第20話 過去編 源翁心昭 其六
安倍有重と名乗る陰陽寮の役人が、源翁を訪ねて来てから十日が過ぎた。
三日ほど前に有重から文が来て、彼は鎌倉で各地と連絡を取り合っているとのことだった。私にお願いされた品を急遽取り寄せているのかもしれない。
なるべく多くのものを揃えて欲しいが、それがなくとも何とかできるように私も準備を怠らない。
この間、源翁は常陸国へ向かう物理的な準備と、九尾の狐と戦う為の戦略の構築に忙しかった。同時並行で、自分が留守にする間の必要事を弟子に細かく指示し、修行と同時並行でできるようその訓練もした。
噂の足は早く、源翁が九尾の狐を祓いに出向くという話は、結城の町に瞬く間に広がり、様々な人が源翁を心配して寺を訪れてくれた。自分を励ましてくれる人には、有り難く御礼を申し上げ、その都度自分に言い聞かせるように「心配には及びません」と繰り返した。
安隠寺を建立するに当たって尽力してくれた結城氏にも挨拶も済ませた。お付きを付けようかと言ってはくれたが、相手は九尾の狐だ。他の人間を守るような余裕ははっきり言ってないので、それは丁重にお断りした。
午前の瞑想を終え、寺の蔵から引っ張り出した術具を確認していると、弟子が走って来て、早馬の馬借が寺へとやって来たと教えてくれた。
その弟子に早馬を庭へと誘導するように言い、術具を片付けた源翁は、何用かと庭へと向かった。
恐らく有重にお願いしていた物のいくつかが届いたのだろうとは思う。
太陽の光が注ぎ、心地よい風が吹く庭の馬繋ぎには、弟子の他に二人の男が立ち、その横には二頭の馬が繋がれている。
「初めまして。この寺で和尚をしております源翁心昭と申します」
「おお。あなたが源翁さまですか。私は京の馬尞から参りました増馬与太郎と申します。陰陽寮の安倍有重どのに、源翁さまに荷物を確実に届けるようお願いされ、こうしてここに参った次第です」
「それは、遠いところ感謝いたします」
まさか、荷物確認の為に役職のある人物を遣すとは思ってもみなかった。それだけこの任務は重要なものだと朝廷内でも認識されているのだろう。
増馬与太郎の隣にいた馬借は、私と増馬が挨拶している合間に茣蓙を敷き、馬から届け物を降ろしていた。いくつかの籠が丁寧に茣蓙の上に並べられていく。
馬は荷物を降ろし、馬借に撫でられると嬉しそうに鳴いた。毛並みが立派で見るからに速そうに見える。今は美味しそうに水を飲んでいる。時間がない事を熟知している有重は、金を惜しまず実際に速い馬にお願いしたようだ。
源翁は、話しを進める事にした。
「増馬さま。京から遠路遥々下総国までご苦労様です。それが有重どのからの荷物ですかな?」
「はい。そうです。日本の各地から集められたものを一つにまとめています。そして、安倍有重さまから伝言を預かっています。源翁さまが言われた物は全て取り揃えました。不足があればすぐに用意します。ご確認下さい。とのことです」
今、増馬は『全て』と言った。
源翁は信じられないと素直に思った。この短期間でお願いした物を全て揃えたというのだろうか?
一体どうやって…と口に出そうになるのを抑えて、役人に「承知しました。中身を見させていただきます」と努めて冷静に言った。
中身を見た源翁は思わず唸った。本当に有重にお願いしたものが全て入っているではないか。しかも、それぞれの特性が出るように、お札も、注連縄も、紐も、紙の依代も全てが違う地域で作られたものだ。そして、これも見ただけで分かるが、全て特注品だ。
それにしても…だ。これは単純にお金を使えばできるという芸当ではない。しかも、有重自身は鎌倉にいるというのにだ。
源翁は、お願いしたものに京や出雲の物が含まれていたので、その距離感からして、全ての用意に数ヶ月はかかるのではと懸念していた。しかし、有重はなんとたった十日で、お願いした物を全て用意してくれた。関東の街道は関西ほど整備されてはいない。悪路が多く、例え馬を使っても時間もかかる。それでも全国各地にこの短期間で早馬を飛ばし、必要なものを全て揃えてくれたのだ。とんでもない文官がいたものだと思う。
源翁は、庭にいた弟子達を集めた。
「皆、手分けしてこの荷物を祭壇の部屋に運んでほしい」
弟子達は、「承知しました」と言うと、すぐさま手分けして荷物を運んでくれた。
「お二人も、長旅でお疲れでしょう。中で冷たい物を飲んでください」
役人は、ありがとうございます。と言うと、駒繋ぎ用の縄が外れないか確認した後、私の後について来た。
寺の客間で、一頻りどうやって運搬をしたのかを話すと、増馬と馬借は意気揚々と帰って行った。
どうやら全国の早馬をかき集めた上で、その馬たちを非常に効率よく各地へと送ったようだ。彼らは鎌倉に集まった物をここまで休まずに持ってきてくれたのだと言う。
口で言うのは簡単だが、伝達手段も限られる今の時代にこれだけのことをやってのけたのはやはり神技だ。
祭壇前の広い床に、お札や注連縄といった悪霊祓いに欠かせない呪具が並んだ。
一つ一つゆっくりと時間をかけて調べていく。ほとんど全ての品が特注品なのは分かっていたが、これが全てが最上のものなので、改めて驚いた。
