第3話 気になる存在

 体操服に着替えると、身体の線が普段よりは出るため、自分の発育の遅さが気になる。特に、いや、胸だけが小さい。全体の身体つきはだいぶ大人びてきて、くびれ(イコールお尻が大きく見えるらしい)を男子からからかわれることすらあるのだが、その分、上にはホルモンが回っていないのかしらと疑いたくなるほどだ。

「いいなあ」

 対照的に胸の大きい寺沢を見て、つい愚痴っぽくこぼした。当の寺沢は友達の視線で察知したらしく、「私の方は須美ちゃんのスマートさがうらやましいんだよ」と大真面目に返した。実際、寺沢はふくよかな方で、大の甘い物好きということと相まって、少しでも油断すると体重が危ない、とは本人の弁。

「今日は体育館だっけ」

「うん。雨がまだ降ってるみたいだし、ちょうどいい」

「けど、測定だよ。嫌だなあ」

 年に一度の体力テストによる測定が行われる日に当たっていた。遠投だけ後日行われることになるが、それでも七項目もあると、運動が苦手な寺沢にとっては正直、うんざり、げんなりといったところらしい。

 一方、須美子は運動は得意な方だ。長距離走以外はおしなべてこなすし、記録もいい。

「がんばろ。なるべくこつを教えるから」

 寺沢の背に手をやって励ます。

「何か目標があればがんばれるよ、直美ちゃん」

「……じゃあ、須美ちゃんが早川君と親しくなって、私を紹介してもらえないかなあ?」

「え、それ、本気で言ってる?」

「うん、割と本気」

 言葉の通り真顔でうなずく寺沢。

 須美子は髪が邪魔にならないようにまとめて、体操帽をきゅっと被ってから、小首を傾げた。教室を出たあとに理由を尋ねる。

「どうして私を中継して、あの転校生の彼とお近づきになろうと思うのよ?」

「だって、早川君、こっちから話し掛けないと、喋ってくれない」

「……うん? 何のこと?」

「男子はそうでもないけど、女子はこちらから話し掛けないとだめだった。でも、思い返してみると、早川君、須美ちゃんには話し掛けようとしていたなって」

 須美子は感心した。寺沢の観察力に。それと同時に、ちょっと呆れもした。

「あはは。今日会ったばかりで、しかもたったの三時間ぐらいしか一緒にいなくて、それ? いくら何でも判断早すぎじゃない?」

「そう言われたって事実なんだもの」

 ぷくっと頬を膨らませる寺沢。須美子は、ないない、と手を顔の前で振った。

「三時間のほとんどは授業中だったでしょ。たまたまよ。男子と話をして、女子とはそうでもないっていうのも普通でしょ。その内早川君も慣れて、きっと向こうから話し掛けてくるわ」

「そうかなあ」

 納得いかない風に頭を左右に振る寺沢だった。

「そうだよー。私に話し掛けようとしたのだって、ただ単に席が近いだけだからじゃない? 話の中身も多分、つまらないことよ。消しゴム貸してくれみたいな」

「うーん」

 今度はうなる寺沢。

(あらら。これは本格的に一目惚れしちゃったのかな。ま、確かに整った顔だし、優しそうだもんね)

「ほら、遅れちゃうわ」

 須美子は、考え込むあまり歩みの遅くなった寺沢の背中を後ろから押してあげながら、微笑ましく思った。


 体力テストでは、自分の番が来るのを待つ間、なんとはなしに早川が気になった。前の休み時間に話題にしたから、というのではなく、寺沢があまりにも言うものだから、というのが大きかったんだと思う。

(ふうん……やるじゃない)

 須美子は体育座りで“観戦”し、早川が次々といい記録を出しているのを目撃した。

 握力は何か格闘技でもやってるんじゃないかというぐらい強く、前屈では身体を腰のところで半分に折りたためそうなくらいの柔軟さを見せた。

 そして何よりも、五十メートル走において、クラスで一、二を争う俊足の新倉に僅差ながら勝利したのがクラスメートから驚きと歓声を呼び起こした。

「くっそー、もういっぺん勝負だ!」

 新倉が詰め寄るのに対して、早川は両手の平を向けて、まあまあと制しつつ、涼しい調子で答えた。

「いいけど、体力テストで走れるのは確か一回きり」

「テストと関係なしにだっ」

 もちろんその場での再戦は認められるはずもなく、体育館の端っこで勝手に走るわけにもいかないので、後日にお預けとなった。

(確かに格好いいかも)

 感心の吐息をこぼしつつ、思った須美子。ただし、感心した対象は早川ではない。見る目のある寺沢に感心したのだった。

 その寺沢は須美子の隣で立ち上がり、握りしめたこぶし同士を拝むみたいに合わせて、早川の動きを目で追い掛けているようだった。五十メートル走のときには声を上げて応援していたのに、今では静かになっている。他の女子と一緒でないと、一人で声を掛けるなんて恥ずかしい、という気持ちが芽生えているのかもしれない。

(教室では積極的に見えたのに)

 目だけで友達を見上げながら、つい、苦笑いを浮かべてしまう。

(ライバルも多そうだし、道のりは険しいかもよ、直美ちゃん)

 本日の残るテスト項目は二十メートルシャトルランのみ。もう一度軽くストレッチしておこうかと身体を起こしつつ、他の女子の様子を見るために首を巡らせていると。

「柏原さん」

 視界に不意に早川が入って来た。

「今、いい?」

「え、ええ」

 突然だったので頭が回らない。心の中では、一時間目のことを謝ろうというスイッチが入っているのだが、声になるまでに時間が掛かっている、そんな感覚があった。

「聞きたいことがあるんだ。一時間目のことなんだけど」

 そう切り出されて、やっぱり怒ってるんだと、須美子は肩をすぼませた。それから改めて「ごめんなさい」と頭を下げる。

「そう、その『ごめん』のこと。周りから囃し立てられているときに、何で謝っていたのかと不思議でさ」

 早川の台詞に須美子は「え?」となって、面を起こす。

 目が合った。

「……あれは私が変な反応をしたおかげで、早川君まで怒られて。あなたに悪いことしちゃったと思ったから。聞こえているとは思ってなかったけれど。だからあとでちゃんと謝ろうとしてたのよ」

「なあんだ。そういうことか」

 早川はすっきりした様子で、快活な笑みを浮かべていた。疑問が解消したからだけじゃなく、どこか安堵した風でもある。

「僕の方こそごめん。いきなり話し掛けて」

「そ、そうかしら」

「何度も転校していると、最初が肝心だっていう思いが強くてさ。まずは近くの席の人に挨拶をと考えたんだけど、いきなり失敗して、落ち込んでた」

「……落ち込んでいるようには見えなかったわよ」

「それは当然、表に出さないようにしてるので」

 まだ話し続けたそうだった早川だったが、そろそろシャトルランの順番が巡ってくる頃合いになっており、男子から名前を呼ばれた。

「行かなくちゃ。まあ、よかった。気にしなくていいから、柏原さん」

「う、うん」

「――あ。それと」

 行きかけた早川が足を止めて振り返る。

「おっちょこちょいな性格かと思ったけど、運動神経いいんだね、柏原さんて」

「――な」

 急に評価を下されて、また呆気に取られてしまった。

(な、なによ。おっちょこちょいって。否定はしてくれてたけど、今言わなくてもいいじゃない。……私もちょっといいな、と思い始めたところだったのに)

 もやもやした気持ちを抱えて臨んだシャトルランの成績は、いまいちだった。


 つづく

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