第12話 いい身体しているねっ?

 冷静になろうと、密かに深呼吸した。直美ちゃんごめんねと、先に心の中で断りを入れておいてから、空想にふける。

(優しいし、行動や決断は早いみたいだし、勉強運動ともにできて力もある。うまく受け止めてくれただけだったなら、そのまま好きになれたのかな。本当に、つくづく運が悪かったわ、キス)

 キス。繰り返しこの二文字を心に浮かべていると、またもや恥ずかしさがこみ上げてきそうになる。

 須美子は、いっそ早川にもこのハプニングが起きていたことを教えたら、どうなるかしらと考えた。

(口を拭ったり洗いに行ったりする? 早川君の性格でそれはないわよね。少なくとも私が見ている前では。まさかと思うけど、喜んだりして――? そういう反応はちょっと嫌かも。女の子なら誰とでもいいみたいに見えるからかな。他に、もっとありそうな反応は何かないかしら……。私みたいにパニックになって、恥ずかしがったら? ちょっとかわいくていいかもしれない)

 そこまで想像を膨らませた須美子は、知らず、にんまりしていた。

 ちょうど同じタイミングで、日番のノートを書き終えた早川が、「やっと終わった。さあ、帰ろっか」と言いながら見上げてきた。

「――そんな笑いそうになるほど、僕の書いた文章、おかしかった? だったら言ってくれたらよかったのに」

「え? あ、ち違うのこれは。楽しいことを思い浮かべていただけなのよ」

「本当に?」

 まだ不安そうにする早川。須美子の言葉を疑っているというんじゃなく、自らの文章能力に自信を持てないでいるようだ。

「大丈夫。さっき書いた文、私はのぞき見なんてしてないけど、早川君なら問題ないでしょ」

「そうでもないの」

 自らを下げる発言が続く早川。須美子は彼が転校初日の挨拶で、苦手な科目は国語だと言っていたのをふと思い出した。

「国語、苦手って言ってたけど、テストの点数はいいわよね?」

「見てるんだね」

「そ、それは嫌でも目に入るっていうか」

「ははは、別にいいんだ。暗記でも行ける国語のテストなら、まあまあいい点取る自信はあるよ。けれども、実力テストの国語は、さっぱりだ」

「どうして」

「僕はどうも、国語の文章問題に対しては考え過ぎちゃうとこがあってさ。この言葉はそのまま受け取っていいのか、行間を読むのか、それとも皮肉から敢えて反対の意味の言葉を使っているのか、なんてね。余計な気を回すから、時間がなくなちゃうんだ。自分でも分かってるんだけど、やめられないっていう」

「ふうん」

 そういう性格だったら、偶然キスししてしまったのよって教えたら、どう受け止めるのか想像も付かない。これはやっぱりよしておこうと心に封をする須美子だった。

(ただ、言葉を考えすぎるのって、ひょっとしたら早川君の優しさと関係があるのかもしれないね。考えに考えて、他人の言葉を解釈して、行動を取るんなら)

 須美子は何度も微笑みそうになっていたが、ここは堪えた。早川に見られたら、何と言われるやら、しれたものじゃない。

「何か変だな~」

 堪えたつもりだったけど、ちょっぴり漏れていたみたい。詮索されても長引いて面倒なので、須美子は一人、先に教室の戸口に向かった。

「気にしなくていいの! さっ、早く行きましょ」


 六月も中旬に入り、晴天が徐々に増えてくる。

 学校ではその日、大掃除が行われることになっていた。

 須美子らの六年一組は、雨降りで遅れていたプール掃除がイレギュラー的に割り当てられ、クラス全員が参加するようにと決まったのが昨日のこと。

「えっ」

 昼休み、給食中の女子の会話で、プール掃除はスクール水着着用だという話が出て、小耳に挟んだ早川の顔色が変わる。

「――それって、まじ?」

「そうよ」

 当たり前のことなので、特に何も思わずに肯定する須美子。対照的に、早川は「教えてくれよー」と情けない声を上げた。

「前の学校では体操着か、普通の服でやってたんだよ」

「それはそれは……お気の毒様です」

 何とコメントしていいのやら、迷って、結局そんな言葉しか出てこなかった。

「怒られるのかな?」

「大丈夫でしょ。忘れる子は今までもいたはずよ」

「いや、噂だが」

 割って入ってきたのは、新倉だった。早々に食べ終え、お盆を手に食器などを返しに行く途中である。

「海パンを忘れた者は、罰としてすっぽんぽんで掃除に参加するんだとか」

「――」

 声をなくしたのは早川ではなく、今の話を聞かされた須美子達女子の方。

「そんなわけあるかあっ」

「転校生をからかおうと思って!」

「早川君に何か恨みでもあるの?」

「下品ね~」

 と一斉に攻撃ならぬ口撃をされて、新倉は「ジョークの分かる奴はいねーのかよ」と捨て台詞を残してさっさと逃げ去った。

「びっくりしたでしょ。あいつ、早川君を妬んでるとこあるみたいだから気を付けて」

 と、これは須美子の隣の席の郡司星里奈ぐんじせりな。親が天文好きでこの名前を付けられたらしいが、当人はもっぱら遺跡に興味があるというから、視線の向きが正反対だ。

「ごめんねー、早川君。うちの男子にはああいうのがちらほらいて」

 副委員長の榊があたかも代表するかのように謝り、嘆息した。クラスで美人投票をやったらトップ間違いなしだが、性格はいわゆる男勝りってやつ。そんな彼女が箸を仕舞いながら続けて言った。

「私が男子だったら、自分はいいからってことにして、貸してあげたのに」

「やだ、榊さん。水泳パンツの貸し借りだなんて」

 副委員長の珍しい冗談に、須美子がつっこむ。早川はどう反応していいのか困った風に、表情に苦笑いを広げた。それからやおら席を立って、

「とりあえず、先生に聞いて来るよ」

 と、村下先生の机まで急ぎ足で向かった。


 そして大掃除の時間。着替えてプールの近くまでやって来た須美子や寺沢達は、金属製のネット越しに、早川が林藤光太郎りんどうこうたろうと話しているのを耳にした。

「服が濡れるだろうからって、結局こうなった」

「結局、俺達とあんまり変わらんのね」

(あんまり変わらないということは、まさかパンツ一丁になったとか)

 そんな想像をしたのは須美子だけじゃなかったらしく、寺沢も頬を赤くしながら一緒になって金網の向こうを覗こうと背伸びする。


 つづく

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