第13話 鬼に金棒、悪ガキにホース

「なーんだ」

 目で確認して、思わず言った。

 上は脱ぎ、下はどこから調達したのかボクサーがはくようなトランクスを身につけている。色は黒で、なかなか精悍な感じだ。

「それ、誰の?」

 彼らの背中へネット越しに須美子が聞くと、早川と林藤は一瞬、どこから聞かれたんだ?という風に視線をさまよわせ、じきに気が付いた。

「このトランクスのこと? 僕は知らなかったんだけど、北島きたじまっていう先生」

 小柄だが運動神経抜群の先生だ。趣味でマラソンをやっている。

「トレーニングに使うんだってさ。結構サイズ違いだけど、紐を絞れば何とか」

「あはは。似合ってるわよ」

「うんうん、格好いい」

 寺沢もこの機会を逃さず、早川をほめる。

「けれども」

 会話に入って来たのは、すでにプールサイドに立っていた榊だった。下から見ると、スタイルのよさと胸の大きさが一層強調されるような。

「まさか、先生が使っているのを直に穿いたの?」

「ち、違うよ。元々トレパンの上から重ね着するって言ってたし、僕だって下は半ズボン」

「本当に? 見せて」

 そう言って、実際にトランクスに手を掛けようという仕種をする榊。当然、早川は逃げようとしたが、林藤が掴まえた。

「どうぞ、副委員長」

 のりがいい林藤に、榊も合わせて手を近づけていく。

「先に謝っておこうかな。一緒にズボンやその下まで脱がせちゃったらごめんなさいね」

(えっ、榊さん、本気?)

 どぎまぎした須美子の隣では、寺沢がきゃーきゃー言いながらしっかり見ている。

 ところが――というよりも、当然、であるが――榊はトランクスを脱がすことはせず、その代わりのように早川の胸板に触れた。

「前から気になってたのよね。服越しでも何となく分かったけれど、直に見るともっとだわ。何かやって鍛えてるの、これ?」

 さすがに触ったのはごく短い時間だったが、榊の目はしげしげと早川の上半身を見つめている。

「言われてみれば凄いよね、須美ちゃん」

 今気が付いたという体で、寺沢が須美子に向き直った。

 直接見たことはなくても、早川の腕力の強さは肌身を持って実感してる須美子は、当たり前だと思っていたため、反応が一拍遅れた。

「そうだね。ここからだとほぼ逆光で完全には見えないけど」

 その発言に、「じゃ、早く向こうに行って、私も見なきゃ」と、普段見られない素早さで寺沢は走って行った。

「まったく……」

 苦笑を堪えつつ、もう一度、早川の方を見上げる。

 漠然と想像していたよりは筋肉はついていない。バーベルなんかで鍛えたのではなく何かのスポーツ、恐らく格闘技や武道をやって自然とできあがった身体のように思えた。

「トレーニングはしてる。けど、説明が長くなるから」

「あら。私はこう見えても、格技には詳しい方だという自信があるのよ。引く力が強そうだし、柔道か柔術? でも耳の形はきれいなのよね」

 榊が何故だか粘る。

 早川は軽くため息をついたかと思うと、後ろから両腕を回して押さえつけていた林藤に対し、「下手に抵抗しないでくれよ」と囁いた。

「へ? 何?」

 林藤が聞き返すその台詞が終わるよりも早く、早川の身体が消える。

 実際には真下にすっと沈めただけなのだが、あまりの早さに、少なくとも林藤にとっては消えたように見えたろう。早川はそのまま林藤の足下に潜り込んで、背後を取ると相手の左膝裏をつま先でちょこんと蹴る。つっかえ棒を外れたみたいにかくんとなって、バランスを崩す林藤を、早川は後ろから右腕と海パンを掴んで支えてやった。

「こういうことをやってる」

「んー、護身術?」

「まあそんなところ。小さな流派だし、説明が長くなると思って」

 やや気恥ずかしげに説明する早川の下から、「終わったら離してくれ~。俺の方が脱げるわっ」と林藤の声が届いた。


 プール掃除は佳境を迎えていた。

 そしてまた、プール掃除では絶対にやってはいけないことがいくつかある。今現在、その一つが破られてしまっていた。

「ひゃっ?」

 最初の“犠牲”になったのは須美子。突然の冷たさをお尻に感じて振り返ると、五メートルほど離れた先に新倉が立っているのが見える。その右手には水道ホースの先端が握られていた。様々な水流が出せる専用ノズル付きで、手元のスイッチ一つで水を止めることだってできる。

 そう、絶対にやってはいけないこと、許してはいけないことの一つとは、悪ガキどもにホース及び水道の蛇口を確保されること、である。

 新倉は歯を覗かせてきししと笑いつつ、「わりぃ、手が滑った」と謝っているが、どこからどう見てもミスではなく、わざとだ。狙って水を飛ばして、須美子にちょっかいを掛けてきたのは明白であるが、下手に近付こうものならより多くの水を掛けられてしまう。それが分かっているので、須美子も一歩踏み出しただけで足を止めた。

(こういうのは無視よ無視。どうせ最後には先生に怒られる)

 寺沢と一緒に場所を移動する。が、新倉の方は相手にされなかったことが不満で、もうちょっとしつこくやってやろうという気持ちになったようだ。

「逃げんなよー。虫がとまりそうだったから、追い払ってやったのに」

 近付いてきながら、そんなことを言う。

「嘘ばっかり」

 距離を取って、プールの隅っこの汚れを落とそうと、中腰になる須美子と寺沢。ブラシでは取れなかった、壁面の小さなくぼみにある藻のような物をスポンジでこする。

「新倉君て、やっぱ、須美ちゃんのこと気にしてるよね」

「はあ。いい加減やめてほしい」

 二人でひそひそ声で話していたとき、水攻撃の第二弾が来た。

「!」

 先ほどとは勢いが全然違う。指で押されたみたいに、軽く痛い。さらに加えて、水着を持ち上げられる感覚すらある。

(えっ、ちょっと、食い込んできてる?)


 つづく

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