第42話 殺生石 其之九
結局、山の集落を出てから麓の村に降りるまでに、また二日を要した。
九尾の狐を封印した殺生石の入る輿は、人夫たちが慎重に運んでくれている。結界が解けないように運んでくれているので、この早さはもう変えられない。
何とか賀毗禮山を出た私たちは、一路那須を目指した。
通常に歩けば、友部から三日もあれば着くのだが、輿を運ぶ人夫に無理はさせられないので、私は二週間を見積もった
街道を進んで二日。源翁は、自分の見立てがそれでも甘かったと思い知った。
「では、今日はここで野営しましょう」
源翁たちは、常陸国の山で野営することになった。
賀毗禮山付近の海岸線を南下し、西へと進む街道に入ったのが数時間前。海岸線は平地が多く、思ったよりも早く移動できたのだが、山道はそうはいかない。
殺生石は日を追うごとに重くなり、日に日に人夫の肩への負担が重くなっていった。山の坂道を進む時は、その重さで少し進むのにも困難が伴うようになった。
「ふいー。今日はきつかったー」
人夫たちは、お互いに肩をほぐし、近くの沢から汲んできた水を火で熱し、そのお湯で温めた手拭いを肩に乗せている。
照海と燕相は、人夫たちの肩をほぐすのに忙しい。
勢い、焉斎と円来は食事に精を出すことになり、ここの所はそのような分業になっている。
人夫たちの負担を減らすためには、はやる気持ちを抑えて進行速度を落とさなければならない。ただ、どこで聞きつけたか、私たちから殺生石を奪おうという不埒な盗賊どもがいるいう噂を聞く。これにも気をつけなければならない。
実はもう一度襲われている。
ただ、その時は、まだ常陸国の海沿いだったので、イソウラの部下たちが撃退してくれた。これからはそうはいかない。自分たちで撃退しなければならない。
弓や毒の吹き矢を使う盗賊が出ない事を祈るしかない。昨今、武士が野盗に鞍替えするということもあるようだ。そういう輩には会いたくないのが本音だ。
では、どうすれば良いだろうか?
私は怪異を見張りながら、明日からは怪異を弟子に任せ、自分は盗賊に対応しようと考えた。人夫たちにこれ以上の負担はもうかけられない。
食後、私は弟子たちを集めた。
「食事の用意と人夫の皆様の治療ありごとうございました。
日々私たちを取り巻く状況は悪くなっています。殺生石は少しずつ重くなっているので、小三郎さんたちにこれ以上の負担はかけられません。そこで、明日から私は盗賊からの守りを担当しようと思います。ですので、怪異はあなた方に任せます。大きな怪異の場合は、私も祓いに加わりますのでそこは安心してください。
四人が四人ずっと気を張っていると、いざという時危険です。ですから焉斎と照海が一刻を担当したら、円来と燕相が次の一刻を担当するようにしてください」
「承知しました。ただ…真言を二人で唱えるとなると、その強度が心配です。いきなり怪異に結界を突破される事はないでしょうか?」
焉斎が手を上げ、四人を代表して聞いてきた。
「この旅を始めたばかりの頃であれば、そうだったかもしれません。しかし、あなた方はここまで多くの怪異を祓い、そして殺生石を輿に乗せるための結界創りにも参加しています。その経験があれば、二人いれば怪異にいきなり突破を許す事はないでしょう。もちろん休んでいる二人も危機を察知すればすぐに参戦してくれます。今のあなた方なら大丈夫です。安心してください」
四人はお互い顔を見た。そして、いけそうだとお互い納得したように頷いた。
「では、私は見張りにつきます。二刻したら交代お願いします」
「承知しました」
弟子たちはそう言うと、食事の後片付けへと走って行った。
弟子たちが頼もしくなったものだと思う反面、那須までの道のりが相当に険しいように思えた。それでも、遠方にある日向国に行くわけではないので大丈夫と、私は自分を納得させた。
翌日の山越えの最中、やはり盗賊が徒党を組んで襲って来た。
九尾の狐が、黒き魂を持つ人間を惹きつけているのかもしれない。
盗賊たちは、ちょっとした谷になった場所で私たちを待ち伏せしており、上から大量の矢を射てきた。しかし、私は気を張り巡らせていたので、そこに盗賊たちが潜んでいるのは先刻承知だった。
盗賊が「射て!」と言った時には、人夫たちはすでに頭の上に盾を構えていた。
矢が全て盾に防がれたのを見て、盗賊たちは驚き怯んだ。
私はその隙を逃さない。人間、動きが止まった瞬間が最も危険を回避できないのだ。
「アッ!!」
