第43話 殺生石 其之十

 私たちの前には、雪のように真っ白な大地が広がっている。


 あれが陰陽寮の『獣狩り』と九尾の狐が戦った場所だ。もう二百年も経つというのに、今だに九尾の狐の妖気と獣狩りの覇気を感じる。天変地異に近い戦いが、この地で繰り広げられた事は想像に難くない。

 その激し過ぎる戦いのおかげで、九尾の狐はこの時代に蘇ったものの不完全な魂の存在だった。そして、九尾の狐は、自分をそんな状態にした『獣狩り』が、、もうこの時代には存在していない事を知った。

 最早敵なしと考えた九尾の狐は、不完全な魂の状態のまま人間に戦いを仕掛けてきた。この油断があったからこそ、私は九尾の狐に勝てた。もし、九尾の狐が油断することなくおりんの身体を完全に乗っ取っていたならば、私はなす術なく破れ、日本は闇に沈んでいたであろう。


 私たちは、二百年前の陰陽寮に感謝しなくてはならない。

 私たちは、『獣狩り』の面々に感謝しなくてはならない。

 私たちは、その気持ちをもって、次に九尾の狐が復活した時に備えなくてはならない。


 可毗禮山の戦い、そして、これから行う祓い。それらを後世に伝え、復活までの間に対策を練るようにしなければならない。その為にも、ここで失敗する訳にはいかない。

「よっせ!よっせ!」

 人夫たちの掛け声が一層大きくなった。これだけ苦労して運んできた輿が、ついに目的地へと到達するのだ。気合も入るというものだろう。

 私たちも、目前になった祓い場に一喜一憂する事なく、好戦的な怪異を一つ一つ丁寧に祓っていった。九尾の狐も外の様子が分からないまでも危機を察知しているのかもしれない。最終最後の地を目の前に、大小様々な怪異がひっきりなしに私たちを襲ってくる。

 私と四人の弟子で、それらを丁寧に祓う。

 ここからは恥も外聞もなく、何が何でも九尾の狐の魂を祓わなくてはならない。失敗だけは許されないのだ。


 ついに、ついに私たちは白い大地を踏んだ。


 あたり一面は、真っ白な砂利や石、真っ白な土で覆われ、黒い土や緑は一切存在しない。硫黄の匂いだけが立ち込め、場所場所で煙が噴き出している。まさに死の大地だ。あと数百年すれば浄化されるかもしれないが、たった二百年では戦いの気が消えることすらない。その証左か、地面からは、湯気のように当時の名残のような何かが立ち上っている。この土地は確実に当時の事を記憶しており、それだけの事がここであったのだと断言できる。

 白い大地を進みながら、源翁は、獣狩りと九尾の狐の圧倒的な存在感を全身で感じていた。数万人の魂と、数個の山のような大きさの気を感じるとも言い換えられる。

 二百年前。朝廷から派遣された三人の猛者率いる数万の兵が九尾の狐と戦った。その戦いは激しく、土地は荒れ果て、緑は完全に失われた。三人の猛者は九尾の狐と、数万の兵は九尾の狐の部下と戦ったと言われる。源翁にはその雰囲気が少しずつ分かってきた。怨念というものは中々落ちないことの裏返しだ。

 ここで、ふと現実に帰る。

 ここであった事の分析は、九尾の狐を祓ってからだ。まずは、九尾の狐を祓わなくてはならない。


 私は、この地で殺生石を祓うに相応しい場所を探すことにした。


 上へと進みながら、荒涼とした白い大地の中からその場所を見つけようと目を凝らす。ゴツゴツした石が連なり、傾斜も急であるため中々程よい場所がない。場所によっては、毒々しい空気が出ている場所や強い熱を感じる場所すらある。それらも避けなければならない。

 私たちは、間も無く天辺が見えようかという場所まで登ってきた。

 もう適切な場所がないのではという不安がジリジリと頭がよぎる。そんな時、大きめの怪異が岩の影から出てきた。どうやら隠れてこちらの行動を伺っていたようだ。

 身体半分を石に隠したまま威嚇していたが、低い唸り声を発すると、怪異は一気に殺気を膨れ上がらせた。その強烈な敵意に応えるように、私たちは臨戦態勢に入った。

 怪異に両掌を向けた瞬間、怪異も戦闘体制に入った。大きな怪異は、石に隠れるのをやめて全身を現し、私たちの方へ一歩進んだ。その一歩が地面を揺らした。どれだけの重さを有しているのかと思う。

