貴方の元へ

「はあ……」


 疲れた。非常に気疲れした。


 あれから私は、心太さんの友人である凛さんによって、彼の教室に入り浸っていた。


……入り浸ったは良いのだが、目をキラキラにした女子高生の恋バナ攻撃で凄まじく疲れたのである。


 今どきの女子高生のグイグイ度合いが凄まじかった。京香さんからも聞かれなかったことも、彼女たちは容赦なく聞いてくるのだから、もう顔が熱くて熱くて仕方がない。


「おう、大丈夫かい? ウチのやんちゃ軍団が随分と迷惑かけたみたいだが」


 心太さんに似て優しい凛さん。恋心は全く抱かないけど、何んとなくホッとするものを彼からは感じる。


 そう、まるでお母さんみたいな……。


「オカンじゃねえぞ」


 読まれた!?


「全く、どうしてオカンやオトン扱いされるんだか。部活の後輩にはオカンだのオトンだの言われるし、クラスメイトにも、何なら恋人にも母性の塊って言われるし……」


 やっぱりオカンじゃないか。


 と、口にはしなかった私をどうか誰かに褒めてもらいたい。


「それより、時間はどうなんだ? 後夜祭はもう開演しているが、ピアノ演奏はいつだっけか?」

「確か最後のプログラムですよ。先にブラスバンド部とダンス部の発表をして、最後にピアノです。この時間は多分、まだブラスバンド部の演奏中ですね」

「そうかい。んならもうスタンバっておくか。ダンスの発表までには準備完了しとくべきだろ。心太は……うん、もう体育館内で準備してるらしいからな」


 そう言うと、凛さんはスマホを確認してから歩き出した。多分、心太さんから何かしらのメールが送られてきたのだろう。


「こっちだ」と案内してくれる凛さんの後ろを、カルガモの子のように追従する。


 だが、廊下を通って別館にある体育館に繋がる連絡通路へ出ようとしたところで、凛さんは不意に足を止めた。


「……面倒な。見張りを置いてやがる」


 彼が遠目で睨む先。そこには、屈強な体をした男が数人立っていた。


 明らかに生徒ではない。見た目は完全にSPそのものだ。


「用意周到な下郎だな、全く。後夜祭が始まったら、念のためお抱えの護衛どもに見張りさせるよう命じたのか」


 私のような部外者が体育館にこっそり入るには、どうしても後夜祭が始まってからでないと不可能。それを名倉詩織は読み、邪魔者が入れぬよう先に動いていたということか。


 こんなことなら、誰かに頼んで制服を貸してもらえば良かった。そうすれば、体調不良で休んでいたが、何とか回復したので途中参加するために来た生徒を演出できたのに。


 私にはどうにもできない現実に歯嚙みする。だが、凛さんは諦めた様子が全く見られない。


「仕方ない。全員に眠ってもらうとするか」

「へっ?」

「俺が道を切り開く。君は物陰に隠れてろ。通れそうになったら声をかけるから」


 凛さんの目には、それはもう凄惨な殺気が宿っていた。


 かつて心太さんが瞳に宿していた、得体の知れない冷たい何かとはまた別物の恐ろしさを感じる。こっちの方が分かりやすいけど。


 私を物陰に移動させると、背中から巻き起こるオーラを隠さずに彼は前へ出た。


 彼が護衛と表現した男たちは、凛さんの姿を見ると一斉に殺気立つ。


「よう。俺のことをしっかりマークしてくれてたのか? 人気者で嬉しいよ」


 恐ろしいまでの余裕である。数は圧倒的不利だし、体格だって負けているように見える。それなのに、凛さんの余裕綽々な態度は何なのか。


 その理由は、案外すぐに判明した。


 何かを焦ったかのように飛び出した1人目の男を、凜さんは流れるような手捌きで受け流して体勢を崩すと、痛烈な回し蹴りを後頭部に突き刺したのである。


 完璧なタイミングで放たれた、完璧すぎるカウンター。


 受けた男はあまりにも呆気なく、屈強な男が地面とキスをした。


「まとめて来い。ああ、くれぐれも数的には有利だからって油断するなよ? 油断した瞬間、さっきの男みたく地面と熱烈なキスをさせてやるからな」


 戦い慣れているなんてもんじゃない。あまりにも圧倒的な強さだ。


 まるで、幾千もの修羅場をくぐり抜けた鬼神のような強さである。


