第4話 妹は兄が別れたのが嬉しいらしい
「……兄さんから女の人の匂いがします。メスの匂いがします」
「……え?」
抱き着くように体を密着させた妹の海未が少し怖い目で僕を見上げながらそう言ってくる。
メスの匂いって何? どういう事?
「そのままです。女の人の匂いがするって言ったんです……彼女とデートに行ったんですか? あの女と遊んでたのですか? 私は嫌です、兄さんがあの女とデートに行くのは嫌です。それにあの女嫌いです、別れてほしいです。兄さんは家にいてほしいです、デートなんかしちゃダメです」
ぐりぐりと胸に頭を押し付けながら、すねたような声でそう言う。
……海未は僕が付き合った当初から千尋の事を毛嫌いしてるんだよな、理由を聞いても「嫌いだからです、絶対裏があります。私はあの女が嫌いです」としか言わなかったけど。
学校であっても威嚇しっぱなしだったし……まあでも、もうフラれちゃったから関係ないんだけども。
でもしっかり裏があったし、浮気されてたわけだから海未の言う事が正解だったみたいだ。
「大丈夫だよ、海未。今日はデートはしてない、ちょっと色々話しただけだから」
「……兄さんは嘘つきです。女の人の匂い兄さんからいっぱいします、絶対にデートしてます隠さなくていいです。あの女の事は嫌いですけど、兄さんが大好きなので応援だけはしてますから。大嫌いですし、私の方が絶対兄さんのことわかってますけど、応援だけはしてますから」
「なんでそんなに千尋の事嫌いなの……? それに本当にデートしてないよ。千尋にはもうフラれちゃったし」
「あの女は絶対に裏があります。それに色々……って兄さん? 今フラれたって言いましたか? あの女にフラれて別れた、って言いましたか?」
驚いたような嬉しいような複雑な声で、埋めていた顔を上げて僕の方を見上げる。
「うん、フラれちゃった。だからもう千尋とはデートしないよ。ていうか出来ないよ」
「ほ、本当ですか? 本当に別れたんですか?」
「うん、ホント。キレイすっぱり別れたよ」
「兄さんがあの女と別れた、フリー……んーんー!!! もう、兄さんそう言う事は早く言ってください、私の勘違いで恥ずかしいじゃないですか。でも酷いですね、兄さんの事をフるなんて。あの女はやっぱり兄さんの事全然わかってないです。兄さんがあの女と別れたのは嬉しいですが、そこは納得いかないです、兄さんの事をフるなんて信じられません、釈然としません。兄さんはこんなにもいい人なのになんか嫌です。でも兄さんが帰ってきてくれて私はすっごく嬉しいです……んん、兄さん、兄さん♪」
相変わらず抑揚は少ないけど、でも嬉しそうに小さな体を揺らして、僕のお腹に頭をぐりぐりと勢いよくこすりつける。
すこしほどけたセミロングお団子がゆらゆら揺れて……興奮しすぎだよ、海未。
梓のおかげであまり悲しい気分は残ってないけど、一応フラれたんだけどな、僕……ふふっ、ちょっとからかってやろうかな?
「もう海未、喜びすぎ。僕彼女にフラれたんだよ? 一応悲しい状況なんだよ? フラれて落ち込みお兄ちゃんかもしれないんだよ? まあ、そんなこと全然……」
「えへへ、兄さん……え? フラれて、落ち込み……あ、そうでした。兄さんはフラれて、好きだから……ご、ごめんなさい。私嬉しくて、つい……ごめんなさい、全然兄さんの事考えてませんでした。私ばっかり嬉しくなって私ばっかり気持ちよくなって、全然兄さんの事考えずに一人で……ご、ごめんなさい。兄さんの気持ち考えられないようなダメな妹でごめんなさい。ダメで自分勝手な妹でごめんなさい……ごめんなさい、兄さん……」
僕の言った冗談にこの世の終わりみたいな表情を浮かべ、早口な自己嫌悪。
僕の制服を掴む手も、青くなってしまった唇もフルフル小刻みに震えていて……あ、違う、そんなんじゃないよ、大丈夫だよ海未!
「いやいや、怒ってないよ! 怒ってないからそんな謝らないで、全然僕は大丈夫だから! それに海未はダメな妹でも自分勝手な妹でもないよ! いつもお料理とか頑張って作ってくれるし、僕とか友達とかのために色々してるの知ってるし! 朝ごはんとかお弁当も海未がいなかったら出来ないし! だから海未は僕の自慢の妹だよ!」
「……兄さんは優しすぎます。私なんかダメダメです、お料理もお掃除もよく失敗しますし、今も兄さんの事を傷つけてしまいました。私はダメダメな妹です、ごめんなさい、兄さん……」
「ダメダメじゃないよ、それに傷ついてないよ。冗談で言っただけだから、心配しないで。もうお兄ちゃんは結構復活してます、元気です!」
「……本当ですか? 本当に傷ついてないですか? 海未のせいで心の中グチャグチャになったりしてませんか? 海未のせいで兄さん悲しんでないですか? 海未があんなこと言うから兄さんが……」
「してない、してない。全然大丈夫……もう、そんな表情しないでよ。ほーらよしよし、元気になーれ、元気な海未に戻れー!」
泣きそうな表情で、震える手で僕を見あげる海未を元気づけるためにさすさすと小さな背中を撫でる。
元気な海未がいないと色々あれだから元気出して欲しいな!