 私と弟子たちは、怪異に向けて気を放った。ところが、怪異は図体の割に素早く、当たらずに逸れ、気を避けられてしまった。五人で放った攻撃が当たらないとは予想外だ。

 怪異は少し距離をとって、こちらを見ている。

 その姿はと言えば、珍しく二本足の人型で、目の部分は髑髏のように落ち込み、色は赤く、半透明の身体は異様に痩せていて背は高い。その落ち窪んだ目に怒りが満ちた瞬間、怪異の透けた薄い赤の身体が発光した。赤い光は何本もの鋭い光の槍に変化していく。赤い光に黒い光が混ざり、見るからに邪悪な光を放つ数本の槍が怪異の周りの宙空に浮かぶと、槍先が全てこちらを向いた。

 槍の鋒は、何をも貫きそうな尖り方で、あれを受けて無事で済む訳がない。しかも、赤と黒の光が異様に毒々しく禍々しいので、あれで傷つくと体内に悪いものが入りそうに感じる。

 あれを受けてはまずいと、私は躊躇なく杵築大社のお札を数枚飛ばした。

 ここまでの怪異との戦いでかなり消費し、残りも少ないが、あの怪異は今までの怪異とは力の桁が違う。ここは惜しむべきところではない。

 怪異も杵築神社のお札を危険と見做し、光の槍をぶつけてきた。お札と槍が衝突した瞬間、太陽のように発光し、周りに激しい衝撃波が伝播した。あまりの衝撃の強さに、人夫たちが危うく輿を落としかけたが、待機中の人夫たちが一斉に駆け寄って輿を支え、なんとか持ち堪えてくれた。


 最後の最後にえらい怪異が潜んでいたものだ。


 お札を危険と判断できるのは、元々が人間であったからだろう。となれば、あの怪異は、ここで散った兵の怨念が固まって出来たものだ。塵も積もれば山となる。ここまでの怪異となれば、相当数の怨霊が固まっているはずだ。

 私は弟子たちにその事を話した。

「あれは、無念のうちにここで散った兵たちの怨念の塊です。今までの怪異とは比べ物になりません。ですから、全力を以ってあれを祓います。あれがいたのではとても九尾の狐を祓えません。皆さん、準備は良いですか?」

「はい!!」

 ここまで無数の経験を積んできた四人の弟子からは、自信を持った返事が返ってきた。この怪異に物怖じしない弟子たちに、頼もしくなったものだと感心する。

 ヒョロ高い怪異は、収縮と膨張を繰り返しながら憎々しげな唸り声を上げ、ジリジリと間合いを詰めながら次の攻撃の機会を窺っている。自慢の光の槍に持ち堪えた私たちを許せないようだ。

 私たちも次の攻撃に備え、皆が手印を作り、真言を唱える。

 この怪異が無闇矢鱈と攻撃せず、間合いに入るまで攻撃してこないのは、主に武士の怨念が集まったものだからだろう。間合いというものは、特別な訓練を受けないと身に付かない。特に一足一刀の間合いは、一歩踏み込めば攻撃が当たり、一歩下がれば攻撃を避けることのできる究極の間合いだ。これが分かっていないと戦場では話にならない。

 逆に言えば、間合いに入ると確実に攻撃を当ててくるということだ。輿に怪異の流れ矢が当たってはまずい。いくら封印を施しているとはいえ、輿に怪異の攻撃が当たっては何が起こるか分からない。

「小三郎さん!!私たちからなるべく離れてください!!」

 私は怪異の見えていない人夫の為、大袈裟に逆方向を指差した。

 小三郎は私の意図を汲んで頷くと、音頭をとって輿を私たちから遠ざけてくれた。怪異の怒りは私と弟子達に向けられており、輿などどこ吹く風で、ジリジリと私たちに近づいてきた。

 危険なので、私たちも間合いに入らないように、気で牽制しながら少しずつ下がった。

 なかなか良い間合いに入れず、怪異は何度か怒りを発散させた。

 その度に飛んでくる怪異の黒い気が、私たちの肌をビリッと刺激する。この文字通り刺すような刺激の強さから言えるのは、この怪異の覇気が相当に強力な部類に入るということだ。しかも今は昼なのだ。それなのにこの強度という事は、鬼と化す直前の怨霊に極めて近いとさえ言える。

 これは、非常に恐ろしいことだ。

 これほどの怨霊が昼も出るとすれば、たまたまここを訪れただけの大衆がかなりの数犠牲になっていても不思議ではない。そういう意味でもこの怪異は確実に祓わなければならない悪霊だ。