 何者なのだろうか、彼は。どう見ても普通の一般人ではないのは分かるのだが、その正体まではちょっと想像がつかない。


 さっきとは打って変わり、数の差を活かして凜さんを囲い込んだ男たち。それ見て尚も余裕綽々の顔で構えている彼に軽く寒気を感じる。


 だが、少々彼の方へ集中しすぎた代償がすぐさまやってきた。


「おい」

「ひっ!?」


 いきなり後ろ側から知らない男の声がしたかと思うと、何者かに右腕を握られて無理やり立たされたのである。


 誰かが近づいた雰囲気なんて全く感じなかった。それは、単に相手が気配を消していたからなのか。それとも私の慢心故か。


 何にせよ、逃げないと。すぐにでも逃げないと危ない。


 だが、相手側の力が強くて振りほどけないのだ。動くこともままならない。不意打ちであったので、脳が混乱しているのだろう。身体が思うように動かなかった。


「しまった。だが、クソッ。お前ら邪魔くせえ!」


 まだ包囲網を突破していない凛さんは助けに来れない。そして、同行しているのは彼のみ。


 私の力で打開はまず不可能。万事休す。


「来い」


 ダメだ、抵抗をしても引きずられる。足を踏ん張ろうとしても、男に無理やり引っ張られて動かされる。


 こんなとこで終わりたくない。なのに、現実は無情で、かつ無慈悲で。どんどん私の身体は体育館から離れていく。


『お姉ちゃん、ごめん。少しだけ我慢してね』


 え、急に何を言ってるの?


 そんな私の疑問に琴葉ちゃんは答えることはなく、厳かな声でこう言った。


『幽霊さんたちが、協力してくれるから』


 途端、全身を強烈な寒気が包み込んだ。


 何が何だか分からないまま、変化が完了する。辺りが突然暗くなり、真冬のような冷風が吹き荒れて。太陽は朧月へと姿を変える。


 もう意味が分からない。ただ混乱するばかりだ。


 だが、握られ拘束されていた右腕は気がついたら解放されていた。


「おい下郎、心愛ちゃんに何してるんだ……?」


 突然の変化に脳がショートを起こして呆然としていたところで、不意に聞きなれた男の人の声が響く。


 颯斗さんだ。


「人の恋路を邪魔する下郎は死んで良いな」

「はぐぅ!?」


 そう言って、彼は何の躊躇いもなしに男の金的を蹴り上げた。


「心愛ちゃんケガはないか!? あんな野郎に握られてた腕とか特に心配なんだけど……」

「あ、いつもの颯斗さんだ。何だか久しぶり」


 感情の乱高下に軽く笑いそうになる。最近は長らく見ていなかった、少し賑やかな颯斗さんのおかげで、今しがた男として死んだ下郎のことは忘れることができそうだ。


……いやごめん。やっぱ忘れるのは無理だった。どうしても視界に入る。


「無事なら良かった。向こうは……」

「全部片づいた。いやあ、それにしても助かったぜ。しかし、随分と良いタイミングで来れたな? 予想でもしてたんかい?」

「京香が嫌な予感がしたと言って、僕を半ば強引に向かわせたのさ」


 いつの間にか屍にも似た肉体を量産した凜さんは、特に気負いも遠慮もせず颯斗さんと話している。


 敬語もなく話している辺り、凜さんと颯斗さんは相当に仲が良いらしい。


「……チッ、また来ているな」


 また顔を盛大にしかめた凜さん。彼の口ぶりから、また邪魔者が現れたようだ。


「心愛ちゃん。君は今のうちに行くんだ」


 颯斗さんの雰囲気が一変する。先の凜さんと同様に、強烈な殺気を膨れ上がらせていた。


 彼らの口ぶりからするに、そこまで時間の余裕がないらしい。


 ほんの少し迷ったが、続けて発された凛さんの「行け!」という声に後押しされるような形で、私は体育館に向かって全力疾走を開始する。


 体育館の外からであっても、既にブラスバンド部の発表が終わったのが察せる。ブラスバンドの演奏とはかけ離れた、アップテンポの洋楽と幾十の足音が聞こえてくる。おそらく、もうダンス部の発表が始まっているのだろう。


「急がないと……!」


 体育館の扉を開けて中に入ると、さっきにも増して凄まじい音が私の耳を襲った。


 少々耳が痛いが、構わず先へと進む。私が現在立っている場所は体育館の2階。下を照らすライトアップの係以外には人が見当たらないため、邪魔されずに先へ進むことが可能だ。