「んん、兄さんってば、もう……でも、兄さんが悲しんでないなら、良かったです。海未のせいで兄さんが悲しい気持ちになっていないなら良かったです」
「うん、全然悲しい気持ちになってないよ。だから早く元気な海未に戻ってほしいな!」
「ありがとうございます、兄さん……多分、もう少しなでなでしてくれたら元気に戻りますですよ、海未は。もう少しなでなでして欲しいです」
「わかった。それじゃあ、よしよーし、よしよし」
「えへへ、兄さん、兄さん⋯⋯えへへ⋯⋯はい、海未は元気になりました。元気な海未が復活です」
ぴょんと僕から離れると、真っ白な肌を少し赤く染めながら、ぺしぺしと肉付きの薄い腕を叩く。
この反応は完全復活ですね、間違いない。
「はい、完全復活な海未です、私です。という事、今から私は夜ご飯の続きをしますので兄さんはゆっくり映画でも見ていてください。今日は兄さんの大好きなチキン南蛮ですよ」
「お、ホント? 嬉しいね、何か手伝うことある?」
「大丈夫です、兄さんの手は煩わせません。という事でお料理してきます。彼女にフラれた兄さんのためにたくさん作ってきます。乞うご期待でお願いしますね、兄さん……ふふっ、兄さん♪」
そう言って軽いステップでキッチンの方へ向かう。
一言余計だよ、と軽口をたたいてから、僕も着替えるために2階に向かった。
☆
コンコンコン
海未の作った美味しいチキン南蛮でご飯をおかわりして、満福からのお風呂じゃぶん、そしてそのままリビングでくつろぐ……最高のローテーションを決めて、その後に少しだけ勉強した午後10時過ぎ。
突然聞こえた部屋をノックする音に、イヤホンを外して「はーい」と答える。
「兄さん、私です、海未です。お時間、大丈夫でしたか?」
僕の声を聞いて、ゆっくりと慎重にドアを開けながら海未が入ってくる。
この家には僕と海未しかいないから当たり前なんだけど。
「うん、大丈夫だよ。ちょっと勉強してただけだから」
「え、お勉強ですか? それは、大丈夫ではないのでは……」
「ううん、もう終わろうと思ってたから大丈夫。それよりどうかした?」
「いえ、その……あ、ベッドに座っても大丈夫ですか?」
「いいよ、そんな事聞かなくても。自由に座ってよ」
ちょんちょんと遠慮した様にベッドをつつく海未に少し苦笑いしながら答える。
そんな事遠慮しないで自由に座ればいいのに。
「それではお言葉に甘えて失礼します……ふふふっ、兄さんのベッド、ふかふかですね」
恭しくベッドに座った海未がそう言ってにへへと柔らく微笑む。
変わんないと思うけどな、あんまり。
「兄さんのベッドは特別柔らかいように思います。それより、隣来てください、兄さんと近くで話したいです」
「そんな事ないけどな、絶対……わかった、ちょっと待っててね」
片耳だけ付けていたイヤホンも完璧に外して、そくそくと海未が待つベッドの方に向かう。
「……兄さんは何か動画を見ていたのですか? それとも音楽を聴いていたんですか? ちなみに私は勉強をする時は音楽を聴くタイプです」
「あ、海未はそっち派なんだね。僕は動画とか見るタイプだよ。ほら、Vtuberのミナレットちゃんって知ってる? その子の動画見てたんだ」
そう聞くと、ブッ、っと海未が驚いたように吹き出す……大丈夫?
「海未、大丈夫!?」
「み、ミナレット!? え、あ、やっぱり兄さんは、見て……え、あ、はい! 大丈夫です、もちろんもちろん知ってますよ! Vtuberのミナレットちゃん、もちろん知ってます! 可愛いですよね、ミナレットちゃん!」
わちゃわちゃと手を振りながら、いつもより元気な声でそう答える。
あ、海未も好きなのかな、ミナレットちゃん?
僕の推しのVtuberのミナレットちゃん。
ゲリラで不定期で配信して、通常時はずんだもんの動画をあげている、こっちまで元気づけられるくらい元気なVtuber。
海未も好きだったら、ちょっと話しできるかも!
「え、好き……はい、好きです。可愛いし、元気ですよね! げんきな妹って感じで!」
「うん、そうだね。僕もあの配信見てたら元気づけられちゃうよ、ホント! ……こういう所も千尋に気持ち悪いって言われたんだけどね」
「気持ち悪くないですよ、全然気持ち悪くないです! Vtuberはもう、世間に浸透してますし、楽しいですし、だから全然……って、もうこの話は終わりです、兄さんに話したいことがあってきたんですからミナレットちゃんの話は終わりにします! 私の、海未の話を聞いてください!」
赤い顔でパンと手を打って、話を切る。
そうだった、推しの名前が出たから少し話しちゃった……こういう所が悪いんだろうな。
「だから兄さんは悪くないです……で、話なんですけど……兄さん、今日彼女と別れたって言いましたよね?」
「うん、別れたよ」
「そうですよね……それじゃあ聞かせてください。兄さんの体にこびりついていたあの女の人の匂いは誰の匂いなんですか? 兄さんは今日、誰と一緒にいたんですか? 教えてください、兄さん」
隣に座った僕のパジャマの裾をギュッと掴みながら、少し睨むようなそんな目で僕を見つめてくる。
誰といたって、それは……あ、言うの忘れてた!
梓は海未とも仲良かったのに言うの完全に忘れてた!
「ごめんごめん、言うの忘れてたよ。今日はね、梓と一緒にいたんだ!」
「……梓さん、ですか?」
海未の目線が、僕のパジャマを引っ張る力がさらに強くなる。
★★★
感想や☆やブックマークなどいただけると嬉しいです!
妹ちゃんの話し方はシャニマスの凛世イメージでお願いします。
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