 輿が充分に離れたのを見て、私は弟子を四方に散らした。ここが勝負どころだ。

「全員で怪異を囲みます!!」

「はい!!」

 怪異は、この世のものとは思えぬ奇声を発しながら後ろに飛んで、私から離れた。今度は間合いを切ったのだ。こうして危機に対応できるのは非常に厄介だ。

 私から充分に距離をとった怪異は、その落ち窪んだ目でこちらをじっと見た。どうやって攻撃するのかを考えているように見える。そして、光の槍ではダメだと思ったのか、今度はゆっくりと両の手を顔の近くへと上げた。その指先には、いつ生えたのか、凄まじく長く尖った爪があった。怪異は咆哮を上げながら、ガチガチとした金属音が聞こえてきそうなくらい派手に、両手の爪をぶつけ合った。

 爪の強度に満足したのか、怪異はその爪で私を指差した。

 この一連で、怪異は誰が最も強いのかを見極め、その結果、私を標的にしたようだ。おまけに、物理的に突き刺す方が確実だと、方針まで一大転換した。

 その決定の速さに、何という事かと声が出そうになる。これほどまでに頭の回る怪異は、正直初めて見た。

 術式が効かない算段が高いと判断し、物理的に刺す事で確実に殺す方向に転換する。このような人間然とした思考を持つ怪異は、どちらかと言えば九尾の狐のような妖に近いように思える。しかし、目の前にいる怪異は、言語も喋れないし、生きているものに対する嫌悪がそのまま攻撃性に転化されており、どう考えても怨霊の要素が強い。

 このような怪異を何と呼べばいいのか?

 今後は、この呼び方も分からない、強力な異種混合に近い怪異が出てくるとでもいうのだろうか?若し、この怪異がそんな事態の前触れだとすれば、げに恐ろしきことだと思わざるを得ない。

 強大な妖の他にも新種の怪異が出るとなれば、近い未来、日本は未曾有の怪異大国になる。この二百年の間、人間が怪異を放置していたことが、間違いなくこの状況を作り出したと言えよう。生物が進化するように、彼らも少しずつ進化しているのだ。漫然とする事なくこちらも研究を進め、対策を練っていかなければならない。

 悲しい事に、この日本において怪異を扱う役所は陰陽寮しかない。

 であれば、怪異に対して積極的に関わるよう、彼らには本来の役割に目覚めてもらわなければならない。陰陽寮の改革は急務だ。

 しかし、今はそんなことよりこの怪異だ。

 怪異は、爪をこちらに向け、私を威嚇しながら細かく伸縮をし始めた。

 こけし程度の小ささから一気に元の大きさに戻る。これを繰り返す。ああやって勢いをつけて、どこかで矢のように飛んでくるつもりなのだ。しかも、ちょこざいに伸縮しながらもこちらへと少しずつ進んでいる。間合いに入ったら即終了だ。かと言って、あまり遠くにいるとこちらの攻撃も当たらない。

 さて、どうしたものか…

 高速の矢を撃ち落とすには、放たれた矢と同じ力で撃ち合うしかない。しかし、あのように勢いをつけた怪異と同等の力をぶつけるのはお札では不可能だ。となれば——と思った瞬間、怪異は一気に前進してきた。

 私を油断させるために、怪異はわざと前進する速さをずっと控えていたのだ。

 あっという間に間合いに入ると、怪異は身体を後ろへ逸らして驚くほど長く伸びた。

 あのまま飛んできたら流石にまずい。どんな攻撃をしても力負けして貫かれてしまう。そして、もう逃げられない。

 怪異は限界まで伸び切ると、目測不可能な速さで飛んできた。

 風を切る音が耳に聞こえた瞬間、強烈な破壊音が周りに響いた。

「大和尚様!!」

 弟子たちは大声で叫んだ。しかし、周りが煙に包まれて源翁も怪異もどうなったのか分からない。

 囲みを解いて、周りに散らばっていた弟子たちが一斉に源翁のところへと走った。

「持ち場に戻れ!!」

 張りのある源翁の声が周りに響いた。

 弟子たちはピタッと足を止め、源翁の無事を確かめる前に元の場所へと戻った。

 やがて煙が晴れると、分厚い壁のように隆起した地面に爪を突き刺して動けなくなった怪異がもがいていた。弟子たちはあの一瞬で、丘のように地面を持ち上げた源翁の術式に驚いた。こんなことができるのは強大な妖だけだと思っていたが、師匠である源翁も妖並みのことができるようだ。