 幸いなことに、まだダンスの発表は終わっていない。だが、ノンビリ道草を食う時間はなさそうである。


 ダンスに合わせて次々と動くライトに照らされないよう気を使いながら歩いて行き止まりまで歩くと、ステージ側の端にある簡素な戸を開いてさらに奥へと進む。


 すぐ前にある階段を下れば、1階にあるステージ裏にたどり着ける。ダンス部の発表がまもなく終わりそうな空気を感じているので、急いで私は階下へと行こうとした。


 だが、何者かに腕を引かれたことでそれは叶わなかった。


「ここから先へ行かせるわけにはいかない」


 後ろを見れば、さっきまでライトを操っていた男子生徒が険しい顔をして私の左腕を掴んでいた。


 押し問答する時間はないため、無言で振り払い前へ進もうとするが、すぐさま腕を再度掴まれて上手くいかない。


「邪魔しないでっ!」

「詩織様の邪魔をする気なのだろう? それをむざむざ見逃すわけにはいかないんだよ。大人しく戻ってくれ」


 どうやら彼は名倉詩織の知り合い。いや、下僕らしい。さては名倉詩織、邪魔が入ってはならないと警戒して、こんなとこにまで警戒網を敷いていたか。


 ボディーガード風の男とは違い、私の抵抗もしっかりと意味を成しているのだが、完全に振り払うまでには至らない。


 それが、何とも言えない焦燥を駆り立てる。もう少しなのに。あと少しで目的地に到着なのに。寸前で足止めされているので、とにかくじれったいのだ。


 だが、何度も示す通り私は荒事が苦手だ。強引に男の力を振り切れる腕力は持っていないし、仮に起死回生目的で金的キックを放ったとしても、カスダメしか入らないへぼい蹴りになってしまう。


 ダンス部の発表も終わってしまい、今は体育館内を嵐のような拍手が包んでいる。もう時間はない。


 なのに、前へ進むのが難しいこの状況。じれったさと苛立ちが、少しずつ私を飲み込んでいく。


「……仕方ない。君には眠ってもらう!」


 男子生徒が取り出したのは、防犯アイテムとして見かけることの多いであろうスタンガンだ。


 武器の存在は流石に想定外で固まる私に、男子生徒は容赦なくスタンガンを振りかぶる。


 私の視界には、ゆっくり近づくスタンガンと。そして、遠目からものすごい速度で突進してくる人影が映った。


「心愛ちゃんに何してんじゃこのド畜生があああ!!」

「ぐへぇ!?」


 と、叫びながら飛び込んできた人影は、男子生徒の後頭部に強烈な飛び蹴りを放った。


 もんどり打って倒れる男子生徒。彼を蹴り倒した人の正体は、


「心愛ちゃん大丈夫だった?」

「京香さん……!?」


 おそらくは下で待機していたであろう京香さんだった。


 普段の彼女からは全く想像できない、完璧な角度からの飛び蹴りに思わず仰天する。


「時間ないよ! こいつは私が無力化しとくから、心愛ちゃんは急いで!」

「っ、すみません。ありがとうございます!」


 だが、京香さんの言葉で気を取り直し、私は戸の奥へと飛び込む。今は、心太さんの元へたどり着くことが第一だ。


 ダンス部はもう撤退しており、アナウンスは既に次のプログラムをコールしている。


 階段を駆け下りたときには、ちょうど心太さんと名倉詩織がステージへ足を運び始めたところであった。


 名倉詩織はちっとも気がつかなかったが、心太さんは私の方をチラリと見る。


「ふふ、後夜祭に参加してくださった全てのお客様。お待たせしました。今回のメインイベントである連弾の時間です」


 名倉詩織が大衆に向けて何かを言っている。始まる前の挨拶なのだろうか。


「今回連弾を行いますのは、私ともう1人。最近見つけた、私と双璧を成す才能を持つお方です。そして、私の未来の旦那様でもあります」


 は? おい、何て言ったんだこら。てかよく見たら、服装も随分とバカげてるな?


 体育館内がザワつく。突然の婚約発表に困惑する者。シンプルに冷やかしつつも祝う者。事情を知っているのか、何とも言い難い表情を作る者。


 かなりカオスめいた状況だ。しかし、心太さんは何も言い返さない。


 1人で勝手に盛り上がっている名倉詩織はさておき、心太さんは感情を全く読めない顔をしている。


「未来の旦那様。貴方からも1言お願いしますわ」


 マイクを受け取った心太さんは、また私の方をチラリと見る。


 そして、彼は1つ頷いた。


「えー、どうも。今回パートナーとして選ばれた心太です。天才と謳われる名倉さんとの連弾での演奏について行けるか不安ですが、自分なりに頑張りますので最後までお聞きください。そして……」


 彼が手招きをした。私は弾かれるように、ステージ上へと躍り出る。


「……そして、この場で証明しましょう。真に心から愛している者は誰なのかを」


 名倉詩織の表情が面白いぐらいに変わる。余裕が一切合切消え、焦燥と苛立ちが露わに。


 心太さんの手を握ると、彼は力強く握り返してくる。思いは全く同じ。そして1つか。


「行こう」

「……はいっ」


 言葉はいらない。今はただ、これから始まる蜜月に心を躍らせる。それだけで良い。


 奏でよう。2人で、最高のメロディーを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る