第21話 過去編 源翁心昭 其七
早朝。まだ日の上らぬうちに源翁は寺を出た。
安隠寺の門の前には、弟子達が私を見送ろうと並んでいた。私は弟子達の前で止まり、一礼した。
「皆さんに暫くこの寺をお任せします。私は必ず戻りますので、いつも通り過ごし待っていてください」
弟子達全員が、同時に「承知しました」と返した。
「では、行ってきます」
私は、門をくぐり、小さな道具袋一つで旅立った。
東へと伸びる街道を進む。目指すは、常陸国にある毗禮山だ。
関東北部のここ下総国から常陸国へ至る街道は、平地も多いが山道もそれなりにある。そして、山の中の道はまだまだ手付かずの場所が多いくらいだ。日本の中心地が京という事もあり、朝廷は東国にはそれほど関心がない上、幕府も鎌倉にあるので、北関東の街道は中々開発が進まないのが現状だ。武蔵国の見沼周辺は、氷川神社を中心に昔から発展しており、府中あたりからの街道はそれなりに整備されているが、それ以外の街道は似たようなものだ。
寺を出て二日目。
近くに宿場もないので本日の夜は山での野宿になる。
獣に襲われてもいけないので、なるべく休みやすそうな太い枝の木を探す。木の上で休めば獣に襲われる可能性はかなり減る。一つ見つけては木の枝を握って揺らしてみる。今日に限って枝が細く、自分の体重を支えられそうな頑丈な木があまり見つからない。
太陽の光は赤みを増している。このままでは日が落ちてしまうので、早急に見つけなければならない。
私は若干早足で、街道から少し入った場所の木を一つ一つ見て歩いた。
もう陽が落ちるというところで、ようやく高さも強度もある枝を持つ木を見つけた。少し体重をかけて枝を揺らしてみると、弾力があって人が二人三人乗っても折れなさそうだ。
「今日は、その枝を貸して頂きます」
源翁はその木にお祈りをした。すぐに、その木の根元に大き目の石を集め、簡易の竈を作った。
竈に火を起こし、その辺から取ったてきた薪を竈に焚べた時だ。源翁は後ろに何かの気配を感じた。
人のようではあるが、人とは違う何かを感じる。
結界を張る前だったので、怪異が私の近くへ来ることが可能だ。さっさと結界を張っておけば良かったと思ったが、九尾の狐以外の怪異に手間取っているようでは先はない。
源翁は、ゆっくりと振り返った。
闇に溶け込みかかっている木立ちから、すっと少女が現れた。
その少女は、食い入るように源翁を見ると、口が避けんばかりに口角を上げ、ゾッとするような狂気の笑みを作った。おかっぱの髪で、獣の皮で作られた服を着ている。よく見ると、服はきちんと縫製されているし、緑がかっているので何かの草で鞣しているのだろう。
この出立ちだ。少女が普段から山に住んでいるのは間違いない。
但し、この少女から感じる気はとても人間のものではない。人間ではない何かに突き動かされているのかもしれない。しかも、彼女とは違う途轍もなく大きな黒い気も感じる。
「何用ですか?」
源翁は少女に向かって言った。
「お前が源翁心昭か?」
思っていたよりも低い声で少女が聞いてきた。
「いかにも。拙僧は源翁心昭と申します。此方ももう一度聞きます。私に何用ですか?」
「そう。凄い気ね。やっぱりあなたが源翁心昭なのね。私はね、あなたの命を貰いに来たの」
少女はそう言うと、どこから出したものか、日本ではまず見かけない三日月型の剣を出した。両刃で少女の身長ほどもありそうな刀身がきらりと光った。
「その首を切り落とす!!」
少女は、更に狂気の笑いを大きくして三日月型の剣を振り上げると、一気に突進して来た。いや、もう目の前にいるので空間を移動して来たのかもしれない。
私は数珠を持った手を前に出し、素早く手印を作り「おんきりきり!」と素早く唱えた。
少女の三日月刀が首を切ろうかという瞬間、その少女は何かの力に弾き飛ばされ、三度地面を跳ねて木にぶつかり、うつ伏せで動きを止めた。あれだけの勢いで頭からぶつかれば、流石に意識は飛んだだろう。
源翁は懐からお札を一枚取り出し、それを掲げながらゆっくりと少女へ向かって歩いた。
あと数歩というところで、少女の身体が一瞬大きく痙攣した。どうやってか意識を取り戻した少女は、うつ伏せのまま頭を少しだけ上げると、髪のかかった目を吊り上げ、私を恨みがましく見た。
お札を掲げたまま身構えると、少女は浮かぶように立ちあがり、獣のような目で私を睨みつけた。
すると、どこからともなく少女の声ではない声がした。その声は、冷たくそしてあらゆるものを威圧する。言わば全ての頂点に立っていると自負している声だ。
『ふん。なかなかやるねえ。まあ、あの程度の修験じゃ物足りなかったからねえ。面白い。面白いよ。ククク。おりん。もういいよお戻り』