 四人の弟子達は、九尾の狐を封印したその実力は本物だと見せつけられた。

 遠くで人夫たちから驚きの声も聞こえた。

「祓いますよ!!」

 間髪入れずに叫んだ源翁は、地面の壁の向こうにいる怪異に両掌を向けた。それを見た弟子たちも源翁に合わせて両掌を怪異に向けた。

 危険を察知した怪異は、隆起して出来た地面の壁から爪を抜こうと暴れたが、源翁の術式がそれを許さない。その場から動けない事に苛立ち、怪異は、常人なら確実に吹っ飛ぶような強烈な黒い衝撃波を撒き散らした。

 しかし、弟子たちは全員それに耐えていたし、人夫たちもかなり離れているので、輿も問題ない。

「お札を」

 私がそう言うと、弟子たちは、右掌で怪異に気を発しながら左手でお札を持った。

 左手のお札に術式を染み込ませた私は、弟子たちを見た。すでに彼らもお札に術式を染み込ませている。もう手慣れたもので、息をするのと変わらない。

「お札を掲げてください」

 静かにそう言うと、弟子たちが左手のお札を上に掲げた。最後に、私も左手のお札を上に掲げた。すると、お札が共鳴するように震えた。こうする事で全員の力が少しずつお札に乗り移るのだ。

 数秒の事ではあるが、これだけ力が溜められれば、単体で飛ばす倍の威力が宿ったと言える。

 五枚のお札に力が溜まっていくのが分かったのだろう。怪異は悲鳴にならない悲鳴を上げ、さらに暴れた。

 二百年前にこの地で散った武士たちには悪いが、彼らのいつまでも続く苦しみを断ち切ることも含め、ここで祓われて欲しいと思う。

「投げてください!!」

 私が叫ぶと同時に宙空に放たれた五枚のお札が、必死に爪を抜こうと足掻く怪異に吸い込まれるように飛んでいった。全てのお札が怪異に取り付くと、お札が燃えるように溶けながら浄化の光を発した。

 耳をつん裂くような怪異の叫び声が聞こえると同時に、途轍もない量の黒い気が撒き散らされた。

 しかし、私はそれを見越し、怪異の周りに円筒状の結界を張っていた。逃げどころのなくなった怪異の黒い気は、真っ黒な稲妻のような瘴気となって天へと向かった。巨大な瘴気は上空の雲を吹き飛ばし、一瞬だけ太陽の光を遮って周りを暗くしたが、その太陽に浄化されて徐々に空へと消えていった。やがて空はいつもの青さを取り戻し、太陽の光が私たちを照らした。

 よく見れば、数え切れないほど多くの魂が上空で飛散している。彼らは怨霊から解き放たれたのだ。皆これから成仏してくれるものと思う。

 目を地上に戻すと、武士たちの魂が抜けて青息吐息の怨霊が目に入った。

 源翁は、萎びた皮のようになった怪異の元にゆっくりと歩いて行った。

 怪異は力無く私を見た。落ち窪んだ目には全く生気を感じない。人が脱皮して出来たような細い皮となった怨霊に、私は手を置いた。そして、曹洞の悪霊祓いの経を唱えた。

 しばらく経を唱えると、私の手が触れている箇所が氷が溶けるように消えていった。手足、そして身体と触った箇所が消えていく。怨念が浄化されているのだ。

 最後に私をじっと見る頭に手を触れた。すると、怪異の落ち窪んだ目に涙が見えたような気がした。あれだけの魂を受け入れた怨霊も苦しかったのだろう。そして、怨霊は完全に消えた。

「安らかに眠ってください」

 私は手を合わせて、怨霊の魂に祈った。


 こうしてこの場には、隆起した地面だけが残った。


 私は、九尾の狐のことを考えながら、その隆起した地面に触れて術式を流し込んだ。

 隆起した地面が元に戻っていく。しかし私はそれを最後まで戻さないで途中で止めた。この地面にはまだ怪異を封じた術式がかなり染み込んでいる。これを利用しない手はないと考えたからだ。

 私は術式を流し続けて、地面から少し高い位置に平面を作った。これで最後の儀式を完遂できる環境は整った。

 ようやく九尾の狐を祓う時がきたのだ。

 私は万感の思いを胸に、最後の儀式に入る心算をした。弟子たちも今心算をしているはずだ。

「では、小三郎どの。輿をここに置いてください」

 小三郎は頷いて、人夫たちに最後の号令をかけた。

「よし、いくぞ!!」

「うっす!!」

 最後は全員でということなのだろう。人夫たちが代わる代わる輿を持ち、この台座へと運んできた。そして、輿は丁寧にゆっくりとこの台座に置かれた。

 

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