有重は役職で言えば下端の役人だが、どのようにしてこれほどの物を揃えたのであろうか?しかも、全て九尾の狐を祓う事を前提とした条件で創られている。全てが終わったら本人に聞いてみたいものだ。
最後に、有重が認めた書状を、もう一度見てみた。
書状には、簡単な挨拶の後に目録がある。それを見ると、私の指定した物を、更に上質な物に指定し直してくれていたのが見て取れる。京で創られた物もあれば、出雲で創られたものある。どちらもここから遠く、普通なら往復でも数ヶ月はかかる。それを最上の状態で最上の物を十日で揃えてくれた。自分もそれに応えなくてはならない。
源翁は、弟子たちをいつもの修行へ向かわせ、心の中で気合を入れた。
九尾の狐との戦いが、道具を通じて浮かび上がってくる。これならいけるという気持ちになってきた。
そのままの勢いで、祭壇の前でこれらの呪具を使い易いようにまとめ、本格的な出発の準備へ入った。紙類は水を弾く布に包み、注連縄や紐は袋の底に入れた。
間も無く用意も終わろうかという頃、庭で修行している弟子たちの視線を感じた。
荷物が届き、間も無く九尾の狐を祓いに行くということで気になって仕方がないのだろう。常に己を律せよと言っても、人間限度がある。私は弟子たちをあえて注意しない事にした。
出発は明日の早朝にしようと考えながら、最後にもう一度荷物に目を落とす。
これで大丈夫。
私はまとめ終わった荷物を抱え、自室へと向かった。
磨き抜かれて黒光りする廊下を、転ばないように注意しながら進み、頭の中でこれからの事を考える。
九尾の狐と相対する好機は、今回だけだ。
これを逃せば九尾の狐は実体を取り戻し、退治する機会は二度と訪れないだろう。
若し、私が失敗した場合、九尾の狐は日本を破壊したいだけ破壊する。それで気が済み、また海を渡ってくれればまだいい。少数の残った人間で、長い年月はかかるもののこの島国を復興できるからだ。運悪く、九尾の狐が日本に残ったならば、もうこの島国は二度と再生しない。
やはり、自分がここで何とかしなくてはならない。
自室に先ほどまとめた荷物を置き、私は寺に残る弟子たちに向け、文を書いた。
日々の修行を続け、私を信じて待っていて欲しいと認める。そう、私は必ずここに戻ってくる。私にも使命がある。それは、次世代の人材を作り、少しでも世の中を平穏にすることだ。
挨拶は済ませたものの、彼らは寺の維持に不可欠な存在である、大身の結城氏にも文を認めた。
ほとんどの用意を終えた。
私は部屋を出て、いつものように祭壇の前に座った。
座禅を組むと、自分の世界に入り、ひとしきり問答を繰り返す。こうして擬似的に九尾の狐と何度も戦い、対策を練るのだ。毎回違う成果があるので、これを経験として頭の中で積み上げる。
気がつくと、もう外は暗くなっていた。
「焉斎はいますか?」
と、何処ともなしに呼びかけると、廊下からすっと若い顔が出てきた。彼は弟子の中で最も古株ではあるが、まだ十代なので、本当に子供のように見える。
「はい。大和尚さま」
「皆を集めてほしい」
「承知しました」
焉斎は、すっと廊下の奥へと消えた。
程なくして、寺の祭壇の前に十人の弟子たちが集合した。
私は、弟子を一人一人見た。皆、よく修行しているとみえ、良い表情をしている。
大きく息を吸って、私は弟子たちに話しかけた。
「急な話で申しわけありませんが、私は、明日九尾の狐の祓いに出ます。今回は危険が過ぎるので、其方たちを連れては行けません。私のいない間は日々の修行に励み、私の帰りを待つようにお願いします」
それでは納得がいかないという顔をした、一番弟子の焉斎が口を開いた。
「何故、私どもを連れて行ってくれないのですか?我々も、和尚さまには及びませんが、いくつかの祓いには参加しておりますし、必ずお役に立てるかと思います」
「はい。もちろんをあなた方を信用していない訳ではありません。しかし、今回は相手が相手です。私とて無事でいられるか分かりません。この寺を預かる者として、まだ修行の身であるあなた方を失う訳にはいきません。勿論、私はこの寺に必ず戻ってくると約束します」
「いや、それでも…」
「では、焉斎。九尾の狐の前で、あなたは何ができるのですか?」
焉斎は必死の形相で食い下がった。
「も、勿論、祓いの印で和尚様を手伝います」
「しかし、相手は肉体を持たぬ魂。いつも祓っている悪霊もそうですが、我々の常識というものは一切通じません。万が一あなたが取り込まれては、私はできる事もできなくなります」
そう言われては、何も言い返せない。焉斎は、押し黙ってしまった。
本当は源翁も焉斎らを数人連れては行きたいのだが、自分一人なら何とかなるが、彼らを守り切れる自信をどうしても持てないのだ。
「その代わり、私が戻ったら、これまで以上にしっかりとした寺にするため、あなた方にはより多くの事に尽力してもらいます。修行を怠らず、待っていてください」
「はい!!」
全員が元気に返事をしてくれた。この弟子たちの為にも、私は必ずここに戻って来なければならない。
これから向かう場所、そして寺の事を認めた文を焉斎に渡し、私は皆に深々と一礼した。
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