第15話 過去編 源翁心昭 其一
京都から離れること一三八里。この下総国までの道のりは長かった。
安倍有重は、九尾の狐を祓える人物を探し、とうとう関東地方に足を踏み入れた。先日寄った鎌倉は建物も街も京を小さくしたような場所であったが、そこ以外のほとんどの町は山と森の間に人々が暮らしているような印象だ。
結局鎌倉でも目的の人物は見つけられず、有重は北関東へと歩みを進めた。
何の情報も持たずに京都を飛び出したので、ここまでは空振り続きだ。日数も一週間と数日が経ってしまった。
訪れた先々で情報を収集しながら目ぼしい人物を血眼で探してはいるが、有重はこれまでに九尾の狐を祓える御仁には会えずにいる。
もうこれ以上時間をかける訳にはいかない。焦りと心労で胃がキリキリと痛む。
すぐにでも結城の町を調査したいが、まずはここまで頑張ってくれた馬を休ませなくてはならない。
結城の中心から少し離れた場所に馬繋ぎを見つけたので、有重はすぐさまその場所を借りた。
他に馬もいなかったので広い場所をと、馬房の中央に馬を繋いだ。ありがとうと言いながら馬を撫でて労わってやると、馬は嬉しそうに顔を擦り付けてきた。非常に性格の良い馬に出会えてよかったと思う。
有重は近くの井戸で汲んできた水を飲み水用の桶に入れ、残りの水で手拭いを浸して馬の体を拭いてやった。馬は水を飲む時以外は動かずに、尻尾をブンブンと振っている。そして、最後に馬繋ぎの店主から買った食べ物を与えた。
馬は嬉しそう嘶くと、目の前に出された餌にがっついた。
どうやら我が馬は相当にお腹が空いていたようだ。
有重は思わず頭を掻いた。急ぎとはいえ、愛馬に無茶をさせ過ぎたかなと反省する。
馬も落ち着いたので、これでしばらくは大丈夫だと、有重は馬繋ぎから出た。丁度すぐそこに腰を落ち着けられそうな石があったので、そこに座って先ほど届けられた文を袋から取り出した。
これは頼子が送ってきた文だ。
安倍有重さまと、読みやすい達筆な字で書かれた文を開ける。そこには頼子が陰陽寮の書庫で見つけた書物について書かれていた。
冒頭、私を心配しているという文章があり、無性に頼子に会いたくなったが、それは目的を達してからにしなければならないと、鉄の意志で次の文章に移る。
頼子が見つけた書物には、『獣狩り』の記述があったと書かれている。
本当にそのような書物があったのかと、有重は驚きと興奮に包まれた。文を持つ手に力が入る。
『獣狩り』は、公式に歴史上いなかった事になっている。それは当時の朝廷が『獣狩り』を恐れた為で、その組織の一員である陰陽寮が、それと分かる事を文章にして残したとは思えない。それでも頼子はそのような書物を見つけたと言うのだ。彼女の頭脳は常識をも打破するようだ。
有重は続きを読んだ。
その書物には、架空の物語という形式で、『獣狩り』が怪異と戦う記述があったそうだ。
物語上の『獣狩り』は、一騎当千の力を持ち、自然をも操っていたと言う。その『獣狩り』の力を三人の武将とその部下たちが得て、彼らはその力で大怨霊に戦いを挑み、見事勝利するという内容だったようだ。
頼子のすごいところは、これが暗号文だったというところだ。
似たような物語の書物を見つけた頼子が、その物語に隠された暗号文を解いたとの事だが、文を何回読んでもその記述が完全には理解できない。自分なりの解釈でいくと、いくつかの法則に沿って書物の文字を組み替え、その『獣狩り』の文章を甦らせたという事だと思われる。本意を容易に悟られないように文章を書き、その文章の文字を組み替えて別の文章にする事など本当にできるのであろうか?有重は、そんな文章を今まで見たことも聞いたこともなかった。
やはり、頼子は天才だ。それ以外の表現はない。
それにしても、そこまでして秘匿するものならば、本当に一騎当千なのだろう。しかもたった三人だ。そのたった三人で九尾の狐と正面から戦い、勝利したのだ。
あの注文書から逆算すると、『獣狩り』を一人創るには、金貨数十枚を必要とする計算になる。金額という面でも破格な戦力だと言えた。
そこで、有重はふと考えた。
