隠す形で広げる。

「これで大丈夫でしょ。直せる?」

「うん……」

 須美子の返事に、片膝をついていた榊は顔を起こした。下から須美子の表情を覗き込む。

「泣いてるの?」

 その問い掛けに、すぐ近くにいた寺沢がびっくりして声を上げた。

「え、須美ちゃん、ほんとに? ごめん、水で分からなかった」

 急におろおろし始め、手にしたばかりのバスタオルで須美の髪や方を拭こうとする。

「ありがと。いいよ。大丈夫」

 面を起こした須美子は微笑んでみせた。弱々しい笑顔になってしまったと、自分でも分かった。

「下、終わったね。次、ほら、肩のとこもずれてる」

 すっくと立ち上がった榊が、そう指摘しながら、下がりそうになっていた右肩紐の位置を直してくれた。

「ほんと、ひどい、新倉君。これじゃあ嫌がらせよりも恥ずかしがらせるのが目的みたい」

 おろおろの去った寺沢が、今度は憤慨を露わにする。副委員長が同調した。

「そうね。今度のはさすがに見過ごせない。柏原さん、これまでもちょっかい出され続けて来たのに、先生に言わずに我慢していたのは何か理由ある?」

「え……別にない。大したことなかったし、私も悪口で言い返したり、手が届けば叩き返したりしてたから」

「新倉君を好ましく思ってるから大目に見てた、なんてことはないわけね」

「も、もちろん!」

 仮の質問でも、考えてもいないことを言葉にされると心外だ。思い切り否定した。

「よし、それじゃあ、この際だからとっちめちゃいましょう」

 目を細めた榊。唇の両端が上を向いて、愉快そうだ。

「とっちめるって……」

「そうねえ、これまでされてきたことと同じ目に遭わせるのが基本かしら。いえ、倍返しぐらいしないと気が済まないわね。例えば今のだったら、彼のお尻にホースで水を当て続ける。脱げるまで」

「榊さん?」

 今日の副委員長はやたらと脱がせたがっているように思えてきた。

「あと、確か低学年の頃だけど、スカートめくりがあったか。あれと同じような目に遭わせるには……」

 考えるための間を取った榊に対し、寺沢が挙手した。

「はいはい! 後ろから近付いてズボンをずらしちゃおう」

「それもいいわね。でも私は倍返しが基本だから、彼にスカートを穿かせたいな。今すぐ教室に行って、新倉君の服を隠して、代わりにスカートを置いておくの。着るしかない状況に追い込んでから、思い切りめくってやる」

「二人とも……」

 身振りや手つきを交えて、リベンジの計画を語る榊と寺沢に、須美子は思わずくすりと笑えた。

「他には何があったかしらね。習字か図画の時間か忘れたけれど、筆でくすぐられたことなかった?」

「あったわ。うなじとか耳とか足とか」

「では、それも倍返しに。新倉君を大の字に貼り付けにして、女子みんなで筆攻撃をしてあげようか」

「――あははは。それいいかも。あいつ、かなりくすぐったがりみたいだし」

「そういえば、林間学校の肝試しで、わざと抱きついてきてたよね!」

 きりがないほど過去の“悪行”が出るわ出るわで、それらに対する“復讐”を頭の中で考えるだけでも、だいぶ気分が回復してきた。

「榊さん、直美ちゃん。二人ともありがとう。もう平気だよ」


 つづく

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