第14話 過去編 【室町時代 山城国 陰陽寮 安倍有重】其十一
紀顕生の話を聞いた後、有重は急いで陰陽寮へと戻った。
因縁の安倍家の人間に様々な事を教えてくれた上、最後まで紀顕生その人だと分からなかった非礼を、有重が詫びに詫びたのは言うまでもない。
紀顕生は、九尾の狐を祓う事ができた暁には有重の愚行を不問とするとも言ってくれた。中々できた御仁である。
一つはっきりした事がある。自分はもう京には留まっている訳にはいかないという事だ。紀顕生が、自らもそこに含まれないという恥を承知で京には人材がいないと教えてくれたのだ。それに応えるには、京を出て在野の人間を探すしかない。
有重は、自室の荷物をまとめて旅支度をし、すぐさま陰陽頭に謁見した。
ここ数日の人材探しの成果と紀顕生の話をし、旅の予算と人材を見つけた時に使える予算を計上した書状を差し出した。
陰陽頭は、有重の書状を軽く見ると、その書状を横の机に放り投げた。そして、扇子で自分の頬を叩きながら「…で、京には人材がいないと?しかも、これだけの予算を使いたいと…」と嫌味たらしく言った。
陰陽頭の顔は、明らかに苛立っている。
まあ、この予算書を見れば誰でもこんな顔になるだろう。見つかるかも分からない術師を見つけ、そしてその術師には、立派な町屋敷が数軒建ちそうな予算を注ぎ込むと言うのだ。
しかし、そうでもしなければ九尾の狐は魂の状態を脱してしまう。そうさせない為にはどんなにお金が掛かったとしても全ての工程を早めなければならないのだ。
怒れる陰陽頭を説得するには、この話の原点に立ち返らなければならない。
安倍有世は、陰陽寮だけでこの事件を解決しろと陰陽頭に命じた。それは、朝廷においては陰陽寮しか怪異に対応する部署がなく、幕府に至ってはそんな部署すらないからだ。そして、陰陽寮の実績はそのまま有世の実績となる。但し、陰陽寮にとっても報答はある。それは、近年、衰勢に向かっている組織を立て直すことができるかもしれないということだ。ここで九尾の狐を祓うことができれば、朝廷も陰陽寮の存在を認めざるを得ない。
そうなれば、組織も生き残ることができるし予算もより付く事になるだろう。
有重はぐっと頭を下げて、説得に入った。
「恐れ入りますが、怨霊退治には多額の予算が掛かる場合もございます。人一人で成し遂げられるほど敵は甘くありません。予めこれだけの予算を組んでいただければ、それにも対応できます。それに、九尾の狐退治に成功した暁には、この予算に見合う以上の成果が見込まれます。第三位の有世様も更に覚え目でたくなり、陰陽寮も更に発展する事と思います」
「面をあげよ。いいか。それは、必ず成功するのであれば許される事だ。それだけの予算を使って失敗したらお前はどう責任を取るのか?」
有重は、出来うる限り目を開いて、保身に走ろうとしている陰陽頭に言ってやった。
「簡単です。私を死罪にしてください」
驚いた陰陽頭は身体を少しだけ後ろにのけ反らせ、扇子で扇ぎ始めた。額には汗が滲んでいる。
「な…死罪とな…」
「はい。どのみち失敗すれば、関東はおろか京も太宰府も全て九尾の狐に破壊され、日本に住む人々はなす術なく殺されます。そうなれば死罪に等しいので変わりありません」
陰陽頭の顔に恐怖が宿った。自分は安全圏にいると思っていたのかもしれない。そして、ようやく事の恐ろしさが身に染みたのだろう。
「き、九尾の狐が京に攻めてきても、足利もおるし、坊主、神職を総動員すれば何とか撃退できるだろう。何故に負ける方に考えるのだ?」
そんなことができる訳がないのは、陰陽頭が一番分かっているはずだ。
有重は、ここぞとばかりに畳み掛けた。人間死ぬ気になれば怖いものはない。
「陰陽頭さま!!こちらも人数を揃えられるように、九尾の狐も部下を揃えます。もしかすると大怨霊と言われる怨霊すら仲間にして襲いかかってくるかもしれません。そんな敵が襲いかかってきた時、我々が敵うと思いますか?」
陰陽頭は目を瞑って押し黙ってしまった。
頭の中では敵うわけがないと思っているに違いない。しかし、彼も陰陽師の端くれだ。怪異——それも九尾の狐の恐ろしさは誰よりも分かっているはずだ。
しばらく沈黙を保った陰陽頭は、扇子で頬を叩くのを止め、目を開けた。
「では、お前はその九尾に狐を打ち破れる人間を見つけられるのか?」
有重は、「はい。お任せ下さい」と即答した。
ギロリと鋭い目を有重に向け、陰陽頭は一瞬間を溜めた。そして、扇子でビシッと床を打ち鳴らした。音が反響して良く響く。
もちろん見つけられる蓋然性は限りなく低い。それでも、ここでハッタリをかまさないと全ては前に進まない。
「もちろん、私なりに何人かの目星はついています。まずはその一人一人に会って、最も可能性を感じる人物にお願いし、その人物に最大級の助力を施したいと思います」
「それは誰か?」
「はい。伊勢の陰陽師、天台宗の坊主、比叡山の修験、諏訪の大祝、曹洞宗の坊主の中に候補が何人かいます。それを一週間のうちに回って決めたいと思います」
思いついた事を全て言ってみたが、本当にそこにいるのかは神のみぞ知る所だ。
「何?…い、一週間?そんな事が?」
「やらないといけません。それだけ時間がないのです。気がつけば鎌倉が全滅などという事態になっては、後世に顔向ができませぬ。そして、お金は生きていなければ使えません」
ここまで切羽詰まっているのならと、陰陽頭もようやく重い腰を上げた。
