第2話 ひとめぼれ

 一時間目が終わるや否や、早川の周りには人垣が作られた。

 が、須美子は先ほどの出来事から来る恥ずかしさもあって、距離を取ることにする。自分の席を離れて、教室の最前列、戸口の近くにある寺沢のところに行こうとした。

(あれ? いない)

 ついさっきまでいたのに……もしやと思って自分の席のある辺りを振り返ると、人垣を構成する一人になっていた。いつも以上の満面の笑みで、早川に話し掛けているのがちらっと見えた。

 しょうがない。行きたいわけではないけれどもお手洗いにでも避難しよう。

 廊下に出ようとした須美子の前に、隣のクラスの友達が現れた。

「お。あれが噂の男子転校生?」

 めがねの位置をちょっと直してからつま先立ちをして、須美子の頭越しに教室の後ろを見やる。額に片手で庇を作っている辺り、いかにもポーズめいていた。

「あの位置だと、須美の真後ろだよね?」

「うん」

「須美は気にならないの? 顔、いい感じだと耳にしたんだけれども」

 須美子も振り向いた。転校生の顔かたちは、今は集まったクラスメートのおかげで陰になり、はっきりとは見えない。

「まあ……整った顔立ちはしてるわ」

 結局教室内にとどまり、そのまま二人で立ち話になった。

双葉ふたばこそ、男子に関心を持つのってキャラクターに合わないような」

「そんなことはない」

 心外そうに口をとがらせ、即否定した吉井よしい双葉は、ボーイッシュなショートヘアを手櫛ですいた。

「私が男嫌いみたいに思われるのは、ただ一人、近所にいる幼馴染みの腐れ縁の奴が原因。諸悪の根源よ。決して男子が嫌いとか苦手とかじゃなく、あいつとは反りが合わないってだけ」

「そんな難しげな表現を使ってまで、岡村おかむら君のことを否定しなくても」

 須美子はその岡村が今この場に現れやしないかと、思わず周囲に目を走らせた。その様をまのあたりにした吉井が察しよく呼応する。

「大丈夫だって、あいつなら職員室に呼び出されているから」

「そうなの? また何かやらかしたとか?」

「さあね。そこまで聞いちゃいないから。男運のなさを言うんだったら、須美、あなただってあれがいるでしょ、新倉真吾」

 吉井が名前を出すのとほぼ同時に、当の新倉が教室の横の廊下を通り掛かった。話し声がしっかり耳に届いていたのか、須美子達のいる方を振り返るも、他に用事があるらしくて行ってしまった。

「うん? どったの?」

 黙り込んだ須美子に気付き、次に視線のあとを追う吉井。廊下に背中を向けていた彼女は気付かなかったようだ。当然、新倉の姿はもうない。

「見えなかった? 新倉本人が通ったんだよ」

「あらま。よく絡んでこなかったわね」

 苦笑いを浮かべる吉井。その笑みがどういったニュアンスを含んでいるのか、須美子にはよく分からない。

「朝一番で頭をぽんぽんされたから、もう充分だわ」

 肩をわずかにすくめたところで、休み時間の終わりを知らせるチャイムが静かに鳴る。

「じゃあまたね。今日はお昼? 放課後?」

「お昼かな。天気悪いし、外に出て遊ぼうとは誘われないだろうから」

「じゃ、直美ちゃんと一緒にこっちから行くね」

 そう約束したあと、吉井は廊下に出、須美子は自分の席に戻った。座りしな、転校生と目が合う。正確を期すと、早川の方から目を合わせてきたような気がしないでもない。

「あ」

 何か言いたげに口を開いた早川だったが、すぐにその目線がずれて、須美子の肩越しに教卓の方へ。先生が早々にやって来ていた。

「だめか」

 早川がぼそっと呟くのが、須美子の耳にも届く。気になったことはなったけど、一時間目のあのいきさつがある。まだ一時間ほどしか経っていないこのタイミングで、先生の見ている前で「何?」と後ろを向くのは避けざるを得なかった。


 次の休み時間になり、早川の方が声を掛けてきた。

「あの、柏原さん」

 普通なら、須美子も応じるところであるのだが、今は間が悪い。というのも。

「ほらほら転校生の早川君は知らないだろうから教えてあげよう」

 新倉がやって来て、早川の腕に腕を絡めた。そのまま引っ張っていこうとする。

「な、何を?」

「次の授業は体育。着替えは男子と女子で別々。そしてこの教室は女子で、俺らは隣の教室に行く。分かったか?」

「ああ、そういう……」

 一瞬で理解した様子の早川は須美子へ軽く目礼し、やや恥ずかしげに「だったら急いで出ないと」と体操服入れの巾着袋を机の脇のフックから取った。

 依然として新倉に腕を引かれながらも、無駄のない素早い動作の早川は、最後には逆に新倉を引っ張って教室を出て行った。

「何を話してたのかな~?」

 途端に背後から声を掛けられ、須美子はどきどきを抑えつつ、振り向く。ポニーテールがいつもより多少激しく揺れた。

「直美ちゃん、いきなり話し掛けないでよー。びっくりするから」

「だって、とーっても楽しそうに話していたから、邪魔しちゃ悪いかなって思って」

「話していたって、早川君と? 私は話してないよ。早川君が新倉の奴と一方的に話してただけ」

「ふうん? じゃあ、見間違えじゃなかったんだ。早川君が話し掛けようとしていた場面だけ見えてた。続きはなかったのね?」

「その通りよ。さ、着替えなくちゃいけないから」

「何の話だと思った?」

「はい?」

「転校生に話し掛けられる心当たり、あるのかなーと」

「……ない」

 強いて言えば一時間目、彼も巻き込む形で注意されるきっかけを作ってしまったことくらいか。

(でも、あのことはどちらかと言ったら、私の方から話し掛けて謝らないと)

 ふと、義務感に駆られた。急いで着替えようと焦る。

 寺沢の方は体操服をわざわざここまで持って来ている。自身の席で着替えないで、須美子の近くの席で着替えることは希にあったけれども。

「……もしかして、直美ちゃん」

「うん?」

 須美子が頭の中に浮かんだ推測を声にする前に、寺沢は後ろの席を陣取った。いそいそと上着を脱ぎ始める。

「やっぱり」

 二枚目に弱いところがたまに出るなあと常々思っていたけれども、今回は相当に重症かな。転校してきた初日の男子の席で、着替えを始めるだなんて。

「何がやっぱり?」

 体操服から頭だけ出して、腕はまだ通さない状態で寺沢が聞いてくる。須美子はちょっとだけ考えて、口を開いた。

「ストレートに聞くけど……直美ちゃん、早川君に一目惚れした?」

 言葉も表情も真っ直ぐに尋ねた須美子。正面に立つ寺沢は一瞬きょとんとしてから、不意に顔を赤らめた。頬に両手の平を宛がって、急にふにゃふにゃになりながら、一段階ボリュームを落とした声で応じる。

「やだぁ。須美ちゃん、どうして分かるの?」

 そりゃ分かるってば。


 つづく

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