来訪者

「え、私に会いに?」

「大学の友人の京香と颯斗って名乗ってるけど、どうする? 追い返す?」


 逃亡生活n日目。一体どうやって嗅ぎつけたのか、京香さんと颯斗さんが病院に来訪した。


 訝しがりはしたが、誰か話し相手が欲しかった私は通すようにお願いする。


 琴葉ちゃんには「安直すぎない?」と言われてしまったが、どうか許してほしい。そこに、確かに存在する人と話していないと。心が腐ってしまいそうなんだ。


「連れてきてください。話したいです」

「分かった。少し待っててね」


 頭をサラリと撫でてから、ランばあちゃんは部屋を出ていった。


 心太さんとはまた違った温もりを感じ、自然と目尻から涙が溢れる。相当にメンタルがガタガタらしい。


 一向に涙が止まらなず、京香さんたちが部屋に入ってからも私は泣いたままだった。


 慌てて駆け寄る京香さん。颯斗さんは気まずそうにそっぽを向く。


「大丈夫?! どこか痛めつけられたとか……」

「違う。違うんです。身体は痛くないんですよ。ただ、涙が止まらなくって」


 日を少し置いて感じたショック。実の両親が、私のことを何も分かってない。そして考えもしてなかったことに対し。私は大きなショックを受けていた。


 何度も。これまで何度も一緒に話してたはずなのに。なるべく嫌なことは嫌だと言ってたのに。何も理解されてなかったのだ。


 悔しくて。そして悲しくて。さらに怒りまでが湧いてくる。


 何より辛いのは、こんな苦しい場面で心太さんに会えないことだ。


 分かってる。私と同じく厄介事に巻き込まれた心太さんと、しばらく連絡しない方が良いのは分かってる。頭では。


「会いたい。心太さんに会いたいんです……」


 でも、心は理解を拒んだ。今すぐにでも彼に会いたいんだと叫ぶ。


 心に嘘がつけず、彼に会いたいと口にした私を、京香さんはそっと抱きしめてくれた。


「絶対解決してみせる。何の気兼ねもなく彼氏さんと会えるようにする。そのために私たちは、ここまで来たの」

「ああ。君は大切な恋人の友人さん。及ばずながら、僕も力を貸しに来た」


 その言葉を聞いて、私はまた涙を流した。


 こんな苦しい状況でも、自ら率先して力を貸してくれる友人がいる。それがただ嬉しくて。そしてありがたくて。感謝の気持ちが溢れ、私は何度も京香さんの胸の中で礼を言う。


『良いお友達だね。私も欲しかったなぁ……』


 うん、このタイミングでそんな重たい事実をサラリと流すな。折角止まりかけてた涙がぶり返すだろうが。


 結局、私は泣き止むまで相当に時間を浪費してしまった。その間ずっと京香さんに抱きついてたので、彼女の服は私の涙と鼻水でビショビショである。


「ご、ごめんなさい京香さん。服汚しちゃって」

「良いの良いの! 颯斗くん、私は着替えてきちゃうから、話を先に進めてくれる?」

「分かった。そんな下着が透けてる状態で外に出られても困るしな」

「っ、それを今言うな!」


 何だか新鮮なやり取りだ。大学では程よい距離感の2人なのだが。プライベートに近い場面では、こんな感じなのか。


「さて、心愛ちゃん。話を進める前にまずは質問だ。君は、いきなり両親からフランス行きの話をされた。しかも、行くことがほぼ決まってるような言い方をされた。これで間違いないね?」

「はい、違いないです。あの、それは京香さんから?」

「それもあるけど、8割は独自で調べたよ」


 調べた? 一体どうやって……?


 だが、細かいことを気にする場面ではないらしい。すぐに次の質問が来た。


「行きたくない。だから逃げた。違いない?」


 大きく頷く。すると颯斗さんは、カバンから1枚の紙を取り出して私に手渡した。


「あまりにも突然の誘い。それも超名門から。僕も怪しいと感じて色々調べたんだ。すると、かなり面倒くさい事実が分かった」

「面倒くさい事実、ですか」

「ここを見てくれ」


 紙の一部をトンと叩かれた。そこに注目して見ると、こう書いてある。


「名倉詩織」


 名前に見覚えがある。この人は確か、テレビでもたまに共演する天才ピアニストだ。


「結論から言おう。今回の出来事。全てはこの人物が、君の彼氏である心太くんを手に入れるために仕組んだことだ」

「……は?」

「簡単にまとめるよ。偶然心太くんの演奏を聞いた彼女は一目惚れ。だが、告白したは良いが恋人がいるからと断られた。それを気に入らなかった彼女は、自身が持つ人脈や家柄全てを駆使して心太くんを手に入れようと動いている」


 何それ、全く意味が解んない。というか、理解が一向に追いつかない。


 え、つまり略奪しようとしているの? 略奪のため、私を心太さんから引き離そうとして。それでフランス行きの話を両親にしたのか?


 胸に湧き上がるマグマのようの怒り。そして喉元にまで登ってきた強烈な吐き気。鳥肌がゾワゾワと立ち、視界がチカチカする。


 私は今、かつてないほど凄まじい怒気を感じていた。


「……心太さんは。心太さんはどうしてるんですか」

「全身全霊で名倉詩織を拒絶してる。だが、彼女からすれば拒絶の意なんてどうでも良い。必要なのは彼の身柄。身柄さえ確保すれば、後は野となれ山となれだからね。薬漬けも辞さないつもりだろう」

「まだ、無事なんですよね」

「ああ、君も良く知る和食屋に潜伏してる」


 和食屋。あそこか。


 確かにあの場所なら。少し癪だが、あの人ならある程度は安心して大丈夫だろう。


「あれ、でも颯斗さん。潜伏場所を私に伝えても良いんですか?」


 心太さんの態度が“絶対に秘密”という感じであったので、こうも簡単に居場所を伝える颯斗さんを疑問に思った。


「正確には“潜伏していた”だからね。もう彼は場所を移している」

「え、そうなんですか?」

「そして君も、これから移動するぞ。詳しくは京香が話す」

「はいはーい。バトンタッチだね!」


 颯斗さんは京香さんとバトンタッチすると、そのまま誰かに電話をかけながら部屋を出ていってしまった。


「もしもし、凛くん?」と言っていた気がする。誰なんだろう。


「さて、心愛ちゃん。これから貴女は、私の家に来てもらうよ!」

「京香さんの家、ですか」

「そこで、心太くんの文化祭が始まるまで隠れてもらうからね!」


 全く話の流れが読めないし掴めない。


 だが、京香さんと颯斗さんの雰囲気から、私を真面目に助けようとする気持ちだけは読み取れた。


 無論、僅かな怪しさも感じた。しかし信じるしかない。地獄の底へと垂らされた、生還のための蜘蛛の糸だと信じて。

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