と私が気を放出した瞬間、役小角とも深い関わりの深い愛宕神社特製火之迦具土神のお札が盗賊へと飛んだ。
伊奘冉を焼いたと言われる苛烈な炎が盗賊たちを包んだ。あっという間に渦巻く炎に囲まれた盗賊たちは、自らを焼き尽くすまで消えない火を消そうと暴れ、全員がその場を逃げ出した。
あの炎の幻覚はしばらく続く。
彼らの視覚から炎が消えたとしても、その恐怖は刷り込まれている。再び私たちを襲ってくる事はないだろう。本物の炎に包まれなかったことを、菩薩に感謝して欲しいと思う。
こうして盗賊たちは去ったが、日中にも関わらず怪異はちょくちょく現れた。一つ一つの力は大したことないのだが、数が多いと祓う方が疲弊してくる。交代制にしているとはいえ弟子たちの疲労はかなりのものだった。
山を抜け、視界が開けた場所に出た。隠れる場所もないので盗賊もここなら襲ってくることはないだろう。
「円来、燕相」
「はい。大和尚様」
「ここから今日の野営地までは私が怪異を見ます。少し休んでください」
円来は、大丈夫ですと言いかけたが、わざわざ師匠が代わると言ってくれているのに断るのはまずいと「わかりました」と答えた。
しかし、何もしないのも嫌だったので「では、その代わり燕相とこの先の野営地を探してきます」と言った。
「では、野営地の選定をお願いします」
「承知しました!!」
そう言うと、円来と燕相は先へと走って行った。
彼らもまだ元気だなと思ったが、精神を擦り減らす疲れは後から響くものだ。
私は、気の網を広げ、怪異へと目を光らせた。
日が傾き、虫と蛙の声が聞こえ始めた頃、米の焚かれるいい匂いが周囲に広がった。
野営地に着くと、人夫たちは崩れるように横になった。毎回こうなので、彼らの疲労が心配になる。殺生石がじわじわと重くなっており、その疲労はかなりのものになっている。
皆、食欲は旺盛であったが、肩は真っ赤に腫れていて、痛々しい。
私もお札を少しずつ強力なものにして九尾の狐の力を削いではいるのだが、神社仏閣の結界とは規模が違うので完全には力を削げていない。
疲労低減の為、運ぶ早さをもっと遅くしたほうが良いか、源翁は小三郎と話しをした。結果は、運ぶ早さが遅すぎても疲弊するので、早さの管理は今まで通り小三郎がやり、休憩時間をもう少し長くすることになった。
常陸国から那須まではそれほど遠くないものの、ジリジリとしか進めない現状が、那須を遥か遠方の地に感じさせる。
そして、ここに来てもう一つ問題が出てきた。
夜は怪異が活発になるのは昔からだが、こちらが手を焼くほどの怪異が夜通しで出るようになってきたのだ。
小さく力のない怪異であれば簡易結界で弾きとばせるのだが、それでは防ぎきれない中位の怪異が襲ってくる事が頻発し、どこにいても安心して寝られるような環境ではなくなってしまった。
一人旅の時は、ほとんど寝ないで怪異と対峙していてもなんとかなったが、今は大人数で移動している。犠牲を出さないようにするには、寝ないで怪異と戦う人間が少なくとも三人は必要だった。
亥の刻程に出た狼の集団とそれに紛れた犬の怪異を追い払うと、私は弟子たちを集めた。
「皆さん、狼と怪異の対応ご苦労様でした。これだけ襲ってくるようになるととても一人では戦えません。ですので、見張りは随時三人とします。一刻ごとに二人ずつ交代して怪異を見ることにしましょう」
「承知しました!!」
弟子たちは元気に返事をしたが、顔には疲労が出ている。弟子にあまり無理はさせたくないが、人夫たちが安心して寝られないと彼らの疲労も抜けない。
苦肉の策だが、人夫たちの休憩時間に弟子たちに睡眠を取らせ、この難局を乗り切ろうと決めた。
こんな事を三日ほど続けたが、全員が完全に疲労困憊になってしまった。ようやく下総国には入ったものの、那須までの道のりはまだまだ遠い。どう考えてもこのままでは、疲労からくる不注意などで怪我人が出てしまう。
四日目の朝、私はこれではと思い、小三郎のところへと向かった。
「小三郎どの。おはようございます」
「ああ、源翁さま。おはよう」
石に座ったままゆっくりとこちらを向いた小三郎は声に元気がなく、疲労を隠せないでいる。
「本日は休養日としてここにを動かず、明日出発にしませんか?」
「そうですね…」
小三郎は、ゆっくりと立って仲間の人夫たちを見回した。その仕草一つとっても明らかに身体が重そうだ。
寝床を片付けている人夫たちも一様に身体が重そうに見えた。