少女は不満な顔をしたが「分かりました」と言った。
「次はその首落としてこの世から滅殺するよ」
そう言い残し、少女はフッと姿を消した。
少女と怪異の気はもう感じない。あの少女は九尾の狐の新しい依代なのであろうか?とすれば、もう本当に時間がない。
気付けば、周りの気温は寒いくらいに下がっており、どす黒い霊気が漂い、饐えた臭いすらした。九尾の狐はやはり怨霊と怪異の中間くらいの状態なのだ。
そんな状態なので、あの少女を私が毗禮山に向かうのを察知して送り込んだのかもしれない。
「やれやれ、これは大変な旅になりそうだ」
源翁は、頭を掻きながら少女の封印用に出したお札を懐にしまい、再び野営の準備にかかった。
急激に霊気が増したおかげで、大小の怪異が周りに集まってきてしまった。
源翁は、手で虫を払うように怪異を祓いながら、特別性の紐で木の周りを囲んだ。その紐に自らの気を流し込んで簡易結界を張った。集まったきた怪異は、もうこの結界の中には入れない。入れるとすれば、先ほどの少女並みの力を持った怪異くらいだ。
集まった怪異たちは結界の中に入れずイライラしていたが、やがて諦めたのか周りに怪異の気を感じられなくなった。
源翁は竈で簡単な夕食を作り、その日はもう休むことにした。
木の枝の上で思いに耽る。
九尾の狐は、私のような僧侶まで脅威として調べていた。しかし、『獣狩り』がいない事で、脅威であるはずの私に対してもひどく余裕を感じたのも事実だ。これが唯一つけ入ることができるところだろう。
私は木の枝に身体を固定して、目を瞑った。
そして、有重が来てからというもの毎日やっている瞑想に入った。
ここで九尾の狐との戦いを何度も繰り返す。実を言うと源翁が勝った事はほとんどない。ごく稀に何かの手違いで勝つことがあるくらいだ。しかし、最近は、その『手違い』こそが重要なのではないかと思い始めている。そう。予想できる事はこうして源翁も対処できる。しかし、予想できない事には対処が遅れるのだ。
それを頭に入れつつ、源翁は頭の中で九尾の狐との戦いに入った。
結局、三日もかかったが、源翁は常陸国に入った。
そこからは早い。平地が多いのでひたすら東へと進み、その日のうちに太平洋を望む海岸沿いの街道に出た。その街道を今度は北へと進む。目的地は、賀毗禮山と呼ばれる霊山近くにある友部という集落だ。
国境を夜中に出発した事もあり、友部には昼過ぎに着いた。
友部は静かな漁村だが、人がいないわけでもなく宿場もあった。しかし、まだ時間も早いこともあり、私はここでは泊まらず、先を急ぐ事にした。
町を歩いていて気付いたが、漁村に付き物の荒くれ達があまりいない。友部は落ち着いた人が多いなと思う。何故かは分からないが珍しい土地なのは間違いない。
これなら買い物もしやすいだろうと、必要な物をここで買う事にした。海辺に出ると、魚の干物が大量に干してあった。それを狙った猫と棒を持った漁師の子供が所々で戦っている。中々激しい戦いで、漁村の猫は強いなと感じた。
私は近くにいた漁師に声をかけて干物と塩を買った。塩は悪霊祓いにも使うが、汗で足りなくなった塩分の補給にも使う極めて重要なもので、干物も日持ちする。
買い物を終えた私は、友部のすぐ横にある助川という集落へと入った。その助川を流れる薩都川に沿って歩くと、夕方には名もない小さな集落へと辿り着いた。この集落の先にある緑の塊が賀毗禮山だ。
その集落の高台にぽつんと建つ寺が見えた。あれが、修験が伏せっているという寺だろう。
源翁はまずは寺へと向かう事にした。
高台へと上がり、柵のような寺の門を抜け、人気のない土間に立つと、私は声を大きくして呼びかけた。
「拙僧、下総国は安隠寺から参りました源翁心昭と申します。住職はおられるか?」
しばらくすると、寺の奥から音も立てず、老齢の僧が出てきた。
「ほうほう。ほうほう。初めまして。私がここの住職ですじゃ。源翁心昭とはまた有名な僧が、このような小さな寺に何の御用ですかな?」
痩せているからか、歳だからか、住職の声は矢鱈としゃがれていた。
「拙僧、賀毗禮山の上で悪さを働く怨霊を沈めに参りました。その怨霊にやられたという修験がここにいると伺いました」
「ほうほう。成る程成る程。はいはい。おりますおります。では、こちらへこちらへ」
二回言わないといけない法則でもあるのか、不思議な話し方をする住職は、私を奥へと案内してくれた。
寺に入って一歩目で、私の踵に棘が刺さった。
あまり手入れされていない床はささくれが目立ち、めくれている場所すらある。仕方なく爪先立ちで歩くことにしたが、左足の親指に棘が刺さって一瞬、飛び上がってしまった。
