第11話 気持ちと言葉と口づけと

 両手で口元を覆う。

「ど、どうしたの? くしゃみが出そう? それとも僕の格好、吹き出しそうなほど変なのか?」

「――ち、違う違う」

 早川の早とちりに、ほんとに笑いそうになった。そのせいなのか、意図せぬキスをしたという衝撃と恥ずかしさは、幾分和らいだような気がする。あとは大声を出すことでごまかし、吹っ切ろう。

「私の方は何でもないのっ。それよりも早川君の方よ。痛いのなら、保健室に」

「そこまでするほどじゃないと思うんだけど」

 やっと上体を起こした早川。手を入れ替えて、またひとしきり首を揉んでから、ゆるゆると起き上がった。須美子は自分がまだしゃがんだままだったことに思い当たり、スカートの乱れを直しつつ、すっくと立つ。

「見せて」

 須美子は言うが早いか、今度こそ完全に距離を詰めると、早川の後ろ側に立った、

「え?」

「こぶはできてないみたいだけど。あざは髪の毛でよく分からないわ」

「だ、だから大丈夫だと思うよ」

 早川は後ろから話し掛けられるのがくすぐったいとでも言いたげに、身を翻して須美子の方へ向き直る。それから言葉の接ぎ穂を失ったみたいに目線をさまよわせる。

 と、急に床の一点を指差して言った。

「柏原さん、裸足……じゃないや、素足……でもないか。要するに上靴、履いてないよ」

「あ。ほんとだ」

 すっかり忘れていた。地震のために、あれこれ恥ずかしい目に遭う。

 須美子は上履きを片方ずつ順に、つま先をとんとんと床に当てて履いた。

 ちょうどそのとき校内放送が掛かり、今の地震が最大震度4で、学校のある辺りは震度3、津波の心配はない云々と伝える。校内でガラスや物が壊れて飛び散った可能性もあるので、注意をするように、また見付けたら知らせるようにという話もあった。

「震度3かぁ。もっと大きいように感じた。やっぱり実際に起きると慌ててしまうね」

 早川の意見にはうなずけるものがあったが、須美子は直接のコメントはせずにいた。この際だから言っておきたいことがある。

「まったくもう。地震でも驚いたけれども、もっと驚いたのはあなたの腕の力よ」

「そんなに強い? 痛かった?」

 今度は自らの二の腕をさすりながら早川が言った。

「痛いって言うか、ぎゅっと締め付けられる感じよ。結束バンドで縛られたみたいに、全然動けなかったわ。あなたは名前を呼んでも寝たまんまだし、どうしようか途方に暮れてたんだから」

「……」

「な、何よ。急に黙り込んじゃって」

「いや。柏原さんは結束バンドで縛られた経験があるのかなーと」

「――こら! 変な姿を想像しないでよ!」

 思い切り怒鳴った須美子に対し、早川は耳を押さえるポーズを取りながら、「え? え?」と理解できていない様子。

「そ、そんなに変かな。米国ドラマによくあるでしょ、犯罪の容疑者を逮捕するときに、結束バンドみたいな物で後ろ手にくるくるって拘束するシーン。あれを思い描いただけなんだけど」

「……」

 須美子が自分で思い描いたのは、特撮物でヒロインが縛られている構図だった。その落差に、また少々顔が熱くなった。

「そ、そういう姿なら……ううん、やっぱりだめ」

 須美子はきっぱり言って、机と椅子を直しに掛かる。早川はそれを手伝いながら、「何でだよー」と聞き返した。

「私は容疑者じゃありませんから。それよりあなた、手伝ってくれるからには、ノートは書けたのね?」

「あ……まだでした」

「早く書く!」

 どやされた早川は机の列を飛び越えるようにして、元いた席に戻った。

 須美子が机と椅子を直し終わり、早川のいる席に近付いたところで、教室の後方ドアががらりと音を立てた。

「――お、おまえ達、無事だったか」

 担任の村下先生がちょっぴり息を切らしながら聞く。先生の表情は、明らかに安堵していた。

「あ、はい」

「なかなか来ないから、心配になって来てみたんだぞ。まあ、何も起きなかったならいいが」

 村下先生は「早く持って来るんだぞ、ノート」と言い残し、戻って行った。

(何も起きなかったわけじゃないんですけど……このことは他のみんなには内緒にしなくちゃ)

 須美子は早川の手の動きを見ながら、タイミングを計って話し掛けた。

「ねえ。このことはみんなには秘密だからね」

「このこと?」

「だから、地震が起きてからあとのこと。わざわざ言うほどのことじゃないわよね」

「うん、まあ。スリルはあったけどさ。揺れの中、君をうまく受け止められるかどうか、緊張した」

 受け止められた瞬間を思い出そうとして、須美子はぼんやりと、記憶が蘇るのを感じた。確かに、キャッチされたこと自体は痛くもなんともなく、むしろ柔らかく包み込まれるような感じだった。

「あ、ありがとね」

「――どうしたの、改まって」

 またまた手が止まる早川。今日はいつになく筆が遅い。見上げてきた彼に注意を与えることはせず、須美子は応えた。

「改まってお礼を言いたい気分だったの。いいでしょ」

 いい思い出になりそうだ。ただし。

(唇が重なっていなかったらもっとよかったのに。ああ、早川君の方は意識をなくしてたんだから、気付いていないのよね。だったらまだましよ。私も気を失っていたかった。偶然のハプニングと言ったって、ファーストキスを奪われたのと同じじゃない、これって?)

 そう考えると、海の底の深淵に落ちたみたいに、すとんと悲しく暗くなる。

(せめて好きな男子とだったなら、こんなハプニングでも受け入れられるのに。いないけど、好きな男子なんて)

 考えを推し進めつつ、早川のつむじを何となく見つめる。

(……早川君なら、ちょっといいかもって思えるような気がする。気のせい?)


 つづく

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