二人の交差点、その名は“初恋”
小石原淳
第1話 転校生
季節は梅雨のただ中、今日も朝から雨がしとしとと降る。けれども、六年一組の教室は一つの噂がもたらされたことによって、空模様とは無関係に活気づいていた。
「イケメンだといいねー」
仲のいいクラスメート、
「私は別にどっちでも」
朝、その噂話を最初に耳にしたとき、
六年生の六月という中途半端な時季に転校生なんて珍しい。修学旅行が終わったばかりだから、ある意味、区切りではあるけれども。
つまり強いて言えば、転校生の男子の顔にはほとんど興味はないけれども、こんな時季に転校になった理由はちょっと気になる。
「いや、もっと気にしようぉ、須美ちゃん」
「机を揺らさないでね」
新調した蛍光ペンの書き具合を試そうとしていた須美子は、穏やかに注意した。
寺沢は素直に聞き入れ、机を揺さぶるのはやめたけれども、おしゃべりの内容はそのまま続行だ。
「転校生が須美ちゃんのすぐ後ろに来るのは間違いないんだからぁ」
寺沢の想像で当たりなのだろう。須美子の席の真後ろには、昨日までにはなかった机と椅子が一式、運び込まれていた。
ポニーテールの髪を揺らして何となく後ろを振り返った須美子は、「確かに、知らない人に後ろからじっと見られるかと思うと、気味悪いかも」と冗談を口にする。
「もお~。もっと夢を持たなきゃだめだよ」
「夢?」
「さっきから言ってるじゃない。イケメンが来てくれることを思い描くの」
両手を拳にして力説する寺沢。須美子に比べればぽっちゃりタイプだが、メリハリの利いた仕種が愛らしさに拍車を掛けている。
「あはは。それはそれで緊張しそう」
「運命の相手が来ることを想像して。そうだ、今朝、トーストくわえた人と角でぶつからなかった?」
「あのねえ。集団登下校してるのに、そんな状況、ありえないでしょ。中学校以上じゃないと、ないない」
「それもそっか。だけど、トーストをくわえた男子の集団という可能性は残るんじゃない?」
寺沢が冗談で返したところで、予鈴が鳴った。廊下で遊んでいたクラスメート、主に男子達が雪崩れ込んでくる。寺沢も腰を上げ、彼女本来の席へと急いだ。
「よう、柏原っ」
戻って来た男子の一人、ガキ大将格の
「何すんのよ」
ほぼほぼ毎度のことなのだが、怒らないでいるとますます調子に乗せてしまうのでしっかり抗議し、釘を刺す。
「おまえ、男がほしいからって、机と椅子を自分の後ろに持って来るとはやり過ぎだぜ」
「何ですって。そんなことしてないわよ」
「怒るところが怪しい」
「朝来たら、こうなってたの。って、待ちなさいよっ、こらぁ」
話している途中で新倉は逃げてしまった。これまたよくあるやり取りのバリエーションの一つに過ぎないので慣れっこにはなっているけれど、怒らないでいると以下同文。
須美子が蛍光ペンを強く握り、立ったまま奥歯をかみしめたそのとき、担任の
「――何を立ってる。座りなさい」
運悪く、一人だけ立っていた状況だった。村下先生の呆れた響きを含んだ言葉に、言い訳するのをあきらめ、「はい」とだけ返事して座った。
座ってすぐに、今度はクラス委員長の
村下先生は「おはよう」とぼそりと言ってから、出席簿と教科書を教卓の上に置いた。
「えー、本鈴がまだだが早く来たのにはわけがあります。といっても、ほとんど全員が知っているようだが……今日は転校生の紹介から始めよう。入りなさい」
見ると、教室前方のドアは半開きの状態になっていた。そこを通して転校生の姿が垣間見える。呼ばれた彼は軽く一礼をしてから入って来た。
「お、ほんとにイケメン」
誰かが言った。女子でなく男子が言ったのが何だかおかしい。
転校生はぱっとみ、身長はクラス全体の中程、太っているでも痩せているでもなく、平均的な体格の持ち主だった。
「まずは自己紹介してもらおうかな。名前を板書して」
先生に促され、こくりとうなずく。優しげな目と意志の強そうな口元が印象的だと、須美子は感じた。
丁寧な文字で“早川和泉”とボードに書くと、改めて向き直り、
「初めまして。G県の※※小学校から転校してきました、
と言った。
目と同じく優しい響きを含んだ、そしてどことなく懐かしい感じの声――須美子にはそんな風に聞こえた。
担任が「それだけ?」と追加を促すようなニュアンスで言うと、転校生の早川は視線を行き来させてから、再び口を開く。
「好きな科目は算数と理科で、国語は苦手です。あと、今度で四回目の転校になります」
この後半の情報には、「ええ?」と「おおっ」が入り交じった大きな反応があった。目を丸くする早川に、「何で?」という質問が飛んだけれどもそこは村下先生が遮った。
「はいストップ~。もう本鈴が鳴るのでそこまで。あとは休み時間にでも改めて本人に聞いてみるように。えー、早川君の席だが、そこ」
と、村下先生が割と大雑把な動作で、顎を振って示す。
「廊下側から三列目の一番後ろ、空いてるから。あそこに座りなさい」
「――はい」
「あ、視力は大丈夫だって聞いてはいるんだが、実際に座ってみて、もしもだめだったら言いなさい」
「分かりました」
早川は軽い足取りで通路を進み、須美子の横も通り過ぎた。と、向きを換えた刹那に、「よろしくね」と小さな声で言って来た。
声を掛けられるなんて予想していなかった。勝手に膝がびくっとなって、机の底を叩く。がた、と大きめの音がしたが、それ以上にボリュームのある声で須美子は反射的に「こ、こちらこそ初めまして、よろしく」と早口で応じていた。
当然、その声は教室にいるみんなにも聞こえてしまうわけで。
「ちょ、何言ってんの」
「お見合いでも始める気か」
「転校生も大胆だな」
という風な驚きやら呆れやら冷やかしの声が色々と混じって、あちこちから上がる。
顔が赤くなるのを自覚した須美子は俯きがちになり、ごめんと呟いた。それから両手で頬を押さえる。先生が「し・ず・か・に! 挨拶するのはマナーに叶っている、何がおかしいものか」とフォローしてくれた。ただしその直後に、「早川君も柏原さんも言うタイミングはよく考えて」としっかり注意されてしまったけれども。
つづく
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