「分かった。予算もそれでいい。お金は後からでもなんとかなる。お前は全力で人材を探せ。そして、関東壊滅をなんとしてでも阻止しろ。いいな」
「はい、この安倍有重。命に替えてもこの重責全うして見せます。私は、本日の夜から旅に出ます。成果はその都度、馬借を使って送ります故、有世様にも報告お願いします」
「分かった。では、行って参れ」
「承知いたしました」
有重は深く頭を下げると、陰陽頭の部屋を出た。
全身から汗が吹き出ていて、頭がくらくらする。若干貧血を起こしているのだろう。
しかし、有重は途轍もなく大きな権限を得た。膨大な予算と人材探しの権限だ。
日本には言霊信仰というものがある。言った事がそのまま現実に起こるというものだ。有言実行、嘘から出た実。どういう形であれ、そうなるようにしなければならない。
有重は、最後に御所へと赴いた。
「よう。またあの可愛子ちゃんに会うのか?」
あの門番が、にやつきながら話しかけてきた。
「はい。しばらく京を離れるので、その挨拶です」
「何だよ、どこに行くんだ?」
「諏訪、伊勢、那古野などです」
門番は驚いて、思わず槍を取り落としそうになった。
「そ、そんな遠くに何をしに行くのだ?」
「詳しい事は言えませんが、人探しです」
「ま、まあ、生きて帰ってこいよ。ここに堂々と女に会いに来るのはお前くらいだからな。俺を寂しくするなよ」
「ははは。ありがとうございます。では、頼子に会ってきます」
「おう。頑張れよ」
何を頑張るのかとは思ったが、本当に頑張るのは無事帰ってからだなと思う。
六助に約束通り砂糖饅頭を渡し、頼子を呼び出すようお願いした。六助は砂糖饅頭を大事に懐に入れると、「ちょっと待っていてね!!」と走って行った。
しばらくすると、頼子が裏口から出てきた。手には琵琶を持っている。仕事中に無理やり出てきたようだ。
「忙しいところ申し訳ない。ちょっと急用なんだ」
「もう。私も結構忙しいんだよ。何か分かったの?」
頼子はプンスカ怒っている。そんな怒り顔もしばらく見られなくなると思うと悲しいものだ。
「ここ京には、九尾の狐に対抗できる人間がいないのが分かったので、私は今から京を出て人材を探しに出ます」
「え…」
さすがにこんな突然京を離れるとは思っていなかった頼子は、珍しく動転して貴重な琵琶を木にぶつけてしまった。
「ち、ちょっと、今からって…いつ帰るのよ?」
「それは分かりません。でも、九尾の狐と戦える人間は何が何でも見つけるつもりです。見つからなかったら…私は死罪になります」
突然、そんな事を言うので、頼子も気持ちの整理がつかず泣き出してしまった。
まず、この時代における旅は危険が付き物で、生きて無事に目的地に辿り着けるかも分からないし、全てが完了しても死罪になるかもしれない。当たり前だが、頼子はこんなところで有重に死んでほしくはなかった。
袖で涙を拭きながら、頼子は怒りをぶちまけた。
「ちょっと、そんなの許さない!!なんでみんなで責任を持たないの!!みんなで手分けして行けばいいじゃない!!なんで有重くんだけなのよ!!そして、死罪って何よ!!頑張って仕事して何で死罪になるのよ!!」
一通り怒った後、頼子は有重に抱きついた。
そして、頼子は思い切り泣いた。
「大丈夫。私も死ぬつもりはありませんし、必ず九尾の狐は何とかします。だからここで待っていてください。そして、私が戻って、九尾の狐が退治されたら、その時は頼子に櫛を贈って、お父様にご挨拶に行きます。
私を信じてほしいです」
「———*`&$%」
号泣しながら顔を私の服に擦り付けている頼子が、何を言ってるのか全く分からないが、彼女の性格から察するに、「戻って来なかったら殺す」とでも言っているのだろう。
頼子の頭を撫でた後、有重は頼子を向かい合うように立たせた。
「では、私はここで失礼します。私のいない間、私の代わりに陰陽寮で『獣狩り』について調べておいてください。そして、何か分かったら文書にまとめてほしいです。あと…はい。これが行程表」
有重は、大体の日程を書いた書を頼子に渡した。
「日程通りにいかないかもしれないけど、なるべくこの日程で動くつもりです」
少しだけ落ち着いた頼子は、涙を拭きながら話す。
「たった一週間でこんな遠くまで行けるの?こんな無理な行程じゃ…」
「大丈夫。これくらいでないと、九尾の狐が鎌倉を堕としてしまいます。ここからは生きるか死ぬかの勝負なのです。そして、私は生きて帰ってきます」
やはり納得はしていない頼子だったが、自分と同じくらい頑固な有重は折れないだろう事は分かっていた。だから、最後は気持ちよく送り出すことにしたようだ。
息を大きく吸い、わざと怒った顔を作って頼子は言った。
「生きて帰って来なかったら殺すからね!!あと分かった事は絶対に書くよ!!」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔で文句を言う様を見て、これでこそ頼子だと思いながら、有重は御所を後にした。
それから、数刻で有重は京の朱雀門を出た。ほとんどを京の中で過ごした有重にとって日本を巡る旅は初めてのことだ。その厳しさは伝え聞くばかりで、実感を伴うには明日を待つしかないが、まずは行って見て感じることだ。
これからが本当の勝負だと、有重は馬を駆った。
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