若し、自分がこのまま九尾の狐を祓える人物を見つけられなかったら、この『獣狩り』を創る事に集中すべきだろうかと。———いやいやと考え直す。
紀顕生の話が本当であれば、そんな暗号文を一つ一つ解いている時間はない。
それに紀氏は、あの素戔嗚尊の息子である五十猛にも関係が深い、天皇家にも匹敵する歴史を持つ一族だ。その紀氏の人間が言うのだから時間がないのは間違いない。
となれば、九尾の狐とまともに戦える人物を見つけるしかない。そう。近日中に何としてでも見つけなくてはならない。
先ほどから感じていた重圧が、またまた有重にのしかかって来た。
日本の人々の為、朝廷の為、引いては有世の為などと考えると、とても一人でこの重圧は受けきれない。自分の失敗が関東を、そして日本を滅亡へと追いやるのだ。
心にも限界というものがあるのだなと、有重は漠然と思った。今度は胃が軋んだ。
しかし、こんな時に、いや、こんな時だからこそかもしれないが、有重の頭には頼子の顔が思い浮かんだ。その笑顔は誰よりも眩しく、自分を癒してくれる。
その顔は、何というか天女のようだ。
あの笑顔をもう一度見たい。
有重は、心からそう思った。
彼女のためにも自分のためにもここで踏ん張らなければならない。有重は、頼子の笑顔のために心を奮い立たせた。人間、やはり心の支えというものが必要なのだなと、しみじみと思う。
そして、心の中で、頼子に見ていてくれと叫んだ。
普段なら恥ずかしくて言えた言葉ではないが、今は不思議と恥ずかしくない。本心からそう思っているからだろう。
心を奮い立たせた有重は、本日の目的地である結城の町中の寺へと向かった。
寺は十年ほど前に建立された新しい寺だと聞いている。人に聞けば直ちに分かるはずだ。
下総国の町は、さすがに京都に比べればかなり角落ちするものの、比較的綺麗な町並みで、結城氏の自治がそこそこうまくいっているのだろうと感じた。大きな町屋敷の間に多くの長屋が連ね、大通りにはそこそこの人が集まり、商売も盛んなようだ。
もっと静かな町を想像していたが、活気があっていい町だと思う。
有重は今まで京を出たことがなかったので、非常に誤解していたが、関東もそれぞれに特徴のあるいい町があるのだ。皆が田舎田舎と言うのでどんなに凄い世界が待っているのかと思ったが、(もちろんそういう集落も多かったが…)きちんとした町も多いのだと勉強になった。
やはり、人間一つのところに留まらず、見聞にでなければ、分かるものも分からないと痛感する。
さて、場所を聞こうと見回すと、商人らしき老人が見えた。彼なら分かるだろうと、有重は話しかけた。
「すみません」
「はい?何でしょう?」
「安隠寺と言う寺に行きたいのですが、どこにあるのか教えてくれませんか?」
「ああ、はいはい。源翁禅師のところね。この稲荷通りを真っ直ぐずっと行けば見えてくるよ。ちょっと遠いが、何、一刻も歩けば着くさあね」
「ありがとうございます。時にご老人。源翁心昭さまはどんなお人ですか?」
そうさねえと言いながら、老人は一瞬考えて話す。
「まあ、悪い噂は聞かないねえ。所々に寺院を建立しているやり手みたいだけど、弟子も多いし人望はあるんじゃないかな。色々と祓ってくれるって評判だよ」
「そうですか。ありがとうございます。いや、気難しい人だったらどうしようかと思っていたのですよ」
老人はブンブンと手を振って、「いやいや、あの人は気さくな人だよ」と言って笑った。
当該人物が人々に慕われているのは非常に重要なことだ。どれだけ実力があっても最後に物を言うのは人徳だ。人徳なくして物事は絶対に上手くいかない。
老人に礼を言って、有重は一路安隠寺へと向かう。
途中、他の曹洞宗の寺院を見つけた。この地は曹洞宗が力を伸ばしてきているのだろう。老人に聞いた通り、一刻ほど進むと、遠くにそれらしい寺院が見えてきた。
あれが安隠寺かと心の中で呟く。
広い敷地に綺麗な寺が鎮座しており、手入れの良さが伺えた。
では、行きますかと、有重は大きく息をして、安隠寺へと足を踏み入れた。
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