「ほほほ。ここはぼろいぼろい寺でなあ。歩くのにも用心用心です」
そう言いながら、棘など全く気にする事なく住職は歩いていく。棘が刺さらないくらいに足の裏の皮が厚くなっているのかもしれない。
私は棘を抜き、気合を入れると、住職を追いかけた。
祭壇を過ぎた所に、襖で閉められた部屋があった。住職はそこで立ち止まり、私の方を向いた。
「もう、意思疎通はできませぬ。どうぞどうぞ」
そう言いながら住職は、汚れと傷でボロボロの襖を開けた。
部屋の板の間には布団が敷かれ、一人の男がその布団に横になっていた。
横になっている白髪混じりの男性は、着替えもないのか修験の服である鈴懸をそのまま着ていた。服には焦げた跡や何かに引っ掻かれたような跡、血の跡までも生々しく残っている。
「もう一ヶ月ほど経ちますが、何とか何とか生きているといったところです。服は傷とくっ付いてしまっていて、もう着替えさせられないのです」
住職の言う通り、修験の男は生きているのも不思議なくらいの有様であった。
彼は寝返りもうてず、肌は焼け爛れ、口腔からは空気の漏れる音がした。この状態ではとても意識があるとは思えないが、一応生きてはいた。
私は、この修験のすぐ横に座り、小さく声をかけた。
「拙僧、源翁心昭と申します。九尾の狐の魂を祓いに来ました。一つお願いがあります。賀毗禮山にいる怨霊は九尾の狐に相違ないか、直接会った貴方様にお聞きしたいのです」
一応聞いてみると、驚いた事に修験の口が開いた。
「そうだ。あいつを祓ってくれ」
口腔が毀損しているのに、どうやって音にしたものか、修験の男はそう答えた。
隣の住職は信じられないという顔をして、その様子を見ている。
「分かり申した。拙僧、必ずや九尾の狐を祓い、其方の無念を払いましょう」
一瞬、修験の口が笑ったような気がした。そして、真実を伝えられた事に安心したのか、修験はここに生を全うし、息を引き取った。
住職は呟くように「これを、これを伝えるまで死に切れなかったのか」と言って、手を合わせた。私も修験の魂を救済するために、手を合わせて祈った。人ならざるものに殺められた無念はいかばかりか。
違う宗派ではあるが、お互いに同じ気持ちでの祈りを捧げた後、二人でこの修験を運び、寺の裏に埋めた。名も分からないままであったが、修験の情報網を使えば分かるかもしれない。
そこでも二人で修験に祈った。
寺に戻った私は、住職に別れの挨拶をした。
「この修験の為にも日本の為にも、拙僧、九尾の狐を必ずや祓います」
「そうですかそうですか。私には到底無理な話なのでお願いするしかないですが、ここで源翁さまの無事を祈っております」
そう言って、住職は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。では、拙僧これで失礼したします」
「源翁さま源翁さま。九尾を祓い終わったら、この修験の為にもまたここにここに寄ってくだされ」
「承知いたしました。またここに戻ってきます」
私は、この住職と土に帰った修験にそう宣言した。
すると、突然、私の周りに旋風が巻き起こった。砂を巻き上げ、寺がミシミシと音を立てて揺れた。
その風はまるで私を威圧するように、私の周りをうねり続けた。旋風のくせに中々終わらないのが腹がたつ。奴は、どこにいても見ているぞ。と言いたいのだろう。見てくれていて結構。それでも、私は突き進む。そして、逆にお前を追い詰めてやると私は心の中で思った。
旋風はようやく霧散して去った。
その風の去り際、私の宣言を嘲笑するような笑い声が聞こえた。そうやって嘲笑っているがいい。油断と慢心こそが敗北の道標なのだ。それだけは、古今東西変わらない事実だ。
唯ならぬ風の動きに不安を感じた住職は、声を低くして聞いてきた。
「どうかどうか、あまり無理はなさらないように」
「その言葉有難く受け取らさせて頂きます。では」
そう言って、私は寺を後にした。
寺から下ったところにある畦道を歩きながら、私は、賀毗禮山を見上げた。
この山は他の山に比べて、かなり霊圧が強い。こんな麓でも肌がピリピリとした刺激を感じるのだ。そんな所にあの九尾の狐がいる。これは厄介極まりない。おまけに、九尾の狐はこの霊力を使ってか、あの少女を下総国へと送り込み、鎌倉公の夢にも出た。奴の力は関東全域にまで及んでいる。
私はその力に半ば呆れながら宿へと向かった。
再び賀毗禮山から降ってきた風が、私に纏わりつきながら、さっさと帰れと言ってくる。勿論、そんな声に傾ける耳はない。私は、頭の中で経を唱えながら、明日に向けて心を鼓舞したのだった。
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