人夫たちは、期日までにきっちりと荷物を届けることに矜持を持っている。しかも、依頼人が日程を伸ばそうと言ってくれる事はまずない。その矜持に従えば、期日を延ばすのはもっての他だが、このままでは皆が倒れてしまう。
流石の小三郎もここで決断をした。普通の荷物を運んでいる訳ではないとの判断もあったろう。
「承知しました。本日休ませてくれるというのなら、休養をいただきたいです」
「では、出発は明日にいたします。皆様にゆっくりと休むようにお伝えください」
「ありがとうございます」
小三郎は仕方がないかという感じではあったが、皆にその旨を伝えると、人夫たちからは安堵の声が漏れた。
もう少し早く決断すればよかったと、私も反省する。
九尾の狐と直接対峙した私は、その恐ろしさが誰よりも分かっている。それがあった為か、九尾の狐を一日でも早く滅そうと急急としすぎたようだ。
今更ながら、私の頭には『武士のやばせの舟は早くとも急がばまわれ瀬田の長橋』という宗長の和歌が浮かんだ。まさに今我々は、急流を進むよりも瀬田の長橋を渡って安全を確保すべきだ。
この反省から、私たちは無理しない距離で、二日運んで一日休むという取り決めをした。
那須までは、二週間以上余分にかかりそうだが、もうそれは安全確保の為だと割り切った。
冷静に考えれば、九尾の狐が彼の地で無事祓われれば、数百年は復活できないのだ。その年月から考えれば、那須までの十数日間の時間など塵芥に等しい。そう思うと急に気が楽になった。人間心の持ちようだなと思う。
ただ、那須への入りが大幅に遅れる事で、朝廷に要らない勘ぐりをされる恐れはある。この遅れは九尾の狐を確実に祓う為だと、私は有重に文を出すことにした。
文を送るからには、ここまでの報告も書く。
文の最後には、現在、賀毘礼山から殺生石を降ろし、那須へと向かっているが、殺生石の重さが日に日に増している事、九尾の狐が輿の中で未だ影響力を行使していること、そして、この輿の結界を守るため、一ヶ月程度、那須に入るのが遅れるので、殺生石の祓いが大幅に遅れる旨を書いた。
私は、その文を、京都の陰陽寮に届けてほしいと馬借に渡した。
ここまで旅を共にしてくれた馬借なので、陰陽寮に旅の詳細を話してくれるのも有難い。やはり馬借を雇っておいて正解だったと思う。
「では、よろしく頼みましたよ」
「はい。任せてください。そして、源翁さま。どうかご無事で」
できる事なら殺生石を祓うところまで一緒に行きたかったと涙を流しながら、馬借は文を受け取った。そして、手紙を丁寧に懐に入れ、名残惜しそうな顔をして一礼し、馬を京へと走らせた。
こうして、私たちは仕切り直して、那須までの道を歩み始めた。心に余裕ができた為か、先日まで私たちを支配していたキツさはもう感じなかった。
この頃から、街道を進んでいると旅人に声を掛けられることが多くなった。
賀毗禮山の御神体に殺生石という名前が付いたときのように、私たちが殺生石を運んでいる事が、あっという間に世間に広がっていたようだ。そのおかげで、私たちの事を聞きつけた旅人に保存食をいただくこともあったし、応援の言葉を頂戴することもあった。
変化した事はまだある。盗賊に遭わなくなったのだ。
私たちが何度か盗賊を撃退したこともあり、盗賊稼業の人間にも私たちの噂が広まったのだろう。彼らの情報網では当初殺生石は金になると言われていたようだが、これが今では殺生石に関わると呪われるという話しに変わったそうだ。まあ、あれだけ激しい幻術を見せられれば、そうも思うことだろう。
そんな話を耳をする中、盗賊を十人ほどしょっぴいた兵士とすれ違った。よく見れば、そのうち何人かは私たちを襲った盗賊だった。
やはり、お札で見た幻覚を呪いの類だと思っていたようで、盗賊達は私たちの輿を見た瞬間、慌てて遠くに逃げようとした。もちろん縄に繋がれているので逃げられはしなかったが、その怖がり方は尋常ではなかった。
ピタッと盗賊に襲われなくなったのは、そういうことだったようだ。盗賊の方が私たちを避けていたのだ。
こうして、道行く人々にも助けられながら、私たちはひたすら殺生石を運んだ。
そして、一ヶ月程が経ったある日、私たちの先に真っ白な土地が見えてきた。丘の上の一角が雪もないのに真っ白になっている。まさにあそこが目的地に相違ない。
私たちは那須に着いたのだ。
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